土下古墳群
鳥取県北栄町 1997年4月訪問
前方後円墳6,他多数
(北側麓大神神社付近)
位置:35°28′10″N 133°49′35″E (日本測地系)
35.47258763 133.82371336(世界測地系)
神社周囲に十数基密集


(丘陵中腹)
急斜面に2基、一見前方後円墳のよう

(山頂平坦面)
位置:35°27′51″N 133°49′38″E (日本測地系)
35.46731047 133.82454658(世界測地系)
205号(前方後円墳)

213号(前方後円墳)

前方後円墳?、果樹園のあちこちに円墳状の高まりがある

箱式石棺

箱式石棺

(見学記)
土下集落南側の丘陵に分布する古墳群です。まづは北側から。丘陵北端に大神神社があり,その周辺の尾根及び西側斜面上に18基程分布しています(確認した分だけ)。全て円墳のようで前方後円墳が1基あるはずですがわからず。斜面下の1基で横穴式石室が露になっていますがこの地方に良くある板状の大きな石材で構築されています。このすぐ南側にも古墳上に奥壁らしき物が露出していますが墳丘の保存状況は良さそうなのに奥壁から想像される石室の位置と墳丘中心がまるでずれています。奥壁が移動したか,墳丘が変形したか(・・?。古墳群を左に見ながら谷筋の道を登っていくと(南)道が大きく左に曲がる所で,右の斜面に梨畑がありそこに3っつの高まりが見えています。古墳には間違いないでしょうが上の二つが問題で,下から見ると前方後円墳に(でもまさかね4,50度もある斜面だし上から見ると造出付の円墳にも見えます。とにかく,上と下のは間違いなく円墳ですがその間のはテラスのような形をしています。さらに斜面を上がると上の平坦部の草むらに古墳が7~8基密集しています。ここにも小型の前方後円墳が2基あるはずですがあまりに密集していて前方部なのか小さな円墳なのかよく判りませんでした。元の道に戻って登っていくと広い道路に出て,そこから700m程南に行くと丘の頂部になっている辺りにようやくお目当ての前方後円墳が見つかりました。これが全長37m,後円部径24mの小型前方後円墳205号で(位置座標はこの場所です)。裸の状態で良く見ることが出来ますが墳丘はかなり低くなっているようです。そばで畑仕事をしていた人の話によれば戦後間もなくここから鹿の埴輪が出土したそうです。ここから谷を隔てた東側の尾根の北側先端にも小型の前方後円墳があります。全長34m,後円部径21mの213号で雑木に覆われていて見にくいですが保存状況はよいようです。205号から北に伸びる尾根筋の畑の中にも古墳が10基程点在しています。その殆どが元々なのか耕作の影響なのか墳高の低い円墳です。また露出した横穴式石室が1基(例によって板状の大きな石で構築されている),箱式石棺が1基あります。この箱式石棺はいかにも脆そうな非常に薄い茶色の板石を殆ど加工せずに使っていて最初は地元の方が冗談で作った物かと思いました。これ程粗末な物もちょっと見たことがないですね(勝手な言い分で失礼)。
この辺りで古墳群は終わりだなと思っているとさらに南側丘の高所に表土がはがされ赤土の露出した発掘現場とおぼしき場所が見つかりました。かなり広い発掘現場にも関わらず,古墳の周溝が一つと半分検出されているだけで素人目にも他には遺構らしき物は全く見あたらずこれははずしたなと思っていると,さらに谷を隔てた西側にも同じくらいの発掘現場があってそこには7基程連なった古墳の周溝(OR周溝墓)が検出されていました。このうち一番南側の1基で小型の箱式石棺が発掘されています。この石材や構造が前記の箱式石棺と同じでこれを見て前記の箱式石棺が本物だと思った次第です。他にも住居跡が幾つか検出されています。標高が100m程(比高もそれ位)の所ですから高地性集落なんだろうか?。なお発掘が終わったのでしょうか周溝の一部がブルドーザーの轍で壊されていました。あまり見たくない光景です。土下古墳群は前方後円墳が六基有るという情報だけで来てみました。肝心の前方後円墳は2基しか見つかりませんでしたが,思わぬ副産物がたっぷりあって満足満足。ここだけで丸1日費やしてしまいました。これだから有名でない古墳(あえて無名とは言いません)の探索もやめられません。なおこの北側に茶臼山という独立丘陵があってここにも前方後円墳3基を含む50基程の古墳群がありますが麓をぐるっと一周してみたけれど登る道が全く判らず断念。むしろこちらの方を期待していたんですが。
前方後円墳6,他多数
(北側麓大神神社付近)
位置:35°28′10″N 133°49′35″E (日本測地系)
35.47258763 133.82371336(世界測地系)
神社周囲に十数基密集


(丘陵中腹)
急斜面に2基、一見前方後円墳のよう

(山頂平坦面)
位置:35°27′51″N 133°49′38″E (日本測地系)
35.46731047 133.82454658(世界測地系)
205号(前方後円墳)

213号(前方後円墳)

前方後円墳?、果樹園のあちこちに円墳状の高まりがある

箱式石棺

箱式石棺

(見学記)
土下集落南側の丘陵に分布する古墳群です。まづは北側から。丘陵北端に大神神社があり,その周辺の尾根及び西側斜面上に18基程分布しています(確認した分だけ)。全て円墳のようで前方後円墳が1基あるはずですがわからず。斜面下の1基で横穴式石室が露になっていますがこの地方に良くある板状の大きな石材で構築されています。このすぐ南側にも古墳上に奥壁らしき物が露出していますが墳丘の保存状況は良さそうなのに奥壁から想像される石室の位置と墳丘中心がまるでずれています。奥壁が移動したか,墳丘が変形したか(・・?。古墳群を左に見ながら谷筋の道を登っていくと(南)道が大きく左に曲がる所で,右の斜面に梨畑がありそこに3っつの高まりが見えています。古墳には間違いないでしょうが上の二つが問題で,下から見ると前方後円墳に(でもまさかね4,50度もある斜面だし上から見ると造出付の円墳にも見えます。とにかく,上と下のは間違いなく円墳ですがその間のはテラスのような形をしています。さらに斜面を上がると上の平坦部の草むらに古墳が7~8基密集しています。ここにも小型の前方後円墳が2基あるはずですがあまりに密集していて前方部なのか小さな円墳なのかよく判りませんでした。元の道に戻って登っていくと広い道路に出て,そこから700m程南に行くと丘の頂部になっている辺りにようやくお目当ての前方後円墳が見つかりました。これが全長37m,後円部径24mの小型前方後円墳205号で(位置座標はこの場所です)。裸の状態で良く見ることが出来ますが墳丘はかなり低くなっているようです。そばで畑仕事をしていた人の話によれば戦後間もなくここから鹿の埴輪が出土したそうです。ここから谷を隔てた東側の尾根の北側先端にも小型の前方後円墳があります。全長34m,後円部径21mの213号で雑木に覆われていて見にくいですが保存状況はよいようです。205号から北に伸びる尾根筋の畑の中にも古墳が10基程点在しています。その殆どが元々なのか耕作の影響なのか墳高の低い円墳です。また露出した横穴式石室が1基(例によって板状の大きな石で構築されている),箱式石棺が1基あります。この箱式石棺はいかにも脆そうな非常に薄い茶色の板石を殆ど加工せずに使っていて最初は地元の方が冗談で作った物かと思いました。これ程粗末な物もちょっと見たことがないですね(勝手な言い分で失礼)。
この辺りで古墳群は終わりだなと思っているとさらに南側丘の高所に表土がはがされ赤土の露出した発掘現場とおぼしき場所が見つかりました。かなり広い発掘現場にも関わらず,古墳の周溝が一つと半分検出されているだけで素人目にも他には遺構らしき物は全く見あたらずこれははずしたなと思っていると,さらに谷を隔てた西側にも同じくらいの発掘現場があってそこには7基程連なった古墳の周溝(OR周溝墓)が検出されていました。このうち一番南側の1基で小型の箱式石棺が発掘されています。この石材や構造が前記の箱式石棺と同じでこれを見て前記の箱式石棺が本物だと思った次第です。他にも住居跡が幾つか検出されています。標高が100m程(比高もそれ位)の所ですから高地性集落なんだろうか?。なお発掘が終わったのでしょうか周溝の一部がブルドーザーの轍で壊されていました。あまり見たくない光景です。土下古墳群は前方後円墳が六基有るという情報だけで来てみました。肝心の前方後円墳は2基しか見つかりませんでしたが,思わぬ副産物がたっぷりあって満足満足。ここだけで丸1日費やしてしまいました。これだから有名でない古墳(あえて無名とは言いません)の探索もやめられません。なおこの北側に茶臼山という独立丘陵があってここにも前方後円墳3基を含む50基程の古墳群がありますが麓をぐるっと一周してみたけれど登る道が全く判らず断念。むしろこちらの方を期待していたんですが。