中組古墳群

広島県尾道市 2016年3月訪問

残存1基だけか

1号(仮称)
横穴式石室
位置:34°24′31″N 133°11′17″E
竹林越しに見た墳丘


僅かな尾根上高まり先端に構築


急斜面の割には墳丘が残る


石室前部は大きく崩壊


幸い玄室は完存、奥壁上部が三角持ち送りになっている


〃縦位置


奥から外、袖があるようなないような


奥から左


奥から右


(見学記)
尾道市桜町、市内にある竜王山東麓にある古墳群ですが見つけたのは1基だけ、と言うか少なくともまともなのは他にはありそうにもない感じです。国道184号と平行して走る栗原川に架かるさくら橋西方200m程、でもその南側の妙見橋から住宅街の中に入って行くと妙見神社と妙見会館がありそこからセメント舗装の小道を歩いて行く。山林に入っていく辺りで猪避けの柵がありそれに添って行く、途中2ヶ所締め切りがありますが入れます。左上に廃屋があってその下方竹林の中に古墳が見えています。尾根先端を整形して墳丘を造っているようでこんな場所にしては割と良好に残っている。東向きに石室開口、前部は崩壊気味ですが玄室は良好に残っています、無袖式かな。奥壁は四角い鏡石を据え右と上に補充石材。側壁はやや持ち送りですが最上部の石材がかなり突き出ていて天井席を支えているという変わった構造です。古墳自体は見つけることはそれ程困難ではありませんが途中の住宅街の道が大変狭く軽でないと通れないかな、ましてや駐車場所なし(会館にあるけど停めていいかどうかわからないし)。川沿いの道も安心して停められるような場所がないので国道沿いのスーパーに停めて歩いて行きました。
[ 2017年09月14日 19:13 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

長古原古墳群

広島県三原市 1998年4月訪問、2016年3月再訪

谷奥の尾根麓に並ぶ
現存4基、1号以外は小型

(2016年)
1号
形式不明、H3
横穴式石室、石室全長8.8m,玄室長3.4,幅1.9,高2.2m
位置:34°21′58″N 133°00′25″E
以前と特に変わりなし


横から見た墳丘、背後の斜面との区画ははっきりしない


羨道に補強用の鉄パイプが入っていた、あまり効果は無さそうだけどね


柱状袖石を立てた玄門


完存玄室、白い点は測量の目印のようだ


〃ストロボ無し


〃縦位置、側壁はほぼ垂直


奥壁は縦長の石を2枚並べ他に隙間石を詰める


奥から外、両袖式、玄室に比べて羨道天井が一段下がる


羨道奥から


2号
横穴式石室
斜面裾に構築、羨道はかなり破壊


玄室は完存、小型の石材、1号と違い奥壁は平石を重ねる


奥から外、無袖でしょうか


4号
横穴式石室
石室開口部、石材が苔むして来ている


天井石が傾き状態は悪い


(1998年)
1号
墳丘、石室正面


羨道、柱状の袖石を立て上にまぐさ石を乗せた玄門


玄室、大型の石がなかったのだろうか、苦労が忍ばれる奥壁


両袖式、玄室と羨道の幅はほぼ同じ


2号
玄室、小型ながら比較的よく残っている


4号
羨道が破壊された石室


8号
石室開口部


(見学記)
(2016年)
三原市小泉町、非営利組織センタースマイル小泉背後の山裾にある古墳群です。ここもデジカメで撮り直すべく再訪してみましたが冷や汗モノの思わぬ発見があった。今まで長者原古墳群と思っていたが長古原古墳群だった(大汗)。長者原と言う地名はよく見かけるから早とちりしたんだろうな。それはともかく一番大きくて状態のいいのが1号ですが羨道に石室補強用の鉄パイブが入れられていた。幸い羨道だけで入りにくいけど何とか玄室にも入れたのでホッ。柱状袖石を立てた両袖式、奥壁は縦長2枚の石を並べ上と左に補充用の石材とちょっと変わった構成です。何か測定したのでしょうか奥壁辺りに点状の反射テープが貼られていました。2,4号も前と変わらず、南側墓地にある8号は見逃した。

(1998年)
三原市運動公園がある谷の西側の谷の最も奥まった所にある現存4基の古墳群で,尾根の東側麓民家の裏に4基並んでいます。まともなのは1号墳だけで墳丘石室とも良好,石室全長8.5m途中の壁両側に立石を配し,上にまぐさ石を乗せて玄室羨道を区別しています。こうもりがたくさんいてちょっと不気味。すぐ北側に2号の石室が開口小形の無袖式で石室は良好だが墳丘ははっきりせず,さらに北側民家の裏に4号墳,かなり崩壊している。1号北側に墓地があり片隅に8号墳奥壁部分がかろうじて残っていますがかなり小型。1号墳が市史跡。
[ 2017年09月14日 19:12 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

御年代古墳

広島県三原市(旧本郷町)1988年4月訪問、2016年3月再訪

方墳の可能性、7C中
複室構造横穴式石室、全長10.7m,前室長3.4,後室長2.7,幅1.9,高2.1m
位置:34°23′40″N 132°56′56″E

(2016年)
国道辺りからの遠望、画面中央下辺りが開口部


石室前、ベンチはいらないだろ、後方は墳丘上の墓地


羨道は側壁の一部しか残っていない


石室正面、前室の石棺が見えている


前室の巨大家形刳抜式石棺


前室石組みは切石状、後室は自動照明付き


蓋石の一部が欠けているのが残念、発見時に既に蓋は開けられたそうだ


後室はほぼ巨石1枚石で構築


石棺に縄掛突起はない


直線的でやや背の高い蓋石


尾根部後方に一段低くなった場所がある


後室奥から


〃左側


〃右側


安定性の為でしょうかまぐさ石下部に段差がある


反対側はそれ程でもない、側壁に切石を嵌め込んでいる


前室石棺奥から、尾根部が広く全体に丸みを帯びているのが分かる


前室左側


〃右側


(1988年)
石室開口部


前室、刳抜式家形石棺


後室玄門、左側に滑り止めの段差がある


後室、刳抜式家形石棺


奥から外、後室石棺が蓋石がやや高いのがわかる


(見学記)
(2016年)
三原市本郷町南方、国道2号と平行して走る市道に巨大な案内表柱がありそこから古墳が見えています。しかし何度来ても(2度目だけど)素晴らしい石室&石棺ですね。国の史跡だしいつ閉鎖されてもおかしくないレベルだけど普通に入れます。音声説明と自動照明付き。石室内部は一見北九州によく見られる複室石室のようですが前室後室ともほぼ同じ大きさで一つの玄室を仕切りで区画しているようです。巨大な石棺は側壁とあまり隙間なく置かれている。後ろの石棺はいかにも家形で蓋石が直線的ですが前のは蓋石が丸みを帯び女性的な感じです。時代差かとも思われますが後から入れるのは相当困難と思われやはり同時に入れたのかなと思いますね。巨大表中の手前に駐車スペースあり。古墳前は行き止まりなので行っていけないことはないけど方向転換出来そうにもないので止めておいたほうがいいでしょう。国道脇に古墳の里駐車場が整備されているんですが閉まっています。ストリートビューを見ても閉まっているので利用されていないのかな。

(1988年)
R2を更に西に行くと右側に御年代古墳の大きな案内板が立っていて国道から石室が見えています。斜面に立地する横穴石室墳で墳丘ははっきりしませんが石室は羨道の天井石が壊失しているだけで他は良好,切石積みの石室は全長10.76mで羨道前室玄室からなる複室構造,ほぼ左右対称の両袖式,羨道と前室は袖部が僅かな段差,前室と玄室は境に切石を鴨居状にに組み合わせて区画しています。前室と玄室にそれぞれ刳抜式家形石棺があり共に石室と同じ花崗岩製,縄掛け突起の全くない新しいタイプです。二つを比較すると後者は蓋の峰の部分がやや狭く角もはっきりしていますが後者は峰が広く丸みを帯びていて造りがやや雑な感じを受けます。残念ながら共に盗掘され一部破壊されています。この地域の他の石棺はみな龍山石製なのに一番新しいと思われるこの石棺が地元の花崗岩製なのは意味深げですね。国史跡。
(追記)現在国道脇に駐車場がある
[ 2017年09月06日 15:39 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

貞丸古墳群

広島県三原市(旧本郷町)1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴石室墳2基

(2016年)
1号
墳形不明
横穴式石室、玄室長4.5,幅2.09,高2.15m
位置:34°23′33″N 132°56′48″E
お寺の前に大きな案内標柱、後方に復元墳丘が見えている


前とはすっかり様変わり、墳丘復元、説明板設置


特徴的な三角形の天井石の印象が薄れている、袖石は半分以上隠れている、これは改悪だな


玄室は変わりなしですが


石棺に水がたまりコケが生えている


奥壁は巨石2段積み、水が滲み出している


左側壁、面が整っている


右側壁、手前の石は奥壁より巨石


奥から外、両袖式


奥から左、天井から水が漏れているようには見えないけど何故水が溜まる


奥から右、逆光で見ると石を割った跡が分かる


2号
墳形不明
横穴式石室、玄室長5.1,幅2.12,高1.97m
1号後方にある、樹木伐採しただけかな


石室正面、こちらは特に変わりないかな


1号よりやや大きな玄室、奥壁は1枚石


奥から外、左のは袖石でしょうか


奥から左、画面右側で切石状石組み


奥から右、どちらも基本的に2段積み


天井石露出


寺境内、石碑土台石に石棺蓋石使用


縄掛突起のないシンプルな造り、1号の石棺身より小さく2号の石棺と推定されている


(1988年)
1号
墳丘、壁の一部となっている


石室開口部、羨道は消滅


玄室、刳抜式家形石棺、龍山石、蓋石は不明


奥から外


2号
墳丘、石室正面、羨道は壊失


玄室、ここにも家形石棺があったらしく近くに蓋石があるそうだ


(見学記)
(2016年)
三原市本郷町南方、国道2号上尾原交差点北北西50m、大きな案内表柱も見えています。1号の墳丘復元&石棺蓋石も未見だったので再訪してみました。2基からなる古墳群で1号はお寺の中、擁壁が取り払われ墳丘が復元され周囲に説明のパネルが設置されていますがもうかなり色褪せています。当然ながら石室内部は変わりないが石室前に石段が作られ左右の壁で玄室袖石が半分以上隠れています。石棺には水が溜まり苔が生えています。墳丘水漏れが無ければ溜まることは無いんでしょうけどね。2号は後方少し上にあり墳丘上の樹木が伐採された以外は特に変わりなし、墳丘ははっきりせず石室一部が露出しています。お寺の石碑の土台に使われているのが家形石棺蓋石、明らかに1号の石棺より小さく2号からの出土と言われています。それにしても前回も当然この側を通っているんだけど全く気がついていないな。お寺の中まで車で入っていけるようです。

(1988年)
御年代古墳から南西300m、山の斜面の大日堂脇に1号墳があります。階段状の斜面がブロックで保護され石室が開口,羨道は壊失していますが両袖式の玄室が残っています。正面に立つと両側の幅の広い袖石(奥から見ると袖はこの半分くらいしか突き出ていない)とその上の三角形をしたまぐさ石が印象的です。玄室は長4.5m、幅2.1m、高2.2mで奥壁,側壁とも割石積み2,3段に積まれています。龍山石製の刳抜式家形石棺が残存,蓋は行方不明。大日堂前の石碑の台石に家形石棺の蓋が利用されていますが,大きさが合いません。この蓋は6個の縄掛け突起が付いていましたが削り取られています。更に上に2号墳の石室が開口,こちらも羨道は壊失していますが1号とほぼ同規模の玄室が残存,こちらは奥壁は1枚,石棺は不明です。
[ 2017年08月31日 07:53 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

青田古墳群(青田1号)

広島県竹原市 1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴式石室
位置:34°22′52″N 132°53′22″E

(2016年)
丘陵麓近くの急斜面に立地


斜めから見ると多少墳丘が分かるが殆ど流失、盛り土は少ないけど墳丘を大きく見せたんでしょうね


墳頂近くに石室設置、斜面が結構きつい


石室正面


石室自体は小型、終末期の気配が漂う


側壁や天井も平面に整える


奥から外、左の石が突き出ていますが


袖石ではなく土圧で押し出されているのかもしれない


奥から右側


墳丘背後から、高まりは殆ど分からない


横から見ても同様です


(1988年)
石室正面、羨道壊失、天井石が屋根型のよう


小型の玄室


(見学記)
(2016年)
竹原市東野町、賀茂川中学校南方600m程、これも序でなので再訪してみました。改めて見てみると丘陵麓辺りとはいえとんでもない急斜面に構築されていますね。正面から見てみると何となく円墳の様子が見えるような。でも殆ど地山で封土は殆ど流失しているんでしょうね。背後から見ても斜面の区画も全く分かりません。説明板には古墳後期(5C)と書かれていますが後期はともかく5世紀はないでしょう。後期も後期、終末期に近い古墳と思われます。前の道路が広いので駐車可。

(1988年)
R2と432交差点を南に1km程行き,賀茂川に架かる橋を西に行って突き当たった丘陵麓近くに石室が開口,これが1号墳で下の道路からも見えています。羨道は壊失,小型の玄室が残存,割石を使い特に天井面は平らに仕上げています。斜面を登った頂部に2号墳があるようです。1号の南に昆沙門岩がありここから陶棺の破片が出土しています。
[ 2017年08月31日 07:48 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

葛子古墳

広島県竹原市 1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴式石室
位置:34°23′59″N 132°53′45″E

(2016年)
国道432号脇に開口、以前はなかった表示版設置


地形的には谷筋斜面に立地


石室正面、以前より少し埋まっているような


内部は半ば埋没


天井石露出


背後から、天井石の大きさが不揃い


(1988年)
墳丘流失、天井石露出


石室正面、内部は埋没


(見学記)
(2016年)
竹原市新庄町、国道432号沿いに石室が露出しています。わざわざ再訪するものでもないですが前はフィルムの時代だったし横大道古墳群に行く途中なのでデジカメで撮り直してきました。でも国道に停める場所が無いのでおちおち観察できません。無袖式のようで内部は奥壁まで見えているようですが石室内に草が生えていたりしてよく見えません。以前は無かった表示板が設置されていました。地元の自治会が立てたようです。

(1988年)
R432を更に北へ800m程行くと右側畑の石垣に石室が開口,墳丘は流れ去っていますが天井石3枚が露出,中が覗ける程度に空間があいています。
[ 2017年08月31日 07:46 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

横大道古墳群

広島県竹原市 1988年4月訪問、1995年4月再訪、2016年3月再々訪

現存11基

(2016年)
1号
円墳、R14,H3
横穴式石室、全長9.4m、玄室幅2,高3m、6C後半
位置:34°23′43″N 132°53′58″E
新しい石柱が建っていた、1,2号は後方丘の上


左後方が1号、右手前低い高まりが2号


石室入り口まで階段整備


西向きに開口


石室正面、羨道前部天井壊失


羨道後部良好、既に立ったまま入れるほど背が高い


巨石を積んだ玄室、少し右に歪んでいるかも、前回も今回も水が溜まっている、何時もではなさそうでついてないな


〃縦位置、持ち送りがあり天井部が狭い


奥から外、少しでも奥に入って撮影、左片袖式、袖石は1枚岩


羨道奥から


2号から見た1号


山側から見た墳丘


2号
円墳
横穴式石室、全長6.6m,玄室幅2.4m
1号墳頂から見た2号


左1号、右2号、合わせて前方後円墳という説もある


石室正面、1号と比べると墳丘が引く


羨道上から、天井壊失


ここも大きな開口部


1号より一回り小さい石室、それでも十分大きい、石材は全般に小型


〃縦位置、上部が大分持ち送り


奥壁は基部に大型腰石、全般に左右対称な石積み


奥から外、右片袖式、まぐさ石が落ちかけてギリギリで留まる


奥から右側側壁、ストロボ無し


11号
横穴式石室
位置:34°23′41″N 132°53′59″E
標柱を設置、11号と判明


右側の道で墳丘半壊、道を迂回させたほうが楽だったろうにな


石室も半壊、よく残ったなよく残したな


古い写真と比べると側壁の石3個が無くなっている


手前の石が落下した石材のようだ


東群遠望
東方400m程、谷の奥に6-10号が集中、左上の墓地辺りから林に入り小道を東に進む


6号?
窪みが残っているだけ


7号
横穴式石室、玄室長5,幅1.5,高1.8m(現地実測値)、7C初頭
位置:34°23′44″N 132°54′14″E
この辺りの盟主墳、墳丘もよく残る


1,2号は西に開口だがこちらの群は南向きに開口


立ったまま入れる程の開口部


石室も良好


1号に比べると石材は小型


〃縦位置、1に比べて天井部も広い


奥壁は巨石鏡石を据え上に平石を重ねる


奥から外、無袖式かな


8号
横穴式石室、玄室長5,幅1.2m(現地実測値)
7号すぐ後ろに標柱があるが古墳は斜面を登った所にある


墳丘はかなり流失、石室露出


石室前部は上部を失う


後部は良好に残る、天井席が薄い


石材は全般に小型


奥壁鏡石だけやや大きい石材


奥から外、ここも無袖かな


奥から左側


奥から右側


9号
横穴式石室
墳丘は割と大きそう


頂部に小型石室、入り口激狭


石室は意外と残っている、入って入れないことはないけどパス


小型石材の奥壁


10号
標柱が無いと分からないレベル


石材散乱


(1988年)
1号
墳丘、石室正面、墳丘、石室とも群中最大


羨道


玄室


奥から外、右片袖式


2号
墳丘、石室正面、1号すぐ下方に隣接


玄室、小型石材を持ち送りしている


奥から外、右片袖式


11号
側壁と奥壁の一部が残る


(見学記)
(2016年)
竹原市新庄町、「探方広島県の考古学」に7,8号の記載と地図が載っていたので再訪してみました。国道432号新庄町横大道交差点に案内板が出ています(ただし南行だと分かりにくい)。そこを曲がるとその後も案内板が出ていてそれに従って行くと1,2号近くの墓地辺りにたどり着きますが道は狭い。古い墓地辺りに案内板があるので歩いて行くと1,2号はすぐです。以前は2基の古墳だと思われていますがどうやら前方後円墳で1号が後円部、2号が前方部のようでそのようにも見えます。2号に石室が無かったらもっと早く前方後円墳と思われていたかもね。1号に比べて2号石室はひと回り小さく(と言っても十分大きいですが)1号は巨石で構成されているのに比べて2号は小型の石材です。1号石室には今回も水が溜まっていて奥まで入れず。前回すぐ近くで見かけた半壊石室は11号でした。他の古墳もそうですが墳丘脇に番号が書かれた石柱が設置されています。こういうのは整理する時に助かりますね。一度下まで降りて谷の奥目指して進んでいきます。谷の中は殆ど耕作地となっています。中程で斜面上方に小さな墓地がありその右手側から山林の中に入っていく小道があります。東に進んでいって途中に水の枯れた溜池、更に進んでいくと7号に突き当たります。入り口辺りから凡そ200m程でしょうか。墳丘は良好に残っていて背後をカットした跡もあります。南向きに開口した石室も良好、無袖式で全長5m程、奥壁の鏡石がやや大きいくらいで1号よりは小さい石材です。背後に8号の石柱がありますが古墳自体はそこから急斜面を30m程上った辺りです。墳丘は殆ど流失、全長5m程の石室が露出しています。天井石は後部3枚程度残存、高さは7号に比べて大分低そうです。それにしても7号周辺に幾らでも築造する場所があるのになんでこんな上の斜面に造ったんでしょうね。7号背後には更に9,10号があります。9号は小さな墳丘で左片袖の小型石室が開口、無理をすれば入れないこともありませんがパス、10号は盗掘跡があり僅かに石材が散乱している程度です。その側にも盗掘跡のある高まりがあり古墳のような気もしますが石柱はないので違うのかな。1号近くの古い墓地に駐車スペースあり。

(1988年)
国道を更に西に行き峠を越えると細長い谷状の盆地に入ります。R432との交差点を北に500m程行き東のやや広い谷に500m程行くと北側丘の斜面に横穴石室墳が11基分布しています。西端の1号が一番大きく最初に構築されたようです。墳丘もよく残っていて西側に石室が開口全長9.4m右片袖式で奥壁は2枚,他もやや大きな割石が使われています。幅(2m)に比べて高さ(3m)が高いのが特徴,玄室に水が溜まっていて奥まで入れないのが残念。すぐ南側下に墳丘を接するように2号墳が有りやはり西側に開口,全長6.6m右片袖式で袖部に立石が使われています。奥壁下部にやや大きな石が使われている他は小型の四角い割石が使われ壁上部はやや持ち送りになっています。3号は参道で石室が切断,側壁と奥壁の一部が露出しています。更にやや離れて東側に4号以下があるはずですが全く見つからず,特に「本」には7号の立派な石室の写真が載っているだけに大変悔しい。
[ 2017年08月24日 19:34 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

梅木平古墳

広島県三原市(旧本郷町)1988年4月訪問、2015年4月再訪

墳形不明、7C初頭
横穴式石室、全長12.8m,玄室長7,幅3,高4.2m
位置:34°24′18″N 132°58′09″E

(2015年)
下から見た様子、お堂の下に墳丘


28年ぶり、初心者の頃でもここは真っ先に訪問


開口部、前が急斜面なので正面から撮れない


長く大きな羨道あるいは前室、説明板には特に複室とは書かれていない


袖石を建てた玄門、まぐさ石も一段下がる


巨大な玄室、広島県では最大級、左側壁が孕んできているが28年前のと比較するとそれ程変化はないような


〃縦位置、背も大変高い


奥壁は3段積み、左に詰石があるので捻れたような印象を受ける


左側壁、石材は意外と薄いかも


右側壁、4段積みで各石材の高さが揃ってる


奥から外、両袖式、まぐさ石も2段


〃縦位置


天井(ストロボ無し)


前室奥から、羨道にしては袖石やまぐさ石があるな


〃(ストロボ無し)


西側から見ると多少墳丘が分かる


2号
麓民家敷地内に2号があるそうですがこれでしょうか、見学するのは難しそう


(1988年)
分かり難いが左側に開口している、県内で最大規模の石室


羨道、前室、板石を突き出して区画している


玄室


奥から外、複室構造が分かる


奥から前室、入り口の天井石が一段下がる


(見学記)
(2015年)
実に27年振りの訪問、石室も周りの環境も殆ど変わりないですが改めて石室の巨大さを堪能してきました。以前は複室席室の可能性が言われていましたが説明板にはそれには全く言及されておらず実際前室というには大きすぎるので普通の単室石室でしょうね。内部に照明施設がありこういうのは故障しているのが多いのですがここのは大丈夫でした。入り口が大きいので無くても全く問題ないのですがストロボ無しで写真撮影するのに役立ちました。他に音声案内もあります。再訪した理由は「探訪・広島県の考古学」に2号墳が載っていたこと。下の方の民家敷地内にあるそうですがそこはお屋敷風の建物で訪問は憚られる。西端に墳丘らしきものがありましたが墳丘にしてはちときれいすぎるかな。半壊した石室があるそうですが見学は無理っぽいです。梅木平古墳東側の神社前に駐車可。県史跡。

(1988年)
本郷町役場西方約2km、丘陵南側麓近くの斜面に位置する横穴石室墳です。本郷中学校の北東に山王社の鳥居がありそこから西側に石室が見えています。墳丘は斜面が多少突き出ている程度でかなり変形していますが石室は良好,県内最大級の石室です。現存長13.25m、玄室長6.3m、幅3m、高4.2mと畿内の石室にも匹敵する大きさで中に入るとその大きさが実感でき,これくらい背が高いとさすがに奥壁も3段積みです。玄室羨道幅がほぼ同じで袖石を突き出させた両袖式の玄室ですが石室入り口部分にも袖があって複室構造とも考えられています。石棺はありませんが当然あってもおかしくない規模です。県史跡。
[ 2017年02月09日 18:53 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

すべり石古墳

広島県福山市 1998年4月訪問、2015年4月再訪

円墳、R13、6C後半
横穴式石室、全長9.5m,玄室長5.5,幅2.5,高2m
位置:34°28′22″N 133°18′19″E

(2015年)
丘陵中腹に立地


石室正面、羨道前部はかなり破壊、98年当時と比べると左側にあった岩が転がり落ちている


羨道奥は残る、まぐさ石はなさそうに見える、玄室にはかなり土砂が流入


巨石で構成された玄室


石棺でしょうか、蓋石それとも底石、ピンホールカメラのように自分自身の影が映る、邪魔なんですけどね


奥壁はほぼ巨石1枚石、右側壁が少し前に出ている、築造当時からなのかな


天井石は2枚、手前のが特に巨石


奥から外、袖石を立てた右片袖式、奥から見るとまぐさ石はハッキリ


奥から左、一部側壁が抜けているようだ


奥から右、隙間がかなりある


(1998年)
石室開口部、南に平野を望む丘の中腹に立地、現地の標柱ではすべり岩古墳となっている


巨石を使った玄室、積み方はやや粗い感じ、近くに石切場があり現在も巨石がごろごろしている


右片袖式


(見学記)
(2015年)
山中東古墳群を訪問した序に再訪してみました。前の見学記では赤坂遊園なんて書いてますがそんなもの何処にあったかな、な状態。県道378号沿いの石材店の所に案内表示がありそこから山道を10分程です。途中所々にも案内があり迷うこと無く行くことが出来ますが10分ではちときついかな。石室自体は特に変わりないですが98年当時の写真と比べると正面左側の羨道側壁が落下して入口前に転がっています。地震のせいなのか、でもここ20年で広島県内でそんなに揺れた地震があったかな。ここで一番疑問だったのはすべり岩かすべり石かの表記の問題、どうやらすべり岩と書いて”すべりいし”と読ませるようで説明板にルビがふっていました。これで長年の疑問解決、再訪した甲斐があった(笑)。混乱しているのは私だけではないようで途中の案内板もすべり岩だったりすべり石だったりしています。入り口西側のゴミステーションにごみ収集後なら駐車可。県史跡。

(1998年)
備後赤坂駅北東500mの丘陵上にある古墳です。赤坂遊園(閉鎖中)西側から墓地に至る山道がありそこを過ぎると採石場跡巨石がごろごろしていて如何にも石室がある雰囲気,その先に古墳入口の標柱がありそこから急な山道を登っていくと古墳にたどり着きます。墳丘もある程度残っていて南側に石室が開口,玄室羨道共良く残っていて全長9.5m玄室長5.5mと大きなもので巨石を使った片袖式,玄室天井の石は長さ4mはあろうかという巨大なもの,また袖部は石柱のような石が立てられていて袖を明確にしています。登るのはきついですがこれだけはっきりした道があれば楽々,眺めが大変いいので例によってここで昼食。 市史跡。なお「本」では「すべり石1号」となっています,現地の標柱は「すべり岩」。
[ 2017年02月09日 18:51 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)

イコーカ山古墳

広島県福山市 2015年4月訪問

円墳
位置:34°28′12″N 133°18′33″E
すべり岩古墳からの眺め


割と大きな円墳のよう


見学記
備後赤坂駅北東にある古墳で市の史跡になっているせいでしょうか地図にも載ってますがわざわざ行くほどのものでもないのですべり岩古墳からの遠望に留める、これで十分。割と大きな円墳のようですけどね。
[ 2017年02月09日 18:49 ] カテゴリ:広島県 | TB(-) | CM(0)
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