青田古墳群(青田1号)

広島県竹原市 1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴式石室
位置:34°22′52″N 132°53′22″E (日本測地系)
   34.38436381 132.88688496(世界測地系)
(2016年)
丘陵麓近くの急斜面に立地


斜めから見ると多少墳丘が分かるが殆ど流失、盛り土は少ないけど墳丘を大きく見せたんでしょうね


墳頂近くに石室設置、斜面が結構きつい


石室正面


石室自体は小型、終末期の気配が漂う


側壁や天井も平面に整える


奥から外、左の石が突き出ていますが


袖石ではなく土圧で押し出されているのかもしれない


奥から右側


墳丘背後から、高まりは殆ど分からない


横から見ても同様です


(1988年)
石室正面、羨道壊失、天井石が屋根型のよう


小型の玄室


(見学記)
(2016年)
竹原市東野町、賀茂川中学校南方600m程、これも序でなので再訪してみました。改めて見てみると丘陵麓辺りとはいえとんでもない急斜面に構築されていますね。正面から見てみると何となく円墳の様子が見えるような。でも殆ど地山で封土は殆ど流失しているんでしょうね。背後から見ても斜面の区画も全く分かりません。説明板には古墳後期(5C)と書かれていますが後期はともかく5世紀はないでしょう。後期も後期、終末期に近い古墳と思われます。前の道路が広いので駐車可。

(1988年)
R2と432交差点を南に1km程行き,賀茂川に架かる橋を西に行って突き当たった丘陵麓近くに石室が開口,これが1号墳で下の道路からも見えています。羨道は壊失,小型の玄室が残存,割石を使い特に天井面は平らに仕上げています。斜面を登った頂部に2号墳があるようです。1号の南に昆沙門岩がありここから陶棺の破片が出土しています。

葛子古墳

広島県竹原市 1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴式石室
位置:34°23′59″N 132°53′45″E (日本測地系)
   34.40297208 132.89327317(世界測地系)

(2016年)
国道432号脇に開口、以前はなかった表示版設置


地形的には谷筋斜面に立地


石室正面、以前より少し埋まっているような


内部は半ば埋没


天井石露出


背後から、天井石の大きさが不揃い


(1988年)
墳丘流失、天井石露出


石室正面、内部は埋没


(見学記)
(2016年)
竹原市新庄町、国道432号沿いに石室が露出しています。わざわざ再訪するものでもないですが前はフィルムの時代だったし横大道古墳群に行く途中なのでデジカメで撮り直してきました。でも国道に停める場所が無いのでおちおち観察できません。無袖式のようで内部は奥壁まで見えているようですが石室内に草が生えていたりしてよく見えません。以前は無かった表示板が設置されていました。地元の自治会が立てたようです。

(1988年)
R432を更に北へ800m程行くと右側畑の石垣に石室が開口,墳丘は流れ去っていますが天井石3枚が露出,中が覗ける程度に空間があいています。

横大道古墳群

広島県竹原市 1988年4月訪問、1995年4月再訪、2016年3月再々訪

現存11基

(2016年)
1号
円墳、R14,H3
横穴式石室、全長9.4m、玄室幅2,高3m、6C後半
位置:34°23′43″N 132°53′58″E (日本測地系)
   34.39852836 132.89688382(世界測地系)
新しい石柱が建っていた、1,2号は後方丘の上


左後方が1号、右手前低い高まりが2号


石室入り口まで階段整備


西向きに開口


石室正面、羨道前部天井壊失


羨道後部良好、既に立ったまま入れるほど背が高い


巨石を積んだ玄室、少し右に歪んでいるかも、前回も今回も水が溜まっている、何時もではなさそうでついてないな


〃縦位置、持ち送りがあり天井部が狭い


奥から外、少しでも奥に入って撮影、左片袖式、袖石は1枚岩


羨道奥から


2号から見た1号


山側から見た墳丘


2号
円墳
横穴式石室、全長6.6m,玄室幅2.4m
1号墳頂から見た2号


左1号、右2号、合わせて前方後円墳という説もある


石室正面、1号と比べると墳丘が引く


羨道上から、天井壊失


ここも大きな開口部


1号より一回り小さい石室、それでも十分大きい、石材は全般に小型


〃縦位置、上部が大分持ち送り


奥壁は基部に大型腰石、全般に左右対称な石積み


奥から外、右片袖式、まぐさ石が落ちかけてギリギリで留まる


奥から右側側壁、ストロボ無し


11号
横穴式石室
位置:34°23′41″N 132°53′59″E (日本測地系)
   34.39797289 132.89716157(世界測地系)
標柱を設置、11号と判明


右側の道で墳丘半壊、道を迂回させたほうが楽だったろうにな


石室も半壊、よく残ったなよく残したな


古い写真と比べると側壁の石3個が無くなっている


手前の石が落下した石材のようだ


東群遠望
東方400m程、谷の奥に6-10号が集中、左上の墓地辺りから林に入り小道を東に進む


6号?
窪みが残っているだけ


7号
横穴式石室、玄室長5,幅1.5,高1.8m(現地実測値)、7C初頭
位置:34°23′44″N 132°54′14″E (日本測地系)
   34.39880613 132.90132765(世界測地系)
この辺りの盟主墳、墳丘もよく残る


1,2号は西に開口だがこちらの群は南向きに開口


立ったまま入れる程の開口部


石室も良好


1号に比べると石材は小型


〃縦位置、1に比べて天井部も広い


奥壁は巨石鏡石を据え上に平石を重ねる


奥から外、無袖式かな


8号
横穴式石室、玄室長5,幅1.2m(現地実測値)
7号すぐ後ろに標柱があるが古墳は斜面を登った所にある


墳丘はかなり流失、石室露出


石室前部は上部を失う


後部は良好に残る、天井席が薄い


石材は全般に小型


奥壁鏡石だけやや大きい石材


奥から外、ここも無袖かな


奥から左側


奥から右側


9号
横穴式石室
墳丘は割と大きそう


頂部に小型石室、入り口激狭


石室は意外と残っている、入って入れないことはないけどパス


小型石材の奥壁


10号
標柱が無いと分からないレベル


石材散乱


(1988年)
1号
墳丘、石室正面、墳丘、石室とも群中最大


羨道


玄室


奥から外、右片袖式


2号
墳丘、石室正面、1号すぐ下方に隣接


玄室、小型石材を持ち送りしている


奥から外、右片袖式


11号
側壁と奥壁の一部が残る


(見学記)
(2016年)
竹原市新庄町、「探方広島県の考古学」に7,8号の記載と地図が載っていたので再訪してみました。国道432号新庄町横大道交差点に案内板が出ています(ただし南行だと分かりにくい)。そこを曲がるとその後も案内板が出ていてそれに従って行くと1,2号近くの墓地辺りにたどり着きますが道は狭い。古い墓地辺りに案内板があるので歩いて行くと1,2号はすぐです。以前は2基の古墳だと思われていますがどうやら前方後円墳で1号が後円部、2号が前方部のようでそのようにも見えます。2号に石室が無かったらもっと早く前方後円墳と思われていたかもね。1号に比べて2号石室はひと回り小さく(と言っても十分大きいですが)1号は巨石で構成されているのに比べて2号は小型の石材です。1号石室には今回も水が溜まっていて奥まで入れず。前回すぐ近くで見かけた半壊石室は11号でした。他の古墳もそうですが墳丘脇に番号が書かれた石柱が設置されています。こういうのは整理する時に助かりますね。一度下まで降りて谷の奥目指して進んでいきます。谷の中は殆ど耕作地となっています。中程で斜面上方に小さな墓地がありその右手側から山林の中に入っていく小道があります。東に進んでいって途中に水の枯れた溜池、更に進んでいくと7号に突き当たります。入り口辺りから凡そ200m程でしょうか。墳丘は良好に残っていて背後をカットした跡もあります。南向きに開口した石室も良好、無袖式で全長5m程、奥壁の鏡石がやや大きいくらいで1号よりは小さい石材です。背後に8号の石柱がありますが古墳自体はそこから急斜面を30m程上った辺りです。墳丘は殆ど流失、全長5m程の石室が露出しています。天井石は後部3枚程度残存、高さは7号に比べて大分低そうです。それにしても7号周辺に幾らでも築造する場所があるのになんでこんな上の斜面に造ったんでしょうね。7号背後には更に9,10号があります。9号は小さな墳丘で左片袖の小型石室が開口、無理をすれば入れないこともありませんがパス、10号は盗掘跡があり僅かに石材が散乱している程度です。その側にも盗掘跡のある高まりがあり古墳のような気もしますが石柱はないので違うのかな。1号近くの古い墓地に駐車スペースあり。

(1988年)
国道を更に西に行き峠を越えると細長い谷状の盆地に入ります。R432との交差点を北に500m程行き東のやや広い谷に500m程行くと北側丘の斜面に横穴石室墳が11基分布しています。西端の1号が一番大きく最初に構築されたようです。墳丘もよく残っていて西側に石室が開口全長9.4m右片袖式で奥壁は2枚,他もやや大きな割石が使われています。幅(2m)に比べて高さ(3m)が高いのが特徴,玄室に水が溜まっていて奥まで入れないのが残念。すぐ南側下に墳丘を接するように2号墳が有りやはり西側に開口,全長6.6m右片袖式で袖部に立石が使われています。奥壁下部にやや大きな石が使われている他は小型の四角い割石が使われ壁上部はやや持ち送りになっています。3号は参道で石室が切断,側壁と奥壁の一部が露出しています。更にやや離れて東側に4号以下があるはずですが全く見つからず,特に「本」には7号の立派な石室の写真が載っているだけに大変悔しい。

田万里鏡田古墳群

広島県竹原市 2009年3月訪問

箱式石棺群12基
位置:34°24′29″N 132°50′28″E (日本測地系)
    34.41130409 132.83855573(世界測地系)

登り口の説明板


2基の箱式石棺


上記左側


箱式石棺蓋石


箱式石棺蓋石


蓋石でなく石台だそうだ


2基の箱式石棺


1mくらいの小型


(見学記)
田万里町、尾根筋にある古墳群で箱式石棺が幾つも露出しています。R2号沿いにある田万里小学校西側、小川沿いの細い道を北に曲がり新幹線高架下を潜ると(この辺りに駐車スペースあり)、右前方に古墳群石柱と説明板が見えています。そこから尾根筋を登っていくとすぐ墓地で行き止まり、周りを探したがそれらしいものは何も無し、よく見たら遊歩道が倒木で塞がれていました。階段道を上っていくと途中に点々と箱式石棺が露出、殆ど蓋石ですが中には断面が露出しているのもあります。一番上の尾根平坦面には何基かまとまっていますが中には1m程度の小さなのもあります。元はそれぞれの石棺脇に名札がつけられていたようですが今は殆どなくなり道も荒れてきている状態、初め整備されても後はほったらかしと言った感じですね。市史跡。

火の釜古墳

広島県竹原市 2009年3月訪問

横穴式石室、残存長8m程
位置:34°24′24″N 132°50′31″E (日本測地系)
   34.40991539 132.839389(世界測地系)

墳丘がかろうじて残る


石室正面


羨道は基部しか残っていない


細長い玄室は完存


玄室中程から


1枚石の奥壁


奥から外


(見学記)
鏡田古墳群登り口東に民家がありその庭先を通って東に50mの場所にあります。家の方がいたので挨拶して通らせて貰いました。林際にある墳丘は石室をかろうじて覆う程度しか残っていませんが玄室完存、無袖式のようですが残存長8m程、羨道も含めると10m以上もある石室です。乱石積みの持ち送りの殆どない細長い石室で奥壁は巨石の1枚石です。それにしてもこれ程の石室が殆ど無名で残っているとはね。
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