佐賀神社古墳

香川県高松市(旧香南町)2003年4月訪問

横穴式石室、玄室長7,幅2.5,高2.5m
位置:34°14′56″N 134°01′13″E (日本測地系)
   34.25216904 134.01761864(世界測地系)

社殿裏に石室が露出


石室西側


天井部、枕状の側壁の積み方がよくわかる


(見学記)
町内吉光にある古墳です。神社に行ってみると小さな小さな境内なのに古墳らしきものは何もない。この前に若宮神社古墳を見学して小さな墳丘がある程度だったのでここもそうかと思っていたら説明板があった。それによると横穴石室があると言うことなので社殿の裏に回ってみると確かに石室がありました。玄室部分しか残っておらずすっかり露出していますが枕状の石を使った側壁などはっきりと石室とわかる程度には残っていました。町史跡。

龍満山1号

香川県高松市(旧香川町)2010年2月訪問

円墳R12、7C
横穴式石室、全長6.7m、玄室長4.0,幅1.5-1.73,高1.3m以上
位置:34°14′54″N 134°01′54″E (日本測地系)
   34.25161372 134.02900614(世界測地系)

保存公開された石室


上部を失う


石室正面


河原石と自然石を組み合わせた玄室


斜め前方から、玄室は1.5m縮めているそうだ


玄室上から、奥壁前に敷石がある


奥から外、両袖かな


(見学記)
横岡山古墳のある丘陵北西にあるマツノイパレス裏門近くにある古墳です。天井部を失った石室が保存されています。本来の玄室長4mですが敷地の関係でしょうか1.5mほど短くされているそうです。側壁は小さな河原石と中位の自然石という変わった組み合わせ、特に左側壁は下部に河原石上部に自然石とちょっと不安定な感じです。奥壁前の床面に敷石があるけど棺台代わりなんでしょうか。裏門前に駐車可。

六ツ目古墳

香川県高松市(旧国分寺町)2010年2月訪問

前方後円墳、TL20.7,R11.7
主体部3基
第一主体部、竪穴石室3.20×0.51、割竹形木棺
第二主体部、粘土槨
第三主体部、礫槨を伴う箱式石棺0.56×0.19(内法)
位置:34°17′10″N 133°58′28″E (日本測地系)
   34.28938631 133.97178709(世界測地系)

移築された墳丘


前方部後方から、斜面にあるため墳丘が下方に膨らんでいる、後円部主体部を覆い屋で保存公開


3基の主体部、手前粘土槨、中央竪穴石室、左に礫槨を伴う箱式石棺


上記反対側から


竪穴石室はかなり破壊、元々天井石はなかったそうだ


礫槨を伴う箱式石棺


蓋石を開けた状態で公開


墳丘図(説明板より)


(見学記)
高松市国分寺町福家、石ヶ鼻古墳に向かう途中県道39号が高松自動車道を潜った所に案内表示があったのでどんな古墳か分からないけど急遽変更してそちらへ向かう。高速脇の道路を約1km北上すると次の案内表示があるのでそこから階段を2,30m上るとありました。正体は全長20mほどの前方後円墳、高松自動車道の建設に伴い移築されたようです。多分元のまま移築されたようで上部は平のまま後円部に主体部が3基あり覆い屋で保存公開されています。墳丘は斜面にあって後円部が斜面下方に膨らみ気味、前方部は撥型に広がっていて古式の前方後円墳のようです。第一主題部は竪穴石室ですがかなり破壊されています。天井石は元々なかったそうだ。第2主体部は粘土床、割竹形木棺でも納めていたんでしょうか、これは多分復元だろうな。第3主体部は礫槨を伴う長さ60cmほどの小形箱式石棺、これは完存していて蓋石を開けた状態で公開されています。第一主体部の足下にあってここに葬られた人の子供でしょうか、随分丁寧な作りです。これが見られただけでも来てよかった。西側の平野が一望できる現在でも見晴らしのよい場所です。

三谷石舟古墳

香川県高松市 2003年4月訪問

前方後円墳、TL88,R44,RH4.5,FW27、5C前半
舟形石棺
位置:34°15′58″N 134°04′40″E (日本測地系)
   34.26938996 134.07511188(世界測地系)

後円部頂きに横たわる石棺、周囲の石材は石棺蓋の破片らしい


側面船岡山古墳石棺と似ている


造り付けの石枕、石清尾山古墳群石船塚古墳石棺とそっくり、蓋との合わせ目用の小さな彫り込みがある


(見学記)
日山から溜池を隔てた東側、低い尾根の先端に造られた全長88mの前方後円墳です。墳丘の状態は大変いいですが全体が疎林の中で墳丘の写真は撮りづらかった。後円部頂きに刳抜式舟形石棺が露出、蓋はなくなっていて(周囲の破片がそうらしい)身だけが残存、底面の形は船岡山古墳石棺と同じです。中には石枕が浮き彫りされていてこれも石清尾山古墳群石船塚古墳の石棺と全く同じ形です。興味深いのは両端の合わせ面に蓋との合わせ目用の彫り込みがあること、しかも頭と足下では形が違っていて上下を間違えないようにしています。

峰山墓地古墳

香川県高松市 2000年4月訪問

円墳
位置:34°19′59″N 134°01′52″E (日本測地系)
   34.33632668 134.02844686(世界測地系)

麓近くの墓地の中に石室が残存


羨道から玄室


(見学記)
市民病院から石清尾山に至る登り口辺りにある墓地の中、急傾斜地にある。周りが墓の中で石室が残っている。中に祠があるので残ったようだ。この程度でもしっかり説明板が付いているのがうれしい。

瘤山1号

香川県高松市 2003年4月訪問

前方後円墳、全長27m
位置:34°16′05″N 134°04′01″E (日本測地系)
   34.27133396 134.06427995(世界測地系)

南からの遠望、尾根上にあるが墳丘は藪につつまれている、左の三角山が日山


後円部竪穴石室


(見学記)
市南部、独立丘陵の日山の南側に延びる尾根上にある前方後円墳です。尾根の最高所(ここに展望台があり、東側から登ってこれる)でなく付け根辺りにあります。竪穴石室があるというので来てみたのですが墳丘はすっかり藪に覆われ石室も藪の中に僅かに見えるだけでした。

神高古墳群

香川県高松市 2010年2月訪問

石室墳3基(番号は全て仮称)

全景:道路脇に2基、ため池中に1基


1号
位置:34°19′19″N 133°59′06″E (日本測地系)
   34.32521573 133.98233949(世界測地系)
石室がすっかり露出


入り口辺りはなんとか石室と分かる


背後から、とても石室と思えない状態


2号
石室正面、倉庫状態


内部はかなり埋まる


奥壁辺り


3号
ため池内に不自然な石の集積


南側から


西側から、石材散乱


矢印の石が元の位置を保っているようだ


(見学記)
高松西高南側にある3基からなる古墳群です。道路脇の住宅側に2基、ため池内に1基あり全て石室が完全露出しています。一番西側の1号(番号は全て仮称)は石の集積状態南向きの入り口辺りがかろうじて石室かなと思う程度。30mほど東側にある2号は入り口辺りは石室らしさを保っていますが内部はかなり埋没&倉庫状態です。ため池の中の3号は不自然に石材散乱、幸いため池の水がかなり減少していたので近寄ってみましたがどうなっているのか分からないような状態、かろうじて元の位置を保っていると推測される石があったのでなんとか石室かなと分かる程度。他の2基と同様南向き同規模のようです。それにしてもこの程度のため池で石材が散乱するかな、ため池を造る前に既にこんな状態だったんでしょうか。

城所山2号

香川県高松市(旧香南町)2010年2月訪問

円墳R12、6C末
横穴式石室、玄室長2.8,高1.4m
位置:34°13′24″N 134°01′46″E (日本測地系)
   34.22661869 134.02678625(世界測地系)

保存復元された墳丘


石室正面、上部を失う、手前は前庭?


玄室、玄門の石は閉塞石?


奥壁はややまとまりのない積み方


奥後方から


斜め後方より


(見学記)
高松市香南町岡、専妙寺南西の丘陵上北に突き出た尾根先端に築かれた古墳です。農地整備で2基の古墳が発見され2号が復元保存されましたが1号は消滅。径12mの円墳で西向きに石室開口しているが上部が失われ天井石は奥壁上の1枚しか残っていません。羨道はかなり幅が広く羨道と言うより前庭でしょうか。ただHP大和國古墳墓取調室では羨道は残ってないと書かれているからこれは古墳とは関係ないものでしょうか。奥壁はやや乱雑に積み重ねられています。丘陵全体が果樹園になっていて古墳側まで車で入っていけて駐車スペースもあるけど手前の急カーブが小型車じゃないと曲がれないかな。市史跡。

石清尾山古墳群

香川県高松市 2000年4月訪問

積み石塚古墳群:双方中円墳2、前方後円墳8、方墳1(全て国史跡)
他に横穴式石室墳十数基(2,13号が国史跡)

分布図


2号
円墳
位置:34°19′40″N 134°01′36″E (日本測地系)
   34.33104938 134.02400265(世界測地系)
石室正面


玄室、持ち送りが強い


両袖式


3号
円墳
位置:2号すぐ北側
石垣の一角に石室が開口


玄室、天井石、奥壁以外2号と同様の構造


両袖式


9号
前方後円墳
位置:34°19′47″N 134°01′38″E (日本測地系)
   34.33299362 134.02455819(世界測地系)
前方部から後円部、画面手前が前方部端、他の積み石塚から孤立して存在、右遠方に屋島が見えている


13号
円墳
位置:34°20′02″N 134°01′32″E (日本測地系)
   34.3371598 134.02289162(世界測地系)
石室正面、天井石壊失、これでも国史跡


両袖式、左袖だけ袖石が立っている


鏡塚古墳
双方中円墳、TL70,H3.6
位置:34°19′42″N 134°01′57″E (日本測地系)
   34.33160498 134.02983575(世界測地系)
南側前方部から中円部


北側前方部から中円部


中円部から北側前方部、中央赤い杭辺りが前方部端


石船塚古墳
前方後円墳、TL57
位置:34°19′40″N 134°01′58″E (日本測地系)
   34.33104949 134.03011352(世界測地系)
前方部から後円部、非常に良好に残っている


前方部側面から後円部


後円部頂の割竹形石棺





底石には石枕が彫り込まれている、同じ市内にある三谷石舟古墳と同じ


石棺の側にある箱式石棺


北大塚古墳
前方後円墳、TL40
位置:34°19′46″N 134°01′53″E (日本測地系)
   34.33271596 134.02872467(世界測地系)
西古墳から見た後円部、西古墳の前方部と接していてまるで双方中円墳のよう


前方部から後円部


前方部隅、非常によく残っている


北大塚西古墳
前方後円墳
前方部から後円部、前方部はかなり攪乱


北大塚東古墳
方墳、群中唯一
北大塚前方部と接する、画面手前が北大塚前方部端


小塚古墳
前方後円墳、TL17
群中最小
位置:34°19′33″N 134°01′55″E (日本測地系)
   34.32910524 134.02928024(世界測地系)
古墳とも分からないような状態


猫塚古墳
双方中円墳、TL96,H5
位置:34°19′26″N 134°01′34″E (日本測地系)
   34.32716091 134.02344709(世界測地系)
北側前方部から中円部


中円部東側、巨大な石の山


中円部から南側前方部、別の積み石塚のように見える


中円部盗掘跡、ここに竪穴石室が9基あった、中央説明板の下辺りに石室が埋め戻されている


盗掘した石を積み上げた塚、下方の平野を見ると小高い丘にあるのがわかる


姫塚古墳
前方後円墳、TL43,H3.6
位置:34°19′27″N 134°01′52″E (日本測地系)
   34.32743873 134.02844696(世界測地系)
前方部から後円部


後円部から前方部


(見学記)
岩清尾山に分布する古墳群、前中期の石積み古墳群として有名だが後期の盛り土横穴式もある。12基が国の史跡に指定、山上各所に公園がありハイキングコースにもなっていて案内板、説明板も立っている。以下東側にある展望台を起点にコースに沿って順番に紹介します。3号墳、峰山墓地古墳を除いて全て国史跡、他に今回発見できなかった鶴尾神社4号も国の史跡です。

石船塚古墳
展望台にあるトイレの向かい側から山道を入っていくとすぐに石船塚の大きな墳丘が見えてきます。全長57m柄鏡式の前方後円墳で保存状態も極めて良好、これぞまさしく石積み塚、葺石のある盛り土古墳とは又違った奇妙な感じを受けます。墳頂中央に刳り貫き式舟形石棺が蓋を開けられた状態で露出、身の底部には石枕が彫り出されています。しかし中に真っ黒な水が溜まっていてきたない(側にひしゃくがあったのは水の汲み出し用か (^^) )、せめて覆い屋などで保護して欲しい。墳頂端に小型の箱式石棺があり蓋石も5枚ほど残っている。無秩序な石だらけの中で石棺だけが秩序だってみえているのも面白いもんだ。前方部にも箱式石棺があったそうだが今は見えない。

鏡塚古墳
石船塚のすぐ北側にある。双方中円墳という全国的にも非常に珍しい墳形で全長70m背の高い中円部と南北に伸びる対称形の方部も良く残っている。土の古墳とは又違った迫力がある。この古墳を見ると奈良にある櫛山古墳を同じ形式とするには少々無理があるような気がするが。

北大塚古墳
更に200m程行くと尾根の先端に3基の古墳が並んでいる。順に北大塚東、北大塚、北大塚西古墳だが良好に残っているのは北大塚古墳だけ。これは全長40mの前方後円墳で後円部もそれほど高くない。前方部北側隅は築造当時のまま残っているようで予備知識無しにこれを見ると現代の石垣と間違えるかもしれない。前方部に殆ど接するようにあるのが北大塚東古墳。郡中唯一の方墳だがそういえばなんとなく四角いかなと思う程度。西側にあるのが小型の前方後円墳北大塚西古墳。状態は悪く、後円部が少し高くなっている程度。北大塚と殆ど接していて最初北大塚が双方中円墳かと思ってしまった。

小塚古墳
展望台に戻って南に50m程行くと説明板がある。古墳はそのすぐ上、全長17m群中最小の前方後円墳だが上を山道が通っていることもあり前方後円墳どころか古墳という感じもしない。

姫塚古墳
更に200m程南下すると姫塚の説明板がある。古墳はその少し上で、全長43mの前方後円墳。多少崩されているところもあるが概ね良好。眺望が大変よく南側の平野がよく見える。首長の娘が葬られているのでこの名が付いたそうだ(そのまんま)。

猫塚古墳
姫塚から300m程西に行き案内板があるので道をそれて行くと背の高い石積みが見えてきます。これが全長96mの双方中円墳猫塚です。巨大な上に周りが雑木林に取り囲まれているため全体像が把握できない。まず中円部に登ると大きな盗掘坑が目に付く。取り除いた石を崖際に積み上げているため別の積み石塚のように見えるほど。ここに竪穴石室が9基会ったが破壊され僅かに残っているのも埋め戻されている。これ程の盗掘にはかなりの労力が必要だっただろうが労力に見合うほどのお宝は出てこなかったでしょうね(この時出た鏡などは東京国立博物館に収蔵)。両側の前方部も端で高くなっているため別の墳丘のように見えている。そのためだろうこちらも盗掘を受けている。

2・3号墳
猫塚から300m北に行って右に折れると左側に古墳がある。満開の桜の下に(もちろん春だけ (^^) )石室が開口している。径10mの円墳だが墳丘はかろうじて石室を覆う程度。両袖式持ち送りのある玄室で奥壁は巨石の1枚石だが石室自体はそれ程大きくない。近くの石垣に3号墳の石室が開口している。奥壁は複数だが2号墳と同様の構造、床面には石が敷き詰められている。石室自体の保存状況はこちらの方が良さそうだが何故か史跡からははずれてしまった。

9号墳
2号の北250m、全長27mの前方後円墳です。公園の中で裸の状態だが墳形は大きく乱れ前方部端の石列が直線的に残っているのが目立つ程度。説明板もやや離れた場所に立っているため古墳であることも分かりづらいだろう。他の積み石塚が平野を見下ろせる位置に立地しているのにたいして9号はやや奥まった場所にある。又固有名が付いてないのもこれだけ。過去も現在も仲間外れのようでかわいそ。

13号墳
石清尾山北側の公園内、展望塔の近くにある。径9mの円墳だが封土は流れ去り天井石を失った石室が露出している。全長4.2m玄室長2.1m幅1.5mの小型石室、両袖式だが左袖は小さな柱石を立てた程度。これでも国の史跡。側の説明板がなければ見逃しそうだ。

石ヶ鼻古墳

香川県高松市(旧国分寺町)2010年2月訪問

円墳、R15-19,H3.5、7C前半
横穴式石室、全長6.4m、玄室長4.2,幅2m
位置:34°16′10″N 133°58′52″E (日本測地系)
   34.27272148 133.97845438(世界測地系)

山裾に立地、墳丘が割と残る


開口部、羨道は殆ど消滅


良好に残る玄室、左側壁は持ち送り、右は殆どない


〃(縦位置)


不定形の石を積み重ねた奥壁


奥から外(ストロボ無し)


〃(縦位置)


(見学記)
高松市国分寺町福家、六ツ目古墳から県道39号に戻り東進、国道32号と交わる少し手前に案内表示があります。そこから100mほど、民家背後に円錐形の墳丘があり東南に石室が開口しています。羨道はかなり壊失しているけど玄室完存、袖石を立てた両袖式で全体に荒々しい積み方、奥壁も不定形の石を積み重ねています。右側壁は殆ど持ち送りがないのに左側壁はかなり持ち送りがある。市史跡。
ここは詳しい場所は分からなかったけど山裾にあると言うことなので国道との交差点大分手前で脇道にそれちょうどお寺があったのでそこに車を止めて歩いて探してみたけど何のことはない県道を後100mも行けば案内表示があったよ。おかげでえらく時間を食ってしまった。
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