二子塚古墳

広島県福山市(旧駅家町)1988年4月訪問、96年、2021年3月再訪

前方後円墳、TL66,R36.5,RH6.5
横穴式石室、全長13m、玄室長6.5,幅2.2,高2.5m
位置:34°33′01″N 133°18′54″E (日本測地系)
   34.55351626 133.31239509(世界測地系)
(21年)
復元整備された墳丘、南下がりの緩斜面だったようです


前方部と後円部に石室のある双室墳


前方部石室、殆ど見えないけど意味あるのか


発掘時の写真(説明板より)


後円部石室、前面は墓道、当時見えていたのは柵の上の石材かな


長い羨道


玄室は照明付き、奥壁は大きな1枚石のようです


板石を組み合わせた石棺、この状態で埋まっていたわけではなさそう


石室図


北側は元の状態のまま保存、保存状態も良いしあまり手を加えなくてもよかったな


周溝跡が残っています


前方部側面から後円部


立体模型


(88,96年)
石室開口部を下から(96年)


当時は林の中にあった(88年)


羨道天井石先端だけ露出、隙間開口


殆ど埋没、資料に玄室の写真が載っていたので入れるのはわかっていたが流石にこれでは入れなかった


(見学記)
(21年)
墳丘が整備復元されたので訪問してみました。少し離れていますが専用駐車場が出来て見学しやすくなっています。見た第一印象はこんなに大きかったかなと、多分以前訪問時は石室開口部周辺しか認識してなかったんだろうな(汗)。主軸を東西に向けた全長66mの前方後円墳、北側半分はほぼ現状保存、周溝の様子も分かります。南半分は芝生が張られ墳形がわかりやすくなっています。でも石室の保存の仕方がな~。後円部石室は以前は殆ど埋まっていたけどこんなに大きかったかなと、入り口に柵があり中には入れませんが証明があるので奥まで見やすい、組合式の石棺がありますが埋没当時はこの状態ではなかった模様。前方部にも石室がありますが当時は知られてなかったのかな、参考にしていた本にも記述がなかったような。かなり細長い石室のようですが整備されて埋め戻され入り口辺りの石材が2個見えている程度です。このような復元の意味がわからない。全くと言っていい程見られないのだから墳形を損ねるだけのような気もします。

(88,96年)
弥生ヶ丘住宅団地西側にあり,全長68mの前方後円墳ですが墳丘の真上を砂利道が通りあまり目立ちません。後円部に石室が開口しています。玄室はかなり広いそうですが(長さ6.5m)入口はかなり狭くさすがに一人では入る勇気はなかった。

上御領中組古墳群

広島県福山市(神辺町)2019年3月訪問、20年3月再訪

御領古墳群表山古墳群上御領下組古墳群・上御領中組古墳群・国分寺裏山古墳群奈良原古墳群下御領古墳群法童寺古墳群


上御領中組古墳群
南西部ゾーン林道沿い見学路その1見学路その2見学路その3北部ゾーン(クリックでジャンプ)


(北部ゾーン)(見学困難)
11号
位置:34°34′35″N 133°24′38″E (日本測地系)
   34.57962534 133.40794269(世界測地系)
林道沿いの12号から登っていくと石室に遭遇、ここまでは何とか山道がある


石材はかなり動かされている


東側から、手前は天井石


これは奥壁


2号
位置:34°34′37″N 133°24′37″E (日本測地系)
   34.58018086 133.40766491(世界測地系)
11号から上は道はないのでひたすら北上、藪から林に入った辺りで石室に出会う


石室正面、平たい巨石天井石が印象的、御領の大型石室の中でも最高所にあるかな


大型だけど御領らしくそれ程背は高くない、側壁は基本2段積み


奥壁は楕円形、これはすこぶる格好いい


奥から外、無袖かな


〃ストロボ無し


露出した天井石、後方から


3号
2号西方、シダの海の中に怪しい石材


コシダは常緑で藪になるけどここは突入、やはり石室天井石でした


掃除をして開口部を撮影


内部はシダも入り込まず意外と良好、奥壁はほぼ1枚石


奥から外、まぐさ石でしょうか、右側ギリギリ引っかかっている


天井石後方から


1号
2号北西に位置する、天井石露出、大分乱れているようだ


石室後方は原型を保っている


天井石がずれて開口


奥壁は小型ブロック状の石を組み合わせる


奥から外、一応入れるという程度


天井石後方から


4号
位置:34°34′39″N 133°24′39″E (日本測地系)
   34.58073635 133.40822038(世界測地系)
2号西方に4-7号が矩形になってある、シダの藪の中を歩いて遭遇


前部天井石は石室内に落下


多少掃除してから撮影


良好に残るのは最後部だけ


奥壁はほぼ1枚石


5号
4号西側、これもシダの藪の中、手前のは傾いた天井石


石室後部は良好に残存


奥壁は1枚だが4号とは大分形が違う


奥から外


7号
5号南側、石室かどうか迷いました


やはり石室、石列は側壁右側かな


6号
前のが7号なら西に6号があるはず、で探してみたらこちらもシダの中にありました、これで最初のも4号と確定(6号の可能性もあった)


石室後部残存もかなり埋没


奥壁は4号と似ている


奥から外、入室証拠写真程度


8号
前年探しきれなかった8-10号、あっさり見つかりました、分布図より少し南側にあるようです


石室後部が残るのみ、奥壁は2段積みか


石室前部を上から


9号
8号すぐ東側に開口


ここも天井は後部のみ


半ば埋まり奥壁上部しか見えていない


10号
更に9号東側、ここも天井は後部のみ


スパッと切ったような破断面


ここも殆ど埋まっています


(見学路沿いその1)
20号
位置:34°34′″N 133°24′″E (日本測地系)
   34.57879208 133.40766499(世界測地系)
見学路で最初に出会うのがこれ、かなり迷いましたが20号と推測


開口部辺り、かなり埋まっている


正面から見ると石室らしく状態はよさそう


後部に隙間がありました


カメラを突っ込んで撮影、これが多分奥壁上部


入口側、奥に見えているのがまぐさ石かな


19号
更に行くと脇道に3基、最初のが19号


先端辺りまでよく残っているかな


正面、天井石が立っている


側壁に大きな隙間、ここから入れる


奥壁上部が見えているが意外と小型石材


奥から外、隙間はあるが入るのは無理


18号
すぐ隣に18号


似たような露出、似たような石組み


石室正面


内部はかなり埋まるがなんとか入れる


中間辺りから奥


天井石が真っ二つ


奥壁は下が埋まるが2段かな、左の側壁は意外と薄っぺら


奥から外


西から見た天井石


背後から、割れている天井石は手前のかな


17号
更に西側に隣接


前部は天井を失う


正面から


後部は割と良好、薄い天井石


やや埋まるが入れます


奥壁はほぼ1枚


奥から外、入ったという証拠程度


斜め背後上から、後部の天井は1枚か、入口辺りの立柱石が袖石でしょうか


(見学路沿いその2)(見学順)
34号
見学路に戻って往路を行きます、大型石室がすっかり露出


この付近の中では一番状態はよさそう


石室正面、最前部の天井落下


その後ろも傾いている


天井隙間から中に入れる、奥壁はほぼ1枚石


左側は平石積み、画面左の石でギリギリ持っている状況


右側最奥は奥壁にも使えそうな石


天井上背後から


35号
急斜面に向かって開口した石室


最後部を除いて天井を失う


石室背後から


斜め前から、これ以上下がれない


石室正面


奥壁は四角い鏡石+平石、各面が整えられているが右はやや粗い


最前部の石材に楔で割った跡がある、形状からして新しそうですが


37号
中途半端に露出した石室


正面から見ると天井石が随分左にずれている


内部は意外と良好でした


となると入らずをえず、奥壁はほぼ1枚石


奥から外


38号
ほぼ基部しか残っていない石室、板状の天井石が1枚残る


平石は他に流用しやすそうだけどなぜこれだけ残した


東側から


細長い石室、奥壁は不明


斜め後方から


他の天井石は全く見当たらず


39号
この辺りでは一番状態の悪い石室


左側が開口部、右奥が再後部の天井石、中間で石材が見当たらず


最後部の天井石、長さに比べて幅が狭そう


36号
他が尾根端に立地しているのに比べてこれは中央辺りに立地


正面から見れば割と良好に残っているんですが


斜め前から


ほぼ玄門辺りしか残っていない


一応石室内部


石室後方から


この辺りが石室最後部辺り、石組みさえハッキリしない


(見学路沿いその3)(一部藪)
40号
位置:34°34′27″N 133°24′42″E (日本測地系)
   34.57740331 133.40905382(世界測地系)
39号から暫く下って行く、39号付近は密集だがこれは単独で立地


石室正面、左の石は元の入り口辺りでしょうか


立てる程ではないが御領の石室にしては背が高い


巨大な側壁


反対側もやや小ぶりだが巨石


奥壁はほぼ1枚石


奥から外、右片袖式でしょうか


奥から側壁


〃反対側


外4号
41号との間にある、どう見ても人工的な盛り土、石材は見られず、古墳かどうか不明


41号
位置:34°34′23″N 133°24′42″E (日本測地系)
   34.57629236 133.40905386(世界測地系)
更に下った尾根先端に立地、ここより下に古墳はありません、と書かれている、道もないし誰も降りないよね(下から上がってきたけど(汗))


天井石4枚が露出


石室正面、羨道天井石1枚落下、尾根先端に立地していると西向きのことが多い


玄室開口部


内部は大分埋まっているが元々背は低そう


下が埋まっているが奥壁は1枚かな


玄室奥から


天井背後から


羨道先端部上から


22号
20号に戻ってきます、分布図だとすぐ上に21,22号があるはず、確かにありました、すぐ上が林道だからこれは22号


天井石露出、何とか石室と分かる


天井石2枚残存、小型


後部辺り


内部は殆ど埋没


21号
20号と22号の間に21号があるはずだが見当たりません、少し南側にずれた場所に石室らしいのがありました


天井石と側壁のようです


この側壁は左側か右側か


27号
分布図によると20号東側谷筋に3基あるはずだが当たらない、さすがに谷筋は無理だろうと更に東側の斜面を探すとありました


石室下部残存


石室正面、奥壁は見られず


背後から、前は見かけほど急斜面ではない


26号
27号左上、石室らしい姿を残している


天井石は2枚残存


天井石はそれ程加工されてないようだ


平石を積んだ奥壁


28号
27号右上に見えている


ここの3基の中では一番石室らしい姿を残している


内部も埋まらず残っている


御領の中でも良好な方かな


鏡石+平石2枚の奥壁


奥から外、無袖でしょうか


(林道沿い)(見学順)
29号
位置:34°34′34″N 133°24′45″E (日本測地系)
   34.57934753 133.40988698(世界測地系)
林道を東から入っていくと左側に広場がありその奥、札がないと分かりにくい


南側に開口する大型石室


内部は半ば埋まるが元々背は低そう


奥壁は何とか見えている、1枚のようだ


平石を使った天井がすっかり露出


これは加工したんでしょうか、そこまでしなくてもいい気もするが


奥壁露出、最後に気がついた


24号
更に歩いていくと低い崖の上に2基の石室、左が23号、右が24号


石室正面、上がりにくいが諦める高さでもなく微妙


上がらない選択肢はないですけどね


内部は割と良好に残る


下が埋まるが奥壁は1枚石のようだ


奥から外、最前面のはまぐさ石か


石室背後から、道路反対側が見学路入り口


23号
石室正面、前には立てません


天井石は割と残る


奥行きはあまりないから前部は壊失しているかも


25号
23号背後にあるが林道から何とか見えている


石室前上部壊失


石室後部良好


上部が尖った鏡石、先端を真ん中に置けなかったのかな


奥から外


49号
これは林道から少し離れているが分布図にあるので探してみました


多分天井石


50号
49号が正しいならこの辺りが50号のはず、でも御領では墳丘は殆ど残っていないから間違っているかも


16号
更に進むと急カーブ辺りに開口


やはり正面には立てないので望遠で撮影


何とか登って斜め前から撮影


斜め背後から、奥壁が切石状


背後から、奥壁が随分斜めに見える、カメラアングルのせいでしょうが


斜め前から見ると特に傾いていない


内部撮影、かなり埋没、1枚と思った奥壁は下があった


15号
辺りから見た15,14,13号(手前から)


崖の上、開口部は乱れている


斜め前から


石室後部は原型を保つ


石室斜め後方から


内部はかなり埋没


奥壁上部が見えている


14号
手前が14,背後に12号


前部は壊失しているかも


石室正面、内部埋没


最前部の天井石は切石状


他の天井は平石っぽい


12号
林道からやや離れている、ほぼ石室露出


石室正面、左上部の側壁を墳丘に食い込ませた安定させているようだ


半ば埋没も割と長い石室


奥壁上部


石室背後から、奥壁脇が開口


最前部側壁外側


13号
位置:34°34′33″N 133°24′37″E (日本測地系)
   34.57906983 133.40766497(世界測地系)
林道一番西側、大きく開口


ここも正面には立てないので望遠で撮影


開口部横から


細長い石室、側壁は細長い石材を積み重ねる


奥壁はほぼ1枚石


奥から外


51号
林道南側尾根筋、位置的にはこの辺りで間違いないのだが


横から見るとまだ石室だが正面からだと石室の感じがせず、更に下方にもあるが藪が酷くて断念


(南西部ゾーン)(見学順)
45号
位置:34°34′09″N 133°24′35″E (日本測地系)
   34.57240405 133.40710973(世界測地系)
墓地の一角に石室露出


基部と最奥天井しか残っていない


奥壁は見えているかな


47号
位置:34°34′10″N 133°24′33″E (日本測地系)
   34.5726818 133.40655421(世界測地系)
急斜面に立地、石室露出


ここも石室下部だけ残存


印象的に残る奥壁


石室内の石は落下した天井石か


下方から


落下した天井石がかろうじて引っかかっている


背後から、急斜面なのがよく分かる


48号
47号東側に隣接


奥壁と側壁の一部のみ残存


小さな鏡石


43号
位置:34°34′38″N 133°24′17″E (日本測地系)
   34.58045876 133.40210984(世界測地系)
神社北西緩斜面に立地


石室正面、ここも下部だけ


最後部の天井石だけ残存


内部は埋没して奥壁見えず


背後上から、意外と大きく見える天井石


41号
位置:34°34′23″N 133°24′42″E (日本測地系)
   34.57629236 133.40905386(世界測地系)
嬉し悔しの41号(笑)、麓から道なき斜面を登っていったら上からの見学路が出来ていた、20年に再訪したので詳細は後日からアップ


(見学記)
(2020年)
(北部ゾーン)
御領の古墳の中でも高所にある場所です。12号から登っていく細い道がありますが11号辺りで道は途絶え痕跡程度状態、後は直感を頼りにひたすら登っていきます。すると林の中で最初に出会うのが2号、多分御領の大型石室の中でも最も高所にあります。他の大型石室は尾根先端にあることが多いですがこれは緩斜面に立地しています。全長7m程、奥壁が楕円形で詰石が後光のように取り巻きなかなか格好いいです。この東側に3号、シダの薮の中に天井石が露出、中に入れます。2号から更に登っていくとやや西にずれて1号、前部は破壊、後部が残っている。更に東側に4-7号があります、ここもシダの藪の中で探すのは難しい、6号以外中に入れる、6号は分布図の位置からこれかなと思う程度、ひょっとして間違えているかもしれない。更に東に8-10号がありますが藪の中で諦めました。

(見学路)
24号道路向かいから下に降りていく山道があります。右側に小さな溜池を見ながら行くと半ば埋まった石室があります。これが何号かかなり迷いましたが多分20号だと判断して他のも番号を確定していきました。更に進むと”こちらにも3基の古墳”と書かれた表示板、その先にあるのが手前から19,18,17号。更に進むと往路復路の周回路になっています。復路から行って順に34,35,37,38,39号、復路側に36号、この辺りは古墳が密集し分布図がちょっと違う感じで間違いがあるかもしれません。39号から尾根筋を下っていくと40号、御領でも有数の大型石室です。更に下っていくと41号、これは前年下から登ってきました(汗)。40と41号の間に大きな墳丘があります。分布図では外4号、明らかに自然地形とは違いますが古墳とは断定できないようです。御領の古墳は殆ど全て墳丘が流失しているのが特徴といえば特徴、これだけ墳丘が残っているのも不自然、後世の塚かあるいは前中期の丁寧に造られた古墳なんでしょうか。

(林道沿い)
林道沿いに石室が点々とあります。東側林道入口辺りから200m程、大きく右カーブした崖上に見えているのが25,24,23号、更に行くと16-13号、14号の背後に12号が見られます。低い崖の上なので探すのは容易だけど崖を登るのがちょっと面倒ですが基本的には超容易コースです。

(2019年)
(南西部ゾーン)
中組古墳群は丘陵上から麓まで広く分布しているので今回は麓の方を訪問してみました。麓にある明正寺東側の道を北上すると八丈岩に登る登山道があります。入り口辺りにゲートボール場(もう使ってないかな)と墓地がありその背後の林の中に47,48号、小型石室が露出しています。ゲートボール場の脇を通って丘に登っていくと小さな墓地、その脇に小型石室露出、殆ど奥しか残っていません。この下に46号があるはずだが急斜面なので多分麓に立地、家屋が立ち並んでいるので接近困難、一応近づいて廃屋の裏に出ましたがそこも隣の庭にも古墳らしいものはなかった。割と長い石室を持っているようなんですけどね。ここから北東に神社がありその背後の斜面に43号、石室基部と天井石が1枚残っている程度です。社殿の側に44号があるはずだが見当たらず。この辺りは中組じゃなく別の古墳群にしてもよさそですけどね。更に北東尾根上に41号がある。分布図を見るとここまでは上からの方が困難そうなので下から挑戦してみました。神社東側の谷筋痕跡道を辿り砂防ダム辺りから斜面の藪を駆け上り尾根筋に至って登っていくと予想通り41号に遭遇、思わずガッツポーズしかけたが側に古墳の白い札が掲げられている、と言うことは・・・見学道が出来ていたよ(大汗)。御丁寧に此処から先は見学道はありませんなんて書かれている、そりゃそうだ、そんなの書かなくても通る人なんていないよ。見学路を辿って行くと40号の立派な石室、更に幾つもの石室がありました。ただこの辺りは石室密集粋なので番号が特定できず。取り敢えず古墳の札が付けられているのだけ撮っておきました。帰りは流石に藪の中を通る気にはなれず大廻りになるけど上の自動車が通れる道を通って帰りました。次は来年、これで少しは楽になるかな。

下御領古墳群

御領古墳群表山古墳群上御領下組古墳群上御領中組古墳群国分寺裏山古墳群奈良原古墳群・下御領古墳群・法童寺古墳群


広島県福山市(旧神辺町)2017年4月訪問、18年1月、19年1月再訪

(基本的に番号順に並べていますが私的に幾つかのまとまりに区分しています)
1、2、90号3-16、93号18、19、81、82号20-22、24-27号68、69号他58号他
35号他(南部ゾーン:見学困難)、64号他(南西部ゾーン:見学困難)、74号他(古墳ハイキングロード)(クリックでジャンプ)

1号
位置:34°34′20″N 133°24′06″E (日本測地系)
   34.57545937 133.39905478(世界測地系)
群中最北端に位置する、天井石露出


反対側、側壁一部露出


石室内部は埋没


2号
1号側、この2基がポツンと存在、手前はずり落ちた天井石


平たい天井石露出


一応石室らしい姿、内部埋没



90号
1号から大分離れた南側、1基だけポツンと立地、周りが石だらけで探すのに手間取った、そのせいで発見が遅れたのか番号も90号と離れている


かなり崩れているが正面から見ると石室らしい姿


石室後部の天井石


谷筋に向かう斜面に立地、中間の天井石だけ何故か柱状



3号
位置:34°34′11″N 133°24′09″E (日本測地系)
   34.57295964 133.39988814(世界測地系)
古墳群全体の訪問第1号


側面、墳丘は石室を隠す程度


石室正面、比較的状態は良い


玄室内部、奥壁が見えている


奥壁は四角い鏡石+平石


奥から外、最初なので入ってみました、数は多いし埋没半埋没も多くこの後は殆ど入らず


4号
天井石露出、少し動いているようだ


斜め前から、後方に3号


石室正面、平らな天井石


石室内部、比較的良好


5号
開口部斜め前から


正面から


内部はやや埋没も奥壁が何とか見えている、冬でも笹が生えていることが多く撮影の邪魔になる


6号
位置:34°34′10″N133°24′11″E (日本測地系)
   34.57268189 133.40044365(世界測地系)
天井石露出


内部埋没、向きが分かる程度


7号
分かりやすい天井石露出


石室正面


何とか奥壁が見えている


8号
天井石露出、こんなのばっかり


正面から、手前は傾いた天井石


奥の天井石、このように加工された平石が多い


それ程埋まっていないがほんと笹が邪魔


9号
天井石露出、後方は7号かな


10号
石室らしい姿で露出


天井石1枚残存、前部は壊失か


石室内部、この石は傾いているかも


正面辺り、10号先端かもしれない


11号
斜面際に天井石露出


ここはそれ程平石ではない


12号
少し離れた斜面に開口


石室正面


石室後部しか残っていない


93号
12号近く、似たような状況


石室正面


奥壁が見えている、意外と緻密な積み方


13号
横穴式石室、全長8.3m、玄室長6.2,幅2.4,高1.6m
位置:34°34′05″N 133°24′11″E (日本測地系)
   34.57129317 133.40044371(世界測地系)
群中最大の石室を持つ、この古墳群としては例外的に墳丘が割と残る


左側が急斜面なので墳丘も左側が大きく流失


石室正面、羨道は基部が残存


大型石室だが大分埋没、元々それ程背は高くなかったかな


ストロボ撮影、しゃがんで入室


鏡石らしい上部が丸い鏡石、下部が埋まっているのが残念


奥から外、右片袖かな


14号
尾根筋に立地、これでも墳丘が残っている方


石室正面、羨道基部は埋没


内部はかなり埋没、奥壁が見えている、これ1基だけならまず入っているだろうな


身体を突っ込んで撮影、左のが袖石だろうな、奥壁の形がちょっと変わっている


15号:かなり探したが見つからず

16号
位置:34°34′05″N 133°24′15″E (日本測地系)
   34.57129316 133.40155472(世界測地系)
尾根先端に巨石天井石露出


石室側面、殆ど露出


石室正面、傾いて落下した天井石


最後部の1枚のみ元の状態で残存


下部が埋まるが奥壁は2段か3段か


石室前部を上から、この先は急斜面



82号
 位置:34°34′08″N 133°24′04″E (日本測地系)
   34.57212643 133.39849941(世界測地系)
道路北側、天井石が露出して分かりやすい


内部殆ど埋没、奥壁が何とか見えている


81号
82号から進むと斜面下に石材露出


あまり加工していない天井石


石室内部


19号
更に進むと出会う、前部壊失か


横から、天井石2枚残存


開口部正面


石室内部、奥壁は小型ながら1枚


18号
 位置:34°34′10″N 133°24′00″E (日本測地系)
   34.57268194 133.39738838(世界測地系)
19号すぐ上に18号


天井に隙間、石材が一部抜かれている


開口部正面、内部埋没



20号
 位置:34°34′07″N 133°24′00″E (日本測地系)
   34.5718487 133.39738841(世界測地系)
緩斜面最上部辺りに立地


石室正面


土砂流入も意外と長い石室が残る


奥壁は1枚石


21号
斜面に石材、札が無いと分からないかも


正面側、内部埋没


背後から、手前のはほぼ未加工か


22号
平たい天井石露出


正面から


背後から、ほぼ平たい天井石


石室内部、左が奥壁か、何故かこれだけ


24号
石室正面、手前は羨道石材でしょうね


開口部正面、石室は割と長そうだが埋没


天井隙間に植物が生えてきている


石室背後から、手前が最奥の天井


25号
開口部正面、平たい天井石


内部はかなり埋まるが何とか奥壁が見えている


露出した天井石


26号
 位置:34°34′02″N 133°24′06″E (日本測地系)
   34.57045995 133.39905498(世界測地系)
露出した石室、正面側から


石室規模の割には薄い天井石


内部はやや埋まるもよく残る


奥壁、下部が埋まるが下は1枚の鏡石かな


奥から外、抜けた天井部から土砂が流入


天井石背後から


27号
 位置:34°34′01″N 133°24′10″E (日本測地系)
   34.57018219 133.400166(世界測地系)
尾根先端に巨石天井石露出、この先も左右も急斜面


奥壁側がポッカリ開口


手前に落ちているのが奥壁上部の巨石、墳丘を考えるとこの規模の石室を構築するのはかなり無理がありそう、奥壁背後の封土は多分薄く落下するのは必然的


こちらが羨道入り口、前はもう急斜面


羨道右側、薄いかなり加工された天井石


上から見るとそれ程板状でもなかった、前が急斜面、羨道入り口から遺物等を入れるのは困難そう


玄室内部はよく残る、奥壁下部の石残存


右側壁


左側壁


奥から外、玄室最前部はかなり壊失


96号
27号西側下方斜面に石室露出、コフ友さんに見つけてもらいました、この近くの97号は怪しいのがあったが古墳と断定できず


天井石が落ちるのを樹木に支えられている


内部は殆ど埋没


奥壁、手前の枯れ葉にピントが合ってしまった


石室西側は殆ど露出




69号
 位置:34°34′01″N 133°23′43″E (日本測地系)
   34.5701823 133.39266665(世界測地系)
石室正面、緩斜面に立地


開口部正面、天井石が分厚い


石室内部、半ば埋まるも奥壁が見えている


天井石2枚露出


68号
丘陵頂部近くの平坦面に立地、手前は羨道天井石か


画面中央、立っている石が玄門袖石でしょうか


石室背後から


外14号
天井石でしょうか、これ1枚のみ、動かされたのか、未使用の石材か



45号
札があったが石室見当たらず


これかな、かなり破壊


別の石室かも


58号
藪の中に天井石露出


石室内部、奥壁が見えている、更に奥に進もうかと思ったが道が消えていた


66号
道路から白い札が見えていた、66号あたりかな、とても接近できそうにもない



35号
位置:34°33′57″N 134°24′05″E (日本測地系)
   34.56907123 133.39877728(世界測地系)
尾根先端に築かれている、法童寺古墳群から道なき急斜面を登ると出会う、上からの山道もあるが分かれ道が分かりにくい


前は急斜面で羨道はかなり壊失


玄室内部、やや埋まるも良好


天井に隙間があるので内部は明るい、やや持ち送りがあるか


基部に大型石材を据えた奥壁


奥から外、右片袖式


これでも御領にしては墳丘が残っている方


34号
位置:34°33′59″N133°24′05″E (日本測地系)
   34.56962671 133.39877726(世界測地系)
35号であることをを確認する為山道を北に行く、小さな石室34号があったので間違いなし


奥の天井石だけ元位置で残存


横から、細長い小型石室


33号
_1:34号側に33号があるはず、でありました、これで35号確定
_2:天井石露出、内部埋没



30号
位置:34°34′01″N133°24′02″E (日本測地系)
   34.57018221 133.39794398(世界測地系)
34号北西、谷筋の斜面にある30号、道は全く無く更に見学困難です


急斜面に天井石露出


石室正面、これ以上下がれない、全面に石材が崩壊していた


奥の天井石


内部はかなり埋まっている


奥の天井隙間から撮影、奥壁は1枚石でした


奥から外、入り口天井がかなり傾いている


31号
すぐ西側に31号、前部は上部壊失


最奥だけが残る


これも奥壁はほぼ1枚のようだ


西側から、後方に30号


29号
多分石室


32号
これはもっとはっきりした石室


最後部の天井、内部埋没




64号
位置:34°33′53″N 133°24′00″E (日本測地系)
   34.56796026 133.39738855(世界測地系)
尾根先端に構築、石室すっかり露出


急斜面を下から登っていくと最初にこの辺りに到達、ここが石室正面、石室前部は殆ど崩落


天井石が折れたり外れたりで落下、玄室は殆ど埋没


最後部辺りの天井石が一つ残る、天井石にふさわしくない細い石材


これが奥壁、背後は急斜面で墳丘に余裕はなさそう


分厚い石材、でも石室全体から比べれば薄い


奥壁背後から


石室背後上から


古墳群唯一の両袖式


57号
位置:34°33′55″N 133°23′58″E (日本測地系)
   34.56851576 133.39683303(世界測地系)
天井石露出


隙間開口している


内部はやや埋まるが石室良好のようだ、奥の天井石が一段下がる


奥壁は下が埋まるが左が1枚のようだ、右は多段積みとちょっと変わっている


55号
位置:34°33′56″N 133°23′55″E (日本測地系)
   34.56879352 133.39599975(世界測地系)
石室正面、羨道は崩壊埋まる、55か56か不明


玄室はよく残る、左と右で石材の大きさが随分異なる


上部が丸い鏡石らしい鏡石


奥から外、無袖式かな


63号
位置:34°33′54″N 133°23′54″E (日本測地系)
   34.56823803 133.39572202(世界測地系)
神社背後、小型石室露出


最後部辺り


何とか奥壁上部が見えいている、更に上部に古墳が多数あるはずだが藪が酷くて見つからず




75号
位置:34°33′57″N 133°24′13″E (日本測地系)
   34.56907121 133.4009993(世界測地系)
大型石室を持つ74号、麓からの方が行きやすそうなので神社に来てみたら新しい見学路が出来ていた


社殿背後に古墳があります、表示版がないと見過ごしそう


麓にあるのはごく少数だから重要そうだけど


天井石の一部が露出するのみ


74号
位置:34°33′59″N 133°24′16″E (日本測地系)
   34.56962669 133.40183253(世界測地系)
山道を歩いていくと左側に尾根先端をカットした大きな墳丘


これは奥壁、よく落ちなかったなと思うレベル


左が奥壁、右は落ちた天井石


天井が大きく開いている


入り口方向、正面はまぐさ石


羨道前は急斜面、ここも地形ギリギリに石室を作っている


石室正面、羨道埋没


玄門辺りを上から


中間部は天井が残っている


石室後部、奥壁が意外と小さい


玄室内部、残っている天井石もかなり危ない


玄室奥から


71号
位置:34°34′02″N 133°24′13″E (日本測地系)
   34.57045993 133.40099925(世界測地系)
山道を登っていくと大きな墳丘、これも尾根をカットした地形でしょうか


石室基部が残っている、奥に奥壁が見えている


前部辺り


前は急傾斜、こんなとこに開口部を作るか


側壁に薄い石が挟まっている、ひょっとしてここが玄門辺りなんでしょうか


70号
直ぐ側にもう一つの石室、唯一の双室墳だそうですが別々に番号がついている


これも細長い石室下部が残る


後部に唯一天井石が残る


かなり動かされています


奥壁は小型石材を積んでいるようだ


石室後方から


17号
位置:34°34′02″N 133°24′13″E
更に登るとかなり破壊された石室


画面左下が最後部の天井石


石室正面から、後に下がれない


左側の石は落下した天井石


奥壁上部が見えている程度



見学記
(19年)
(南部)
去年までは丘陵中腹を通る道路から山道に入っていって探していましたがそれでは探し出せない場所もあるようなので今回は南側麓から捜索してみました。とは言え丘陵裾沿いには民家が並んでいるので入れるのはほぼ2ヶ所の神社に限られます。まずは中央辺りにある日吉神社から。長い石段を登って社殿左側から左手に痕跡道があるのでそこから入って行くと尾根にオリエンテーリングのポストがあるので(何故ここに一つだけある?)急な尾根筋を登っていきます。平坦面に達した辺りに石室開口、これが35号、なかなか立派な石室です。ここから細い山道を北に行くと小型石室の33,34号が並びこれで前のが35号と確定しました。更に山道を行くと別の山道と合流、去年まではここを通っていたけどこの分かれ道が分からなかったんだ。場所がだいたい分かったので元に戻って谷筋を降りていきます。溜池奥に2基の石室があり多分これが30,31号、更に西に埋没状態の2基の石室、4基が直線状に並んでいる。分布図とはちょっと並びが違うけど30,31はまず間違いないかな。この西側尾根にも古墳が幾つかあるはずだが藪が酷くてさっぱり分からず。現在位置が分からなくなって危うく遭難しかけたけど北に行けば道路に出るだろうと強行突破して道路に出た時はホッ、でも車に戻るのに大廻りになったけど。これで午前は終了。

(南西部)
午後はまた日吉神社から出発、オリエンテーリングポストから上に登らずそのまま同じ高度を保ちながら行きます。暫く行くと崩壊した神社があってこの辺りに76号があるはずだが野犬が煩く吠えるので帰りに探そうと思ってパス(結局帰りは楽なコースを通って下ったけど)、更に進むと下に砂防ダムが見えるのでその辺りから上に登ると尾根先端頂部に大きな石室露出64号です。ただ天井石が割れて石室内に落下、状態はよくありません。奥壁が分厚い板石の様子がよくわかります。御領では唯一の両袖式石室だそうです。ここから一旦谷に降り更に尾根筋を登ると56号があります、珍しく墳丘が残っていますが石室は隙間開口、石室自体はよく残っているようです。側に57号が隣接しているはずだが分からず(56と57が逆かも)。更に尾根を登っていくが藪がだんだん酷くなる、そろそろ諦めようかなと思っていたら石室に出会いました、我ながらよく見つけたなと思う。石室自体はよく残っている、55か54号か、現地ではどちらか断定できず、断定できないと側のもう一つもどちらを重点的に探すが迷います、結局見つからず。ここからは上は藪が酷くて断念、西側の尾根に建物のようなマークがあったので行ってみたら神社でした。この背後に小さな石室開口63号です。更に尾根を登った辺りに古墳が点々とあるはずだが藪が酷くて見つからず、この辺りから更に北側は笹薮が酷く移動さえも困難なのでもう諦めました。神社からは下っていく道があるので楽々下山、なので76号はすっかり忘れてた(汗)。
今回のコースは山道どころか痕跡道も殆ど無いので当然普通の人が入り込めるような場所でもないので他ではある古墳の札も全くありませんでした。訪問される方は自己責任でお願いします。
ここは1日がかりになるのは必至だったので車も落ち着いて止められる場所が必要、なので西側県道沿いにある砂留施設の場所に車を止めましたが国分寺東側の下御領八幡神社にも駐車場があります。

(古墳ハイキングロード)
時間に多少余裕があったので麓東側にある74号を見学に行きました。ここも斎神社が目印、旧山陽道から大分離れていますが大きな石灯籠が目印です。神社に行くとここから古墳ハイキングロードが出来ていてラッキーでした。社殿背後に75号、でも側壁の一部が露出程度で古墳の札が無いと古墳ともわからない状態です。ここから山道を登っていきます。次に出会うのが74号、尾根先端をカット整形して墳丘下部を構築、上部に大きな石室が完全露出しています。全長8.4mと群の中でも最大規模の石室です、その割には奥壁が小さい。天井石も一部割れて落下、状態はやや悪い。しかしここの古墳群でよく見かけますが地形の割に大型石室を造るから墳丘の余裕がない、なので早くに墳丘は流失していたんでしょうね。更に登っていくと右に古墳の表示、脇道を入ると直ぐに大きな墳丘があります、これも尾根の整形でしょうか。上に細長い石室が2基並ぶ、71,72号です。共に上部を失った石室、ひょっとしたら双室墳かもしれません。更に登っていくと17号、大分破壊されています。もう夕暮れ間近、これ以上あったらまずいなと思いつつ登っていったら尾根筋に到達して以前見ていた13,14号辺りに出会ってホッ、これで終了となりました。ここにハイキングコースの表示版があったけど去年まではなかったような気がする、あれば当然降りていっただろうしね。下御領はこれで終了かな。

(18年)
ここはほぼ林や藪の中、山道もありますが道がないのも多いです。古墳の側に古墳の札がかけられていますがないのもあります。ただ番号が書かれていないので分布図と参照する必要がありますが密集していたりするとどれかなと思うこともあります。分布図の地形図もやや粗いので実際の地形が表示されていない場所もあり現在地が分からなくなることもありました。こういう時番号が書かれていたらかなり助かるんですけどね。群中最大規模の13号や他にも幾つか大型石室があります。ただし今回廻れたのは1/4程度でしょうか。

(17年)
ここはほぼ林や藪の中、山道もありますが道がないのも多いです。古墳の側に古墳の札がかけられていますがないのもあります。ただ番号が書かれていないので分布図と参照する必要がありますが密集していたりするとどれかなと思うこともあります。分布図の地形図もやや粗いので実際の地形が表示されていない場所もあり現在地が分からなくなることもありました。こういう時番号が書かれていたらかなり助かるんですけどね。群中最大規模の13号や他にも幾つか大型石室があります。ただし今回廻れたのは1/4程度でしょうか。

上御領下組古墳群

御領古墳群表山古墳群・上御領下組古墳群・上御領中組古墳群国分寺裏山古墳群奈良原古墳群下御領古墳群法童寺古墳群


広島県福山市(旧神辺町)2017年4月訪問、18年1月再訪

(基本的に番号順に並べていますが私的に幾つかのまとまりに区分しています)

1-7、32号・13-19号20-24号25-31号消3号(クリックでジャンプ)

全景、全体じゃないですが、所謂古墳の丘、一番の密集地帯


同じ場所を西側の丘から、早朝で靄がかかっていますが石室の存在は殆ど分かりません



1号
 位置:34°34′27″N 133°24′11″E (日本測地系)
   34.57740355 133.40044347(世界測地系)
群中最高所辺りに立地


天井石は1枚残存、切石状


石室正面


左側壁外観


奥壁は鏡石+平石


2号
天井石と側壁1枚露出、後方に1号


3号
石室露出、後方に4号


反対側から、天井石が平石


石室正面


内部は埋まるが奥壁上部が見えている


4号
ここも石室完全露出、これが普通ですが


石室正面、この辺りでは一番大きく状態も良い


石室内部、側壁はほぼ垂直に立つ


左側壁、面が整っている、上部の積み方がやや危うい


右側壁、奥壁より巨石


奥から外、平野部が見えている


5号
巨石石材露出


入り口天井石が傾く、内部埋没


6号
天井席露出


右が奥壁、左が側壁か


32号
一部石材が切石状に加工


幅の狭い石室、左側のは側壁かな


7号
他から離れてポツンと存在


手前が側壁、後方が奥壁のようだ


手前の側壁は基部が残存



8-12号:尾根筋を探すも見つからず



13号
細長い石室が何とか分かる、側に標柱が立っていますが番号は書かれていません


背後上から、左袖なのかな


14号
尾根筋に立地、比較的良好


石室正面、手前のも天井石のようだ


石室後部


石室後方から、石室と露岩が混在、遥か遠くに平野部を望む


15号
石室正面、平たい天井石、この古墳群は平石の天井石が多い


16号
後方に玄室、手前のは天井石でしょうか


玄室横側


石室正面、玄室後方残存


17号
位置:34°34′19″N 133°24′14″E (日本測地系)
   34.57518157 133.40127681(世界測地系)
ここでは一番目立つ石室


天井が残るのは後方のみ、右側壁は割と残るが左はかなり壊失


これでよく天井が崩壊しなかったもんだ


玄室内部、奥壁は縦長1枚石


右側壁中間部に奥壁より巨石な1枚石


_3と反対側から


斜め後方から、上部の石は構造上必要なさそうなんだけどな


後世詰んだとして意図が分からないし


後方から、平野部を望む位置、ここだと墳丘造りの方が難しそう、そのせいでしょうかこの古墳群は大半で墳丘が流失している


18号
比較的良好な石室


石室正面、右のは天井石


奥壁が何とか見えている


19号
石室側面


正面側


_1と反対側


ここはどの辺りを撮ったか混乱しています


石室後方から


更に後方から、右のは別の石室のようだ




20号
僅かに残る封土、石材露出


石の集積状態、何とか石室だと分かる


後部に天井石残存


内部はかなり埋没


何とか奥壁が見えている


21号
位置:34°34′13″N 133°24′16″E (日本測地系)
   34.5735151 133.40183238(世界測地系)
墓地の中に石室が殆露出


入り口は石で塞がっている


玄室は割と長いが中間辺りに天井石1枚のみ残存


玄門から見た玄室


天井石は微妙なバランスで残る


天井石を上から見た様子


巨石の奥壁、天井がなく藪状態


奥から見た玄室


玄門、奥から


上から見たまぐさ石


22号
墓地西側の林の中に存在、前年見つけられなかったので再挑戦


平石状の天井石露出


何とか奥壁が見えている、平石を重ねているようだ


23号
22号側、天井石露出


何とか奥壁が見えている、サイコロ状の切石が見えている、何処にあった


24号
墓地脇に墳丘、裸でないと分かりにくいかも


南側に天井石1枚露出


少し掃除してから入室


玄室後部残存、奥壁は巨石1枚石


右側壁も奥壁とほぼ同型同大


反対側も同様、入口側に積み重ねた側壁




25号
31号側、斜面一番下辺り、後方にも石室が見えどの順で見ようかと悩みました


割と残っていますが内部埋没、後方尾根にここでは一番目立つ17号


26号
石室基部が残る


側壁奥壁の状況は分かる


27号
もう札がないとわからない状態


28号
奥壁でしょうか


側壁は傾いている


29号
残骸状態、どっちが奥壁かな


30号
手前の石室、後方は19号


石室正面から


右が側壁で正面が奥壁かな


31号
斜面下方、これを一番最初に撮りました


正面から見ると何とか石室らしく、手前のは天井石でしょうか


消3号
分布図の中には消の記号がついたのがあります、これは麓の神社境内にある消3号、奥壁でしょうが下がないから動かされているよう


近くにあるこちらが天井石でしょうか


見学記
御領古墳群
ここ数年大規模な石室群が発見された古墳群です。幾つかの古墳群に別れ以前訪問した国分寺裏山古墳群・法童寺古墳群・奈良原古墳群もこの中に含まれます。
ここは200基以上と数が多い、しかも内部が中途半端に開いている石室も多く行きたいけれどちょっと躊躇していました、行けば当然全てを見てみたくなるからな。でもそうそう放っておく訳にもいかず取り敢えず様子見・・・のつもりだったが案の定と言うかやはりと言うかどっぷりつかってしまった(汗)。今回は1日だけなので下御領古墳群の東側一部と上御領下組古墳群のほぼ全てを廻ってみました。西側を走る市道(かな)に大きな案内板がありそこから林道を入っていきます。でも舗装は300m程その先は1km以上砂利道となりますがそこそこ広い、所々に駐車スペースあり。

上御領下組古墳群
ここは一部を除いてほぼ裸の状態なので一番見学しやすい場所です。所々にある案内板に古墳の丘とあるのがここです。大型石室は墓地の中の1基程度ですがはっきりした石室もそこそこあり古墳群の様子を味わうにはまずここでしょう、林の中にあるのを除けば3,4時間程度で済むでしょう。まーコフニストならここだけで済むわけ無いでしょうけど(笑)

迫山古墳群

広島県福山市(旧神辺町)1988、96年4月訪問、2019,21年3月再訪

円墳11or12基、横穴式石室主体

(2019,21年)
上が88年、下が19年3月以降、山道の表示がなくなり東側で地形の表示が微妙に違う、古墳、神社の位置が微妙に違ってる、特に7,9号


1号
 円墳、R21.5,H5、6C末
 横穴式石室、玄室長6.2,幅2.5,高2.8m
 位置:34°33′45″N 133°23′36″E (日本測地系)
    34.56573841 133.39072252(世界測地系)
山道を登っていくと出会う


石室正面、羨道天井石は壊失


羨道横から、奥に立柱石があるが袖石に相当するんでしょうか


巨石を使った玄室、右側の方が全般に石材が大きい、隣の御領古墳群でもこれ程の規模のはありません


〃縦位置


おむすび型の奥壁鏡石、上部は隙間が多いような


奥から外、左片袖式


奥から左側


奥から右側


羨道上から、石材に奥行きがあり墳丘に食い込ませている


2号
1号上方、尾根筋やや西側に立地


墳丘流失、石室下部残存


最奥の天井石だけが残る


下部が埋まるが奥壁は1枚か


3号
巨石天井石が露出


石室正面


下方に羨道入り口が露出


内部は殆ど埋まる、背は低そうで御領タイプでしょうか


4号
低い墳丘、写真を撮ってなかった

5号
ほとんど存在が分からず

6号
山道に板石露出、分布図の方向からして箱式石棺側板でしょうか


7号
山道脇にある、旧分布図では山道からだいぶ離れているからこれが混乱の元でした


石室下部残存露出


天井石は後部だけ残存


奥壁、小型ながら鏡石を据えている


奥から外、一応入れる程度


8号
殆ど放置状態の古い墓地の中にあった


お墓の中にお墓、この墓石も割と古そう


小型ながら奥壁は1枚のようだ


9号
尾根先端に構築されている、旧分布図では尾根中程になっている、さすがにこれは間違えないけど


羨道天井石が残るが内部埋没


天井石がずり落ちかけている


長い玄室が残るが背は低い


奥壁は2段か、土砂が流入


奥から外、右片袖式か


羨道上から、尾根幅目一杯使っている、立地といい背の低い玄室といい完全に御領タイプ


10号
以前は内部が見えていたが今は石材1個露出のみ


11号
山道脇に露出しているがさすがにこれは気が付かない


正面から、内部埋没なので余計分かりづらい


最後部の天井残存


横から、後方明るい部分が山道


後方から見ると側壁の並びが分かる、でも右側壁の延長は現代の石垣に続いていてわかりづらくなっている


12号(仮)
前年見つけててっきりこれが2号と思った、天井石?


(1988,96年)
1号
石室正面、羨道天井と玄室の一部壊失


県内でも有数規模の玄室


奥から外、左片袖式


3号
露出した天井石


7号
墳丘


石室内部


9号
墳丘


露出した天井石


細長い玄室


奥から外


10号
9号墳丘裾にある小石室


(見学記)
(2019,21年)
御領を案内した序でにこちらも案内してみました。まだ見つけていない8,11号を見つけてもらおうという下心(笑)。19年春にはは麓にある説明板がかなり薄くなっていましたが今回新しくなっていました。でも新しい分布図を見ると山道が描かれていない。更に等高線の様子も東側で微妙に違っているし神社社殿の北に少し移動しているし新しい墓地も描かれていません。古い分布図では7号は山道から少し離れた位置に描かれているし新しい墓地も描かれてないみたいでこれが混乱の原因でした。取り敢えず説明板の場所から上がっていって1号まで。2号も案内しましたが前年見つけていたのではなく更に上方に石室がありました。こちらの方が2号で間違いないようです(汗)。ただ調べてみると全11基とか12基と数字が違うこともあるのでひょっとしてあれも石室かもしれない。1号から東に下っていくと新しい墓地下辺りにいつもの石室、これが7号とすれば8号は東にあるはずと思って探してみたら新しい墓地と古い墓地の間にありました。もう放置されたような場所で石室下部しか残っておらず内部にも古い墓石が立っています。この持ち主はこれが古墳だと知っているんだろうか。7,8号が確定すると11号は下の神社背後にあるはず、でコフ友さんに見つけてもらいました。下部しか残っておらず内部も埋まっていてこれでは分からんわ。しかも片側側壁の延長が現代の石垣に繋がっているからますますわかりません。ここは結局5回も来たけど取り敢えずコンプしてホッ、と思ったら4,5号は撮影済みと思って撮ってなかった(汗)、大したことないからいいけど。

(1988,96年)
丘陵斜面上に11基分布しています(ため池の側に案内図有り)。上方にある1号墳が最大で石室も玄室長11.6m、幅2.5m、高さ2.8mと巨大なものです(墳丘は一部修復されているようです)。さらに神社東側の9号墳がやや大きな石室を持っていて,すぐ南側に10号墳の小さな石室が開口しています。3,7号の石室が確認できましたが他は確認できませんでした。県史跡。

法童寺古墳

御領古墳群表山古墳群上御領下組古墳群上御領中組古墳群国分寺裏山古墳群奈良原古墳群下御領古墳群・法童寺古墳群


広島県福山市(旧神辺町)2007年3月訪問、19年1月再訪

2基

(2019年)
1号(法童寺古墳)
横穴式石室、玄室長6,幅1.8,高1.8m(凡そ)
位置:34°33′51″N 133°24′05″E (日本測地系)
   34.56740477 133.39877733(世界測地系)
案内板がありました(童の字が間違ってる)、矢印もないしこれだけで行くのは無理でしょう(見学後に気がついたし)


竹林の中の石室は特に変わりなし、御領の中では一番低い位置にある古墳


石室自体は変わりないけど内部に竹が生えている


ほぼ1枚石の奥壁


右側壁奥だけ小型の石材、適当な石材がなかったか


奥から外


側壁の面が整えられている


反対側も同様、やはり_5の石材だけ異質


2号
1号北東3,40m、短い尾根の斜面に立地


石室正面、左側壁の石材が抜け天井石が大きく傾いている


石室内部は良好のようだ


先端が尖った細長い奥壁鏡石、どうしてもこの石を使いたかったんでしょうか


奥から外、無袖でしょうか、古い竹が邪魔


(2005年)
横穴式石室、玄室長6,幅1.8,高1.8m(凡そ)
位置:34°33′51″N 133°24′05″E

山裾に築かれた古墳、墳丘は殆ど流失


石室正面


巨石を使った玄室


1枚石の奥壁


奥から外


(見学記)
(2019年)
2号があるというので再訪してみました。6年ぶりで場所はすっかり忘れていましたが分布図を持っていったので1号はすぐ分かりました。2号はこの北東3,40m程の場所、尾根筋西側斜面に石室が開口していますが尾根上を探したので意外と手間取った。1号よりずっと小型、まぐさ石が下がった無袖式でしょうか。奥壁は縦長で鏡石がドングリのように先端が尖っているのがちょっと変わっています。訪問後に道路脇に表示版があるのに気が付きましたが名前が書かれているだけで矢印もないし流石にこれだけでは探せないでしょう、しかも字が間違っているし。ここだけなら側のT字路に駐車スペースあり。

(2005年)
国分寺から八幡神社の前を通って東に500m程の距離にある古墳です。このくらいの距離だと駐車場所がない場合を考えて歩いていきますが徒歩だと500mと言う距離がなかなか分からない。なんとか土塀が目印となって見つけることが出来ました。山裾の竹林の中にある古墳は墳丘が殆ど流失、南側に開口した石室も羨道はかなり壊失していますが玄室完存、6m程の奥行きがあります。奥壁は巨石1枚石、側壁も大型の石材が使われていますが一番奥右側だけ一部小型の石が積まれている。大型の石材が調達できなかったんだろうか。天井も高さが揃えられていて技術の高さを伺わせます。

国分寺裏山古墳群

御領古墳群表山古墳群上御領下組古墳群上御領中組古墳群・国分寺裏山古墳群・奈良原古墳群下御領古墳群法童寺古墳群


広島県福山市(旧神辺町)2007年3月訪問、18年1月訪問

(2018年)
1号
箱式石棺
位置:34°33′50″N 133°23′49″E (日本測地系)
   34.58379194 133.39433262(世界測地系)
札はあるが墳丘は見当たらず


側に箱式石棺がある、てっきりこれが1号そのものかとおもったが墳丘は削平されているそうです


これは原位置なのでしょうか、推定墳丘よりは大分ずれていそう


2号
背後から見ると藪に包まれた墳丘、これが一番下方にある、上から降りてくると見逃すかも


反対側に廻ると石室開口、前部は一部壊失しているようだ


開口部正面、天井石が屋根型


やや埋まるが石室良好、奥壁辺りは以前より埋まっている


奥から外、無袖かな


3号
箱式石棺
山道脇に箱式石棺露出


これも石仏の土台となっている


大きさの割に蓋石が分厚い


内部は小型石室のよう


4号
円墳、R16
横穴式石室、全長9.4m、玄室幅1.9m
位置:34°33′44″N 133°23′44″E (日本測地系)
   34.58212546 133.39294393(世界測地系)
墳丘が一番良好に残る


上から降りてきたので最初はこんな状況


石室前部が露出


開口部正面、しゃがめば入れる


石室はやや埋まるも良好に残る、ゴミは掃除されていた


奥から外、無袖かな


5号
位置:34°33′51″N 133°23′44″E (日本測地系)
   34.58406971 133.39294385(世界測地系)
離れた墓地の中にポツンとある、天井石で家形になっているような


周囲がかなり加工されているようだ


すぐ奥壁が見えている、最後部しか残っていないようだ


6号
山道脇、札がないと見逃しそう


これは側壁、原位置を保っていそう


石室は殆ど破壊


石仏土台も石室材のようだ


7号
位置:34°33′51″N 133°23′48″E (日本測地系)
   34.58406969 133.39405485(世界測地系)
表山から降りてくると最初に出会う(右側の道)でもうっかり見逃した


天井石1枚露出


隙間からカメラを突っ込んで撮影、かなり埋まっているが奥壁が見えている


(2007年)
2号
石室開口部


半ば埋まった玄室、奥行き3mくらい


奥から外


3号
箱式石棺
箱式石棺の一部が露出


小口部


石棺内部


4号
石室開口部


玄室、奥行き4mくらい、物置のようになっている


奥から外


(見学記)
(18年)
表山古墳群から国分寺裏山古墳群の案内板があるのでそれに従っていきます。林の中に入って最初に見かけるのが7号、木に古墳の表示板があります(他も同様)。墳丘は割りと残っていて石仏が建っています。石室が開口していますが隙間程度、カメラを突っ込んで撮影すると内部は殆ど埋没ですが三角形の鏡石上部が見えています。更に進むと山道が急カーブする辺りに1号、ここも表示板がありますが初め古墳らしきものは見られず側に関粒の土台が箱式石棺か何かと思いました。でも少し離れてみると上部が大きく削平された墳丘が見えてきます。土台はやはり主体部の石材でしょうか。更に進むと6号、大きく破壊された石室の一部が残存、表示がないと気が付かないかも。そのすぐ先に4号があり墳丘が見えています。前回も見ていますがこんなに墳丘が残っていたかなと思うくらい。石室内部は倉庫代わりでしたがそれは整理されて見やすくなっていました。この下に3号、2号がありますが前回も見ているので省略。西側共同墓地の中に5号があります、7号辺りから行く道がある。墓地最上部辺りに石室が露出していますが石室最後部が残存程度です。

(07年)
現在福山市神辺町下御領、国分寺背後の丘陵にある古墳群です。道が狭く寺にたどり着くまでが大変ですが寺の駐車場に車を止めて後はゆっくり見学できます。本堂左側から石仏巡りの道があるのでそれを登っていきます。58番石仏の脇に箱式石棺の小口部が露出しています。知らないとうっかり見過ごしそうだ。このすぐ上林の中にも小さな石室が開口、内部も少し埋まっていて途中に黒いビニールで塞がれている。中をちょっと覗こうと触った途端ハラハラと落ちてしまった。でも奥もがらくたが置かれていて写真は撮りづらい状態だった。箱式石棺の山道向かい側やや下辺りにもう1基の石室が開口しています。こちらも内部は半ば以上埋まっている。規模も上のよりやや小さいようだ。

表山古墳群

御領古墳群】表山古墳群・上御領下組古墳群上御領中組古墳群国分寺裏山古墳群奈良原古墳群下御領古墳群法童寺古墳群


広島県福山市(旧神辺町)2018年1月訪問

3基

1号
円墳、R14
位置:34°33′56″N 133°23′47″E (日本測地系)
   34.56879355 133.39377772(世界測地系)
国分寺裏山古墳群から登ってくると出会う


墳丘の上に神社が建つ


建物の殆どは拝殿、墳丘もかなり削平されているもよう


本殿下に石室石材?、立地からして中期古墳ですね


横穴石室とは思えないし竪穴それとも箱式石棺


拝殿前の靴脱ぎ石も石室材かな


御神体でしょうか、これも石室材?


2号
円墳、R10
1号脇に低い高まり、石材が一つ見えている


上部が平ら、箱式石棺が出土したそうだ


3号
円墳、R12
丘陵頂部北端に立地、ここも石材が一つ


上部は平坦、遠方の丘陵に下御領古墳群がある


見学記
大きな看板のある御領古墳群林道入口から100m程行くと右に入っていく道があります。墓地の手前右側(案内板あり)の急な坂道を登った所にある3基からなる古墳群です。場所からして前期古墳群でしょうか。手前にあるのが1号でR14の円墳ですが上に神社が建っていて上部が削平されていますが多分元々それ程背の高い墳丘ではなかったでしょう。神社土台石にまるで石室のような石組みがあるがなんでしょうか。位置的に墳丘端辺りですから本来の主体部ではなさそうです。隣りにあるのが2号でR10と一番小さいですが地形的には一番高い場所、と言っても大した違いはありません。石仏の下に土台石がありますが古墳関連かどうかは不明、その隣に3号でR12、これも上部は平坦です。

すべり石古墳

広島県福山市 1998年4月訪問、2015年4月再訪

円墳、R13、6C後半
横穴式石室、全長9.5m,玄室長5.5,幅2.5,高2m
位置:34°28′22″N 133°18′19″E (日本測地系)
   34.47602448 133.30267528(世界測地系)

(2015年)
丘陵中腹に立地


石室正面、羨道前部はかなり破壊、98年当時と比べると左側にあった岩が転がり落ちている


羨道奥は残る、まぐさ石はなさそうに見える、玄室にはかなり土砂が流入


巨石で構成された玄室


石棺でしょうか、蓋石それとも底石、ピンホールカメラのように自分自身の影が映る、邪魔なんですけどね


奥壁はほぼ巨石1枚石、右側壁が少し前に出ている、築造当時からなのかな


天井石は2枚、手前のが特に巨石


奥から外、袖石を立てた右片袖式、奥から見るとまぐさ石はハッキリ


奥から左、一部側壁が抜けているようだ


奥から右、隙間がかなりある


(1998年)
石室開口部、南に平野を望む丘の中腹に立地、現地の標柱ではすべり岩古墳となっている


巨石を使った玄室、積み方はやや粗い感じ、近くに石切場があり現在も巨石がごろごろしている


右片袖式


(見学記)
(2015年)
山中東古墳群を訪問した序に再訪してみました。前の見学記では赤坂遊園なんて書いてますがそんなもの何処にあったかな、な状態。県道378号沿いの石材店の所に案内表示がありそこから山道を10分程です。途中所々にも案内があり迷うこと無く行くことが出来ますが10分ではちときついかな。石室自体は特に変わりないですが98年当時の写真と比べると正面左側の羨道側壁が落下して入口前に転がっています。地震のせいなのか、でもここ20年で広島県内でそんなに揺れた地震があったかな。ここで一番疑問だったのはすべり岩かすべり石かの表記の問題、どうやらすべり岩と書いて”すべりいし”と読ませるようで説明板にルビがふっていました。これで長年の疑問解決、再訪した甲斐があった(笑)。混乱しているのは私だけではないようで途中の案内板もすべり岩だったりすべり石だったりしています。入り口西側のゴミステーションにごみ収集後なら駐車可。県史跡。

(1998年)
備後赤坂駅北東500mの丘陵上にある古墳です。赤坂遊園(閉鎖中)西側から墓地に至る山道がありそこを過ぎると採石場跡巨石がごろごろしていて如何にも石室がある雰囲気,その先に古墳入口の標柱がありそこから急な山道を登っていくと古墳にたどり着きます。墳丘もある程度残っていて南側に石室が開口,玄室羨道共良く残っていて全長9.5m玄室長5.5mと大きなもので巨石を使った片袖式,玄室天井の石は長さ4mはあろうかという巨大なもの,また袖部は石柱のような石が立てられていて袖を明確にしています。登るのはきついですがこれだけはっきりした道があれば楽々,眺めが大変いいので例によってここで昼食。 市史跡。なお「本」では「すべり石1号」となっています,現地の標柱は「すべり岩」。

イコーカ山古墳

広島県福山市 2015年4月訪問

円墳
位置:34°28′12″N 133°18′33″E (日本測地系)
   34.47324699 133.3065639(世界測地系)

すべり岩古墳からの眺め


割と大きな円墳のよう


見学記
備後赤坂駅北東にある古墳で市の史跡になっているせいでしょうか地図にも載ってますがわざわざ行くほどのものでもないのですべり岩古墳からの遠望に留める、これで十分。割と大きな円墳のようですけどね。
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