【
御領古墳群】
表山古墳群・
上御領下組古墳群・
上御領中組古墳群・
国分寺裏山古墳群・
奈良原古墳群・下御領古墳群・
法童寺古墳群
広島県福山市(旧神辺町)2017年4月訪問、18年1月、19年1月再訪
(基本的に番号順に並べていますが私的に幾つかのまとまりに区分しています)
1、2、90号・
3-16、93号・
18、19、81、82号・
20-22、24-27号・
68、69号他・
58号他35号他(南部ゾーン:見学困難)、
64号他(南西部ゾーン:見学困難)、
74号他(古墳ハイキングロード)(クリックでジャンプ)
1号位置:34°34′20″N 133°24′06″E (日本測地系)
34.57545937 133.39905478(世界測地系)
群中最北端に位置する、天井石露出

反対側、側壁一部露出

石室内部は埋没
2号1号側、この2基がポツンと存在、手前はずり落ちた天井石

平たい天井石露出

一応石室らしい姿、内部埋没

90号1号から大分離れた南側、1基だけポツンと立地、周りが石だらけで探すのに手間取った、そのせいで発見が遅れたのか番号も90号と離れている

かなり崩れているが正面から見ると石室らしい姿

石室後部の天井石

谷筋に向かう斜面に立地、中間の天井石だけ何故か柱状

3号位置:34°34′11″N 133°24′09″E (日本測地系)
34.57295964 133.39988814(世界測地系)
古墳群全体の訪問第1号

側面、墳丘は石室を隠す程度

石室正面、比較的状態は良い

玄室内部、奥壁が見えている

奥壁は四角い鏡石+平石

奥から外、最初なので入ってみました、数は多いし埋没半埋没も多くこの後は殆ど入らず
4号天井石露出、少し動いているようだ

斜め前から、後方に3号

石室正面、平らな天井石

石室内部、比較的良好
5号開口部斜め前から

正面から

内部はやや埋没も奥壁が何とか見えている、冬でも笹が生えていることが多く撮影の邪魔になる
6号位置:34°34′10″N133°24′11″E (日本測地系)
34.57268189 133.40044365(世界測地系)
天井石露出

内部埋没、向きが分かる程度
7号分かりやすい天井石露出

石室正面

何とか奥壁が見えている
8号天井石露出、こんなのばっかり

正面から、手前は傾いた天井石

奥の天井石、このように加工された平石が多い

それ程埋まっていないがほんと笹が邪魔
9号天井石露出、後方は7号かな
10号石室らしい姿で露出

天井石1枚残存、前部は壊失か

石室内部、この石は傾いているかも

正面辺り、10号先端かもしれない
11号斜面際に天井石露出

ここはそれ程平石ではない
12号少し離れた斜面に開口

石室正面

石室後部しか残っていない
93号12号近く、似たような状況

石室正面

奥壁が見えている、意外と緻密な積み方
13号横穴式石室、全長8.3m、玄室長6.2,幅2.4,高1.6m
位置:34°34′05″N 133°24′11″E (日本測地系)
34.57129317 133.40044371(世界測地系)
群中最大の石室を持つ、この古墳群としては例外的に墳丘が割と残る

左側が急斜面なので墳丘も左側が大きく流失

石室正面、羨道は基部が残存

大型石室だが大分埋没、元々それ程背は高くなかったかな

ストロボ撮影、しゃがんで入室

鏡石らしい上部が丸い鏡石、下部が埋まっているのが残念

奥から外、右片袖かな
14号尾根筋に立地、これでも墳丘が残っている方

石室正面、羨道基部は埋没

内部はかなり埋没、奥壁が見えている、これ1基だけならまず入っているだろうな

身体を突っ込んで撮影、左のが袖石だろうな、奥壁の形がちょっと変わっている

15号:かなり探したが見つからず
16号位置:34°34′05″N 133°24′15″E (日本測地系)
34.57129316 133.40155472(世界測地系)
尾根先端に巨石天井石露出

石室側面、殆ど露出

石室正面、傾いて落下した天井石

最後部の1枚のみ元の状態で残存

下部が埋まるが奥壁は2段か3段か

石室前部を上から、この先は急斜面

82号 位置:34°34′08″N 133°24′04″E (日本測地系)
34.57212643 133.39849941(世界測地系)
道路北側、天井石が露出して分かりやすい

内部殆ど埋没、奥壁が何とか見えている
81号82号から進むと斜面下に石材露出

あまり加工していない天井石

石室内部
19号更に進むと出会う、前部壊失か

横から、天井石2枚残存

開口部正面

石室内部、奥壁は小型ながら1枚
18号 位置:34°34′10″N 133°24′00″E (日本測地系)
34.57268194 133.39738838(世界測地系)
19号すぐ上に18号

天井に隙間、石材が一部抜かれている

開口部正面、内部埋没

20号 位置:34°34′07″N 133°24′00″E (日本測地系)
34.5718487 133.39738841(世界測地系)
緩斜面最上部辺りに立地

石室正面

土砂流入も意外と長い石室が残る

奥壁は1枚石
21号斜面に石材、札が無いと分からないかも

正面側、内部埋没

背後から、手前のはほぼ未加工か
22号平たい天井石露出

正面から

背後から、ほぼ平たい天井石

石室内部、左が奥壁か、何故かこれだけ
24号石室正面、手前は羨道石材でしょうね

開口部正面、石室は割と長そうだが埋没

天井隙間に植物が生えてきている

石室背後から、手前が最奥の天井
25号開口部正面、平たい天井石

内部はかなり埋まるが何とか奥壁が見えている

露出した天井石
26号 位置:34°34′02″N 133°24′06″E (日本測地系)
34.57045995 133.39905498(世界測地系)
露出した石室、正面側から

石室規模の割には薄い天井石

内部はやや埋まるもよく残る

奥壁、下部が埋まるが下は1枚の鏡石かな

奥から外、抜けた天井部から土砂が流入

天井石背後から
27号 位置:34°34′01″N 133°24′10″E (日本測地系)
34.57018219 133.400166(世界測地系)
尾根先端に巨石天井石露出、この先も左右も急斜面

奥壁側がポッカリ開口

手前に落ちているのが奥壁上部の巨石、墳丘を考えるとこの規模の石室を構築するのはかなり無理がありそう、奥壁背後の封土は多分薄く落下するのは必然的

こちらが羨道入り口、前はもう急斜面

羨道右側、薄いかなり加工された天井石

上から見るとそれ程板状でもなかった、前が急斜面、羨道入り口から遺物等を入れるのは困難そう

玄室内部はよく残る、奥壁下部の石残存

右側壁

左側壁

奥から外、玄室最前部はかなり壊失
96号27号西側下方斜面に石室露出、コフ友さんに見つけてもらいました、この近くの97号は怪しいのがあったが古墳と断定できず

天井石が落ちるのを樹木に支えられている

内部は殆ど埋没

奥壁、手前の枯れ葉にピントが合ってしまった

石室西側は殆ど露出

69号 位置:34°34′01″N 133°23′43″E (日本測地系)
34.5701823 133.39266665(世界測地系)
石室正面、緩斜面に立地

開口部正面、天井石が分厚い

石室内部、半ば埋まるも奥壁が見えている

天井石2枚露出
68号丘陵頂部近くの平坦面に立地、手前は羨道天井石か

画面中央、立っている石が玄門袖石でしょうか

石室背後から
外14号天井石でしょうか、これ1枚のみ、動かされたのか、未使用の石材か

45号札があったが石室見当たらず

これかな、かなり破壊

別の石室かも
58号藪の中に天井石露出

石室内部、奥壁が見えている、更に奥に進もうかと思ったが道が消えていた
66号道路から白い札が見えていた、66号あたりかな、とても接近できそうにもない

35号位置:34°33′57″N 134°24′05″E (日本測地系)
34.56907123 133.39877728(世界測地系)
尾根先端に築かれている、法童寺古墳群から道なき急斜面を登ると出会う、上からの山道もあるが分かれ道が分かりにくい

前は急斜面で羨道はかなり壊失

玄室内部、やや埋まるも良好

天井に隙間があるので内部は明るい、やや持ち送りがあるか

基部に大型石材を据えた奥壁

奥から外、右片袖式

これでも御領にしては墳丘が残っている方
34号位置:34°33′59″N133°24′05″E (日本測地系)
34.56962671 133.39877726(世界測地系)
35号であることをを確認する為山道を北に行く、小さな石室34号があったので間違いなし

奥の天井石だけ元位置で残存

横から、細長い小型石室
33号_1:34号側に33号があるはず、でありました、これで35号確定
_2:天井石露出、内部埋没

30号位置:34°34′01″N133°24′02″E (日本測地系)
34.57018221 133.39794398(世界測地系)
34号北西、谷筋の斜面にある30号、道は全く無く更に見学困難です

急斜面に天井石露出

石室正面、これ以上下がれない、全面に石材が崩壊していた

奥の天井石

内部はかなり埋まっている

奥の天井隙間から撮影、奥壁は1枚石でした

奥から外、入り口天井がかなり傾いている
31号すぐ西側に31号、前部は上部壊失

最奥だけが残る

これも奥壁はほぼ1枚のようだ

西側から、後方に30号
29号多分石室
32号これはもっとはっきりした石室

最後部の天井、内部埋没

64号位置:34°33′53″N 133°24′00″E (日本測地系)
34.56796026 133.39738855(世界測地系)
尾根先端に構築、石室すっかり露出

急斜面を下から登っていくと最初にこの辺りに到達、ここが石室正面、石室前部は殆ど崩落

天井石が折れたり外れたりで落下、玄室は殆ど埋没

最後部辺りの天井石が一つ残る、天井石にふさわしくない細い石材

これが奥壁、背後は急斜面で墳丘に余裕はなさそう

分厚い石材、でも石室全体から比べれば薄い

奥壁背後から

石室背後上から

古墳群唯一の両袖式
57号位置:34°33′55″N 133°23′58″E (日本測地系)
34.56851576 133.39683303(世界測地系)
天井石露出

隙間開口している

内部はやや埋まるが石室良好のようだ、奥の天井石が一段下がる

奥壁は下が埋まるが左が1枚のようだ、右は多段積みとちょっと変わっている
55号位置:34°33′56″N 133°23′55″E (日本測地系)
34.56879352 133.39599975(世界測地系)
石室正面、羨道は崩壊埋まる、55か56か不明

玄室はよく残る、左と右で石材の大きさが随分異なる

上部が丸い鏡石らしい鏡石

奥から外、無袖式かな
63号位置:34°33′54″N 133°23′54″E (日本測地系)
34.56823803 133.39572202(世界測地系)
神社背後、小型石室露出

最後部辺り

何とか奥壁上部が見えいている、更に上部に古墳が多数あるはずだが藪が酷くて見つからず

75号位置:34°33′57″N 133°24′13″E (日本測地系)
34.56907121 133.4009993(世界測地系)
大型石室を持つ74号、麓からの方が行きやすそうなので神社に来てみたら新しい見学路が出来ていた

社殿背後に古墳があります、表示版がないと見過ごしそう

麓にあるのはごく少数だから重要そうだけど

天井石の一部が露出するのみ
74号位置:34°33′59″N 133°24′16″E (日本測地系)
34.56962669 133.40183253(世界測地系)
山道を歩いていくと左側に尾根先端をカットした大きな墳丘

これは奥壁、よく落ちなかったなと思うレベル

左が奥壁、右は落ちた天井石

天井が大きく開いている

入り口方向、正面はまぐさ石

羨道前は急斜面、ここも地形ギリギリに石室を作っている

石室正面、羨道埋没

玄門辺りを上から

中間部は天井が残っている

石室後部、奥壁が意外と小さい

玄室内部、残っている天井石もかなり危ない

玄室奥から
71号位置:34°34′02″N 133°24′13″E (日本測地系)
34.57045993 133.40099925(世界測地系)
山道を登っていくと大きな墳丘、これも尾根をカットした地形でしょうか

石室基部が残っている、奥に奥壁が見えている

前部辺り

前は急傾斜、こんなとこに開口部を作るか

側壁に薄い石が挟まっている、ひょっとしてここが玄門辺りなんでしょうか
70号直ぐ側にもう一つの石室、唯一の双室墳だそうですが別々に番号がついている

これも細長い石室下部が残る

後部に唯一天井石が残る

かなり動かされています

奥壁は小型石材を積んでいるようだ

石室後方から
17号位置:34°34′02″N 133°24′13″E
更に登るとかなり破壊された石室

画面左下が最後部の天井石

石室正面から、後に下がれない

左側の石は落下した天井石

奥壁上部が見えている程度
見学記(19年)
(南部)
去年までは丘陵中腹を通る道路から山道に入っていって探していましたがそれでは探し出せない場所もあるようなので今回は南側麓から捜索してみました。とは言え丘陵裾沿いには民家が並んでいるので入れるのはほぼ2ヶ所の神社に限られます。まずは中央辺りにある日吉神社から。長い石段を登って社殿左側から左手に痕跡道があるのでそこから入って行くと尾根にオリエンテーリングのポストがあるので(何故ここに一つだけある?)急な尾根筋を登っていきます。平坦面に達した辺りに石室開口、これが35号、なかなか立派な石室です。ここから細い山道を北に行くと小型石室の33,34号が並びこれで前のが35号と確定しました。更に山道を行くと別の山道と合流、去年まではここを通っていたけどこの分かれ道が分からなかったんだ。場所がだいたい分かったので元に戻って谷筋を降りていきます。溜池奥に2基の石室があり多分これが30,31号、更に西に埋没状態の2基の石室、4基が直線状に並んでいる。分布図とはちょっと並びが違うけど30,31はまず間違いないかな。この西側尾根にも古墳が幾つかあるはずだが藪が酷くてさっぱり分からず。現在位置が分からなくなって危うく遭難しかけたけど北に行けば道路に出るだろうと強行突破して道路に出た時はホッ、でも車に戻るのに大廻りになったけど。これで午前は終了。
(南西部)
午後はまた日吉神社から出発、オリエンテーリングポストから上に登らずそのまま同じ高度を保ちながら行きます。暫く行くと崩壊した神社があってこの辺りに76号があるはずだが野犬が煩く吠えるので帰りに探そうと思ってパス(結局帰りは楽なコースを通って下ったけど)、更に進むと下に砂防ダムが見えるのでその辺りから上に登ると尾根先端頂部に大きな石室露出64号です。ただ天井石が割れて石室内に落下、状態はよくありません。奥壁が分厚い板石の様子がよくわかります。御領では唯一の両袖式石室だそうです。ここから一旦谷に降り更に尾根筋を登ると56号があります、珍しく墳丘が残っていますが石室は隙間開口、石室自体はよく残っているようです。側に57号が隣接しているはずだが分からず(56と57が逆かも)。更に尾根を登っていくが藪がだんだん酷くなる、そろそろ諦めようかなと思っていたら石室に出会いました、我ながらよく見つけたなと思う。石室自体はよく残っている、55か54号か、現地ではどちらか断定できず、断定できないと側のもう一つもどちらを重点的に探すが迷います、結局見つからず。ここからは上は藪が酷くて断念、西側の尾根に建物のようなマークがあったので行ってみたら神社でした。この背後に小さな石室開口63号です。更に尾根を登った辺りに古墳が点々とあるはずだが藪が酷くて見つからず、この辺りから更に北側は笹薮が酷く移動さえも困難なのでもう諦めました。神社からは下っていく道があるので楽々下山、なので76号はすっかり忘れてた(汗)。
今回のコースは山道どころか痕跡道も殆ど無いので当然普通の人が入り込めるような場所でもないので他ではある古墳の札も全くありませんでした。訪問される方は自己責任でお願いします。
ここは1日がかりになるのは必至だったので車も落ち着いて止められる場所が必要、なので西側県道沿いにある砂留施設の場所に車を止めましたが国分寺東側の下御領八幡神社にも駐車場があります。
(古墳ハイキングロード)
時間に多少余裕があったので麓東側にある74号を見学に行きました。ここも斎神社が目印、旧山陽道から大分離れていますが大きな石灯籠が目印です。神社に行くとここから古墳ハイキングロードが出来ていてラッキーでした。社殿背後に75号、でも側壁の一部が露出程度で古墳の札が無いと古墳ともわからない状態です。ここから山道を登っていきます。次に出会うのが74号、尾根先端をカット整形して墳丘下部を構築、上部に大きな石室が完全露出しています。全長8.4mと群の中でも最大規模の石室です、その割には奥壁が小さい。天井石も一部割れて落下、状態はやや悪い。しかしここの古墳群でよく見かけますが地形の割に大型石室を造るから墳丘の余裕がない、なので早くに墳丘は流失していたんでしょうね。更に登っていくと右に古墳の表示、脇道を入ると直ぐに大きな墳丘があります、これも尾根の整形でしょうか。上に細長い石室が2基並ぶ、71,72号です。共に上部を失った石室、ひょっとしたら双室墳かもしれません。更に登っていくと17号、大分破壊されています。もう夕暮れ間近、これ以上あったらまずいなと思いつつ登っていったら尾根筋に到達して以前見ていた13,14号辺りに出会ってホッ、これで終了となりました。ここにハイキングコースの表示版があったけど去年まではなかったような気がする、あれば当然降りていっただろうしね。下御領はこれで終了かな。
(18年)
ここはほぼ林や藪の中、山道もありますが道がないのも多いです。古墳の側に古墳の札がかけられていますがないのもあります。ただ番号が書かれていないので分布図と参照する必要がありますが密集していたりするとどれかなと思うこともあります。分布図の地形図もやや粗いので実際の地形が表示されていない場所もあり現在地が分からなくなることもありました。こういう時番号が書かれていたらかなり助かるんですけどね。群中最大規模の13号や他にも幾つか大型石室があります。ただし今回廻れたのは1/4程度でしょうか。
(17年)
ここはほぼ林や藪の中、山道もありますが道がないのも多いです。古墳の側に古墳の札がかけられていますがないのもあります。ただ番号が書かれていないので分布図と参照する必要がありますが密集していたりするとどれかなと思うこともあります。分布図の地形図もやや粗いので実際の地形が表示されていない場所もあり現在地が分からなくなることもありました。こういう時番号が書かれていたらかなり助かるんですけどね。群中最大規模の13号や他にも幾つか大型石室があります。ただし今回廻れたのは1/4程度でしょうか。