矢谷古墳

広島県三次市 1988年4月訪問

前方後方形四隅突出募、TL18.5
位置:34°47′01″N 132°53′01″E (日本測地系)
   34.78681517 132.88104068(世界測地系)

工場団地内、丘の頂にある、元の墳丘に盛り土して復元


複数の埋葬施設がある


(見学記)
市街地の南東3kmの所に三次工業団地がありその中の最高所にある特異な四隅突出型古墳です。平面形は形の悪い前方後方墳の各隅に突出部が付いているというか,二つの四隅突出型古墳がくっついているというかそんな感じです(分かってもらえるかなー。全長19mに対して高1mと平らな墳形で箱式石棺,箱形木棺,割竹形木棺,土壙墓等バラエティーに富んだ主体部が11基もあり墳丘裾には貼り石がされています。現在は埋め戻されその上に墳丘模型が復元され公園となっています。周辺の道路にはあちこちに案内板が出ているんですが肝心の工業団地内には何もないので(ま,よくあることですが)団地の最高所を目指して下さい。国史跡。

若宮古墳

広島県三次市 1988年4月訪問、1993年再訪

前方後円墳、TL35.8,R20,RH3,FW16.2、5C
位置:34°47′46″N 132°51′36″E (日本測地系)
   34.79931285 132.85743158(世界測地系)

前方部側から後円部、墳丘は良好


近くの神社社殿脇の墳丘


(見学記)
三次駅南側の丘陵上南端に位置する全長39mの前方後円墳で周囲を生け垣に囲まれていますが墳丘は保存状況もよく裸の状態でよく観察できます。主体部は不明。南側に小円墳が4基あったが消滅,北側神社の脇に円墳が1基残っています。県史跡。ここから東方300mの所に国の史跡である花園遺跡があります。方形台状墓2,箱式石棺,土壙墓150基以上という弥生時代の大墳墓群ですが現在は箱式石棺がわずかに見えている程度です。

高平古墳群

広島県三次市 1988年4月訪問

6基中2基残存、6C末~7C前半
位置:34°47′25″N 132°51′22″E (日本測地系)
    34.79348019 132.85354325(世界測地系)

林業試験場内に保存、全長5m程度、画面右側にも1基ある


(見学記)
市役所南方1kmの林業試験場内にある弥生・古墳時代の遺跡群でこの内住居跡と2基の小型横穴石室墳(天井は無く石室下部のみ)が保存展示されています。受付を通してから見学しましょう。

篠津原3号

広島県三次市 1988年4月訪問

7C末

風土記の丘に移築された横穴石室

下山手古墳群

広島県三次市 1998年4月訪問

5基、4号消滅、5号移築復元

5号
長形墳、4C末~5C初
箱式石棺3
位置:34°46′45″N 132°56′34″E (日本測地系)
   34.78237218 132.94020124(世界測地系)

移築復元された墳丘、背後の林の中に1-3号がある


墳頂の箱式石棺群、手前の石棺には石枕がある


箱式石棺


墳丘周囲にも箱式石棺がある


(見学記)
三次市から三良坂町・庄原市に行く広域農免道,向江田町の丘陵上で右手に配水塔が見えてきてその周囲に5基からなる古墳群です。1-3号は円墳で現状のままですが4号は消滅,5号は塔のすぐ側に移築復元されています。22×16の長形墳で周りに周溝が巡り墳頂に3基の箱式石棺があって復元展示,又墳丘周囲や4号墳でも箱式石棺が検出されています。この古墳群は野曽原西古墳群を見に行く途中で偶然見つけた物ですが肝心の野曽原西古墳群は見つからず,「本」では位置が三良坂町になっているのに地図の位置は三次市の範囲でちょっとおかしい。横穴石室を主体とする7基からなる古墳群で道路から見えているというので何度も往復して探したんですが。ちなみに地図の示す位置辺りは墓地や建物があってちょっとやばいかも。

酒屋高塚古墳

広島県三次市 1988年4月訪問、1993年4月再訪

帆立貝式、R34,RH7,FW24,FH2.5、5C末~6C初
竪穴石室2基
位置:34°47′16″N 132°51′12″E (日本測地系)
   34.79098044 132.85076583(世界測地系)

半壊状態の墳丘


三次風土記の丘に移築された石室


(見学記)
林業試験場南西500mの所にある全長46mの帆立貝式古墳ですが前方部は消滅後円部も民家でかなり浸食を受けています。背の高い(7.5m)後円部頂に2基の竪穴石室があり中央の1号主体部は盗掘で石組みが一部しか残っていませんが(しかしそれでも完形の画文帯が出土しているのだから盗掘者の掘り方は不徹底なんですね,まー完全なら困るわけですがすぐ南側の2号主体部は蓋石が無くなっている程度でよく残存していてこちらは三次風土記の丘に移築復元されています。県史跡。

三玉大塚古墳

広島県三次市(旧吉舎町)1988年4月訪問

帆立貝式古墳、TL46,R34,FW13,RH7、5C後半
位置:34°43′16″N 132°59′47″E (日本測地系)
   34.7243237 132.99380928(世界測地系)

復元整備された墳丘、谷筋の丘陵頂部に位置する


後円部頂墓壙蓋石?


(見学記)
R184を南下すると吉舎町役場北側400m丘陵上にある全長41mの帆立貝式古墳で現在墳丘が復元整備されています。主体部は竪穴石室で鏡や玉等豊富な遺物が出土しています。すぐ側にテレビ中継塔があって車で行くことが出来,馬洗川沿いの谷筋を見下ろすことが出来る見晴らしの良い場所です。県史跡。

川立七ツ塚古墳群

広島県三次市 1998年4月訪問

前方後円墳2,他

1号
前方後円墳
位置:34°43′27″N 132°47′26″E (日本測地系)
   34.72737523 132.78799702(世界測地系)
後円部側面


2号
前方後円墳

前方部側から後円部

上定古墳群

広島県三次市 1998年4月訪問

画像無し

(見学記)

糸井大塚北西,美波羅川西側の丘陵上にある30基からなる古墳群です。神社の西側にあって古墳群の中央を道路が通っていて行くのは容易ですが古墳はすべて藪の中,幾つか墳丘があるなと分かる程度です。東側の殿山古墳群も同様。

鏡ヶ宿古墳

広島県三次市(旧布野村)1998年4月訪問

墳形不明
横穴式石室、全長6.4m,玄室幅1.5,高1.7m
位置:34°52′47″N 132°47′19″E (日本測地系)
   34.88291495 132.78604675(世界測地系)

墳丘流失、露出した石室


石室正面、小石を填めて天井石を水平にしている


玄室


(見学記)
村役場東方300m田圃の中に石室が完全にむき出しになっています。全長6.4m天井石は2枚残存,手前のは自然に近い岩ですが奥のは厚い板状に加工,奥壁左右の壁は板状に加工した岩をたてた1段積み,天井が水平になるように一部に小岩を咬ませています。無袖式ですが床面に仕切石があって玄室羨道を区別しています。この手の露出した石室によくありますが中にゴミが散乱しているのがちょっと残念。村史跡
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