更新情報

19/11/14
岡山県総社市
雲上山古墳群その2

19/11/07
岡山県総社市
雲上山古墳群その1

19/10/31
兵庫県養父市(旧養父町)
大藪古墳群野塚支群その3

19/10/24
兵庫県養父市(旧養父町)
大藪古墳群野塚支群その2


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#リンクは自由です (個別の記事の紹介は直リンクでOKです)。
#古墳の経緯度は全て日本測地系です、使用する地図によって測地系が異なるので注意してください。
 googlemapでそのまま使うと位置が南東にずれるので世界測地系に変換してからお使いください。
[ 2019年11月14日 18:50 ] カテゴリ:未分類 | TB(-) | CM(-)

雲上山古墳群

岡山県総社市 2009年4月訪問、18年1月19年1月再訪

(2018、19年)
(見学順)

今週追加分(クリックでジャンプ)

37号(瓢箪塚古墳)
横穴式石室、玄室長5,幅2.2,高2.2m
位置:34°40′43″N 133°48′03″E
10年ぶりの37号


石室正面、あまり下がれません


相変わらずゴミだらけ、掃除する人もいないだろうし


玄室のゴミは羨道程ではない


巨石を使った玄室、床面は敷石かそれともゴミ?


巨石鏡石+大型平石の奥壁


奥から外、右片袖式、ゴミがあっても素晴らしい石室、ゴミがなければもっと


7号
丘陵頂部の平坦面端に立地、石室後部が残る


最後部の天井石1枚残存


奥壁や側壁石材は小型


これは玄門でしょうか、中間部が壊失している


1号
位置:34°40′46″N 133°48′11″E
7号と同じく丘陵頂部平坦面端に立地、こちらは墳丘が良好に残る


南側に開口


開口部、入るのは特に問題なし


開口部から覗いた内部


山頂にしては大きな石材の玄室、みな下から運び上げたんだろうな


奥から外、両袖式、山頂とは思えない規模


今週追加分
3号
位置:34°40′45″N 133°48′13″E
1号から南東方向に斜面を降りていくと遭遇、この辺りに5基密集、墳丘がハッキリ残るのはこれだけ


開口部正面、良さげな雰囲気


内部は埋没気味、匍匐前進で入れる


小さいけど奥壁は一応1枚かな


奥から外、右片袖式かな


奥上部にも開口、入ることはないけど


4号
石室正面から、細長い石室


前部の天井石は壊失


狭い開口部、石室後部辺り


中を覗くとすぐ奥壁、2段か3段か


傍にあった石材、取り外された天井石でしょうか


5号
傾いた天井石が露出


その背後に開口部


内部はかなり埋まっています


奥壁は一応1枚っぽい


奥から見ると入口天井の傾き具合がよく分かる


6号
開口部正面


石室後部はよく残る、入る程ではない


奥壁は6角形のような形をしている


仮1
この辺りは4基のはずですがもう1基ありました、気がついたのは帰ってからですが


内部は埋まっているように見えます


入口辺りは埋まっているが奥はそれ程でもない


ここも小さいながら奥壁は1枚石


ストロボ無しで撮ると右上に穴、入れないですけどね


仮2
位置:34°40′47″N 133°48′16″E
前年の仮1を確認すべく北側住宅街から入ってみました、林に入ってすぐに露出した石室


背後から、どう見ても手前が奥壁


奥壁横らか、内部は殆ど埋没


(以下次週)



(2009年)
37号
露出した天井石、かなり傾斜している感じ


石室正面、天井石が随分丸みを帯びている


羨道はゴミだらけ


玄室もゴミだらけ、石室自体は状態がよさそう


(見学記)
(2018年)
麓にある37号を見た後、山頂や山腹にある他のを訪問するつもりだったがすっかり忘れていた。あれから9年も経っているのか(汗)。それはともかく今回は古墳友と二人で訪問。まずは37号、相変わらずゴミだらけ、と言うか全く変わりなし。前回は玄室に入ってなかったので当然突入、天井石の隙間から入れます。石室自体は素晴らしいのにほんとゴミがね。ここから山頂まで道はないけど藪漕ぎして直行、頂上まで100m程度だけど見通しのきかない藪の中ではどれくらい進んだかさっぱり分からず。それでも何とか頂上平坦部にたどり着いたがここも見通しがきかない、2基あるはずなんだがな。ここで役に立ったのが同行者のスマホ、現在位置と分布図を照らし合わせてまず7号発見、これはかなり破壊された石室、その南側に1号、平坦部端っこ辺りに立地、山頂とは思えないような格好いい墳丘、南に開口する石室も良好に残っています。斜面なら上から石材を下ろせばいいけど1号なら上げてくるしかないよね。そこまで苦労して造るんだからさぞかし下から見たら目立っただろうな。この東側斜面に4基集中、のはずが3基しか見つからない。ここで時間切れ、また藪漕ぎして37号辺りに戻ってきました。見通しがきかなくても上りは頂部を目指せばいいけど下りは目標がないのでちと怖い。まだ他に石室があるからまた来なくては。

(2019年)
昨年の訪問が中途半端に終わったしどうも「古墳奮闘」に載っていない石室があったようなので再訪してみました。今回は北側の吉備路ヶ丘団地から突入してみました。団地南西隅防火水槽辺りから林の中に入っていきます。谷筋を登って行くとすぐ小型石室に出会いました。これは「古墳奮闘」に載ってないけど石室ですよね(更にこの近くで別の石室が見つかったようだ)。更に登っていくと昨年遭遇した3-6辺りに行き着きます。ここは4基集中のはずだが去年は分布図の状況と違っていたので混乱、今年はしっかり確かめてきました。やはりここに5基あります。一番上辺り、低い墳丘のが「古墳奮闘」に載っていない古墳のようです。石室がありますが土砂が流入して奥まで入れないが奥壁は見えています。ここから南東に進み尾根ピークを超えて南側斜面を下っていくと2号があります。墳丘石室とも良好、前部がやや壊れていますが間口が広く入るのは容易です。ここから東に進み斜面を下っていくと5号がありますがここはもう岡山市です。これも墳丘石室とも良好、入口は狭いが入るのは難しくありません。ここから東に行くとすぐ農地があり本隆寺に出られます。この2基はお寺から行った方が楽かもしれない。林の中で藪もないから歩くのも楽だった。北側麓近くに8号があります。麓を通る水路沿いの道路から急角度で斜めに入る脇道に入り擁壁内側を通っていくとたどり着けます。丘からやや突き出た場所に立地していますが墳丘派流失、天井石4枚露出、内部空間は多少残っていますが笹が生えていて殆ど何も分かりません。2,3時間は掛かりそうだったので庚申山中腹にある駐車スペースに車を止めて歩き回りました。

(2009年)
総社市赤浜、テクノパーク北側の丘陵に分布する古墳群ですが今回訪れたのは37号のみ。コアテックという会社の北側雑木林の中にあり石室天井石が露出しています。羨道入り口はゴミで埋まってる。でも天井石の上面が丸みを帯びているのが特徴的。いてわざわざこれを使ったのかな、土を被せれば見えなくなるのにね。玄門辺りの天井石隙間からカメラを突っ込んで撮影したけどこちらもゴミが多少入っているが玄室自体は良好のようだ。でもなんで入らなかったんだろ。他の古墳群とも併せて再訪しなくちゃ。テクノパーク内にある折敷山側の駐車場が利用可。
[ 2019年11月14日 18:49 ] カテゴリ:岡山県 | TB(-) | CM(0)

大藪古墳群野塚支群

兵庫県養父市(旧養父町)2001年4月訪問、2018年3月再訪

小川に挟まれた尾根上地形の上に横穴石室墳十数基、3号が大型
(2018年:見学順)

3号
位置:35°23′50″N 134°48′11″E
禁裡塚の案内板がある墓地から北に行くとあります、奥に見えているのが支群最大の石室を持つ3号


大きな墳丘が残る


周囲が大分削られている


石室開口部、羨道前上部は失われている


石室正面、立ったまま入れる大きさ


細長い石室、側壁は持ち送りがない


奥壁はほぼ1枚石、手前床面に敷石がある


奥から外、無袖式かな


その2(01年仮7号)
山道で墳丘が削られているが開口部は右側


墳丘正面、羨道前部は埋まる


開口部、入るのは問題なし


石室良好、床面に礫の敷石、石材は小型、側壁に持ち送りなし


奥壁は鏡石+平石


奥から外、ここも無袖かな


その3(01年仮8号)
開けた場所にあるので墳丘の様子がよく分かる


墳丘正面


開口部、しゃがんで入る


羨道後部と玄室がよく残っている


石材はその2よりやや大きく側壁は少し持ち送りがある、奥壁は下部に2枚並べ上に1枚


奥から外、右片袖式


羨道奥から


その4
低い墳丘が残るのみ、背後の尾根との間に谷がある


その5
墳丘はそこそこ残る


側壁の一部残存のみ


その6
その4と反対側、後方に谷がある


その7
2基の古墳が接しているんでしょうか


手前の墳丘に石室半分残る


右が奥壁、これも半分だけ


石室は西側谷の方を向いている


袖石が残っている、左片袖式か


奥の墳丘に天井石らしい石材、破壊された石室の天井石かこちらの石室のか


その8(01年仮13号)
更に上に2基の墳丘が並ぶ、手前がその8


よく残る墳丘


東側の谷に向かって開口


小型石材を使った石室、やや持ち送りがある


奥壁も同様の小型石材、下部中央にミニ鏡石っぽい石を据える


奥から外、無袖のようです


その9
その8すぐ上、この辺りから尾根の幅が狭くなる


こちらも東に開口


その8と似たような石室


奥壁も小型石材、下部は2列に並び上部は平石を重ねる


奥から外、やはり無袖かな


背後から見た墳丘


下方を振り返る、手前はその8、01年当時もやはりこの辺りから振り返っている、アングルも殆ど同じ(笑)


その10
更に上に墳丘が続く、01年当時は墳丘が低くて気が付かなかったか


天井部を失った細長い石室露出


竪穴石室ということはないだろうけど


その11
杉林の中に墳丘


石室天井部が開口、入室不可


側壁、かなり押し出されてきている


玄門でしょうか、右片袖式かな、羨道埋没


その12
更に登ると良好な墳丘と石室、嬉しい誤算


墳丘正面、手前の石垣は後世のものかな


開口部に土砂があるが入るのに問題なし


石室は良好に残る


石材は小型、やや持ち送りがある


奥壁は下部にやや大きな鏡石、上部は平石積み、中間がやや適当な積み方


奥から外、無袖でまぐさ石が一段下がる


壁面に埋め込まれた袖石を思わせる石材


墳丘背後から、いい!


その13
更に上に同規模の墳丘


開口部、巨石羨道天井石露出


長い石室、持ち送りは殆ど無く石材もやや大きい、その12より新しそう


奥壁は2段積み、このようなのはこの支群ではここだけ


奥から外、左片袖式だがあまり袖幅はない


羨道奥から、やや歪んでいるかな、外にその12が見えている


墳丘後方から、ここから上は見当たらず


(13号から尾根東側を下っていきます)

その14
その13から東側尾根縁を下っていきます、大きな墳丘上部に石室が見えている


開口部、羨道埋没


玄室良好、持ち送りはなく面も整えられている、その割に奥壁の積み方は粗い


奥から外、左片袖式


墳丘上に天井石露出


その15
こちらも尾根の縁に大きな墳丘


開口部、手前は埋没


天井を失った細長い石室露出


奥壁、左右で積み方が違うような


(01年仮5号を見落としている)

その16(01年仮4号)
3号より下方、尾根斜面麓に3基並ぶ、東方谷筋より更に東側になる、この斜面上の尾根筋に道林支群がある


墳丘背後から、小型でまん丸い墳丘


斜面に向いて開口、後方に3号、その間に小川が流れている


墳丘正面


持ち送りのない小型石室


奥壁は2列に並ぶ、変わった形式


奥から外、無袖かな


その17(01年仮2号)
こちらも良好な墳丘


やはり斜面に向かって開口


石室良好、右側は持ち送りじゃなく倒れかけているかな、中間辺りで天井が一段下がる


玄室、左はほぼ垂直だが右が大分傾いている


ここも奥壁は2列並びだが上部は平石


奥から外、無袖式


左17、右18


その18(01年仮1号)
一番下、ここも良好な墳丘


ここの3基はどれも同じ向き


ここも持ち送りはなく左はやや圧迫されているような


奥壁は2段、3基の中では一番新しそう


奥から外、無袖式、入口辺りで天井石が下がっているかな


 右18、左17


大藪古墳群に戻る



(2001年)
1号
石室開口部、右奥2号、奥に3号


石室


2号
尾根に向かって並ぶ2基、3号と同方向、尾根に向かって石室が開口、この尾根の先端に道林支群がある


石室


3号
円墳
横穴式石室
位置:35°23′50″N 134°48′11″E

墳丘、石室正面、周囲が削られ異様な形をしている


玄室、名前の付いた4基の古墳に次ぐ大きさ、ここが一番新しそうだ


奥から外、石室先端が削られているが無袖式か


4号
尾根上から見た墳丘


石室


5号
石室奥から外、左片袖式、天井石がすっかり抜かれている


7号
墳丘


石室


8号
墳丘


石室


奥から外、右片袖式


13号
群最上部あたりから下方を見る、左右を小川で仕切られた尾根上の緩斜面に分布、手前が13号墳丘


石室


大藪古墳群に戻る
[ 2019年10月31日 19:07 ] カテゴリ:兵庫県 | TB(-) | CM(0)

大藪古墳群道林支群

兵庫県養父市(旧養父町)2001年4月訪問、18年3月再訪

尾根上や斜面に25基密集、石室はなく石棺木棺直葬、5C後半~6C前半
(2018年)
その1
尾根筋緩斜面に比較的大きな墳丘


墳頂が平で盗掘を受けているようだ


下から見た墳丘、01年のその1とは違うようだ


その2
すぐ下に同規模の墳丘、盗掘で頂部が凹んでいる


墳丘下から


その他
尾根筋に小さな墳丘が密集


ここには石室はない


野塚の後なので個々の墳丘を撮る気にもなれず


(2001年)
比較的大きな墳丘


奥にも幾つか見えている、この群には石室はないそうだ


大藪古墳群に戻る
[ 2019年10月17日 18:17 ] カテゴリ:兵庫県 | TB(-) | CM(0)

大藪古墳群

兵庫県養父市(旧養父町)2001年4月訪問、18年3月再訪

但馬を代表する4基の大型石室墳をはじめ約150基
幾つかの支群(東から小山・道林・野塚・穴ヶ谷)に分かれる

案内板、集落西側入口辺りにある


4巨石墳(構築順)
禁裡塚古墳
塚山古墳
西ノ岡古墳
コウモリ塚古墳

野塚支群
道林支群

禁裡塚古墳
円墳、R32、6C後半
横穴式石室、全長12.5m、玄室長5.9,幅3.0,高3.5m
位置:35°23′41″N 134°48′08″E
(2018年)
手前の墓地内に案内表示、新旧で矢印が逆ですがどちらでも行けます


良好に残る墳丘、それ程大きくは見えない、4古墳の内最初に構築


開口部側、立木が邪魔、西側に接して裏塚古墳があるそうです、こういう時に限って周囲を廻っていない


開口部正面、悠々入れます


開口部辺りに段差、閉塞石があったようです


羨道後部はよく残る


巨大な玄室


〃縦位置、側壁はやや持ち送り


奥壁の石材自体は側壁とそれ程変わらず巨石はない、積み方は緻密で隙間の石もよく残っている


奥から外、両袖式、袖幅は左右で大分異なる


〃縦位置


羨道奥から、入口辺りに閉塞石


(2001年)
墳丘、石室正面、状態はよさそう


羨道、玄門上部の石が一段下がっている、塚山、西ノ岡古墳と共通


玄室、石室は但馬最大、石材は小型、赤い色が残っている


奥から外、両袖式


塚山古墳
円墳、R24~34、6C後半
横穴式石室、全長11.2m、玄室長4.8,幅2.5,高3.1m
位置:35°23′44″N134°48′23″E
(2018年)
尾根先端に構築された大型墳丘、場所は意外と分かりにくい


墳丘かなり上の方に開口


開口部、かなり歪んでます


羨道奥はそれ程でもないが左側壁には乱れがある


大型玄室、側壁は持ち送りがある


奥壁縦位置、石材は禁裡塚より大きくなる


天井は幅が狭いが1枚石の巨石


奥から外、柱状袖石を立てた両袖式


〃縦位置、背が高い


羨道奥から、左側も圧迫されているもよう


2段築成の円墳、左側階段を上ると開口部、基部に方形の基壇があるそうです


尾根カット部、左が墳丘


尾根から見た墳丘、2段なのがよく分かる、石室は上段下部辺りに開口している


(2001年)
尾根側から見た墳丘、尾根先端を整形している


石室開口部


羨道


玄室、背が高く持ち送りがある


奥から外、両袖式


西ノ岡古墳
円墳、R22~33、7C初
横穴式石室、全長13.6m、玄室長5.0,幅2.6,高3.0m
位置:35°23′39″N 134°47′57″E
(2018年)
水路沿いの道路に案内表柱、左の柵を開けて入っていく、後方に古墳群案内板があるが標柱反対側文字が消えていて見逃し通り過ぎた


南側下方から見た墳丘


緩斜面に立地、山側は大分削られている


羨道前部は基部しか残っていない


石室正面、巨大な天井石は割られているかも


羨道後部、立ったままで入れる高さ


巨石を使った玄室、前の2基に比べて石材が大型化


〃縦位置、側壁は持ち送りがある


天井石は巨石2枚からなる


奥から外、両袖式、柱状袖石だが左右でやや幅が異なる


〃縦位置


羨道奥から、入り口の天井が下がっているような


(2001年)
墳丘、かなり小さくなっているようだ


石室正面、先端が少し削られている


羨道


巨石を使った背の高い玄室


奥から外、両袖式


コウモリ塚古墳(荒神塚古墳)
方墳、L28、7C前半
横穴式石室、全長12.4m、玄室長7.1,幅1.8,高1.8m
位置:35°23′40″N 134°48′24″E
(2018年)
車が通れる道路側に開口、ここに古墳群の説明板が有る


墳丘は殆流失、羨道基部は手前まで伸びているようだ


開口部正面


今までの3基とは一転、長いが背の低い石室


石材も小型化、持ち送りは殆どない、背が低いから当然でしょうが


奥壁は1枚+平石、それ程巨石ではない、手前に礫が敷かれているようだ


奥から外、右片袖式


右後方から、多少墳丘が残る


西側から見ると天井石すっかり露出


斜め前から


後方の3枚、最後部のかなり加工、その手前のが一番の巨石


最前部、一部割られているが板状に加工


(2001年)
墳丘正面、封土はすっかり流失している


石室開口部


玄室、かなり細長い


奥から外、片袖式


(見学記)
(2018年)
大藪、以前来ているけど養父まで来て流石にここはスルーできず再訪しました、前回はフィルム時代だったのでデジカメで撮り直す目的もあったしね。。
県道104号から集落に向かう直線道路の突き当りに説明板が立っていますが距離が書かれていないのでちょっとわかりにくい。
まずは西端にある西ノ岡古墳に向かう。水路沿いの道路を左に行くが次の案内板がない、流石に行き過ぎたと思って引き返してたら大きな木製の標柱が立っていました。でも案内板方向からの文字が消えていて気が付かなかったよ。そこから水路にかかるセメント橋を渡りますが獣除けの柵がありますが通れます。2,30m程行くと倒れた案内板があったのでここで左折、後は道なりと思ったがちょっと間違えた、ここまで行けばたどり着けるけどね。古墳時代の説明は前にしているので省略。
案内板から右に行き200m程行くと禁裡塚の案内があります。ここを左に曲がると墓地がありその中に次の案内がありますが新旧の案内で矢印の方向が逆向き、多分どちらでも行けるんでしょうね。右の方に行くと野塚支群に行けるのでそちらの方に行くと次の案内板、それに従って細い道を行くとたどり着けます。
野塚支群、道林支群は省略。
禁裡塚案内板から200m程行くとこうもり塚、これは道路脇に開口しているのですぐ分かります。方墳ですが墳丘は殆ど流失、天井石が露出しています。他の古墳は墳丘の残り具合が凄くいいのに何故これだけ流失、人為的に削られた可能性もあるでしょうがこれは群中最後発の7C前半、墳丘もそれ程高くなかったと思われ、また古墳もあまり作られなくなって現場作業員の技術が衰えて墳丘も品質が落ちたんじゃないかと素人なりに想像(笑)。
塚山古墳はもう案内板さえありません。こうもり塚前の説明板に分布図が載っていたのですぐ北側辺りのようなので行ってみました。丘を登り始めると説明板が立っていて塚山古墳の巨大な墳丘が見えています。でも右側にも大きな円墳が2つも見えている、こんなのあったかなと思って登ってみたら細長い尾根の先端でした。そこに上って塚山古墳を見ると2段築成の巨大な墳丘が見えます。で築造方法が閃いた、まず尾根先端に溝を掘って石室下部を構築、更に上部を造り石室が完成した後で尾根をカットしてその土で墳丘上段を盛り上げる。これはこれで大工事ですが出来ないこともないかなと。問題は石室完成後の遺物の搬入、現状の開口部前は墳丘中腹で前に平坦な場所が無いんですよ。盛り土で搬入路を作ったか、下から引っ張り上げたか、石棺などがあったらこれでは無理だろうな。
しかし古墳は充実しているけど案内は充実してない。しかも集落内は道が狭く車を停めるような場所がありません。幸いこうもり塚前で駐車スペースがあったけど地元の車が停まっていたのでそこで停めてよかったかどうか。4大古墳だけなら1時間程度ですみますが野塚支群をフルに見るとここだけで2時間はたっぷりかかります。道林支群は石室はないからパスしてもいいけどざっと見学する程度なら10分程度ですみます。
訪問後、小山支群・穴ヶ谷支群の存在を知る、流石にもう一度は難しいかな。

(2001年)
大藪集落周囲の緩斜面に分布する150基からなる古墳群で幾つかの支群にわかれており但馬を代表する大型石室墳が4基もあります。円山川沿いのさほど広くない峡谷で平野部もあまりなく何故ここにこれほどの大型石室墳があるのか不思議なくらいです。4基の大型石室墳が県史跡。野塚3号が町史跡。

西ノ岡古墳
集落の西側、水路沿いの道路に案内板があります。まずここを起点とするとよいでしょう。ここから西側300m斜面麓近くの林の中にあります。径2,30mの円墳ですがかなり小さくなっているようで東向きに開口している石室も先端が少し破壊されています。全長13.6m両袖式の石室で玄門まぐさ石が少し下がっていますがこれはコウモリ塚を除く2基で共通の構造です。玄室は長5m、幅2.6m、高3.0m、巨石を使った背の高い玄室でやや持ち送りがある。床面には礫が敷かれていたようだ。

野塚3号
西ノ岡から少し東に戻ると上の方に東屋がある。ここから東に山道を行くと野塚支群にたどり着く。東西を小川に仕切られた尾根状の緩斜面に20基ほどの古墳が分布している。疎林の中に墳丘が転々とあり石室が開口しているのは私好みの風景です。下方に3号墳がある。周囲を削られ異様な形をしているが4大古墳に次ぐ大きさで南東向きに石室が開口、ここも先端が削られているが無袖式のようだ。奥壁はほぼ1枚石で殆ど持ち送りもなく石室自体は一番新しいようだ。東側の尾根沿いに3基の円墳が並んでいる。石室が3号と同方向のため尾根に向かい合うように開口している。この尾根の先端に25基の円墳が密集している。道林支群で低平な墳丘が多くここには横穴石室がないそうだ。

禁裡塚古墳
野塚支群から山道を下っていくと墓地の側にあります。径32mの円墳で墳丘の状態はここが一番よい。東向きに石室が開口、全長12.5m但馬最大の石室です。玄室は両袖式で長5.9m、幅3.0m、高3.5m、やや持ち送りのある背の高い玄室だがその割に石材はそれ程大きくない。壁面には赤い色が残っている。

コウモリ塚古墳
一旦集落に戻り集落中央を通る道を北東に進むと左側に説明板がたっている。一辺28mの方墳だが墳丘は殆ど流失し石室がむき出しになっている。全長12.4m、右片袖式の石室だが玄室は長7.1m、幅1.8m、高1.8mと大変細長い。時期的には一番新しそうだ。

塚山古墳
コウモリ塚背後の尾根にある。南に三本伸びる尾根の中央、先端を整形して墳丘を形作っている。径20数mの円墳だが方墳の可能性もあり、大変背が高い。南東に石室が開口入り口がやや狭いがよく残っている。全長11.2m、玄室は長4.8m、幅2.5m、高3.1mの両袖式で背の高いやや持ち送りのある玄室です。それにしても墳丘は殆ど地山だろうにどうやって石室を構築したんだろうか。
[ 2019年10月11日 18:36 ] カテゴリ:兵庫県 | TB(-) | CM(0)
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