谷中古墳群

福島県矢吹町 2004年5月訪問

1号
前方後円墳、6C末
横穴式石室、全長9.3m
位置:37°11′35″N 140°24′02″E

墳丘はすっかり流失、露出した石室、手前が羨道、玄室も半ば埋没、遠方丘の上(矢印)に鬼穴古墳が見えている


巨大な石室天井石、3m四方


玄室横から、左側が奥壁


他の古墳
天井石が露出、左奥に1号


こちらも石室を持つ、手前が奥壁のようだ


(見学記)

鬼穴古墳に向かう道に案内表示があったので行ってみました。説明板の脇にあるのが1号墳で前方後円墳だそうだけど墳丘はすっかり流失、3m四方もある玄室天井石が露出していますが、説明板がなければうっかり見逃しそうな感じ。よく見れば草むらに埋まった羨道や奥壁上部が見えていて石室と分かるんですけどね。側に古墳が2基、こちらも石室の一部が露出しています。町史跡。

鬼穴古墳

福島県矢吹町 2004年5月訪問

円墳、R17,H4、7C前
横穴式石室、全長8.84m、玄室長5.34,幅2.3,高1.9m
位置:37°11′44″N 140°23′42″E

良好に残る墳丘、すぐ西側に2号墳がある


石室開口部、羨道は殆ど壊失、幅がかなり狭い


やや胴張りの玄室


一枚石の奥壁


奥から外、両袖式


(見学記)

玉川村宮前古墳と阿武隈川を挟んだ西側、低い丘陵上にある円墳です。下の水田の中を走る県道に案内表示(小さくて目立たない)があり、それに従っていくと真興製作所の脇にまん丸い墳丘があります。南側に石室が開口、羨道は基部しか残っていませんが玄室は完存、やや胴張りの石室で奥壁は1枚石です。両袖式ですが袖幅は僅かです。すぐ西側の林の中に2号墳があります。墳丘は良好に残っていてこちらも当然横穴石室かと思われるけどその存在は全く伺えませんが西側に浅い周溝の跡が残っています。県史跡。

竜ヶ塚古墳

福島県天栄村 2004年5月訪問

前方後円墳、TL36,R14,RH4.5,FW17,FH4、6C中
位置:37°14′55″N 140°15′24″E

墳丘北西、谷奥の平野の中に立地


南西、水田の中、島のように浮かんでいる


南側、一見良好な姿を残しているが周囲がかなり削られているようだ


南東


(見学記)

国道6号から村役場のある細長い谷の中に入っていきます。役場の少し手前、すっかり水田になっている谷平野の中に古墳があります。全長36mの前方後円墳で田圃の中に島のように浮かんでいます。完全に裸の状態で周囲に邪魔物もなく美しい姿を堪能できます。でも一見状態は良さそうですが発掘の結果周囲はかなり削られているようです。県史跡。

宮ノ前古墳

福島県玉川村 2004年5月訪問

墳形不明、7C後半
横穴式石室、現存長3.9m、玄室幅2.05,高1.8m
位置:37°11′46″N 140°24′33″E

丘陵下から見た石室


石室正面、前面は壊失しているようだ


見事な切石積みの石室


石室斜め前から


玄室、奥行きはあまりない


(見学記)
須賀川市から国道118号を南下、JR泉郷駅の南方1kmにある古墳です。丘陵東側の斜面に立地、背後の丘陵は工場団地になっていますが古墳周囲は保存、広い駐車場奥に行くとすぐ上に説明板と石室が見えています。墳丘ははっきりしませんが石室が露出、畿内でも滅多にないような切石積みの見事な石室です。前面が壊失しているかも知れませんが角柱状の切石を組み合わせた玄門や玄室は良好に残っています。石室自体はそれ程大きい物ではありません。石室前に説明板が立っているけどすぐ前が急斜面で見づらいこと、こういう例は時々見かけるけどもう少し配慮して貰いたいものです。県史跡。

市の関稲荷神社古墳

福島県須賀川市 2004年5月訪問

前方後円墳
位置:37°15′46″N 140°24′25″E

神社境内にある


前方部隅から後円部、割と状態がよい


前方部から後円部


(見学記)

JR水郡線南西500m、丘陵麓にある神社境内にある前方後円墳です。全長30m程度、墳丘は一見して前方後円墳と分かる程度に良好に残っています。詳細不明。

蝦夷穴古墳

福島県須賀川市 2004年5月訪問

円墳、R36、7C前半
横穴式石室、全長8.2m
位置:37°16′47″N 140°24′05″E

墳丘、石室正面、墳丘の高さは残っているが周囲が削られ方墳状になっている


玄門、羨道は壊失


切石造りの玄室、奥壁は1枚の巨石、奥がやや広がる


奥から外、玄門に袖石を立てている


(見学記)

市役所東方約2km、阿武隈川の沖積平野の中に立地しています。古墳は民家の裏、果樹園の中にあります。家の方に断って見学、ちょうど文化財巡りの小学生の一団と遭遇してしまった。古墳は径36mの円墳だが周囲がすっかり削られて方墳状になっています。ただ高さは結構残っている。南側に石室が開口、羨道は殆ど失われ全長でも8.2mと墳丘の割には小さいが玄室は完存、奥がやや広がる羽子板状の平面形で切石積みの見事な石室で袖石を立てた両袖式、奥壁もほぼ1枚石の巨石です。石室の前に標柱が立っているだけで説明板などはなし。県史跡。

七ツ坦古墳群(大玉村)

福島県大玉村1999年3月訪問
(本宮市側はこちらから)

金山古墳
円墳
位置:37°31′42″N 140°23′53″E

本宮市との境界をなす、低い丘陵上にある


墳丘南側


傾城壇古墳
前方後円墳、TL35,R25、4C
位置:37°32′18″N 140°24′45″E

前方部から後円部、丘陵頂に立地


前方部隅から後円部


二子塚古墳
前方後円墳、TL61,RH5,FH4
位置:37°32′01″N 140°23′26″E

_1:墳丘西側、左が後円部、平野に立地する前方後円墳


_2:墳丘東側、手前が前方部


_3:後円部正面


_4:墳丘図(説明板より)くびれ部が切断されている


(見学記)

傾城壇古墳
中通り唯一の前期前方後円墳です。丘陵頂に立地、前方部は輪郭がはっきりしないがまん丸い後円部が目立ちます。登る道が分からないので上の方にある畑まで行って後は無理矢理突破したが何のことはない北側から登る山道があった。まーよくある事だけど。

二子塚古墳
大玉村と本宮町との境界近く高速道の東側にある全長53mの前方後円墳ですが周囲がかなり削られ全体に細長くなっている上にくびれ部も切断されていますが事前に想像していたよりは前方後円墳の形が割とよく残っていました。埴輪がないため年代は不明ですが後期古墳だと考えられています。(前期という説もある、やはりこれくらい変形していると形からでは分かりませんね)。村史跡。余談ですが墳丘脇の石碑に地元の方が高速道路の建設に対していかに抵抗したかと言うこと書かれていたのを見て、中世の農民が徳政一揆で勝利した記録を石に刻んで残していた話を思い出しました。この石碑も貴重な地方の記録として数千年後に遺物として掘り出されることがあるんでしょうか。

金山古墳
国道4号西側、大玉村と本宮町の境界をなす丘とも呼べないほど低い丘陵上にある古墳です。墳丘上に神社、裾に石塔が多数あり。この辺りの4基の古墳の内ここだけ説明板が無く「図説福島の古墳」にもあまり書かれていないので詳細は不明。天王壇古墳と同規模のようだ。

七ツ坦古墳群(本宮市)

福島県本宮市(旧本宮町)1999年3月訪問
(大玉村側はこちらから)

本宮市と大玉村境界辺りに分布

庚申壇古墳
前方後円墳、R30,H5
位置:37°31′37″N 140°24′05″E

低平な丘陵頂を利用して構築、前方部ははっきりしない


天王壇古墳
円墳、R38,H4、5C後半
位置:37°31′43″N 140°23′47″E

墳丘東側、金山古墳西側、同じ丘陵上にある


墳丘図(説明板より)、濃い部分が発掘部、小さな造出がある、ここから多数の象形埴輪や円筒埴輪棺が出土


(見学記)

天王壇古墳
金山古墳東方100m同じ丘陵上にある古墳ですがこちらは本宮町に属します。82年に西側の一部が発掘され造出のある径38mの円墳と判明(「前方後円墳集成」では帆立貝式となっている)。発掘面積が小さいにも関わらず多数の埴輪が出土、それも円筒形、朝顔形、人物、動物、器財埴輪と種類も豊富で、時代も5C後半の比較的古いタイプの埴輪です。これらの埴輪は本宮町歴史民俗資料館で保管展示されています。また周溝内から4基の円筒埴輪棺が出土周溝からで他ものとしては日本最北だそうです(ちなみに本年3月仙台市で円筒埴輪棺が出土、我が家からごく近くだったのに現説の日がちょうど関西遠征の日で泣く泣く断念、、その脇を通ってきただけによけい悔しい。宮城県で古墳の現説なんて滅多にないんですよ)。

庚申壇古墳
天王壇古墳東方、国道4号(交差点に両古墳の案内板あり)と東北本線に挟まれた低い丘陵上に位置する全長45m以上の前方後円墳です。前方部が削られてかなり短くなっていますが後円部は良好、川原石を使った葺石も一部見えています。埴輪が出た古墳としては中通り最古の5C半ばの古墳です。墳頂に名前の由来となった庚申塔(文化・寛政の年号、こういうのを見ると具体的な古さを実感できます)が3基あります。町史跡。

横手古墳群

福島県南相馬市(旧鹿島町)1996年12月訪問

A群11基、B群4基残存

A1号
前方後円墳、TL31,R9,RH2.3
位置:37°42′44″N 140°57′50″E

唯一の前方後円墳、手前が後円部


すぐ脇を国道6号が走るが説明板も何もないのでまず気づかない


A5号
9号よりの眺め、左奥8号、右奥11号


A6号


A7号


A8号


A9号


A10号


A13号
古墳群の説明はここに標柱が立っているだけ


B1号
円墳、R40,H3.4
上に神社が建っている


(見学記)

鹿島駅北西1.5km辺りにある前方後円墳1を含む県指定史跡の古墳群です。現在A群11,B群4基残っています(11基確認できた)。1号墳は全長30m程の前方後円墳で切石で出来た横穴石室が有りますが現在は見ることは出来ません。国道6号によって墳丘の一部が削られています。この西方線路の向側の水田中にA群の古墳が分布しています。古墳の脇に標柱が一本立っている程度で何の説明もありません。耕作で削られているせいか大きさが大小様々です。その内の小古墳1基に石室の石が露出しています。ここから北西1kmの所にB群があります。こちらには説明板が立っています。1基の古墳の上に初発神社が建っていてこの北東側にも1基有ります。

桜井古墳群

福島県南相馬市(旧原町市)1996年12月訪問、2004年5月再訪

川沿いの段丘端に分布、2支群約30基
主墳の桜井古墳が保存整備され公園として公開

桜井古墳(1号)
前方後方墳、TL74.5,R45,RH6.8,FW30,FH3、4C後半
位置:37°38′18″N 140°59′42″E

96年、公園化に向けて樹木が伐採された直後


前方部隅から後方部


前方部から後方部


後方部から前方部


04年、公園完成後


墳丘南側側面


2番目とほぼ同じアングル


2号
円墳、R20,H2、5C

96年、1号すぐ西側


04年、現状保存


7号
方墳、L27.5,H3.3、4C後半

99年発掘当時、鏡が出土


04年、復元墳丘


(見学記)

(1996年)
新桜井橋東方約1km,新田川右岸の河岸段丘上に位置する全長75m、高7m程の前方後方墳で国指定史跡です。後方部の大きさに比べて前方部がほっそりとしていて小さいのが特徴です。土地の公有化に伴い現在杉が伐採されていて墳丘が大変見やすくなっています。9月に来た時はまだ杉林の中だったからちょっとびっくりでもラッキー。 発掘の方は国の予算が付くまでお預けだそうです。まあ,土地が公有化されたのだから焦ることは無いでしょう。 墳丘上の切り株の年輪を数えたら(私もヒマだね)50弱位だから戦後間もなく植えられたことになります。古墳上に植えなくても良いと思うのだけれどあの時代ではしょうがないか。実際終戦後の古い古墳写真を見ると丸裸の古墳が結構ありますしね。なお同じ段丘上に幾つかの古墳があって古墳群を形成しています。「日本の古代遺跡(福島)」では主墳以外は円1,方1しか残っていない,と書かれていますが職員の方の聞いた話ではまだ十数基残っているそうです。私がざっと探してみただけでも主墳の西に1-2基,東に4基見つけることが出来ました。あの本の記述は何なんじゃ。

(2004年追記)
公園が完成したようなので行ってみました。主墳の桜井古墳は元の墳丘に土をかぶせてすっかり復元されていました。後方部は三段築成、前方部は築成無しで復元されています。後方部頂は木棺が2基あったようですが復元では位置だけ表示されています。埴輪は発見されなかったのでしょうか復元古墳によく見られる埴輪の林立は全くありません。それにしてもあまり綺麗に復元されると味気ないな。すぐ西側には円墳の2号墳が現状保存。この側には墳丘のない土壙墓が位置だけ表示されています。1号が4世紀、2号が5世紀の古墳なのに対して土壙墓は6世紀、だんだん勢力が衰えていったんでしょうか。東側にある鏡が出土した7号墳も綺麗に復元されていました。1号前方部脇には2種類の説明書を入れたポストがあるがより詳しい方は最後の1枚だった、ラッキー。下の河原には駐車場があります。古墳公園専用だと少々広すぎるけど(当日はウイークデーのせいもあって1台も駐車してなかった)、川沿いを散策するなど別の目的があるのかも知れない。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示