中ノ浴古墳

山口県山陽小野田市(旧山陽町)2018年2月訪問、19年2月再訪

特異な外堤を持つ円墳
位置:34°03′01″N 131°08′51″E (日本測地系)
   34.05353208 131.14509883(世界測地系)

丘陵中腹、古い墓地の背後にある


手前に外堤を持つ基壇、と言っても写真では殆どわかりませんが


墳丘上段、やや北側に偏る


大きく盗掘、僅かに小型石材が見える


基壇上部縁に外堤状高まりがある、右奥に上段墳丘


多分同じ辺り、カメラ位置を低くして撮影


高さ3,40cm程度でしょうか、上部墳丘との間に平坦面


北西側外堤


中央辺りから見た東側外堤、低くてあまりハッキリしない


西(山側)から見た基壇部


見学記
(2018年)
中ノ浴古墳
山陽小野田市山川、情報としては保育社「日本の古代遺跡山口」の分布図に載っているだけ。県遺跡地図にも載っていたけどほぼ同じ場所、こういうのはあまり正確でな事もあるのであまり期待せず探してみました。一昨年七日町古墳群を訪問した序に探したけどその時は丘陵南側から、今回は西側から挑戦してみました。山林状態の丘陵はまず入り口を見つけるのが大事、ここは麓に住宅が並んでいるので尚更、でも何とか入る道を見つけましたがどんな状態なのかさっぱり分からないのでとにかく山道を歩いていくと古い墓地がありました。その背後に高まりがありその上に墳丘らしきものがありました。墳丘は10mにも満たない大きさだが頂部が大きく盗掘されて逆に古墳を思わせます。小さな石材が僅かに見られますが主体部は完全に破壊されているもよう。これ自体は平凡だけど周りが平坦でその端が外堤のようにたくなっています、現状で1m程の高さ。改めて見ると丘陵頂部を平坦に整形し墳丘を構築、その端を堤状に盛り上げて囲んでいます。外から見ると外堤は1,2mの高さがある。外堤がある古墳と言えば平野部に構築された巨大古墳で時折見かける程度、丘陵上しかも小型古墳で外堤があるというのは記憶に無いですね。なので若干疑問を感じながら帰ったのですが、帰ってから例の本を見てみると本文中に土堤を持った古墳と書かれていました。やはりあれで間違いなかったんだ。あまり期待はしなかったのですが特異な古墳を見つけて満足しました。因みに読みは”なかのえき”です。麓の道路ゴミステーション脇に駐車可。

(2019年)
昨年は古墳のことをよく調べずに行って帰ってから特異な墳丘と判明、写真もあまり撮ってなかったのでもう一度訪問してみました。墳丘は下段が東西方向にやや長い長円形20×15m程の大きさ、その上に径10m程度の墳丘が乗っていますがやや北に偏っています。下段に外堤のような高まりがあるのが特徴、高さは5,60cm程度でしょうか、全周しているようです。まず見たことのない墳形です。上部墳丘は大きく盗掘されているのが惜しまれますが外堤部分はよく残っています。盗掘跡に僅かに小さな石材散乱、立地等からして終末期に近い古墳だと思われ石室はあったとしてもかなり退化した石室でしょうか。ゴミステーションから橋を渡って右側の民家背後に道を行くと石仏?があります。そこから林の中に入っていくとほぼ1本道で墓地にたどり着きその背後にあります。

長光寺山古墳

山口県山陽小野田市(旧山陽町)1994年4月訪問、18年2月再訪

前方後円墳、TL58,R38,RH5.3,FW26,FH3.8、4C後半
竪穴石室2
位置:34°02′33″N 131°09′00″E (日本測地系)
   34.04575518 131.14759889(世界測地系)

(2018年)
墳頂に上る道、これが後円部側面


上部は広い平坦面、前期古墳だからこれが当時のままでしょうね


西竪穴石室


側に天井石が2枚あるが植木が育ち見づらくなっている


長い竪穴石室が良好に残る


反対側、天井石が落ちているのかな


開口部側壁


こちらが東竪穴石室でしょうか


手前が天井石で奥が側壁上部なのかな


前方部半ばから見た後円部平坦面


同じ場所から見た前方部、奥に見えている高まりは切り離された尾根


後円部、何処から見たか不明


前方部側面から後円部


尾根切断部、左が墳丘、築造当時はもっとハッキリしていたんでしょうね


(1994年)
後円部側面、背の高い墳丘が良好に残っているが全体像を見るのは困難


墳頂の竪穴石室、手前が西石室、画面左奥に東石室(埋没)


西石室内部、割竹形木棺が納められ三角縁神獣鏡が出土している


見学記
(2018年)
山陽小野田市郡、竪穴石室2基を持つ前期の前方後円墳です。前回行った時は4月だったけど墳丘の様子は全くわからず、今回冬枯れ時に行ってみたら墳形がよく観察できました。後円部前方部もよく残っていて後円部頂きが平坦で前方部と高さが殆ど変わらない様子がよくわかります。前方部端は尾根をカットした跡もよく残っています。カットが甘いですが少し埋まってきたのかな。後円部中央の竪穴石室は変わりないけど(当たり前)前の写真だと石室脇の小さな樹木が大分大きくなっているのが時の移り変わりを感じさせます。東側竪穴石室も一部石材が出ていますが元の状態はわかりにくい。古墳北側を通る道路に案内板がありここに駐車可。でもこの日は当地には珍しく積雪があり手前で道路が圧雪状態で車では辿り着けず四苦八苦。

沓古墳

山口県山陽小野田市(旧山陽町)2016年12月訪問

横穴式石室、玄室長2.5,幅1.6,高1.5m(目測)
位置:34°03′50″N 131°10′29″E (日本測地系)
   34.06714229 131.17231847(世界測地系)

構造改善センター敷地内に保存、どう見ても移築っぽいんですけどね


墳丘復元、羨道は天井壊失、右最前部の石は羨門の石かな


小型の玄室、全体に小型石材、奥壁も特に鏡石はなさそうだ


〃縦位置、天井石は割と大きい


天井一番手前の石材は現代の石っぽい


床面には敷石


右片袖式、カメラを突っ込んで撮影、石の隙間に土がありこれも移築を推測させる


見学記
厚狭大字沓山田、沓山田構造改善センター敷地内にある古墳です。墳丘は復元、横穴石室で玄室長凡そ2.5m、右片袖式の玄室はほぼ残るが羨道は一部のみ、床面に敷石がある。柵があって中には入れないけどこれが石材にボルトで固定、これでは係の人も入れないし内部で草が茂ったらどうするんだろ。場所的にも雰囲気的にも移築の匂いがプンプンするんだけど説明板には何も触れられてないな。高価そうなスレンレス製の説明板だがこの古墳自体の説明はあまりない。山口県遺跡地図を見てみるとここのすぐ近くだけど線路の西側にあったようだ、でも古墳の表示が点とはいえ面積を持った小さな円、この手の地図は位置がアバウトなこともよくあるし円の中心が古墳の位置とは限らないからな。後で検索してみると元は田圃の中にあったようです。線路西側は田圃だけどここは田圃だったとは思えないしやはり移築かな。センターに駐車場有り。

七日町古墳群

山口県山陽小野田市(旧山陽町)2016年12月訪問

横穴石室3基(番号は仮称)

遠望
民家裏に3基、地形的には丘陵南側麓辺り


1号
位置:34°03′03″N 131°08′34″E (日本測地系)
   34.05408749 131.140377(世界測地系)
家の人に聞かないとまず分かりません


右側に廻ると石材が露出していました


かなり不安定な状況


右が奥壁、左が側壁でしょうか、かなり後期仕様のようだ


天井石が落下している


1枚目の場所に戻ると石室側壁が見えていた


2号
すぐ西側、ここも聞かないと分かりません


右側半分が崩壊した石室


正面辺りが奥壁でしょうか


前の写真右端に見えている石がこの右側の石


この辺りが奥壁かな


3号
転落した天井石でしょうか、他の石材は見当たらず


見学記
山野井七日町、低い丘陵麓近くにある3基からなる古墳群です。民家の裏にあるので家の方に挨拶して見学。家のすぐ後ろにあるのが仮1号、使われている石材から見てこれが一番大きそうですがかなり崩壊していてギリギリ石室だなと分かる程度です。すぐ西側に仮2号、こちらも大きく損壊し奥壁と側壁の一部が残るのみ。更に西側に仮3号、こちらは天井石らしい石材が転がっているだけで他は見当たらず。
この南西丘陵上に中ノ浴古墳があるそうなので探してみました。幸い丘陵に入る山道があったので入ってみましたがそれは送電線に通じる道(よくあることだ)、幸い藪もそれ程酷くないので結構広範囲に探してみましたが見つからず。頂辺りに僅かに膨らんだ地形があったけど多分違うな。そもそもどんな古墳か全く分かってないもんな。

平松1号(平松古墳)

山口県山陽小野田市(旧山陽町)2001年4月訪問、16年12月再訪

円墳、R12,H3.7
複室構造横穴式石室
位置:34°00′03″N 131°07′29″E (日本測地系)
   34.00409227 131.12232414(世界測地系)

(2016年)
県道脇に良好に残る墳丘、復元それともオリジナル?


入り口の柵はすっかり錆びついている、鍵を借りたとしても開きそうにない


長い羨道、やはりここは入ってみたい


複室だそうだが前室ははっきりしないな


前室左側、玄門袖石、玄室側壁も巨石


この辺りが前室右側だがあまり引っ込んでない


平松2号
2号墳があるというので探してみました、小さな尾根筋先端、これかな


石材は全く見られず、確度50%


(2001年)
墳丘、石室正面、九州を望める海岸沿いの高台に立地


中室、玄室


玄室


(見学記)
(2016年)
これもデジカメで撮り直すため再訪、前回の推定位置が300mもずれていた(汗)。古墳自体は変わりなし、入り口に柵があり施錠もされていますが錆びついていてこれでは鍵を借りても開けられそうにありません。もう相当期間誰も入っていないんだろうな。2号があるというので探してみました、道路反対側の林の中に不自然に膨らんだ墳丘っぽいのがありましたが確信は持てなかった。当然横穴石室だろうと思うけど一部削られているが石材などは全く見られず。

(2001年)
径12mの円墳で九州を望む海沿いの高台に立地しています。県道沿いに裸の墳丘があるのですぐ分かります。東向きに石室が開口していますが入り口に柵があって中に入ることは出来ない。複室構造の石室ですが入り口からはちょっと分かりにくい。

塚の川古墳

山口県山陽小野田市(旧小野田市)2001年4月訪問、16年12月再訪

円墳、R15,H4、6C後半
複室構造横穴式石室、全長8.1m,玄室長3.2,幅2.5,高3.2m
位置:33°57′27″N 131°11′01″E (日本測地系)
   33.96076442 131.18120922(世界測地系)

(2016年)
左が塚の川古墳、幅広い周溝が巡る、右が大判山古墳石棺覆い屋


墳丘は一部復元


複室前室、結構大きい


〃縦位置、天井が高い


巨石を使った玄室、鏡石らしい巨石を据えた奥壁


〃縦位置


奥から外、柱状袖石を立てた両袖式


奥から左、下部に巨石を据える


奥から右、面が整えられている


前室奥から外、上部石材が持ち送り


大判山古墳
01年と比べて明らかに石材が変わっていた


実物が風化してきたのでレプリカと置き換えたそうです


(2001年)
公園全景、墳丘石室が復元され公園として公開、右側覆い屋に大判山古墳箱式石棺を移築


玄室、下部に巨石を据える


奥から外、両袖式、羨道はほぼ壊失、扉辺りが中室玄門


大判山古墳
移築箱式石棺


見学記
(2016年)
山陽小野田市小野田、ここもデジカメで撮り直すため再訪、相変わらず公園の入口が分かりづらいですね。町道に案内表示があるそうだけど反対側から来て竜王中学校の方に入っていったから気が付かなかった。中学校前でも車を止める場所がありますがここからも公園の入口が分かりづらい。何とか入っていきましたが古墳自体は変わりなし(ちなみに”つかのかわ”ではなく”つかのこう”と読むそうです)。だけど側にある大番山古墳石棺が変わっていた、どう見ても新しい花崗岩、石棺前に説明パネルが埋め込まれているけど文言は変わりないようでそれに関して説明は全くなし。どうやら前のは復元部分が多く劣化も激しいので撤去して新しく作り直したようです、せめて説明板も書き直してくれ。

(2001年)
市街地南部、竜王中学校北西にある古墳で複室構造を持つ径15mの円墳です。現在墳丘石室が復元され公園として整備保存されています。石室は全長8.1mですが羨道はほぼ壊失、前室玄室が完存しています。入り口に柵があり中に入れず木が1本生えていて中が見にくい。偶には掃除をして欲しい。僅かな隙間から何とか中にはいると玄室は大型の石を下部に据えた立派な石室です。同じ公園内に市内の大判山から出土した箱式石棺が移築保存されています。近くの市道に案内標識がありますが公園に通じる道は自転車がやっとの細い道しかなく探すのに迷いそう。市史跡。
市内には竜王山を中心に数十基の古墳がありましたが工場などが進出して殆ど全滅、今回紹介した古墳以外には1基しか残っていません。

仁保の上古墳

山口県山陽小野田市(旧小野田市)2001年4月訪問、16年12月再訪

円墳、R10、6C末
横穴式石室、玄室長2.1,幅1.8,高1.6m
位置:34°01′48″N 131°12′28″E (日本測地系)
   34.03325758 131.20537243(世界測地系)

仁保の上横穴古墳
横穴古墳、2×2×1m、6C末

(2016年)
麓に専用駐車場が出来ていた、古墳は階段を登った先に見えている


石室自体は変わりなし


横から、まぐさ石が突き出ている


玄室内部、以前あった波板がなくなっていてラッキー


ドーム状の玄室、それ程高くはない


天井石は2枚かな


奥から外、柱状袖石を立てた両袖式、奥行きが無いのでこれが精一杯


横穴古墳
覆い屋根等が新しくなっていた、さすがに前のはみっともなかったからな、横穴古墳を造るには地形的にも地質的にも不向きな場所


横穴内部、説明が無ければただの穴にしか見えない


(2001年)
山裾の斜面に立地する墳丘


石室正面、羨道壊失、板状の玄門袖石がよくわかる


玄室、小型で全体がドーム状、御大師様が祀られ土砂落下防止用の浪板が内部に張られて見学しがたい


奥から外、眼下の平野がよく見えている


横穴古墳
仁保の上古墳のすぐ上にある、同時代の横穴古墳


見学記
(2016年)
山陽小野田市有帆、前回はフィルム時代だったのでデジカメで撮り直すため再訪、特に変わりはないですが以前あった波板がなくなり石室が見やすくなっていました、また下に専用駐車場が出来ていました。この辺りは道が狭く車を止める場所がないので助かります。案内標識も設置されていました。私は北側の広い道から進入、案内標識に従って曲がり狭い道を入っていきましたが直前の案内標識が反対側を向いているので見逃しそうになりました、両面に表示して欲しかった。

(2001年)
楠町との境近く、仁保にある径10mの円墳です。有帆川がつくる狭い谷中平野に向かう丘陵の麓近くに立地しています。墳丘はかなり流失し、羨道も壊失していますが長2m、幅1.8m、高1.6mでドーム状の小型の玄室が完存しています。中に御大師様が祀られその為石材や土砂防止のための浪板が張られているため雰囲気がかなり損なわれています。すぐ上に1基だけ横穴古墳があります。6C末の同時代の古墳です。ともに市史跡。

妙徳寺山古墳

山口県山陽小野田市(旧山陽町)1994年4月訪問、2004年11月再訪

前方後円墳、TL30,R18,RH3,FW12,FH1、5C前半
竪穴式石槨、内法1.72×0.25~0.45×0.25m
位置:34°02′25″N 131°09′59″E (日本測地系)
   34.04353347 131.1639865(世界測地系)

(1994年)
墳丘、手前が前方部、バイパス工事に伴い発掘


緩斜面に立地、背が低い


後円部から前方部、前方部の周囲に斜面をカットした周溝が残っている、前方部がばち形に開く、左隅には墓道が確認されている


後円部竪穴式石槨蓋石、墳丘に比べて随分小さい

石槨内部、大人一人が横たわるのがやっとの大きさ


(2004年)
移築復元された墳丘



竪穴石室



(見学記)
国道2号バイパスを通っていたら妙徳寺山古墳の看板が立っていいので立ち寄ってみた。周りの状態はすっかり変わっていたが墳丘は元の通り位置的にも同じ場所だったので保存されたんだなと思って説明板を見たら西に30m程移築したとのこと。バイパス自体にはかかってないようだし測道の設計変更で保存できなかったんだろうか。竪穴石室は現地に保存展示されています。鏡などの出土遺物が県文化財。
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