秋吉八幡宮古墳

山口県美祢市(旧秋芳町)2016年3月訪問

横穴式石室
位置:34°12′50″N 131°17′38″E (日本測地系)
   34.21712988 131.29147375(世界測地系)

擁壁の上に石組み、階段は古墳の為ではなさそう


白い石灰岩で出来た石室


天井石の位置関係がよく分からず、石室の方向を決めがたかった


初めはこちらが石室正面かと思った


奥の石が奥壁のように見えるけど側壁、左が奥壁、天井石の切込みは後世のでしょうね


ほぼ未加工の天井石、これは原位置のままかな、手前の天井石と形が違いすぎる


羨道天井石と左側壁、この時点ではまだ半信半疑


秋にもう一度来てみました、天井石が結構水平を保っています


周りが縄囲いされていました、神社の信仰の対象になっているんでしょうか


柱状の玄門袖石、その右が羨道側壁、これを見ると確かに石室らしく見えます


これがまぐさ石でしょうか


奥2枚の天井石、最奥の天井石が水平になっているけど動かされているんだろうな


見学記
秋芳南中学校北西に秋吉八幡宮がありそこに古墳があるというので行ってみました。正確な場所もどんな古墳かも全く分からない状況、本殿前にイチョウの高木が生えた塚がありこれかなと思いましたが背後の山が経塚山で経塚があるそうなのでこれもそうかもしれない。石段登り口左手に社務所がありその背後擁壁の上に奇妙な石組みがありました。擁壁にはそこに至る階段があるけどどう見ても必要な階段ではないしかといって見学用でもないし。石組みは一見石室のように見えますがどうもしっくり来ない。どう見ても人工的な石組みだし(多分石灰岩)付近には同様の石材がないからここにこんなのがある事自体おかしいけどやはり石室とするにはしっくり来ない。ハッキリした奥壁や玄門があれば分かるだろうけどあるようなないような。結局モヤモヤ感が残ったまま撤退しました。
後日遺跡地図を見ると場所自体は間違いないようなのでもう一度行ってみました。石室だろうという目で見てみるとどうやら右片袖式の石室のようで特に袖部が割とはっきりして石室なのは間違いないようです。それにしても殆ど未加工の天井石を見てみると今まで見てきた数多くの天井石とは随分違っていました。内部は殆ど埋まっているのでわかりませんが内部を見てみたかったな。鳥居前に駐車スペースあり。

大里古墳(移築)

山口県美祢市(旧秋芳町)2016年3月訪問

位置:34°12′46″N 131°17′46″E (日本測地系)
   34.21601893 131.29369573(世界測地系)

基部だけ残る横穴石室、グランド拡張工事に伴い同じ中学校内に移築


両袖式、龍の透かし彫り環頭太刀出土


環頭太刀は文化財指定ですが石室そのものは史跡にはなってないようだ


袖石が本来の墳丘内に突き出ている、羨道側壁の石材が玄室のより大きい


見学記
美祢市秋芳町秋吉、秋芳南中学校グランド拡張工事で発掘され同校内に移築保存されています。学校の許可を得て見学、両袖式の横穴式石室ですがほぼ玄室基礎部分しか残っていません。龍の透かし彫りを持つ環頭太刀や須恵器など遺物は割と出ているようで文化財に指定されています。

内川古墳石棺

山口県美祢市 2011年12月訪問

箱式石棺
位置:34°09′45″N 131°12′33″E (日本測地系)
   34.16574338 131.20675854(世界測地系)

露天に保存された箱式石棺


一部蓋石を外した状態で転じ


石材は板石状に加工、人骨6体分が出土したそうだ


(見学記)
美祢市大嶺町東分、資料では歴史民俗資料館に保存とありましたが実際はその西側図書館南側の川縁に保存されていました。一部蓋を外された状態で公開されています。長2m程度、内部から人骨6体分が出土したそうです。

宮ノ前古墳群

山口県美祢市 2011年12月訪問

2基

1号
位置:34°13′06″N 131°12′33″E (日本測地系)
   34.23490573 131.30702693(世界測地系)
割と墳丘が残っている


盗掘跡がありその前に巨石が立つ


二次使用はされていない模様、奥壁か天井石か


2号
横穴式石室、玄室長4m程、7C
位置:34°13′04″N 131°12′31″E (日本測地系)
   34.22101664 131.20620184(世界測地系)
墳丘流失、石室露出


画面左奥辺りが玄室後部


玄門袖石でしょうか、左袖石は元位置を保っている模様


玄門奥から


玄室中程から見た後部、奥壁は1枚石に小形石材を積む


奥壁と側壁右側


奥壁と側壁左側


左側壁


奥から外、天井石裏側しか見えませんが


(見学記)
美祢市於福町下、西八幡宮背後の丘陵にある2基からなる古墳群です。本殿の左側から雑木林に入っていく道があって進んでいくと露出した石室に行き当たります。かなり破壊され羨道は基部のみ残存、ただ玄門の袖石らしきのも残っています。玄室はかなり埋まっていて残った天井石2枚の内手前のもだいぶ傾いています。玄室奥壁辺りは割と良好に残っていて奥壁はほぼ巨石1枚石左右の側壁とともに表面がかなり平に仕上げられています。玄室長4m程度羨道も先端が少し開いている感じで7Cっぽいかな。本殿に戻って北側の建物の背後に回ると丘陵頂に通じる山道があります。登り口すぐ右側に割と大きな墳丘があります。盗掘らしき跡があり裾に巨石が立っていますが石碑など二次加工された跡もなく天井石か奥壁でしょうか。奥壁だとすればかなり動かされているけどこのように立ったままにするかな。山道を上がっていくと石の祠が2基あります。その台座が平石を積み重ねていてひょっとしたら石室石材かもしれない。資料から北側のを1号西側のを2号としましたが石室露出の状態が資料とはだいぶ違うな。2号なんて本殿南側になっているし。でも見つけられただけでもOKな場所でした。境内に駐車スペースあり。

青景石棺(仮称)

山口県美祢市 2009年4月訪問

箱式石棺、弥生時代
位置:34°13′54″N 131°18′34″E (日本測地系)
   34.23490573 131.30702693(世界測地系)

青景地区の畑で発見、自然博物館敷地内に移築


石灰岩製
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