中尾池南古墳群

福岡県みやこ町(旧勝山町)2022年3月訪問

(仮称中群)(中尾池南古墳群)
その7
 横穴式石室
 位置:33°41′21″N 130°53′31″E (日本測地系)
    33.69273321 130.88901781(世界測地系)
中央の溜池に向かう往路では見逃し復路で見つけました


正面に見えているのが奥壁


玄室は大きく破壊、天井石が1枚傾いている


奥壁は大きさの割には薄い


左側壁、玄室は背が高そう


玄門奥から


こちらが本来の開口部正面


玄門から玄室内部


(仮称東群)(勝山町遺跡分府図に記載なし)
その8
 横穴式石室
 位置:33°41′22″N 130°53′24″E (日本測地系)
    33.69245548 130.88957331(世界測地系)
小丘の上に3基の石室墳、これは一番西側


石室内部、奥壁は1枚石


奥から外、両袖式、閉塞石が残っている


ストロボで撮影


玄室奥から右側、前室側壁っぽい


こちらも同様、でも前室後室の区別はない


露出した天井石を上から


その9
 複室横穴式石室
すぐ東側に良好な墳丘


反対側に廻ると石室開口、全部は基部しか残っていない


開口部正面


石室内部、一見して複室石室


〃ストロボ撮影


前室玄門、真正面に後室奥壁が見えている


前室天井、それ程高くない


鏡石らしい巨石1枚石


〃縦位置


奥から外、やはり右袖が大きい


前室奥から、こちらも右が大きい


奥から前室左側、ストロボ無しではさすがにブレた


〃右側、前室が割りと大きい


その10
 複室横穴式石室
更に東側にも良好な墳丘


前部は破壊埋没、閉塞石が残っている


開口部、正面から


石室内部、ここも複室、前室後室とも真っ直ぐです


前室、正面に奥壁が見えている


天井石は1枚だが高くない


前室右側壁


〃左側壁、どちらも下部は1枚石で前室らしい


後室、半円形の鏡石、上に小型石材を重ねる


〃縦位置


玄室天井


奥から外、両袖式、ここは左右ほぼ同大


前室奥から、閉塞石がはっきり


その11
更に東にかなり破壊された墳丘


幅が狭いからこれは羨道か


その12
その8西側に石仏がありました、土台の石が石室石材っぽい


石室そのものではなく石室石材を利用しているかも


その13
その8から斜面を下っていくと石室開口、喜びのあまりここで根に引っ掛けて転倒(汗)


狭い開口部


玄室内部、手前の石は閉塞石が流れ込んだかも


右側壁


左側壁


奥から外、両袖式、閉塞石が残る、単室かも


奥から左


奥から右、こちらの方が面が整っている


玄室天井、大きな1枚石


その14
更に側に大きく抉られた跡


奥の方に開口部、さすがに入るのは無理


内部は埋まらずよく残っている


(仮称西支群)(トウテ池南古墳群)
その1
 複室横穴式石室
 位置:33°41′22″N 130°53′24″E (日本測地系)
    33.69273318 130.88762906(世界測地系)
これが一番わかりやすく墳丘や石室の状態もいい


複室石室で羨道は上部壊失、手前がやや開いているか


前室、左右側壁は殆ど引っ込んでいない、まぐさ石がなく羨道天井石が見えている


前室右側壁


〃左側壁、どちらも普通の側壁的な積み方


天井は前室らしく狭くやや高い


後室、2段積みの奥壁


奥から外、両袖式、左右の幅が違うのはこの地域ではよくある


狭く1枚石の天井石


前室奥から


〃縦位置、天井が高いのが分かる


その2
林道を行くと右手に明らかに石室、墳丘は全く見当たらず


これが奥壁、前部は林道で破壊のようだ


左側側壁


その3
更に進むと左側に石室残骸、これも墳丘は殆ど残っていない


正面から、後方にその4


開口部辺り、内部は殆ど埋没


なんとか奥壁上部が見えている、天井石が傾き落下寸前


露出した天井石


その4
多少墳丘が残るが石室上部露出


最初はここが奥壁かと思いましたが何か変


側壁の一部のようです


こちらが正面側のようです、すっかり埋没


その5
これははっきりした墳丘


左側が削られているが石材見られず


その6
二又に分かれた林道を左に行くと石室、これは奥壁側で大きく破壊、最初見逃し後から見つけたのでその5と前後関係が不明


羨道埋没、前は谷になっている


正面から


天井石かまぐさ石か、滑り落ちかけている


羨道にしては幅が広い感じで前室の可能性もあるかも


玄室は玄門と側壁の一部が残るのみ


(見学記)
みやこ町勝山松田、溜池の中尾池周辺にある古墳群です。でも同じような3つの溜池があるからどれが中尾池かわかりません(どうも中央のが中尾池のようです)。東側の集落内の狭い道を通り農地の中の狭い道を行き林の中を抜けていくと正面に古墳が見えます、ここに駐車可、ここは障子ヶ岳登山口のようです。我ながら細い道を通ってよくこんな奥まで来たなと思う、途中で車を止める場所が殆どなかったということもあるけど。でもこの幸運が逆に苦労の始まりだった(汗)。この側の溜池が中尾池だろうなということにして周辺を捜索、林道をそのまま西に直進すると右側に1基、左側に2基の石室が露出、墳丘は殆どなく半壊状態の石室が露出しています。更に行くと溜池があり道が分かれる、右が障子ヶ岳、左が太宰官道の案内板、左側に行くとすぐ左手にやはり半壊状態の石室(最初は見落としたけど)、後はなさそうです。右側の道を行き溜池西端から北側の尾根に登る道があったので行ってみました。さすがにこの尾根は高すぎるし古墳はないだろうなと思いつつ歩きやすい藪だからつい歩いてしまった。怪しいのが1基あったけど多分古墳ではないかな。下側の斜面も急すぎてなさそうなので車に戻ってみました。こういう時は探す場所が根本的に間違っていることが多い。林道を戻ってみると北側の溜池に行く分かれ道があります。この溜池脇の道を歩いていると山側斜面に半壊石室がありました。この奥まで行ってみたがなにもなさそう。元の分かれ道に戻り更に集落方向に戻ろうとすると山側少丘陵上に丸い墳丘が見えている、これかと思って登ってみると確かに石室がありました、中に入れるのが3基、かなり破壊されているのが1基あります。更に最初の1基の背後にも石像が立った土台が石室か石室石材利用か。斜面を下って下の道に降りようとしたら段差があり下に開口していました。危なく見逃すとこだったでラッキー、でも斜面で根っこを引っ掛けて転倒仕掛けた(大汗)、右手にカメラを持っていたのでそちらを保護しようと左から倒れて左肩強打、暫く痛みが続きました。上のは複室ですがこれは単室のようです。更に直ぐ側にもう一つ開口、入り口が狭いので中には入りませんでしたが石室は良好のようです。国土地理院2万5千分の1地形図を見てもこの小丘の存在は殆どわかりません。今日はここが最後だったのでしつこく探してみましたが大正解でした。
今年(22年)のいつ頃からかわかりませんがグーグルマップで苅田町、行橋市、みやこ町辺りを見るとやたらめったら古墳が出てきます。なにかの資料によるのか実際に訪問して確認しているのかわかりませんが今年3月見つけた綾塚西古墳群(仮称)も二又池南古墳群となっていました。3月訪問した時は地主さんがまだ遺跡登録されてないと言っていたんだけどな、その後登録されたのか。この中尾池南古墳群もトウテ池南古墳群(その1-5),中尾池南古墳群(その6),上野西古墳群(その7-14)となっています。
(追記)23年1月現在、グーグルマップに載っていたこの辺りの古墳はそっくり削除されています

大原八幡神社古墳

福岡県みやこ町(旧勝山町)2022年3月訪問

 位置:33°41′06″N 130°55′25″E (日本測地系)
    33.68828975 130.92123728(世界測地系)
鳥居後方の森が古墳かと思ったが違ってた、説明板も神社ので古墳のは全く無い


境内に入るとすぐ左手、石碑の背後に墳丘


反対側から見ると古墳らしく見えます、石材とか一切見られず


古墳だけでは寂しいので神社を撮影、大きな拝殿


龍の彫り物が見事です


天井には多数の絵馬


背後の本殿も大きく立派


(見学記)
みやこ町勝山大久保、大原八幡神社境内にある古墳です。地図だけ見ると低地にある古墳かと思いましたが現地に行ってみると低く広がった丘陵の端辺りに立地でした。鳥居をくぐって本殿手前の左側に墳丘が見えています。神社側から見ると良好のようですが反対側は少し削られています。墳形からして横穴石室かと思いましたが主体部は抜き取られているようです。周りに小円墳もあったそうですが消滅のようです。古墳は地味ですが神社本殿や拝殿天井絵はなかなか見事です。ストリートビューで見ると前の道路はすごく狭そうに見えましたが実際はそれ程でもなく短時間なら駐車可。

勝浦高原古墳群

福岡県福津市(旧津屋崎町)2022年1月訪問

勝浦高原古墳群
その1
 前方後円墳?
 位置:33°50′17″N 130°29′24″E(日本測地系)
    33.84132012 130.48765797(世界測地系)
分布が全くわからないので適当に行くとこの標識がありました、津屋崎古墳群国指定史跡と書かれています


階段を上がると墓地の中に墳丘、前方後円墳?


前方部とおぼしきものは低平


後円部は復元か元のままか


ここにも津屋崎古墳群の標識


その2
 横穴式石室
適当に林の中に入るといきなり石室に出会った


反対側、こちらが奥壁側か


内部は埋没


石室側面、あまり長くない


その3
更に行くと大きな墳丘


「前方後円墳集成」だと津屋崎33号が前方部を失い後円部46m,高9mだそうでこれでしょうか


墳頂は広い平坦面になっています、特徴的な枝振りの木だけが目立ちました


(見学記)
福津市勝浦、溜池の牟田池南側にある古墳群で十数基あるそうですが詳細が分からず取り敢えず行ってみました。国道から東の脇道に入り溜池土手下の道を行き丘陵を少し登ると国史跡勝浦高畑古墳群の札が立っていました。階段を登ると墓地、その先に古墳を思わせる墳丘がありました、西側に伸びるのが前方部でしょうか、低平で端が広がらず柄鏡式の前方後円墳のように思えました。ここも国史跡の札はあるが説明などは一切なし。更に東側の林に入るといきなりすっかり露出した横穴石室がありました、内部は埋まっていますがこれは意外でした。更に東側に大きな円墳、最初の前方後円墳の後円部より大きそう。3段築成で墳頂部は広く平坦、いかにも古式な円墳のようです。ただ「前方後円墳集成」によると津屋崎33号が前方部を失った前方後円墳で後円部径46m、高9mとありこれはそれくらいの規模がありそう、これが33合でしょうか。取り敢えず見つかったのはこの3基だけ、状況が全くわからなかったので3基だけでも十分でした。墓地まで車で入っていけるようですが駐車場はなし。

勝浦峯ノ畑古墳・勝浦井ノ浦古墳

勝浦峯ノ畑古墳(津屋崎41号、勝浦14号)
 前方後円墳、TL97,R58,RH6.8,FW54,FH6.5
 位置:33°50′04″ 130°29′16″(日本測地系)
    33.83770932 130.48543602(世界測地系)
北側側面、中央がくびれ部辺り、手前の段は古墳時代のか後世のか


前方部隅から、すごく長い


上にもう1段ありました、こちらも細長い


上段に上がって端から後円部


後円部上段はそれ程高くない、奥は国道で少し削られているようだ


北側平坦面、後円部から前方部


前方部側から後円部、石室は埋戻し


勝浦井ノ浦古墳からの長め、車辺りが国道の最高所、尾根筋に立地がわかります


勝浦井ノ浦古墳(津屋崎10号、勝浦12号)
 前方後円墳、TL70,R37,RH6,FH4.5
 竪穴系横口式石室(埋戻し)
 位置:33°50′03″ 130°29′20″(日本測地系)
    33.8374316 130.48654706(世界測地系)
勝浦峯ノ畑古墳からの遠望、右が前方部


前方部から後円部、非常に幅が狭い


くびれ部辺りから後円部


後円部上段


墳頂は広い平坦面、浅く窪んでいる


後円部斜面に葺石露出、丸みを帯びた海岸の石でしょうか


後円部は2段築成


東側から見た前方部側面


前方部横から後円部、前方部と後円部のバランスはいいけど細さが目立ちます


(見学記)
福津市勝浦、須多田古墳群から国道495号を北上、途中新原・奴山古墳群を通り過ぎ更に北上、ゴルフ場西側辺りで国道が尾根を越えて峠になっているような場所の両側に2基の前方後円墳があります。西側のが勝浦峯ノ畑古墳(津屋崎41号、勝浦14号)、全長97mの前方後円墳ですが後円部は道路で半分くらい削られています。古式の横穴石室がありますが埋め戻されてその存在は全くわかりません。パッと見て前方部が異常に長い、後円部が削られて小さくなっているとは言えやはり長い、2段築成のように見えますが周りの平坦面も墳丘の一部なんでしょうか。国土地理院陰影図で見ると幅広い下段が見えているから細長い部分は上段のようです。
国道を隔てた東側に勝浦井ノ浦古墳(津屋崎10号、勝浦12号)があります。一見して尾根切断型の前方後円墳だとわかります、全長70m、後円部は状態がよく3段築成、一部葺石も見られます。前方部は長さはともかく異様なくらい幅が狭い、くびれ部なんて2,3mくらいしかないんじゃなかろうかと思う程です、削られた様子もなく元々の形でしょうか。峯ノ畑北側50m程に駐車スペースあり。

須多田古墳群

福岡県福津市(旧津屋崎町)2022年1月訪問

前方後円墳5,円墳1基

分布図
ニタ塚説明板に載っています、画面上が東


(見学順)
須多田ニタ塚古墳
 円墳、R34、5C後半
 竪穴石室(埋戻し)
 位置:33°47′53″N 130°28′42″E(日本測地系)
    33.80132457 130.4759933(世界測地系)
県道脇に標柱、奥に大きな墳丘が見えている


群中最初に築かれた


南側に前方部の痕跡がある様に見えるが円墳、円墳と確定してなければ前方後円墳と思われるかも


周辺部がかなり削られています、これだけの規模なのに国土地理院陰影図では出て来ない、ニタ塚や下ノ口古墳は出ているのにね


須多田ミソ塚古墳(須多田16号)
 前方後円墳、TL60,R22,RH4,FW25,FH4(現状)
 位置:33°47′51″N 130°29′00″E(日本測地系)
    33.80076921 130.48099285(世界測地系)
ニタ塚辺りからみた墳丘


真横から、何故かこの古墳の時だけ鮮明に撮れてないな


後円部、右後方にニタ塚


_2と反対側から


須多田下ノ口古墳(須多田15号)
 前方後円墳、TL82,R44,RH5.6
 位置:33°47′52″N 130°29′03″E(日本測地系)
    33.80104698 130.48182609(世界測地系)
大きな後円部が残るが前方部削平


中断に神社があり大きく削られる


社殿背後に墳丘上段、半分以上削られる


巨石が露出


薄い板石、横穴式石室だそうで天井石か奥壁か


須多田天降神社古墳
 前方後円墳、TL80,R43,FW56,FH3.5(現状)
 位置:33°47′59″N 130°29′01″E(日本測地系)
    33.80299116 130.48127054(世界測地系)
古墳周辺は神社の森になっている、扁額は天降天神社となっている


社殿背後に大きな後円部


前方部も良好


右が前方部、左が外堤か丘陵削り残しか


前方部から後円部


後円部から前方部、後円部がだいぶ高い


後円部に大きな盗掘跡


社殿背後の祠の天井、まづ石室石材でしょうね


この形状だと竪穴石室天井石かな


須多田上ノ口古墳
 前方後円墳、TL40,R16,RH8,FW25,FH7
 位置:33°47′59″N 130°29′12″E(日本測地系)
    33.80299124 130.4843258(世界測地系)
路地を入ると行き止まりに石の祠、この右奥にある


竹が密生して墳丘がよく見えず、多分正面が前方部正面


前方部から後円部


更に接近して後円部


後円部から前方部


後円部頂きにあった祠、右側の石が古墳関連の可能性があるかも


剣塚古墳
 前方後円墳、TL85,R36.5,RH7,FW57.5,FH5.5
 位置:33°47′39″N 130°29′17″E(日本測地系)
    33.79743642 130.48571471(世界測地系)
後円部北側から、道を間違えてこれを見つけてホッ


後円部正面、手前が下段か


後円部脇から前方部、二段築成のようです


長い前方部、上部は平坦


後円部から前方部、端が広がっている


前方部から後円部


前方部端から後円部


前方部隅から後円部


道路からの遠望、前方部の長さがよく分かる、宮崎県持田古墳群計塚に似ている


その他の古墳
剣塚からの帰りに林の奥に高まりがあった


短い尾根先端、まず古墳ですね


下側から


(見学記)
福津市須多田、丘陵西側に広がる緩斜面上に分布する前方後円墳5、円墳1からなる古墳群で全て国史跡となっています。

須多田ニタ塚古墳
国道495号沿いに説明板があり簡単な分布図もあります、案内板とかは特にありません。事前に衛星写真で見ているとよくある畑の中の墳丘だと思っていましたが現地で見ると意外と大きな円墳でした。でも国土地理院陰影図で見ると全く見えていない、ミソ塚や下ノ口古墳は見えているが天降神社古墳も見えていない。微妙に等高線に引っかかってないんでしょうか径34m、竪穴石室を持ち群中最初に造られた古墳だそうです。2重周溝を持つそうですが耕地整理されている為現状ではその痕跡は全くわかりません。

須多田ミソ塚古墳
ニタ塚から東方400mに墳丘が見えています。ほぼ裸の状態ですが藪に覆われ上には上がれません、細長そうな墳形だなと分かる程度です。墳丘図を見ると南側がだいぶ削られているかもしれません。

須多田下ノ口古墳
ミソ塚すぐ北東側にある前方後円墳ですが前方部壊失、後円部も上部が半分くらい削られ群中では一番状態が悪い。上に社殿、その背後の削られた面に平石が1枚転落状態でありました、石室石材かな。横穴式石室だそうです。この南側に駐車スペースがあります。

須多田天降神社古墳
下ノ口古墳北方100mに天降天神社がありその背後にあります、鳥居前に説明板があるようですが見逃した(汗)。墳丘は非常に良好、前方部も橋の方が高くなる様子がわかります、後円部頂がやや窪んでいますが竪穴石室が中央にあるとしたら盗掘なら外しているかな。南側に周溝、と言っても元の地形を採土の為削った跡のようです。後円部南側に祠が並びその一つの屋根が平石で石室石材を使ったのかもしれません。説明板や前方後円墳集成では古墳名は天降神社古墳となっていますが神社の扁額は天降天神社となっています。

須多田上ノ口古墳
上記神社東方200mにある前方後円墳ですがここが一番わかりにくい。集落内の道路を行くと公民館がありその正面の脇道に入り更に右に細い道に入ると竹林内に祠があります。その右手側にありますが竹林が密生し倒竹も激しく移動するだけでも困難で写真を撮っても何を撮ったのやらさっぱりわかりません。墳形自体は割と良好に残っているようです。

剣塚古墳
これはやや離れた丘陵上にあり須多田地区ではないので須多田の名前はついていません。群中最大の前方後円墳で保存状態もよい、後円部に比べて前方部が随分長い、上部も平坦面になっています。宮崎県の計塚古墳に似た印象を受けました。グーグルマップの衛星写真だと墳丘の様子がわかりますが(最初に衛星写真で探そうとするとわからないかも)ストリートビューでは樹木の葉が茂っていて墳丘が見られません。
ここはナビで案内させようと思いましたが細い道の上にかなり遠回りするルート、それでも従っていくと途中最接近した辺りで丘の上に登る道がある、ちょうど駐車スペースもあったので車を止めてその道を歩いて行きました、農作業用の道のようで行き止まり、仕方なく急斜面を登って尾根の上に登ったら尾根ではなく高台、そこにはナビが案内していた道路もありました、それ程狭い道でもないじゃないか、近道しようとして余計な時間を喰らいました(汗)。帰り道に小型の古墳を見かけたから良かったけどね、陪墳と言うには距離がだいぶ離れています。ミソ塚が別名須多田16号となっているのでもっと小型古墳があったんでしょうね。古墳が見える辺りの道路で駐車しても特に問題なし。

須賀神社古墳群(仮称)

福岡県宗像市 2022年1月訪問

(王丸梅ノ木谷遺跡)
 4基

(見学順)
入り口
南側妙見神社から入っていく、北側にある須賀神社でもいい


その1
 横穴式石室、長2.5,幅1.5,高2m(目測)
 位置:33°46′43″N 130°32′53″E(日本測地系)
    33.78188346 130.54571022(世界測地系)
妙見神社社殿背後の崖に穴、横穴だと思ったけどこちらからでは近づけず


帰りに社殿右側から


横穴石室で間違いなかった、でも殆ど埋没、前の写真で石室下方に石材が落下している


その4と同じく背の高い石室だったようだ


背後から見た墳丘はよく残っている


その2
丘陵頂部に墳丘状の高まり


反対側から、石材は全く見られず


その3
その2から北側に尾根筋を下っていくと高まり


左(西側)が大きく削られている、石材は全く見られず


下側から、右後方にその2


その4
これでよく残ったなと思う程の状態の悪さ、背後は崖になっている


石室正面から、羨道は殆ど壊失


玄門、全体に小型割石、まぐさ石だけ目立つ


奥壁右側が開いているが外観からは想像できないほど石室の状態は良い


〃縦位置、幅の割に背が高い、と言っても全体が小型なので高2m程度


狭い天井、左が入口側


奥から外、両袖式


玄室上部、入口側


側壁、割石積みの様子


奥壁側外から、これでよく崩壊しなかったものだ


奥壁側開口部


奥壁開口部から見た内部


側壁に何故か異質な石材が埋め込まれている、むしろ奥壁鏡石上段に使ってもよさそうなんだが


(見学記)
宗像市王丸、小さな独立丘陵上にある古墳群で4基確認できました。古墳群名は不明ですが遺跡名としては王丸梅ノ木谷遺跡となっています。まずは南側にある妙見神社に登ろうとしたら石段左側斜面が崩壊、ブルーシートで覆われていましたが石段も危険な状況、普通なら通行止めになりそうな状態でした。階段を登ると上に古そうな拝殿、取り敢えず左側の林の方を通りやすそうなのでそちらに行きましたが拝殿背後が大きな墳丘で南側が大きく削られ石室が開口していました(仮1号)。こちらからは近づけないので右側から接近、確かに横穴石室、どうやら背の高い玄室後部の上部が残っているようです、とこれは仮4号の石室を見た後だったのでわかること、最初からこれを見ると石室の入り口かどうか悩んだかもしれません。更に登っていくと丘陵最高所にも墳丘、大きさの割には背が低く石材は全く見当たりません(仮2号)。更に北に少し下ると小さな平坦な墳丘、盗掘跡もありますが石材は全く見当たらず、木棺直葬でしょうか(仮3号)。北側に隣接して仮4号、こちらは石室が開口しています。羨道はほぼ壊失ですが玄室は奥壁に隙間があるけどほぼ良好に残っています。目測で長2.5,幅1,高2m程、幅の割に背が高く天井は狭く細長い、このタイプの石室はたいてい大型のが多いのですがこんな小型のは初めて見ました。丘陵が急斜面なので大型石材を運び上げるのが無理だったのでしょうか。構造以外に興味深いのが左側壁、中段下辺りに四角い石がはめ込まれています、他の石材は小型ばかりなのでこれだけ異色、奥壁最下部の腰石が同じ形状なのでそれに使うつもりが余ったので使ったのでしょうか。奥壁石材が一部が抜かれそこから出られます、入るのもこちらからの方が楽です。しかし尾根の幅も狭くよくこんな場所に作ったものです。同じ場所に築かれていますが仮1,4と2,3はかなり年代差がありそうです。4号から降りていくと須賀神社、登るのもこちらからの方が楽かもしれません。こちらの神社鳥居前まで車で入ってこれないこともないですが西側に許斐公園の駐車場があるのでそちらの方がお薦めです。

二又池南古墳群

福岡県行橋市 2022年3月訪問
(追記)タイトルを仮称綾塚西古墳群から二又池南古墳群に変更しました

全景
綾塚手前、農地に入っていく道の先に、墳丘らしきものが見えていました


明らかに墳丘、奥にもう1基見えています


県道から見るとこの状態、車で走りながらだとまづ気が付きません


その1
 複室横穴式石室
 位置:33°42′05″N 130°55′09″E(日本測地系)
    33.70467668 130.9167927(世界測地系)
石室まで開口していました


開口部正面、屈めば入れます


前室、左側壁が倒れかけている


前室天井は狭く高い


玄室はあまり奥行きはない、小型の石室にしては珍しい長三角形の奥壁


〃ストロボ、縦位置


玄室天井も狭い


奥から外


玄室奥から右方向


〃左方向


前室奥から


前室天井奥から


手前がその1、奥がその2、墳丘背後は平坦面になっている、当時のままでしょうか


その2墳頂から見たその1


その2
墳丘前面が削られ石室も大きく破壊


開口部正面


こちらはやや奥行きのある玄室


小型ながら天井石は1枚石


右側壁


左側壁、風化があり岩質が悪そう


奥から外、単室っぽい


〃ストロボ無し、表面の剥離が目立ちます


背後の墳丘はよく残る


その1墳頂から見た墳丘


その3
その1の後方に墳丘


盗掘で割れている


その4
最高所に比較的大きな墳丘


これも盗掘があるが石材見られず


東側は削られている


その5
西側にも低い墳丘


反対側から


その6
西端に墳丘、この先は丘がない


反対側、下から


その7
北側背後に低い墳丘


まず古墳でしょうか


(見学記)
コフ友さんを案内して綾塚古墳に行ってきました。専用駐車場から道を歩いていくと正面林の中に墳丘が見えている、それも2基も。なんで今まで気が付かなかった(理由は後述)。小丘陵裾に構築、右側は複室石室で奥壁も1枚石ですが天井は前後ともそれ程高くはありません。左側のは前部が削られ石室も破壊されていますが玄室完存、ただ石材も小型で積み方も粗く花崗岩は表面が剥離しているなど質が悪く隣の石室と比べて見劣りがします。背後にも墳丘が幾つかありました、丘陵から突き出た小さな半独立丘陵のような場所で平坦面に5基確認できました。どれも低平な墳丘で石材も見られず石室があったとも感じられません。ただ頂部にあるのはやや大きく高さもありますが頂部に盗掘坑もありますが石材は見られませんでした。ちょうど地主さんに出会って話を聞くことが出来ました。なんでも3,4年前専門家の方が綾塚を訪問した際、あのような古墳なら近くにも古墳があるかもしれないと聞かれて教えたそうです。その際ヒノキの枝の一部を伐採して見学しやすくしたとか。見学者も増えてその際タバコの火でヒノキが焼けたこともあったとか。普通なら入山禁止にしそうですがそのまま見学させてもらったことに感謝です。でも町にも届けて遺跡地図に載せるはずが未だに載ってないとか。ストリートビュー(13年12月当時)でもこの場所を見ることが出来ますが墳丘はまずわかりません。以前気が付かなかったはずだ、とホッ(笑)

徳永夫婦塚古墳

福岡県行橋市 2022年3月訪問

 前方後円墳
 位置:33°44′29″N 130°55′47″E (日本測地系)
    33.74467276 130.92734579(世界測地系)
近くの前方後円墳と同じく急傾斜で立ち上がる墳丘、北側でこちらが後円部


南側、前方部端


前方部から後円部


後円部から前方部、上から見た方が前方後円墳らしく感じます


前方部石室開口部、手前の天井石は転落か、こちらを先に見つけました


多少埋まっていますが入室に問題なし


開口部から覗くと複室なのが分かります


前室、石材は割と大きい


後室、大型石材を据え上にブロック状の石を重ねる


右側壁


左側壁


天井、左が奥壁側、四角とか楕円状とかが多い中でこのような形状は珍しい


奥から外、左右の袖石の大きさがやや異なる


前室奥から


天井は広いがそれ程高くはない


奥から前室右側


〃左側、石材の大きさが随分異なる


後円部開口部、まさかまさかの双室墳


こちらも複室でした


前室


後室、ややいびつなおむすび型の鏡石、鏡石以外は前方部石室と変わらず


〃縦位置、大人の背丈程度の高さ


天井石、こちらは四角、左が奥壁側


奥から外


前室奥から


一段高い天井


奥から前室左方向


〃右方向、こちらも左右で積み方が多少異なる


羨道奥から


2ヶ所の開口部を一画面に収めたかったが無理でした


(見学記)
自治体は違いますが同じ丘陵上の至近距離に2基の前方後円墳があるし墓地には古墳らしきものもあるし古墳群を形成しているようなので他にまだあるかなと思って探してみたらほんとにありました。これだけでも心のなかでピースサイン(笑)、規模はやや小さいですがこれも墳丘が急傾斜に立ち上がっています。裾をグルっと回ってみると東側に石室開口、中にはいってみると本格的な複室石室です。これだけでもバンザイ物なのに更にもう一つ開口していました、こちらも複室石室、まさかまさかの双室墳で万々歳でした。これ程の古墳が殆ど知られてないとはね。墳丘上に上がってみると前方後円墳のようにも見えます、北側が後円部かな、ハッキリしないけど。しかし軽い気持ちで探してみたけどこれ程の大物を釣り上げるとは。前方後円墳を夫婦塚ということはよくあるし双室墳を夫婦塚と名付けることもあります。すぐ北側の貴船神社のも前方後円墳の双室墳だしそれを黒添夫婦塚と間違えられることもあるしこの辺り名前が混乱しているのかもしれません。行橋市歴史資料館に問い合わせたところ徳永夫婦塚古墳と教えてもらいました。

徳永丸山古墳

福岡県行橋市 2022年3月訪問

 前方後円墳、TL40程
 位置:33°44′26″N 130°55′39″E (日本測地系)
    33.74383948 130.92512378(世界測地系)

竹林の中に墳丘、前方部は西向きなのでこれは前方部


前方部隅、これも急傾斜で立ち上がる、すぐ北側にある黒添夫婦塚と似たような墳形


前方部から後円部


後円部から前方部、端が随分高くなっている


後円部頂きが大きく窪む、石材見られず


国土地理院陰影図の様子

古墳
西側墓地の中にも古墳がありました


周囲が大分削られているようです


反対側から


石材露出、この辺りの石室でよく使われる花崗岩


(見学記)
苅田町の黒添夫婦塚古墳の谷を挟んだ南側に前方後円墳の徳永丸山古墳があります。竹林の中で写真は非常に撮りづらいですがこちらも全長40m程の墳丘が良好に残っています。夫婦塚と同様これも墳丘が急傾斜で立ち上がっています。上に上がってみると後円部端が随分高くなっている、後期の前方後円墳はその傾向がありますがこれは極端です。後円部頂きには溝状の盗掘坑がありますが石材は全く見られません。これも墳形から横穴石室が期待されますが戦時中防空壕の建設の際石室が出たとか、防空壕なら墳頂を掘ることはないだろうから横穴石室でしょうか、ただ現在は全くその存在はわかりません。国土地理院の陰影図を見るとこちらはハッキリ前方後円墳の姿が分かりますがほぼ同規模の黒添夫婦塚古墳は殆どわかりません。

黒添夫婦塚古墳

福岡県苅田町 2022年3月訪問

 前方後円墳、TL40程、4C前半~中
 位置:33°44′31″N 130°55′42″E (日本測地系)
    33.74522824 130.92595699(世界測地系)

林の中に背の高い墳丘が残る、前方部は東向きなのでこれは後円部


前方部隅から後円部、墳丘は急傾斜で立ち上がる


北側から、右が後円部、背の高い様子が分かるけどこれで4C?


後円部脇から前方部


前方部斜面から後円部


前方部から後円部


後円部から前方部、右側白く見えているのはもう行橋市


(見学記)
苅田町黒添、低い丘陵上にある全長40m程の前方後円墳です。以前北側の貴船神社にある双室墳の前方後円墳を黒添夫婦塚古墳としていましたがそこは地名が法正寺で黒添とは違う、どうやらあちらは法正寺貴舟古墳のようでした。なので本物の夫婦塚を訪問してみました。「前方後円墳集成」の地図にピッタリの位置にありました(あの地図は時々間違えることもある)。墳丘の保存状況はよさそうですがどちらが後円部か前方部が分かりにくい、西側が後円部でしょうか。見てすぐ気がつくのは墳丘がすごく立ち上がっていること、全周どこも急傾斜です、周りの様子からして周囲が削られたとも思えず元々このような状態だったんでしょうか、よく崩れずに残ったなと思うレベルです。上にあがっても平田面はあまりなく横穴石室が想像されますが入り口らしい場所は全く見当たりません。軽自動車ならば西側の墓地に駐車スペースあり。
(追記)以前は6C中の古墳と言われていましたが4C前半~中の古墳だとのことです、横穴石室はなさそう。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示