比丘尼塚古墳

島根県飯南町(旧頓原町)2022年4月訪問

横穴式石室
 位置:35°05′53″N 132°42′35″E(日本測地系)
    35.10122146 132.70715975(世界測地系)
県道脇に説明板、ここから入っていく


すっかり笹原状態ですが墳丘部分が僅かに盛り上がっている


南側に開口、少し掃除しました


石室は多少埋まっているが奥壁まで見えている


少し入ってストロボ撮影


更に入ってストロボ無し撮影


将棋の駒のような格好いい奥壁、加工じゃなく多分このようなのを選んだんだろうな


奥から外、無袖でしょうか


〃ストロボ無し



(見学記)
飯南町八神、国道184号沿いにある古墳です。説明板が立っているのでわかりますがこれがないとまず気が付きません。墳丘は熊笹に覆われていますが少し高くなっているのがわかります。南西側に開口、入り口辺りが少し破壊されていますが無袖式の石室良好、全長5,6m程度でしょうか。初めて見た印象はなんでこんな場所に、が正直なところでした。谷中で何もない場所なんですよ。地図を見ると下流側に谷中平野があり説明板にも高田遺跡があると書かれているからそれ関連でしょうか。それでもやはりなんでここ、ですね。東側に駐車スペースあり。

長者原古墳

島根県飯南町(旧頓原町)2022年4月訪問

方墳、L18、7C
 位置:35°00′18″N 132°43′00″E(日本測地系)
    35.00817783 132.71410704(世界測地系)
県道脇に大きな墳丘


2段築成の方墳、前面は少し削られているんでしょうか


見どころが少ないから色んな角度から


墳頂に石材露出、7Cだから横穴石室でしょうか、奥壁かな


背後に窪みがあるがこの方向に石室があったのか



(見学記)
飯南町下赤名、県道166号沿いに大きな墳丘が裸の状態で見えています。一辺18mの方墳で二段築成なのがわかります。7Cの古墳だそうでならば横穴石室でしょうがその様子は全くありません。墳頂に盗掘らしき溝があり石が1個露出していますがこれが石室材かどうかはわかりません。周りに小円墳があるそうだが全く分からず。町史跡。

土居原古墳

島根県美郷町(旧大和村)2022年4月訪問

横穴式石室
 位置:34°57′07″N 132°38′26″E(日本測地系)
    34.95512815 132.63800596(世界測地系)
畑の中に石室完全露出、耕されているので中に入るのは遠慮


正面から


内部は完全に埋没


斜め前から


天井石は3枚残存、分厚い板状に加工されている


背後から、広い谷中平野の中、北端のやや高い場所に立地している


奥壁は1枚のようだが薄い、内部から見たら1枚石の巨石に見えるんだろうな


斜め後方から、畦道を通ってグルっと一周


最初に見つけたのがこれ、もう完全に石室だと思った、どうも1個の岩塊のようです


(見学記)
美郷町都賀西、江の川がつくった谷中平野に位置する古墳です、大和小学校北方300m辺り、南側の水田より一段高くなっています。畑の中に石室が完全露出、内部埋没、3枚の天井石は水平のまま残っています。最初下の水田に大きな岩塊がありてっきりこれかと思いましたが違っていた、場所を間違えたかと思ってしまった(汗)。ここに駐車スペースあり。
同じ町内に才ノ上古墳があり行ってみましたが丘陵頂部で山道も消えているようでさっさと諦めました。おかげで県道55号の九十九折の細い道を3度も通る羽目に(汗)。幸い対向車に一度も会わなかったけどね。迂回路が出来ているようであまり通る車も無いのかもしれない。
いいこともありました、珍しい在来タンポポのクシバタンポポを見つけました、こんな機会でもなければまず見かけることはなかったでしょう。

中山墳墓群

島根県邑南町(旧石見町)2022年4月訪問

150基程、弥生末期~古墳時代前中期

西側麓辺りにある説明板、HP「大和國古墳墓取調室」にはこれ1枚しか無いのでなんで古墳を撮らなかったのかと思ったけど現地に来て納得


分布図(説明板より)、星印が説明板の位置、緑・赤楕円が見学した場所、あの間を新しい道路が出来ています


赤印の場所を下から見た様子、墳丘が見えていたしここからなら上がれそう


もう完全に前方後円墳と思いました、インスタにあげたらこれは中世の山城跡だと言われました


一応前方部から後円部、あの丸い部分は古墳を利用しているということはないのかな


くびれ部切断、よくあるパターンだと思った


一応後円部脇から前方部、この時は先端に盛り上がりがあるのが不思議だった


一応前方部端の高まり、これも墳丘の可能性?


赤と緑マークの境目辺りも切られている、その先にも墳丘のようなのがある


緑マーク辺り、広い平坦面になっている、これは分布図にある古墳でしょうか


更に先にも墳丘、これも分布図にある


道路を隔てた南側丘の上にも高まり、これは分布図にある古墳でしょうか、雨が降りしきる中でこれ以上は諦めた


(見学記)
邑南町中野、丘陵上広い範囲に分布する150基程からなる古墳群です。横穴石室はなく弥生墳丘墓から前中期の大規模古墳群のようです。丘陵中央を北西から南東に貫く道路があってその北端辺りに説明板が立っていて分布図もありますが墳丘見学は困難なようです。HP「大和國古墳墓取調室」では説明板の写真だけで古墳の写真が1枚もなくなんでと思っていましたが現地に来てみて納得です。説明板前の道路を南に抜けるとその辺りで林が伐採され上の方に墳丘が見えていたので登ってみました。ストリートビューでもこの場所は見られますが2014年当時はまだ林でした。尾根上に登ると前方後円墳が2基なのかな、後円部と前方部はわりとハッキリしているが前方部端がハッキリしない、特に南側のは前方部端にもう1基の墳丘が乗っているような。北側のは上部がすっかり平坦、こちらも前方部端に墳丘らしきものがありますが間がハッキリとは分かれていません。分布図で見るとこの辺りは円墳2基だけになっています。道路向かいの丘陵上にも幾つか墳丘らしきものが見えています。雨が降りしきる中見学はしんどかったですが墳丘が見られただけでも満足でした。県史跡。
インスタにアップしたら前方後円墳のように見えるのは中世の山城跡だそうですが円墳も削平せず残しているそうです。

割田古墳

島根県邑南町(旧石見町)2022年4月訪問

 横穴式石室
 位置:34°27′01″N 132°27′01″E(日本測地系)
    34.89540997 132.44774655(世界測地系)
民家脇に保存


石室正面


横から見ると前部は埋まっている


石室内は水浸し、この日は雨だったが何時もこのような状態のようだ


石室内部撮影、手前の植物にピントがあってしまった


ストロボ撮影、それでも奥にピントが合わず


中段の奥壁が一番大きいようだ、壷の下の石材も石室石材か


墳丘横から、周溝がありそう


(見学記)
邑南町中野、邑智病院西方、県道7号沿いにある石室墳です。南側道路脇に植田司法書士事務所の看板がありその道路向かい側の高い場所にあります。民家脇にあり説明板が立っています。石室前上部壊失して開口、本来の開口部は埋没しているんでしょうか。中は水浸しで入れず、当日は雨が降っていましたがそのせいではなく扇状地端に立地しているそうでそのせいで水が溜まりやすいのでしょうか。だとしたら築造当初から浸水に悩まされていたかもです。県史跡。

順庵原1号(順庵原古墳)

島根県邑南町(旧瑞穂町)2022年4月訪問

順庵原1号(順庵原古墳)
 四隅突出墓
 位置:34°50′42″N 132°31′06″E(日本測地系)
    34.84819398 132.51579838(世界測地系)
台地縁辺に位置している、北側坂道下からの眺め


初めて確認された四隅突出墓


北西側から、元の墳丘に土を被せて復元なんでしょうか、露出した貼石もオリジナルではなさそうな感じ


南西から、手前の突出部も殆どわからない


上記突出部を横から、台地縁辺なのがわかる


周囲にストーンサークルがあるはずだがこれもよくわからない


発掘時の写真(説明板より)、これも薄れてきている


発掘当時の墳丘(説明板より)


(見学記)
邑南町上亀谷、牛塚古墳群辺りから国道261号を北上すると道路脇に順庵原1号の墳丘が左に見えています。この先は下り坂になっているので丘陵端に立地、西側は川なので見晴らしの良い場所だったのでしょう。初めて発見された四隅突出墓です。四隅突出墓と言えば復元されたり突出部がハッキリしないことが多いですがこれは多分元の状態のまま保存・・・かな、多分土を被せているかもしれない。葺石も見えていますが以前訪問した方のサイトを見るともっと石材が見えているような、こちらも復元かもしれない。突出部も何とかわかりますが枯れ葉が積もって確認しづらくなっています。周囲にストーンサークルも3つあるそうですが石の一部は見られても環状の様子はわかりません。県史跡。坂道を降った辺りにゴミステーションがありそこに駐車可。

牛塚古墳群

島根県邑南町(旧瑞穂町)2022年4月訪問

横穴石室墳3基

1号
 位置:34°50′09″N 132°30′45″E(日本測地系)
    34.83902829 132.50996594(世界測地系)
1号下に説明板と簡単な分布図、右側の穴は古墳と関係ない


崖際に立地、墳丘は藪に包まれている


西側崖方向に開口


開口部正面、下がるのはこれが限界、HP「古墳とかあれ」だと入り口天井にあった石が落下している





少し奥に入ってストロボ無しで撮影


天井石の様子


奥壁はブロック状の石を組み合わせる、最奥の天井石が一段下がる


奥から外、無袖かな


〃ストロボ無し


2号
少し離れた場所に2号、墳丘がよく残っている


平野側に隙間開口


石室内部、これはどっちだ


反対側、玄門なのはたしか、袖があるから奥が羨道か、でも奥壁が見えているような


開口部反対側


手前が玄室側のようです


3号
2号に隣接して3号、笹薮の中


開口部


半ば埋まり気味だが石室自体はよく残る


奥壁は下が埋まるが2段積みか


奥から外、これも無袖かな


玄室天井、レベルが揃っている


(見学記)
邑南町下田所、3基からなる古墳群で1,3号で中に入れる石室があります。墓地手前の道路脇に説明板が立っていてそのすぐ上にあるのが1号、丘陵端に立地、墳丘はよく残り西向きに開口、全長5m程の無袖式石室が良好に残っています。説明板の横に横穴がありますが現代のもののような感じです。道路を進むとすぐ墓地、その南東丘陵上に2,3号があります。説明板にも分布図が載っていますがあまり正確ではありません。獣避け柵が道路を塞いでいるのでそこを開けて通って左側に登っていくと2号、石室がありますが殆ど埋まっています。すぐ隣に3号、こちらも墳丘が残っていて石室開口、やや埋まっていますが奥まで入れます。1号とほぼ同規模です。墓地に駐車場有り。

上塩冶地蔵山古墳

島根県出雲市 1989年4月訪問、2021年12月再訪

方墳?、L15,H5、7C前半
複室横穴式石室、全長7.85m,前室2.35,2.25,2.15m,後室2.60,2.40,2.25m
石棺、2.40,0,80,1.75m
位置:35°20′35″N 132°45′43″E (日本測地系)
    35.34619018 132.75936702(世界測地系)
(2021年)
墳丘背後から、現状では径15m程の円墳状


30年前と較べて入り口辺りは多少スッキリ


石室自体は特に変わらず


羨道、前室玄門


前室、側壁は切石積、やや内傾


前室袖石には石を嵌め込んだような跡がある、上下2つ、下側のは左右で高さが違うような


左袖石に縦溝、何に使われた


切石積の前室側壁左側


〃右側


複雑な切り石組み合わせ


刳抜式後室玄門、コの字型の石を組み合わせている


後室側壁奥壁は1枚石巨石、近くの築山古墳と違い天井も面が整えられている


玄室奥壁に沿って横口式家形石棺、以前に比べてお供物が少ない


縄掛け突起のない石棺蓋石


尾根部分は狭い


蓋石内部、刳貫が深い


〃反対側、赤い色が残っているか


石棺前に箱型石床、これも刳抜式


〃反対側、長辺側は高さが低くなっている


後室玄門奥から


箱型石床の縁に溝、袖石合わせ部と一致している


前室奥から


(1988年)
墳丘、石室正面


羨道、前室、奥室の複室構造


奥室玄門、コの字型の板石を組み合わせている


横口付家形石棺、分かりにくいが逆凸形の横口が開いている、中に地蔵様が祭られている


(見学記)
(2021年)
出雲市上塩冶町、築山古墳南方400m程のとこにあります。この付近の大型石室は南西に開口しているのが多いのですがこれは南東に開口しています。複室石室で前室は切石積、後室は各壁天井とも1枚石の巨石です。後室玄門はコの字型の石を組み合わせた刳抜式です。奥壁に沿って横口式家形石棺、手前には四角いお盆のような有縁棺台が置かれています。石棺と棺台で床面の殆どを占めている、ここもどうやって入れたんでしょうね。前回訪問時は石棺前にいろんなお供え物がありましたが随分少なくなっていて石棺内部が観察しやすくなっていました。東側高校沿いの道路が幅広く行き止まりなので短時間なら駐車可。

(1988年)
築山古墳南方500m、島根医科大学東側にある径15m程の円墳状の古墳です。南東に全長9mの両袖式石室が開口、羨道はかなり失われていますが玄室は複室構造で切石で構成、各壁はおおむね1枚構成ですが不足部分に巧みに切石をはめ込んでいます。羨道と前室の境は袖石を立てた両袖ですが前室と奥室の境は刳抜式の玄門(ただし1枚石でなく、2枚の石を組み合わせている)、手前に踏み台のような石がおかれています。奥室には横口付家形石棺が安置、横口はこの辺りの他の石棺とやや違って凸の字を逆にしたような切り込み、蓋も縄掛け突起は付いていませんが分厚くごつい感じです。手前には有縁棺台が置かれています。石棺はとても玄門を通りそうにもないからはじめから石室に置かれていたんでしょうね。現在石棺の中には名前の元となっているお地蔵様が祀られています。国史跡。

上塩冶築山古墳

島根県出雲市 1988年4月訪問、2021年12月再訪

円墳、R42,H6、6C末~7C初
 横穴式石室、全長14.6、羨道5.6,1.8,2.2、玄室6.6,2.8,2.9m
 横口式家形石棺2、2.8,1.4,1.7m(手前)、2.1,1.4,1.4(奥)
位置:35°20′49″N 132°45′48″E (日本測地系)
    35.3500786 132.76075564(世界測地系)
(2021年)
駐車場から見た古墳、墳丘は半分以上削られている


石室開口部、石室自体は完存、柵があるがこの時鍵が掛かってなかった


羨道からして切石積


羨道天井


板石を使った玄門、しきみ石がある、手前にも踏み石のような板石を敷く、左の石は当時の物か運び込まれたか


玄室内部に巨大な刳抜式家形石棺2基


手前の大石棺は身蓋とも丸い縄掛け突起がつく、身の縄掛け突起がだいぶ左にずれている


ともに横口式、手前の石棺の方が巨大


玄室側壁は切石だが天井石はそれ程加工してない、宝塚古墳もそうだったがこの地方の伝統か


下が見えないが多分1枚石の奥壁


小石棺、横口部が二重になっている、縦溝は排水用?


蓋石に縄掛け突起はなし、屋根平坦部が狭い


いろんなアングルから


小石棺内部


〃反対側


大石棺は蓋石は小口部に1,側面に2の縄掛け突起、小石棺もそうだが屋根のエッジが鋭い


大石棺奥から


こちらの横口は二重になっておらずシンプル、やはり縦溝がある、石棺の大きさに比べて開口部が小さいような


石棺内部、宝塚と同様礫を含んでいる


〃反対側、屋根の刳貫が小石棺より深いか


大石棺奥側の縄掛け突起


蓋石の縄掛け突起はかなり削られている


大石棺奥から、身の方は中央に付くが、蓋石の方は左にずれている、表側とは逆


玄室奥から


天井石を奥からストロボ無しで


側壁、加工の跡が見られる


玄門奥から、左右の幅に違いがある


巧みな切石積側壁


〃反対側、複雑さはないが切石の精度が高そう


羨道奥から、石材の高さのレベルが揃っている


(1988年)
石室入り口、個人住宅の庭にある(現在は出雲弥生の森博物館が管理)


羨道、玄室、切石造りの見事な石室、奥に向かって羽子板状に広がる、手前の石棺に丸い縄掛け突起がつく


2基の巨大な横口付家形石棺手前の方が一回り大きく長2.72,幅1.45,高1.75m


(見学記)
(2021年)
出雲市上塩冶町、ここは超有名なので遠征し始めた頃真っ先に訪問(記録を見たら30年以上前だよ)、当時はお屋敷の中で家の方に挨拶して見学しました。しかし幾ら初心者でフィルム時代とは言え数枚しか写真を撮ってない(汗)、なのでここは是非再訪したかった。でも古墳が公有化されているようで当然石室も閉鎖だろうなと思って行ったけどなんと柵はあったけど鍵が掛かってなかった、もう狂喜乱舞の状態で写真を撮りまくってきました。奥に2基の家形石棺があるけど奥の方がやや小さい、共に横口式ですが横口の構造が奥の方が萼物上の段差があるなど複雑で手前のは簡略化されています。逆に置くのは縄掛突起がありませんが手前のは蓋石にも身にも丸い縄掛突起がついています、それにしても奥のはともかく手前のはどうやって入れたんでしょうか、羨道は入口側が細くなっていてとても通りそうにないですが。石棺ばかり注目されますが石室も複室構造で切石積と素晴らしいものです。南側に広い専用駐車場有り。グールルマップで見てみると南側に赤い屋根を持つ民家が見えてます。付近の住宅より明らかに大きくこれが元のお屋敷かもしれない。しかし下衆な話ですが公有化された時購入価格に歴史的価値を含ますんだろうか。でも最近古墳を無償で譲渡というニュースを聞いたので(高崎市柴崎浅間山古墳)無償の可能性もあるかも。

(1988年)
出雲市駅南方約1kmの所にある径42mの円墳状の古墳です。南西側に石室が開口、現存長14.6mで奥に向かって直線的に広くなっていて玄門部分がわずかに突き出ていて羨道と玄室を区別しています。壁は切石で構成され玄室にはこれまた巨大な2基の石棺が鎮座しています。ともに横口付刳抜式家形石棺で、奥の方がやや小ぶりで蓋にも縄掛け突起はついていませんが手前のは身と蓋に丸い縄掛け突起が6個ついています。大きさは長2.72m幅1.45m高1.75m。個人の敷地内にあるので断ってから見学しましょう(どちらにしろ鍵を借りないと中には入れませんが)。国史跡。

大念寺古墳(今市大念寺古墳)

島根県出雲市 1989年4月訪問、1993年4月、21年12月再訪

前方後円墳、TL92,R44,FW44,RH7,FH7、6C後半
複室横穴式石室、全長12.8m,前室長3.1,奥室長5.8,幅2.9,高3.3m
家形石棺 長3.4,幅1.7,高1.9m
位置:35°21′36″N 132°46′01″E (日本測地系)
    35.42340403 132.79991597(世界測地系)
(2021年)
出雲最大の前方後円墳、ただ墳丘は周囲がかなり削られている


開口部には柵、パンフレットと懐中電灯が入っている


開口部が大きいので内部は明るい


下から上へのアングル


前室床面に家形石棺底石が残る、放レ山古墳の有縁石床と違うんだろうか


玄室には巨大な家形石棺、横口式なので位置が左に偏る


横口部がギリギリ見えている


羨道前室天井


羨道前室側壁


〃反対側、こちらの袖石は上部がない


おまけ
墓地で奇妙なものを見つけました


板石ではなくコの字型の刳り貫きです、ひょっとして家形石棺身の一部か


墓石は古そうだけど極めて古いわけでもなく


ネガにして文字を見やすくしてみました、下の2字は”元年”か、一番上は”正”か、江戸時代として正がつく年号は正徳か正保、正徳かな


(1989,93年)
石室開口部、かなり削られている、出雲最大の前方後円墳


羨道、前室、奥室、奥室に刳抜式、前室に組合式家形石棺がある


巨大な横口付家形石棺


石棺横口部、石棺の大きさに比べて身の厚さは薄い、右側側壁との間隔はあまりない


玄室奥壁、天井、石棺の見事さの割に石の積み方はいまいちな感じ


奥から玄門上部


奥室玄門から外


前室家形石棺底部


墳丘側面、左が後円部、89年当時は墳丘が見えていたが21年現在では殆ど見られない


後円部から前方部


(見学記)
(2021年)
出雲市今市町、市街地のど真ん中に大型の前方後円墳が保存されています、やはりお寺境内にあったおかげでしょうね。後円部南西向きに大型石室開口、前回は偶々鍵がかかっておらず中に入れましたが幸運は2度も続かず、でもひょっとしたら鍵がかかってなかったかもしれないと帰ってから何となく思うようになった。入り口は大きいので内部は明るく手前の石棺底部だけでなく奥の家形石棺までよく見えています、横口式ですがそこまでは無理でした。パンフレットを入れたポストの中に懐中電灯まで入っていました、ありがたいけど正直必要ないかなと思います。墓地の中で変わったものを見つけました、かなり古い墓石の周りを石がコの字型に囲っている、平石を組み合わせたのではなくコの字型の刳抜式、背後が割れて2つになっています、それもかなり薄い、ひょっとしたら刳抜式石棺の流用かもしれない。墓石に刻まれた文字を見ると右側の4文字、下は元年のようです、上は正保それとも正徳と書かれているような。県文化財保護課が発行した小冊子に無料駐車場があると書かれていますが寺の駐車場のことでしょうか、利用させてもらったけど北側からの入り口がわかりにくい。

(1989、93年)
山陰本線出雲市駅東方800m、大念寺本堂南側にある全長92m、後円部径44m、高7m出雲最大の前方後円墳です。墳丘北側がかなり削られていますが南側から見ると前方後円墳の形がよく分かります。前方部と反対側の後円部に両袖式石室が開口(普段は鍵がかかっているようですが何故か2回目に行ったときは開いていた)。入り口部分が大きく削られていて羨道の一部は壊失しているようですが残存全長12.8m、玄室は複室構造で前室は長3.9m幅2.5m高2.2mの規模、ここにも家形石棺があったことがゴーランドによって記されていますが現在は底石だけが残っています。後室はそれぞれ6,3.1,3.5mの大きさ、奥壁に1枚石が使われていますが両壁は割石で構成され玄門にはわずかに突き出た袖石になっています。左側の壁よりに横口付刳抜式家形石棺があります。長3.3m幅1.7m高1.7mと、なんとも大きい、蓋石は縄掛け突起が無くやや平らな感じ、横口部から見ると石棺の大きさの割に身の厚さが薄く石の加工技術が優れているようです。しかしこの横口から遺体や副葬品を入れたのでしょうか、壁との隙間が1m位しか無いんですけどね。国史跡。
なお「古墳辞典」には墳丘は削平されていると書かれていますが明らかに間違いですね。
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