観音山横穴墓群

大分県宇佐市 2017年2月訪問

装飾横穴
位置:33°31′04″N 131°18′03″E (日本測地系)
    33.52109332 131.29842961(世界測地系)

長い階段の上に観音堂がある、途中の踊り場右横にも支群がある


支群その1
崖面に観音堂、両側に横穴、多分お堂の場所にも横穴があっただろうな、崖背後にも支群があるそうだ


上限2段にわたって続く、下は単純な開口部が多い、上部は1,2重の開口部、上部は更に全体に共通して横に長い彫込がある


以前のと比べると下段の一部が埋まっているようだ


赤い顔料が残っているのがある


支群その2
階段途中に古いお墓、その奥林の中にある


二重額縁の横穴、太い竹が密生して近寄れない


左右の穴で彫込が共通している


こちらも同様、でも近寄るのが困難


大きな開口部、右奥に見えるのが装飾横穴


A号横穴墓、奇跡的に前に竹が生えていない


左側に赤い円文


右側に赤い円文と弧状文


左側の円文を拡大


内部は特に棺台とか無さそう


右隣にB号横穴、後ろに下がれません


左側に赤い鈎状文


内部はやはり平凡


(見学記)
宇佐市上元重、貴舟平の横穴から600m程南側ですが道路を大きく迂回しなければいけません。丘陵中腹を通る道路を行くと長い石段がありそこを登った所にあります。正面に
崖面に埋め込まれた観音堂がありその右側2段に渡って横穴が掘られています。全体に小型ですが上段のが額縁構造を持つのに下段のにはそれがなく身分差なのでしょうか。観音堂左側にも僅かに痕跡状の横穴があり観音堂で破壊されたのもあるようです。階段中段に古い墓石があり(江戸時代のかな)そこから林に入ると支群があり装飾を持つ横穴があります。。ここも2段になっているようで初め見つけたのは上段、竹が密生し殆ど埋まっているのが多くこんなので装飾が分かるのかなと思いましたがしつこく探していたら下段にもありました。1基だけ正面がまともに撮れるのがあってこれに赤い装飾が何ヶ所かで見られます。その右側の横穴にも赤い円文があります。石段下に駐車可。

貴舟平下の裏山横穴墓群

大分県宇佐市 2017年2月訪問

装飾横穴古墳
位置:33°31′04″N 131°18′03″E (日本測地系)
    33.52109332 131.29842961(世界測地系)
崖面に何段かに築かれている、県史跡とは思えないくらい荒れ果てている


右上に柵が見えている、多分そこが装飾横穴、撮影時は全く気が付かず


木の根が入り込むなど酷い状態、右下の大きなのは多分防空壕


この辺りはまともですが全く近寄れず


前のは上部が円形ですがこちらは四角い開口部


崖面でない場所に掘られていた、これが唯一近づけた


開口部右に赤い顔料が残る


内部は平凡、棺台は無いのか埋まっているのか


(見学記)
宇佐市山下、山下集落の南端の家から林際を西に進むとそのまま竹林に入り2,30m程行くと右側に古い墓地があります。その崖面に数段に渡って横穴開口、規模はどれも小さく苔などに覆われ状態はあまり良くありません。墓地の真下に割と大きな横穴、大分県でよく見られる開口部両側が広く額縁状になった横穴です。防空壕の上の横穴に装飾があるそうですがよく分かりませんでした。帰ってから写真を見るとずっと上に檻のようなものが写っていました、多分そこが装飾横穴でしょう。集落内のゴミステーションに駐車可。県史跡。

市用横穴墓群

大分県竹田市 2016年2月訪問

11基(番号は全て仮)
位置:32°58′03″N 131°20′53″E (日本測地系)

    32.97086865 131.34566204(世界測地系)

全景
神社横の崖面に開口、左端が1号


右から2-7号、右に向かって少しずつ位置が高くなっている


1号
一見平凡な開口部ですが周りが広く家形になっている


2号
二重額縁の開口部


上部に赤い顔料が残っているようだ


3号
2重の家形が浮彫りされている、これだけが特異な姿


開口部は直線的な四角形


腕を伸ばして内部撮影、コの字型の屍床、左右と奥との間の区切りはなさそう、中央通路部も掘り込まれていない


4号
二重額縁、このタイプが多い


上部にハッキリ赤い顔料が残る


内部右側に通路があるように見える


5号
こちらも二重額縁、開口部がスッキリ四角い、やはり赤色顔料が残る


右5、左4号、4号開口部下側に足場となる出っ張りがある


内部に4号への通路、当時のでしょうね


6号
中央6、左5、右7、屋根で隠れる


拡大、赤い色はないかな


7号
こちらはハッキリ色が残る、赤い円文のようにも見えます


反対側から


8号
二重額縁、どんどん高くなってきます


隣に整形した跡がある、作ろうとして止めたんでしょうか


9-11号
更に高くなり入り口も藪状態です


(見学記)
竹田市市用、市用集会所側に天満神社がありその崖面に11基の横穴があります。一部社殿の屋根で隠れていますが全部見られます。ただ開口している場所が高くて中には入れません。左の方は2mくらいの所ですが右に行くほど高くなって右端の方は5,6mも上ですね。2基を除いて開口部は四角い額縁状、一部で赤い顔料も残っています。左から3番目(仮3号)のが入り口が特異で大きな切妻屋根状、説明板ではこれは後世のものだそうですが外のは左右との間隔がそれ程開いていないのにここだけ大きく開いていて初めからこのようにするために開けておいたとしか思えないんだけどな。一番左端のも入り口は四角でなく切妻風になっています。仮3号だけ何とか内部が覗けてコの字型の屍床が彫り込まれています。ただ区画がある程度で中央通路部は掘り込まれておらず奥と左右の屍床の間も境がありません。因みに読みは”いちもち”です。集会所前や神社境内に駐車可。

七ッ森古墳群

大分県竹田市 2016年2月訪問

現存前方後円墳2、円墳2

南西側からの遠景、左B右C号


A号
円墳、R20,H4
位置:32°56′55″N 131°18′45″E (日本測地系)
    32.95199589 131.81006793(世界測地系)
一番西側にある円墳、周囲の細長い草はヒガンバナ、こちらの方が有名


小さな舟形石棺出土、石枕の大きさ6cm、幼児用と推定


B号
前方後円墳、TL51,R29,RH6,FW8,FH3
柄鏡型の古式前方後円墳


前方部は細長く低平


後円部正面


前方部右隅から後円部


C号
前方後円墳、TL53,R31,FW12
前方部右隅から後円部、B号とよく似ている


反対側から見てもよく似ている


やはり低平な前方部


後円部頂きは平坦になっているようだ


地形南側がやや高くなっているのでこちらから見ると前方部が目立たない


D号
円墳
一番東側にある


規模はB、C号後円部と変わりなし


(見学記)
竹田市戸上、国道57号沿いにある標高480mの高原にある古墳群です。かっては7基あったそうですが現在は前方後円墳2,円墳2が残存しています。2基の前方後円墳は共に50m程度の柄鏡式、後円部だけでなく極端に低い前方部もよく残っています。円墳のA号からは小さな舟型石棺出土、石枕の大きさが6cm程で生まれたばかりの幼児が埋葬されたのではないかと推測されています。墳丘規模から言えば前方後円墳の後円部とそれ程変わりないんですけどね。ここは国の史跡で公園になっていますが大きな説明板が一つあるだけです。古墳よりも秋のヒガンバナが有名なようで冬のこの時期、葉が足の踏み場もないほど出ていました。駐車場あり。

神下山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

円墳、R20(34)(資料によって異なる)
家形石棺
位置:33°08′09″N 131°47′35″E (日本測地系)
    33.13919807 131.79061956(世界測地系)

丘陵麓に目立たない案内板


墳丘は良好そう


頂部は広い平坦面


頂部に家形石棺、箱式石棺があるそうで手前のがそれでしょうか


石棺蓋石と身、サイズがあわないような気がする


刳抜式の身、内側の彫り込みは浅い、底部に脚があるように見えます


棟部分が高い蓋石、小口部に縄掛突起がある


棟に縄掛け用の穴が3つ開いている、熊本県の石棺で時折見かけます


(見学記)
臼杵市諏訪、下山古墳北300m辺りにあるというので地元の方二人に聞いてみましたが全く知りませんでした。こういう時は根本的に場所を間違えている事が多い。少し離れた川沿いの方で聞いてみたら神下山古墳の名は知らないが石棺が露出しているのは知っているということで教えてもらいました。川沿い丘の上、登り口には確かに神下山古墳の案内板があります。登って行くと平坦な墳頂部に石碑と祠あり、祠の前に家形石棺蓋石露出、棟部が突き出たよりリアルな屋根型、最大の特徴は棟部に3個の四角い穴が開いていることです。熊本県で縄掛突起に四角い穴が開いているのを見たことがありますがこういうのは初めてですね。位置も中央より大分外れた場所、元々この場所だったんでしょうか。手前に手水鉢がありますがこれは何でしょう。蓋石とは長さが合わないし下に足のようなのが付いているし石棺加工じゃなくて本物の手水鉢なんでしょうか。それとも箱式石棺が出土しているそうなのでそれを加工したのかな。中央の石碑の周りにも石組みが露出していますがそれが主体部を表しているのでしょうか。ちなみに地元では石棺様と読んでいるようです。距離も下山古墳から北北東700m以上離れていたよ。因みに読みは”じんかやま”です。

下山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

前方後円墳、TL68,R46,FW38、5C中
家形石棺、石甲
位置:33°07′46″N 131°47′42″E (日本測地系)
    33.13280994 131.79256389(世界測地系)

前方部から後円部、丘陵頂部にあり状態は良い


後円部から前方部、説明板がある辺りがくびれ部


前方部にある石甲、草摺部分が残っている、形状からして男根信仰にでも使われていたかも


後円部に家形石棺、覆屋で保護、左手前の石は何でしょうね


棺身は組合式、円い縄掛突起がある


蓋石上部が斜めに突き出た珍しい形式


屋根には浅い浮き彫りがある


反対側の縄掛突起は削り取られているようだ、上部に軒瓦のような円弧状突起がある、反対側にはなかった


(見学記)
臼杵市諏訪、臼杵市総合公園西側丘陵上にある全長68mの前方後円墳です。公園駐車場向かい側に案内板があり妙法寺に行く道を登って行くと2つ目の急カーブの所に案内板があります。そこから林の中の小道を歩いて3,4分、丘陵頂に築かれた墳丘は良好に残っています。後円部頂に凝灰岩製組合式家形石棺露出、覆い屋で保護されています。蓋石は切妻屋根で表に浮き彫り、両端に縄掛突起がありますが西側のは削られています。棟部西端に円弧状突起がありますがこれはなんでしょうね、後の鬼瓦を連想させます。西側だけで東側にはないんだよね。身の側面に四角い平石がありますが支え石だそうで埋まっていますが反対側にもあるそうです。でも石棺自体は埋められているのになんで支え石が必要なんだ。くびれ部上にも石甲が一体、草摺部分しか残っていません。ここに説明板が立っていますが文字は殆ど消えかかっていて読みにくい。後円部を降りた所に小円墳があるようですが見忘れた。急カーブの所に駐車可。国史跡。

臼塚古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

前方後円墳、TL87,R45,FW45
舟形石棺2、石甲2
位置:33°08′24″N 131°47′19″E (日本測地系)
    33.14336416 131.78617549(世界測地系)

神社社地となっている墳丘


北側から見た後円部


前方部側面、端が高くなっている


上に神社があり後円部の一部削平、右は石棺覆い屋


2基の舟形石棺(右1号、左2号)1号の方が新しそう


蓋石はかなり破壊、身に四角い縄掛突起


小口部は丸い縄掛突起、蓋石の方にはないようだ


2号の方がやや小さいが精緻な造り


蓋石と身側面に四角い縄掛突起が2組4個づつ


蓋石と身小口部に丸い縄掛突起


後円部から前方部


前方部にある家形石棺蓋石、札の文字が消えていてこの時は正体わからず、丸山古墳石棺の蓋石だそうです


もう一つの石材、こちらは大分新しいかな


墳丘脇に2体の石甲、くびれ部にあったが移築


右側の石甲、下側の石材も当時のものでしょうね


左側、こちらの方が精緻な造り、脚部に赤い色が残っている


背面から


(見学記)
臼杵市稲田、臼木神社境内と言うより古墳の上に神社が乗っています。全長87mの前方後円墳で神社本殿で後円部の一部が削られていますが他は良く残っています。本殿脇に墳頂から出土した舟型石棺2基を覆い屋で保護、若干大小があり大の方は長さ2.85m側面に縄掛突起3対,蓋石上部が破壊され造りはやや粗い。小の方は長さ2.25m、こちらは側面の縄掛突起2対、素人目にもこちらの方が造りが精巧です。くびれ部にも石甲2体、頭部は無くなっていますが鎧の部分が残っていて巨大な車輪石のような基部に四角い柱を射し込んで立てられています。こちらも造りに粗さの違いがありそれぞれ舟型石棺に対応していたんでしょうか。前方部上にも家形石棺蓋石と閂石のようなのがありましたがあれは何でしょう、側に倒れかけた文字が書かれた札がありましたが殆ど読めません、調べてみたら丸山古墳石棺の蓋石のようです。閂石の方はあまり風化しておらず新しいもののようです。県史跡。石甲は国重要文化財。

丸山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

石棺底石
位置:33°08′26″N 131°47′19″E (日本測地系)
    33.14447518 131.78673098(世界測地系)

公民館敷地内に保存、知らないと古墳とは分かりません


南側に臼塚古墳がある


石棺底石がある、刳抜式のようです、蓋石の方は臼塚前方部に移されている


(見学記)
臼塚北側に三重野公民館があり敷地内に丸山古墳がありますが説明などはなく知らないと古墳とは見えません。石棺底石が露出して、刳抜式のようで二つに割れていますが見ていて一番面白くないパターン。公民館に駐車可。臼塚周辺は車を停める場所がないのでここから歩いていった方がいい。

築山古墳

大分県大分市(旧佐賀関町)2001年5月訪問、16年2月再訪

前方後円墳、TL90,R40,RH10,FW45,FH8、5C中
箱式石棺2(現地埋戻し)
位置:33°14′08″N 131°48′13″E (日本測地系)
    33.23891056 131.80117151(世界測地系)
(2016年)
国道脇に案内表示、道路反対側に駐車場がある


墳丘図(説明板より)周囲が大分削られているが高さはよく残っている


背の高い後円部、建物辺りが墳頂


前方部もよく残るがくびれ部切断、前方部端が高くなっている


墳頂平坦部に石棺覆い屋、1932年に緑泥片岩の巨大な箱式石棺出土


北棺埋戻し、被葬者は女性だそうです、礫槨のようにしたのは意味があるんでしょうか


南棺、こちらも埋戻し、被葬者は3人で中央の一人は女性だそうです


(2001年)
前方部から後円部、後円部建物の中に石棺が埋め戻されている


後円部から前方部上段、くびれ部が山道で切断、他の部分は良好


(見学記)
(2016年)
大分市本神崎、国道197号を更に西に進むと神崎小学校西100mにあり案内標識も出ています。神崎八幡神社境内に大きな墳丘が残っていて特に後円部が凄く高い。墳形は多少削られるも概ね良好、ただくびれ部が山道のようになって切断されているのが残念です。墳頂から緑泥片岩組合式箱式石棺2基出土、1基は女性1と不明2、もう1基は女性1の人骨が出たそうで女性が葬られた古墳です。石棺は埋戻し、白い石を被せた礫槨のようにして保存されています。国道向かい側に神社駐車場あり。

(2001年)
更に国道を500m程行くと小さな案内表示が出ている。そこを入っていくと神社境内に古墳がある。全長90mの前方後円墳で丘陵麓の斜面を利用して造られていてくびれ部が山道で切断されているが全体は非常によく残っている。後円部頂に祠があり中に箱式石棺2基が御神体として埋め戻されている。昭和7年の発見でなんでも夢のお告げがあり掘ったところ石棺が出土したそうで、当時は石棺参りで大賑わいだったそうです。中から人骨を始め多数の副葬品が出土している。国史跡。

馬場古墳

大分県大分市(旧佐賀関町)2001年5月訪問、16年2月再訪

前方後円墳、TL60,R30,RH5,FW14,FH3
位置:33°14′12″N 131°47′09″E (日本測地系)
    33.24002103 131.78339534(世界測地系)
(2016年)
後円部西から、周囲が削られているが割と良好


後円部北から、左が前方部


前方部から後円部


後円部から前方部、端に円墳状の高まりがある


(2001年)
画像無し

(見学記)
(2016年)
大分市馬場、国道197号沿い、大分市から佐賀関町に入ってすぐ左側の崖の上にあります。崖を登っていく細い道があって上がっていくと後円部が見えます。墳丘は割と良好に残っていますが北側横方向からの眺めがきかないので前方後円墳らしい姿に出会えません。前方部端が小円墳のような盛り土状になっているのはかって前方部端が高くなっていた名残でしょうか。国道脇の路側帯が広く駐車可。

(2001年)
国道197号を大分市から佐賀関町に入ってすぐ北側の丘の上にあり、崖に登る道がある。全長60mの前方後円墳だが大分小さくなっているようだが前方後円墳の形は分かる。
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