唐人古墳群
鹿児島県東串良町 2009年12月訪問
前方後円墳5を含む140基余り
分布図(説明板より)

1号(唐人大塚古墳
前方後円墳、TL150,R65,RH9.7,FW48,FH3
位置:34°21′35″N 130°59′21″E (日本測地系)
31.36324361 130.98686362(世界測地系)
神社境内にある

前方部端

前方部からみた後円部

後円部周溝

竪穴石室天井石

鳥居脇にも天井石がもう一枚

16号(薬師堂塚古墳)
前方後円墳、TL45,R31,RH3.9,FW22,FH3.0
位置:31°21′46″N 130°59′19″E (日本測地系)
31.36074383 130.98630818(世界測地系)
集落内に保存

前方部隅から

側面、左が後円部

33号>(向塚古墳)
円墳
大分大きそう

46号
田圃の中に残る

遠方に33号

61号
現状の大きさ2,3mくらい、このような残骸程度のも多い

100号(役所塚古墳)
前方後円墳、TL57,R27,RH3.3,FW25,FH2.7
位置:31°21′49″N 130°59′15″E (日本測地系)
31.36713205 130.98519699(世界測地系)
墳形が形よく残っている

前方部右隅から

前方部左隅から

西側から

前方部から後円部

後円部から前方部

106号
民家敷地内

(見学記)
東串良町新川西、肝属川河口近くの左岸低地に構築された前方後円墳4基(前方後円墳集成では5基)を含む140基余りの古墳群です。その中でも突出して大きいのが1号の大塚古墳、全長140m(説明板では185mとなっているけど周溝を含めた大きさのようだ)、鹿児島県最大の前方後円墳です。全体が神社境内というか古墳そのものが神社の御神体となっています。正面の大鳥居を潜ると小さな鳥居の脇に高まりがありますがこれが前方部端かな。前方部はかなり削平されているようです。更に参道を進むと神社本殿の乗った後円部があります。本来の高さを保っているようですが前方部端からはかなり距離があり大きさは大分小さくなっているのかな。拝殿と神殿の間の渡り廊下の下に竪穴石室の天井石が何枚か露出、舟形石棺が埋葬されているそうだ。入り口鳥居脇の説明板裏にももう一枚天井石が置かれています。円墳群は分布が集落とかなり重なっているようだし残存状況も余りよくなさそうなので見学は前方後円墳にとどめる。1号の道路を隔てた西側に2号があるが民家と重なっているのかよく分からなかった。この道を更に200m程北へ行くと右側に16号薬師堂塚古墳がある。全長40mの前方後円墳で墳丘は低平ながら割と良好に残っている。更に少し北へ行き道を左に曲がると100号役所塚古墳がある。全長57mの前方後円墳でこちらも良好、畑の中で廻りに遮る物がないのでよく観察できる。草刈りされた後でちょうどよかった(後円部が残っていたけど)。他には33号向塚古墳が大きいようだ。円墳は残骸程度しか残っていないのも多いけど石柱が立っているので古墳と区別できます。神社に駐車場有り。全て国史跡。
前方後円墳5を含む140基余り
分布図(説明板より)

1号(唐人大塚古墳
前方後円墳、TL150,R65,RH9.7,FW48,FH3
位置:34°21′35″N 130°59′21″E (日本測地系)
31.36324361 130.98686362(世界測地系)
神社境内にある

前方部端

前方部からみた後円部

後円部周溝

竪穴石室天井石

鳥居脇にも天井石がもう一枚

16号(薬師堂塚古墳)
前方後円墳、TL45,R31,RH3.9,FW22,FH3.0
位置:31°21′46″N 130°59′19″E (日本測地系)
31.36074383 130.98630818(世界測地系)
集落内に保存

前方部隅から

側面、左が後円部

33号>(向塚古墳)
円墳
大分大きそう

46号
田圃の中に残る

遠方に33号

61号
現状の大きさ2,3mくらい、このような残骸程度のも多い

100号(役所塚古墳)
前方後円墳、TL57,R27,RH3.3,FW25,FH2.7
位置:31°21′49″N 130°59′15″E (日本測地系)
31.36713205 130.98519699(世界測地系)
墳形が形よく残っている

前方部右隅から

前方部左隅から

西側から

前方部から後円部

後円部から前方部

106号
民家敷地内

(見学記)
東串良町新川西、肝属川河口近くの左岸低地に構築された前方後円墳4基(前方後円墳集成では5基)を含む140基余りの古墳群です。その中でも突出して大きいのが1号の大塚古墳、全長140m(説明板では185mとなっているけど周溝を含めた大きさのようだ)、鹿児島県最大の前方後円墳です。全体が神社境内というか古墳そのものが神社の御神体となっています。正面の大鳥居を潜ると小さな鳥居の脇に高まりがありますがこれが前方部端かな。前方部はかなり削平されているようです。更に参道を進むと神社本殿の乗った後円部があります。本来の高さを保っているようですが前方部端からはかなり距離があり大きさは大分小さくなっているのかな。拝殿と神殿の間の渡り廊下の下に竪穴石室の天井石が何枚か露出、舟形石棺が埋葬されているそうだ。入り口鳥居脇の説明板裏にももう一枚天井石が置かれています。円墳群は分布が集落とかなり重なっているようだし残存状況も余りよくなさそうなので見学は前方後円墳にとどめる。1号の道路を隔てた西側に2号があるが民家と重なっているのかよく分からなかった。この道を更に200m程北へ行くと右側に16号薬師堂塚古墳がある。全長40mの前方後円墳で墳丘は低平ながら割と良好に残っている。更に少し北へ行き道を左に曲がると100号役所塚古墳がある。全長57mの前方後円墳でこちらも良好、畑の中で廻りに遮る物がないのでよく観察できる。草刈りされた後でちょうどよかった(後円部が残っていたけど)。他には33号向塚古墳が大きいようだ。円墳は残骸程度しか残っていないのも多いけど石柱が立っているので古墳と区別できます。神社に駐車場有り。全て国史跡。