雷古墳(雷1号墳)

島根県松江市(旧玉湯町)1994年4月訪問、2021年12月再訪

前方後円墳、TL20.4,R13.1,RH0.9,FW7.6,FH1.1
位置:35°25′17″N 132°59′08″E (日本測地系)
    35.42452111 132.98295503(世界測地系)
(2021年)
林古墳群からの眺め、すっかり林になって墳丘見えず、手前のスギ等も以前はなかった


(1994年)
(プリントをスマホアプリフォトスキャナで取り込んで見ました、画像はかなり悪いです)
従来の画像1枚目と同じ写真


望遠で撮影、元写真はそれ程でもないけど粗さが目立ちます


尾根上方には何基か古墳があり古墳群をなしています


西側から、従来の画像2枚目と同じ、現在は墳丘は全く見られません


くびれ部


後円部から前方部、宍道湖が見えている


前方部から後円部


後円部、上方から、高0.9mと言うのは誤りでしょうね


(従来の画像)
林古墳群西側の細長い尾根上に構築、笹の葉の先端に止まる雨蛙の様


尾根を削りだして作った様子がよく分かる


(見学記)
(2021年)
林古墳群のある丘陵から西側の尾根先端にある前方後円墳です。四半世紀前は裸の墳丘が見えていたのですが樹木が成長し全く見えなくなっていました。ストリートビューで見ると側に白い標柱が立っているのが何とか確認できました。存在はしているようです。しかしこの古墳、検索しても「古墳のお部屋」が先頭に出てくるくらいで殆ど出て来ない、古墳群なので雷1号で検索してももっと出なかった。
せっかくなので以前はホームページ容量の関係でアップできなかった写真を載せておきます。スマホアプリフォトスキャナでプリントを取り込みましたが画質は悪いです。元ファイルをかなり縮小するので多少はマシに見えるかなと。

(1994年)
林古墳群の西側、南北にのびる細長い尾根の北側下方にある全長20mの前方後円墳です。林古墳群のある丘から見ると笹の葉の先端にしがみついている雨蛙のようで、かわいらしい姿を見せています(個人的にはこういうのはお気に入り)。墳丘に上がってみると尾根を削って作った様子がよくわかり省労力型の古墳です。尾根の上の方にももう1基古墳があって群を形成しています。

林古墳群

島根県松江市(旧玉湯町)1994年4月訪問、2021年12月再訪

小型前方後円墳4,方墳1を含む約50基
南北に伸びる尾根上に分布、主体部は横穴石室

(2021年)
(見学順)
43号
 前方後円墳、TL18,R12,RH2.5
 横穴式石室、全長3.9m、玄室長2.6,幅1.8,高2.1m
 位置:35°25′20″N 132°59′20″E (日本測地系)
    35.42535464 132.9862882(世界測地系)
移築復元、インスタでは開口部が分からない程藪になっていたとあったが草刈りされたようです


後円部に石室、くびれ部辺りと奇妙な位置に開口、前方部向きにも拘りがあったんでしょうか


平石を主体にした小型石材の羨道


玄室も同様、持ち送りがかなり強い、石積みは薄井原古墳石室と似ている


〃縦位置、極端に狭い天井


天井の様子、もう必要ないんじゃないかと思う程


奥から外、両袖式、左側は袖石の他に石を積み重ねている


〃縦位置


42号
43号すぐ北側


41号
更に北側林に入っていきます、前方後円墳かもしれない


多分別アングル


39号
27年前も標柱があったけどそのまま残っているんでしょうか


38号
林の中は薄暗くてブレブレ


37号
竹が侵入して竹林になっている


?1
もう標柱が見当たらなくなっています


31号
かなり大きな墳丘


?2
以前は中央部に広い畑があったのですがなくなっている、多分この辺りかなと


?3
これも大きな墳丘


?4
ハッキリした墳丘だけ撮影


?5
以前は畑の中に石材が露出した古墳があったけど見当たらず


22号
標柱が無かったら撮らなかったかも


?6
西側にある雷古墳を見通せる辺り


1号
一番北側、すぐ向こうは宍道湖です、国民宿舎は無くなっていた


3号
標柱はないけど多分これ


4号
標柱も墳丘もハッキリ、2号は見つからず


(1994年)
1号
背後に宍道湖


3号
位置:35°25′39″N 132°59′07″E (日本測地系)
    35.43063169 132.98267742(世界測地系)
宍道湖南岸、国民宿舎西側に1-4号が保存


8号
 方墳
 石棺式石室
 位置:35°25′31″N 132°59′10″E (日本測地系)
    35.42840986 132.98351079(世界測地系)
(スキャナ画像に変更追加)
尾根北側麓近くに立地、墳丘は藪に覆われている、群の中でこれだけが異質な存在


石室開口部


羨道、玄門、玄門はこの地方によく見かけるコの字型の石を合わせた物、閉塞石をはめ込む刳り抜きも見られる


〃縦位置


玄室奥壁、視点がずれている、フィルム時代なので撮り直しがきかず


玄門奥から


奥から右方向、石材の分厚さが分かる


〃左側


羨道奥から


28号
群の中央付近、畑の中に数基の円墳が見えている、左28号、右31号、北上がりの地形に関わらず石室も北向きに開口しているようだ


石室が僅かに見えている


29号


36号
比較的大きい


38号
各古墳の脇に標柱がある


(フォトスキャナで取り込んだ画像追加、畑の中の古墳を撮影順に並べています)








石材が見えている






これも石材


〃別アングル








43号
農道建設により石室を13m北に移築、墳丘復元、4基の前方後円墳はこのあたりに集中している


前方部、石室とも北向き、そのため何とも窮屈な位置に石室入口がある、出雲最古の横穴式石室


羨道、


小口積み玄室


奥壁上部、持ち送りが強く天井部はドーム状でかなり狭い


両袖式


(見学記)
(2021年)
松江市玉湯町林、約50基程からなる古墳群です。ほぼ一番南側にあるのが前方後円墳の43号、道路建設で十数m北側に移築保存されています。インスタで草茫々の様子がポストされていましたがこの時は草刈りされて墳丘もよく見えていました。この地域最古クラスの横穴式石室、石材は小型で奥壁側壁とも小口積み、持ち送りが強く天井は極端に狭い、如何にも竪穴石室の技法で造られた横穴石室を思わせます。道路南側に駐車スペースあり。すぐ北側にある41号も前方後円墳のようです。更に北側林の中にも点々と墳丘があります。その辺りは四半世紀前は畑だったのですがそのような空間はなくすっかり林になっていました。墳丘脇に標柱が立っていますが無くなっているのも多く以前撮ったのと照合出来ず。更に北にある石棺式石室を持つ8号はもうどうやって行ったのか覚えておらず案内板も無いようでした。国道を越えた湖側の国民宿舎に1-4号が保存されていますが国民宿舎そのものが無くなって公園となり広い駐車場もありました。古墳は残っていますが標柱が残っているのは4号だけ、3基しか見当たらないような。

(1994年)
町役場西方約2kmR9沿いに国民宿舎麗雲荘がありこの南方、南北に延びる尾根上にある前方後円墳4,方墳1,円墳約50基からなる古墳群です。群の南端あたりに前方後円墳の43号がありますが尾根を切断する農道によって破壊、すぐ北側に石室を移築し墳丘も復元されています。墳丘規模は全長18m、後円径12m、高2~2.5mと前方後円墳としては最小クラス、他の前方後円墳37,41,46号もほぼ同様の規模です。北側に両袖式の横穴石室が開口、全長3.9m、玄室長2.6m幅1.8m高2.1mの規模、袖石まぐさ石を除けば扁平な石を小口積みにした持ち送りの強い玄室です。天井部が無くなっていて盗掘を受けていますが須恵器、鉄刀、耳環、ガラス小玉など豊富な遺物が出土しています。この復元された墳丘を見てまづ印象的なのが開口部の位置、玄室は後円部のほぼ中央にありますが前方部が北北西、羨道はほぼ北向きですからくびれ部の何とも窮屈な場所に開口しています。しかも地形がやや北上がりですからよけいにそう感じます。宍道湖を意識しているんでしょうか。農道を越えた南側に46号を含む5基、北側に37,41号を含む6基が分布、おおむね藪の中です。更に北へ行くと畑の中に墳丘がいくつも見えています。石室石組みがいくつかで見えていますがそれから推測するとやはり入り口は北向き、ここもやや北上がりの地形なのに。尾根は更に北に延びているのに群は何故かこの辺りから西に低く延びる尾根に分布しています。元の尾根のほぼ最高所辺りに布宇神社といういかにも古そうな名前の神社がありますが古墳群との関係が興味深いところです。いったん尾根西側の道に降りて北上すると山陰本線の上りと下りが分離している辺りののほぼ中間に8号墳があります。道路からやや離れていますが側に標柱が立っています。群唯一の方墳で南側に開口、石棺式石室です。羨道玄室ともよく残っていて玄室は各壁ともほぼ1枚の切石で構成、玄門は刳抜式で外側は何かはめ込んだのでしょうか、一回り大きな窪みがつけられています。国民宿舎に戻るとこの西側にも4基の古墳が保存されています。標柱があるから古墳とわかりますが3号を除けば小さな墳丘です。

鏡北廻古墳

島根県松江市(旧宍道町)2001年4月訪問、21年12月再訪

石棺式石室
位置:35°25′00″N 132°58′38″E (日本測地系)
    35.41979835 132.97462185(世界測地系)
(2021年)
尾根東端に立地、僅かに墳丘の膨らみが残る


南向きに開口、南も東も北も急斜面


石室正面から


引いてみると手前に天井石が落下


石室正面、前部はかなり破壊、20年経つと右の木が大きくなっているのが分かる、このまま育つと側壁が押し出されそう


手前に閉塞石が倒れている、閂型浮き彫りがあるそうだが誰が見たんだか


石棺式石室、側壁はやや内傾している


奥壁側壁天井石とも1枚石


天井の屋根型の見事な浮き彫り、側壁上部にも浮き彫りがある


奥から、ストロボ撮影


ストロボ無し、浮き彫りが立体的に見えている


奥から外


羨道上から、前は急傾斜


(2001年)
丘陵尾根端に立地、右手は急な崖になっている


石室正面、手前に閉塞石が倒れている、閂模様の浮彫があるそうだが下になって見られない


切石を使った玄室


玄室天井、家形に刳り抜かれ骨組みを模した浮彫がある


奥から外、側壁にも浮彫がある


(見学記)
(2021年)
松江市宍道町東来待、鏡集会所東方200m辺り、集落奥に溜池がありその手前に駐車スペースがあります。そこから斜面を登る階段があるがすぐ終わり後は道なき急斜面を登っていきます。適当に登っていくと丘陵頂部に辿り着いた、そこから東に尾根筋を下っていくと古墳に辿り着きます。尾根先端をカットした墳丘だと思っていたが僅かに南寄り斜面に構築していた。ここも変わりはないがやはり閉塞石の閂模様を見てみたい。車で来るのは大変かと思ったけど集落奥に駐車スペースもあるしそれ程でもありませんでした。

(2001年)
宍道湖に向く小さな谷に面した丘陵上にある古墳です。頂が細長い尾根になっていてその東端に古墳があります。谷も宍道湖も望むことが出来ずまるで隠れるように立地しています。墳丘ははっきりせず南向きに石室が開口、石棺式石室で小型ながら切石を使った精巧な作りです。特に天井が屋根型に刳り抜かれ屋根の骨組みを思わせる浮彫が施されています。側壁にも同様の浮彫が見えます。閉塞石が石室手前に倒れていてここには閂模様の浮彫があるそうですが下側になって見ることが出来ません。お薦めの古墳ですが場所が分かりにくい。玉湯町境近くの鏡の集落がある谷に入り東側にある2番目の支谷の奥に溜池があり道はないですがこの北側から丘陵を登っていくと古墳にたどり着くことが出来ます。

伊賀見古墳群

島根県松江市(旧宍道町)2001年4月訪問、21年12月再訪

方墳4基

(2021年)
北からの遠望、軽トラの左側に説明板がありそこから登っていける、道路は狭いので撮影場所辺りに駐車スペースあり


1号
 方墳、L12,6C中
 石棺式石室
 位置:35°24′24″N 132°55′44″E (日本測地系)
    35.40979635 132.9262938(世界測地系)
尾根上に大きな墳丘、石室に覆い屋がかけられている


東、尾根上側から見た墳丘、尾根筋をカットしている


天井石をすっかり失った石室露出、手前が玄室側、L字型と言うか北向きに開口


斜め後方から、石材は柔らかそう


玄室横から、間に仕切り石


羨道横上から


右斜め上から


石室正面


羨道途中に閉塞石、開閉は無理


刳抜式玄門、こちらも閉塞石


閂模様が浮き彫り、作られたばかりのような新鮮さ、反対側から撮るのを忘れた


北側斜面に石材、転落した天井石か


2号
すぐ南側に2号の大きな墳丘


下方から、石材は全く見られず


3号
更に西側に3号


反対側から、頂部平坦


古墳?
3号と4号の間に高まり、後方が4号


4号
尾根西端辺りに立地


(2001年)
1号
石室正面、天井石がすっかり抜かれている


玄室閉塞石、閂模様が浮彫されている


石室上より


石室奥上より、構造がよく分かる


死床を持つ玄室


奥から見た刳抜式玄門、壁面に鑿の跡が残っている


(見学記)
(2021年)
松江市宍道町白石、東西に伸びる細長い丘陵の西端に位置する古墳群で4基の方墳からなります。北側麓に説明板がありそこから登っていけます。大抵の古墳は断片的でも記憶に残っているんですがここは全く残っていない、1号の石室に覆い屋が架かっているのを見てなんとか記憶が復活してきました。当然だけど天井石を失った石室は変わりなし、天井石の一部が周りに散乱しています、開口部が北向きというのも珍しい、すぐ西側に2-4号が並んでいます、2号は1号とあまり変わらない大きさで位置からして当然1号の後でしょうが石材は全く見られず。1,2号で前方後方墳の可能性もあると説明板に書かれていました。北東にある神社に駐車スペースあり。

(2001年)
町役場東方1.6km、国道9号沿いの下白石の集落から谷筋を南には行っていくと標識があります。谷に突き出た尾根上にある4基の方墳からなる古墳群です。頂きにあるのが1号墳で一辺12mの方墳、北向きに横穴石室が開口、石棺式石室ですが天井部をすっかり失なっていて羨道を含む石室構造がよく分かります。玄門は刳抜式で閉塞石が元の位置のまま残っていて外側に閂模様が浮き彫りされています。玄室は東西に石障で仕切られています。壁面には鑿の跡も残っていますが石材はかなり柔らかそうで一部にひびが入っています。町史跡。

薄井原古墳

島根県松江市 1995年4月訪問、2021年12月再訪

前方後方墳、TL50,R23,FW22,RH4.5,FH3.1
横穴式石室2,東石室全長7.6m,西石室全長8m
家形石棺
位置:35°30′10″N 133°05′44″E (日本測地系)
    35.50590355 133.09294098(世界測地系)
(2021年)
前方部隅から後方部、下から上がってくるとここに出ます、95年1枚目とほぼ同じアングル


後方部南東側面、下がれないのでこれが精一杯、石室がかなり右側に偏っているのがわかります、墳丘上部はかなり平面、元のままか


東石室正面、手前は墓道だったんでしょうか、四半世紀前と全く変わらない佇まい


石室正面、セメントの枠が残念、倉庫として使われていたんでしょうか


小型石材を使った羨道


玄室いっぱいに大型石棺


蓋石は竪穴石室のそれを思わせる、4枚でしょうか、それぞれ両端に縄掛け突起がついている、割れていたのをそのまま元に戻したので下に鉄板が敷かれている


奥から、ストロボ無しでブレた


奥壁側壁も小型石材、やや持ち送りがある


奥壁側壁角辺り


奥から外、右片袖式、袖部分も石材を積み重ねている、歪んでいるような部分が全く見られない


天井はさすがに小型というわけには行かず、側壁角辺りが少し丸くなっている


羨道に敷石、当然玄室にもあるでしょう


後方部正面、直線的になっている


西側石室正面、ここも前は墓道か、1墳2石室はままあるが開口部が真反対なのはここだけか、前方部側にかなり偏り計画的に造られているのがわかります


ここも石材は小型、東石室より若干大きくなる


東石室と非常によく似た構造、ただ下部に大型石材を据えているのが異なる


〃縦位置、石棺の破片が転がる


左側壁、奥壁側の石材が一番大型


右側壁、こちらの基部はそれ程大きくない


奥から外、右片袖式、見れば見るほど東石室とそっくり


天井部、やはり隅部分が丸くなる


床面に敷石、石棺は縄掛け突起があるから蓋石、以前あった石棺破片がなくなっている


ストロボ無し、ブレブレ


敷石は羨道まで続いている


前方部から後方部


後方部から前方部


(1995年)
前方部隅から後方部


東石室正面


羨道、玄室、石棺、石棺蓋が平ら


玄室奥壁


奥から外


石棺蓋石、3枚からなりそれぞれに縄掛け突起が付く


西石室正面


羨道


玄室、左側の側壁下部に巨石が据えられている


奥から外


石棺破片、床面に石が敷き詰められている


周囲の古墳中の1基


(見学記)
(2021年)
松江市坂本町、丘陵上にある前方後方墳です、ここも四半世紀ぶりの訪問、素晴らしい古墳なのに相変わらず全く案内板も説明板もない。前方後方墳で横穴石室を持つのはかなり珍しいと思うけどそれが2つもある、しかも開口部が反対側に向いている、私の知る限りこういうのはここしか知りません。後方部を観察してみると東石室は端に偏り、西石室はくびれ部側に偏るなど初めから2基構築を前提に墳丘を作っているようですが逆向きにした理由は何なんでしょうか。内部の石棺蓋石は縄掛突起がついていて竪穴石室の蓋石でこんな縄掛突起がついているのを見たことがあります。石材が小型ということもあって竪穴石室の技法で作られたんでしょうか。県道に歩道とも車道ともつかないような駐車スペースがあるような。

(1995年)
市中心部からR431を境港の方に行くと同バイパスと合流する辺りから200m程行った北側の丘の上にある全長50mの前方後方墳で保存状況も良好。この古墳の最大の特徴は横穴石室が2つ、それも入り口が互いに反対側にあると言うことです。最初石室があることも知らずに行ったから石室を見つけて大喜び、墳丘をぐるっと回ると反対側にももう一つあったのでもう万々歳。石室が複数ある古墳には今までにもいくつか行きましたが共に石室が完存で両方に入れるというのも滅多にあるもんじゃない(一応両方とも柵があるが鍵がかかっていなかった)。まず東側石室から説明すると、こちらは全長8m右片袖式、壁奥壁とも小型の割石が使用されています。玄室に箱形石棺があります。身の部分は普通の刳抜式ですが蓋は両側に縄掛け突起をつけた平らな石を3枚被せているが、幅が身より大きくかなりはみ出ていて玄室の幅いっぱいになっています。これで突起がなければとても石棺とは思えない、最初これを見たとき一瞬何で水槽が入っているのと思ったもんね)。西側石室は全長7.6m右片袖式、こちらも同様の小型の割石で構成されていますが右壁と奥壁の下部に大型の石が使われている(何故か右壁の方がかなり大きい)。こちらにも家形石棺がありましたが今は破片が数個転がっているだけ。すぐ側に陪墳が2基あり。

太田古墳群

島根県松江市 2001年4月訪問、21年12月再訪

石棺式石室墳5基他

(2021年)
1号
 石棺式石室
 位置:35°29′52″N 133°05′03″E (日本測地系)
    35.50090343 133.08155324(世界測地系)

大きな神社社殿背後に開口部が見えている


墳丘は石室を隠す程度に残る


刳抜式玄門、1枚でなく2枚のようだ


以前は内部はゴミだらけだったが多少マシになっていた、でも多少残る、左のは人形か


反対側から、下の石材は当時のか、後世のか


更に離れて撮影


石室上から、天井石壊失、清掃されて茂みが刈り取られているようです

3号
 石棺式石室
 位置:35°29′54″N 133°05′09″E (日本測地系)
    35.50145895 133.08321972(世界測地系)
見事な石棺式石室露出、下部のは墳丘か元の地形か


それぞれ1枚石で構成、羨道は壊失


左後方から、欠けている部分があるが元々でしょうね


背後から、天井は多少屋根型をしているか


斜め後方から


グルっと一周


正面から、玄門は1枚石の刳抜式


閉塞石を嵌め込んだのか窪みがある、左右にはあるが上下にはない


石棺内部、僅かに赤みが残るか


天井


内部から右側


〃左側、1枚石だけど隙間が小さい


玄門内側から、こちらは上下に窪みがある、床面にも巨石敷石


5号
 石棺式石室
 位置:35°29′58″N 133°05′05″E (日本測地系)
    35.50256988 133.08210866(世界測地系)
こちらは羨道が残った石棺式石室


正面から、側壁天井とも1枚石で構成


刳抜式玄門、こちらは全周に窪みがある、石材はかなり厚みがある


石棺内部、それぞれ1枚石で構成、3号と比べると壁面が整えられている


天井、ここもほぼ平面


奥から外、内側の方が深くくり抜かれている


下部のくり抜きはない、羨道天井石も平面に整えられている


奥から右側


〃左側


くり抜き部分ストロボ無し


〃反対側、閉塞石を嵌めたとしてどうやって入れたんでしょう


露出した天井石


(2001年)
1号(加佐奈子古墳)
刳抜式玄門、神社のお供え物が投げ込まれている


石室上より、一番大きいが状態はかなり悪い


3号
すっかり露出した石室


刳抜式玄門、天井石も上が丸みを帯びている


石室背後より


5号
石室開口部、墳丘が比較的残っている


羨道、刳抜式玄門


1枚石の切石を使った玄室、規模は小さい


奥から外


横口式石棺を持つ2号は見逃してしまった

(見学記)
(2021年)
松江市東持田町、5基の石棺式石室からなる古墳群です。1号は加佐奈子神社社殿背後にありわかりやすい、これが一番大きいようですが状態は一番悪い。この北東100mに3号、更に3号北北東100mに5号があります。20年ぶり訪問の目的は2,4号、でもこれは民家敷地内、玄関訪問はあまりしたくないし家の方に偶然でも会わない限り見学は難しそうです。神社に駐車スペースあり。

(2001年)
同市東持田町の低い丘陵上にある古墳群で石棺式石室が5基も集中しており、この様なのは他には同じく大草町にある古墳群だけだそうです。ただ何の説明板もなく歩き回ってかろうじて石室3基と墳丘2基を見つけただけ。墳丘の方は斜面をカットして形はよいが小型で石室は無さそう。南側溜池北側にある加佐奈子神社社殿背後に石室がある。見つけた中では一番大きそうだが天井石が抜かれ状態はかなり悪い。刳抜式玄門にも神社の奉納物が投げ込まれている。ここから道路沿いに少し東に行くとすっかり露出した石棺式石室が見える。封土はすっかり流れ去っているが刳抜式の玄門や切石を使った1枚石の側壁や天井がよく残っている。小さな谷を隔てた北側に更に1基がある。比較的墳丘が残っており南側に石室が開口、羨道も一部残っていて奥には石棺式石室がある。玄門は刳抜式で前後に閉塞石を填め込む段差が付いている。玄室は切石1枚石を使っているが規模自体は小型。

日吉垣ノ内古墳

島根県松江市 2021年12月訪問

横穴式石室
 横口式石棺
 位置:35°30′08″N 133°04′18″E(日本測地系)
    35.50534698 133.06905431(世界測地系)
段差に墳丘が残るというよくあるパターン、県道から見えていますがずっと藪状態だったようです


背後から、とてもあんな凄い物があるとは想像できない


横穴石室の中にほぼそっくり石棺が入っている、開口部は藪で撮ってない


ストロボ無し


左側の袖石、羨道は殆ど残っていない


石室左側壁、若干赤い顔料が残っているか


側壁と天井石の間に平石を挟み込む


袖石を内側から


右側壁も1枚石、T字型ではないですが奥行きより幅の方が長い


こちらの袖石も平石


奥から外、正面のは羨道側壁か


石棺内部、はっきり赤い顔料が残っている、内部の石材は横口部分の石か


反対方向、屋根裏側が浅く彫り込んでいるようだ


蓋石はかまぼこ型、窪みは後世のものか、蓋石全面に線刻があるそうだが確認してなかった、↑の写真に僅かに写っているような


(見学記)
金毘羅谷古墳から県道を600m程下るとリサイクルショップがありその側にあります。よくある耕作地段差部分に残された古墳ですが墳丘はそれ程なく冬でも草に覆われているので一見古墳とは分かりづらい状況です。羨道はほぼ埋没していますが巨石の玄室は良好に残っています。玄門上辺りから覗くと内部に大きな横口式石棺が鎮座しています。手前の側板は外されたのか、内部に1枚だけ残っているのがそれでしょうか、パッと見ると熊本辺りの石屋形に似ています。蓋石は丸みを帯びている、窪みがあるが元々なのか構成のものなのか不明、縁に線刻模様があるそうだが確認し忘れた。内部はまだ朱の跡が残っています、蓋石底面も多少刳り抜いて凹ませています。県道脇に駐車スペースあり。

金毘羅谷古墳

島根県松江市 2021年12月訪問

石棺式石室
 位置:35°30′28″N 133°03′51″E(日本測地系)
    35.5109016 133.06155491(世界測地系)
多分全国唯一、自然石をそのまま使った石棺式石室


正面から、墳丘の高まりは全く確認できず


刳抜式玄門まで備えている


別の石ではなく自然石の一部を割り出して使っているよう、しかも表裏逆にしているような


刳抜式石棺内部、屋根とその下の部分を彫り分けている


奥から外、こうやてみると玄門は意外と大きい、右手前の石はどこにあったのか


ストロボ無し、微細な加工の様子がわかります


奥から右側


〃左側


岩の外観、横から、右が入口側


背後から、さすがにフルには使っていない


(見学記)
松江市西持田町、県道21号沿いの谷筋にある極めて特異な石室を持つ古墳です。21年TVで放送されて一躍人に知られるようになりました(バラエティ番組だけど)。そこでは再発見と行ってましたが11年前にHP「古墳とかあれ」の管理人さんが訪問しているので再発見はちとオーバー、私も訪問予定古墳に入れていたけどすっかり忘れていました(汗)。小倉(?)バス停から川沿いの道を入っていきます。ポンプ場更に先に小さな祠、その先に小さな果樹園(廃園か)、そこの右手の方から入っていくと小さな谷筋に痕跡道がありたどり着けます。自然石巨石をそのまま刳り抜いた石棺式石室、この地方には多くありますが自然石をそのまま刳り抜いたのは唯一でしょうか。更に前面を打ち割って刳抜式玄門を模しているようにも見えます、何たる凝りよう。内部は2m四方の大きさ、天井部も家形に刳り抜いています、これを作るのにどれくらいの時間がかかったんでしょうか。しかし殆ど唯一と言えるものが史跡指定もされず人に知られてこなかったというのも不思議です。バス停の前後スペースが長いので駐車可。

北小原2号横穴墓

島根県松江市 2021年12月訪問

横穴墓、石棺2
 位置:35°28′21″N 133°00′02″E(日本測地系)
    35.47562588 132.99795253(世界測地系)
まるで墳丘のようですがこれでも横穴墓、廻りが削られ横穴の部分だけ保存されました


横穴だから柔らかい地層、風化してきています、HP「古墳とかあれ」のと比べると風化の様子がわかります


開口部正面、足元不安定で開口部を撮りそこねた


閉塞石が残存、鏨の痕まで新鮮


閂模様の浮き彫りも鮮明に残っている


隙間から内部を撮影、奥に組合式横口式石棺が2基残っています


左側の方がやや大きく天井は浅い屋根型


右側のは天井が平たい石材、2枚かな、横口も狭くあそこから遺体が入ったんでしょうか


(見学記)
松江市西浜佐陀町、宍道湖北岸国道431号沿いに保存された横穴墓です。横穴墓としては異例の保存の仕方、横穴部分辺りだけをまるで墳丘のように残しています。、国道を東から走っていくとまるで墳丘のような姿をしています。南東向きに開口、入り口に閂模様が浮き彫りされた閉塞石が残されています。この模様が全く風化しておらず鏨の跡も残っていてまるでつい最近作られたような新鮮さです。内部は2室からなっていて奥に2基の横口式石棺が見えています。閉塞石の隙間からはとても人が入り込めるとは思えませんでしたが以前訪問した人のサイトを見ると右側にもっと隙間があったようです。しかし元の地形はどうだったんでしょうね、いつ頃からこんな状態になっていたんでしょうか。94年に北側にある古曽志古墳群等を訪問した際このこの前の国道を通っていますが今の状態のようになっていたら気がつくでしょうけどね。東側から行けば気がつくけど西側からだと気が付かないかも。因みに読みは"きたこはら"です。脇道があり入っていくと古墳脇に駐車スペースあり。

講武岩屋古墳

島根県松江市(旧鹿島町)2001年4月訪問、21年12月再訪

石棺式石室
位置:35°31′24″N 133°01′34″E (日本測地系)
    35.52645437 133.02350327(世界測地系)
(2021年)
20年前と全く変わらない佇まい、撮り方だけしつこくなっています(笑)


石棺前に石室側壁の一部が残っている


側壁も板状切石、その脇のが閉塞石でしょうか


下方にあった石材も石室石材のようです


下方から


背後から、割りと傾斜地


斜め後方から、天井はかまぼこ型


上から、天井石背後が少しオーバーしている


石棺内部、奥壁手前の石材は床に敷かれていたんでしょうか、側壁に埋まっていたような痕跡がある


奥から外


天井は屋根型にくり抜かれている、ストロボ撮影だとハッキリしない


ストロボ無しだとハッキリ、こちらは入口側


(2001年)
墳丘流失、露出した石室、羨道が僅かに残る


石室背後、天井も家形に加工


玄室内部、敷石が跳ね上げられている


奥から外、天井も家形に刳り抜かれている


(見学記)
(2021年)
松江市鹿島町北講武、ここも20年ぶりの訪問だけどやはり案内がないのでちょっと探し回りました。丘陵麓近くの畑の中に石棺式石室露出です。変わりはないけど前に立つ標柱の文字が前も見にくかったけど更に見にくくなっている辺りが時の移ろいを感じさせます。しかし当地で石棺式石室は多いですが石室が完全露出しているのが多い。石棺に力を入れるけどその分墳丘づくりは疎かになったか。西谷集会所(古墳はこの北東100m)東側に駐車スペースあり。

(2001年)
島根半島内の谷中平野を南に望む丘陵東斜面にある古墳です。墳丘は流失して石棺式石室が露出、玄室は完存してますが羨道は僅かに残るのみ。切石を使った組合式で天井石は外側を丸く加工し内側も家形に刳り抜かれています。床面にも敷石が敷かれているようですが現在跳ね上げられている。標識もなく場所が分かりにくいですが南側400mにある学校と交番が目印。
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