温之浦古墳群
鹿児島県長島町 2015年3月訪問
5基、現存3基、積石塚横穴式石室
位置:32°11′34″N 130°06′50″E (日本測地系)
32.19619405 130.11162325(世界測地系)
全景:手前1号、奥2号、右奥3号

1号
小さな湾に面する丘陵斜面に立地、開口部は湾の方に向いている

積石塚で状態は良い、背後に専用駐車場、ここまでの道路は大変狭い

開口部正面、羨道は天井を失うもよく残る

玄門、正面の石は閉塞石でしょうか

玄室は奥行きがあまりない

縦位置、大きな鏡石、上に薄く割った平石を重ねる

右側壁、下部は巨石

左側壁も同様

奥から外、両袖式でまぐさ石がある、袖石は板石で左右の幅が大きく異る

左袖石、薄い板石なのが分かる

2号
背後上方から見た積石塚、天井部は復元だそうだ

1号と反対側に開口している

羨道も割と残る、玄門は柱状袖石を立てる

左側は玄門からやや離れて立柱石が埋め込まれている

右側は玄門と立柱石の間に隙間がない

玄室は基部に巨石、上部に平石を積み上げたドーム状

〃縦位置、どこまでが復元なんでしょうね

左側壁

右側壁、1号より大分洗練されてきています

奥から外、両袖式で幅はほぼ同じ、板石を使ったまぐさ石もある

3号
上方から見た様子、上部は破壊され復元だそうです

結構斜面に立地しているのが分かる、開口部は2号の方を向いている

石室正面、羨道は下部が残る

玄門に閉塞石、1号と似ている

巨石の腰石、上部は平石積み

〃縦位置、これもどこまで復元か

ドーム状の天井

幅広の袖石を使った両袖式、1号に比べて板石が厚そう

奥から見た側壁、板石が厚い

反対側、大きな平石があって構造がだいぶ違う

(おまけ)
その1
敷地内にある古墳もどき、移築でも復元でもありません

奥壁を重ねているようなあり得ないパターン

もう機械で切っているような石材

反対側側壁もあり得ない重ね方

その2
もう1基、見かけは古墳らしく作られているんですけどね

前のよりは少しはマシ、でも奥壁も側壁もいかにも機械で切っている

天井は一応ドーム状

見学記
小さな湾に面した南向き斜面に立地した古墳群で現存3基でどれも積石塚、4,5号は史跡指定前に破壊されたそうです。1号は南南西に開口、羨道天井は殆ど失っているが全体に良好、玄門前に平石が立っていますが閉塞石でしょうか、まぐさ石も平石が立っています。玄室は平石袖石を立てた両袖式ですが左右の大きさが極端に違い3倍位の差があります。奥壁は巨石1枚石(多分薄い)を据え上部に平石を重ねて持ち送り状に少しずつ突き出して天井を支えています。側壁は左右とも巨石を据え上はやはり平石を重ねるがそれ程持ち送りはない。全体になんともチグハグな印象を受けます。言うなれば横穴石室が流行っているので自分たちで見よう見まねで作ってみた、と言った感じでしょうか。2号は西北西向き、こちらも羨道天井は失っていますが他は良好、柱状石を立てた両袖式ですが右側壁壁面に柱状石が埋め込まれ左側壁には少し離れてより細い柱状石が埋め込まれています、複室の可能性もあるのかな。玄室は奥壁側壁とも基部に大型石材を据え上部は小型石材小口積み、やや持ち送りがあるがそれ程高くはなく天井部も広くドーム状と言う程ではありません。3号は南東に開口、明らかに2号の方を向いていています。こちらも羨道天井を失った石室、玄門前には閉塞石の板石が残っています。やはり板石を使った袖幅の広い両袖式、2号と同様の石室構造ですがより洗練されてきているような。やはり1,2,3号の順に構築されたんでしょうね。専用駐車場あり、でもここまでの道は細く行きづらい。町史跡。ちなみに読みは”ぬくのうら”です。
(追記)HP大和國古墳墓取調室によると2号は天井部破壊されていて推定復元、3号も上部が破壊されていたので復元だそうです。
指江古墳群から国道を更に北上すると道の駅長島の向かい側に歴史民俗資料館があります。ここに古墳があるということなので行ってみました。確かに2基あるけど撮っている内に違和感ムンムン、石材に統一感がないし、それなら補修ということも考えられるけど構造もどうもおかしい。名前も説明板もないので館の方に聞いてみたらあれは移築でも特定の古墳をモデルにしたのでもなくある建築業者が古墳を破壊したので懲罰的に造らせたものだとか。なんとはた迷惑。この後訪問した温之浦古墳群で2基が業者によって勝手に破壊されたそうなのでひょっとしたらその代わりかもしれません。せめて石室図や写真でもあったらもう少しまともな復元が出来たかもしれないけど記録が全く残っていなかったのでしょうか。でもここにはこの後行く明神下岡遺跡28号の石棺が移築されています。また「ふるさとの文化財」200円を購入できます。駐車場あり、でも館への入り口がちょっと分かりにくい。
5基、現存3基、積石塚横穴式石室
位置:32°11′34″N 130°06′50″E (日本測地系)
32.19619405 130.11162325(世界測地系)
全景:手前1号、奥2号、右奥3号

1号
小さな湾に面する丘陵斜面に立地、開口部は湾の方に向いている

積石塚で状態は良い、背後に専用駐車場、ここまでの道路は大変狭い

開口部正面、羨道は天井を失うもよく残る

玄門、正面の石は閉塞石でしょうか

玄室は奥行きがあまりない

縦位置、大きな鏡石、上に薄く割った平石を重ねる

右側壁、下部は巨石

左側壁も同様

奥から外、両袖式でまぐさ石がある、袖石は板石で左右の幅が大きく異る

左袖石、薄い板石なのが分かる

2号
背後上方から見た積石塚、天井部は復元だそうだ

1号と反対側に開口している

羨道も割と残る、玄門は柱状袖石を立てる

左側は玄門からやや離れて立柱石が埋め込まれている

右側は玄門と立柱石の間に隙間がない

玄室は基部に巨石、上部に平石を積み上げたドーム状

〃縦位置、どこまでが復元なんでしょうね

左側壁

右側壁、1号より大分洗練されてきています

奥から外、両袖式で幅はほぼ同じ、板石を使ったまぐさ石もある

3号
上方から見た様子、上部は破壊され復元だそうです

結構斜面に立地しているのが分かる、開口部は2号の方を向いている

石室正面、羨道は下部が残る

玄門に閉塞石、1号と似ている

巨石の腰石、上部は平石積み

〃縦位置、これもどこまで復元か

ドーム状の天井

幅広の袖石を使った両袖式、1号に比べて板石が厚そう

奥から見た側壁、板石が厚い

反対側、大きな平石があって構造がだいぶ違う

(おまけ)
その1
敷地内にある古墳もどき、移築でも復元でもありません

奥壁を重ねているようなあり得ないパターン

もう機械で切っているような石材

反対側側壁もあり得ない重ね方

その2
もう1基、見かけは古墳らしく作られているんですけどね

前のよりは少しはマシ、でも奥壁も側壁もいかにも機械で切っている

天井は一応ドーム状

見学記
小さな湾に面した南向き斜面に立地した古墳群で現存3基でどれも積石塚、4,5号は史跡指定前に破壊されたそうです。1号は南南西に開口、羨道天井は殆ど失っているが全体に良好、玄門前に平石が立っていますが閉塞石でしょうか、まぐさ石も平石が立っています。玄室は平石袖石を立てた両袖式ですが左右の大きさが極端に違い3倍位の差があります。奥壁は巨石1枚石(多分薄い)を据え上部に平石を重ねて持ち送り状に少しずつ突き出して天井を支えています。側壁は左右とも巨石を据え上はやはり平石を重ねるがそれ程持ち送りはない。全体になんともチグハグな印象を受けます。言うなれば横穴石室が流行っているので自分たちで見よう見まねで作ってみた、と言った感じでしょうか。2号は西北西向き、こちらも羨道天井は失っていますが他は良好、柱状石を立てた両袖式ですが右側壁壁面に柱状石が埋め込まれ左側壁には少し離れてより細い柱状石が埋め込まれています、複室の可能性もあるのかな。玄室は奥壁側壁とも基部に大型石材を据え上部は小型石材小口積み、やや持ち送りがあるがそれ程高くはなく天井部も広くドーム状と言う程ではありません。3号は南東に開口、明らかに2号の方を向いていています。こちらも羨道天井を失った石室、玄門前には閉塞石の板石が残っています。やはり板石を使った袖幅の広い両袖式、2号と同様の石室構造ですがより洗練されてきているような。やはり1,2,3号の順に構築されたんでしょうね。専用駐車場あり、でもここまでの道は細く行きづらい。町史跡。ちなみに読みは”ぬくのうら”です。
(追記)HP大和國古墳墓取調室によると2号は天井部破壊されていて推定復元、3号も上部が破壊されていたので復元だそうです。
指江古墳群から国道を更に北上すると道の駅長島の向かい側に歴史民俗資料館があります。ここに古墳があるということなので行ってみました。確かに2基あるけど撮っている内に違和感ムンムン、石材に統一感がないし、それなら補修ということも考えられるけど構造もどうもおかしい。名前も説明板もないので館の方に聞いてみたらあれは移築でも特定の古墳をモデルにしたのでもなくある建築業者が古墳を破壊したので懲罰的に造らせたものだとか。なんとはた迷惑。この後訪問した温之浦古墳群で2基が業者によって勝手に破壊されたそうなのでひょっとしたらその代わりかもしれません。せめて石室図や写真でもあったらもう少しまともな復元が出来たかもしれないけど記録が全く残っていなかったのでしょうか。でもここにはこの後行く明神下岡遺跡28号の石棺が移築されています。また「ふるさとの文化財」200円を購入できます。駐車場あり、でも館への入り口がちょっと分かりにくい。