西宮古墳

徳島県吉野川市(旧鴨島町)2003年4月訪問

横穴式石室
位置:34°03′15″N 134°20′28″E (日本測地系)
   34.05747743 134.33842158(世界測地系)

忌部山型石室の玄門袖石が残るのみ、手前が入り口側


横から


奥から


(見学記)
国立療養所正門前に説明板が立っていて、そこから登ってすぐ、低い丘の頂きにある。忌部山型石室だそうだが残っているのは4本の玄門袖石のみ。かなり異様な状態で知らなければとても石室とは思えない。町史跡。

金勝寺古墳

徳島県吉野川市(旧山川町)2003年4月訪問

横穴式石室、玄室長3.2m(目測値)
位置:34°03′14″N 134°15′33″E (日本測地系)
   34.0571977 134.25648602(世界測地系)

墓地の中にある、玄室天井部が開口


忌部山型石室、やや胴張りで四隅が丸い


奥から外


(見学記)
JR山背駅南方、山裾に金勝寺がありその東側の墓地の中にある。小さな案内表示もあるがかなり分かりにくい。石室は墓石の下になっていて天井石の1枚が抜かれているが他は比較的状態はよいようだ。玄室は奥が広がり四隅が丸い忌部山型。町史跡。

忌部山古墳群

徳島県吉野川市(旧山川町)2003年4月訪問

石室墳5基

2号
横穴式石室、玄室長3.5,幅2,高2m(目測値)
位置:34°02′50″N 134°16′12″E (日本測地系)
   34.05053192 134.26731818(世界測地系)
手前が2号、奥が1号、標高250mのかなり高所にある、1号は盗掘で石室破壊


石室正面


小型の石を積み上げた玄室、かなり持ち送りがある


中央部が高くなる天井


奥から外


3号
石室正面、2号のすぐ下側にあるが正反対の東南に開口


玄室、持ち送りが少ない


奥から外


天井石が抜かれている


(見学記)
国道192号に忌部神社の大きな案内標識が立っているのでそこから道を逸れて山裾の神社に行き、更に曲がりくねった道を登って上のお寺まで車で行けます。ここからかなり急傾斜の山道を登っていくと20分ほどで古墳群にたどり着きます。1-3号がほぼ一カ所にあり、一番上のが1号(現地の説明板では3号となっているが間違っているようだ)。墳頂部が大きく盗掘されて石室はすっかり破壊、小型の竪穴石室もあるそうだが見ることは出来ない。すぐ下にあるのが2号、羨道はかなり破壊されているが玄室の残りは一番いい。玄室は小型の石を積み上げかなり持ち送りがあり天井部は中央が高くなっている。いわゆる忌部山型石室で四隅が丸くなっているそうだがあまり感じられなかった。少し離れた下にあるのが3号、こちらは天井部が抜かれ墳丘もはっきりしない。すぐ近くにあるのに石室が2号と反対向きになっているのが興味深い。すぐ近くに4,5号もあるようだ(後から知ったのだが)。今年四国に渡ったのはここと久本古墳を見るのが最大の目的だったが、正直なところここでの石室の数が少なかったことにほっとしている。町史跡。

江ノ脇古墳

徳島県つるぎ町(旧貞光町)2002年5月訪問

円墳
横穴式石室、玄室長2.4,幅1.8,高2m
位置:34°02′26″N 134°04′28″E (日本測地系)
   34.04386475 134.07178143(世界測地系)

吉野川右岸(南)の段丘上に立地


墳丘、石室正面


羨道


段の塚穴型玄室、高さはそれ程高くはない、奥壁の緑泥片岩が見事


奥から外、右側の傾きが大きいのは土圧のせい?


(見学記)
国道192号江ノ脇バス停の上方、丘陵斜面がやや平坦になった場所にありますが直接行くことは出来ず道路を大きく迂回する必要があります。問題はこの道の進入路が分かりにくいと言うことだ。古墳は上に戦時中の防空監視所のコンクリート土台が残されていますが墳丘を現状保存、周囲を整備して小さな公園となっています。南東側に石室が開口、それ程背は高くないが段の塚穴型です。奥壁の結晶片岩の岩が見事。左右の側壁の傾きが大きく異なるのは最初からか、土圧のせいでしょうか。古墳の上からは吉野川の広い河原が一望できます。遠く対岸には太鼓塚も見えています。町史跡。

渋野古墳群

徳島県徳島市 2003年4月訪問

前方後円墳1,円墳4
マンジョ塚、花折塚は原型をとどめない

渋野丸山古墳
前方後円墳、TL90,R40,RH10、5C前半
位置:34°00′23″N 134°31′53″E (日本測地系)
   34.00970696 134.52868252(世界測地系)
南側から、左側前方部端が少し削られている


後円部側、県内最大の前方後円墳


前方部側から後円部、竹林から筍が侵入してきている


新宮塚古墳
竪穴石室
位置:34°00′16″N 134°32′21″E (日本測地系)
   34.00776302 134.53645967(世界測地系)
尾根先端に構築、下段の部分は尾根が削られたためで本来の墳丘ではない


墳頂には囲いがあるだけ


天王の森古墳
円墳、R26,H6
位置:34°00′23″N 134°31′45″E (日本測地系)
   34.00970689 134.52646049(世界測地系)
周囲を石垣で囲まれ古墳とはわからない状態


(見学記)
市内渋野町にある前方後円墳1,円墳4からなら前期古墳群で丘陵南側の麓に点々と存在しています。一括して県史跡ですがうち2基は殆ど原型をとどめない状態です。
新宮塚古墳
丘陵から突き出た尾根の先端に構築された円墳です。すぐ前の道路に案内表示があり鉄の階段を上ると神社社殿の背後にあります。と言っても墳丘はあまりはっきりせず墳頂に囲いと説明板があるだけ。背後の尾根が大きく削られていてこちらから見ると一見2段築成の墳丘のよう。

渋野丸山古墳
新宮塚から800m程西に行くと右手に大きな後円部が見えてきます。一部樹木の陰になっていますが説明板も立っているからわかるでしょう。全長90m県内最大の前方後円墳です。前方部端や後円部の一部が削られていますが割と良好に残っています。ただ北側が竹林でここから筍が多数侵入してきているのがちょっと心配です。

天王の森古墳
丸山古墳の東方、八幡神社西側にあり古墳の上にも祠があります。周りがすっかり石垣で囲まれ側に標柱が立っていないと古墳ともわからない状態です。

気延山古墳群

徳島県徳島市 2003年4月訪問

奥谷1号
前方後方墳、TL50、4C後半
位置:34°03′24″N 134°28′14″E (日本測地系)
   34.0599774 134.46785429(世界測地系)
前方部端、県内唯一の盛り土前方後方墳、墓地になっているが状態は良さそう


宮谷古墳
前方後円墳、TL37.5,R25、4C初
位置:34°03′15″N 134°28′15″E (日本測地系)
   34.05747773 134.46813204(世界測地系)
尾根を利用して構築、左側の前方部ははっきりしない


後円部、竪穴石室は埋戻し


矢野古墳
円墳、R13、6C末~7C初
横穴式石室、全長8m、玄室長3.8,幅2.4,高2.5m
位置:34°03′28″N 134°28′14″E (日本測地系)
   34.06108837 134.46785429(世界測地系)
丘陵麓近くにある墳丘


石室開口部、羨道天井石がずり落ちている


石室正面


羨道


巨石を使った玄室、天井中央部が一段高くなっている


奥から外、袖石が壁面に殆ど埋め込まれている


(見学記)
矢野古墳
気延山東側麓近くに構築された円墳で南側に石室が開口、巨大な羨道天井石がずり落ちかかっているが石室は概ね良好。奥壁は巨大な1枚石、側壁は小型の割石だが所々に巨石が使われていたりしてちょっとちぐはぐです。両袖式だが袖石は殆ど側壁に埋め込まれている。天井石は3枚からなるが中央の一枚が巨大、また奥のは意識的だろうか手前側が欠かれていて中央の石と高さを合わせ中高式の天井のように見せている。県史跡。
すぐ東側の麓に徳島市立考古資料館(入場料無料)があります。受付で市内の文化財の本が地図付きで売られていたが矢野古墳の位置は大きくずれていた。目の前にあるから間違いはしないだろうがこれで購入意欲はなくなった。むしろ図書室で県内の古墳を紹介している本を発見(名前は忘れた)。詳しい地図付きだったが既に大半の古墳は訪問済みだった。ちょっと残念。

奥谷1号
矢野古墳のすぐ南側尾根上にある前方後方墳です。県内唯一の土盛り前方後方墳だそうだ。一部墓地になっているが状態はよさそう。

宮谷古墳
更に南側に阿波史跡公園があり入り口から入ってすぐ左手の尾根の上にあります。全長38m、4Cの前期前方後円墳です。現在殆ど裸の状態ですが前方部は低くてよくわからない。後円部にある竪穴石室は埋戻し。それ程高くはないでが平野を一望できる場所です。

樋口古墳群

徳島県徳島市 2003年4月訪問

円墳2基

1号
横穴式石室
位置:34°01′51″N 134°30′49″E (日本測地系)
   34.03414798 134.51090617(世界測地系)
石室開口部


玄室、奥壁下部に大型の石を据える、天井中央部が高く四隅が丸いなど忌部山型石室に似る


奥から外、両袖式


2号
円墳、R11
横穴式石室、全長4.8m、玄室長3.5,幅1.6,高1.8m
墳丘、石室正面


開口部


玄室、1号すぐ西側にあるが微妙に構造が異なる


奥から外、左片袖式


(見学記)
上八万小学校裏山のミカン畑にある石室墳と言うことで探してみました。南側にある丘は裏山とは思えないけど小学校林になっていて登る道もあるのでこれは容易かなと思ったけど探せども探せども杉林ばかりでミカン畑などまるでない。それ程大きな丘陵でないし南側は住宅開発されているのでこれは破壊されたかなと思ったけれど、取りあえず地元の方に聞いてみると古墳のことは知りませんでしたがミカン畑は知っていました。場所は南側にあるバス停のすぐ上。入ってみると確かにミカン畑がありましたがもう殆ど廃業状態。でも2基の古墳はすぐ見つかりました。2基とも石室は小型ですが玄室は完存、平石を小口積みにした忌部山型に似た石室です。開口部と反対側の裾に標柱が立っていましたがこんなとこに立てられてもな~。有名古墳を見つけるよりこのような発見困難な古墳を見つけた方が満足感が大きい。

穴不動古墳

徳島県徳島市 2003年4月訪問

円墳、R16,H3.5、6C末~7C初
横穴式石室、全長9.3m
位置:34°03′20″N 134°30′21″E (日本測地系)
   34.05886714 134.50312904(世界測地系)

築山として利用されている墳丘、羨道は殆ど破壊


巨石を使った玄室


(見学記)
気延山から鮎喰川を挟んだ東側、名東町の地蔵院境内にある石室墳です。山門を入るとすぐ左手に古墳があります。全長9.3mの石室は羨道が殆ど破壊されているが玄室は完存、巨石を使い、側壁もほぼ垂直に立ち上がり壁面をきれいに平面に整えるなど高度な技術を思わせる石室です。柵があって中に入れないが見学するには特に不便はない。でも写真を撮ろうとすると隙間が狭くてレンズは何とかはいるがこの状態でストロボをたくと中が陰になってしまう。幸い外が明るかったので何とかストロボ無しでも写すことができました。露出時間1/2秒でギリギリだった。
北側にあるため池東側にも巨石がありますがこれも玄室奥壁らしい。西側尾根上には岩盤を穿って墓壙を作った節句山古墳群がありますが今行ってもさっぱりわかりません。さらに尾根筋を南側に行くと姥が懐古墳があり、かなりの規模の石室を持つそうだが古い給水塔先の古墳までは行くことができたがその先は道が消えていてさすがに諦めました。

東林寺穴観音古墳

徳島県鳴門市 2007年3月訪問

横穴式石室、玄室長2.5,幅1.7,高1.4m
位置:34°09′32″N 134°32′19″E (日本測地系)
   34.16219002 134.53590157(世界測地系)

墓地の中にある


石室内部、かなり小さい


(見学記)
宝憧寺北東1km、お寺の墓地の中にある石室墳です。墓地はかなり広いが古墳の場所だけ木が生えているからすぐ分かる。南向きに石室が開口、中に観音様が祀られているが石室自体はかなり小さい。

天河別神社古墳群

徳島県鳴門市 2003年4月訪問

前方後円墳2,円墳4、前期の古墳群
位置:34°09′08″N 134°31′41″E (日本測地系)
   34.15552409 134.52534698(世界測地系)

尾根上にある、トンネルを通して保存


分布図


(見学記)
ぬか塚北側の県道12号を東に行くと短いトンネルを通過します。古墳群はこの上に尾根上にあり、前方後円墳2,円4基の前期古墳群です。トンネルの脇に説明板がありここから登る階段があったがすぐ道が消えていた。なんとか尾根上に登っても墳丘はまるで分からない。南側の神社背後にある円墳が唯一確認できる程度。古墳群の重要性に鑑み下にトンネルを通して保存されました。県史跡。
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