黒山古墳群
山口県防府市 2002年4月訪問、2016年2月再訪
5基、2-5号は横穴石室墳
1号は県内最古クラスの箱式石棺
分布図、独立丘稜南側の麓近くに立地

(2016年)
1号
箱式石棺(埋戻し)、5C
位置:34°01′24″N 131°31′23″E
北東に伸びる尾根筋先端に立地

僅かな高まりがある程度、前回も来たけどフィルム時代ではこれは撮れなかった

2号
横穴式石室
天井石露出、周りはすっかりシダの藪になっていた

奥の天井石は動かされているようだ、この隙間から入れます

ほぼ1枚紙の奥壁、玄門付近が埋まっているので下がれません

〃縦位置

奥から外、羨道はほぼ埋没

奥から左側

〃右側

3号
横穴式石室
位置:34°01′17″N 131°31′12″E
こちらも天井石が露出

前の2枚は羨道天井、位置が低くなっている

奥壁は露出していない

入り口から覗いた石室内部

背の高い玄室、奥壁は鏡石を据え上に平石、側壁は僅かに持ち送り

〃縦位置

奥から外、両袖式だが左側が広い

〃縦位置

天井

羨道奥から、前回の写真だと斜めにもたれかかっている石があるが今回の写真では見られないな

5号
横穴式石室
位置:34°01′19″N 131°31′22″E
玄門

背の高い玄室、おむすび型の鏡石、3号とよく似ている

〃縦位置

奥から外、こちらも両袖だがやはり左が大きい

〃縦位置

玄室天井

(2002年)
2号
横穴式石室
石室が露出、麓近くの急斜面に立地

玄室奥壁、内部はかなり埋没

3号
横穴式石室
位置:34°01′17″N 131°31′12″E
完全に露出した石室、左手が奥壁側、石碑は古墳とは関係ない

背の高い玄室

奥から外、両袖式

5号
横穴式石室
位置:34°01′19″N 131°31′22″E
石室入り口、敷地の盛り土で墳丘はすっかり埋められている

背の高い玄室、保存状態は一番良い

両袖式、左右が非対称

(見学記)
(2016年)
防府市西浦、独立丘陵黒山に分布する古墳群です。14年ぶりの再訪、案内図のあった玉祖神社に行こうと思いましたが途中の集落内の道が狭くて断念、西側にある和立海神社に行ったらここにも案内図がありました。石段を登って行くと神社があり本殿脇に3号の案内板があります。そこからすぐ、石室がすっかり露出していますが玄室だけでなく羨道天井石までしっかり残っています。ただ入り口は殆ど埋まっているので天井隙間から入ることになりますが中途半端な狭さなので入るのはちと一苦労です。背の高い玄室は良好に残り袖石を立てた両袖式、側壁はやや持ち送り奥壁は巨石の鏡石を据え上に平石を重ねている。石室は殆ど露出していますが背後から見ると墳丘は結構残っています。2号は本殿前の鳥居脇の側溝沿いの道を行くと右に擁壁がある辺りに案内板があります(この道をそのまま進むと玉祖神社に至ります)。初めは多少踏み分け道がありますが殆どはシダがビッシリ生えて進むのが困難、常緑性のコシダだから冬場でも厄介でも強行突破するしか無い。なんとかたどり着くとここも天井石が露出した古墳が現れます。ここも羨道埋没玄室側壁隙間から何とか中に入れる、土砂が流入しているので足がつきます。3号より一回り小さいですがそれでもなかなかの大きさ、奥壁は巨石鏡石+平石です。玄門はかなり埋まっているが両袖式かな。14年前の写真と見比べると石室周辺もすっかりシダが茂っていて見学しにくくなっています。ここに3号への案内板もありますが殆どシダの藪で痕跡道もないような状態です。2号下の道を通って玉祖神社へ、ここに5号の案内板もありますが個人敷地内です。墳丘は殆ど埋められていますが石室自体ははよく残っています。1号の案内板もあるので丘を登っていきます。尾根先端に構築された古墳で墳丘らしい高まりがあり上に祠が建っています。江戸時代に箱式石棺が出土、人骨鏡管玉勾玉が出土した5Cの古墳で県内でも有数の古さです。時代も立地も埋葬施設も外の古墳とは一線を画し同じ古墳群とは言えないでしょうね。前回もここに来ているけどフィルム時代の故小さな高まり程度の墳丘では写真は撮れなかったよ。黒山山頂経由で和立海神社に遊歩道が続いているのですが山頂から先はもう藪状態なので一度下に降りて戻ったほうが良さそうです。どちらの神社も駐車場あり、分かりにくいけどね。
(2002年)
当時は島だったんでしょうか、海岸近くの黒山南側にある古墳群です。ほぼ中央辺りにある玉祖神社の鳥居脇に案内表示があり割と簡単に行くことができます。1号は県内最古クラスの箱式石棺で明治時代に人骨などが出土していますが現在は埋め戻され説明板と祠があるだけです。他は後期の石室墳、2,3号はすっかり石室が露出しています。5号は民家の敷地内にあります。家の方の話では家を建て替えたとき墳丘を埋めたそうです。幸い中にはいることはできます。庭石として使っている巨石も4号墳の石室石材を使っているそうです。庭石を得るために破壊したわけではないんですけどね。
5基、2-5号は横穴石室墳
1号は県内最古クラスの箱式石棺
分布図、独立丘稜南側の麓近くに立地

(2016年)
1号
箱式石棺(埋戻し)、5C
位置:34°01′24″N 131°31′23″E
北東に伸びる尾根筋先端に立地

僅かな高まりがある程度、前回も来たけどフィルム時代ではこれは撮れなかった

2号
横穴式石室
天井石露出、周りはすっかりシダの藪になっていた

奥の天井石は動かされているようだ、この隙間から入れます

ほぼ1枚紙の奥壁、玄門付近が埋まっているので下がれません

〃縦位置

奥から外、羨道はほぼ埋没

奥から左側

〃右側

3号
横穴式石室
位置:34°01′17″N 131°31′12″E
こちらも天井石が露出

前の2枚は羨道天井、位置が低くなっている

奥壁は露出していない

入り口から覗いた石室内部

背の高い玄室、奥壁は鏡石を据え上に平石、側壁は僅かに持ち送り

〃縦位置

奥から外、両袖式だが左側が広い

〃縦位置

天井

羨道奥から、前回の写真だと斜めにもたれかかっている石があるが今回の写真では見られないな

5号
横穴式石室
位置:34°01′19″N 131°31′22″E
玄門

背の高い玄室、おむすび型の鏡石、3号とよく似ている

〃縦位置

奥から外、こちらも両袖だがやはり左が大きい

〃縦位置

玄室天井

(2002年)
2号
横穴式石室
石室が露出、麓近くの急斜面に立地

玄室奥壁、内部はかなり埋没

3号
横穴式石室
位置:34°01′17″N 131°31′12″E
完全に露出した石室、左手が奥壁側、石碑は古墳とは関係ない

背の高い玄室

奥から外、両袖式

5号
横穴式石室
位置:34°01′19″N 131°31′22″E
石室入り口、敷地の盛り土で墳丘はすっかり埋められている

背の高い玄室、保存状態は一番良い

両袖式、左右が非対称

(見学記)
(2016年)
防府市西浦、独立丘陵黒山に分布する古墳群です。14年ぶりの再訪、案内図のあった玉祖神社に行こうと思いましたが途中の集落内の道が狭くて断念、西側にある和立海神社に行ったらここにも案内図がありました。石段を登って行くと神社があり本殿脇に3号の案内板があります。そこからすぐ、石室がすっかり露出していますが玄室だけでなく羨道天井石までしっかり残っています。ただ入り口は殆ど埋まっているので天井隙間から入ることになりますが中途半端な狭さなので入るのはちと一苦労です。背の高い玄室は良好に残り袖石を立てた両袖式、側壁はやや持ち送り奥壁は巨石の鏡石を据え上に平石を重ねている。石室は殆ど露出していますが背後から見ると墳丘は結構残っています。2号は本殿前の鳥居脇の側溝沿いの道を行くと右に擁壁がある辺りに案内板があります(この道をそのまま進むと玉祖神社に至ります)。初めは多少踏み分け道がありますが殆どはシダがビッシリ生えて進むのが困難、常緑性のコシダだから冬場でも厄介でも強行突破するしか無い。なんとかたどり着くとここも天井石が露出した古墳が現れます。ここも羨道埋没玄室側壁隙間から何とか中に入れる、土砂が流入しているので足がつきます。3号より一回り小さいですがそれでもなかなかの大きさ、奥壁は巨石鏡石+平石です。玄門はかなり埋まっているが両袖式かな。14年前の写真と見比べると石室周辺もすっかりシダが茂っていて見学しにくくなっています。ここに3号への案内板もありますが殆どシダの藪で痕跡道もないような状態です。2号下の道を通って玉祖神社へ、ここに5号の案内板もありますが個人敷地内です。墳丘は殆ど埋められていますが石室自体ははよく残っています。1号の案内板もあるので丘を登っていきます。尾根先端に構築された古墳で墳丘らしい高まりがあり上に祠が建っています。江戸時代に箱式石棺が出土、人骨鏡管玉勾玉が出土した5Cの古墳で県内でも有数の古さです。時代も立地も埋葬施設も外の古墳とは一線を画し同じ古墳群とは言えないでしょうね。前回もここに来ているけどフィルム時代の故小さな高まり程度の墳丘では写真は撮れなかったよ。黒山山頂経由で和立海神社に遊歩道が続いているのですが山頂から先はもう藪状態なので一度下に降りて戻ったほうが良さそうです。どちらの神社も駐車場あり、分かりにくいけどね。
(2002年)
当時は島だったんでしょうか、海岸近くの黒山南側にある古墳群です。ほぼ中央辺りにある玉祖神社の鳥居脇に案内表示があり割と簡単に行くことができます。1号は県内最古クラスの箱式石棺で明治時代に人骨などが出土していますが現在は埋め戻され説明板と祠があるだけです。他は後期の石室墳、2,3号はすっかり石室が露出しています。5号は民家の敷地内にあります。家の方の話では家を建て替えたとき墳丘を埋めたそうです。幸い中にはいることはできます。庭石として使っている巨石も4号墳の石室石材を使っているそうです。庭石を得るために破壊したわけではないんですけどね。