長古原古墳群

広島県三原市 1998年4月訪問、2016年3月再訪

谷奥の尾根麓に並ぶ
現存4基、1号以外は小型

(2016年)
1号
形式不明、H3
横穴式石室、石室全長8.8m,玄室長3.4,幅1.9,高2.2m
位置:34°21′58″N 133°00′25″E (日本測地系)
   34.36936568 133.00436978(世界測地系)
以前と特に変わりなし


横から見た墳丘、背後の斜面との区画ははっきりしない


羨道に補強用の鉄パイプが入っていた、あまり効果は無さそうだけどね


柱状袖石を立てた玄門


完存玄室、白い点は測量の目印のようだ


〃ストロボ無し


〃縦位置、側壁はほぼ垂直


奥壁は縦長の石を2枚並べ他に隙間石を詰める


奥から外、両袖式、玄室に比べて羨道天井が一段下がる


羨道奥から


2号
横穴式石室
斜面裾に構築、羨道はかなり破壊


玄室は完存、小型の石材、1号と違い奥壁は平石を重ねる


奥から外、無袖でしょうか


4号
横穴式石室
石室開口部、石材が苔むして来ている


天井石が傾き状態は悪い


(1998年)
1号
墳丘、石室正面


羨道、柱状の袖石を立て上にまぐさ石を乗せた玄門


玄室、大型の石がなかったのだろうか、苦労が忍ばれる奥壁


両袖式、玄室と羨道の幅はほぼ同じ


2号
玄室、小型ながら比較的よく残っている


4号
羨道が破壊された石室


8号
石室開口部


(見学記)
(2016年)
三原市小泉町、非営利組織センタースマイル小泉背後の山裾にある古墳群です。ここもデジカメで撮り直すべく再訪してみましたが冷や汗モノの思わぬ発見があった。今まで長者原古墳群と思っていたが長古原古墳群だった(大汗)。長者原と言う地名はよく見かけるから早とちりしたんだろうな。それはともかく一番大きくて状態のいいのが1号ですが羨道に石室補強用の鉄パイブが入れられていた。幸い羨道だけで入りにくいけど何とか玄室にも入れたのでホッ。柱状袖石を立てた両袖式、奥壁は縦長2枚の石を並べ上と左に補充用の石材とちょっと変わった構成です。何か測定したのでしょうか奥壁辺りに点状の反射テープが貼られていました。2,4号も前と変わらず、南側墓地にある8号は見逃した。

(1998年)
三原市運動公園がある谷の西側の谷の最も奥まった所にある現存4基の古墳群で,尾根の東側麓民家の裏に4基並んでいます。まともなのは1号墳だけで墳丘石室とも良好,石室全長8.5m途中の壁両側に立石を配し,上にまぐさ石を乗せて玄室羨道を区別しています。こうもりがたくさんいてちょっと不気味。すぐ北側に2号の石室が開口小形の無袖式で石室は良好だが墳丘ははっきりせず,さらに北側民家の裏に4号墳,かなり崩壊している。1号北側に墓地があり片隅に8号墳奥壁部分がかろうじて残っていますがかなり小型。1号墳が市史跡。

御年代古墳

広島県三原市(旧本郷町)1988年4月訪問、2016年3月再訪

方墳の可能性、7C中
複室構造横穴式石室、全長10.7m,前室長3.4,後室長2.7,幅1.9,高2.1m
位置:34°23′40″N 132°56′56″E (日本測地系)
   34.39769576 132.94632159(世界測地系)

(2016年)
国道辺りからの遠望、画面中央下辺りが開口部


石室前、ベンチはいらないだろ、後方は墳丘上の墓地


羨道は側壁の一部しか残っていない


石室正面、前室の石棺が見えている


前室の巨大家形刳抜式石棺


前室石組みは切石状、後室は自動照明付き


蓋石の一部が欠けているのが残念、発見時に既に蓋は開けられたそうだ


後室はほぼ巨石1枚石で構築


石棺に縄掛突起はない


直線的でやや背の高い蓋石


尾根部後方に一段低くなった場所がある


後室奥から


〃左側


〃右側


安定性の為でしょうかまぐさ石下部に段差がある


反対側はそれ程でもない、側壁に切石を嵌め込んでいる


前室石棺奥から、尾根部が広く全体に丸みを帯びているのが分かる


前室左側


〃右側


(1988年)
石室開口部


前室、刳抜式家形石棺


後室玄門、左側に滑り止めの段差がある


後室、刳抜式家形石棺


奥から外、後室石棺が蓋石がやや高いのがわかる


(見学記)
(2016年)
三原市本郷町南方、国道2号と平行して走る市道に巨大な案内表柱がありそこから古墳が見えています。しかし何度来ても(2度目だけど)素晴らしい石室&石棺ですね。国の史跡だしいつ閉鎖されてもおかしくないレベルだけど普通に入れます。音声説明と自動照明付き。石室内部は一見北九州によく見られる複室石室のようですが前室後室ともほぼ同じ大きさで一つの玄室を仕切りで区画しているようです。巨大な石棺は側壁とあまり隙間なく置かれている。後ろの石棺はいかにも家形で蓋石が直線的ですが前のは蓋石が丸みを帯び女性的な感じです。時代差かとも思われますが後から入れるのは相当困難と思われやはり同時に入れたのかなと思いますね。巨大表中の手前に駐車スペースあり。古墳前は行き止まりなので行っていけないことはないけど方向転換出来そうにもないので止めておいたほうがいいでしょう。国道脇に古墳の里駐車場が整備されているんですが閉まっています。ストリートビューを見ても閉まっているので利用されていないのかな。

(1988年)
R2を更に西に行くと右側に御年代古墳の大きな案内板が立っていて国道から石室が見えています。斜面に立地する横穴石室墳で墳丘ははっきりしませんが石室は羨道の天井石が壊失しているだけで他は良好,切石積みの石室は全長10.76mで羨道前室玄室からなる複室構造,ほぼ左右対称の両袖式,羨道と前室は袖部が僅かな段差,前室と玄室は境に切石を鴨居状にに組み合わせて区画しています。前室と玄室にそれぞれ刳抜式家形石棺があり共に石室と同じ花崗岩製,縄掛け突起の全くない新しいタイプです。二つを比較すると後者は蓋の峰の部分がやや狭く角もはっきりしていますが後者は峰が広く丸みを帯びていて造りがやや雑な感じを受けます。残念ながら共に盗掘され一部破壊されています。この地域の他の石棺はみな龍山石製なのに一番新しいと思われるこの石棺が地元の花崗岩製なのは意味深げですね。国史跡。
(追記)現在国道脇に駐車場がある

貞丸古墳群

広島県三原市(旧本郷町)1988年4月訪問、2016年3月再訪

横穴石室墳2基

(2016年)
1号
墳形不明
横穴式石室、玄室長4.5,幅2.09,高2.15m
位置:34°23′33″N 132°56′48″E (日本測地系)
   34.39575147 132.94409962(世界測地系)
お寺の前に大きな案内標柱、後方に復元墳丘が見えている


前とはすっかり様変わり、墳丘復元、説明板設置


特徴的な三角形の天井石の印象が薄れている、袖石は半分以上隠れている、これは改悪だな


玄室は変わりなしですが


石棺に水がたまりコケが生えている


奥壁は巨石2段積み、水が滲み出している


左側壁、面が整っている


右側壁、手前の石は奥壁より巨石


奥から外、両袖式


奥から左、天井から水が漏れているようには見えないけど何故水が溜まる


奥から右、逆光で見ると石を割った跡が分かる


2号
墳形不明
横穴式石室、玄室長5.1,幅2.12,高1.97m
1号後方にある、樹木伐採しただけかな


石室正面、こちらは特に変わりないかな


1号よりやや大きな玄室、奥壁は1枚石


奥から外、左のは袖石でしょうか


奥から左、画面右側で切石状石組み


奥から右、どちらも基本的に2段積み


天井石露出


寺境内、石碑土台石に石棺蓋石使用


縄掛突起のないシンプルな造り、1号の石棺身より小さく2号の石棺と推定されている


(1988年)
1号
墳丘、壁の一部となっている


石室開口部、羨道は消滅


玄室、刳抜式家形石棺、龍山石、蓋石は不明


奥から外


2号
墳丘、石室正面、羨道は壊失


玄室、ここにも家形石棺があったらしく近くに蓋石があるそうだ


(見学記)
(2016年)
三原市本郷町南方、国道2号上尾原交差点北北西50m、大きな案内表柱も見えています。1号の墳丘復元&石棺蓋石も未見だったので再訪してみました。2基からなる古墳群で1号はお寺の中、擁壁が取り払われ墳丘が復元され周囲に説明のパネルが設置されていますがもうかなり色褪せています。当然ながら石室内部は変わりないが石室前に石段が作られ左右の壁で玄室袖石が半分以上隠れています。石棺には水が溜まり苔が生えています。墳丘水漏れが無ければ溜まることは無いんでしょうけどね。2号は後方少し上にあり墳丘上の樹木が伐採された以外は特に変わりなし、墳丘ははっきりせず石室一部が露出しています。お寺の石碑の土台に使われているのが家形石棺蓋石、明らかに1号の石棺より小さく2号からの出土と言われています。それにしても前回も当然この側を通っているんだけど全く気がついていないな。お寺の中まで車で入っていけるようです。

(1988年)
御年代古墳から南西300m、山の斜面の大日堂脇に1号墳があります。階段状の斜面がブロックで保護され石室が開口,羨道は壊失していますが両袖式の玄室が残っています。正面に立つと両側の幅の広い袖石(奥から見ると袖はこの半分くらいしか突き出ていない)とその上の三角形をしたまぐさ石が印象的です。玄室は長4.5m、幅2.1m、高2.2mで奥壁,側壁とも割石積み2,3段に積まれています。龍山石製の刳抜式家形石棺が残存,蓋は行方不明。大日堂前の石碑の台石に家形石棺の蓋が利用されていますが,大きさが合いません。この蓋は6個の縄掛け突起が付いていましたが削り取られています。更に上に2号墳の石室が開口,こちらも羨道は壊失していますが1号とほぼ同規模の玄室が残存,こちらは奥壁は1枚,石棺は不明です。

梅木平古墳

広島県三原市(旧本郷町)1988年4月訪問、2015年4月再訪

墳形不明、7C初頭
横穴式石室、全長12.8m,玄室長7,幅3,高4.2m
位置:34°24′18″N 132°58′09″E (日本測地系)
   34.40825018 132.96659647(世界測地系)

(2015年)
下から見た様子、お堂の下に墳丘


28年ぶり、初心者の頃でもここは真っ先に訪問


開口部、前が急斜面なので正面から撮れない


長く大きな羨道あるいは前室、説明板には特に複室とは書かれていない


袖石を建てた玄門、まぐさ石も一段下がる


巨大な玄室、広島県では最大級、左側壁が孕んできているが28年前のと比較するとそれ程変化はないような


〃縦位置、背も大変高い


奥壁は3段積み、左に詰石があるので捻れたような印象を受ける


左側壁、石材は意外と薄いかも


右側壁、4段積みで各石材の高さが揃ってる


奥から外、両袖式、まぐさ石も2段


〃縦位置


天井(ストロボ無し)


前室奥から、羨道にしては袖石やまぐさ石があるな


〃(ストロボ無し)


西側から見ると多少墳丘が分かる


2号
麓民家敷地内に2号があるそうですがこれでしょうか、見学するのは難しそう


(1988年)
分かり難いが左側に開口している、県内で最大規模の石室


羨道、前室、板石を突き出して区画している


玄室


奥から外、複室構造が分かる


奥から前室、入り口の天井石が一段下がる


(見学記)
(2015年)
実に27年振りの訪問、石室も周りの環境も殆ど変わりないですが改めて石室の巨大さを堪能してきました。以前は複室席室の可能性が言われていましたが説明板にはそれには全く言及されておらず実際前室というには大きすぎるので普通の単室石室でしょうね。内部に照明施設がありこういうのは故障しているのが多いのですがここのは大丈夫でした。入り口が大きいので無くても全く問題ないのですがストロボ無しで写真撮影するのに役立ちました。他に音声案内もあります。再訪した理由は「探訪・広島県の考古学」に2号墳が載っていたこと。下の方の民家敷地内にあるそうですがそこはお屋敷風の建物で訪問は憚られる。西端に墳丘らしきものがありましたが墳丘にしてはちときれいすぎるかな。半壊した石室があるそうですが見学は無理っぽいです。梅木平古墳東側の神社前に駐車可。県史跡。

(1988年)
本郷町役場西方約2km、丘陵南側麓近くの斜面に位置する横穴石室墳です。本郷中学校の北東に山王社の鳥居がありそこから西側に石室が見えています。墳丘は斜面が多少突き出ている程度でかなり変形していますが石室は良好,県内最大級の石室です。現存長13.25m、玄室長6.3m、幅3m、高4.2mと畿内の石室にも匹敵する大きさで中に入るとその大きさが実感でき,これくらい背が高いとさすがに奥壁も3段積みです。玄室羨道幅がほぼ同じで袖石を突き出させた両袖式の玄室ですが石室入り口部分にも袖があって複室構造とも考えられています。石棺はありませんが当然あってもおかしくない規模です。県史跡。

溜箭古墳

広島県三原市 1988年4月訪問

墳丘壊失石棺のみ残存
位置:34°23′43″N 132°59′03″E(蓋石) (日本測地系)
   34.39852906 132.98159421(世界測地系)
位置:34°23′34″N 132°58′59″E(身) (日本測地系)
   34.39602936 132.9804833(世界測地系)

石棺蓋石、退化した縄掛け突起が各面に明瞭に残っている、常磐神社境内で手水鉢として使用


刳抜式の身、各辺に僅かな縁取りがあり短い脚も付いている、長円寺で手水鉢として使用、説明はなく知らなければ分からない


(見学記)
本郷町中心部から川を越えた南側が三原市松江地区で南にのびる谷沿いにあった古墳ですがすでに明治時代に墳丘石室とも破壊され龍山石製の刳抜式家形石棺のみ現存しています。身の部分は長円寺境内にあり底の四隅に短い脚を作り出しているのが特徴です。寺のすぐ脇にあって手洗い鉢として利用されていて,その気になってみないと石棺と分からないかもしれません。蓋の方はここから北東500mの所にある常磐神社境内にあります。参道石段を登っていくと蓋がひっくりかえされていて,こちらも手洗い鉢として利用されています。縄掛け突起が6個付き突起自体はかなり退化したタイプです。共に保存状況は良好ですから早く一緒にしてあげたいですね。

虫送1号

広島県三原市(旧大和町)2009年3月訪問

横穴式石室
位置:34°30′11″N 132°54′56″E (日本測地系)
   34.50629258 132.91298903(世界測地系)

道の駅に展示された模型


周りの石や葺石もたんなる土止め


内部も本来の石室と全然異なる


(見学記)
偶々立ち寄った道の駅「よがんす白竜」にあった。駐車場に車を止めると隅の方に復元墳丘らしきものがあって側に説明板もある。これはひょっとして石室かなと思って近寄ってみるとやはりそーだった、ラッキー。でも説明板をよく読んでみると実物でも移築でもなく模型のようだ(説明板には模刻と書いている、よく分からない言葉)。周りの列石や貼り石もたんなる土止め、石室も1号の構造とは全然関係ないみたい。1号石材も一部使用しているとのことだが本来の位置とは関係なく使っているそうだ。なんのためこんなのをお金を懸けて作ったのかよくわからん。

南方神社石棺(二本松古墳)

広島県三原市(旧本郷町)1988年4月訪問

出土古墳は不明
組合式家形石棺
位置:34°23′22″N 132°56′34″E (日本測地系)
   34.39269605 132.94021112(世界測地系)

神社境内に復元安置している、小口部の側板は復元、4個の縄掛け突起のうち1個が削られている、底石に側板を受ける溝が付いている


龍山石製


(見学記)
貞丸古墳群から更に南西に500m程の南方神社境内に組合式家形石棺が保存されています。国道脇には二本松古墳として案内板有り。出土した古墳は不明ですが龍山石製で蓋には長辺部分に4個の縄掛け突起があり,一部少し欠けていますが溜箭古墳よりはやや大きめの四角いタイプです。かっては手洗鉢や踏み石に利用されていましたが現在は一つにまとめられ一部(身の小口や長辺の1枚)補われて復元されています。

黒谷暮坪古墳

広島県三原市(旧大和町)1996年4月訪問

円墳、R9、7C初
横穴式石室、全長6.85m,玄室幅1.6,高2.2m
位置:34°32′11″N 132°53′44″E (日本測地系)
   34.53962244 132.89299066(世界測地系)

石室正面


玄室、奥に石棚が見える


奥壁、石棚、板石をL字状に組み合わせている、右側にも空間があり石槨とでも言うべき構造


奥から外


(見学記)
県道脇に案内板がありそれに従っていくと横穴式石室が見えてきます。石室そのものは長さ6.85mとそれほど大きくありませんが奥壁の中断に石槨状の棚があるのが最大の特徴です。お隣の岡山県矢掛町の橋本荒神塚も同様の棚がありますがあちらが単純な棚なのに比べこちらはまさしく手すりの付いた2段ベッドの上段といった感じです(中で蛇が昼寝をしていた)。道路を隔てた西側の丘に2号墳が有ります。墳丘が良く残っていて小型の石室が開口しています。
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