カテゴリー [ 富山県 ]
杉谷古墳群
富山県富山市 2003年5月訪問
方墳を中心とした初期古墳群
分布図(説明板より、一部加筆)

一番塚
前方後方墳、TL56,R22,RH3,FH1

二番塚
方墳、L16,H3

4号
四隅突出墓、L25,H3
東隅、短い突出部が見えている

西隅

南隅、手前に短い突出部、左奥にもテラス状の突出がある

5号
方墳、L14,H2

8号
方墳、L30×35,H2
位置:36°40′39″N 137°08′58″E

(見学記)
富山市街の西方にある呉羽山丘陵最南端にある方墳を主体とした初期古墳群です。現在丘陵上はすっかり富山医科薬科大学のキャンパスになっていますが現地に行けば案内板くらいあるだろうと思っていったけど何もない。まさか消滅、と思いつつ諦めてキャンパスを通り過ぎようとしたら北側の高速道路に架かる橋の脇に小さな案内表示があった。いやー危ないとこだった。ここから高速脇の道を東に行くと説明板がありここから南側崖沿い林の中に遊歩道があって古墳が点々としています。殆ど雑木林で形は確認しづらいですが。このまま遊歩道を進んでいくと何のことはないキャンパスの南側に出ました。ここに案内板があれば遠回りをしなくてもすんだのにね。古墳群が割と残っていると言うことは西側にある一番お目当ての4号墳も残っているだろうと思って藪や柵を乗り越えて林の中に入っていくとちゃんとありました。来てみたら下から登ってくる道があったけどね。出雲地方でよく見かける四隅突出墓です。墳丘も割とよく残っていて突出部も一部で何とか確認できます。知らなければ分からないだろうけど。史跡、だろうな。
方墳を中心とした初期古墳群
分布図(説明板より、一部加筆)

一番塚
前方後方墳、TL56,R22,RH3,FH1

二番塚
方墳、L16,H3

4号
四隅突出墓、L25,H3
東隅、短い突出部が見えている

西隅

南隅、手前に短い突出部、左奥にもテラス状の突出がある

5号
方墳、L14,H2

8号
方墳、L30×35,H2
位置:36°40′39″N 137°08′58″E

(見学記)
富山市街の西方にある呉羽山丘陵最南端にある方墳を主体とした初期古墳群です。現在丘陵上はすっかり富山医科薬科大学のキャンパスになっていますが現地に行けば案内板くらいあるだろうと思っていったけど何もない。まさか消滅、と思いつつ諦めてキャンパスを通り過ぎようとしたら北側の高速道路に架かる橋の脇に小さな案内表示があった。いやー危ないとこだった。ここから高速脇の道を東に行くと説明板がありここから南側崖沿い林の中に遊歩道があって古墳が点々としています。殆ど雑木林で形は確認しづらいですが。このまま遊歩道を進んでいくと何のことはないキャンパスの南側に出ました。ここに案内板があれば遠回りをしなくてもすんだのにね。古墳群が割と残っていると言うことは西側にある一番お目当ての4号墳も残っているだろうと思って藪や柵を乗り越えて林の中に入っていくとちゃんとありました。来てみたら下から登ってくる道があったけどね。出雲地方でよく見かける四隅突出墓です。墳丘も割とよく残っていて突出部も一部で何とか確認できます。知らなければ分からないだろうけど。史跡、だろうな。
古沢塚山古墳
桜谷古墳群
富山県高岡市 2003年5月訪問
前方後円墳2他
1号
前方後円墳、TL62,R35,RH6,FW30,FH5.45、5C初
位置:36°48′48″N 137°02′06″E
2号から見た1号

墳丘側面、すっかり低くなっている

前方部から後円部、左奥国道に懸かる橋の下に円墳や箱式石棺を保存

2号
帆立貝式、TL50,R33,RH6
北から

西から、前方部ははっきりしない

(見学記)
JR氷見線雨晴駅西方500m、海や平野部に面した丘陵端の平坦面にある前方後円墳2基からなる古墳群です。国道415号がすぐ側を通っていて見学用の駐車場もあります。1号は全長62mの前方後円墳で平面形はよく残っていますが墳丘はかなり低くなっているようです。「日本の古代遺跡(富山)」P20の写真とイメージがまるで違っていて初めは気がつかなかった。すぐ東側やや高い場所にあるのが帆立貝式の2号、一応前方部は北向きのようですがあまりはっきりしません。この2基以外にも円墳が幾つもあったようですが開墾などで消滅、側の国道開通時に円墳と箱式石棺が発見され上に橋を架けて保存されました。ちょっと覗いてみましたが円墳らしき高まりはあったけど箱式石棺は埋め戻しているのか見つけることは出来ませんでした。当日は霧雨が時々降る状態でおちおち見学も出来ずちとしんどかった。国史跡。
前方後円墳2他
1号
前方後円墳、TL62,R35,RH6,FW30,FH5.45、5C初
位置:36°48′48″N 137°02′06″E
2号から見た1号

墳丘側面、すっかり低くなっている

前方部から後円部、左奥国道に懸かる橋の下に円墳や箱式石棺を保存

2号
帆立貝式、TL50,R33,RH6
北から

西から、前方部ははっきりしない

(見学記)
JR氷見線雨晴駅西方500m、海や平野部に面した丘陵端の平坦面にある前方後円墳2基からなる古墳群です。国道415号がすぐ側を通っていて見学用の駐車場もあります。1号は全長62mの前方後円墳で平面形はよく残っていますが墳丘はかなり低くなっているようです。「日本の古代遺跡(富山)」P20の写真とイメージがまるで違っていて初めは気がつかなかった。すぐ東側やや高い場所にあるのが帆立貝式の2号、一応前方部は北向きのようですがあまりはっきりしません。この2基以外にも円墳が幾つもあったようですが開墾などで消滅、側の国道開通時に円墳と箱式石棺が発見され上に橋を架けて保存されました。ちょっと覗いてみましたが円墳らしき高まりはあったけど箱式石棺は埋め戻しているのか見つけることは出来ませんでした。当日は霧雨が時々降る状態でおちおち見学も出来ずちとしんどかった。国史跡。
柳田布尾山古墳
富山県氷見市 2003年5月訪問
前方後方墳、TL107,RL55,RH9,FW47,FH6、4C前半
位置:36°49′42″N 136°59′41″E
東側からのパノラマ写真、98年に新発見された日本海側最大の前方後方墳、非常に状態がよい

前方部隅から後方部(東)

〃 (西)

前方部側から後方部

前方部から後方部、墳頂部に大きな盗掘跡がある

(見学記)
98年に新発見された日本海側で最大の前方後方墳ですが、現地で見てビックリしましたね。状態がいいというもんじゃありません、復元したと言われても信じるほどの状態の良さです。残念ながら後方部頂に大きな盗掘跡がありますがそれ以外は完璧、部も墳丘裾が直線上になっているし前方部もやや開き気味で端が高くなっているのがよく分かります。しかも墳丘の周囲は整地されて平坦面をなし、更にその外側は削り残した高まりまでよく残っています。これが山奥ならともかく市街地にほど近い丘陵頂にあるんですからね。前はもっと藪の中で確認しづらかったかもしれませんが、以前から噂があったようで専門家が現地で確認すればすぐ分かったでしょうにね。それにしても国の史跡として保存されたのは幸いでした。
前方後方墳、TL107,RL55,RH9,FW47,FH6、4C前半
位置:36°49′42″N 136°59′41″E
東側からのパノラマ写真、98年に新発見された日本海側最大の前方後方墳、非常に状態がよい

前方部隅から後方部(東)

〃 (西)

前方部側から後方部

前方部から後方部、墳頂部に大きな盗掘跡がある

(見学記)
98年に新発見された日本海側で最大の前方後方墳ですが、現地で見てビックリしましたね。状態がいいというもんじゃありません、復元したと言われても信じるほどの状態の良さです。残念ながら後方部頂に大きな盗掘跡がありますがそれ以外は完璧、部も墳丘裾が直線上になっているし前方部もやや開き気味で端が高くなっているのがよく分かります。しかも墳丘の周囲は整地されて平坦面をなし、更にその外側は削り残した高まりまでよく残っています。これが山奥ならともかく市街地にほど近い丘陵頂にあるんですからね。前はもっと藪の中で確認しづらかったかもしれませんが、以前から噂があったようで専門家が現地で確認すればすぐ分かったでしょうにね。それにしても国の史跡として保存されたのは幸いでした。
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