和田山古墳群
石川県能美市(旧寺井町)2003年5月訪問
前方後円墳1,方墳2,他
1号
円墳、R24,H5、6C前半
位置:36°26′20″N 136°30′34″E
周溝を巡らした墳丘、北陸で唯一六鈴鏡出土、幼児を埋葬

2号
円墳
復元墳丘

5号
前方後円墳、TL56,R29,RH5,FW47,FH4、5C中
位置:36°26′30″N 136°30′47″E
前方部隅から後円部、墳丘復元、後円部に粘土槨が2基ある、古墳群の中でやや孤立して存在

墳丘図(説明板より)

6号
円墳、R25,H6、6C中
復元墳丘、和田山、末寺山の中で唯一横穴石室を持つ(埋戻し)、周溝に土橋が3カ所ある

(見学記)
末寺山のすぐ南側、丘陵は一番大きいですが中央部が大きく削平されて公園となっています。北側に残った丘陵頂部にあるのが能美古墳群の中で2基しかない前方後円墳のひとつ5号墳があります。全長56m、5C中の前方後円墳で墳丘が復元されています。周囲には古墳がなく古墳群の中では孤立した存在です。
南側の丘には尾根上に古墳が集中していて幾つかの古墳が復元されています。西側の1号は六鈴鏡など豪華の副葬品が出土、幼児の歯も検出されていて子供が埋葬されていたようです。その割に古墳は立派で重要人物の子供だったのでしょうか。東側にある号は古墳群の中で唯一横穴石室を持つそうだが埋め戻されています。南側尾根先端に方墳が2基あるが後に築かれた城に取り込まれて大きく変形している。8号も城跡なのか古墳なのか分かりづらくて写真に撮れなかった。
ここの西側麓に歴史民俗資料館(無料)があります。館員の方に聞いたところ能美古墳群では今のところ見学できる横穴石室はないとのことでした。がっかり。
前方後円墳1,方墳2,他
1号
円墳、R24,H5、6C前半
位置:36°26′20″N 136°30′34″E
周溝を巡らした墳丘、北陸で唯一六鈴鏡出土、幼児を埋葬

2号
円墳
復元墳丘

5号
前方後円墳、TL56,R29,RH5,FW47,FH4、5C中
位置:36°26′30″N 136°30′47″E
前方部隅から後円部、墳丘復元、後円部に粘土槨が2基ある、古墳群の中でやや孤立して存在

墳丘図(説明板より)

6号
円墳、R25,H6、6C中
復元墳丘、和田山、末寺山の中で唯一横穴石室を持つ(埋戻し)、周溝に土橋が3カ所ある

(見学記)
末寺山のすぐ南側、丘陵は一番大きいですが中央部が大きく削平されて公園となっています。北側に残った丘陵頂部にあるのが能美古墳群の中で2基しかない前方後円墳のひとつ5号墳があります。全長56m、5C中の前方後円墳で墳丘が復元されています。周囲には古墳がなく古墳群の中では孤立した存在です。
南側の丘には尾根上に古墳が集中していて幾つかの古墳が復元されています。西側の1号は六鈴鏡など豪華の副葬品が出土、幼児の歯も検出されていて子供が埋葬されていたようです。その割に古墳は立派で重要人物の子供だったのでしょうか。東側にある号は古墳群の中で唯一横穴石室を持つそうだが埋め戻されています。南側尾根先端に方墳が2基あるが後に築かれた城に取り込まれて大きく変形している。8号も城跡なのか古墳なのか分かりづらくて写真に撮れなかった。
ここの西側麓に歴史民俗資料館(無料)があります。館員の方に聞いたところ能美古墳群では今のところ見学できる横穴石室はないとのことでした。がっかり。
末寺山古墳群
石川県能美市(旧寺井町)2003年5月訪問
前方後方墳3基は全てこの群に含まれる
5号
前方後方墳、TL30,RL21,RH5,FW6.5、4C前半
位置:36°26′41″N 136°30′45″E
復元墳丘(南側)、丘陵尾根頂に立地

後方側から前方部

6号
前方後方墳、TL55,RL35,RH5,FW20
後方部正面、5号から西に伸びる尾根上

13号
円墳
5号南側の尾根上

(見学記)
東西に伸びる尾根が南と北にあってその尾根上に古墳が点々としています。ここに能美古墳群中の前方後方墳が3基集中しています。北側の頂部にあるのが全長30mの5号墳、4C前葉の構築でこれが一番最初に作られたのでしょうか。現在墳丘が復元されています。ちょっと草茫々ですが。すぐ西側にあるのが全長55mの6号。尾根がやや下るため5号に比べて位置は低いのですが背が高くて墳頂の高度は5号とほぼ同じくらいです。5号に負けたくないと言った意識があったのでしょうか。北側の尾根から見ると更に北の平野が一望できます。そのせいでしょうか古墳はこちら側に集中し南側の尾根には前方後方墳の2号と円墳が1基しかありません。
前方後方墳3基は全てこの群に含まれる
5号
前方後方墳、TL30,RL21,RH5,FW6.5、4C前半
位置:36°26′41″N 136°30′45″E
復元墳丘(南側)、丘陵尾根頂に立地

後方側から前方部

6号
前方後方墳、TL55,RL35,RH5,FW20
後方部正面、5号から西に伸びる尾根上

13号
円墳
5号南側の尾根上

(見学記)
東西に伸びる尾根が南と北にあってその尾根上に古墳が点々としています。ここに能美古墳群中の前方後方墳が3基集中しています。北側の頂部にあるのが全長30mの5号墳、4C前葉の構築でこれが一番最初に作られたのでしょうか。現在墳丘が復元されています。ちょっと草茫々ですが。すぐ西側にあるのが全長55mの6号。尾根がやや下るため5号に比べて位置は低いのですが背が高くて墳頂の高度は5号とほぼ同じくらいです。5号に負けたくないと言った意識があったのでしょうか。北側の尾根から見ると更に北の平野が一望できます。そのせいでしょうか古墳はこちら側に集中し南側の尾根には前方後方墳の2号と円墳が1基しかありません。
秋常山古墳群
石川県能美市(旧寺井町)2003年5月訪問
前方後円墳1,方墳1
1号(秋常山古墳)
前方後円墳、TL140,R110,RH19、4C末
位置:36°26′48″N 136°31′18″E
前方部から後円部

後円部から前方部

くびれ部、左が後円部、丘陵を最大限に利用して構築、石川県最大の前方後円墳

2号
方墳、L30,H4.5、5C中
1号からの眺め、1号と共に保存整備のため発掘中

(見学記)
石川県最大の前方後円墳秋常山古墳と方墳の2号からなる。秋常山古墳は丘をそっくり墳丘に作り替えた感じでどの辺りまでが墳丘なのかよく分からない。お隣の2号墳も小丘を利用して作られているが頂上付近だけだとそれ程でもないが下まで墳丘だと相当大きそう。現在墳丘整備に向けて発掘中、特に2号はブルーシートだらけでした。
この東側の丘陵の西山古墳群があります。切石積みの横穴石室を持つ古墳があったそうだが消滅しています。
前方後円墳1,方墳1
1号(秋常山古墳)
前方後円墳、TL140,R110,RH19、4C末
位置:36°26′48″N 136°31′18″E
前方部から後円部

後円部から前方部

くびれ部、左が後円部、丘陵を最大限に利用して構築、石川県最大の前方後円墳

2号
方墳、L30,H4.5、5C中
1号からの眺め、1号と共に保存整備のため発掘中

(見学記)
石川県最大の前方後円墳秋常山古墳と方墳の2号からなる。秋常山古墳は丘をそっくり墳丘に作り替えた感じでどの辺りまでが墳丘なのかよく分からない。お隣の2号墳も小丘を利用して作られているが頂上付近だけだとそれ程でもないが下まで墳丘だと相当大きそう。現在墳丘整備に向けて発掘中、特に2号はブルーシートだらけでした。
この東側の丘陵の西山古墳群があります。切石積みの横穴石室を持つ古墳があったそうだが消滅しています。
院内勅使塚古墳
石川県七尾市 2003年5月訪問
方墳、L32,H3.5、7C前
横穴式石室、全長11.8m、玄室長4.6,幅2.5,高2.0m
位置:37°00′16″N 136°56′06″E
復元された墳丘

墳丘正面

石室正面

玄室、巨石を使った天井石、奥の1枚が一段下がっている、横幅が広い割に背はあまり高くない

奥から外

(見学記)
JR徳田駅のすぐ東側にありますが地形的に一段高い場所にあるので駅側という感じはしません。東側を通る国道159号にも案内表示が出ています。古墳は一辺32m、2段築成の方墳で墳丘が復元され石室も綺麗に整備されています。全長11.8m、両袖式の玄室で大型の石を使用、特に天井石がかなりの巨石で奥の1枚が一段低くなっているのが特徴です。玄室長4.6m、幅25mに対して高さが2mと低いのも特徴の一つ。墳丘もそうですが石室も背が高くないとそれ程大きく感じられません。側にタイル造りの説明板がありますが一部が砕かれていて古墳のデータが見られなかったよ(怒)。県史跡。
方墳、L32,H3.5、7C前
横穴式石室、全長11.8m、玄室長4.6,幅2.5,高2.0m
位置:37°00′16″N 136°56′06″E
復元された墳丘

墳丘正面

石室正面

玄室、巨石を使った天井石、奥の1枚が一段下がっている、横幅が広い割に背はあまり高くない

奥から外

(見学記)
JR徳田駅のすぐ東側にありますが地形的に一段高い場所にあるので駅側という感じはしません。東側を通る国道159号にも案内表示が出ています。古墳は一辺32m、2段築成の方墳で墳丘が復元され石室も綺麗に整備されています。全長11.8m、両袖式の玄室で大型の石を使用、特に天井石がかなりの巨石で奥の1枚が一段低くなっているのが特徴です。玄室長4.6m、幅25mに対して高さが2mと低いのも特徴の一つ。墳丘もそうですが石室も背が高くないとそれ程大きく感じられません。側にタイル造りの説明板がありますが一部が砕かれていて古墳のデータが見られなかったよ(怒)。県史跡。
須曽蝦夷穴古墳
石川県七尾市(旧能登島町)2003年5月訪問
方墳、L18.7×17.1、7C中
横穴式石室2(雄穴:T字型、雌穴:逆L字型)
位置:37°06′16″N 136°58′11″E
七尾湾を望む丘陵中腹に立地、墳丘石室が復元整備され公園となった

正面パノラマ写真

雄穴(東側石室)正面

羨道、基部に大きな石を据え上に平石を積み上げている

奥壁、T字型なので奥行きはない

玄室東側、奥壁上部の持ち送りが著しい

玄室西側

1枚石の天井

玄門(右側)

玄門(左側)

玄門上部

雌穴(西側石室)正面

羨道

羨道から玄室西側

羨道から玄室東側、低い棺台がある、逆L字型

玄室奥壁

玄室東側

玄室西側

玄門(右側)

玄門(左側)

奥から外、晴れていれば七尾湾が見通せる

整備前の墳丘(掲示板より)、天井部がかなり失われていた

石室図(掲示板より)、白が現状保存、黄は解体修理、青は復元部分

(見学記)
七尾湾に浮かぶ能登島、湾を南に望む丘陵中腹にある一辺18m、2基の横穴石室を持つ方墳です。以前は石室が共に露出し羨道天井部もかなり失われていたようですが、石室を解体修理し、失われている部分は復元、墳丘も復元して公園として公開されています。双室墳と言うことだけでも珍しいのに東側の雄穴はT字型、西側の雌穴は逆L字型と言う極めつけの珍しさです。L字型石室は幾つか見たことがありますが逆L字型石室は始めてみました。多分に墳丘と石室の大きさの関係でそれ程深い意味はないでしょうが(L字型にすると石室が墳丘西側に露出しそう)。それにしても石室が一つでもフィルムを多く消費するのに2カ所、しかも特異な石室でここだけで36枚取りのフィルムを一本消費してしまった。でも今回の北陸路で一番行きたかった場所だから満足満足。駐車場脇に蝦夷穴歴史センター(無料)があり修復の過程が写真などで詳しく説明されています。ただし開館は3月20日~11月20日まで。火水曜は休館です。国史跡。
方墳、L18.7×17.1、7C中
横穴式石室2(雄穴:T字型、雌穴:逆L字型)
位置:37°06′16″N 136°58′11″E
七尾湾を望む丘陵中腹に立地、墳丘石室が復元整備され公園となった

正面パノラマ写真

雄穴(東側石室)正面

羨道、基部に大きな石を据え上に平石を積み上げている

奥壁、T字型なので奥行きはない

玄室東側、奥壁上部の持ち送りが著しい

玄室西側

1枚石の天井

玄門(右側)

玄門(左側)

玄門上部

雌穴(西側石室)正面

羨道

羨道から玄室西側

羨道から玄室東側、低い棺台がある、逆L字型

玄室奥壁

玄室東側

玄室西側

玄門(右側)

玄門(左側)

奥から外、晴れていれば七尾湾が見通せる

整備前の墳丘(掲示板より)、天井部がかなり失われていた

石室図(掲示板より)、白が現状保存、黄は解体修理、青は復元部分

(見学記)
七尾湾に浮かぶ能登島、湾を南に望む丘陵中腹にある一辺18m、2基の横穴石室を持つ方墳です。以前は石室が共に露出し羨道天井部もかなり失われていたようですが、石室を解体修理し、失われている部分は復元、墳丘も復元して公園として公開されています。双室墳と言うことだけでも珍しいのに東側の雄穴はT字型、西側の雌穴は逆L字型と言う極めつけの珍しさです。L字型石室は幾つか見たことがありますが逆L字型石室は始めてみました。多分に墳丘と石室の大きさの関係でそれ程深い意味はないでしょうが(L字型にすると石室が墳丘西側に露出しそう)。それにしても石室が一つでもフィルムを多く消費するのに2カ所、しかも特異な石室でここだけで36枚取りのフィルムを一本消費してしまった。でも今回の北陸路で一番行きたかった場所だから満足満足。駐車場脇に蝦夷穴歴史センター(無料)があり修復の過程が写真などで詳しく説明されています。ただし開館は3月20日~11月20日まで。火水曜は休館です。国史跡。
親王塚古墳
石川県中能登町(旧鹿島町)2003年5月訪問
帆立貝式
位置:36°56′17″N 136°52′55″E
西側から、撮影地点反対側にも前方後円墳の小田中亀塚がある共に陵墓参考地

(見学記)
町内小田中、丘陵沿いに伸びる集落内の道を通っていくとあります。帆立貝式古墳ですが陵墓参考地なので外から見学するだけ。道を挟んですぐ北側にも前方後円墳の小田中亀塚古墳があり良好な姿を残しているようですがこちらも陵墓参考地です。
帆立貝式
位置:36°56′17″N 136°52′55″E
西側から、撮影地点反対側にも前方後円墳の小田中亀塚がある共に陵墓参考地

(見学記)
町内小田中、丘陵沿いに伸びる集落内の道を通っていくとあります。帆立貝式古墳ですが陵墓参考地なので外から見学するだけ。道を挟んですぐ北側にも前方後円墳の小田中亀塚古墳があり良好な姿を残しているようですがこちらも陵墓参考地です。
岡野山古墳群
石川県中能登町(旧鹿島町)2003年5月訪問
(画像無し)
見学記
国道を更に1km程行くと滝尾小学校があります。この西側に2号墳があります。上に石碑が建っていて説明板もありますが前方後円墳の1号墳は分からなかった。
(画像無し)
見学記
国道を更に1km程行くと滝尾小学校があります。この西側に2号墳があります。上に石碑が建っていて説明板もありますが前方後円墳の1号墳は分からなかった。
水白鍋山古墳
石川県中能登町(旧鹿島町)2003年5月訪問
前方後円墳、TL64,R51,FW58、5C前半
位置:36°57′01″N 136°53′50″E
北側から

南側から、前方部は消滅

(見学記)
亀塚から丘陵沿いに走る国道159号を2km程北西に行くと右手にあります。いかにも古墳ぽい姿をしているのですぐ分かります。全長64mの帆立貝式ですが前方部らしきものはわかりませんでした。以前は径50mの円墳と思われていたようです。後円部は良好に残っていてこのような場所には大抵上に神社なり祠などがあるものですが、そう言うものは全くなく上に上がる道もありませんでした。町史跡?。
前方後円墳、TL64,R51,FW58、5C前半
位置:36°57′01″N 136°53′50″E
北側から

南側から、前方部は消滅

(見学記)
亀塚から丘陵沿いに走る国道159号を2km程北西に行くと右手にあります。いかにも古墳ぽい姿をしているのですぐ分かります。全長64mの帆立貝式ですが前方部らしきものはわかりませんでした。以前は径50mの円墳と思われていたようです。後円部は良好に残っていてこのような場所には大抵上に神社なり祠などがあるものですが、そう言うものは全くなく上に上がる道もありませんでした。町史跡?。
小竹ガラボ山古墳
石川県中能登町(旧鹿島町)2003年5月訪問
前方後円墳、TL48,R28
位置:36°57′10″N 136°54′06″E
南側から、前方部は消滅

西側から、横穴式石室があるそうだが

(見学記)
国道を更に500m程行くと右手の集落背後の水田の中に小さな墳丘があります。全長48mの前方後円墳だそうですが前方部は消滅、後円部もすっかり小さくなっているようです。横穴石室があるそうだが存在は全く分かりません。側にあった古い説明板では径20mの円墳となっていました。
前方後円墳、TL48,R28
位置:36°57′10″N 136°54′06″E
南側から、前方部は消滅

西側から、横穴式石室があるそうだが

(見学記)
国道を更に500m程行くと右手の集落背後の水田の中に小さな墳丘があります。全長48mの前方後円墳だそうですが前方部は消滅、後円部もすっかり小さくなっているようです。横穴石室があるそうだが存在は全く分かりません。側にあった古い説明板では径20mの円墳となっていました。