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21/05/06
山口県防府市
井出山古墳群
島根県松江市
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21/04/29
広島県福山市
迫山古墳群最新画像追加

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兵庫県三田市
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古墳の経緯度は全て日本測地系です、使用する地図によって測地系が異なるので注意してください。
 googlemapでそのまま使うと位置が南東にずれるので測地系変換サイトで数値を世界測地系に変換してお使いください
#世界測地系を併記するようにしました、他記事も順次追加予定です
数値を選択して検索するとグーグルマップ当該位置が表示されます

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井出山古墳群

山口県防府市 2020年1月訪問

2基

墓地入口に案内板、でも以後は全くなし


クイズ古墳はどこだ状態(笑)


1号
 複室横穴式石室
 位置:131°36′25″
    34°06′20″(日本測地系)
    34.10881304 131.60450301(世界測地系)
墓地のほぼ中央、樹木の下にあります、でも最初は上から近づいたので開口部に気が付かず


横から見ると割と墳丘が残っている、これも石室入室後からですが


開口部、ここは前室玄門上辺り、右下に羨道開口部、天井がずれてます


開口部から見た玄室玄門


持ち送りのある玄室、奥行きはあまりない、奥壁は1枚石


 〃縦位置


天井、画面下が入口側


奥から外、両袖式、袖幅が割と広い


〃縦位置


奥から左


奥から右


前室奥から、割と広い


前室、奥から左側


墳頂に天井石が露出、角張った石だったのでてっきり墓地関連の石かなと思ってしまった、奥に2号が見えてます


2号
側壁が露出した石室


石室と分かっていたようでギリギリ保存


正面、内部は殆ど埋没


(見学記)
防府市真尾、丘陵中腹の開けた墓地の中に2基の石室墳があります。墓地下の入口辺りに観光協会の案内板があり墓地も大きくないのでこれは楽勝かと思いましたがぱっとみた限りではまるで見当たらない、かなり急斜面なので墓地全体が見やすいんですけどね。その内怪しい石材発見、でも端が直線的でこれは現代の石材かと思いましたがよく見るとその下側に開口していました。羨道は埋没しているが玄門上辺りが開口、しかも複室石室でした。石室があるのは分かっていたが中に入れるのがあるとは思わなかった、嬉しい誤算。玄室はそれ程大きくはなく前室とあまり変わらない、でも奥壁は巨石1枚石で見応えがあります。もう1基は10m程西側、墓石の傍らに開口していますが内部は殆ど埋没しています、これは分かりにくい。下の道路が狭いですが軽自動車が停められる程度のスペースが有る。

玉造築山古墳

島根県松江市(旧玉湯町)1989年4月訪問、2019年9月再訪

円墳、R16,H2.5
 舟形石棺
 位置:35°24′43″N 133°00′40″E (日本測地系)
    35.41507844 133.00850848(世界測地系)
(2019年)
30年ぶりだが変わりなし、変わりようもないですが


低い墳丘、覆い屋で石棺保護


大小2基の舟形石棺が露出、奥の方が大きい


蓋と身に縄掛突起があるがわかりにくい


印籠式の合わせ口、加工が難しそう


蓋上部に河童の甲羅のような高まりがある


石棺内側は滑らかに刳り貫かれている


小型の方は蓋は一部しか残っていない


手前の方が幅が広いがどちらが頭でしょうね


(1989年)
墳丘


墳頂に舟形石棺2基、共に凝灰岩製刳抜式で長さ2m前後


身と蓋の長辺に2個ずつ縄掛け突起がつく、印籠式合わせ口


両端も丸く加工している


片方が丸く幅も狭くなる


(見学記)
温泉街南側の一角にある径16mの円墳です。墳丘は残っていますが形ははっきりしません。墳頂に屋根がかけられ中に2基の舟形石棺が保存されています。共に身の部分は半ば埋まっていますが中央のは両端が丸みを帯びた舟形石棺の特徴がよくわかります。身は刳抜式、蓋は2個の石からなっていて片方はかなり破壊されていますがもう一方はわりとよく残っていて縄掛け突起もついています。もう一つのは蓋が殆ど無くなっていますが身は刳抜式、片方の幅が狭くなっているのがよくわかります。県史跡。

徳連場古墳

島根県松江市(旧玉湯町)1989年4月訪問、2019年9月再訪

墳丘不明
 舟形石棺
 位置:35°24′56″N 133°00′59″E (日本測地系)
    35.41868942 133.01378573(世界測地系)
(2019年)
30年ぶりに来てみました、説明板と標柱版が変わりなし、むしろ30年変わってない方が凄い


前回は石棺の印象しか残ってないけど墳丘も意外と残っている


頂部が窪んで石棺露出


石棺自体は変わらず、後部が多少埋まってきているような


(1989年)
墳丘ははっきりしない


墳頂に舟形石棺露出


築山古墳と同様長辺に2個ずつの縄掛け突起、片方の幅が狭くなる


(見学記)
玉造資料館北側低い丘陵上にある古墳です。道路脇に標柱がありそのすぐ上に小さな墳丘が見えていて墳頂に舟形石棺が露出しています。蓋は割れていますがほぼ残っていて縄掛け突起も一つ残っています。身の方は半ば埋まっていますがこちらは組合式なのかな、縄掛け突起も二つはっきり見えています。国史跡。

迫山古墳群

広島県福山市(旧神辺町)1988、96年4月訪問、2019,21年3月再訪

円墳11or12基、横穴式石室主体

(2019,21年)
上が88年、下が19年3月以降、山道の表示がなくなり東側で地形の表示が微妙に違う、古墳、神社の位置が微妙に違ってる、特に7,9号


1号
 円墳、R21.5,H5、6C末
 横穴式石室、玄室長6.2,幅2.5,高2.8m
 位置:34°33′45″N 133°23′36″E (日本測地系)
    34.56573841 133.39072252(世界測地系)
山道を登っていくと出会う


石室正面、羨道天井石は壊失


羨道横から、奥に立柱石があるが袖石に相当するんでしょうか


巨石を使った玄室、右側の方が全般に石材が大きい、隣の御領古墳群でもこれ程の規模のはありません


〃縦位置


おむすび型の奥壁鏡石、上部は隙間が多いような


奥から外、左片袖式


奥から左側


奥から右側


羨道上から、石材に奥行きがあり墳丘に食い込ませている


2号
1号上方、尾根筋やや西側に立地


墳丘流失、石室下部残存


最奥の天井石だけが残る


下部が埋まるが奥壁は1枚か


3号
巨石天井石が露出


石室正面


下方に羨道入り口が露出


内部は殆ど埋まる、背は低そうで御領タイプでしょうか


4号
低い墳丘、写真を撮ってなかった

5号
ほとんど存在が分からず

6号
_1:山道に板石露出、分布図の方向からして箱式石棺側板でしょうか


7号
山道脇にある、旧分布図では山道からだいぶ離れているからこれが混乱の元でした


石室下部残存露出


天井石は後部だけ残存


奥壁、小型ながら鏡石を据えている


奥から外、一応入れる程度


8号
殆ど放置状態の古い墓地の中にあった


お墓の中にお墓、この墓石も割と古そう


小型ながら奥壁は1枚のようだ


9号
尾根先端に構築されている、旧分布図では尾根中程になっている、さすがにこれは間違えないけど


羨道天井石が残るが内部埋没


天井石がずり落ちかけている


長い玄室が残るが背は低い


奥壁は2段か、土砂が流入


奥から外、右片袖式か


羨道上から、尾根幅目一杯使っている、立地といい背の低い玄室といい完全に御領タイプ


10号
_1:以前は内部が見えていたが今は石材1個露出のみ


11号
山道脇に露出しているがさすがにこれは気が付かない


正面から、内部埋没なので余計分かりづらい


最後部の天井残存


横から、後方明るい部分が山道


後方から見ると側壁の並びが分かる、でも右側壁の延長は現代の石垣に続いていてわかりづらくなっている


12号(仮)
前年見つけててっきりこれが2号と思った、天井石?


(1988,96年)
1号
石室正面、羨道天井と玄室の一部壊失


県内でも有数規模の玄室


奥から外、左片袖式


3号
露出した天井石


7号
墳丘


石室内部


9号
墳丘


露出した天井石


細長い玄室


奥から外


10号
9号墳丘裾にある小石室


(見学記)
(2019,21年)
御領を案内した序でにこちらも案内してみました。まだ見つけていない8,11号を見つけてもらおうという下心(笑)。19年春にはは麓にある説明板がかなり薄くなっていましたが今回新しくなっていました。でも新しい分布図を見ると山道が描かれていない。更に等高線の様子も東側で微妙に違っているし神社社殿の北に少し移動しているし新しい墓地も描かれていません。古い分布図では7号は山道から少し離れた位置に描かれているし新しい墓地も描かれてないみたいでこれが混乱の原因でした。取り敢えず説明板の場所から上がっていって1号まで。2号も案内しましたが前年見つけていたのではなく更に上方に石室がありました。こちらの方が2号で間違いないようです(汗)。ただ調べてみると全11基とか12基と数字が違うこともあるのでひょっとしてあれも石室かもしれない。1号から東に下っていくと新しい墓地下辺りにいつもの石室、これが7号とすれば8号は東にあるはずと思って探してみたら新しい墓地と古い墓地の間にありました。もう放置されたような場所で石室下部しか残っておらず内部にも古い墓石が立っています。この持ち主はこれが古墳だと知っているんだろうか。7,8号が確定すると11号は下の神社背後にあるはず、でコフ友さんに見つけてもらいました。下部しか残っておらず内部も埋まっていてこれでは分からんわ。しかも片側側壁の延長が現代の石垣に繋がっているからますますわかりません。ここは結局5回も来たけど取り敢えずコンプしてホッ、と思ったら4,5号は撮影済みと思って撮ってなかった(汗)、大したことないからいいけど。

(1988,96年)
丘陵斜面上に11基分布しています(ため池の側に案内図有り)。上方にある1号墳が最大で石室も玄室長11.6m、幅2.5m、高さ2.8mと巨大なものです(墳丘は一部修復されているようです)。さらに神社東側の9号墳がやや大きな石室を持っていて,すぐ南側に10号墳の小さな石室が開口しています。3,7号の石室が確認できましたが他は確認できませんでした。県史跡。
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