更新情報

22/03/23
山口県田布施町
後井古墳(3号追加、1,2号更新)
山口県光市
岡の宮稲荷神社古墳(仮称)

22/03/16
岡山県総社市
久米大池古墳群(仮称東支群)

22/03/09
岡山県総社市
久米大池古墳群(仮称西支群)

23/03/02
岡山県総社市
久米大池古墳群(仮称中支群)


各県別青森
秋田岩手
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#リンクは自由です (個別の記事の紹介は直リンクでOKです)。
古墳の経緯度は全て日本測地系です、使用する地図によって測地系が異なるので注意してください。
 googlemapでそのまま使うと位置が南東にずれるので測地系変換サイトで数値を世界測地系に変換してお使いください
#世界測地系を併記するようにしました、他記事も順次追加予定です
数値を選択して検索するとグーグルマップ当該位置が表示されます

後井古墳(後井1号)

山口県田布施町 2006年2月訪問、22年3月再訪

(2022年)
3号
 横穴式石室
3号があると言うので探してみました、2号石室右斜め前方10m程、でも墳丘は殆どない


正面から、まぐさ石が目立つ


石室部分はすっかり盗掘、玄室石材は殆ど残っていない


まぐさ石を上から、元の位置で残存


〃斜め上から


石室内部からまぐさ石


側壁の一部が残る


1,2号(墳丘)
せっかくなので墳丘も撮ってみました、これはスマホカメラパノラマ撮影


背後から、正面からだと双円墳に見えないこともないけど、裏からだとやはり分離しています


〃スマホ撮影、こちらの方が広角、鮮やかすぎて画像がギスギスした感じ


2号墳丘西から


2号北側下方から


2号北側麓から1号


更に接近して1号


1号北側から


1号西側から


1号北側麓から2号


2号東側から


後井古墳(後井1号)
 円墳、R14,H5、6C後半
 横穴式石室、全長11.4m、玄室長5.8,幅3.3,高4m
 位置:33°57′31″N 132°01′44″E (日本測地系)
    33.96189575 132.02641568(世界測地系)
石室も再度挑戦


石室正面、羨道床面は前が低くなっていたんでしょうか


羨道、これだけで並の玄室くらいの規模がある


玄室、ストロボ撮影


〃右隅から


天井


玄室、主軸上から


〃縦位置


奥から外


〃縦位置


奥隅から左袖方向


玄室、懐中電灯で撮影、中央部が明るく周辺は暗くなってしまう


奥から外、これも懐中電灯だけど正面を照らさないようにした


2枚からなる巨石天井石、この日は薄暗く自然光では撮れず


2号
石室正面


幅の狭い羨道、造りが粗っぽい


1号程じゃないが巨石を使った石室


〃縦位置


高い天井


〃ストロボ撮影


床面には平石敷石


奥から外、左右の袖が随分違う


〃縦位置


〃懐中電灯で撮影


羨道奥から


(2006年)
後井古墳
丘陵頂きに並ぶ1号と2号


1,2号南側から、現地で見ると双円墳のように見える


石室正面


羨道


県内最大クラスの石室、奥壁鏡石と天井石が特に巨大


奥から外、左片袖式


後井2号
円墳
横穴式石室
墳丘南側


狭い羨道


背の高い玄室、奥行き3.5m位なのに対して、高さは4mくらいある、床面には平石の巨石が敷かれている


奥から外、こちらは両袖式、左右の袖部が随分違う


(見学記)
(2022年)
1,2号からなる後井古墳群(あまりこの名称は使わないようですが)に3号があると知って行ってみました。後井古墳の南20mとのことですがその辺りは倒竹だらけで探すのは大変と思いましたが結果的には2号南西10mの辺りにありました。でも灌木があるし墳丘も石室石材も殆ど無くなっているので見通すのは難しい。墳丘は盗掘で大きく掘られ石材も殆ど抜かれまぐさ石とその下の側壁が少し残っている程度でした。しかしこれ程大掛かりに石材を抜き取っているのになんでまぐさ石だけ残っているのか不思議です。他の石室でも時々見かけます。せっかくなので1,2号を背後から見てみました(今まで見てなかった)。一見前方後円墳に見えないこともないですが前方部にあたる2号がやはり円墳上で前方部と見るのは無理そう。正面から見ると双円墳にも見えますがやはり裏から見ると少し離れているように見えます。ただ2号の背後下段が直線状になっていて元の地形を台状に整形して円墳を載せたのかもしれません。2号西側に元の地形が残っていますがやはりこれを古墳と見た人がいるのか盗掘跡がありました(笑)。しかしあらためて見ると1号石室のなんと巨大なこと、低いとは言えここは丘陵頂部になるので巨石を下から運び上げるのは相当大変だったでしょうけどね。

(2006年)
田布施川沿いの県道を南から行って鉄道を越えたところで案内表示があるので右折、林の中の舗装路を行くと表示があるのでそこから長い参道を上っていきます。丘陵頂に構築された2基の円墳が隣接していて双円墳状です(他に3号墳もあるそうだ)。共に墳丘は良好に残っていて石室が開口、手前の1号墳は全長11.4m、玄室長5.8m、幅3.3m、高4mと県内最大級の石室です。羨道は前部が欠損しているが左片袖式の玄室は完存、中に入ってみるとさすがに大きい、奥壁は三段積みだが下の鏡石は極めて巨大です。奥の2号墳(一応立ち入り禁止(汗))は羨道は狭いが玄室は完存、長さ凡そ3.5m、幅2.5m、高さ3.5mで奥行きに比べて大変背が高いのが特徴、また床面には巨石の平石が敷かれるなど1号と比べて随分構造が違います。説明板では1号と比べてかなり見劣りすると書かれているが、あくまでも1号墳との比較でこれだけなら十分一級品の石室です。ただ玄室に比べると羨道は随分お粗末でなんだか後からとってつけたような感じ、また奥壁下部の2枚の縦長の石が薄くて土圧でややせり出してきています。ゲジゲジが大量にいることもあって早々に出てきました。県史跡。

岡の宮稲荷神社古墳(仮称)

山口県光市 2022年3月訪問

 前方後円墳、TL90(推定)
 位置:33°58′09″N 131°57′03″E (日本測地系)
    33.98347 131.9484(世界測地系)
まだ未公認の前方後円墳、鳥居がある辺りが前方部端


扁額は「岡の宮」と「の」が平仮名で小さく入っている


前方部上部は広い平坦面、中程に神社本殿がある


本殿背後から後円部、まだ少し距離がある


前方部と比べてそんなに高くない後円部


後円部頂は広い平坦面になっている、何もなく端っこに小さな石の祠があっただけ


東に降りて後円部を振り返る


前方後円墳はともかくなんでこれを古墳と認識されなかったか


前方部北側側面から後円部


後円部を望遠で


北側からくびれ部辺り、画面右端辺りに本殿


同じ場所から前方部端方向


(見学記)
光市中島田2丁目、つい最近発見された前方後円墳ということで行ってみました。丘陵上に築かれていて全長90m程、実際に行ってみると確かに前方後円墳で良好に残っています。前方後円墳と確認されなくても後円部だけでもなんで古墳と認識されなかったのかと思うほどです。前方部端に鳥居が立ち前方部上後円部近くに神社本殿があり前方部は確認しづらいですが後円部はよく残っていて墳頂部は広い平坦部になっています。特に盗掘のような窪みもなく小さな石の祠があるだけでした。まだ公認ではないようで仮称だんかいです。因みにグーグルマップだと岡宮稲荷神社となっているので岡宮と書いて”おかのみや”と読むのかと思いましたが鳥居の扁額にはしっかり”岡の宮”と書かれていました。ヤフーマップではしっかり”岡の宮”と書かれています。北側に山陽本線が通りそちら側から登っていく道があります、南側から登る方が近いですが車を停める場所がありません。

久米大池古墳群

岡山県総社市 2009年4月訪問、21,22年3月再訪
  多数の石室墳、前方後円墳1基
  (古墳番号はHP「古墳奮闘」に従う)

久米大池堤からの遠望


東支群(仮称)
(見学順)
26号
山道から適当に藪に入って出会った墳丘


墳頂に石材露出、一応石室らしい石組みが残る


28号
上にも下にも墳丘が見えていたが取り敢えず下へ、28号か、結局上へは行き忘れた


27号
 位置:34°42′10″N 133°46′11″E(日本測地系)
    34.70600118 133.76707148(世界測地系)
更に下に明瞭な墳丘、色々考察して26号


南側に開口、この支群では唯一入れた


羨道から玄室


奥壁側壁とも小型石材


〃縦位置、持ち送りがあり背が高く古式な雰囲気


奥から外、無袖かな


〃縦位置


羨道奥から、長い羨道が残るのも珍しい


29号
低い穏やかな墳丘、石材見られず


30号
これも大きさの割に背が低い


これも石材見られず


不明
大きいが低い高まり、古墳かどうかも不明


20号
斜面に石材露出


天井石らしく見える


隙間開口


内部は殆ど埋まっている、一段下がっているからまぐさ石か


天井にも隙間


入り口方向に明かりが見える、完全埋没じゃないけど意味はなし


奥壁が見えている


21号から見た墳丘、この辺り3基集中


21号
20号上に低い高まり


斜面上から


石材露出も石室らしさはなし


22号
傍らにも穏やかな墳丘


墳頂に石材露出、手前の2個が天井石で左奥は側壁か



西支群(仮称)
4号
 位置:34°42′15″N 133°45′48″E(日本測地系)
    34.70738992 133.76068331(世界測地系)
(21年)
墳丘は藪の中、石室前だけ藪刈されていた


長い石室が良好に残存


中程から、天井以外特に巨石は無し


腰石+平石3段の奥壁


奥から外、左袖があるかな


(22年)
藪が刈られ道ができたいた、小川に橋も架かっている


墳丘も藪が刈られ見やすくなっていた


上部が多少平坦になっているがこれだけ残れば十分


石室正面、上が平らになっているのがわかる


内部は明るいのでストロボ無しでも撮りやすい


側壁石材の面が整えられている


前年も撮ってますが何度も撮ってしまう


奥から外、ストロボ無し、天井のレベルが揃っている


奥から左


奥から右、こちらの方が石材がやや小型


5号
(21年)
4号下方に5号、この時は藪が酷く大変、墳丘上の山桜が目印になりました


墳丘は低く南側に開口


開口部正面、天井石が大きさの割に薄い、左から伸びているのは山桜の根、なんでここまで伸びてくるか、正面の木は別の樹木です


内部は多少埋まっています


奥壁は平石を重ねる、左右2列になっているよう


奥から外、無袖だが天井が一段下がるか


墳丘上の山桜、満開だったらさぞかし見事なんでしょうが


(22年)
こちらも通路が出来ていて墳丘がよくわかります


石室前の木は上部が切られていた


山桜が満開の頃来てみたい、山桜のこれ程の巨木も珍しいかも


A号
4号背後にも古墳があった


石材が僅かに露出


一部の天井石が露出


正面から、内部は殆ど埋没



中支群(仮称)(見学順)
15号
ため池北側の山道沿いに6基程の古墳が並びます、最初に出会う14号、高まりが残る程度


14号
これも薮の中に高まり


南側に盗掘跡


隙間開口していました


土砂が流入するも内部は意外と良好


13号
この後は北側に墳丘があります


12号
どれも藪の中、墳丘は割りと残っているんですが


11号
これは大きく盗掘されていた、石材見当たらず


10号
これでも墳丘がわかる方


番号不明1
この辺りから登道になります、墳丘は良好に残っていたが開口部見つからず


番号不明2
これは17号かと思ったが違ってた、石室かどうかも不明


9号?
盗掘跡状態


側壁でしょうか


8号
古墳らしい墳丘


墳頂部に僅かに石材が露出するのみ、袖石でしょうか


7号
 位置:34°42′10″ 133°45′50″(日本測地系)
    34.70600115 133.76123886(世界測地系)
やっと本格的な墳丘に出会いました、草が茂っているとこれでも見逃すことがあったとか


大きな墳丘だがかなり上の方に開口


開口部正面、腹ばいで入る必要がある


羨道天井に隙間があり土砂流入、余計入りにくくなっている


玄室は完存


奥壁はほぼ1枚石の巨石


奥から外、左片袖式


天井奥から、側壁上部が持ち送り


羨道奥から


墳丘背後から、結構斜面に構築


3号
 位置:34°42′12″ 133°45′52″(日本測地系)
    34.70655666 133.76179432(世界測地系)
(21年)
墳丘前面が草刈りされていて開口部がよく見えていた


立ったまま入れる程の大きさ


天井石が2段重ねかと思ったらカットされた状態でした


無袖だがまぐさ石が一段下がる


巨大な玄室、ただ側壁材はそれ程大きくない


〃縦位置


奥壁は縦長2枚を並べ上は平石、中央の石はもう少し斜めにすれば印象的になっただろうにな


奥から外、左に僅かに袖があるかも


〃縦位置


奥から右方向


〃左方向、最上部は調整用の平石


(22年)
翌年、墳丘全体が草刈りされていました


開口部横から


墳丘横から


墳丘背後から、遠くに平野部が見えています


前年撮っているけど入りやすいしまた撮ります


〃縦位置


入り口から天井部


奥壁ストロボ無し


奥から外、ストロボ無し、やはり左に袖石があるな


天井奥から



19号(元13号)
 横穴式石室、玄室長4.0,幅1.9,高2.2m(現状)
 位置:34°42′00″N 133°46′06″E (日本測地系)
    34.70322361 133.76568284(世界測地系)
堤からの遠望、手前の空き地に駐車可


お墓の中にお墓


これだけは早い段階から知っていたが、ここまで大規模な古墳群だったとは


一応開口部があり完全には埋まってないが入室無理


墳丘背後から


開口部からの撮影


入ってからの撮影、背の高い玄室、明るいのでストロボ無しで十分


〃縦位置、以前は蔓が垂れ下がっていたがなくなっていた


天井石、やや持ち送りがある


左側壁


右側壁


奥から外、左片袖式


以前あった蜂の巣は除去されたが新しいのが作られていた


1号
 前方後円墳
 位置:34°42′11″N 133°46′00″E(日本測地系)
    34.70627892 133.76401629(世界測地系)
尾根筋先端を整形して造られた前方後円墳、前方部端正面、手前に平坦面が広がっている


山の上なのでもっと小型かと思っていたので、意外な大きさに驚いた


横から見るとハッキリ直線状になっています


前方部隅から後円部


前方部から後円部、主軸上だと木が邪魔になる


前方部端上部に大きな盗掘跡


後円部から前方部


くびれ部東側に造出か


葺石が露出


後円部正面、尾根筋が大きくカットされている


(2009年)
13号
墓地の中で存在感を示す墳丘


背後から


天井石2個露出、石仏が乗っているのは羨道天井石


正面から。羨道埋没


天井石隙間から撮影、奇妙な物がと思ったらスズメバチの巣だった


雑然と積まれた奥壁


側壁も同様


おまけのスズメバチの巣


(見学記)
(2021,22年)
(東支群)
この古墳群は丘陵を超えた東側斜面にも広がっています。去年赤坂山古墳群として見つけたその5もこちらの古墳群に属するそうです(33号に変更)。その近くでも幾つも古墳が見つかっているので訪問してみました。33号より大分下方山道西側に何基も密集していましたが手前の藪が酷く見透かしてみてもまずわかりません。適当に突っ込んでみると低いが大きな墳丘がありました。上部は大きく盗掘されて窪んでいる、羨道側壁の石組みだけが残っていました。これを何号に同定するかで上に行くか下に行くかになる。取り敢えず下に行くとハッキリした墳丘があって南側に開口した石室がよく残っていました、これで27号と決定、なので前のは26号、その間に28号となりました。更に下に29,30号もありました。下に行ったので上の23-25号はスルー。更に西に行って20-22号を見つけて終了。藪はそれ程酷くはないがあまり見通しの聞かない場所、分布図の地形より更に細かな地形が見えて現在地がわかりにくい。結局19号(元13号)がある墓地上部まで行ってしまった。砂川公園に駐車場有り。

(西支群)
西側谷筋を超えた尾根筋に4,5号があります。この時はどのような古墳なのか全く分からず藪もひどかったので諦めかけましたが後で案内してもらいました(現在は山道が出来て行きやすくなっています)。上側のが4号でこれも石室がよく残っています。南西に下った場所にあるのが5号、石室自体はそれ程大したことはないのですが(一応入れる)上に生えているヤマザクラが巨木、高さは20m以上あるでしょうか、幹自体も大きいけど太い根が石室を抱え込むように伸びています。ちょうど花が咲き始めていて感動しました。ヤマザクラの巨樹は検索すると幾つも出てきますがベスト20くらいは入りそうな巨樹です。

(中支群)
以前は墓地の中にある13号しか知らなかった久米大池古墳群、久米大池北側にもあるにはあったけどわざわざ見に行く程でもなかった。でも最近幾つもの石室が見つかったので早速訪問、上物の石室も多いです。溜池北側のはサラッと流して山道を登っていくと途中に鉄骨製の砂防ダムがあります。初めはなんでこんなとこに建物がと驚かされました。更に登っていくと草刈りが行われて見通しが良くなった中に7号、斜面に大きな墳丘、中腹辺りに開口していて狭いですが中に入れます。今は一目瞭然ですが以前は林の中で藪に覆われ気が付かなかったとか。更に登っていくと一帯はまだ笹薮状態、その中に更に大きな石室を持つ3号があります。藪の中でわかりにくいですが痕跡道を辿ればなんとか見つけられます。手前に天井石擬きがありそれを見つければ石室はすぐ先、立ったままで入れる程の大型石室です。

(1号、19号)
去年見つけそこねた2号を探しに行きました。その際麓辺りの古墳を探していて林を抜けると墓地の中に19号があるのに気が付きました。去年は神社から行ったけどこちらから行った方が楽そう。林の中に入るとほぼ1本道の山道、これを行けば2号に至ると思いましたが行けども行けども2号どころか古墳らしきものにも出会わない。もう通り過ぎたと思ったけどこのまま行けば1号に行くだろうと登っていくとやはり1号に出会いました。山頂かと思っていましたが細長い尾根先端をカット整形した墳丘のようでカット部分や墳丘自体もよく残っています。前方部前面は広い平坦面になっていて儀式の場だったんでしょうか。墳丘は削られた跡はありませんが前方部上部端に盗掘跡、後円部にも浅い窪みがあります。造出もあるようなないような。2号には出会えなかったけどこれはこれでいいものでした。
13号(現19号)は天井部が開いているので以前は入れませんでしたが私より小さい人が入ったと言うので入ってみました(20年)。いざ入ってみると開口部から流れ込んだ土砂が下に溜まっていて床面が少し高くなり足をかける壁面もあるので出るのはそれ程困難ではなかった。でもそれは結果論、やはり万が一を考えるとなかなか単独では入れません。以前あったスズメバチの巣は撤去されていたけど同じ場所に新たな巣が出来ていた、どんだけお気に入りなんだか。

(2009年)
総社市久米、砂川公園入り口辺りの北側に久米大池があり堤を渡ると墓地がありその中にあります。割と大きな墳丘が残っていてすぐ分かる。羨道と玄室の天井石が1個ずつ露出、羨道は埋まっていますが玄門上辺りに大きな隙間があって中を覗けます。カメラを突っ込んで撮影したら何か丸い奇妙な物が写っている。よく見たらスズメバチの巨大な巣だった(汗)。冬場だから飛んでいないしどちらにしろ中にはいるのは無理だからいいけど撮影するにはすごく邪魔。カメラの視野にはいると巣が明るく写るので奥壁が暗くなってしまう。それはともかく石室が大きな割には石材は小さめ、側壁はやや持ち送りがある。奥壁も雑としか言いようのないような積み方。これだけの規模でこんなに雑なのも滅多にないぞ。墓地まで車で直接来れないこともないけど砂川公園の駐車場から歩いた方が無難。

稲井田古墳群

岡山県総社市 2022年3月訪問

多数の横穴石室墳(見学順、古墳番号はHP「古墳奮闘」に従う)

西支群(仮称)
東支群へジャンプ)
4号
尾根先端やや西寄りに立地、墳丘は多少削られている


西向きに開口、狭い開口部


苦戦して見つけたからこれは入らなくては


開口部からの撮影、羨道天井がやや傾く


玄室良好、右の山側がやや傾くか


奥壁は縦長で右は2段積みという変わった構成、右側壁がせり出して奥壁の一部を隠している


奥から外、左片袖式、玄室前部天井も傾いている


尾根上から見た墳丘


5号
すぐ上に大きな墳丘


頂部が窪んでいる


大きな盗掘跡、石材全く見られず、両宮山と同様未完成の古墳ということはあるのかな


K号
 位置:34°39′05″N 133°39′49″E(日本測地系)
    34.65461645 133.66097283(世界測地系)
更に上に大きな墳丘、大きく削られている、これ全部墳丘だとしたら石室はかなり下の方になる


北向きに開口、狭い開口部


内部は良好、床面に落ちている黒いものは先行者の落とし物のメジャー


右側壁がやや傾いている


ストロボ無し


〃懐中電灯で撮影


奥壁は四角い鏡石+平石2枚、奥壁手前の石材は何でしょう


奥から外、土砂が流入しているが右片袖かな


〃ストロボ無し


〃懐中電灯で撮影


3号
4号東側にある、上から見た墳丘


東向きに開口、ざっくり削られている、西支群は大きく削られているのが多い


開口部正面、倉庫として使われていた跡がある、しかしこんな場所でどんな使い方があったか


玄室は完存、左側に異物


〃縦位置


奥壁は巨石鏡石+詰石、何となく違和感があるのは隙間にセメントが詰められているせいか


奥から外、大きな立柱石の右片袖式


〃ストロボ無し


〃縦位置


天井石奥から、大きな隙間がある


一応異物も撮っておこ、何に使ったんでしょう


東側下から見た墳丘


1号
 位置:34°39′09″N 133°39′53″E(日本測地系)
    34.65572748 133.66208379(世界測地系)
緩い尾根先端に築かれて大きな墳丘が残る、西向きに開口、これも大きく削られている


この古墳群は開口部の向きがバラバラなのに的確に石室開口部側が掘られている


狭い開口部、入って入れないこともないですが


取り敢えずカメラを突っ込んで撮影、玄室はよく残っています


〃ストロボ無し


右側壁


左側壁、土砂が流入しているし入ったとこで玄門は殆ど埋没しているので断念


山側から見た墳丘


尾根上から見た墳丘


A号
1号脇に僅かな高まり、古墳かどうか不明


2号
1号のある尾根西側緩斜面に立地、墳丘はほぼ流失


石室前上部は壊失


石室後部はよく残る、無袖なので入るまでもなく


奥壁は2段+平石2枚、最奥の天井石が一段下がる


入らない時は右側壁を撮って


左側壁を撮ってこれで終了


東支群(仮称)
6号
 位置:34°39′08″N 133°40′00″E(日本測地系)
    34.6537832 133.66402809(世界測地系)
尾根先端辺りに立地、大きな墳丘が残る


狭い開口部、上のはまぐさ石か


激狭開口部、入った人はいるのだが前日の雨で下が濡れ入ると泥だらけになりそうなので断念


カメラを突っ込んで撮影、石室は良好、再訪するつもりだったのであまり撮らず、奥壁に何か模様がある、この後の12号でも見られました


7号
尾根斜面に良好な墳丘が残る


ここも激狭開口部


もう再訪するつもりだったので適当に撮影、一度来ると2度めのモチベーションが下がるな


8号
6,7号と同じ尾根だがこちらは尾根上に立地


尾根上側から


ここも激狭開口部


羨道はかなり埋没も玄室はそれ程でもない、左側壁が大きく傾く


奥壁上部で隙間開口


側壁の傾き具合がよく分かる、むしろこの状態で崩壊していないことに驚き


9号
前記東側尾根上、これは一番上(南)にある小型古墳


開口部、石が邪魔をしている


小型石材の玄室、入って入れないこともないがここもパス


10号
9号から北に下っていきます、これも少墳丘


墳丘は天井を僅かに覆う程度に残る


開口部正面


9号と違いこちらは平石系、奥壁は平石4段積み


11号
更に下ると大きな墳丘


東側がザックリ抉られています


僅かに石材残存、これは側壁か


12号
 位置:34°39′04″N 133°40′04″E(日本測地系)
    34.65433871 133.66513908(世界測地系)
更に下ると大きく良好な墳丘


東向きに開口、ここは開口方向がバラバラ


しゃがめば入れる開口部、今までが狭かったからもう楽々


良好に残る玄室、側壁は直立、側壁も大きく基本2段積み


ほぼ1枚石の奥壁、この模様はなんだろう、蔦が這った跡かな、こんな日が当たらない場所で成長できるのか


奥から外、左片袖式、側壁や天井も面が整えられている


〃ストロボ無し


奥から右側壁、ぶれた


〃左側壁


南側から見た墳丘、ここも尾根斜面に立地


13号
更に北側尾根斜面に緩い墳丘


南側に大きく開口、こういう場合は大抵前部が破壊されている


案の定良好に残るのは最後部だけ


天井も1枚だけ残存


ほぼ1枚石の奥壁


左側壁、小型石室なら奥壁として使えそう、側壁を正面から撮るのも滅多にない


(見学記)
総社市新本、園尾寺南方の丘陵上にある10基以上の古墳群です。中に入れる石室が幾つもありますが大きく東西に分かれています。
まずは仮称東側支群から。お寺南側に大きなため池がありそこから林の中に入っていく道があります。100m程行くと大きな墳丘(6号)山道側に狭い開口部、前日の雨で下が濡れていて入ると泥だらけになりそうなので内部はカメラを突っ込んで簡単撮影、更にすぐ上にも7号、こちらも6号と同様の状態なので簡単撮影、どちらも後日訪問するつもりだったがその前にブログアップの日が来てしまった。一度行くとモチベーションが下がるしこの狭さではもう行かないかもな予感(汗)。更に上に8号、こちらは6,7号と違い尾根上でちょっとわかりにくい。石室はあるが隙間開口、内部を撮ってみると山側側壁が大きく傾いています。奥壁側も隙間があるがこちらも入るのは無理。隙間開口でよかったが楽に入れるのなら多分入ってる(汗)。東側尾根にも幾つかの古墳がある、まずまっすぐ東に行って小さな石室に遭遇、9号か10号か、多分9号だろうと思い北側に行くと小型の石室遭遇、これで9,10号確定、場所が確定すると後は尾根上を北に下がっていくだけ。次に遭遇するのが11号、大きな墳丘が残っていますがザックリ掘られ石材が僅かに見られるのみ。更に北に12号、この支群では最大でしょうか、南側に開口、前部が破壊されていますが玄室はよく残っています。奥壁は1枚石、まるで装飾のような模様がありますが植物か何かの痕跡のようです。更に北側尾根筋斜面に13号、これも南側開口前部が大きく破壊され後部しか残っていない、これも奥壁はほぼ1枚石です。溜池堤下辺りに駐車可。
仮称西側支群、東支群とは大きな尾根を挟んだ西側に分布、だいぶ離れていて別の古墳群としてもよさそうなんですけどね。ここはかなり苦戦しました。HP「古墳奮闘」指定の駐車場所(ここも最後50mは未舗装で厳しかったけど)から山道を奥に入っていきます。多分奥にある砂防ダムの為の作業道、もう廃道同然になっています。北側から別の山道が合流してその辺りに古墳がある、と思って右側を注意していたんですが見当たらず結局砂防ダム辺りまで行ってこれは違うだろうなと思って引き返す。何とか4号を見つけて一つ見つけたら後はここの6基を見つけることができました。個々の古墳の説明は省略して3号南側尾根上に5号がありますが大きな墳丘に大きな盗掘跡、石材は全く見られません。盗掘するならもっと手前の3号や1号の方が楽だろうになんでこんな上のを盗掘した。ひょっとして未完成の古墳か。東支群の11,12号もそんな関係、奥の11号の方が盗掘されています。更に上に仮称K号があります。これも南側が大きく盗掘され下の方に開口部が見えている。中に入ってみると玄室は完存していました。この古墳群の中でも最大クラスか。しかし北向きに開口、石室の位置からして上部の墳丘が随分高いというか大きい、不思議な古墳でした。中に新しいメジャーが落ちていました。誰かが来たもようですがK氏でないのは確認している(笑)。見学が終わって車の場所に帰る際に探していた合流する山道を見つけました。痕跡道という程ではないけどこれは気がつかないわ。 
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