福岡古墳群(向山支群)
鳥取県米子市(旧淀江町)1989年4月訪問、1995年、1997年、2001年再訪
向山支群
晩田山支群
瓶山支群
城山支群
小枝山支群
前方後円墳7,方墳1
小丘陵上に密集、4号以外状況は悪い
全景、淀江廃寺からの眺め、小さな丘陵に前方後円墳が7基も集中している

1号(岩屋古墳)
前方後円墳、TL54,R34,FW22,RH6,FH4
複室横穴式石室、全長9m
前室長2.5m,後室長4.8,幅2.4-2.9,高2.6m
位置:35°27′09″N 133°26′41″E (日本測地系)
35.45563918 133.44207813(世界測地系)
北側下からの眺め、これだけ前方部が西向き、双方中円墳という説もある

後円部石室正面

前室上から、前室後室とも刳抜式玄門

後室玄門、羨道玄門にははめ込み溝があるがこちらはない

切石巨石の玄室、奥がやや広がる羽子板形、下半分に赤色顔料が塗られる

奥から外、刳抜式玄門にひびが入るがこれは古いもの

奥から玄門、前室

2号
前方後円墳、TL40,R18,RH2
後円部正面、右遠方に4号後円部

3号
前方後円墳、TL39,R23,FW14,RH3,FH2.5
右手が前方部、上部はすっかり削平

4号
前方後円墳、TL65,R38,FW28,RH10,FH9
墳丘側面、何故かこれだけ非常によく残っている

後円部正面

後円部から前方部、腰高の様子がよく分かる、遠方の水田は当時は海だったのか

5号(長者ヶ平古墳)
前方後円墳、TL50,R38,FW9,RH6
横穴式石室、全長10.3m,玄室長5.7,幅2.6,高2.6m
位置:35°27′00″N 133°26′35″E (日本測地系)
35.45313946 133.44041175(世界測地系)
後円部に露出した天井石、墳丘は土取りでかなり削平されている

石室天井正面

羨道、線刻壁画がある

玄室(89年)

〃2000年鳥取西部地震で左側側壁が崩壊(01年)

奥から外、両袖式(89年)中小型の割石を使用、壊失した箱式石棺から金銅冠が出土

〃(01年)

側壁崩壊部、かろうじて全壊を免れている

6号
前方後円墳、TL35,R18,FW18,RH4
後円部、くびれ部で切断されている

7号
前方後円墳、TL40,R30,FW20,RH4
右手が前方部、上部削平

8号
方墳、L26,H2.8、6C中
岩屋古墳の陪墳か、遠方に岩屋古墳

(見学記)
岩屋古墳
向山丘陵の北端にある全長54mの前方後円墳で後円部に複室構造の横穴式石室があります。ここは地震では被害は受けてないようで、1枚石の切石を使った見事な玄室は無事、玄門の入り口角からひびが入っていますがこれはかなり古い物のようです。ただ側壁の所々にドリルで開けたような穴が複数見られましたがこれは以前からあっただろうか。
長者ヶ平古墳
向山丘陵南端にある全長50mの前方後円墳ですが前方部が小さくあまり前方後円墳という感じはしません。後円部上部が削平され天井石が露出しています。入り口に入室禁止のロープがありましたが見なかったことにして中に入ると何としたことか左側中程の側壁が崩壊しています。間違いなく地震のせいでしょうね。下側の側壁が斜めで何とか踏ん張っているため全壊は免れています。そのせいでしょうか天井石も外部から見ると一見なんでもないように見えます。入り口付近に線刻壁画がありますが今回は光の当たり具合が良かったせいかはっきり見えました。最もなにが描かれているかさっぱり分かりませんが。
向山支群
晩田山支群
瓶山支群
城山支群
小枝山支群
前方後円墳7,方墳1
小丘陵上に密集、4号以外状況は悪い
全景、淀江廃寺からの眺め、小さな丘陵に前方後円墳が7基も集中している

1号(岩屋古墳)
前方後円墳、TL54,R34,FW22,RH6,FH4
複室横穴式石室、全長9m
前室長2.5m,後室長4.8,幅2.4-2.9,高2.6m
位置:35°27′09″N 133°26′41″E (日本測地系)
35.45563918 133.44207813(世界測地系)
北側下からの眺め、これだけ前方部が西向き、双方中円墳という説もある

後円部石室正面

前室上から、前室後室とも刳抜式玄門

後室玄門、羨道玄門にははめ込み溝があるがこちらはない

切石巨石の玄室、奥がやや広がる羽子板形、下半分に赤色顔料が塗られる

奥から外、刳抜式玄門にひびが入るがこれは古いもの

奥から玄門、前室

2号
前方後円墳、TL40,R18,RH2
後円部正面、右遠方に4号後円部

3号
前方後円墳、TL39,R23,FW14,RH3,FH2.5
右手が前方部、上部はすっかり削平

4号
前方後円墳、TL65,R38,FW28,RH10,FH9
墳丘側面、何故かこれだけ非常によく残っている

後円部正面

後円部から前方部、腰高の様子がよく分かる、遠方の水田は当時は海だったのか

5号(長者ヶ平古墳)
前方後円墳、TL50,R38,FW9,RH6
横穴式石室、全長10.3m,玄室長5.7,幅2.6,高2.6m
位置:35°27′00″N 133°26′35″E (日本測地系)
35.45313946 133.44041175(世界測地系)
後円部に露出した天井石、墳丘は土取りでかなり削平されている

石室天井正面

羨道、線刻壁画がある

玄室(89年)

〃2000年鳥取西部地震で左側側壁が崩壊(01年)

奥から外、両袖式(89年)中小型の割石を使用、壊失した箱式石棺から金銅冠が出土

〃(01年)

側壁崩壊部、かろうじて全壊を免れている

6号
前方後円墳、TL35,R18,FW18,RH4
後円部、くびれ部で切断されている

7号
前方後円墳、TL40,R30,FW20,RH4
右手が前方部、上部削平

8号
方墳、L26,H2.8、6C中
岩屋古墳の陪墳か、遠方に岩屋古墳

(見学記)
岩屋古墳
向山丘陵の北端にある全長54mの前方後円墳で後円部に複室構造の横穴式石室があります。ここは地震では被害は受けてないようで、1枚石の切石を使った見事な玄室は無事、玄門の入り口角からひびが入っていますがこれはかなり古い物のようです。ただ側壁の所々にドリルで開けたような穴が複数見られましたがこれは以前からあっただろうか。
長者ヶ平古墳
向山丘陵南端にある全長50mの前方後円墳ですが前方部が小さくあまり前方後円墳という感じはしません。後円部上部が削平され天井石が露出しています。入り口に入室禁止のロープがありましたが見なかったことにして中に入ると何としたことか左側中程の側壁が崩壊しています。間違いなく地震のせいでしょうね。下側の側壁が斜めで何とか踏ん張っているため全壊は免れています。そのせいでしょうか天井石も外部から見ると一見なんでもないように見えます。入り口付近に線刻壁画がありますが今回は光の当たり具合が良かったせいかはっきり見えました。最もなにが描かれているかさっぱり分かりませんが。
福岡古墳群(小枝山支群)
鳥取県米子市(旧淀江町)1995年4月訪問
向山支群
晩田山支群
瓶山支群
城山支群
小枝山支群
竪穴石室2を持つ上の山古墳など前方後円墳4他
石馬谷古墳(小枝山5号)
前方後円墳、TL61,R36,FW18,RH8,FH3.5、6C末
位置:35°26′56″N 133°26′45″E (日本測地系)
35.45202851 133.44318928(世界測地系)
麓から見た墳丘、左手が後円部、美しい姿が残っている

前方部斜め後方から

山側からの眺め

石馬(資料館内)、全国2例しかない、この古墳からの出土かどうかは不明

天神垣神社古墳(小枝山3号)
墳形不明
位置:35°26′59″N 133°26′51″E (日本測地系)
35.45286176 133.44485572(世界測地系)
刳抜式玄門、石室は殆ど破壊、玄門の穴は一辺60cm程度しかない
向山支群
晩田山支群
瓶山支群
城山支群
小枝山支群
竪穴石室2を持つ上の山古墳など前方後円墳4他
石馬谷古墳(小枝山5号)
前方後円墳、TL61,R36,FW18,RH8,FH3.5、6C末
位置:35°26′56″N 133°26′45″E (日本測地系)
35.45202851 133.44318928(世界測地系)
麓から見た墳丘、左手が後円部、美しい姿が残っている

前方部斜め後方から

山側からの眺め

石馬(資料館内)、全国2例しかない、この古墳からの出土かどうかは不明

天神垣神社古墳(小枝山3号)
墳形不明
位置:35°26′59″N 133°26′51″E (日本測地系)
35.45286176 133.44485572(世界測地系)
刳抜式玄門、石室は殆ど破壊、玄門の穴は一辺60cm程度しかない

福岡古墳群(瓶山支群)
福岡古墳群(晩田山支群)
鳥取県米子市(旧淀江町)1997年4月訪問、2001年4月再訪
向山支群
晩田山支群
瓶山支群
城山支群
小枝山支群
(1997年)
洞ヶ原遺跡より西側斜面、日本海を望む林の切れ間の先に晩田山3号墳

斜面直下の円墳、29号

上記やや下方、30号

斜面下方鞍部の円墳

28号

下方尾根上の方墳、周溝有り、手前も別の古墳の周溝

上記やや西側円墳、周溝有り

上記古墳周溝、陸橋がある

同じ円墳、奥に前方後円墳の3号墳

3号墳、この後消滅

3号墳、手前に環濠有り

(2001年)
前方後円墳1他
1号
円墳
横穴式石室
位置:35°27′32″N 133°26′43″E (日本測地系)
35.46202733 133.44263334(世界測地系)
石室全景

石室正面、中央奥に2号が見えている

玄室、巨石を使用、加工度はやや粗い

2号
円墳
切石横穴式石室
石室全景、羨道はかなり破壊

〃(89年)、天井石が動かされている

刳抜式玄門、閉塞石をはめる溝がある

1枚石を使った玄室、赤色顔料がよく残っている

玄門(奥から)

17号
円墳
位置:洞ノ原すぐ南側
径30mほどの載頭円錐型

31号
方墳、L18、7C初
横穴式石室
位置:35°27′21″N 133°27′00″E (日本測地系)
35.45897215 133.44735518(世界測地系)
墳丘、晩田山最後の古墳、保存のため道路がカーブしている

墳丘石室正面、背後の丘に妻木晩田遺跡がある

破壊が著しい石室、側壁一部と刳抜式玄門下部しか残っていない

89年当時の写真では刳り抜き部の構造がよく分かる

石室上から、玄室床に板石が敷かれている

(見学記)
洞ノ原の周囲に幾つもの古墳があります。南側にあるのが17号で径30mくらいの載頭円錐型の円墳でこの辺りでは一番大きそう。西側斜面にも幾つも古墳がありますが将来の公開に備えてでしょうか銀色のシートに覆われていました。前方後円墳の3号は消滅、かろうじて基部が残っています。この周りにあった環濠も埋め戻されその南側で現在発掘が継続中、古墳が幾つも見えていましたが墳丘には手を付けてないようです。
1,2号
西側麓にある高校敷地内にあります。前回見つけることが埋められたのかと思いましたが敷地の北側にちゃんとありました。共に墳丘ははっきりせず石室が地下に埋まるように残っています。1号は大きな各側壁と天井石が1枚残っている程度。2号は刳抜式玄門を持つ石室で羨道天井はなくなっていますが玄室は巨大な1枚石で構成され赤く塗られた色もよく残っています。以前の写真と比べてみると玄門上の天井石が動かされて側に置かれていますが地震の為でしょうか。
31号
高校前の町道を登っていくと途中にあります。晩田山最後の古墳で一辺18mの方墳です。以前と比べて下草が刈られ墳丘がよく見えています。その分大きく破壊された石室が痛々しい。羨道や玄室の側壁の一部と刳抜式玄門下部が残っているのみ。
向山支群
晩田山支群
瓶山支群
城山支群
小枝山支群
(1997年)
洞ヶ原遺跡より西側斜面、日本海を望む林の切れ間の先に晩田山3号墳

斜面直下の円墳、29号

上記やや下方、30号

斜面下方鞍部の円墳

28号

下方尾根上の方墳、周溝有り、手前も別の古墳の周溝

上記やや西側円墳、周溝有り

上記古墳周溝、陸橋がある

同じ円墳、奥に前方後円墳の3号墳

3号墳、この後消滅

3号墳、手前に環濠有り

(2001年)
前方後円墳1他
1号
円墳
横穴式石室
位置:35°27′32″N 133°26′43″E (日本測地系)
35.46202733 133.44263334(世界測地系)
石室全景

石室正面、中央奥に2号が見えている

玄室、巨石を使用、加工度はやや粗い

2号
円墳
切石横穴式石室
石室全景、羨道はかなり破壊

〃(89年)、天井石が動かされている

刳抜式玄門、閉塞石をはめる溝がある

1枚石を使った玄室、赤色顔料がよく残っている

玄門(奥から)

17号
円墳
位置:洞ノ原すぐ南側
径30mほどの載頭円錐型

31号
方墳、L18、7C初
横穴式石室
位置:35°27′21″N 133°27′00″E (日本測地系)
35.45897215 133.44735518(世界測地系)
墳丘、晩田山最後の古墳、保存のため道路がカーブしている

墳丘石室正面、背後の丘に妻木晩田遺跡がある

破壊が著しい石室、側壁一部と刳抜式玄門下部しか残っていない

89年当時の写真では刳り抜き部の構造がよく分かる

石室上から、玄室床に板石が敷かれている

(見学記)
洞ノ原の周囲に幾つもの古墳があります。南側にあるのが17号で径30mくらいの載頭円錐型の円墳でこの辺りでは一番大きそう。西側斜面にも幾つも古墳がありますが将来の公開に備えてでしょうか銀色のシートに覆われていました。前方後円墳の3号は消滅、かろうじて基部が残っています。この周りにあった環濠も埋め戻されその南側で現在発掘が継続中、古墳が幾つも見えていましたが墳丘には手を付けてないようです。
1,2号
西側麓にある高校敷地内にあります。前回見つけることが埋められたのかと思いましたが敷地の北側にちゃんとありました。共に墳丘ははっきりせず石室が地下に埋まるように残っています。1号は大きな各側壁と天井石が1枚残っている程度。2号は刳抜式玄門を持つ石室で羨道天井はなくなっていますが玄室は巨大な1枚石で構成され赤く塗られた色もよく残っています。以前の写真と比べてみると玄門上の天井石が動かされて側に置かれていますが地震の為でしょうか。
31号
高校前の町道を登っていくと途中にあります。晩田山最後の古墳で一辺18mの方墳です。以前と比べて下草が刈られ墳丘がよく見えています。その分大きく破壊された石室が痛々しい。羨道や玄室の側壁の一部と刳抜式玄門下部が残っているのみ。
石州府古墳群
鳥取県米子市 1989年4月訪問、1995年4月再訪
前方後円墳1、円墳41
1号
円墳、R42,H6
横穴式石室、玄室長4.57,幅2.5,高3.1m
位置:35°23′30″N 133°25′06″E (日本測地系)
35.39481226 133.41569406(世界測地系)
整備前の墳丘、89年当時まだバイクにテントを積んで廻っていた頃

整備後と言っても周りだけ

玄門、羨道はかなり埋没

巨石を使った玄室、落書きが多い

奥から外、玄門に板石の閉塞石が残る

箱式石棺?床には巨礫が敷き詰められている

67号
1号側に移築された墳丘、2段外護列石を持つ

石室内部

不明
こちらも移築石室
前方後円墳1、円墳41
1号
円墳、R42,H6
横穴式石室、玄室長4.57,幅2.5,高3.1m
位置:35°23′30″N 133°25′06″E (日本測地系)
35.39481226 133.41569406(世界測地系)
整備前の墳丘、89年当時まだバイクにテントを積んで廻っていた頃

整備後と言っても周りだけ

玄門、羨道はかなり埋没

巨石を使った玄室、落書きが多い

奥から外、玄門に板石の閉塞石が残る

箱式石棺?床には巨礫が敷き詰められている

67号
1号側に移築された墳丘、2段外護列石を持つ

石室内部

不明
こちらも移築石室

宗像古墳群
鳥取県米子市 1989年4月訪問
前方後円墳3,円墳8
1号
前方後円墳、TL37,R28
横穴式石室2
位置:35°24′32″N 133°21′23″E (日本測地系)
35.41203148 133.35375436(世界測地系)
後円部

石室正面

石室上から、上部がすっかり破壊されている、画面左側玄門に板状の閉塞石が残る、右端が玄室奥辺り

玄室後部

かろうじて残る玄室奥、左側が奥壁

副室正面

石室内部、長2.3mと小型

奥から外

2号
円墳
石室正面

玄室

奥から外

玄門上から

4号
前方後円墳
前方部隅から後円部

6号
前方後円墳
後円部

不明
石室開口部

小型の石室
前方後円墳3,円墳8
1号
前方後円墳、TL37,R28
横穴式石室2
位置:35°24′32″N 133°21′23″E (日本測地系)
35.41203148 133.35375436(世界測地系)
後円部

石室正面

石室上から、上部がすっかり破壊されている、画面左側玄門に板状の閉塞石が残る、右端が玄室奥辺り

玄室後部

かろうじて残る玄室奥、左側が奥壁

副室正面

石室内部、長2.3mと小型

奥から外

2号
円墳
石室正面

玄室

奥から外

玄門上から

4号
前方後円墳
前方部隅から後円部

6号
前方後円墳
後円部

不明
石室開口部

小型の石室

日原山古墳
鳥取県米子市 1995年4月訪問
前方後円墳
位置:35°24′23″N 133°21′40″E (日本測地系)
35.40953182 133.35847628(世界測地系)
前方部から後円部

後円部から前方部、小高い独立丘陵の頂部に立地
前方後円墳
位置:35°24′23″N 133°21′40″E (日本測地系)
35.40953182 133.35847628(世界測地系)
前方部から後円部

後円部から前方部、小高い独立丘陵の頂部に立地

青木古墳群
鳥取県米子市 1995年4月訪問
位置:35°23′43″N 133°22′17″E (日本測地系)
35.39842208 133.36875359(世界測地系)
分布図(説明板より)この当時整備されていたのは1号だけだった

36号

42号箱式石棺

51号、この地区は低い墳丘があるだけ
位置:35°23′43″N 133°22′17″E (日本測地系)
35.39842208 133.36875359(世界測地系)
分布図(説明板より)この当時整備されていたのは1号だけだった

36号

42号箱式石棺

51号、この地区は低い墳丘があるだけ
