奥屋敷古墳

島根県出雲市(旧平田市)2021年12月訪問

 石棺式石室
 位置:35°27′13″N 132°50′17″E(日本測地系)
    35.45673459 132.83546641(世界測地系)

_1:東側からの遠望、手前が所有者さんの家、後方林の中にある

(見学記)
出雲市多久谷町、谷奥にある石棺式石室です。手前の民家が所有者さんで聞いてみましたが割と奥の方にあるそうで行ったことはないとか(若い人だったけど)。太い竹が密生し倒竹も多く挑戦してみましたが歩くのさえ困難な状況なのでサッサと諦めました、状態も悪そうだったし、と逆隣の芝生は青い状態(汗)。

西谷墳墓群

島根県出雲市 2021年12月訪問

西谷墳墓群
 弥生後期~古墳時代後期
 四隅突出墓6基を含む20基以上の古墳群

全体分布図(説明板より)


公園主要部分、右が北側


1号
 四隅突出墓
 2C後半
小型の四隅突出墓


反対側から、北側は失われていた、後方に2号


矢印方向から発掘時の写真(説明板より)、石列は1列


2号
 四隅突出墓、46×29×3.5m
 2C後半
 位置:35°21′23″N 132°46′55″E(日本測地系)
    35.35952249 132.7793644(世界測地系)
1号から見た2号


北側突出部、石列は2重


西側突出部、上に上がれます


南側から、手前に3号突出部、比較の為あえて人を入れてみた


3号から見た2号、出雲平野や島根半島が一望できます


内部は展示室になっています、なので残存墳丘は一部だったようです


3号
 四隅突出墓、52×42×4.5m
 2C後半
2号より一段高い位置にある


3号南側突出部、石列は2重


突出部も側辺部も石列2重


上に埋葬施設を展示、大小8基あったそうだ、右が第一、左が第4主体


4号
 四隅突出墓、47×45×3.5m
 2C末
南西側突出部、これは土盛りだけ


5号
 墳丘墓、22×17×2m
 築造時期不明
 位置:35°21′18″N 132°46′57″E(日本測地系)
    35.35813379 132.77991995(世界測地系)
4号南側、一番高い場所に立地


これは突出部はない


墳丘図(説明写真より)


9号
 四隅突出墓、62×55×5m
 位置:35°21′28″N 132°47′05″E(日本測地系)
    35.36091126 132.78214187(世界測地系)
南からの遠望、独立丘陵頂部東端に立地


最大の四隅突出墓、鳥居から上が墳丘、右側に突出があるはずだがよくわからず


南西突出部、これが一番ハッキリしている


正面から、上は神社敷地で平坦


20号
すぐ西側にある方形墳、この背後に18,19号がある


(見学記)
出雲市大津町、出雲商高東側の丘陵一帯、弥生~古墳時代前期の墳墓群で特に弥生時代の大型四隅突出墓が有名です。全国で100基程の四隅突出墓があるそうですがトップ5の内4基がここに集中しています。その内の2-4号とその周辺が復元整備され公園として公開されています。着いたのが4時頃もう日没まで1時間もなかったので復元ということもありサッサと見学しました、詳細は省くけどここからの出雲平野の眺めも素晴らしかった。少し北東に離れた半独立丘陵頂部に9号があります。上が広く平坦で三谷神社が建っています。知らないと神社建設の為頂部を平坦にしたのかと思いそう。これも四隅突出墓ですが東に偏っているせいか東や北西のは突出部があっても短そう、南西の突出だけ何とか確認できますがこれも多分そうだろうなと思う程度です。すぐ西側に3基の方墳がありますがこちらは古墳時代のもののようです。出雲弥生の森博物館が併設され駐車場があります。ここに国富中村古墳の出土遺物が展示されています。因みに読みは「にしだに」と濁ります。国史跡。

妙蓮寺山古墳

島根県出雲市 1993年4月訪問、2021年12月再訪

前方後円墳、TL49,R25,FW22,RH4.5、6C後半
横穴式石室、玄室長4.4,幅1.9,高2.2m
家形石棺
位置:35°20′02″N 132°44′28″E (日本測地系)
    35.33702393 132.73853622(世界測地系)
(2021年)
東側から、後円部だけ樹木がなく輝いている、手前に墳丘のような高まり


前方部側面、主軸が傾斜方向なので前方部としてはかなり異型、前方部端が後円部よりかなり高くなる


前方部から後円部、前方後円墳としては定番の撮影方向なんだが


前方部端を上から、斜面をカットしている


前方部西側から前方部端方向、カットした斜面の高まりが見えている


前方部隅から後円部、開口部が撮れるアングルを探しました


前方部側面から後円部


後円部、元のままか


石室前に石材、排出された閉塞石でしょうか


開口部正面、羨道前部は破壊か


羨道後部はよく残る、閉塞扉が2枚とも立ったままで残る


上部に盗掘の為の破壊の跡、全体が壊されなくてよかったが、もう開閉しなかったんでしょうか


扉の前に円柱石、閉塞の為のようです、手前に仕切り石があり円柱石を固定しています、周りの石は閉塞石か


玄室内部に巨大な刳抜式家形石棺、横口式なので右にずれている


奥壁はほぼ1枚石、天井石は2枚


蓋石は宝塚古墳のに比べてやや丸みを帯びる、手前側には縄掛け突起はない


何故か奥壁側直接見えない場所に巨大な縄掛け突起がある


蓋石にも側壁側目立たない場所に3個の縄掛け突起


懐中電灯で撮影、入口側が大きくほぼ原型、手前の2つは短く削られているか


横口式石棺、この面だけ扉石を嵌め込んでいる、扉石にも何かを嵌め込むような溝がある、手前には靴脱ぎ石のようなのが置かれている


石棺内部、礫を含んだ凝灰岩、礫があると細工しづらいだろうにな


天井部も家形に刳り貫く


反対側、蓋石は更に礫が多い


奥から外、両袖式


扉石を内側から、手前に角柱状のしきみ石


古墳?
1枚目の墳丘を下側から


(1993年)
丘陵北側平野を望む位置に立地


観音開きの扉石が立ったまま残っている


玄室、切石に近い割石


刳抜式家形石棺、横口付だが何故か写真に撮っていない、蓋石に縄掛け突起がつくが左右で形が大きく異なる、左側は殆ど無く壁側は丸い突起


棺身の縄掛け突起、左側が奥壁、入り口側には付いていないのに見えない奥側にある


奥から外


(見学記)
(2021年)
出雲市下古志町、妙蓮寺西方の丘陵にある前方後円墳です。北側に立地し以前は下から墳丘が見えていましたが今はすっかり林になっています。妙蓮寺駐車場から案内表示があり墓地の中を通っていくと辿り着きます。前方部は山側高い位置にあるので前方後円墳としてはかなり窮屈そうな姿勢です。後円部南西に石室開口、石室前に石が積まれていますが閉塞石なんでしょうか。第一の特徴は玄門閉塞扉が2枚とも立ったまま残っていること、しかしこれは開閉したのでしょうか、手前に円柱状の柱が倒れていますがこれも閉塞関連の石材のようです。手前に仕切り石がありそれと接触していて固定されているようです。構造からして内側から開かないようにしているようにも見えます、御霊を閉じ込める為?。石室は宝塚よりは古そうな感じ、ここにも巨大な家形石棺があります、身も蓋も1個の石材を刳り抜いています、これも横口式ですが宝塚とは違い開口部が刳り貫きでなく板石を嵌め込んでいます。この扉石も溝が彫られていて閉塞扉が別にあったんでしょうか。開口部に段差があり前に靴脱ぎ石のような石材が置かれています。蓋石もやはり底部が屋根上に彫り込まれている。蓋石は宝塚のより平たく尾根部がやや広い、開口部とは反対側に3個の縄掛突起がある、身にも表側には無いが奥壁側の殆ど見えない場所に円形の縄掛突起がある、何故か突起を目立たないようにしているような。東側にも高まりがありますが陪墳でしょうか。

(1993年)
刈山古墳群西方約2.5km出雲平野を北に望む丘陵北端に位置する全長49mの前方後円墳です。下の平野から背の低い後円部が見えていますが上に登っても前方部ははっきりせず円墳のような感じです。後円部南西に両袖式石室が開口、割石で構成され奥壁は1枚石、玄門には2枚の扉状閉塞石が今も立った状態で残っています。玄室は4.4,1.9,2.2mの大きさ、ここにも横口付刳抜式家形石棺が完全な状態で残っています。横口付だと盗掘の時石棺を壊す必要がないから残存状況はいいみたい。石棺は奥壁と左壁に接して置かれていますが縄掛け突起の状況がかなり変わっていて丸い縄掛け突起が蓋に3個、身に1個付いていますが、蓋のは壁側に身のは奥に付いていて反対側にはないんですね、まるで隠しているよう。贅沢禁止令なんてあって役所の検査でもあったんかいな。県史跡。
ここから南東尾根上に古墳?があって下から見ると前方後円墳そっくりだったけどあれは何だったんだろうな(「前方後円墳集成」には載っていない)。

放レ山古墳

島根県出雲市 1993年4月訪問、2021年12月再訪

円墳
横穴式石室、全長7m,玄室長3.3m
位置:35°20′02″N 132°44′45″E (日本測地系)
    35.33702413 132.74325793(世界測地系)
(2021年)
説明板のある登り口、1分もかからず


背後から見た墳丘


石室正面、羨道はかなり失われる


羨道、玄門は特に変わりなし


玄室は見事な切石積、上部ほど持ち送りが強く右側で顕著


〃縦位置、奥壁は1枚石


奥壁上部左右に切石を嵌め込んでいる、他の石室でも稀に見かけます


狭い天井、これも板状に加工か


奥から外、袖石を立てた両袖式、しきみ石もある


奥から見た天井、入口側が一段下がっている


床面に3基の有縁石床


南、奥側石床


南、入口側が縁がはっきりしない


北側石床、縁は全周してなかったんでしょうか


(1993年)
墳丘、石室正面


持ち送りの強い玄室、奥壁は1枚石、側壁も切石造り、奥壁上部の隙間も切石を詰めている、画面下に僅かに写っているが床に石床が3基ある


板石の袖石を使った両袖式、左右で側壁の傾きが違う


(見学記)
(2021年)
出雲市古志町、妙蓮寺山古墳の東方、丘陵東端に位置する古墳です。古い写真と比較してみると前の説明板がなくなり新たに設置、開口部周囲が多少修復されているようですが特に変わりなし(文字が書かれた黄色い札が立っていたがオイ)。切石積の石室ですがかなり持ち送りがあり上部でより強く右側壁で顕著です。奥壁は1枚石ですが上部左右に切石が嵌め込まれています、意図的だと思われますが何か意味があるんでしょうか。他の石室でも見たことがありますが両側と言うのは記憶にない。床面に3基の有縁石床があり側壁沿いに置かれています。前の道路が割と広く少し北側で短時間なら駐車可。

(1993年)
妙蓮寺古墳東方500m同じ丘陵の東端に位置する円墳です。南側に両袖式石室が開口、全長7m切石造りで奥壁は1枚石、両壁はかなり内側にアーチ状に傾いています。床面に棺台3基残っています。

宝塚古墳

島根県出雲市 1989年4月訪問、2021年12月再訪

墳形不明
横穴式石室、玄室長3.7,幅2,高2m
家形石棺
位置:35°20′09″N 132°44′09″E (日本測地系)
    35.33896788 132.73325898(世界測地系)
(2021年)
西側から見た古墳、30年前と比べ木が育ち周りが住宅地になっている


墳丘自体は変わりなし


羨道天井に大きな隙間があり中に入れる


入るとすぐ巨大な石棺が見えている


奥壁や側壁は切石で構成、横口式石棺なので中央より少し右にずれている


でも天井はほぼ未加工の自然石


右側壁、巨石切石


左側壁は更に巨石切石、奥壁は1枚石切石


縄掛け突起のない蓋石、背が高く尾根部は狭い


右斜め前から


大きな横口、身は組合式


石棺内部、水が溜まっていた跡がある


反対側、石棺底石はかなり分厚そう


蓋石は天井部を家形に刳り貫いている


表も見事だが内側も見事


〃反対側


蓋石のこの彫込みは何でしょう、元からなのかな、蓋石右は棺身にあっているが左はすこしずれている


奥から外、両袖式だが右袖は僅か


奥から見た天井石


奥から左方向、入口付近はやや小型切石


左側壁入口付近、複雑に組み合わせている


(1989年)
平野にある墳丘、北側からの眺め


横口付家形石棺、縄掛け突起はなく蓋石も背が高い


玄室、天井、側壁は切石造りなのに天井は自然石のちぐはぐさ


奥から外、羨道は壊失


(見学記)
(2021年)
出雲市下古志町、出雲西高すぐ東側、平野部に位置する古墳です。89年、ごく初心者の頃来ていますがフィルム時代ということもあってあまり撮っておらず再訪したい古墳でした。当時の写真を見ると周りが墓地になっている、今もありましたが数が少なくなっているような、南側は当時はなかった住宅となっています。玄室に巨大な家形石棺がありそのイメージが強いですが石室も見事です、奥壁は巨石1枚石、側壁も切石積です、その割に天井石は自然石感が強い。石棺は角がはっきりしていてつい最近作ったような鮮度があります。縄掛突起のない後期タイプ、身は刳抜式で大きな開口部がある横口式、フィルム時代はこの内部は全く撮ってないので撮ってみました、低地にあるせいか内部に水が溜まっていたような跡があります、蓋石底部は大きく彫り込まれ家形になっています。墓地に駐車スペースあり。この後訪問する史跡クラスの古墳には立派なパンフレットを置いたポストが設置されていました。

(1989年)
妙蓮寺古墳西南西500m、平野部に位置する古墳です。片袖式の石室が開口、羨道はほとんど失われていますが玄室は完存、大型の切石造りで奥壁は1枚石、ここにも横口付刳抜式家形石棺があります。縄掛け突起は付いていませんが角もはっきりしていて蓋も屋根が高く一番精微な感じですね。古墳の位置、石室構造、石棺などから考えてこの系統最後の古墳なんでしょうね。国史跡。

光明寺古墳群

島根県出雲市 2021年12月訪問

4基

説明板、説明板に分布図が載っている、でも道は途中で消えているし方位や縮尺も不正確、寺ももっと西に離れているしあてにしないほうがいい


2号
 横穴式石室、玄室長2.0,幅1.6,高1.8m
 位置:35°20′12″N 132°46′09″E(日本測地系)
    35.33980241 132.76658861(世界測地系)
斜面を下ってきてやっと見つけました


開口部正面、羨道は消滅、天井石は2枚になっているのか


それぞれ1枚石の切石で構成された玄室


切り石で構成された玄門、しきみ石も切り石、2段か


側壁、削り跡も殆どなく平面に整えられている


反対側、ヒビが入っているが更に平面


床面にはタイル状の敷石


その他
迷走していて見つけました、お寺北側、墳丘は低いがまず古墳でしょう


反対側から、石材見られず


石切場?
2号上にありました、古墳時代のかどうか分からないけどまず石切場、手前の石は細い棒を打ち込んだ跡があり近代のかな


(見学記)
出雲市馬木町、4基からなる古墳群ですが3,4号は消滅のようです。入り口辺りに説明板と分布図がありこれは楽勝かなと思いましたが分布図のおかげで1時間以上迷走しました(汗)。分布図に1,2号に至る道が描かれていますがありません、キッパリ。図の中にある四角いのが廃屋だと思いましたがこの前が広場のようになっている。そこからはもうはっきりした道はありませんが取り敢えずは通れそうな場所を通っていくと段差部分に如何にも古墳を思わせる突出部(後からこれが1号だと知る)、でも図から見るとちと近すぎる感じなので更に行くと段差上の通り道は消え痕跡道くらい、流石にこれは図に載っている道ではないだろうと思いましたが他に道らしきものはなく適当な場所で斜面を登っていくと上部で平坦面があり山道もありましたがどうも図の山道とは違うような。それでも広範囲を探して古墳らしきものを発見、径7,8m、高1.5m程度、4号は消滅のようだし3号かな、なら南に2号があるはずと思ったが見当たらず光明寺に出ました。もう一度説明板に戻って再挑戦、斜面を登ると書かれているので廃屋辺りから斜面を真っ直ぐ登ってみたけど結局最前の平坦面に戻っただけ、さすがに諦めて最初に登った辺りを下っていくとなんと2号にぶち当たりました、奇跡だけどこんな奇跡は欲しくないぞ。結果的に最初に行った場所から後2,30mも登っていたら見つけられたと思う、余計な道を書いてなければねプンプン、図の1号と2号の距離も近すぎるように感じました。図の距離も方位も当てにならない、そもそも図の中の光明寺と廃屋がすぐ隣のように描かれているけど実際は大分離れています。1号のある段差上面を進んで細い痕跡道を登り藪の中を進めば2号に突き当たります、石室前面から排水溝が長く伸びているのでそれも目印。石室は玄室のみ完存、各壁が1枚石の切石から構成されています。こういうのも石棺式石室になるのかな。

布子谷古墳

島根県出雲市(旧斐川町)2021年12月訪問

石棺式石室
 位置:35°20′24″N 132°50′16″E(日本測地系)
    35.34313608 132.83519308(世界測地系)
入り口辺り、ゴミステーションが目印、奥の林の中に入って右手の谷筋を登っていきます


尾根筋下の斜面に墳丘が見えている、でも最初は見落とした


さすがに行き過ぎたと思って振り返ると墳丘があった


谷筋斜面上の方、背後にカットした跡がある


石室正面、羨道は殆ど消滅


天井石正面は風化しているが溝があるような、閉塞石があったんでしょうか


見事な切石積石室、天井が窪んでいるので石棺式石室と言っていいかも


天井が窪んでいる様子


ストロボ撮影の方がハッキリします


玄室左側


切り石の上にブロック状の石を重ねている


玄室右側


鈎型に曲げた見事な切石の組み合わせ、やはり強度を高める為でしょうか、ならば何で反対側もそうしなかったのか


奥から外、奥行きはあまりない


(見学記)
出雲市斐川町阿宮、標高100m程の丘陵上にポツンとある古墳です。南側麓に揚水機場がありそこから100m程西に大きなプラスチック製のゴミ箱がありそこから水路を渡ってすぐ東側の竹林に入っていきます。谷筋を登っていって100m程行くと倒竹で通りにくくなるので西側の尾根筋に登り更に右下に谷筋を見ながら尾根を登っていきます。谷の一番奥より少し手前の斜面に墳丘が見えています。斜面下方南向きに開口、前部は殆ど失われていますが玄室完存、奥壁はほぼ1枚石、天井石も1枚石、特筆すべきは底面が浅く彫られて家形になっています、石棺式石室のようです。側壁も切石状で見事、特に右側のは鈎状に組み合わされています。かなり山の中ですが特に深い藪もなく比較的わかりやすいかもです、でも最初はうっかり通り過ぎたけど(汗)。揚水機場東側50mの所に駐車スペースあり。この近くからも山の中に入る道がありここからも行ける気もしますが保証の限りではない。

栖雲寺山古墳

島根県出雲市(旧斐川町)2021年12月訪問

横穴石石室
 位置:35°21′30″N 132°48′16″E (日本測地系)
    35.36146693 132.80186217(世界測地系)

出西小丸古墳の上方にある石室後部しか残っていない


尾根北側斜面に立地ながら南側に開口と造るのが難しそう


残存部はどれも1枚石


中に入ってもしょうがないので側壁を撮る


左側はヒビが入る、白いのは漆喰か


(見学記)
出西小丸古墳が見つかればこちらは上方にあるのですぐ見つかりました。南東30m程離れている、斜面に立地、先程は尾根ばかり歩いていたので見つからなかったようです。南西に開口する石室、袖石の一部が残る程度で前部は破壊、玄室はよく残っています、側壁奥壁天井石とも1枚の巨石から構成されています。出西小丸古墳は出西小丸1号とも呼ばれていたけどそうするとこちらが2号になるんでしょうか。

出西小丸古墳(出西小丸1号)

島根県出雲市(旧斐川町)1993年4月訪問、2021年12月再訪

横穴石石室
位置:35°21′30″N 132°48′14″E (日本測地系)
    35.36146693 132.80130667(世界測地系)
(2021年)
尾根先端にある墓地の一角にある


墓地の中の道を通っていきますが開口部が背後になるので気が付かず


開口部正面、右のは標柱ではない


羨道は天井部を失う


玄門、手前に閉塞扉が倒れている


玄門には上や左右に扉を嵌め込んだ溝がある


〃ストロボ撮影


扉石には閂模様が浮き彫りされている


反対側から見ると浮き彫りの様子がよく分かる、でも一見他と同じHの形をしているが本来は立てているはず、だとすると閂も”H”じゃなく”工”の形をしているのかも


切り石造りの玄室、左右側壁の重ね方も対照的


〃縦位置、天井も1枚石


奥から外、両袖式、しきみ石が2段重ね、左の側壁がやや複雑に構成


ストロボ無しで撮ると加工の跡がわかる


羨道奥から、側壁もブロック状


(1993年)
羨道、玄門、羨道は割石、玄門は板石を使用


閉塞石、H字型の閂模様を浮き彫りしている、死者の魂を封じ込めるためか


切石を使った見事な石室、小型で特に横幅が狭い


奥から外、羨道にあるのが閉塞石


(見学記)
(2021年)
後谷町道古墳の丘陵反対側にある古墳です。再訪ですがピンポイントの場所をすっかり忘れている。取り敢えず出西八幡宮向かいに神社駐車場があったのでそこに車を止めて神社に入ると丘に登る道があったので取り敢えず登っていく(もう習性ですね)。そこで地元の方にあったが場所は知らなかった。丘の上を探してみたが見つからず。西の方に墓地がありそこからも丘の上に登っていける、こちらもさっき探した場所だ。諦めて元の道を下っていくと墓地の中で藪の中に黒い穴が見える、石室だ!、さっきは直ぐ側を通っているが背後になっていたので気が付かなかったようです(汗)。石室は切石積、玄門には閉塞石を嵌め込んだ溝が彫られています。手前に閂模様を浮き彫りした閉塞石がありますがすっかり苔むしています。置かれている形状を見ると横長なので横置きされているんでしょが閂模様は漢字の”升”の上の横棒がない形状、閉塞石を縦長に立てると閂が横向きになってしまうんですよね。もう閂の意味がわからなくなっていたんでしょうか。なんだか原っぱの中にあったイメージが有りましたが近くの貴舟古墳とイメージが頭の中で混線していたようです(予定していたけどすっかり忘れた)。因みに出西の読みは”しゅっさい”です。

(1993年)
下出西地区、丘陵麓近くの墓地の一角にある古墳です。西向きに両袖式の石室が開口、奥行きに比べて幅が狭く、細長い感じの石室です。羨道はブロック状の割石が使われていますが玄室は大型の切石で構成されています。奥に向かって左壁はほぼ垂直ですが右壁はかなり内側に傾いています。玄門手前に閉塞石が転がっています。表面が苔むしていて分かりづらいですがかんぬき模様が浮き彫りにされています。もちろん実用ではありませんが死者の魂を閉じこめるための模様でしょうか。

後谷町道脇古墳

島根県出雲市(旧斐川町)2021年12月訪問

石棺式石室
 位置:35°21′36″N 132°48′27″E (日本測地系)
    35.36313338 132.80491736(世界測地系)

側の道から見えていますがまずわかりません、これは見学後の撮影、道路脇だからこの名前ではないでしょうが


石室後部の一部しか残っていません


奥壁、詳細はもう殆どわかりません


左が側壁、刳抜式だそうですが


(見学記)
出雲市斐川町出西、北東から南西に伸びる細長い丘陵東側麓辺りにある石棺式石室です。民家とビニールハウスの間から見えているそうですがもう殆どわからなくなっています。石室も草に覆われ半分以上破壊、状態は非常に悪いです。古墳犬がいますが初めは吠えず見学後離れる頃に吠えてきた。100m程離れた公民館に駐車可。
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