カテゴリー [ 京都府 ]
後野円山古墳群
京都府与謝野町(旧加悦町)1999年4月訪問
円墳1,方墳1
2号
方墳、L17,H2.5
位置:35°29′35″N 135°06′19″E
ゴミに囲まれてかわいそう、後の林の中に1号墳(R31,H5)

(見学記)
古墳公園から国道を南に800m程行くと国道が尾根を切断している場所があり、そこを左に折れて行くとすぐに案内板がある。古墳群は農業機械センター内にあり円墳方墳1基ずつからなる。1号は西側の杉林の中にあり、保存状態はよい。径31m、高5m、5C後半の円墳で北側に造出が有り周溝を伴う。2号は一辺17m、高2.5m5C末の方墳です。裸の状態だがだいぶ小さくなっているようだ。しかし作山古墳群と言い、ここと言い墳形がころころ変わりますね。府史跡。
円墳1,方墳1
2号
方墳、L17,H2.5
位置:35°29′35″N 135°06′19″E
ゴミに囲まれてかわいそう、後の林の中に1号墳(R31,H5)

(見学記)
古墳公園から国道を南に800m程行くと国道が尾根を切断している場所があり、そこを左に折れて行くとすぐに案内板がある。古墳群は農業機械センター内にあり円墳方墳1基ずつからなる。1号は西側の杉林の中にあり、保存状態はよい。径31m、高5m、5C後半の円墳で北側に造出が有り周溝を伴う。2号は一辺17m、高2.5m5C末の方墳です。裸の状態だがだいぶ小さくなっているようだ。しかし作山古墳群と言い、ここと言い墳形がころころ変わりますね。府史跡。
作山古墳群
京都府与謝野町(旧加悦町)1999年4月訪問
前方後円墳、帆立貝式、円墳、方墳各1,小型長形墳1
まるで古墳の見本市のような古墳群
1号
帆立貝式、TL45,R30,FW16,RH6,FH2
位置:35°30′11″N 135°06′25″E
左手に前方部、手前に墳丘周囲の埋葬施設

墳丘、右奥林の中に蛭子山古墳

右側に前方部の下に重なった5号墳、左に2号墳

墳頂箱式石棺、棺に比べて蓋石が大きいのが印象的

2号
円墳、R27,H3
奥に3,4号墳

3号
方墳、L17,H2
埴輪、葺石共に無く一番シンプル、奥に2,1号墳

4号
前方後円墳、TL29,R15,FW12,RH2,FH2
前方部斜め後方から

右手に2,3号墳

(見学記)
加悦町と言えば何といってもここでしょう。R176沿いにあり北側の蛭子山古墳とともに公園となっていて場所も大変わかりやすい。作山古墳群は東側丘陵から伸びる尾根上にある5基からなる古墳群で西側から5,1,2,3,4号で4C後半から5C前半にかけてこの順に築造されたと考えられています。各古墳のデータは次のとうり。
1号:帆立貝式古墳、全長45m、高6m、埴輪有り、葺石有り
2号:円墳、径27m、高3m、埴輪有り、葺石無し
3号:方墳、一辺17m、高2m、埴輪無し、葺石無し
4号:前方後円墳、全長29m、高2m、埴輪無し、葺石有り
5号:小型長形墳、、埴輪無し、葺石無し
互いに接するように造られていながら形、表面施設とも大変バラエティに富んでいて、いろいろな種類の古墳を見学するのには絶好の場所です。「季刊考古学」40号に古墳群の空中写真が載っていますが、4号の前方後円墳がいびつな形をしていると思ってましたが現地にきて疑問が氷解、1段目の葺石の平野から見えない側が省略されているんですね。手抜きそれとも省資源でしょうか。主体部が発掘されたのは1号だけで墳頂に箱式石棺があり、さらに墳丘周囲に木棺や埴輪棺等15基の埋葬施設があります。箱式石棺は各側面が厚い一枚石で造られ副室も付いています。蓋石も巨大な1枚石で副室にも別個に蓋石があります。現在5基とも墳丘、埴輪、葺石が復元整備され1号墳頂の箱式石棺は蓋が開けられた状態で透明なドームに覆われ公開されています。まず最初に築造された5号墳は始祖の墓だと思われますが崖っぷちやや低い場所の条件の悪い所に立地しているのが不思議です。1号以下はまだなく十分土地に余裕があったと思われるんですが。さらに1号が造られたとき前方部が5号に重なっているのが更なる謎ですね。祖先の魂と同一化しようとしたんでしょうか。それにしてはその後の2号以下が墳形、表装とも1代ごとにころころ変わるのが不思議です。天の邪鬼ばかりだったんだろうか。国史跡。個人的には復元された古墳はあまり好きではないがここはお勧め。それにしても入園料が300円、中にある資料館に入るのにさらに300円というのはちと高くないですかね。古墳を見るだけなら外からでも十分見えるのだし。
前方後円墳、帆立貝式、円墳、方墳各1,小型長形墳1
まるで古墳の見本市のような古墳群
1号
帆立貝式、TL45,R30,FW16,RH6,FH2
位置:35°30′11″N 135°06′25″E
左手に前方部、手前に墳丘周囲の埋葬施設

墳丘、右奥林の中に蛭子山古墳

右側に前方部の下に重なった5号墳、左に2号墳

墳頂箱式石棺、棺に比べて蓋石が大きいのが印象的

2号
円墳、R27,H3
奥に3,4号墳

3号
方墳、L17,H2
埴輪、葺石共に無く一番シンプル、奥に2,1号墳

4号
前方後円墳、TL29,R15,FW12,RH2,FH2
前方部斜め後方から

右手に2,3号墳

(見学記)
加悦町と言えば何といってもここでしょう。R176沿いにあり北側の蛭子山古墳とともに公園となっていて場所も大変わかりやすい。作山古墳群は東側丘陵から伸びる尾根上にある5基からなる古墳群で西側から5,1,2,3,4号で4C後半から5C前半にかけてこの順に築造されたと考えられています。各古墳のデータは次のとうり。
1号:帆立貝式古墳、全長45m、高6m、埴輪有り、葺石有り
2号:円墳、径27m、高3m、埴輪有り、葺石無し
3号:方墳、一辺17m、高2m、埴輪無し、葺石無し
4号:前方後円墳、全長29m、高2m、埴輪無し、葺石有り
5号:小型長形墳、、埴輪無し、葺石無し
互いに接するように造られていながら形、表面施設とも大変バラエティに富んでいて、いろいろな種類の古墳を見学するのには絶好の場所です。「季刊考古学」40号に古墳群の空中写真が載っていますが、4号の前方後円墳がいびつな形をしていると思ってましたが現地にきて疑問が氷解、1段目の葺石の平野から見えない側が省略されているんですね。手抜きそれとも省資源でしょうか。主体部が発掘されたのは1号だけで墳頂に箱式石棺があり、さらに墳丘周囲に木棺や埴輪棺等15基の埋葬施設があります。箱式石棺は各側面が厚い一枚石で造られ副室も付いています。蓋石も巨大な1枚石で副室にも別個に蓋石があります。現在5基とも墳丘、埴輪、葺石が復元整備され1号墳頂の箱式石棺は蓋が開けられた状態で透明なドームに覆われ公開されています。まず最初に築造された5号墳は始祖の墓だと思われますが崖っぷちやや低い場所の条件の悪い所に立地しているのが不思議です。1号以下はまだなく十分土地に余裕があったと思われるんですが。さらに1号が造られたとき前方部が5号に重なっているのが更なる謎ですね。祖先の魂と同一化しようとしたんでしょうか。それにしてはその後の2号以下が墳形、表装とも1代ごとにころころ変わるのが不思議です。天の邪鬼ばかりだったんだろうか。国史跡。個人的には復元された古墳はあまり好きではないがここはお勧め。それにしても入園料が300円、中にある資料館に入るのにさらに300円というのはちと高くないですかね。古墳を見るだけなら外からでも十分見えるのだし。
滝岡田古墳
京都府与謝野町(旧加悦町)1999年4月訪問
円墳、R20
横穴式石室、全長9.8,玄室長4.1,幅2.3,高2.4m
位置:35°28′42″N135°05′19″E
復元墳丘

羨道

玄室、自動照明付き、天井石は復元

(見学記)
道の駅西方800m、西側山麓にある古墳でまん丸い墳丘が見えている。元々石室がむき出しになっていたのを復元したもので南側に横穴石室が開口、天井石は失われていたが全長9.8mの右片袖式、中型の石を使った割石積みです。玄室床面には人頭大の川原石が敷き詰められその下から須恵器破片と柱穴が4カ所確認され石室が完成する前に何らかの儀式が行われたようです。玄門部に柵があって中には入れませんが自動照明付き、町クラスの史跡にしてはなかなか力が入っています。
円墳、R20
横穴式石室、全長9.8,玄室長4.1,幅2.3,高2.4m
位置:35°28′42″N135°05′19″E
復元墳丘

羨道

玄室、自動照明付き、天井石は復元

(見学記)
道の駅西方800m、西側山麓にある古墳でまん丸い墳丘が見えている。元々石室がむき出しになっていたのを復元したもので南側に横穴石室が開口、天井石は失われていたが全長9.8mの右片袖式、中型の石を使った割石積みです。玄室床面には人頭大の川原石が敷き詰められその下から須恵器破片と柱穴が4カ所確認され石室が完成する前に何らかの儀式が行われたようです。玄門部に柵があって中には入れませんが自動照明付き、町クラスの史跡にしてはなかなか力が入っています。
高浪古墳
白米山古墳
金屋上司古墳
京都府与謝野町(旧加悦町)2000年4月訪問
円墳、R15,H2
横穴式石室、玄室長5.1,幅2.1,高1.8m
位置:35°29′03″N 135°05′26″E
墳丘、石室開口部、加悦谷の掉尾を飾る古墳、北方遙か遠くに加悦谷最初の古墳、蛭子山古墳、作山古墳群が望める場所

石室正面、羨道壊失

玄室、高さより横幅が広い、奥の天井石はかなりの巨石

無袖式

右袖柱状の石

(見学記)
丘陵麓近くの低い尾根上を平坦にしてその端に墳丘を構築一辺11mの方墳で東側に石室が開口、羨道は壊失していますが玄門辺りは残っているようで柱状の石が立っています。玄室は長5.1,幅2.1,高1.8m、大型石室にしては珍しく高さより幅が広い、内部は多少埋まっているだろうが一見しても横幅が広いのが分かります。天井石は2枚、特に奥のは巨大で板状の石だろうがよく割れずに運んだもんだ。北側遙か遠くに加悦谷最初の古墳である蛭子山古墳や作山古墳群が見えているがこちらは7C中頃の築造、加悦谷の掉尾を飾る古墳です。町史跡。
円墳、R15,H2
横穴式石室、玄室長5.1,幅2.1,高1.8m
位置:35°29′03″N 135°05′26″E
墳丘、石室開口部、加悦谷の掉尾を飾る古墳、北方遙か遠くに加悦谷最初の古墳、蛭子山古墳、作山古墳群が望める場所

石室正面、羨道壊失

玄室、高さより横幅が広い、奥の天井石はかなりの巨石

無袖式

右袖柱状の石

(見学記)
丘陵麓近くの低い尾根上を平坦にしてその端に墳丘を構築一辺11mの方墳で東側に石室が開口、羨道は壊失していますが玄門辺りは残っているようで柱状の石が立っています。玄室は長5.1,幅2.1,高1.8m、大型石室にしては珍しく高さより幅が広い、内部は多少埋まっているだろうが一見しても横幅が広いのが分かります。天井石は2枚、特に奥のは巨大で板状の石だろうがよく割れずに運んだもんだ。北側遙か遠くに加悦谷最初の古墳である蛭子山古墳や作山古墳群が見えているがこちらは7C中頃の築造、加悦谷の掉尾を飾る古墳です。町史跡。
鴫谷古墳群
京都府与謝野町(旧加悦町)1999年4月訪問
1号
円墳、R55,H11
位置:35°29′34″N 135°06′45″E
写真ではわかりにくいが尾根を切断した大きな墳丘

2号
1号(左手前)と陸橋で繋がる

(見学記)
後野丸山古墳群から東側にやや大きな谷が広がっています。その中央辺りの道を500m程行くと南側の田と林の境界辺りに倒れた案内板があります。そこから林の中にはいるとすぐに大きな墳丘が見えてきます。尾根を切断して造られた2段築成、5C前半の円墳で径55m、高11mとかなり大きい。墳丘や尾根切断後も良好に残っています。全面に葺石があり周囲に埴輪が巡らされていたが今は全く見えない。木製埴輪の存在も推測されているそうです。墳頂には2基の割竹形木棺があり1基は破壊されたがもう1基は完全に残っていたそうです。そばに盗掘を受けた2号墳があり1号と陸橋でつながっています。昭和40年に郷土史研究会によって発見されたそうだがすぐ北側は水田で深い森の中に有るわけでなし、その時まで知られてなかったのが不思議なくらいです。府史跡。周囲の尾根上にも20数基の古墳があるそうだがざっと見た感じでは目立つほどの墳丘はないようだ。
1号
円墳、R55,H11
位置:35°29′34″N 135°06′45″E
写真ではわかりにくいが尾根を切断した大きな墳丘

2号
1号(左手前)と陸橋で繋がる

(見学記)
後野丸山古墳群から東側にやや大きな谷が広がっています。その中央辺りの道を500m程行くと南側の田と林の境界辺りに倒れた案内板があります。そこから林の中にはいるとすぐに大きな墳丘が見えてきます。尾根を切断して造られた2段築成、5C前半の円墳で径55m、高11mとかなり大きい。墳丘や尾根切断後も良好に残っています。全面に葺石があり周囲に埴輪が巡らされていたが今は全く見えない。木製埴輪の存在も推測されているそうです。墳頂には2基の割竹形木棺があり1基は破壊されたがもう1基は完全に残っていたそうです。そばに盗掘を受けた2号墳があり1号と陸橋でつながっています。昭和40年に郷土史研究会によって発見されたそうだがすぐ北側は水田で深い森の中に有るわけでなし、その時まで知られてなかったのが不思議なくらいです。府史跡。周囲の尾根上にも20数基の古墳があるそうだがざっと見た感じでは目立つほどの墳丘はないようだ。
法王寺古墳
京都府与謝野町(旧岩滝町)2000年4月訪問
前方後円墳(消滅)
位置:35°34′36″N 135°10′55″E(資料館)
長持形石棺・底石が宮津市丹後郷土資料館庭に保存されている

(見学記)
滝町にあった前方後円墳だが消滅、長持形石棺の蓋石と底石が隣の宮津市丹後郷土資料館庭に保存されている。建物右側にあるが特に説明も何もないので見逃すかも知れない(私の体験)。平らな石が2枚横たわっているだけだが蓋石の方に縄掛け突起が付いているから分かるだろう。
資料館(入場料200円)は丹後地方の縄文時代から近世までの資料を展示、数はそれ程多くないが見応えのある資料が結構ある。特に大風呂南墳墓群から出土したガラス製釧がお勧め、これを見るだけでも入る価値がある。それにしても形といい、色といい見事ですね。99年新発見考古速報展で見逃しただけに思わぬ所で出くわしてしばらく見ほれてしまった。レプリカを作ってグッズとして販売しないかな。
前方後円墳(消滅)
位置:35°34′36″N 135°10′55″E(資料館)
長持形石棺・底石が宮津市丹後郷土資料館庭に保存されている

(見学記)
滝町にあった前方後円墳だが消滅、長持形石棺の蓋石と底石が隣の宮津市丹後郷土資料館庭に保存されている。建物右側にあるが特に説明も何もないので見逃すかも知れない(私の体験)。平らな石が2枚横たわっているだけだが蓋石の方に縄掛け突起が付いているから分かるだろう。
資料館(入場料200円)は丹後地方の縄文時代から近世までの資料を展示、数はそれ程多くないが見応えのある資料が結構ある。特に大風呂南墳墓群から出土したガラス製釧がお勧め、これを見るだけでも入る価値がある。それにしても形といい、色といい見事ですね。99年新発見考古速報展で見逃しただけに思わぬ所で出くわしてしばらく見ほれてしまった。レプリカを作ってグッズとして販売しないかな。
蛭子山古墳群
京都府与謝野町(旧加悦町)1999年4月訪問
前方後円墳1,方墳7(4号以下は殆ど不明)
作山古墳群と共に古墳公園内に保存
蛭子山古墳
前方後円墳、TL145,R100,FW62,RH16,FH11
位置:35°30′14″N 135°06′26″E
小さな盆地に不釣り合いなほど大きな墳丘

前方部から後円部

舟形石棺

2号
方墳、L42
蛭子山前方部からの眺め

割と大きな方墳だが主墳のすぐ側で割を食っている

3号
方墳、L15
3号までが国史跡

(見学記)
作山古墳群の谷を挟んだすぐ北側、尾根の先端を利用して造られた全長145m高14mの前方後円墳です。4C後半に造られ丹後第3位の規模で墳丘は非常によく残っていますが多少なりとも復元したのだろうか。墳頂は平坦でここに花崗岩製の舟形石棺があります。現在覆い屋の中に保存展示されていますが長さ2.7mとかなり大きい、蓋身とも木口部に縄掛け突起が付いている。後円部東側に接するように2号墳がある。一辺42mと結構大きな方墳だがそばに大きな墳丘があるだけにちと分が悪くあまり大きく見えない。南側に突出部のようなものがあるがこれは自然地形だろうか。さらに東側に3号墳があるがこちらは一辺15mの方墳でさらに小さくなる。ここまでが国の史跡でさらに東側公園内に4-8号の方墳があるはずだがわずかな高まりが一つあるだけで他は確認できず。この蛭子山古墳群と作山古墳群はどのような関係だったんでしょうね。築造時期は一部重なっているようだが群の構成から考えて同系列の古墳群とも思えず興味深いですね。
前方後円墳1,方墳7(4号以下は殆ど不明)
作山古墳群と共に古墳公園内に保存
蛭子山古墳
前方後円墳、TL145,R100,FW62,RH16,FH11
位置:35°30′14″N 135°06′26″E
小さな盆地に不釣り合いなほど大きな墳丘

前方部から後円部

舟形石棺

2号
方墳、L42
蛭子山前方部からの眺め

割と大きな方墳だが主墳のすぐ側で割を食っている

3号
方墳、L15
3号までが国史跡

(見学記)
作山古墳群の谷を挟んだすぐ北側、尾根の先端を利用して造られた全長145m高14mの前方後円墳です。4C後半に造られ丹後第3位の規模で墳丘は非常によく残っていますが多少なりとも復元したのだろうか。墳頂は平坦でここに花崗岩製の舟形石棺があります。現在覆い屋の中に保存展示されていますが長さ2.7mとかなり大きい、蓋身とも木口部に縄掛け突起が付いている。後円部東側に接するように2号墳がある。一辺42mと結構大きな方墳だがそばに大きな墳丘があるだけにちと分が悪くあまり大きく見えない。南側に突出部のようなものがあるがこれは自然地形だろうか。さらに東側に3号墳があるがこちらは一辺15mの方墳でさらに小さくなる。ここまでが国の史跡でさらに東側公園内に4-8号の方墳があるはずだがわずかな高まりが一つあるだけで他は確認できず。この蛭子山古墳群と作山古墳群はどのような関係だったんでしょうね。築造時期は一部重なっているようだが群の構成から考えて同系列の古墳群とも思えず興味深いですね。
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