更新情報

22/02/02
岡山県倉敷市(旧真備町)
高塚古墳群(4号追加)

22/01/26
岡山県岡山市北区
西高月古墳群(フィルム時代の写真をアップ)
〃両宮山・和田茶臼山古墳
〃小山古墳
〃朱千駄古墳
〃森山古墳
〃廻り山古墳

22/01/19
岡山県岡山市北区
牟佐北古墳(仮称)

22/01/12
岡山県岡山市北区
牟佐北古墳群(仮称)


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#リンクは自由です (個別の記事の紹介は直リンクでOKです)。
古墳の経緯度は全て日本測地系です、使用する地図によって測地系が異なるので注意してください。
 googlemapでそのまま使うと位置が南東にずれるので測地系変換サイトで数値を世界測地系に変換してお使いください
#世界測地系を併記するようにしました、他記事も順次追加予定です
数値を選択して検索するとグーグルマップ当該位置が表示されます

高塚古墳群(鎮守様塚古墳他)

岡山県倉敷市(旧真備町)2009年3月訪問、22年3月再訪

(22年)
4号
 横穴式石室、全長3.5,幅1.14,高1.4m(現状)
 位置:34°38′48″N 133°40′23″E(日本測地系)
    34.64989465 133.6704164(世界測地系)
尾根筋東斜面に立地、初めルートを間違えたので見つけた時はホッ


東向き斜面だがほぼ南向きに開口


迫力のある天井石


横から見ると奇妙な顔のように見える、当時のままなのか、後世加工されたか


前に羨道基部が残っている


石室内部は入り口がやや埋まるもよく残る


ストロボ撮影の方がハッキリクッキリ


奥壁は1枚石、将棋の駒のような形


奥から外、天井は2枚残存


(おまけ)
4号に行く前にルートを間違えて別の尾根で見つけた石仏、もう痕跡程度の道もないし誰も来てないだろうな


1号(鎮守様塚古墳)
 横穴式石室、全長8m、玄室長5.4,幅1.5,高1.8m
 位置:34°38′39″N 133°40′14″E (日本測地系)
    34.64739484 133.66791671(世界測地系)
県道から見えている、せっかく来たので序でに撮影


まぁ~るい墳丘


13年前と全く変わりなし


短い羨道、竹があるのも変わりなし


明るいので撮りやすい玄室


大きな天井石が2枚、入口側に小が1枚


右側壁


左側壁、面を整えているのとないのがある


奥の方には小石の敷石


奥壁は鏡石+平石、モルタルが塗られていたかも、左側中段の石材は斜めに架けられている


奥から外、右片袖式


〃ストロボなし


(09年)
1号(鎮守様塚古墳)
県道から見えている


墳丘が良好に残る


石室正面


短い羨道、まぐさ石が一段下がる


細長い玄室


奥壁は鏡石+上に1枚、左側辺りがちょっと雑


天井石が巨石、底面も平面に整えられている


奥から外、片袖式


(見学記)
(22年)
以前訪問した鎮守府様塚古墳は高塚古墳群1号、4号があると言うので行ってみました。1号東側にある集落背後から谷筋に入っていく。小さな溜池辺りから右側尾根筋を登っていく、尾根上方の東側斜面に立地、墳丘は殆ど流失し南向きに開口、石室前上部が壊失していますが全長3.5m程の石室が残っています。奥壁は1枚石で将棋の駒のような形でなかなか格好いい。小さな溜池と言いましたが殆ど水は溜まっておらず気が付かずに谷奥まで行き適当な場所で右側尾根筋に登ってしまった。これは間違えたと思ったがそこで石仏発見、よくある石仏巡りの為の石仏のようです。でも痕跡道もなくもう誰も来てないだろうな。傾いて側の木にもたれかかっていた、元に戻しておけばよかったか。しかし1号とは300m以上離れているのに同じ古墳群なのか。もっと接近していても別の古墳群になることもあるしほんと古墳群の定義はわからない。序でに1号も撮影したけど中の竹もそのままで以前と全く変わりなし。2号は埋没らしいけど3号はどこ?。

(09年)
倉敷市真備町市場、真備美しい森へ行く途中の道路沿いにあります。墳丘石室とも良好、どうしてこれ程の物が全く知られてなかったんだという感じです。羨道はやや短く一段下がったまぐさ石が目につきます。玄室は全長5.4m程、持ち送りも殆どなく奥壁は鏡石の巨石に一段重ねています。左側側壁との間にやや隙間があって上部は石を詰めているけどややその場しのぎな感じ。天井石は3枚実質2枚か、奥のが特に巨大で底面を平らに整えています。側の道路に駐車スペース有り。

両宮山古墳・和田茶臼山古墳(西高月古墳群)

岡山県赤磐市(旧山陽町)西高月古墳群 1988年1月訪問、94年4月、22年3月再訪
両宮山古墳・和田茶臼山古墳、小山古墳、朱千駄古墳森山古墳廻り山古墳

両宮山古墳
 前方後円墳、TL190,RH20
 位置:34°44′13″N 134°00′18″E (日本測地系)
    34.74016899 134.00233051(世界測地系)

茶臼山古墳(和田茶臼山古墳)
 前方後円墳、R20,H5
 位置:34°44′15″N 134°00′13″E (日本測地系)
    34.74072443 134.00094174(世界測地系)
(22年)
外堤南西隅から、墳丘裾を修復中、墳丘というより溜池としての修復か


西側周溝を北から


茶須山からの遠望、林がなくなっている部分は88年当時から変わりなし


東側渡り堤を通って前方部にある神社へ、見えているのは養蜂用の巣箱


前方部に神社、建物は新しそう、埴輪も葺石も発見されていないそうです


外堤南東隅から


周溝東側を南から、東側がやや高くなっているのかこちらがわは水が奥まで入っていない


前方部は手前右斜め方向にあったようです


茶臼山越しに両宮山


(94年)
後円部北側周溝を西から、西側は満水だとこの辺りまで水が来ている


幅広い周溝、ここに水が溜まっていたことはないだろう


後円部北東側崇高を北から


茶臼山から見た両宮山、だいぶ高い位置にあるのがわかります


南側から見た茶臼山


東側から


西側から、農業用ハウスはなくなっている


北側から、これもほぼ定番のアングル


(88年)
22年_1と同じアングル、満々と水を貯めた水面が美しい


これも22年_2と同じアングル、20年以上経っても同じアングルで撮ってるな


北側主軸線上からの眺め、西側周溝の方が地形が低いのがわかる


西側外堤、ストリートビューで見るとあの家はまだあった


この頃はまだ上に説明板がなく円墳だと思っていた


(見学記)
山陽町穂崎,県道27号のすぐ北側にある全長190m,後円部径104m,高21.7m 県内第3位の大型前方後円墳です。墳丘の保存状況もよく両側に造出も残っていますが全体が森になっていて墳丘上に行けるのは前方部にある神社までです。ここに説明板が立っていますがこちらは両宮山古墳群となっています。この説明板の位置も別の位置にした方が多くの人に見て貰えると思いますが(こういう例はよくありますね)。廻りに広い周溝があって現在南側に堤防があり北側を除いて水が貯まっていますが古墳が緩斜面に位置していますから本来は水は 貯まっていなかったんじゃないでしょうか。北側に陪墳の茶臼山古墳があり径20m の円墳ですが前方後円墳集成ではこれも前方後円墳となっています。両者とも国史跡。

小山古墳(西高月古墳群)

岡山県赤磐市(旧山陽町)西高月古墳群 1988年1月訪問、94年4月、22年3月再訪
両宮山古墳・和田茶臼山古墳、小山古墳、朱千駄古墳森山古墳廻り山古墳

小山古墳
 前方後円墳、TL55,R35,FW16、4C末
 舟形石棺
 位置:34°43′52″N 134°00′44″E (日本測地系)
    34.7343366 134.00955229(世界測地系)
(94年)
西側から、88年_1と同じアングル


南西側から


西側側面は裾のラインがよく分かる


南東側から


東側から


溜池越しに、壁紙サイズでは粗くてとても使えない


後円部北東から


南東丘陵上から、高速道路が出来、両宮山が見づらくなった


少し近寄って


後円部から前方部、神社参道になっている


前方部から後円部


舟形石棺破片、破片自体は動かされていない感じ


(88年)
西側側面、いい姿で残っています


南東から、遠方に両宮山が見えていました


社殿背後に舟形石棺破片散乱


(見学記)
朱千駄古墳の東方,盆地南側の火打山麓に位置する全長53mの前方後円墳です。後円部に神社があり前方部が参道になっている以外墳丘の保存状況はよくシンプルな形が良く見えます。神社の建物背後に阿蘇石製の舟形石棺の破片があります。破片ですが特徴のある蓋の丸みや両端の縄掛け突起が見えています。すぐ近くにある同規模の朱千駄,小山古墳の石棺の違いが興味深いですね。なお火打山を越えた南側麓(旧瀬戸町)に玉井丸山古墳があります。墳丘上に郷土資料館などの建物があって変形が著しいですが全長137mの前方後円墳です。「日本の古代遺跡(岡山)」には載っていますが「前方後円墳集成」には載っていません。

朱千駄古墳(西高月古墳群)

岡山県赤磐市(旧山陽町)西高月古墳群 1988年1月訪問、94年4月、22年3月再訪
両宮山古墳・和田茶臼山古墳小山古墳、朱千駄古墳、森山古墳廻り山古墳

前方後円墳、TL60、5C
 長持形石棺
 位置:34°43′50″N 134°00′08″E (日本測地系)
    34.73378068 133.99955326(世界測地系)
(22年)
竹林が少し伐採され後円部が見やすくなっていた、県道で少し削られているようです、説明板の位置が変わっているが基本的には変わりなし


北に下がる緩斜面に立地なのがわかります


南側は溜池堤と一体化してわかりにくくなっている


前方部は畑、後円部に比べて前方部が長いか


右端辺りが前方部端のようです


(88年)
多分森山古墳からの遠望、現在は間に高速道路が出来たので直接には見えない


左側の前方部がハッキリしている


県立博物館に展示されている石棺(奥)、手前のは岡山市八幡大塚古墳(消滅)出土石棺


(見学記)
盆地の南側山麓,阿部に位置する全長65m の前方後円墳ですが,現在南側に溜池があり、その堤防のようになっています。名前の由来は明治時代の盗掘で大量の朱が出土したことによります(すぐ想像はつきますね。又後円部から出土した竜山石製の組合式長持ち形石棺が県立博物館に保存されています。県史跡。
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