朝田墳墓群

山口県山口市 1993年4月訪問、2016年1月再訪

弥生時代~古墳時代にかけての墳墓群
壺棺墓、各種土壙墓、箱式石棺墓、竪穴石室、横穴石室など多彩な埋葬形式がある
5つの支群に分かれているが第一地区を除いてバイパス工事で消滅
位置:34°09′06″N 131°26′05″E (日本測地系)
   34.15491614 131.43229646(世界測地系)

(2016年)
看板:遺跡は何も見えませんが


立体模型:前のと全く同じですが材質が違うような、2代目かな


1号横穴
前に墓道を伴う、上に墳丘がある


閉塞石


内部は平凡、と言うより屋根のような構造がない


1号周溝墓
墳丘規模の割に周溝が広い


2号周溝墓
密集状態


3号周溝墓
急斜面なので下の方が大きく広がる


割竹形木棺だったんでしょうか


4号周溝墓
復元でも埋葬主体がないと撮るのも寂しい


5号周溝墓
主体部の位置が偏ってます、もう1基予定していたんでしょうか


埋葬形態は多様だが箱式石棺が多い


6号周溝墓
僅かな高まり、元の状態のまま


7号周溝墓
円形より方形のような


釘が出土すれば木棺だと推定できますがこの形にした根拠はあるんでしょうか


2号古墳
同じ数字でも周溝墓と古墳があるからややこしい、これだって周溝があるようですけどね


1号石棺


3号石棺


5号石棺


10号石棺
身が見えています


蓋石上から


内部にも板石が敷かれている


11号石棺
手前11、奥12号



12号石棺


15号石棺


16号壷棺墓
狭い範囲内に多種類の埋葬形態


22号石棺
渡り橋で保護


却って見づらいような


22号辺りから見た遺跡全景


18号石蓋土壙墓
箱式石棺との違いは身の有無なんでしょうか


24号土壙墓
木棺も古くなると復元遺跡に馴染んでくる(笑)


(1993年)
発掘時の立体模型


全景、盆地を望む尾根上に立地、墳丘が復元され公園として整備された


見学記
(2016年)
山口市吉敷、丘陵尾根筋先端にある墳墓群で国道9号線が通っていますが下にトンネルを通して保存されました。ただ墳墓群はここだけでなくもっと南側まで何群もあったようで他は消滅しています。弥生から古墳時代にかけての複合遺跡で弥生時代後期の箱式石棺墓13、石蓋土壙墓4、土壙墓12、壺棺墓4、方形台状墓1、古墳時代前期の周溝墓6、後期の竪穴系横口式石室墓1、墳丘を持つ横穴墓1からなります。現在は遺跡は全て埋め戻され墳丘は周溝などが復元展示されています。箱式石棺も幾つもありますがあれも復元なんでしょうかね。復元墳丘等の側には種類等を書かれた表示があるのですが番号が振られてないので後で写真を整理する時に不便。維新百年記念公園西側に弓道場がありその辺りから登っていけます。弓道場に駐車場あり。国史跡。

浦辺1号

山口県山口市 2007年12月訪問

石室を大浦古墳群公園に移築

正面


石室正面


背の高い玄室、上の石は天井石みたい


石室背後上から、床面に敷石が敷かれている

梅ヶ崎2号

山口県山口市 2007年12月訪問

石室を大浦古墳群公園に移築

正面


石室正面


天井を失った玄室


玄室背後上から

大浦古墳群

山口県山口市 2007年12月訪問

3群6基の石室を大浦古墳群公園として移築
位置:34°03′18″N 131°23′55″E (日本測地系)
   34.05825848 131.3961911(世界測地系)

全景


(説明板より)


大浦古墳群

1号
竪穴系横口式石室

正面


玄門


上部を失った玄室


石室背後上から


石室横から


2号
竪穴系横口式石室

正面


玄室正面上から


玄室背後上から


4号
横穴式石室

復元墳丘


石室正面


玄室、天井は復元かも知れない


奥から外、両袖式


12号
複室横穴式石室

正面


石室、手前に小さな前室がある


玄室


玄室背後上から


石室横から


(見学記)
山口市江崎、県道212号側にある古墳公園で県道建設に伴い3群33基の古墳を発掘、うち6基の石室を移築して古墳公園として保存公開されました。道の駅あじすきららから小郡方面に向かっていたとき偶然発見しました。車の中からちらっと見ただけで石室がいっぱいあるのが見えている。すぐ案内表示があって測道におりその後も案内表示通りに行けばたどり着くことができます。駐車場有り。発掘されたのは大浦古墳群30基中の16基で1,2,12,14号移築、浦辺古墳群6基中の2基で1号移築、梅ヶ崎古墳群16基中の15基で2号移築。みな天井石を失っていたようですが大浦4号は天井石も復元しているようで墳丘も復元しているようです。これが一番石室が大きいようで玄室長3mくらいかな。他に大浦1,2号が竪穴系横口式石室、大浦14号が複室石室です。公園ができたのは2001年のようですが6年立っても雑草が全く生えておらずゴミもなくてきれいな公園でした。

丸塚古墳群

山口県山口市(旧阿知須町)2001年4月訪問、2007年12月再訪

円墳7基

1号
複室横穴石室
位置:34°01′08″N 131°22′04″E (日本測地系)
   34.02215077 131.36536114(世界測地系)
丘陵麓近くに立地した墳丘


石室正面、複室だが羨道部はかなり破壊


後室玄門


玄室、奥壁はほぼ1枚石


右側壁、奥壁より巨石


左側壁、手前に立石が置かれている


奥から外、両袖式


玄室から前室


2号
円墳、R15、6C末
複室横穴式石室、玄室長2.2,幅1.7,高1.5m
位置:34°00′51″N 131°22′10″E (日本測地系)
   34.01742906 131.36702784(世界測地系)
果樹園の中にある、墳丘が一番よく残っている


石室正面、羨道と前室前部破壊


後室玄門


玄室、奥壁は鏡石を据え平石を積み重ねている


奥から外、両袖式


3号
複室横穴石室
位置:34°00′43″N 131°22′10″E (日本測地系)
   34.01520705 131.36702791(世界測地系)
藪の中にすっかり露出した石室


後室玄門


玄室、各壁は2段積み


奥壁


奥から外、両袖式


玄室から前室


右側袖石、この溝が人口の物かどうかは不明、反対側の袖石には同様の溝はない


4号
円墳
複室横穴式石室

石室正面、羨道壊失、手前の立石が前室前門、外が南向きなのにここだけ東向きに開口


前室、後室玄門、前室も外と比べて大きい


玄室、ほぼ1枚石の巨石、丸さが強調されているような


奥から外、両袖式


右袖石、側壁も巨石


左袖石


5号
円墳、R13.4、6C後半
複室横穴式石室、玄室長2.5,幅2.1,高2.2m
位置:34°00′41″N 131°22′09″E (日本測地系)
   34.01465155 131.36675018(世界測地系)
復元墳丘、石室正面


後室玄門、羨道前室はかなり破壊


玄室、全体に粗い積み方


奥から外、両袖式


玄門上部、三角持ち送りが見られる


玄室から前室


(見学記)
(2007年)
以前2,4,5号を訪問しましたが山口市のHP(阿知須町は山口市と合併)を見ると1,3号も市の史跡になっているのを知り再訪してみました。まず5号を再訪、きらら博が開かれたりして周辺の道路は大きく変わっていましたがここは変わりなし。すぐ側の4号ももう少し離れていると思ったが接するほどの近さでしたね。記憶はあてになりません。3号は後回しにして北に離れている1号を訪問、5号前の道路を北に800m程行くと(途中で2号の案内表示があるのでこれも再訪)十字路がありそこに1号の案内表示があります。ここから200m程北へ行くともう一つの案内表示がありそこから畑の奥林際に開口した石室が見えています。墳丘ははっきりしませんが複室石室が開口、羨道はごく一部しか残っておらず前室も前上部が欠けていますが他は良好玄室も完存しています。玄室は両袖式で長2.5m程とそれ程大きくないが奥壁は1枚石の巨石、両側の側壁も下部に奥壁に匹敵する巨石を据えています。左側側壁最前部に袖石に使えそうな柱状の石があるが特に意図した物でなく石材の有効利用でしょうか。案内板はあるけど説明板は無し。市史跡。

3号
5号の北側100m辺りにあるが実は山口市のHPの地図を見てこの辺りにあると勘違いしていた(HPでは1,2,5号は地図に載っているが3,4号は載っていない)。畑仕事をしている地元の人に聞いてみたら1,2,5号は知っていたがこの辺りに他の古墳は無いという。ただその内の一人が最近山大の人が調査に来たなというのでそこに案内して貰ったら確かに石室がありました(帰ってから確認したら3号に間違いなかった)。新しい住宅の間から東に入っていった竹林の中、一応古墳の場所まで道がついてます。状態は5基の中では一番悪く石室が殆どむき出しになっていますが石室自体はそれ程でもないようです。開口部に袖石がないのではっきりしませんが幅が玄室とほぼ同じくらいなのでここも複室石室でしょうか。玄室は長2.2m、幅2m程、奥壁側壁とも切石状の大型の石を使った2段積み、表面もかなり平面に仕上げられ小さな石は殆ど使われておらず見事な石室です。右側の袖石に数列の溝が彫られていて一見扉石を填め込む溝のように見えるが反対側の袖石にはそのような物はなく自然の溝かも知れません。市史跡。

(2001年)
町役場北方に丸塚山がありこの東側山麓にある7基からなる古墳群です。南側山麓に住宅街が建設されその片隅に5号墳があります。径13mの円墳で墳丘石室が復元され公開されています。南側に石室が開口、複室構造の横穴石室で羨道前室は下部しか残っていませんが玄室は完存しています。奥壁が墳丘の中心に位置していて初期の横穴石室墳の基本設計を忠実に残しているそうです
すぐ東側に4号墳があります。こちらも複室構造の石室で羨道は殆ど壊失していますが前室玄室はよく残っています。奥壁は巨大な1枚石、切石に近い石材を使い5号より新しそうです。石室も東向きに開口しています。ここから200m程北に行くと果樹園の中に2号墳が保存されています。径15mの円墳で墳丘は一番よく残っています。これも複室構造の石室ですが羨道は壊失、前室も前面が削平され一見すると普通の石室にしか見えません。石室下部に巨石を据え上に平石を重ねた玄室です。県内の古墳には珍しい排水溝を備えているそうです。町史跡。
九州側もそうでしたが周防灘沿岸には複室構造の石室が多いです。

狐塚古墳

山口県山口市(旧阿東町)2008年4月訪問

前方後円墳、TL33,R20,H3.5,FW11,FH1.5
横穴式石室
位置:34°23′48″N 131°43′43″E (日本測地系)
   34.39989546 131.72615349(世界測地系)

後円部が高く前方部は低平


前方部から後円部


石室入り口を覆い屋で保護


入り口から見た石室、羨道に閉塞石が残る


羨道も背が高い


持ち送りの殆どない玄室、奥壁はほぼ巨石1枚石


奥から外、両袖式


奥から玄門右側


奥から玄門左側


(見学記)
阿東町徳佐、道の駅長門峡に石室の写真があったのでこれは行かなくちゃと思い場所が分からないので役所に行って聞き序でに鍵も借りました。役所北東600m県農業試験場(廃止)すぐ北側にあります。墳丘は裸の状態、多少は修復しているかも知れませんが後円部が高く前方部が低平な全長33mの前方後円墳です。しかも県北部唯一の前方後円墳、そして県内に5基しかない横穴石室を持つ前方後円墳です。入り口部分は覆い屋を架けて保護、中に入ると羨道は多少破壊されているようですが玄室完存、奥壁はほぼ1枚石の巨石、側壁も殆ど持ち送りがなく一部切石状とかなり後期の石室のようです。それにしても古墳の少ない北部でいきなりこのような立派な石室を持つ前方後円墳が構築されるとはね。多分史跡だと思うが説明板などは一切なし。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示