造山古墳群
造山古墳他6基、全て国史跡
千足古墳(2009年10月10日発掘時の石室写真)
開口部から見た石室内部、デジカメの調子が悪く色がおかしくなっている

緻密な小口積み奥壁

天井石

右側壁

左側壁、ストロボだと色はおかしくはない

石槨手前右側

〃左側

石障の線刻壁画、下部が消えている、上面に線刻があるが撮ってなかった

左側拡大

〃ストロボ無し

右側拡大

〃ストロボ無し

板石を使った玄門、閉塞石が残る、手前石障にU字状の彫り込みがある

古墳群立体模型、現地にある。前方部の切断の様子がよくわかる

造山古墳
前方後円墳、TL350,R200,FW215,RH24
位置:34°40′14″N 133°48′25″E (日本測地系)
34.673782 133.80429418(世界測地系)
(95年)
6号墳からの眺め、88年_4と同じアングル

前方部から後円部、とにかくだだっ広い、後円部が遙か彼方に見える、高松城攻めの時陣地が設けられて改変されている

後円部から前方部、88年に比べてだいぶ整備

北側にある庚申山からの遠望

造山古墳石棺
(95年)
前方部上の石棺、阿蘇凝灰岩製、造山古墳から出土したかどうかは不明

(09年)
覆い屋が架けられていた

小口部にも彫り込みがある、組合式を模したんだろうか

内部には石枕

家形蓋石の一部が残る

内側の刳り貫き状態、水銀朱もはっきり残っている

線刻があったけど漢字のような感じ

(88年)
南東からの眺め、赤い重機がある辺りが多分駐車場工事中

前方部から後円部

後円部から前方部、この頃はまだ整備されていない

6号からの眺め、右に造山前方部正面、左に榊山古墳の乗った残丘

1号(榊山古墳)
円墳、R40
(95年)
馬形帯鈎の出土で有名

(88年)
手前に造山古墳前方部周溝がある

2号
円墳
(95年)
1号の北側麓、一段下にある

下側から

上側から

後方に3号(右)、4号(中央奥)

(88年)

3号
円墳
(95年)
西側から

上側から

北西から、後方に4号、一段上なのがわかる

後方に3号(右)、4号(中央奥)

(88年)
これも一段下にある、後方に2号

4号
円墳
(95年)
88年_1と同じアングル

上と反対側から



左4号、右3号

(88年)
造山前方部から

5号(千足古墳)
前方後円墳、TL74,R56,FW24,RH18,FH3
装飾竪穴式石室
(23年墳丘復元、石室公開)
位置:34°40′01″N 133°48′16″E (日本測地系)
34.67017125 133.80179471(世界測地系)
(95年)
88年_1と同じアングル

これも造山前方部から

これは4号辺りからかな、手前左に前方部

88年_2と同アングル

当時使っていた川崎KSRⅡ、手前の前方部の存在は殆どわからない

西側からの眺め

後円部から前方部、すっかり畑になっていた、後方に4号

(88年)
造山前方部からの眺め、墳頂標柱が立っている辺りに水没石室が見えていた、フィルム時代ではあの様子は撮れなかった

更に近寄って、このアングルで撮っているのが多い

6号
円墳
(95年)
少し離れた山側斜面にある

斜面を削って作った様子がよくわかる、後方に千足古墳墳頂に立っていた標柱が見えている、更に遠方に造山古墳
千足古墳(2009年10月10日発掘時の石室写真)

開口部から見た石室内部、デジカメの調子が悪く色がおかしくなっている

緻密な小口積み奥壁

天井石

右側壁

左側壁、ストロボだと色はおかしくはない

石槨手前右側

〃左側

石障の線刻壁画、下部が消えている、上面に線刻があるが撮ってなかった

左側拡大

〃ストロボ無し

右側拡大

〃ストロボ無し

板石を使った玄門、閉塞石が残る、手前石障にU字状の彫り込みがある

古墳群立体模型、現地にある。前方部の切断の様子がよくわかる

造山古墳
前方後円墳、TL350,R200,FW215,RH24
位置:34°40′14″N 133°48′25″E (日本測地系)
34.673782 133.80429418(世界測地系)
(95年)
6号墳からの眺め、88年_4と同じアングル

前方部から後円部、とにかくだだっ広い、後円部が遙か彼方に見える、高松城攻めの時陣地が設けられて改変されている

後円部から前方部、88年に比べてだいぶ整備

北側にある庚申山からの遠望

造山古墳石棺
(95年)
前方部上の石棺、阿蘇凝灰岩製、造山古墳から出土したかどうかは不明

(09年)
覆い屋が架けられていた

小口部にも彫り込みがある、組合式を模したんだろうか

内部には石枕

家形蓋石の一部が残る

内側の刳り貫き状態、水銀朱もはっきり残っている

線刻があったけど漢字のような感じ

(88年)
南東からの眺め、赤い重機がある辺りが多分駐車場工事中

前方部から後円部

後円部から前方部、この頃はまだ整備されていない

6号からの眺め、右に造山前方部正面、左に榊山古墳の乗った残丘

1号(榊山古墳)
円墳、R40
(95年)
馬形帯鈎の出土で有名

(88年)
手前に造山古墳前方部周溝がある

2号
円墳
(95年)
1号の北側麓、一段下にある

下側から

上側から

後方に3号(右)、4号(中央奥)

(88年)

3号
円墳
(95年)
西側から

上側から

北西から、後方に4号、一段上なのがわかる

後方に3号(右)、4号(中央奥)

(88年)
これも一段下にある、後方に2号

4号
円墳
(95年)
88年_1と同じアングル

上と反対側から



左4号、右3号

(88年)
造山前方部から

5号(千足古墳)
前方後円墳、TL74,R56,FW24,RH18,FH3
装飾竪穴式石室
(23年墳丘復元、石室公開)
位置:34°40′01″N 133°48′16″E (日本測地系)
34.67017125 133.80179471(世界測地系)
(95年)
88年_1と同じアングル

これも造山前方部から

これは4号辺りからかな、手前左に前方部

88年_2と同アングル

当時使っていた川崎KSRⅡ、手前の前方部の存在は殆どわからない

西側からの眺め

後円部から前方部、すっかり畑になっていた、後方に4号

(88年)
造山前方部からの眺め、墳頂標柱が立っている辺りに水没石室が見えていた、フィルム時代ではあの様子は撮れなかった

更に近寄って、このアングルで撮っているのが多い

6号
円墳
(95年)
少し離れた山側斜面にある

斜面を削って作った様子がよくわかる、後方に千足古墳墳頂に立っていた標柱が見えている、更に遠方に造山古墳
