上塩冶地蔵山古墳

島根県出雲市 1989年4月訪問、2021年12月再訪

方墳?、L15,H5、7C前半
複室横穴式石室、全長7.85m,前室2.35,2.25,2.15m,後室2.60,2.40,2.25m
石棺、2.40,0,80,1.75m
位置:35°20′35″N 132°45′43″E (日本測地系)
    35.34619018 132.75936702(世界測地系)
(2021年)
墳丘背後から、現状では径15m程の円墳状


30年前と較べて入り口辺りは多少スッキリ


石室自体は特に変わらず


羨道、前室玄門


前室、側壁は切石積、やや内傾


前室袖石には石を嵌め込んだような跡がある、上下2つ、下側のは左右で高さが違うような


左袖石に縦溝、何に使われた


切石積の前室側壁左側


〃右側


複雑な切り石組み合わせ


刳抜式後室玄門、コの字型の石を組み合わせている


後室側壁奥壁は1枚石巨石、近くの築山古墳と違い天井も面が整えられている


玄室奥壁に沿って横口式家形石棺、以前に比べてお供物が少ない


縄掛け突起のない石棺蓋石


尾根部分は狭い


蓋石内部、刳貫が深い


〃反対側、赤い色が残っているか


石棺前に箱型石床、これも刳抜式


〃反対側、長辺側は高さが低くなっている


後室玄門奥から


箱型石床の縁に溝、袖石合わせ部と一致している


前室奥から


(1988年)
墳丘、石室正面


羨道、前室、奥室の複室構造


奥室玄門、コの字型の板石を組み合わせている


横口付家形石棺、分かりにくいが逆凸形の横口が開いている、中に地蔵様が祭られている


(見学記)
(2021年)
出雲市上塩冶町、築山古墳南方400m程のとこにあります。この付近の大型石室は南西に開口しているのが多いのですがこれは南東に開口しています。複室石室で前室は切石積、後室は各壁天井とも1枚石の巨石です。後室玄門はコの字型の石を組み合わせた刳抜式です。奥壁に沿って横口式家形石棺、手前には四角いお盆のような有縁棺台が置かれています。石棺と棺台で床面の殆どを占めている、ここもどうやって入れたんでしょうね。前回訪問時は石棺前にいろんなお供え物がありましたが随分少なくなっていて石棺内部が観察しやすくなっていました。東側高校沿いの道路が幅広く行き止まりなので短時間なら駐車可。

(1988年)
築山古墳南方500m、島根医科大学東側にある径15m程の円墳状の古墳です。南東に全長9mの両袖式石室が開口、羨道はかなり失われていますが玄室は複室構造で切石で構成、各壁はおおむね1枚構成ですが不足部分に巧みに切石をはめ込んでいます。羨道と前室の境は袖石を立てた両袖ですが前室と奥室の境は刳抜式の玄門(ただし1枚石でなく、2枚の石を組み合わせている)、手前に踏み台のような石がおかれています。奥室には横口付家形石棺が安置、横口はこの辺りの他の石棺とやや違って凸の字を逆にしたような切り込み、蓋も縄掛け突起は付いていませんが分厚くごつい感じです。手前には有縁棺台が置かれています。石棺はとても玄門を通りそうにもないからはじめから石室に置かれていたんでしょうね。現在石棺の中には名前の元となっているお地蔵様が祀られています。国史跡。

上塩冶築山古墳

島根県出雲市 1988年4月訪問、2021年12月再訪

円墳、R42,H6、6C末~7C初
 横穴式石室、全長14.6、羨道5.6,1.8,2.2、玄室6.6,2.8,2.9m
 横口式家形石棺2、2.8,1.4,1.7m(手前)、2.1,1.4,1.4(奥)
位置:35°20′49″N 132°45′48″E (日本測地系)
    35.3500786 132.76075564(世界測地系)
(2021年)
駐車場から見た古墳、墳丘は半分以上削られている


石室開口部、石室自体は完存、柵があるがこの時鍵が掛かってなかった


羨道からして切石積


羨道天井


板石を使った玄門、しきみ石がある、手前にも踏み石のような板石を敷く、左の石は当時の物か運び込まれたか


玄室内部に巨大な刳抜式家形石棺2基


手前の大石棺は身蓋とも丸い縄掛け突起がつく、身の縄掛け突起がだいぶ左にずれている


ともに横口式、手前の石棺の方が巨大


玄室側壁は切石だが天井石はそれ程加工してない、宝塚古墳もそうだったがこの地方の伝統か


下が見えないが多分1枚石の奥壁


小石棺、横口部が二重になっている、縦溝は排水用?


蓋石に縄掛け突起はなし、屋根平坦部が狭い


いろんなアングルから


小石棺内部


〃反対側


大石棺は蓋石は小口部に1,側面に2の縄掛け突起、小石棺もそうだが屋根のエッジが鋭い


大石棺奥から


こちらの横口は二重になっておらずシンプル、やはり縦溝がある、石棺の大きさに比べて開口部が小さいような


石棺内部、宝塚と同様礫を含んでいる


〃反対側、屋根の刳貫が小石棺より深いか


大石棺奥側の縄掛け突起


蓋石の縄掛け突起はかなり削られている


大石棺奥から、身の方は中央に付くが、蓋石の方は左にずれている、表側とは逆


玄室奥から


天井石を奥からストロボ無しで


側壁、加工の跡が見られる


玄門奥から、左右の幅に違いがある


巧みな切石積側壁


〃反対側、複雑さはないが切石の精度が高そう


羨道奥から、石材の高さのレベルが揃っている


(1988年)
石室入り口、個人住宅の庭にある(現在は出雲弥生の森博物館が管理)


羨道、玄室、切石造りの見事な石室、奥に向かって羽子板状に広がる、手前の石棺に丸い縄掛け突起がつく


2基の巨大な横口付家形石棺手前の方が一回り大きく長2.72,幅1.45,高1.75m


(見学記)
(2021年)
出雲市上塩冶町、ここは超有名なので遠征し始めた頃真っ先に訪問(記録を見たら30年以上前だよ)、当時はお屋敷の中で家の方に挨拶して見学しました。しかし幾ら初心者でフィルム時代とは言え数枚しか写真を撮ってない(汗)、なのでここは是非再訪したかった。でも古墳が公有化されているようで当然石室も閉鎖だろうなと思って行ったけどなんと柵はあったけど鍵が掛かってなかった、もう狂喜乱舞の状態で写真を撮りまくってきました。奥に2基の家形石棺があるけど奥の方がやや小さい、共に横口式ですが横口の構造が奥の方が萼物上の段差があるなど複雑で手前のは簡略化されています。逆に置くのは縄掛突起がありませんが手前のは蓋石にも身にも丸い縄掛突起がついています、それにしても奥のはともかく手前のはどうやって入れたんでしょうか、羨道は入口側が細くなっていてとても通りそうにないですが。石棺ばかり注目されますが石室も複室構造で切石積と素晴らしいものです。南側に広い専用駐車場有り。グールルマップで見てみると南側に赤い屋根を持つ民家が見えてます。付近の住宅より明らかに大きくこれが元のお屋敷かもしれない。しかし下衆な話ですが公有化された時購入価格に歴史的価値を含ますんだろうか。でも最近古墳を無償で譲渡というニュースを聞いたので(高崎市柴崎浅間山古墳)無償の可能性もあるかも。

(1988年)
出雲市駅南方約1kmの所にある径42mの円墳状の古墳です。南西側に石室が開口、現存長14.6mで奥に向かって直線的に広くなっていて玄門部分がわずかに突き出ていて羨道と玄室を区別しています。壁は切石で構成され玄室にはこれまた巨大な2基の石棺が鎮座しています。ともに横口付刳抜式家形石棺で、奥の方がやや小ぶりで蓋にも縄掛け突起はついていませんが手前のは身と蓋に丸い縄掛け突起が6個ついています。大きさは長2.72m幅1.45m高1.75m。個人の敷地内にあるので断ってから見学しましょう(どちらにしろ鍵を借りないと中には入れませんが)。国史跡。

大念寺古墳(今市大念寺古墳)

島根県出雲市 1989年4月訪問、1993年4月、21年12月再訪

前方後円墳、TL92,R44,FW44,RH7,FH7、6C後半
複室横穴式石室、全長12.8m,前室長3.1,奥室長5.8,幅2.9,高3.3m
家形石棺 長3.4,幅1.7,高1.9m
位置:35°21′36″N 132°46′01″E (日本測地系)
    35.42340403 132.79991597(世界測地系)
(2021年)
出雲最大の前方後円墳、ただ墳丘は周囲がかなり削られている


開口部には柵、パンフレットと懐中電灯が入っている


開口部が大きいので内部は明るい


下から上へのアングル


前室床面に家形石棺底石が残る、放レ山古墳の有縁石床と違うんだろうか


玄室には巨大な家形石棺、横口式なので位置が左に偏る


横口部がギリギリ見えている


羨道前室天井


羨道前室側壁


〃反対側、こちらの袖石は上部がない


おまけ
墓地で奇妙なものを見つけました


板石ではなくコの字型の刳り貫きです、ひょっとして家形石棺身の一部か


墓石は古そうだけど極めて古いわけでもなく


ネガにして文字を見やすくしてみました、下の2字は”元年”か、一番上は”正”か、江戸時代として正がつく年号は正徳か正保、正徳かな


(1989,93年)
石室開口部、かなり削られている、出雲最大の前方後円墳


羨道、前室、奥室、奥室に刳抜式、前室に組合式家形石棺がある


巨大な横口付家形石棺


石棺横口部、石棺の大きさに比べて身の厚さは薄い、右側側壁との間隔はあまりない


玄室奥壁、天井、石棺の見事さの割に石の積み方はいまいちな感じ


奥から玄門上部


奥室玄門から外


前室家形石棺底部


墳丘側面、左が後円部、89年当時は墳丘が見えていたが21年現在では殆ど見られない


後円部から前方部


(見学記)
(2021年)
出雲市今市町、市街地のど真ん中に大型の前方後円墳が保存されています、やはりお寺境内にあったおかげでしょうね。後円部南西向きに大型石室開口、前回は偶々鍵がかかっておらず中に入れましたが幸運は2度も続かず、でもひょっとしたら鍵がかかってなかったかもしれないと帰ってから何となく思うようになった。入り口は大きいので内部は明るく手前の石棺底部だけでなく奥の家形石棺までよく見えています、横口式ですがそこまでは無理でした。パンフレットを入れたポストの中に懐中電灯まで入っていました、ありがたいけど正直必要ないかなと思います。墓地の中で変わったものを見つけました、かなり古い墓石の周りを石がコの字型に囲っている、平石を組み合わせたのではなくコの字型の刳抜式、背後が割れて2つになっています、それもかなり薄い、ひょっとしたら刳抜式石棺の流用かもしれない。墓石に刻まれた文字を見ると右側の4文字、下は元年のようです、上は正保それとも正徳と書かれているような。県文化財保護課が発行した小冊子に無料駐車場があると書かれていますが寺の駐車場のことでしょうか、利用させてもらったけど北側からの入り口がわかりにくい。

(1989、93年)
山陰本線出雲市駅東方800m、大念寺本堂南側にある全長92m、後円部径44m、高7m出雲最大の前方後円墳です。墳丘北側がかなり削られていますが南側から見ると前方後円墳の形がよく分かります。前方部と反対側の後円部に両袖式石室が開口(普段は鍵がかかっているようですが何故か2回目に行ったときは開いていた)。入り口部分が大きく削られていて羨道の一部は壊失しているようですが残存全長12.8m、玄室は複室構造で前室は長3.9m幅2.5m高2.2mの規模、ここにも家形石棺があったことがゴーランドによって記されていますが現在は底石だけが残っています。後室はそれぞれ6,3.1,3.5mの大きさ、奥壁に1枚石が使われていますが両壁は割石で構成され玄門にはわずかに突き出た袖石になっています。左側の壁よりに横口付刳抜式家形石棺があります。長3.3m幅1.7m高1.7mと、なんとも大きい、蓋石は縄掛け突起が無くやや平らな感じ、横口部から見ると石棺の大きさの割に身の厚さが薄く石の加工技術が優れているようです。しかしこの横口から遺体や副葬品を入れたのでしょうか、壁との隙間が1m位しか無いんですけどね。国史跡。
なお「古墳辞典」には墳丘は削平されていると書かれていますが明らかに間違いですね。

大寺古墳

島根県出雲市 1989年4月訪問、2021年12月再訪

前方後円墳、TL52,R27,FW12,RH6,FH3、5C初
位置:35°24′36″N 132°47′28″E (日本測地系)
    35.41312727 132.78852873(世界測地系)
(2021年)
山道を登っていくと後円部に至る、右に2号の案内板、こちらを先に見学


後円部頂きは広い平坦面、いかにも前期古墳


上から見た後円部、手前がゆるくカットされている


後円部から見た前方部、もうすっかりわからなくなっている、くびれ部を山道が横断


2号上方から見た後円部、初めは右側が前方部だと思ったが自然地形でした


大寺2号
2号説明板


斜面に構築、石室石材が下に転落、以前は露天だったが今はすっかり林の中


上部をすっかり失った石室


切石石室だそうです、大寺古墳とは相当時代差がありそう


奥壁、表面が整えられている、上部が割られているか


奥から外、小さな袖石の右片袖式


石室上横から


(1989年)
前方部から後円部


後円部から前方部、遠くに出雲平野を望む丘陵中腹に立地


大寺2号
横穴式石室
すぐ東側、墳丘は殆ど無く石室下部が露出


(見学記)
(2021年)
出雲市東林木町、萬福寺北側の丘陵にある前方後円墳です(大寺は字名かもしれない)。お寺から案内表示が出ています。全長52m、出雲最古の前方後円墳です。後円部頂が広い平坦面になっていて如何にも古い前方後円墳です。前回訪問時は一部植林された程度で墳丘がよく見えていましたが今回はすっかり林の中になっていました、南側にある前方部も藪の中で分かりにくくなっています。初め東に伸びる高まりが前方後円墳かと思いましたが自然地形をそのまま残しているようです。その南側に2号があります、ここも以前は日が当たる状態でしたがここも林の中になっていました。新たに説明板が立っています。両者は200年近い年代差があるようですが血の繋がりはあるんでしょうか。萬福寺には駐車場がないのですぐ手前の円光寺駐車場を利用させてもらいました。

(1989年)
これは出雲市ですが上島古墳南西約2km平田市との境界上にある全長52m、5C初頭の出雲最古の前方後円墳です。平野を一望できる丘陵中腹に立地、墳丘も良好です。主体部は竪穴石室ですが今は見ることはできません。すぐ東側の2号墳で小型の横穴石室が露出しています。市史跡。

上島古墳

島根県出雲市(旧平田市)1989年4月訪問、2021年12月再訪

円墳、R15,H2、6C前半
家形石棺 長2.3,幅1.1m、小竪穴石室 長1.85,幅0.7m
位置:35°25′13″N 132°48′09″E (日本測地系)
   35.42340403 132.79991597(世界測地系)
(2021年)
集落手前に案内板、でもこの先はT字路なのに案内がない、左が正解


上の方に説明板が見えている


私有地奥にもう一つの案内板、でも手前の道路脇には案内がない


石棺は覆い屋で保護、ここはパンフレットはなかった


家形石棺は身も蓋もよく残っている、墳丘に直接埋設


元々なのか風化なのか全体に丸みを帯びる、左側のは縄掛け突起じゃなく含まれる礫のようです


右側だけ縄掛け突起が2個、左側は見当たらない、元々短いのか削られたのか


直ぐ側に石室、横穴じゃなく竪穴だそうだ


開口部横から


石室内部、馬具が出土、副葬品専用でしょうか


(1989年)
丘陵中腹、山側から見た墳丘、小円墳ながら豪華な副葬品が出土している


刳抜式家形石棺、石室はなく直接埋葬されていた、ほぼ完全な人骨と鏡、太刀、玉類などが出土


副葬品用竪穴石室


竪穴石室内部、こちらからは馬具が出土


(見学記)
(2021年)
出雲市国富町、南側道路脇に案内表示があり200mと書かれています。でもその先はT字路、ここには案内表示がなく右に行くのか左に行くのか。幸い左遠方、丘の中腹に説明板が見えていたので行く方向がわかりました。左に行くと私有地の看板があるのでそこを通っていくと次の案内表示があります、ここに立てるくらいならT字路のとこにほしかった。その後は1本道ですが幾つも案内板が出てきます。古墳の正体は覆い屋の中の家形石棺、これで国史跡なのか。多分豊富な遺物が出た為でしょうが古墳そのものより遺物の優秀さの方が史跡指定されやすいような気がする。

(1989年)
斐伊川河口近くの丘陵中腹にある径15mの円墳です。墳丘はやや平坦になった部分に作られていて規模は小さいですが、豊富な異物が出土しています。刳抜式家形石棺を直接土中に埋設、この中から完全な人骨とともに鈴鏡、鈴釧、太刀、玉等、側に副葬品用の小型竪穴石室がありこちらからは馬具が出土しています。竪穴石室は今も見ることができ、石棺も側の小屋の中に安置されていて、かなり退化した縄掛け突起がついているのを見ることができます。国史跡。

山辺神社古墳

島根県出雲市(旧平田市)2021年12月訪問

長形墳、長辺27m
 位置:35°25′25″N 132°48′13″E(日本測地系)
    35.42673704 132.80102677(世界測地系)
狭い尾根筋を目一杯使って作られた墳丘


上は広い平坦面、いかにも前期古墳、神社を思わせるものは何もなし


南東から、角がはっきり


下側北東から、斜面なので大きく見える


おまけ
尾根から出雲平野が一望できる


雪を被った大山も望める


(見学記)
国富中村古墳のとこにあったパンフレットに山辺神社古墳が載っていたので行ってみました。すぐ南側ですが尾根上で少し歩きます。尾根切断型の古墳で高まりのある長形墳がよく残っています。でも神社の名前がついているのに社殿どころか祠も鳥居も痕跡もまるでありません。ここからは出雲平野が一望でき遠くには宍道湖や雪を被った大山も見えていました。国富中村古墳からはこの尾根が邪魔して平野からは見えない、むしろ隠すように立地しています。

国富中村古墳

島根県出雲市(旧平田市)2021年12月訪問

横穴式石室、全長9.3m以上
 位置:35°25′28″N 132°48′12″E(日本測地系)
    35.42757029 132.80074896(世界測地系)
専用駐車場(今はただの空き地)からの眺め、右はパンフ入れ、出雲市の史跡古墳に設置


石室自体は小屋の中で全く見られず、石室自体も地下にあるようですが


なので現状では説明板を見るだけ


未盗掘の複室石室(説明板より)


組合式家形石棺や豊富な遺物が出土


(見学記)
出雲市国富町、偶然案内板(国富コミュニティーセンター)を見つけたので立ち寄ってみました。案内板に”国史跡、500m”と書かれていたのも高ポイント(笑)、途中にももう一ヶ所案内板がありそこから細い道を100m程、専用駐車場もあります(現状はただの空き地だけど)。正体は国史跡に相応しいもの・・・実物が見られたらね(汗)。2002年に発見された未盗掘の石室、2基の石棺と豊富な遺物が出土、現在石室はプレハブ小屋の中で見ることは出来ません。天井隙間から入ったそうなので覗いても石室は見られないかも。遺物は出雲弥生の森博物館に展示、石室模型もあるそうです。それにしてももう20年も経っているのに公開することはないんでしょうか。

山根垣古墳

島根県出雲市(旧平田市)2001年4月訪問、21年12月再訪

方墳?、L10,H2、6C後半
横穴式石室、玄室長2.7,幅1.5,高1.5m
位置:35°26′00″N 132°48′20″E (日本測地系)
    35.43645831 132.8029704(世界測地系)
(2021年)
南側からの遠望、中央に説明板


丘陵裾辺りに立地


下側から、手前に天井石落下


石室正面、羨道は殆ど壊失


玄門、まぐさ石が半分折れている、上のは天井石


切石積の玄室


〃縦位置


奥壁は角石を下に2、上に1、奈良県天理市塚平古墳にソックリ


奥から外、両袖式


左側壁、4段でそれぞれの段の高さが揃う


右側壁、こちらは高さが揃っていない、表の整形度も粗い


天井石底面、奥から


墳丘、上側から


結構急斜面に立地、遠くに宍道湖が見えている


(2001年)
石室正面、羨道はかなり破壊、手前の石が羨道天井石


玄室、整った奥壁、床面に割石が敷かれている


奥から外、両袖式


(見学記)
(2021年)
出雲市西郷町、谷筋の丘陵麓辺りに立地している古墳です。羨道はほぼ壊失ですが切石積の玄室完存、地域性の強い石棺式石室が多い当地では珍しく機内型の石室です。奥壁は下部に2個の正方形の石材を並べ上に1枚の巨石という奈良の塚平古墳によく似ています。でも墳形は地元型の方墳のようです。西側100m程の神社に駐車スペースあり。

(2001年)
市役所西方1.8km、小さな谷の丘陵麓に位置する方墳で一辺10mと小型。西向きに石室が開口、羨道はかなり崩壊していますが玄室はほぼ残っています。長2.7,幅1.5,高1.5mの両袖式で床面には割石が敷かれています。奥の側壁の一部に切石加工が見られ鑿の跡も残っています。奥壁は上に1枚、下2枚で奈良県天理市の塚平古墳タイプです。市史跡。

山崎古墳

島根県出雲市(旧平田市)2001年4月訪問、21年12月再訪

石棺式石室
位置:35°26′55″N 132°49′17″E (日本測地系)
    35.45173464 132.81880155(世界測地系)
(2021年)
_1:駐車スペースからの撮影、左電柱の黄色い看板が目印、手前赤い建物背後の樹木辺り
_2:木に覆われて近づいてもよくわかりません
_3:かき分けると側面が見える、ヒビが入っている
_4:上からだと露出した石棺が見ている、右手前が開口部だが埋没
_5:天井石は丸く加工
_6:東側奥壁が抜かれて開口、手前の石は残骸でしょうか
_7:奥壁や側壁に窪んだような削り跡がある
_8:刳抜式玄門、これもヒビが入る
_9:北側側壁、これが一番状態がいい、やや窪んでいるのかな、本来の状態より内側に傾いているかも
_10:南側側壁、かなりヒビが入っている
_11:天井、手前の窪みはやはり後世のか

(2001年)
墳丘流失、露出した石室、天井石も丸く加工


石室、下方より、左手横口に玄門がある


刳抜式玄門、奥より、奥壁は抜かれている


(見学記)
(2021年)
出雲市東福町、丘陵麓辺りにある石棺式石室、以前は道路から見えていましたが今は木が生えてきたりしてほぼ見えなくなっているし外見の写真も撮りにくくなりました。西向きに開口していますが外側は埋まって見えません、奥壁がほぼ破壊されて内部を見ることが出来ます。天井石底面は多少窪んでいるようですがそれ程明確ではありません。石材は砂岩のようで削りやすそう、そのせいか後世のものと思われる削ったような窪みがあります。道路向かい、工場脇に駐車スペースあり。

(2001年)
市役所北方約2km、丘陵麓にある古墳で東側の大きな工場が目印です。墳丘はすっかり流失し石棺式石室が露出しています。保存状態は悪く奥壁は抜かれ側壁にもひびが入っています。玄門は横口について刳抜式、石室天井も丸く加工されています。

小谷下古墳

島根県出雲市(旧平田市)2021年12月訪問

 横穴式石室
 位置:35°28′16″N 132°50′23″E(日本測地系)
    35.47423242 132.8371323(世界測地系)
_1:民家敷地内にある横穴式石室、無人になっていて柵ができていました
_2:驚愕の石室状態、側壁が大部分壊失、天井石を石柱で支えています
_3:奥壁らしい巨石、これも天井石を支えている
_4:結局我慢できず内部に入る、柵を超えたわけじゃない
_5:正面から見た1枚石の奥壁、このような状態でも天井石は水平を保っている
_6:両袖式だが袖石が随分前後にずれている、まぐさ石にヒビが入っている
_7:右側壁、平石を積み重ねている
_8:左側壁、こちらも平石だがだいぶ大きい

(見学記)
出雲市多久谷町、民家敷地内にある古墳です。以前は人が住んでいたようですが訪問時は無人となっていました。予備知識はあったけど現実に見てみるととんでもない姿、奥の側壁が抜かれて天井石が落下しかけていてそれを石柱が支えています。ないよりマシといった程度でしょうか、今まで民家敷地内の石室を多く見てきたけどこれ程恐ろしいのは初めてでしょうか。側壁を抜いた時はまだ天井石は落ちそうではなかったんでしょうか、いつ頃からこんな姿だったんでしょうね、天井石が平石ではなく厚みのある巨石だから一層危険性を感じさせます、地震でも来たらすぐにでも落下しそう。奥壁は巨石1枚石、西向きですが羨道はほぼ埋没しています。山の奥ですが道路は割と広い、手前に広い駐車スペースあり。
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