長井戸古墳

宮城県亘理町 1989年3月訪問

前方後方墳、TL40,R24,FW15,RH3,FH1.7
長井戸古墳群主墳、他に円4、方1
位置:38°00′41″N 140°51′45″E

前方部から後方部、前方部が幅広くテラスの様


(見学記)

小学校裏の南北に伸びる尾根の頂より南側のやや低いところにある前方後方墳で全長40mです。竹林に覆われた後方部ははっきりしていますが前方部は低く平らで余りはっきりしません。北側尾根沿いに4-5基の古墳があり古墳群を形成しています。

鳥屋八幡古墳(鳥屋八幡1号)

宮城県大和町 1986年12月訪問、1991年再訪

円墳、R18、8C
位置:38°24′23″N 140°56′01″E

墳丘、石室正面、非常に良好に残っている


羨道、玄門に袖石、しきみ石が見えている、崩壊防止のため鉄筋で補強


玄室、奥壁が3段積み


側壁上部、天井石、持ち送りのある玄室


両袖式、袖石が左右対称になるよう削られている


(見学記)

神社西側の丘斜面上に2基の古墳があり1号墳に石室が開口していて墳丘も良く残っています(復元されたものかも知れない)。石室は閉じられていて内部に入ることは出来ませんが羨道あたりは覗くことが出来ます。以前たまたま開いていたときに入ったところでは両袖式の石室で奥壁も3個の石から出来ていて玄門の石以外はあまり大きな石は使われていません。石室の崩壊を防ぐため内側を鉄筋で補強しています。上方250mの所に2号墳が有ってこちらも石室がありますが現在は見る事は出来ません。

真山古墳

宮城県大和町 1994年3月訪問

前方後円墳、TL60,R35,FW47,RH5,FH5
位置:38°25′00″N 140°58′05″E

右手が後円部、殆ど裸にも関わらず位置を良く知ってないとすぐ近くに行っても分からない


尾根先端を整形して墳丘を造る


(見学記)

丘陵麓近く溜池のすぐ南側にあり全長60m程の前方後円墳です。全体が畑になっていて高さも低く(特に丘側から見た場合)そのつもりになってみないと見逃すおそれもあります。(私も最初に見に行ったときは古墳のすぐ側まで行きながら見つけることが出来なかった。)

鷹の巣古墳群

宮城県白石市 1987年12月訪問、1995年12月再訪

前方後円墳2他20数基残存

瓶ヶ盛古墳
帆立貝式、TL56,R48,FW27,RH7,FH0.4
位置:37°59′52″N 140°38′29″E

右手が前方部、団地公園内に保存、側に3基の円墳と移築石室2


左手前が前方部だが写真で見る程にははっきりしない


前方部から見た後円部


18号
円墳、R22

移築された箱式石棺、雑草に覆われ見にくくなっている


19号
円墳、R11

移築された横穴式石室


横から、側壁は乱石積み


20号
前方後円墳、TL18,R13,FW5,RH1.3,FH0.8
位置:37°59′54″N 140°38′45″E

右手が前方部、前方後円墳としては最小クラス、側に21,22号の円墳がある


手前が前方部、主軸が斜面に対して斜めになる


(見学記)

寿団地内にある古墳群で団地造成によりかなり消滅しましたがまだ20基近く残っています。このうち18号と19号の石室が主墳の瓶ヶ盛古墳の側に移築保存されています。18号のは箱式石棺で瓶ヶ盛古墳の前方部側にありますが現在雑草が生えて見にくくなっています。19号のは横穴石室で後円部側にあります。天井石は無くなっていますが他は良く残っています。

瓶ヶ盛古墳
寿団地内にある鷹の巣古墳群の主墳で全長56mの前方後円墳です。尾根を利用して造られている後円部ははっきりしていますが前方部はあまりはっきりしません。前方部側に3基の古墳がありその内の17号(注1)が前方後円墳のようです。さらにここから団地内の道路を東に200m程行くと左側斜面上に3基の古墳が保存されています。この内西側の1基が全長18mの前方後円墳(20号)です。初めは2基の円墳かと思われていましたが発掘の結果前方後円墳と分かりました。ここから東側にも10基程の円墳があります。

亀田古墳

宮城県白石市 1989年3月訪問

帆立貝式、TL42,R35,FW18,RH6.3,FH2.2
平野を望む低丘陵上、側に円墳3基
位置:37°58′02″N 140°37′30″E

右手が前方部、保存良好


(見学記)

丘陵頂にある全長42mの帆立貝式古墳です。墳丘も良く残っていて短い前方部も観察出来ます。墳頂部にやや大きな石が1個露出していますが石室なのかな?。南東側に3基の円墳が有って古墳群を形成しています。

念南寺古墳

宮城県色麻町 1986年12月訪問

前方後円墳、TL54,R36,FW21,RH6.3,FH1.5
位置:38°31′42″N 140°53′13″E

手前の段差が前方部端、奥の神社辺りが後円部、前方部が標準の半分の幅しかない半裁型


後円部から出土した家形石棺、97年発掘、この後埋戻し


(見学記)

鳴瀬川南側の丘陵北側の崖側にある全長54mの前方後円墳です。墳頂部に神社があり前方部上を参道が通っていますが墳丘は良好な状態で残っています。県道脇及び途中に案内板がありそれに従っていくと墳丘側に駐車場と説明板があります。ちなみに念南寺は”ねやじ”と読みます。

上野山古墳群

宮城県柴田町 1996年3月訪問

柴田・村田町に跨る314基からなる

1号
横穴式石室
位置:38°04′02″N 140°45′22″E

玄室、奥壁は1枚、側壁は平石積み


玄室上から、胴張りの様子がよく分かる


玄室上横から、天井石は玄門上の1枚しか残っていない


両袖式、羨道は埋没、柱状の袖石が印象的


(見学記)

柴田町と村田町の境界辺りで,太陽の村のある丘陵の南側斜面に分布していて横穴石室を主体とする円墳群です。ただし石室は一部が見えている程度です(全部を見たわけではないですが)。送電線鉄塔直下西側で石室が見えています。天井石はないですが玄室,玄門の構造が良く保存されています。昨年の分布調査で314基の古墳が確認されたそうですが現在行って見ると雑木林や薮の中でどのように確認したのか大変知りたいですね。(ちなみに私は20基程度しか見つけることが出来なかった。

遠見塚古墳

宮城県仙台市 1986年7月訪問、2000年再訪

前方後円墳、TL110,R63,FW37,RH6.5,FH2.5
仙台平野に最初に出現した大型前方後円墳
後円部に粘土槨2基、公園として復元保存
位置:38°14′06″N 140°55′04″E

不定型な周溝の様子を白い砂で示す、すぐ脇を国道4号バイパスが通る


前方部斜め後方から


墳丘横から


(見学記)

R4号バイパス沿いにあり,現在は墳丘が修復され周溝跡にも砂利がしかれて全体が公園になっています。全長110m後円径63mで仙台平野最初の前方後円墳だといわれています。以前の発掘で粘土槨2基が発見されましたが副葬品は竪櫛20点の他はわずかの玉類が発掘されただけで墳丘規模の割には少なく貧乏古墳だと話題になりました。もっとも発掘時,既に両方の粘土槨共土取りによって半分消滅していたので(米軍の仕業だ)そちらの方に副葬品があったかどうかは何とも言えません。

兜塚古墳

宮城県仙台市 1986年訪問、2000年再訪

帆立貝式、R50,H6
位置:38°14′09″N 140°53′16″E

円墳と思われていたが近年の発掘で馬蹄形の周溝と前方部が確認された


仙台南高校校庭内に保存


(見学記)

大年寺山麓,仙台南高等学校校庭内にあり,現状は径50m程の円墳ですが,発掘の結果帆立貝式の周溝と短い前方部が検出されています。この西側,同じ山麓にはかって前方後円墳の裏町古墳,二塚古墳(石棺があった)がありましたが現在は消滅しています。

法領塚古墳

宮城県仙台市 1987年訪問2000年再訪

円墳、R32,H6、6C後半
横穴式石室、玄室長5.7,幅1.9,高1.9m
位置:38°14′28″N 140°54′25″E

墳丘、石室正面、市内のど真ん中に良好に残っている


石室開口部、羨道天井石は初めから無かったらしい


玄室、奥壁は1枚、側壁は下部がやや大型、上は小型割石小口積み、玄室奥の床面は切石が敷かれている


奥壁、天井


両袖式、柱状の袖石が立つ


(見学記)

仙台市街地のど真ん中,聖ウルスラ学園の敷地内(交番の裏)にある古墳です。玄室長5.74m幅1.89m高さ1.88mと県内最大級で,墳丘,石室とも遺存状況も良く内部に 入ることも出来ます。(女子校ですのでその点は注意しましょう)
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