高安千塚古墳群

大阪府八尾市 1999年3月訪問

(番号は仮称)

1号




2号



3号



4号




5号




6号




7号


8号



9号




10号



11号



12号



13号




14号



15号


16号



(見学記)
高安山北西側山畑地区に東西800m南北700mにわたって分布する大阪最大の群集墳です。現存数155基、すべて円墳で横穴石室を主体とし、見た限りでは(20基程度だが)右片袖式(左に僅かに段差があるのもある)南西方向に開口と非常に形式のそろった古墳群です。神光寺周辺に石室が良好に残った古墳が多くある。群集墳というと小さな石室を想像するがここのはどれもあきれる程大きい。使っている石材は古墳によってやや差があるが小型の割石から巨石まで様々、奥壁が1枚石というのはなかったが天井石が1枚石の巨石というのもあった。ただ巨石を使っているというのが災いして大阪城築城など石材目当ての古墳の破壊と言うことがあったようです。石室も概ね中に入りやすくたっぷり石室を堪能できた。なお麓近くに歴史資料館(心合寺山古墳東側の道を南に1km)があるがここには千塚古墳群の分布図があるだけで古墳関係の資料は殆どありません。石棺が3基ある芝塚古墳の発掘ビデオがあったので探しに行ったら古墳跡の石碑があったのみ、半壊状態の石室が露出しているので石棺があるとは思わなかったが古墳まで消滅とはね、ガッカリ。

高安古墳群

大阪府八尾市 1998年3月訪問

愛宕塚古墳
円墳、R25,H6.5
横穴式石室、全長16.8m、玄室高4.1m
位置:34°37′57″N 135°38′58″E (日本測地系)
    34.63576312 135.64662294(世界測地系)
墳丘、石室正面、背の高い墳丘が残っている


羨道


巨石を使った玄室


奥から外、この地域の石室は左袖幅が小さいのが目立つ


西ノ山古墳
前方後円墳、TL55,R27,RH9,FW23,FH5
位置:34°38′23″N 135°38′53″E (日本測地系)
    34.64298451 135.64523406(世界測地系)
前方部から後円部、手前の段差が前方部端か


向山古墳
前方後円墳
位置:34°38′05″N 135°38′56″E (日本測地系)
    34.63798509 135.6460674(世界測地系)
小丘陵頂にある


(見学記)
西の山古墳
大学北側、熊野神社の裏手にある全長55mの前方後円墳です。墳丘は比較的良好、後円部は藪の中だが前方後円墳と言うことはわかる。大学敷地内にも前期の前方後円墳花岡山古墳があったが、今は石碑が残るのみ。

向山古墳
大学南側300m、小さな丘の上にある前方後円墳です。上には登れないが土取りで大きく変形しているとのこと。南側に平安鎌倉時代の瓦窯跡がある。もう1基の前方後円墳中の谷山古墳は東側標高150m付近にあり行くのは不可。

愛宕塚古墳
向山古墳南200m、墓地西側にある古墳です。径25m、高6.5mと背の高い円墳で南側に石室が開口、巨石を使った全長16m両袖式の石室です。側壁奥壁とも概ね2段積み、玄室幅に対して高さが高いのが目立ちます。玄門上の石は長さや厚みがよくわかり巨石の程度を実感させます。落書きするなー。

心合寺山古墳

大阪府八尾市 1998年3月訪問

前方後円墳
位置:34°38′10″N135°38′37″E (日本測地系)
    34.63937375 135.64079007(世界測地系)

堤の一部となっているが非常に美しい姿を残している


南西側から


北西から


前方部隅から後円部


(見学記)
生駒山西麓、東大阪市との境近くにある大阪経済法科大学西側400mにある全長130mの前方後円墳です。緩斜面に立地、主軸が等高線と平行でそのせいか今は溜め池の堤防となっています。下側にも溜め池がありこれは元は周濠だったようです。墳丘はほぼ裸の状態できわめて良好、丸い後円部に対して細長い前方部、全体がなだらかで女性的な姿を見せています。大型でこれほどきれいな前方後円墳もそうそうあるもんじゃない。国史跡。西麓には数多くの古墳が分布していますが数の少ない前・中期の前方後円墳が6基この辺りに集中しています。国史跡。

鏡塚古墳

大阪府八尾市 1998年3月訪問

前方後円墳
位置:34°38′11″N 135°38′26″E (日本測地系)
    34.63965145 135.63773478(世界測地系)

前方部削平、後円部もすっかり低くなっている


墳丘脇の石碑


(見学記)
心合寺山の西側300m旧道のR170沿いにある前方後円墳です。道路に面した側が住宅に隠されていて意外と分かりにくい。墳丘は前方部が削平され現状では径28mの円墳状で後円部も大きく削られていて背も低い。桜の木に覆われ花見時がいいかも。府史跡。

お亀石古墳

大阪府富田林市 2008年3月訪問

円墳、415,H4、7C前半
横口式石槨墳
位置:34°30′32″N 135°36′06″E (日本測地系)
    34.5121644 135.59885206(世界測地系)

丘陵下からの遠望、画面中央辺り


石室正面、天井石は1枚しか残っていない


石室内部、奥に直接石棺を埋設


横口式石棺と言うべきか


石棺内部、内法の長さ1.8m


巨大な天井石、右側が石棺蓋石


背後から、蓋石に縄掛け突起が6個有り、これからお亀石の名がついた


石室上方から

山田高塚古墳(推古天皇陵古墳)

大阪府太子町 1998年3月訪問

方墳
位置:34°30′31″N 135°39′08″E

二子塚古墳からの遠望

科長小学校裏石棺

大阪府太子町 1998年3月訪問

位置:34°30′59″N 135°38′44″E

家形石棺蓋石、五輪塔の台石として使用される


(見学記)

叡福寺東方,磯長小学校校舎裏に江戸時代の墓がありその中の多層塔の台石に家形石棺の蓋が使用されています。事前に知っておかないと見逃すかも知れない。縄掛け突起は無く峰の広い新しいタイプ,出土した古墳は不明。

大平塚古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

円墳?、玄室長4.5,幅2.4,高1.6
横穴式石室
位置:34°31′32″N 135°38′55″E

石室開口部、上を近鉄南大阪線が通っている


この辺りではむしろ珍しい巨石墳


奥から外


(見学記)

太子町北側の山の南側麓,切石造りの巨石墳で玄室長4.53m幅2.38m高2mと大きな石室です。現在近鉄南大阪線の軌道真下になっていてその南側に開口竹林が目印です。しかし石室の中で電車の音が響くのも珍しい。別名ガード下古墳(嘘)。

御嶺山古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

墳形不明
横穴式石室
位置:34°31′24″N 135°38′07″E

石室の天井石が僅かに露出するのみ


石室内部、見事な切石造り


(見学記)

壷井八幡宮南東,緩やかな丘陵南斜面に位置する古墳で封土はすでになく天井石が露出,切石造りの石槨墳で床に格子狭間を彫刻した棺台があります。古墳自体はかなり重要ですが見学は難物丘を南北に横切る農道の鞍部に小屋がありその脇の小道をビニールハウス沿いに行くと石碑と説明板(文字は消えている)がありその脇に天井石が露出しています。隙間から中がのぞけますが中は真っ暗,強力なライトがないと無理。はっきり言って見学だけならわざわざ行くところではありません。

松井塚古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

横口式家形石棺
位置:34°30′58″N 135°38′34″E

叡福寺境内に移築保存



(見学記)

仏陀寺の西にあった古墳で宅地造成中に石棺が出土,現在叡福寺境内に保存されています。仏陀寺と同様の家形横口式石棺でこちらの方が造りがやや粗いようです。
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