鵜の鼻古墳群
島根県益田市 1994年4月訪問、2008年4月再訪
前方後円墳4を含む約50基、現存30基(前方後円墳2)
うち19基が県史跡
(17号以外は仮番号)
(1994年)
分布図:日本海に張り出した高さ20m程の岬上に分布、住宅建設でかなり消滅、現在西側の小岬辺りに集中している

西側小岬全景:東側の岬とは溝状の谷で隔てられている、狭い範囲内に約10基程集中している、中央は広場のように開いている、2基を除いて崖際に並び石室は海側に開く

10号
全景写真右端子の墳丘、唯一墳丘、石室が良好に残る

海岸の丸みを帯びた石材を使った玄室

左片袖式

11号
露出した石室、海側を向く

15号
箱式石棺?岬のほぼ中央、全景写真の説明板側にある

17号
前方後円墳
横穴式石室、石室全長7.7m,玄室長5.2,幅2,高1.9m
位置:34°43′07″N 131°51′30″E (日本測地系)
34.72180699 131.85585414(世界測地系)
石室開口部、小岬東側にある

玄室、やはり海岸の石材を使用

右片袖式

2号
玄室

両袖式

(2008年)
17号
背の高い後円部、反対側の前方部はよく分からず

後円部南側に石室開口

石室開口部

良好に残る玄室

奥壁

奥から外、片袖式

その1(17号南東)
墳丘

南側に石材露出、内部はかなり埋没

奥壁、三角持ち送りがある

その2(1西側)
墳丘

入り口から内部

奥壁辺り

その3(2西側)
墳丘

開口部、かなり狭い

奥壁

その4(3西側)
墳丘

頂部に石室露出

その5(17号西側鞍部)
大きな墳丘が残るが頂部が大きく盗掘

その7(西側小岬平坦面以下同じ)
墳丘

北の海側に開口

天井部を失った玄室

その8
墳丘

僅かに石材露出

その9
94年仮称10号と同じ

石室正面

やや丸みを帯びた石材を使った玄室

奥壁、積み方が17号とよく似てる

奥から外、無袖式かな

その10
墳丘、盗掘を受けているよう

その11
ざっくり盗掘を受けている

その12
古墳群説明板と墳丘

石材露出

その13
盗掘を受けて窪んでいる

その15
石室かな

(見学記)
(1994年)
山陰本線石見津田駅西方700m、日本海に突き出た小さな岬上にある前方後円墳4を含む総数50基程、横穴石室を主体部とする古墳群ですが住宅開発でかなり消滅して現存30基(もっと少ないような気もするが)その大半が西側の小さな岬辺りに19基が集中していて県史跡となっています。小さな岬(鵜の鼻)は高さ40m程の岬ですが周囲は断崖絶壁この上のわずかな平坦部に古墳が10基程集中、大半が崖際に立地していて中央部は広場のように開いていてわずかに露出した箱式石棺と円墳が1基あるだけ。ただこの円墳が墳丘、石室とも一番保存状況がよく南向きに片袖式石室が開口、丸みを帯びた海岸の石をそのままかわずかに加工して使われています。他の崖際の古墳は墳丘がかなり流れ去り石室が露出、向きが皆外向きでまるで海を監視しているようです。広場の中央に説明板が立っていますが風化していて殆ど読めません。更に東側の谷状の窪みから斜面にかけて10基程分布、この内17号墳が前方後円墳ですが藪に覆われていて形はよく分かりません。後円部(多分)に石室が開口、全長7.7mの片袖式、割石に近いやや丸みのある石で構成されています。その他石室に入れるほど保存状況のいいのは2基程度。
(2008年)
石見方面に行く際はこの側を通るのでデジカメで撮り直すため再訪してみました。古墳群自体は殆ど変わりはないけど西側の小さな岬上の平坦面は松などが育ってきていて見通しが悪くなり中央部にあった箱式石棺も分からなくなっていました。この古墳群で最初に見つけた仮称2号の石室や海岸近くの石室も見逃しているしまた行かなくては。
前方後円墳4を含む約50基、現存30基(前方後円墳2)
うち19基が県史跡
(17号以外は仮番号)
(1994年)
分布図:日本海に張り出した高さ20m程の岬上に分布、住宅建設でかなり消滅、現在西側の小岬辺りに集中している

西側小岬全景:東側の岬とは溝状の谷で隔てられている、狭い範囲内に約10基程集中している、中央は広場のように開いている、2基を除いて崖際に並び石室は海側に開く

10号
全景写真右端子の墳丘、唯一墳丘、石室が良好に残る

海岸の丸みを帯びた石材を使った玄室

左片袖式

11号
露出した石室、海側を向く

15号
箱式石棺?岬のほぼ中央、全景写真の説明板側にある

17号
前方後円墳
横穴式石室、石室全長7.7m,玄室長5.2,幅2,高1.9m
位置:34°43′07″N 131°51′30″E (日本測地系)
34.72180699 131.85585414(世界測地系)
石室開口部、小岬東側にある

玄室、やはり海岸の石材を使用

右片袖式

2号
玄室

両袖式

(2008年)
17号
背の高い後円部、反対側の前方部はよく分からず

後円部南側に石室開口

石室開口部

良好に残る玄室

奥壁

奥から外、片袖式

その1(17号南東)
墳丘

南側に石材露出、内部はかなり埋没

奥壁、三角持ち送りがある

その2(1西側)
墳丘

入り口から内部

奥壁辺り

その3(2西側)
墳丘

開口部、かなり狭い

奥壁

その4(3西側)
墳丘

頂部に石室露出

その5(17号西側鞍部)
大きな墳丘が残るが頂部が大きく盗掘

その7(西側小岬平坦面以下同じ)
墳丘

北の海側に開口

天井部を失った玄室

その8
墳丘

僅かに石材露出

その9
94年仮称10号と同じ

石室正面

やや丸みを帯びた石材を使った玄室

奥壁、積み方が17号とよく似てる

奥から外、無袖式かな

その10
墳丘、盗掘を受けているよう

その11
ざっくり盗掘を受けている

その12
古墳群説明板と墳丘

石材露出

その13
盗掘を受けて窪んでいる

その15
石室かな

(見学記)
(1994年)
山陰本線石見津田駅西方700m、日本海に突き出た小さな岬上にある前方後円墳4を含む総数50基程、横穴石室を主体部とする古墳群ですが住宅開発でかなり消滅して現存30基(もっと少ないような気もするが)その大半が西側の小さな岬辺りに19基が集中していて県史跡となっています。小さな岬(鵜の鼻)は高さ40m程の岬ですが周囲は断崖絶壁この上のわずかな平坦部に古墳が10基程集中、大半が崖際に立地していて中央部は広場のように開いていてわずかに露出した箱式石棺と円墳が1基あるだけ。ただこの円墳が墳丘、石室とも一番保存状況がよく南向きに片袖式石室が開口、丸みを帯びた海岸の石をそのままかわずかに加工して使われています。他の崖際の古墳は墳丘がかなり流れ去り石室が露出、向きが皆外向きでまるで海を監視しているようです。広場の中央に説明板が立っていますが風化していて殆ど読めません。更に東側の谷状の窪みから斜面にかけて10基程分布、この内17号墳が前方後円墳ですが藪に覆われていて形はよく分かりません。後円部(多分)に石室が開口、全長7.7mの片袖式、割石に近いやや丸みのある石で構成されています。その他石室に入れるほど保存状況のいいのは2基程度。
(2008年)
石見方面に行く際はこの側を通るのでデジカメで撮り直すため再訪してみました。古墳群自体は殆ど変わりはないけど西側の小さな岬上の平坦面は松などが育ってきていて見通しが悪くなり中央部にあった箱式石棺も分からなくなっていました。この古墳群で最初に見つけた仮称2号の石室や海岸近くの石室も見逃しているしまた行かなくては。