篠原東古墳群

府中市(旧上下町)2022年11月訪問

7基

その1
 位置:34°39′55″N 133°11′11″E(日本測地系)
    34.66849927 133.18379306(世界測地系)
民家に向かう道路から林の中に石室が見えている


石室前を山道が通る、墳丘は殆ど見られず


石室前部は壊失か


石室正面、板状に加工された天井石


石室内部、やや埋まるが元々低いか


ストロボ撮影、長さ3m程、側壁奥壁とも下部に大型、上部に小型石材


奥壁、鏡石らしい石材、左右側壁も同様の構造


奥から外、前部壊失だが無袖か


その2
山道を更に進むとその2、前部天井壊失、手前の石材を見ると石室最前部辺りか


全長6,7mの石室がよく残る、その1に比べて小型石材が少ない


ストロボ無し


天井石2枚残存、奥の方が長大


奥壁は四角い鏡石


奥から外、ストロボ無し


奥から右側


奥から左側


その3
その2下方に墳丘が見えていた、山道は更に続いていたが古墳は見当たらず


近寄ってみると石材露出


更に下方辺りから、現地だと何とか石室だと分かる


石室後方部、天井石が原位置で残っている


石室後方から天井石の並び


最後部に隙間があった


中を覗くと石室が良好に残っていた


これは入らなくちゃで中に入って撮影


ストロボ撮影、奥壁は縦長の鏡石+平石


奥から外、右上の隙間から入る


その4
その1に戻って上の方を探しました、石材を抜かれた跡かな


その5
更に上の方、これは間違いなく石室


最後部辺りだけが何とか見られる


切石状奥壁、幅は30cm程度と狭い


(見学記)
上下町岡屋、篠原古墳群から更に東側、7基からなる古墳群です。県道から脇道に入っていくと大きな家の手前で左手林の中に開口している石室が見えました。奥行き3m程、この前を山道が通っていています。更に進むともう1基開口、これは先端まで残っているようで前部天井を壊失していますがそれ以外ほぼ完存、長6,7m程、奥壁はよくある四角い鏡石+平石、天井石は3枚ですが一番奥のが長くすこぶる巨石です。更に行くとすぐに左下に墳丘が見えています。石室も見えていますが天井石は傾き内部埋没、最奥の1.5m程度でなんとか内部が見られます。簡単に見つかるのはこの3基だけ、他は探し回ったが見つからず最初の石室の上の方で奥壁辺りが僅かに残っているのが見つかった程度でした。分布状況が全くわからない中で入れる石室が3つも見つけられたから満足。脇道手前に駐車スペースあり。脇道は私道かもしれない、そうでなかったら中に入ったところにも駐車スペースがあります。

篠原古墳群

府中市(旧上下町)2022年11月訪問

林際に案内板、だが特に道はない


その1
 横穴式石室
 位置:34°39′59″N 133°10′47″E(日本測地系)
    34.66961007 133.17712703(世界測地系)
尾根筋東斜面に大きく破壊された石室、石材はかなり加工されている


右斜め前方から


最後部辺りだけが残存、かなり加工された天井石


最後部正面、後方にも石材が見えるが天井石ではなさそう


天井も1、2枚だけが原位置を保つ


かなり危険な状態の側壁


崩壊寸前


後部3m程度が良好に残存


奥壁は2段積みか、末原古墳に比べて詰石が少ない


奥から外、天井席が傾き転落


内側から見るとますます危険な状態


その2から見たその1


その2
直ぐ側にその2、更に周辺を探したが見つからず


これもその1と似たような状況


内部を見たら最後部じゃなく途中だった


後方にもまだ天井石が続いていた


横から、石室内部は埋没


_2辺りを横から


見学記
上下町岡屋、これもグーグルマップに載っていました。ここも前の道路に広い駐車スペースあり。どこから林の中に入ろうかと探していたら林の中に案内板が立っていました。それに従って矢印の方向に進む、尾根筋からやや東ずれた緩斜面に2基の石室が並んでいました。手前のがやや大きく長5,6m程度、前部は天井石が傾き石室内に落下、よく残っているのは後部くらいです。天井石2枚残存、でも手前のを支えている側壁が今にも崩れ落ちそう、これが崩れたら多分天井石も落下します。すぐ北側のはやや小型、状態も悪く半ば埋没しています。4基あるようですがこれ以外見つからず。

末原古墳

府中市(旧上下町)2022年11月訪問

横穴式石室
 位置:34°40′20″N 133°09′27″E(日本測地系)
    34.67544229 133.15490691(世界測地系)
案内板じゃないけど林縁の四角い黄色い標識辺りから入っていく


尾根先端辺りに立地、墳丘は多少残る


尾根主軸方向、南側に開口


奥壁が見えています、石室後部2m程度しか残っていない


下が埋まっているけど奥壁は2段積みか


奥壁拡大、隙間の詰石もよく残っている


入るまでもないので右を撮って


左を撮って


結局中に入って側壁正面から


反対側も正面から


(見学記)
上下町井永、これはグーグルマップに載っていたので行ってみました。前の道路に駐車スペースもあったし(これが重要)。何処から林の中に入ろうと探して小さな墓地があったのでそこから入ってみました。後はグーグルマップのアイコンを頼りに探して尾根先端に古墳がありました。グーグルマップを捜索に使ったのは初めてかな、ここは正確だったけど微妙に位置が違っていたら古墳群ではあてにならない。尾根先端を整形して構築、低い墳丘が残っている。南側に開口、前部は大きく破壊、後部2mくらいしか残っていません、奥壁は2段積みか。幅は1.5mくらいあるから結構大きな石室だったようです。

南山古墳群

府中市(旧上下町)1996年4月訪問、2022年11月再訪

(2022年)
1号(南山古墳)
 前方後円墳、TL23,R14,FW9,RH3、7C
 横穴式石室、全長8.4m,玄室長5,幅4.5,高2.2m
 位置:34°39′47″N 133°09′52″E (日本測地系)
    34.66627675 133.16185066(世界測地系)
樹木が伐採され美しい姿を見せている


石室真正面から撮ると電線が邪魔になるのが残念


電線が入らないギリギリのアングルで撮影


前方部側から、前方部が殆ど分からない、斜面際に立地しているのが分かる


斜め後方から


後円部から前方部、後方の林に3号がある


開口部斜めから、元々それ程伸びてなかったかも


開口部正面、幅の割に背が高い


羨道、側壁に殆ど真っすぐ立っている、左側壁はそのまま玄室側壁に連続


〃縦位置、まぐさ石はなさそう


玄室も極めて良好、側壁上部に僅かに持ち送り


天井石、一部で荒々しい加工


右側壁


左側壁、全体にブロック状の中型石材


奥壁は基本的に左右2列になっている


奥から外、左片袖式、まぐさ石がなく羨道天井が一段下がる


〃ストロボ無し縦位置


〃縦位置


天井


羨道奥から


3号
案内板は何故か平山古墳となっている、山道は途中で消えている


墳丘背後から


北東方向に開口、石室前に倒木


しゃがんで入るが特に問題なし


内部も特に荒れることはなく


奥壁は1号と同じく2列か、一応将棋の駒型の鏡石を据える


奥から外、右片袖式、袖石は側壁に食い込むことなくほぼ置いている感じ


(1996年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
1号(南山古墳)
斜め後方、下側から、この頃は木が生えていた


前方部側から


斜め後方、上側から


上側から、後円部に少し凹みがあるか


後円部正面


石室正面


羨道、縦位置


玄室


奥から外


3号
墳丘背後から


石室正面側


開口部正面


玄室


奥から外


(見学記)
(2023年)
上下町水永、ここも26年ぶりの訪問、以前は林の中でしたが今はすっかり伐採され、完全裸の状態、県道から前方部が短く低い前方後円墳の様子がよくわかります。石室も県道方向を向いているし絶好の撮影ポイントだけど太い電線が邪魔になる。以前はなかった大きな説明板が立っていました。石室自体は特に変わりなし、入り口辺りが急に狭くなっている様子がわかります。北側に2号墳があるそうですが探し忘れた。水永バス停背後に駐車スペースあり。
南山古墳南東の林の中に3号があります。北側入り口に案内板がありますが何故か平山古墳となっている。山道自体は途中で消えています。県道際に古墳、高まりが残り南側に石室開口、倒木等で荒れ果てていますが石室自体は良好、4m程度でしょうか。
(追記)グーグルマップには平山古墳として載っているが明らかに位置がおかしい、3号はもっと県道寄り、まさか別の古墳なのか

(1996年)
県道脇にあり,水永バス停から墳丘を望むことが出来ます。後円部に石室の開口した前方後円墳で全長(22.5m)の割に後円部が高く(4m)寸詰まりの感じのする古墳です。石室は奥に向かって末広がり的に広くなっていて長さ8.3mです。南東側竹林の中に墳丘,石室ともよく残った3号墳があります。

二反田古墳群

府中市(旧上下町)2022年11月訪問

横穴石室墳、2基

県道から見た様子、奥の林の中にある、手前の橋の脇に案内板があるが小さいので分からない


橋を渡った右側に案内板、でも反対向き、午前中ここを渡った時は”ゴミ捨てるな”とかと思って気がつかず


確かに案内板、矢印の方向もあっている、でもこの向きではね


林の前に墓地、午前中はここまで来ていたんですが、林に入って右奥、谷筋を歩いていきます


その1
 34°39′34″ 133°10′04″(日本測地系)
 34.66266612 133.16518367(世界測地系)
尾根筋にハッキリした墳丘


上側から、左にその2が見えている


東向きに開口


石室前部はかなり破壊


最奥だけ天井が残る、天井石上下が見事に切石状


奥壁はほぼ1枚石、天井石は2枚残存、手前の落下した石も切石状


右側壁、奇妙な形だと思ったが


正面から見ると2石でした、でも左側は1枚かな、やはり変わった形


左側壁、奥の方が鏡石にも使えそうな形


〃奥から


その2から見たその1


問題はこれ、形からして天井石かな、外護列石にしては大きい


その2
その1すぐ下にその2


東側が窪んで石室大きく破壊


石室基部だけ残存


上記同じ位置から反対側、細長い石室か


(見学記)
上下町水永、南山古墳南東500m林の中にある2基からなる古墳群です。県道から案内板が見えているそうですが見当たらず、マップにプロットしていた位置も間違っていたようで見つからず一旦諦めました。近くの他の古墳を探していて案内板があるのに気づく、どれも同じような形式。ならばここにもあるかと思って午後探してみたら確かにありました。コンクリの橋を2度目に渡ったところにありました。最初の時もこれを見ていたが裏返し状態、よくある注意書きの看板かと思って見落としていました。確かに反対側に二反田古墳と矢印と他のと同じ形式、矢印の方向も正しいけどこれでは意味がないだろ。確かに県道からも見えていますが文字も見えないし気がつくことさえまず無理です。とにかく橋を渡って林縁に2基の小さなお墓(午前中もここまでは来ていた)、ここから林に入って右側浅い谷筋を入っていく(歩きやすかったから行ってみただけ)と奥に2基の古墳が並んでいました、ホッ。奥の方が大きく1号か、南側に開口、前部は天井石が傾いているなど状態は良くないが奥の方はよく残っています。奥壁は1枚石、天井石2枚残存しています。墳丘周りに石が露出、外護列石でしょうか。すぐ下に2号が隣接、こちらは細長い石室が露出、状態は悪く基部残存、側壁片側が露出程度です。案内板手前橋の袂に駐車可。
(追記)グーグルマップに載っていた、私が訪問した頃は載ってなかったから探すのに手間取った。

貝ヶ原古墳群

広島県尾道市(旧御調町)2022年11月訪問

貝ヶ原古墳群
 丘陵南側斜面に分布する横穴石室墳
その1
 34°31′06″ 133°09′23″(日本測地系)
 34.52157221 133.15380004(世界測地系)
墓地の中を通る道路脇に開口、この辺りに駐車可


開口しているのは奥壁側


入口側も開口、トンネル状になっている


本来の入口側正面


石室内部


右側壁、四角いブロック状の石材


左側壁も同様、ちょっと危険な状態


更に下がって撮影


墳丘横から


その2
その1すぐ下にも高まり、墳丘でしょう


下側から、僅かに石材が見える


その3
その1道路反対側墓地の奥にその3、左奥に見えているのは砂防ダムのようです


斜面に開口、手前の石材も古墳のものか


前部破壊、後部だけ残る


小型石材を積んだ石室、一部で赤い顔料が残る


奥壁は四角い鏡石+平石3枚


奥から外


右側壁、平たい石が多い


右側壁


横から、墳丘の膨らみが僅かに残る


その4
その1から道路を少し下ると山側に見えている、手前の石材も古墳のか


これも石室後部しか残っていない


石室内部、奥壁上部が抜けて明るい


奥壁は四角い鏡石+平石、その3と似ている


奥から外、上部がやや持ち送りか


その5
 34°31′064″ 133°09′24″(日本測地系)
 34.52101672 133.15407779(世界測地系)
その1近く民家手前に巨石露出、この時点では石室かどうかわかりませんでしたが


近寄ってみるとかなり加工された石材


更に廻り込むと石室確定


これも後部しか残っていない、あるいはどれも石室長があまり長くないのかも


巨石で構成された石室、前が藪で下がれなかった


奥壁は1枚石の巨石


左側壁


中に入って左側壁正面から


右側壁、こちらも奥に巨石使用


正面から、面を整えている


天井石は2枚残存、奥行きがないので奥から撮っても殆ど何も写らず


摩崖仏
その3から更に下がった辺りに摩崖仏、ここにも駐車可


摩崖仏ね・・・


(見学記)
御調町貝ヶ原、丘陵斜面一帯に分布する横穴石室を主体とする古墳群です。規模は不明ですがストリートビュー(SV)で見ると2基の石室が確認できたので行ってみました。最初に行ったのがお墓の横、道路脇に開口している石室、奥壁側が開口、反対側も開口していてトンネル状になっています。その下にも墳丘があるが石室見られず。道路向かいの上側斜面にも1基、これもSVで確認できます、こちらはほぼ完存、更に南西側下方にもう1基、墳丘は残るが石室の状態はよくない、この3基はどれも長さ3m程度です。民家脇に大型石室が露出しているはずなので探してみると最初の古墳の下の方の民家脇にありました。巨石天井石が露出、反対側に廻ってみると開口、玄室しか残っていませんが各壁はどれも1枚石の巨石からなっています。まだあるはずですが雨上がりの夕方ということで歩きにくく諦めました。下の方に道路脇に摩崖仏があります、巨石に仏様が浮き彫りされていますがあれで摩崖仏はオーバーだろ。この脇や最初の石室辺りに駐車可。

猪子迫古墳

広島県尾道市 1998年4月訪問、2022年11月再訪

猪子迫古墳
 横穴式石室、全長9.2m、玄室幅2.3,高1.9m
 位置:34°27′16″N 133°12′38″E (日本測地系)
    34.45769143 133.20796318(世界測地系)
(22年)
墓地への登り口、ここに駐車可、表示版は付近の案内図


墓地の奥に古墳、墳丘は見えず説明板があるので分かる


近寄ると石室開口部が見えてくる


正面から、かなり加工された天井石が印象的、右にあった古い説明板は左へ、よく残っていたな


新しい説明板、地元有志のものらしい


石室前部は基部だけ残る


天井のある石室部分は7m程度残存


奥壁はほぼ1枚石、隙間から明かり、墳丘は痩せている模様


天井はレベルが揃っている


右側壁、こちらも大きな隙間


左側壁


奥から外、無袖のように見える


(98年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
この当時はまだ墳丘が見えていた


開口部正面


石室内部、写真が変色していたか


奥から外、ストロボ付かず画像操作した


(見学記)
(2022年)
美ノ郷町猪子迫、24年ぶりの再訪、当時はフィルムの頃、枚数もあまり撮ってないのでデジカメで撮り直すつもりで再訪してみました。もう当時の頃は忘れているので殆ど新規の気分です。
丘陵中腹に墓地がありその片隅にあります、以前の写真を見ると日が当たっていますが現在は林の中と言った感じです。入口前にあった古い説明板は左に移動し倒れかかっている、残っているだけでも立派、新しい説明板が立っていました。全長9m程の石室、羨道は基部しか残っていませんが玄室完存、奥壁は巨石1枚石、2枚の巨石天井石が見もの、無袖式かな。墓参の為の道があるけど急傾斜で枯れ葉がつもりちょっと歩きにくい。下の道路に車が停められますが何台かの車が停まっていた、休日だったので墓参の為かと思いましたが誰もいない、ストリートビューで見ても同じような車が停まっているのでどうも地元の方が恒常的に停めているのかもしれません。市史跡。
(追記)23年5月最新のストリートビューを見ると駐車している車はなかった。

(1998年)
戸田1号西方3km南側を流れる藤井川沿いの県道に猪子迫の案内板があり(その後何もないので注意)谷を北に入って行くと溜池があってその堤を通って丘を登っていくと墓地の一角に古墳があります。墳丘はかなり流れ去っていますが南側に石室が開口,羨道は下部石組みしか残っていませんが玄室は完存,全長9m巨石の割石を使った片袖式,奥壁も巨大な1枚石,天井も厚さ1mの巨石を3枚使用しています。平野部からの見通しの悪い位置にある古墳です。市史跡。

鍬寄古墳(鍬寄1号)

広島県庄原市 1996年4月訪問、2022年4月再訪

 墳形不明、終末期
 横穴式石室、全長12m,玄室幅2.5,高2.2m
 位置:34°50′49″N 133°05′37″E (日本測地系)
    34.85014432 133.09101816(世界測地系)
(2022年)
県道脇に案内板、東側(後方)から来ると見落とす、撮影場所に駐車スペース有り


坂道を登ると突き当りに案内板、ここを右


民家前の斜面に石室、そこにも案内板、撮影場所辺りにもう1基の古墳があるが見落とした


背後の家は新しくなっているが石室は変わらず


石室正面


左側だけ残っている、途中に段差があり入口側の方がやや幅広くなっているような


正面から見るとはっきり段差がある、右側は前部壊失のようだ


巨石で構成された石室


右側壁


左側壁


奥壁、上のは後世の物のようだ


奥から外


左側壁を正面から、奥壁より巨石


右側壁を正面から


奥から右方向


奥から左方向


先端部を正面から、後方切り通しの所に別の古墳がある


石室後方から、元々でしょうが天井石が大分ずれている


巨石過ぎて動かせなかったか


(1996年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
石室下方から


石室正面


石室内部、フィルム時代なので枚数節約なので側壁奥壁両方撮れるように撮影、結局中途半端になってしまう


奥から外


石室上から


西側にもう1基の古墳


尾根先端に構築されたようだ、上に石材が見えている(ストリートビューで見られる)


(見学記)
(2022年)
県道23号に2ヶ所案内板が蘇羅比古神社とセットで出てきます。東側の方が近いのですが車で東側から来ると向きが逆になっているので見逃すかもしれません。途中にも案内表示があるので古墳の側まで行けないこともない、古墳のすぐ上にある集会場に駐車可だが西側からだと入りにくい、運転に自信がない人は県道案内板の所に広い駐車スペースがあります。石室自体は特に変わりなし、1枚残った天井石の巨大さが目を引きます。手前にあった古墳は見落とした、他にも幾つか高まり程度の古墳があるようです。

(1996年)
蘇羅比古神社東方民家の前に巨石を使った石室が露出しています。天井石は一枚しか残っていませんがかなり大きな物です。石室長8.7mあります。

野谷古墳群

広島県庄原市 2022年4月訪問

円墳6基

横穴石室墳6基、見学しやすいのは2基

その1
 位置:34°50′44″N 133°06′48″E(日本測地系)
    34.84875578 133.1107385(世界測地系)
石室正面、前部が広がっているか


石室内部に石仏が祀られている


石仏背後から奥、案内して貰ったので掃除できず


奥は狭まっているような、奥壁は小型腰石+平石2枚


中程の天井石が抜かれている


奥斜め上から、最後部の天井石は大きそう


羨道上から、やはり前が開き気味


開口部左側壁


開口部右側壁、この奥にその2がある


その2
墳丘は残っている


開口部正面


入れないことは無いんだろうけど


石室内部は割りと良好


奥壁は腰石+平石


(見学記)
投石古墳群から県道23号を南下、県道433号を左に曲がり(このT字交差点北側にも大原古墳群があるが尾根上のようです)1.4km程行った辺り、民家の裏山にある古墳群です。道路からすぐの場所ですが獣避け柵があるので入れません。偶々家のご主人が出てきたので挨拶して案内してもらいました(序でに広島県の遺跡地図も見せてもらった、県の調査の際貰ったそうです)。初めの1基は石室が殆ど露出、天井石も2枚くらいしか残っておらず石仏が祀られています。もう1基はすぐ南側に隣接、こちらは墳丘が残っていますが開口部は激狭で入れません、側壁の一部が乱れていますが奥壁が見えていて3段積みです。先程見せてもらった資料には1号は奥壁3段積みだそうでこれが1号のようです。6基からなる古墳群ですが少し離れているようで見学しやすいのはこの2基のみのようです。案内してもらった手前あちこち探すわけにもいかず。県道家の前に駐車スペースあり。

投石古墳群

広島県庄原市 1996年4月訪問、2022年4月再訪

前方後円墳1,円墳2

(2022年)
1号
 円墳
 横穴式石室、全長7.2m,玄室幅1.4,高1.8m
 位置:34°51′27″N 133°06′22″E (日本測地系)
    34.86069873 133.10351656(世界測地系)
上から見た様子、笹薮の中に盛り上がり、これは3号を見た後で帰る際気が付きました


近寄ってみると確かに墳丘


南側、笹薮の中に開口部


羨道、石室内部は変わり無し


持ち送りのある玄室、霧雨が降っていたので内部がモヤっていた


ストロボ無しだと多少まし


巨石鏡石を据えた奥壁、上部に隙間があるから墳丘背後ギリギリまで石室が伸びているよう


右側壁


左側壁


奥から外、右片袖式


奥から見た天井、前2枚が一段下がっている


奥壁に埋め込まれたような袖石、羨道側壁の段差を隠しているような


羨道奥から


3号
 前方後円墳、TL16,R10.8,RH1.3,FW5.3,FH0.8
 横穴式石室、全長7.5,幅1.7m
すっかり笹薮に包まれた墳丘、肉眼だと前方後円墳らしく見えるのですが、96年の_2と同じ撮影方向


藪の中に突っ込んで開口部発見、雨で笹が濡れていて大変だった


石室後部だけ良好に残る、縦長2枚を並べ上に平石


奥から外、殆ど何も写りませんが、左側は袖石か落下した側壁か


天井石は2枚残存


左側壁


右側壁


(1996年)
(プリントをスマホでデジタルスキャン)
全景
下の県道からの全景、現在は見られない光景、右が1号、左が3号、2号ははっきりしない、背後に中国自動車道が通る、給水塔が本村PA


1号
上から見た墳丘


西から見た墳丘、緩斜面に立地


墳丘下から


南側更に下に開口、前部天井は失う


石室正面


羨道、立ったまま入っていける


大きな玄室が良好に残る、背が高い


奥から外、右片袖式


3号
1号から見た3号後円部、手前に2号があるはずだが削平のようだ


上方北東方向から


北側上から、前方後円墳の姿がよく分かる


西側から


石室正面、枯れ枝が詰められていた


隙間から撮影、奥壁、この頃は一眼レフだったから隙間撮影も面倒


左側壁、右奥壁


(見学記)
(2022年)
高速道本村PA(下り)南側にある3基からなる古墳群です。96年当時は裸の状態でしたがグーグルマップの衛星写真で見ると林になっていて確認できないので訪問してみました。現地はすっかり様変わり、林はそれ程では無かったですが一帯が熊笹に覆われて古墳がわからない状態です。何故かヤエザクラが何本か植えられていてその一番西側の下方に前方後円墳らしい姿が見えています、これが3号でしょう。後円部に登ってみると南側に石室開口、後部しか残っていません。後で「古墳のお部屋」を見てみると枯れ枝を詰め込まれた石室がこれでした。その東側にやはり熊笹に覆われた高まりがありこちらも長い石室が開口、これが1号で間違いないでしょう。その間に2号があるんでしょうが前回訪問時既に削平かそれに近い状態だったようです。近くにある鍬寄1号は県道に案内板があるのにこちらはなんで無いのかなと思っていましたがこれで納得です。案内があっても見学難しいわ。県道23号に大きな駐車スペースあり。

(1996年)
鍬寄古墳東方にある前方後円墳1(3号),円墳2基(1,2号)から成る古墳群です。現在樹木が伐採され県道から墳丘がよく見えています。1号は墳丘,石室とも良く残り石室はやや狭いですが全長7.2m玄室長3.9mあります。1号のすぐ西に2号がありますがはっきりしません。3号は全長15m小型の前方後円墳ですが上方から見るとその形が良くわかります。後円部に石室がありますが天井部は殆ど無くなっていて奥壁の辺りしか見ることが出来ません。またそこも枯れ枝が詰まっています。
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