カテゴリー [ 長野県 ]
吉田原古墳
長野県上田市 2006年4月訪問
円墳、R12.9-14.9,H3.5
横穴式石室、全長6.6m、玄室長3.5,幅1.8,高1.15m
位置:36°22′28″N 138°17′29″E
団地内に現状保存

石室正面、羨道先端までよく残っているようだ

羨道

玄室、側壁下部も巨石を据えている

奥壁、2段積み半くらい

奥から外、両袖式、まぐさ石は一見巨石のようだが

真下から見ると薄い平石

(見学記)
上田市蒼久保みすず台北、住宅団地内に現状保存墳丘石室とも良好に残っています。石室全長6.6m、玄室長3.5m、両袖式で奥壁はほぼ2段積み、側壁も下部に巨石を据えています。奥壁の内上段のは平面をかなり整えているけど下段のは凸凹している。玄門上のまぐさ石も一見巨石に見えますが真下から見ると薄っぺらな板状の石、そのせいか袖石にずれた感じで載っていますね。この構造は御代田町のめがね塚2号や馬背口下原古墳群に似ています。市史跡。
円墳、R12.9-14.9,H3.5
横穴式石室、全長6.6m、玄室長3.5,幅1.8,高1.15m
位置:36°22′28″N 138°17′29″E
団地内に現状保存

石室正面、羨道先端までよく残っているようだ

羨道

玄室、側壁下部も巨石を据えている

奥壁、2段積み半くらい

奥から外、両袖式、まぐさ石は一見巨石のようだが

真下から見ると薄い平石

(見学記)
上田市蒼久保みすず台北、住宅団地内に現状保存墳丘石室とも良好に残っています。石室全長6.6m、玄室長3.5m、両袖式で奥壁はほぼ2段積み、側壁も下部に巨石を据えています。奥壁の内上段のは平面をかなり整えているけど下段のは凸凹している。玄門上のまぐさ石も一見巨石に見えますが真下から見ると薄っぺらな板状の石、そのせいか袖石にずれた感じで載っていますね。この構造は御代田町のめがね塚2号や馬背口下原古墳群に似ています。市史跡。
塚穴古墳
長野県上田市 2006年4月訪問
円墳、R7,H2.8
横穴式石室、玄室長2.7,幅1.7,高1.3m
位置:36°25′04″N 138°19′12″E
谷中に立地、小さな墳丘が残る

谷奥だけど遠くに平野が見通せる場所

石室正面、羨道は壊失

小型の玄室、奥壁は2段積み

奥から外、片袖式、玄門にしきみ石、袖幅が随分広い

側壁、下部に大型の石を据える

(見学記)
将軍塚から1km程登っていくと小さな墳丘があり側に標柱が立っています。谷奥に造られた古墳ですが平野部が見通せる場所に立地しています。封土は殆ど流失、羨道もか遺失し石室全部が露出していますが玄室は完存しています。片袖式の玄室ですが袖幅が広く見た感じ正方形に近いイメージがありますね。奥壁は2段積み、側壁も下部に大型の石を据えています。天井石も2枚でこれもかなりの巨石。市史跡。
円墳、R7,H2.8
横穴式石室、玄室長2.7,幅1.7,高1.3m
位置:36°25′04″N 138°19′12″E
谷中に立地、小さな墳丘が残る

谷奥だけど遠くに平野が見通せる場所

石室正面、羨道は壊失

小型の玄室、奥壁は2段積み

奥から外、片袖式、玄門にしきみ石、袖幅が随分広い

側壁、下部に大型の石を据える

(見学記)
将軍塚から1km程登っていくと小さな墳丘があり側に標柱が立っています。谷奥に造られた古墳ですが平野部が見通せる場所に立地しています。封土は殆ど流失、羨道もか遺失し石室全部が露出していますが玄室は完存しています。片袖式の玄室ですが袖幅が広く見た感じ正方形に近いイメージがありますね。奥壁は2段積み、側壁も下部に大型の石を据えています。天井石も2枚でこれもかなりの巨石。市史跡。
辰ノ口高塚古墳
長野県上田市(旧丸子町)2006年4月訪問
円墳、R17,H4
横穴式石室、全長8.5m、玄室長4.5,幅2.8,高2.9m
位置:36°19′07″N 138°15′47″E
墳丘

開口部

羨道

奥がやや広がる玄室、奥壁は下部に4個の石を並べ上に巨石を置く

奥から外、両袖式、玄門の上に副室のような空間がある

その内部

(見学記)
現上田市東内辰ノ口、集落の中を通る県道174号辰ノ口バス停から集落内の小径を北に入っていくと民家の間に笹藪に覆われた墳丘があります。南側に説明板が立っていてその脇に石室が開口、入り口は狭いですが羨道は奥に向かって広がり玄室も完存、奥がやや広がる羽子板状で背も高く非常に大きく感じます。奥壁は下部に4個の石を並べその上に巨石を据えています。この玄室で一番変わっているのは玄門まぐさ石の上副室とでも言えそうな大きな空間があります。まぐさ石も平たくまるで石棚のよう。こんな構造の玄室は初めて見た気がします。町史跡。
円墳、R17,H4
横穴式石室、全長8.5m、玄室長4.5,幅2.8,高2.9m
位置:36°19′07″N 138°15′47″E
墳丘

開口部

羨道

奥がやや広がる玄室、奥壁は下部に4個の石を並べ上に巨石を置く

奥から外、両袖式、玄門の上に副室のような空間がある

その内部

(見学記)
現上田市東内辰ノ口、集落の中を通る県道174号辰ノ口バス停から集落内の小径を北に入っていくと民家の間に笹藪に覆われた墳丘があります。南側に説明板が立っていてその脇に石室が開口、入り口は狭いですが羨道は奥に向かって広がり玄室も完存、奥がやや広がる羽子板状で背も高く非常に大きく感じます。奥壁は下部に4個の石を並べその上に巨石を据えています。この玄室で一番変わっているのは玄門まぐさ石の上副室とでも言えそうな大きな空間があります。まぐさ石も平たくまるで石棚のよう。こんな構造の玄室は初めて見た気がします。町史跡。
新屋古墳(新屋1号)
下之郷古墳群
長野県上田市 2006年4月訪問
他田塚古墳
円墳、R17.2,H4
横穴式石室、全長9.9m、玄室長6.3,幅2.0,高2.5m
位置:36°21′40″N 138°14′18E
公園内に保存された古墳

石室正面、羨道は上部壊失

長く背の高い玄室、左側がやや胴張り

奥壁

奥から外、無袖式、玄門辺りで天井が一段下がっているようだ

塚穴原1号
円墳、R20,H3.3
横穴式石室、全長7.2m、玄室幅2.5,高1.5m
位置:36°21′40″N 138°14′21″E
墳丘、石室が上の方にあるせいか低平に感じられる

石室正面

羨道、天井石が一段下がって玄室と区別

背は低いが長い玄室

奥壁

奥から外、無袖式

塚穴原2号
1号側にある小さな墳丘

他
横穴式石室
位置:36°21′29″N 138°14′12″E
ソフトパーク内に保存

石材が数個露出するのみ

(見学記)
上田市下之郷、上田リサーチパーク内にあるいにしえの丘公園内に3基の古墳が保存されています。
他田塚古墳
道路に公園の案内表示が出ているのでそれに従って道路を曲がっていくと左に大きな墳丘が見えてきます。径17m程の円墳で羨道は上部が失われていますが玄室は完存、長6.3m、幅2m、高2.5m奥行きのある背の高い玄室で、左側の側壁がやや胴張り気味。無袖式ですが玄門辺りの天井石が一段下がっているようだ。玄室の大きさの割には石材はそれ程大きくなく、奥壁も下部にやや大きな石を左右に2個据えてその上に小型の石を積み重ねています。市史跡。
塚穴原1号
他田塚東側、松林の中にあります。墳丘の大きさは他田塚とほぼ同じですが背は随分低い。石室も同じくらいの規模ですが高が1.5mと低くより細長く感じます。奥壁下部に2個の大型の石を据えている点や無袖式で天井部が一段下げて玄室と羨道を区別しているなど他田塚との共通点がありますが背が低いと言うだけでイメージが随分違いますね。。市史跡。
1号西側に2号の小さな墳丘があります。
他
事前に調べたときいにしえの丘公園の場所が分からず近くまで行ってえいやと入ったソフトパークで入り口の案内板に古墳公園とあったのでここここと思って行ってみたら全然違っていたけど間違いなく古墳がありました。墳丘は割と残っているが上部が大きく盗掘され凹状態、横穴石室の石材が数個露出している程度です。
(これが下之郷古墳群に含まれるかどうかは不明)
他田塚古墳
円墳、R17.2,H4
横穴式石室、全長9.9m、玄室長6.3,幅2.0,高2.5m
位置:36°21′40″N 138°14′18E
公園内に保存された古墳

石室正面、羨道は上部壊失

長く背の高い玄室、左側がやや胴張り

奥壁

奥から外、無袖式、玄門辺りで天井が一段下がっているようだ

塚穴原1号
円墳、R20,H3.3
横穴式石室、全長7.2m、玄室幅2.5,高1.5m
位置:36°21′40″N 138°14′21″E
墳丘、石室が上の方にあるせいか低平に感じられる

石室正面

羨道、天井石が一段下がって玄室と区別

背は低いが長い玄室

奥壁

奥から外、無袖式

塚穴原2号
1号側にある小さな墳丘

他
横穴式石室
位置:36°21′29″N 138°14′12″E
ソフトパーク内に保存

石材が数個露出するのみ

(見学記)
上田市下之郷、上田リサーチパーク内にあるいにしえの丘公園内に3基の古墳が保存されています。
他田塚古墳
道路に公園の案内表示が出ているのでそれに従って道路を曲がっていくと左に大きな墳丘が見えてきます。径17m程の円墳で羨道は上部が失われていますが玄室は完存、長6.3m、幅2m、高2.5m奥行きのある背の高い玄室で、左側の側壁がやや胴張り気味。無袖式ですが玄門辺りの天井石が一段下がっているようだ。玄室の大きさの割には石材はそれ程大きくなく、奥壁も下部にやや大きな石を左右に2個据えてその上に小型の石を積み重ねています。市史跡。
塚穴原1号
他田塚東側、松林の中にあります。墳丘の大きさは他田塚とほぼ同じですが背は随分低い。石室も同じくらいの規模ですが高が1.5mと低くより細長く感じます。奥壁下部に2個の大型の石を据えている点や無袖式で天井部が一段下げて玄室と羨道を区別しているなど他田塚との共通点がありますが背が低いと言うだけでイメージが随分違いますね。。市史跡。
1号西側に2号の小さな墳丘があります。
他
事前に調べたときいにしえの丘公園の場所が分からず近くまで行ってえいやと入ったソフトパークで入り口の案内板に古墳公園とあったのでここここと思って行ってみたら全然違っていたけど間違いなく古墳がありました。墳丘は割と残っているが上部が大きく盗掘され凹状態、横穴石室の石材が数個露出している程度です。
(これが下之郷古墳群に含まれるかどうかは不明)
皇子塚古墳
長野県上田市 2006年4月訪問
円墳、R14,H3.3
横穴式石室、玄室長6.4,幅2.2m
位置:36°20′23″N 138°10′41″E
丘の上に立地

墳丘、平野と反対の南側に開口

石室正面、羨道はかなり破壊

入り口から見た石室内部

玄室

奥壁

奥から外、片袖式?

(見学記)
王子塚南西約1km、尾根上に突き出た丘の上にある古墳です。墳丘上に生えた松が目印になっています。平野と反対側南側に石室が開口、羨道はかなり壊失していますが玄室は良好に残っています。奥壁側壁とも割石積みです。尾根の主軸から少し南にずれた斜面に構築、主軸上だと平野部から墳丘が見えただろうにやはり斜面にした方が構築しやすかったんでしょうか。市史跡。
円墳、R14,H3.3
横穴式石室、玄室長6.4,幅2.2m
位置:36°20′23″N 138°10′41″E
丘の上に立地

墳丘、平野と反対の南側に開口

石室正面、羨道はかなり破壊

入り口から見た石室内部

玄室

奥壁

奥から外、片袖式?

(見学記)
王子塚南西約1km、尾根上に突き出た丘の上にある古墳です。墳丘上に生えた松が目印になっています。平野と反対側南側に石室が開口、羨道はかなり壊失していますが玄室は良好に残っています。奥壁側壁とも割石積みです。尾根の主軸から少し南にずれた斜面に構築、主軸上だと平野部から墳丘が見えただろうにやはり斜面にした方が構築しやすかったんでしょうか。市史跡。
広山寺古墳群
長野県上田市(旧真田町)2006年4月訪問
【広山寺古墳群】
1号(広山寺古墳)
円墳、R20×18、H4.5m
横穴式石室、全長6.73m、玄室長3.33,幅2.2,高2.2m
位置:36°25′38″N 138°18′48″E
墳丘、石室正面、見えている石材は後世の物

入り口から見た内部、羨道に見えるが後世の物

こちらが本物の羨道

玄室はそれ程大きくはない、奥壁は2段積み

奥から外、両袖式、まぐさ石の上に不思議な石が

平石が差し込まれている

何のための石だろう

羨道、奥から、一見片袖式玄室風

2号
横穴式石室
位置:36°25′37″N 138°18′45″E
奥壁と側壁の一部が残るだけ

正面の2段積みが奥壁だろうな

(見学記)
現上田市真田町本原、本原小学校東側に広山寺がありその裏手(東側)墓地の北外れにあります。背の高い墳丘が裸の状態で残っていて南側に石室が開口しています。中に入っていくと途中でまるで片袖式の玄室のように幅が広くなっている。変わった構造だなと思っていたら入り口部分は後世に付け加えられた物のとこと、と言うことが説明板に書いていた。見学が終わった後で読んだもんな(汗)。本物の羨道を前屈みで前進し玄室に入ったので立ち上がったら頭を思い切り石にぶつけた。玄室は真っ暗な中、懐中電灯で照らしてみたら玄門まぐさ石の上に大きな平石が差し込まれていてこれにぶつけたんですね。それにしてもこれは何なんだ、入り口後から付け加えられた部分にも同様の構造があるようだから後世の物かな。それにしても物を置く棚でも無し補強のためでもなさそうだしなんなんでしょうね。玄室自体は長3.33mの両袖式、奥壁は大型の石2段積みですが墳丘の割にはそれ程大きくはありません。町史跡。
墓地の中の駐車スペース側の竹林がなんとなく墳丘っぽい。見に行ったら石室が露出していました。奥壁と側壁の一部しか残っていませんがここも奥壁は広山寺古墳と同じような構造のようです。
(追記)両者併せて広山寺古墳群をなし広山寺古墳が1号、広山寺裏古墳(仮称)が2号となります。
【広山寺古墳群】
1号(広山寺古墳)
円墳、R20×18、H4.5m
横穴式石室、全長6.73m、玄室長3.33,幅2.2,高2.2m
位置:36°25′38″N 138°18′48″E
墳丘、石室正面、見えている石材は後世の物

入り口から見た内部、羨道に見えるが後世の物

こちらが本物の羨道

玄室はそれ程大きくはない、奥壁は2段積み

奥から外、両袖式、まぐさ石の上に不思議な石が

平石が差し込まれている

何のための石だろう

羨道、奥から、一見片袖式玄室風

2号
横穴式石室
位置:36°25′37″N 138°18′45″E
奥壁と側壁の一部が残るだけ

正面の2段積みが奥壁だろうな

(見学記)
現上田市真田町本原、本原小学校東側に広山寺がありその裏手(東側)墓地の北外れにあります。背の高い墳丘が裸の状態で残っていて南側に石室が開口しています。中に入っていくと途中でまるで片袖式の玄室のように幅が広くなっている。変わった構造だなと思っていたら入り口部分は後世に付け加えられた物のとこと、と言うことが説明板に書いていた。見学が終わった後で読んだもんな(汗)。本物の羨道を前屈みで前進し玄室に入ったので立ち上がったら頭を思い切り石にぶつけた。玄室は真っ暗な中、懐中電灯で照らしてみたら玄門まぐさ石の上に大きな平石が差し込まれていてこれにぶつけたんですね。それにしてもこれは何なんだ、入り口後から付け加えられた部分にも同様の構造があるようだから後世の物かな。それにしても物を置く棚でも無し補強のためでもなさそうだしなんなんでしょうね。玄室自体は長3.33mの両袖式、奥壁は大型の石2段積みですが墳丘の割にはそれ程大きくはありません。町史跡。
墓地の中の駐車スペース側の竹林がなんとなく墳丘っぽい。見に行ったら石室が露出していました。奥壁と側壁の一部しか残っていませんがここも奥壁は広山寺古墳と同じような構造のようです。
(追記)両者併せて広山寺古墳群をなし広山寺古墳が1号、広山寺裏古墳(仮称)が2号となります。
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