後井古墳(後井1号)

山口県田布施町 2006年2月訪問、22年3月再訪

(2022年)
3号
 横穴式石室
3号があると言うので探してみました、2号石室右斜め前方10m程、でも墳丘は殆どない


正面から、まぐさ石が目立つ


石室部分はすっかり盗掘、玄室石材は殆ど残っていない


まぐさ石を上から、元の位置で残存


〃斜め上から


石室内部からまぐさ石


側壁の一部が残る


1,2号(墳丘)
せっかくなので墳丘も撮ってみました、これはスマホカメラパノラマ撮影


背後から、正面からだと双円墳に見えないこともないけど、裏からだとやはり分離しています


〃スマホ撮影、こちらの方が広角、鮮やかすぎて画像がギスギスした感じ


2号墳丘西から


2号北側下方から


2号北側麓から1号


更に接近して1号


1号北側から


1号西側から


1号北側麓から2号


2号東側から


後井古墳(後井1号)
 円墳、R14,H5、6C後半
 横穴式石室、全長11.4m、玄室長5.8,幅3.3,高4m
 位置:33°57′31″N 132°01′44″E (日本測地系)
    33.96189575 132.02641568(世界測地系)
石室も再度挑戦


石室正面、羨道床面は前が低くなっていたんでしょうか


羨道、これだけで並の玄室くらいの規模がある


玄室、ストロボ撮影


〃右隅から


天井


玄室、主軸上から


〃縦位置


奥から外


〃縦位置


奥隅から左袖方向


玄室、懐中電灯で撮影、中央部が明るく周辺は暗くなってしまう


奥から外、これも懐中電灯だけど正面を照らさないようにした


2枚からなる巨石天井石、この日は薄暗く自然光では撮れず


2号
石室正面


幅の狭い羨道、造りが粗っぽい


1号程じゃないが巨石を使った石室


〃縦位置


高い天井


〃ストロボ撮影


床面には平石敷石


奥から外、左右の袖が随分違う


〃縦位置


〃懐中電灯で撮影


羨道奥から


(2006年)
後井古墳
丘陵頂きに並ぶ1号と2号


1,2号南側から、現地で見ると双円墳のように見える


石室正面


羨道


県内最大クラスの石室、奥壁鏡石と天井石が特に巨大


奥から外、左片袖式


後井2号
円墳
横穴式石室
墳丘南側


狭い羨道


背の高い玄室、奥行き3.5m位なのに対して、高さは4mくらいある、床面には平石の巨石が敷かれている


奥から外、こちらは両袖式、左右の袖部が随分違う


(見学記)
(2022年)
1,2号からなる後井古墳群(あまりこの名称は使わないようですが)に3号があると知って行ってみました。後井古墳の南20mとのことですがその辺りは倒竹だらけで探すのは大変と思いましたが結果的には2号南西10mの辺りにありました。でも灌木があるし墳丘も石室石材も殆ど無くなっているので見通すのは難しい。墳丘は盗掘で大きく掘られ石材も殆ど抜かれまぐさ石とその下の側壁が少し残っている程度でした。しかしこれ程大掛かりに石材を抜き取っているのになんでまぐさ石だけ残っているのか不思議です。他の石室でも時々見かけます。せっかくなので1,2号を背後から見てみました(今まで見てなかった)。一見前方後円墳に見えないこともないですが前方部にあたる2号がやはり円墳上で前方部と見るのは無理そう。正面から見ると双円墳にも見えますがやはり裏から見ると少し離れているように見えます。ただ2号の背後下段が直線状になっていて元の地形を台状に整形して円墳を載せたのかもしれません。2号西側に元の地形が残っていますがやはりこれを古墳と見た人がいるのか盗掘跡がありました(笑)。しかしあらためて見ると1号石室のなんと巨大なこと、低いとは言えここは丘陵頂部になるので巨石を下から運び上げるのは相当大変だったでしょうけどね。

(2006年)
田布施川沿いの県道を南から行って鉄道を越えたところで案内表示があるので右折、林の中の舗装路を行くと表示があるのでそこから長い参道を上っていきます。丘陵頂に構築された2基の円墳が隣接していて双円墳状です(他に3号墳もあるそうだ)。共に墳丘は良好に残っていて石室が開口、手前の1号墳は全長11.4m、玄室長5.8m、幅3.3m、高4mと県内最大級の石室です。羨道は前部が欠損しているが左片袖式の玄室は完存、中に入ってみるとさすがに大きい、奥壁は三段積みだが下の鏡石は極めて巨大です。奥の2号墳(一応立ち入り禁止(汗))は羨道は狭いが玄室は完存、長さ凡そ3.5m、幅2.5m、高さ3.5mで奥行きに比べて大変背が高いのが特徴、また床面には巨石の平石が敷かれるなど1号と比べて随分構造が違います。説明板では1号と比べてかなり見劣りすると書かれているが、あくまでも1号墳との比較でこれだけなら十分一級品の石室です。ただ玄室に比べると羨道は随分お粗末でなんだか後からとってつけたような感じ、また奥壁下部の2枚の縦長の石が薄くて土圧でややせり出してきています。ゲジゲジが大量にいることもあって早々に出てきました。県史跡。

岡の宮稲荷神社古墳(仮称)

山口県光市 2022年3月訪問

 前方後円墳、TL90(推定)
 位置:33°58′09″N 131°57′03″E (日本測地系)
    33.98347 131.9484(世界測地系)
まだ未公認の前方後円墳、鳥居がある辺りが前方部端


扁額は「岡の宮」と「の」が平仮名で小さく入っている


前方部上部は広い平坦面、中程に神社本殿がある


本殿背後から後円部、まだ少し距離がある


前方部と比べてそんなに高くない後円部


後円部頂は広い平坦面になっている、何もなく端っこに小さな石の祠があっただけ


東に降りて後円部を振り返る


前方後円墳はともかくなんでこれを古墳と認識されなかったか


前方部北側側面から後円部


後円部を望遠で


北側からくびれ部辺り、画面右端辺りに本殿


同じ場所から前方部端方向


(見学記)
光市中島田2丁目、つい最近発見された前方後円墳ということで行ってみました。丘陵上に築かれていて全長90m程、実際に行ってみると確かに前方後円墳で良好に残っています。前方後円墳と確認されなくても後円部だけでもなんで古墳と認識されなかったのかと思うほどです。前方部端に鳥居が立ち前方部上後円部近くに神社本殿があり前方部は確認しづらいですが後円部はよく残っていて墳頂部は広い平坦部になっています。特に盗掘のような窪みもなく小さな石の祠があるだけでした。まだ公認ではないようで仮称だんかいです。因みにグーグルマップだと岡宮稲荷神社となっているので岡宮と書いて”おかのみや”と読むのかと思いましたが鳥居の扁額にはしっかり”岡の宮”と書かれていました。ヤフーマップではしっかり”岡の宮”と書かれています。北側に山陽本線が通りそちら側から登っていく道があります、南側から登る方が近いですが車を停める場所がありません。

兜山古墳

山口県山口市 2021年1月訪問

円墳、R20,H3、5C後半
 箱式石棺
 位置:33°59′51″N 131°24′19″E (日本測地系)
    34.00076474 131.40285815(世界測地系)
古墳への入り口、車で入っていけるようです、知らなかったから下から歩いたけど


手前に駐車場、まだ未舗装


丘陵頂部に気づかれた円墳


墳頂に大きな箱式石棺蓋石露出、楕円形に加工しているようです


割ったのか割れたのか、元々2枚だったのか


隙間から箱式石棺側板が見えています、さすがにカメラは入らなかった


古墳から南側、細長い半島が続いています


古墳から南側、手前が山口湾、遠方白いのが阿知須ドーム


箱式石棺その1
墳丘手前に箱式石棺がある


石棺周りに更に石囲いがある


幅の割に長さが短いような


石棺内部、右側の石は何でしょう


箱式石棺その2
更にもう1基あります、蓋石は壊失か


これも幅の割に長さが短い


石棺というより石槨といった感じ


その2からその1、更に奥に兜山古墳


(見学記)
山口市秋穂二島、標高30mの丘頂きに築かれた円墳です。今は細長い半島になっていますがかっては島だったんでしょうね、古墳時代がどうだったかは分かりませんが。北側から細い道を通っていくと200m先の案内表示、そこを北に行くと入り口にかんたんな説明板、そこから80m程歩くと古墳があります。この時は周囲が伐採され墳丘の様子がよくわかり葺石もあるようです。墳頂に箱式石棺蓋石が露出、かっては1枚石だったようですが2枚に割れています。隙間から石棺の身が見えていますが隙間が狭くカメラは突っ込めず。石棺は内法長1.5、幅0.3m、蓋石に比べて幅が随分狭い。若い女性人骨が出土したそうですが副葬品は内部に獣文鏡、外から鉄剣や鉄斧等が出土したそうですが若い女性とはそぐわない。手前にも小型の箱式石棺が2基露出しています。眺望が大変良く西側の山口湾を望める絶好の場所です。事前にストリートビューで調べた時は入り口まで通っておらず道も狭いので手前にあった案内表示の所にスペースが有ったのでそこに停めて歩いていきましたがなんと古墳のすぐ手前に駐車場が出来ていました。でも入り口からそこまで70m、駐車場も含めて未舗装で滑りやすそうです。北に周防大橋、西にキララドームが見られ隠れた眺望ポイントになりそうだから砂利くらい敷いてほしい。

雄島古墳

山口県山口市 2021年1月訪問

円墳、R12、6C末~7C初
 横穴式石室
 位置:34°02′15″N 131°24′21″E (日本測地系)
    34.04076059 131.40341292(世界測地系)
河口辺りの小丘上に立地


これ全体が古墳かと思った、それくらい小さな小丘


上部は広い平坦面、その北端に位置する、手前に祠がある


神社の祠、横穴石室の石材ではなさそう


大きさの割に低い墳丘


平坦面から斜面にかけて構築


上部に天井石露出、内部埋没、横穴の割には石材が小さい


石室の向く方向に島がある


河口に浮かぶ小島、これが雌島


これ全体を古墳にしてもいいような規模、こちらにも行ってみたかった


(見学記)
山口市秋穂二島、南若川河口辺りにある小丘上に築かれた円墳です。小丘は長さ50m、標高8m、ここも島だったでしょうね。上は平坦になっていて径12mの背は低いがハッキリした墳丘が残っていて側に石製の祠が祀られています。横穴石室だそうですが埋め戻され破片らしき石材が2,3個見られる程度です。東西や南側には平坦面があるのに何故か余裕のない北向きに開口していたそうです。現在も北側河口に雌島という島がありそこを意識して造られたんでしょうね。この丘と雄島と合わせて二島と呼んでいたそうです。雌島にも神社がありますが周りが急傾斜であちらに古墳を造るのは難しそう。渡ってみたい。小丘脇に駐車スペースあり。

庄地古墳群

山口県周防大島町(旧久賀町))2021年1月訪問

横穴石室、7基中4基残存

道路脇に説明板と分府図、その脇から登っていく山道があります


分布図、保全道路と1-3号に至る道以外はいらない、却って迷います


1号
 横穴式石室、全長4.45m、玄室幅1.80、高1.65m
 位置:33°56′53″N 132°14′55″E (日本測地系)
    33.95134593 132.24612074(世界測地系)
説明板すぐ上に1号の標柱が見えている


開口部正面、柵があったがすっかり壊れている


持ち送りのある玄室、天井石が割れている


奥壁、最下部だけやや大きな石材、面が整えられているがそのような石材か


奥から外、無袖でしょうか


奥から左側


〃右側、下部の石材の方が小さい


2号
 横穴式石室、全長4.95m、玄室幅1.75、高1.70m
すぐ上に2,3号の案内板、どちらに行っても同じくらいの距離です


天井部を失った石室が露出


ここにも大きな標柱が立っている


正面から、最奥の天井石だけ残存


ここも側壁に持ち送りがある


側壁奥壁とも小型石材


手前の石材は棺床か落下した石材か


奥から左、風化しやすそうな花崗岩


〃右、花崗岩でない石材もある


3号
 横穴式石室、全長5.90m、玄室幅2.00、高1.60m
少し上に3号、ここにも標柱


ここにも柵があったがやはり壊れてる


正面から、右側の側壁がずいぶん大きい


持ち送りの強い玄室、特に最上部が張り出している


〃ストロボ撮影、天井が随分狭い


〃縦位置


乱石積みの奥壁


奥から外、無袖かな


〃ストロボ無し


おまけ、入り口に生えていたコクラン


7号
 横穴式石室、全長4.50m、玄室幅1.80、高1.50m
説明板手前、保全道路脇に案内板


急斜面に立地、標柱バラバラ、1本の木かと思ったがベニヤだった


石室正面、前が急斜面で下がれない


玄室は良好、4基の中で一番背が高い、4基とも高さのデータはあてにならないような


持ち送りは少ない


〃縦位置、奥壁も小型石材


奥から外、ここも無袖かな、入り口辺りで特に持ち送りが強い


床面に仕切り石、ここが玄門になるんでしょうか


背後から見た墳丘


(見学記)
周防大島町玖珂、海を望む標高80m付近に立地する古墳群、7基中1-3,7号が現存しています。事前に4基保存は分かっていましたが石室の写真が出てこず心配でしたが3基の石室完存、もう1基も上部が天井が失われている程度で嬉しい誤算でした。中腹を走る農道に説明板がありそのすぐ上に1-3号、大きな標柱が建っているので見逃すことはありません。因みに説明板に分布図がありますが古墳の位置をマークした黒丸がよく見ると押しピンだった(笑)。1号は乱石積み無袖式、奥壁下部の腰石が鏡面のように仕上げられています。2号は天井前部を失っていますが長い石室が残っています。ここは右片袖式のようです、奥壁前に石材がありますが石障と言うには形が変、落下した天井石にしては幅が足らないような。3号は全長7m近く最大規模、ここも乱石積み、1号はやや持ち送りがありましたがここはより持ち送りが強い、ここも右片袖のようです。3基とも高さが1.6,7mあるそうですがとてもそうは思えない、多少床が埋まっているかもしれませんが少なくとも石室内では立てません。石室前にコクランが多かったのが印象的でした。7号はやや離れていますが農道に案内板があるので見逃すことはありません。山道を降りていくと右下斜面に墳丘が見えています。石室前は崖のような急斜面で多分現存石室よりは伸びていないでしょう。ここもやや持ち送りがあり1-3号を見た後でしょうか背が高く感じました、1.5m程、立って頭が使える程度です。ここは無袖式ですが入口辺りに仕切り石があり玄室を区画しているようです。説明板や標柱も充実、見学しやすい古墳群でした。でも農道はそこそこ広く古墳群前後に駐車スペースがありますが下の国道から農道へ至る道が急坂で曲がりくねった細い道、通るだけなら問題ないですが対向車が来たらと思うと考えるだに恐ろしい(笑)。ストリートビューで見てなかったら下から歩いて行ったかもです。町史跡。

弁慶穴古墳

山口県周南市(旧熊毛町)2021年1月訪問

横穴式石室(移築)
 位置:34°01′54″N 131°59′03″E (日本測地系)
    34.03494171 131.98169586(世界測地系)

高速道建設に伴い移築復元、羨道はほぼ上部を失う


羨道床面に排水溝


下部に大型石材、上部の石材は小型、移築の証拠に石材に番号、目立ちすぎ


〃縦位置、背が高い推定2.5m程


右側壁、三角マークが右側


左側壁、こちらは四角マーク、奥壁は丸マーク、しかし消せないのかな


変わった天井の積み方
、奥から一段づつ高くなっている


入口側の天井は2段くらい下がっている


奥から外、左片袖式


〃縦位置


玄室床面に敷石&排水溝、前日大雨だったので水が溜まってます7


(見学記)
周南市安田、三丘徳州公園内に移築された古墳です。元は熊毛北高校にありましたが山陽自動車道建設に伴いすぐ南側にあるこの場所に移されました。大型の石室で全長7m程(説明板に数字が書かれていないので全て目測)羨道は上部が失われていますが玄室完存、長3.5,幅2,高2.5m程で背が高い。奥壁は側壁と同様基部にやや大きな石材を据え上部は中型石材を重ねています。天井石は4枚ですが最奥のから手前にかけて1段づつ高くなり一番手前のはまだ2段くらい低くなっています。石材に数字が書かれていて移築感満載(笑)、他の移築石室でもよく見かけますが後から消せないんでしょうか。床面には礫が敷かれ中央には排水溝があり羨道まで伸びています。玄室内のは何故かくねくねしている。ただ前日は1日中雨が降ったせいでこの石室もかなり水浸し、移築後は排水の目的は機能してないようです。公園に駐車場有り。

新屋古墳

山口県平生町 2021年1月訪問

大木崎古墳の側に移築保存、説明板の文字はすっかり消えています


小口部の石はなく中に見えているのはゴミ


箱式石棺にしては重厚な蓋石


蓋石は加工されているんでしょうか、側板も1枚石のようです


(見学記)
大木崎古墳石材の側に新屋古墳出土の箱式石棺が展示されています。長さ1m程、さすがに大人は入らないだろうな。公園入口案内板には石棺蓋としか書かれていない。側板もありますがまさかそちらは復元?、そうも思えませんが。因みに案内板の表示、新屋古墳と大木崎古墳の位置が逆になっています、どうでもいいですが。

大木崎古墳

山口県平生町 2021年1月訪問

 位置:33°56′13″N 132°04′37″E (日本測地系)
    33.94023213 132.07446841(世界測地系)

歴史民俗資料館に隣接する堀川公園に石室移築


ここが玄門でしょうか、内部の石材は側壁の石材なのか


奥壁らしい石材
、どこまで元の状態なのかよく分かりませんが


資料館に作られた横穴石室模型、現在入室不可、多分モデルがあると思いますが


(見学記)
平生町平生町、歴史民俗資料館脇に石室石材が移されています。移築ではなく石材が集積されているだけ。入り口は袖石が立っていて周辺部は板石で囲われ背面も奥壁っぽくこの石材も本物なんでしょうか。全体は2m四方程度でこの石材を使うには小さすぎる感じもする。多分発掘されたんでしょうからその前の様子も写真で展示して欲しかった。側にも一見復元古墳がありますがこれも町内で発掘された大木崎古墳や東前寺古墳群(探しに行ったが見つからず)の石室を参考に作ったそうです。でも現在は入れず覗けず、これでは作った意味がありません。どうせなら余計な墳丘を造らず石室を露出させたほうが余程参考になったでしょうにね。金をかけて墳丘を作って場所だけとっています。ここは図書館もありますが全体は一応堀川公園になっていて駐車場もあります。

神出古墳群

山口県平生町 2020年12月訪問

5基

道路脇に案内板、駐車スペースから撮影


20m程行くと説明板、でもここは入り口ではない


説明板に分府図、でもこれが問題、現在位置、方位が書かれていない、等高線でもないし道路や家の様子もちょっと違う、1-3号を見るには問題ないですが


更に行くとここから入っていきます


1号
1-3号の内一番下にある


下部しか残っていない石室


西向き、斜面下方に開口、入口辺りに祠がある


もうどこから撮ったのやら


2号
1号のすぐ上に2号


反対側から、後方に3号


これも西向きに開口


斜め前から


斜め前から


割と幅広く天井石も大きかっただろうな


後方から


3号
丘陵頂部にある、これを最初に見かける


墓地によって大分削られている


埋まってますがこれも西側に開口


奥壁?、少なくとも動かされている


4号
割とはっきりした高まり、多分4号、5号は見つからず


横穴石室らしい石材露出


墳頂に立っているのが奥壁でしょうか


(見学記)
平生町大野南、5基からなる古墳群です。北側を通る道路に案内標識がありそこを曲がるとすぐに説明板があります。ただ古墳自体はそこからやや離れている、登り口も10m程離れた場所にありそこにも案内板がある。そこから50m程登ると3基の古墳1-3号がある、番号を書いた標識も立っていてわかりやすい。頂部にあるのが3号で低い墳丘が残っているがお墓で少し削られている。南側に石室一部が露出、説明板には開口と書かれているがこれで開口と言われてもな。石室自体も少し破壊されているもよう、位置も現墳丘中心部より少しずれているような。すぐ下に2号、墳丘はなく玄室後部下部だけが残存しています。更にすぐ下に1号、ここも石室下部だけ残存、玄門袖石らしきものも見えています。ただこれも開口と言われてもな。案内板や説明板が揃っているし1-3号を見るだけなら十分なんですが問題は説明板に載っている分布図、4,5号も載っているが方位や現在地が書かれてない。普通なら方位が書かれていない時は上部が北と思うけどそうでもない。周りの道路なども描かれていないので4,5号の位置がわかりにくい。歩き廻って1基発見、低い墳丘で半分近く削られている、石材も露出しているが石室構造がわかる程ではない、多分4号。5号は見つからず、少なくとも明瞭な墳丘は無かった。ここは案内などが充実しているだけに分布図が残念、最低限方位は書いてほしい。町史跡。案内板向かい側に駐車スペースあり。

多々野古墳

山口県柳井市 2020年12月訪問

 横穴式石室
 位置:33°58′26″N 132°05′50″E (日本測地系)
    33.97717343 132.09474413(世界測地系)
下部しか残っていない石室、道路脇にあって見学しやすい


その分草茫々、多少掃除しました


民家脇なのでゴミ溜めにもなりやすい


上部はないが多分1枚石の奥壁


奥から、特に袖はなさそう


(見学記)
柳井市新庄、丘陵南斜面に位置する古墳で天井石を失った石室が露出、前の道が広いのですぐ前まで車で行けて訪問自体は楽です。石室は現存長2.45m幅1.45m高1.5m程、奥壁は1枚石、既に元禄時代に石室前部や天井石が工事で破壊されていたそうです。日当たりの良い場所なので草が繁茂して見学しにくい、今回も多少掃除しました。特に史跡指定はされていないようです。
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