三明寺古墳

鳥取県倉吉市 1990年4月訪問

円墳、R18,H6
横穴式石室、全長8.5m,玄室が場3.2,高3.1m
位置:35°26′16″N 133°50′09″E (日本測地系)
    35.44092495 133.83315716(世界測地系)

丘陵斜面をカットして構築、左手が墳丘、背後に陸橋状の削り残しがあり一見前方後円墳の様


石室正面


玄門、羨道玄室の幅は同じで巨大な板状の袖石が両者を区切る、袖石の厚みが左右で大きく異なる


羨道左右側壁、分厚い板石を積み重ねている


巨石を使った玄室、内部に巨大な箱式石棺がある


玄門左右の石組み、隙間を切石で巧みに埋めている、石組みがかなり左右対称


玄門、まぐさ石、安定のためかまぐさ石上部に板石をはめ込んでいる


(見学記)
倉吉市街地の北側,向山にある山名寺の背後にある円墳です。径18mとそれほど大きくありませんが全長8.6m,幅3.2mの巨大な横穴式石室が開口しています。羨道,玄室の幅はほぼ同じで間を二枚の立石で仕切られています(左右で厚さが倍以上違うのがご愛敬)。玄室は壁天井石ともほぼ一枚石の切石で構成され中にはこれ又巨大な箱式石棺があります。墳丘は斜面をカットして構築されていますが完全にはカットせず一部にブリッジ状の尾根を残しているのが特徴です。国史跡。
この背後の丘には前方後円墳六基,円墳多数から成る向山古墳群があるはずですが全くわからず。

三度舞大将塚古墳

鳥取県倉吉市 1990年4月訪問

方墳、L21
位置:35°26′43″N 133°48′08″E (日本測地系)
    35.44842326 133.79954924(世界測地系)

名前負けしそうな墳丘、弥生墳丘墓という説もある


(見学記)
上神から県道を南に行くと大谷茶屋地区にあります。南北に伸びる低い丘陵の南端,墓地の一角にある一辺21m程の墳丘で発生期の古墳又は弥生墳丘墓ではないかとも言われています。墳丘はかなり荒れていて側の小さな説明板がなければ墓参りに来た人もこれが古墳だとは思わないでしょうね。市史跡。

大宮古墳

鳥取県倉吉市 1990年4月訪問、1997年4月再訪

円墳
横穴式石室、全長5m
位置:35°23′50″N 133°48′13″E (日本測地系)
    35.40037322 133.80093859(世界測地系)

丘の麓水田の中の墳丘、左手に石室が開口(玄室側壁上部)


玄室奥壁(右手)、基部に大型の石を据えその上に板石を小口積みにしている


玄門(左手)上部、持ち送りがあり背の高い玄室


玄室床面、石障が見えている


(見学記)
市街地の西側を流れる小鴨川の支流岩倉川の河岸段丘北端に位置する円墳です。径21m程ですが見た感じもっと小さくなっているようです。全長5m,玄室長,幅,高共ほぼ2.6mの横穴式石室があり玄室の壁の上部が開口しています。柵がありますが鍵が壊れていて中の覗くことが出来ます(さすがに一人では中に入る勇気はない)。玄室は板状の石を持ち送りにしたドーム状で床面には石障らしき物も見えています。市史跡。

国分寺古墳

鳥取県倉吉市 1990年4月訪問

前方後円墳、TL60
位置:35°25′58″N 133°47′58″E (日本測地系)
    35.43592466 133.796772(世界測地系)

寺墓地の中に背の高い墳丘が残っている、周囲がかなり削られ前方後円墳も推定、舟形粘土槨から豊富な遺物が出土、寺に保存


(見学記)
さらに南下して国府地区にある国分寺本堂裏にあります。全長60mの前方後円墳と推定されていますが現状は前方部消滅,後円部もかなり削られ三角推状になっています。舟形の粘土槨が検出され豊富な出土遺物は寺に保管されているそうです。

上神将軍塚古墳

鳥取県倉吉市 1990年4月訪問

円墳、R27
位置:35°26′58″N 133°48′04″E (日本測地系)
    35.45258941 133.79843814(世界測地系)

丘麓近くの緩斜面に立地した形の良い墳丘


地名の読みは「かずわ」


近くにも古墳があり古墳群をなす


(見学記)
市街地の北西,上神地区にある径27mの円墳で例えて言うならばガラスに水滴を落としたような非常にいい形をしています(わかって貰えるだろうか),まさか復元墳丘ではあるまいな)。大正時代に発掘され,鏡,鍬形石,琴柱形石製品等多数の副葬品が出土しています。近くにも2~3基の古墳があって古墳群を形成しています。市史跡。

家の口後1号(ごりょ塚)

鳥取県倉吉市 1997年4月訪問

円墳、R15,H4
横穴式石室、全長5m,玄室長2.3m
位置:35°23′10″N 133°48′16″E (日本測地系)
    35.38926347 133.80177198(世界測地系)

石室正面


羨道、板石を使った玄門、この様な構造がこの地方でよくある


玄室、基部に大型の石、上に板石を小口積みにしている、近くにある大宮古墳とよく似ている


玄室上部、持ち送りの様子がよく分かる


両袖式、奥行きがあまりなく背が高い


(見学記)
岩倉川をさらに遡って行くと岩倉の集落があってこのすぐ手前西側の尾根先端に位置しています。集落内に案内板がありますがこれだけではまずわからないでしょう。尾根を平らに整地した上に径15m,高4mの円墳が乗っています。全長5m玄室長2.3mの片袖式の横穴式石室が開口していて構造は大宮古墳と良く似ています。玄室は下部に大きめの石を立てその上に偏平な石を持ち送りにしながら積んでいます。墳丘,石室とも保存状況は良好。1977年に発見されたと言うことですが”ごりょう塚”と言う別名が付いているところを見ると多分地元の人は知っていたんでしょうね。市史跡。なお2号墳は消滅しています。

福庭古墳

鳥取県倉吉市 1990年4月訪問、1997年4月再訪

円墳、R35
横穴式石室、全長9.5m
位置:35°27′43″N 133°51′25″E (日本測地系)
    35.46508907 133.85426601(世界測地系)

神社境内の森の中に石室が開口、羨道入り口付近は自然石が使われている


板石を使った玄門


巨石の切石を使った見事な玄室、奥壁に赤色顔料の跡が残っている、隙間に小石が詰め込まれている、玄室自体は2m四方とそれ程大きくない


玄室床面の石障


玄門上部の石組み、隙間に詰めた小石まで左右対称っぽい


(見学記)
大平山西側麓近く,波波伎神社境内にある径35mの円墳で全長9.5mの横穴式石室が開口しています。羨道玄室ともほぼ同じ幅で2枚の立石で間が仕切られています。玄室は三辺ともほぼ2m強の大きさで壁の上部に小型の石がはめ込まれている他は天井石とも1枚づつの切石で構成されています。床面には石障も残っています。奥壁に赤色顔料の跡が残っていて(はっきり確認できます)装飾古墳の可能性もあるそうです。県史跡。

阿弥大寺遺跡

鳥取県倉吉市 1990年4月訪問

四隅突出墓
位置:35°25′13″N 133°45′23″E (日本測地系)
    35.42342526 133.75372065(世界測地系)

発掘後埋戻し


(見学記)
下福田にある四隅突出墓古墳群で国の史跡ですが現在埋め戻されていて全く見ることは出来ません。行くだけ無駄ですよ。
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