神下山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

円墳、R20(34)(資料によって異なる)
家形石棺
位置:33°08′09″N 131°47′35″E (日本測地系)
    33.13919807 131.79061956(世界測地系)

丘陵麓に目立たない案内板


墳丘は良好そう


頂部は広い平坦面


頂部に家形石棺、箱式石棺があるそうで手前のがそれでしょうか


石棺蓋石と身、サイズがあわないような気がする


刳抜式の身、内側の彫り込みは浅い、底部に脚があるように見えます


棟部分が高い蓋石、小口部に縄掛突起がある


棟に縄掛け用の穴が3つ開いている、熊本県の石棺で時折見かけます


(見学記)
臼杵市諏訪、下山古墳北300m辺りにあるというので地元の方二人に聞いてみましたが全く知りませんでした。こういう時は根本的に場所を間違えている事が多い。少し離れた川沿いの方で聞いてみたら神下山古墳の名は知らないが石棺が露出しているのは知っているということで教えてもらいました。川沿い丘の上、登り口には確かに神下山古墳の案内板があります。登って行くと平坦な墳頂部に石碑と祠あり、祠の前に家形石棺蓋石露出、棟部が突き出たよりリアルな屋根型、最大の特徴は棟部に3個の四角い穴が開いていることです。熊本県で縄掛突起に四角い穴が開いているのを見たことがありますがこういうのは初めてですね。位置も中央より大分外れた場所、元々この場所だったんでしょうか。手前に手水鉢がありますがこれは何でしょう。蓋石とは長さが合わないし下に足のようなのが付いているし石棺加工じゃなくて本物の手水鉢なんでしょうか。それとも箱式石棺が出土しているそうなのでそれを加工したのかな。中央の石碑の周りにも石組みが露出していますがそれが主体部を表しているのでしょうか。ちなみに地元では石棺様と読んでいるようです。距離も下山古墳から北北東700m以上離れていたよ。因みに読みは”じんかやま”です。

下山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

前方後円墳、TL68,R46,FW38、5C中
家形石棺、石甲
位置:33°07′46″N 131°47′42″E (日本測地系)
    33.13280994 131.79256389(世界測地系)

前方部から後円部、丘陵頂部にあり状態は良い


後円部から前方部、説明板がある辺りがくびれ部


前方部にある石甲、草摺部分が残っている、形状からして男根信仰にでも使われていたかも


後円部に家形石棺、覆屋で保護、左手前の石は何でしょうね


棺身は組合式、円い縄掛突起がある


蓋石上部が斜めに突き出た珍しい形式


屋根には浅い浮き彫りがある


反対側の縄掛突起は削り取られているようだ、上部に軒瓦のような円弧状突起がある、反対側にはなかった


(見学記)
臼杵市諏訪、臼杵市総合公園西側丘陵上にある全長68mの前方後円墳です。公園駐車場向かい側に案内板があり妙法寺に行く道を登って行くと2つ目の急カーブの所に案内板があります。そこから林の中の小道を歩いて3,4分、丘陵頂に築かれた墳丘は良好に残っています。後円部頂に凝灰岩製組合式家形石棺露出、覆い屋で保護されています。蓋石は切妻屋根で表に浮き彫り、両端に縄掛突起がありますが西側のは削られています。棟部西端に円弧状突起がありますがこれはなんでしょうね、後の鬼瓦を連想させます。西側だけで東側にはないんだよね。身の側面に四角い平石がありますが支え石だそうで埋まっていますが反対側にもあるそうです。でも石棺自体は埋められているのになんで支え石が必要なんだ。くびれ部上にも石甲が一体、草摺部分しか残っていません。ここに説明板が立っていますが文字は殆ど消えかかっていて読みにくい。後円部を降りた所に小円墳があるようですが見忘れた。急カーブの所に駐車可。国史跡。

臼塚古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

前方後円墳、TL87,R45,FW45
舟形石棺2、石甲2
位置:33°08′24″N 131°47′19″E (日本測地系)
    33.14336416 131.78617549(世界測地系)

神社社地となっている墳丘


北側から見た後円部


前方部側面、端が高くなっている


上に神社があり後円部の一部削平、右は石棺覆い屋


2基の舟形石棺(右1号、左2号)1号の方が新しそう


蓋石はかなり破壊、身に四角い縄掛突起


小口部は丸い縄掛突起、蓋石の方にはないようだ


2号の方がやや小さいが精緻な造り


蓋石と身側面に四角い縄掛突起が2組4個づつ


蓋石と身小口部に丸い縄掛突起


後円部から前方部


前方部にある家形石棺蓋石、札の文字が消えていてこの時は正体わからず、丸山古墳石棺の蓋石だそうです


もう一つの石材、こちらは大分新しいかな


墳丘脇に2体の石甲、くびれ部にあったが移築


右側の石甲、下側の石材も当時のものでしょうね


左側、こちらの方が精緻な造り、脚部に赤い色が残っている


背面から


(見学記)
臼杵市稲田、臼木神社境内と言うより古墳の上に神社が乗っています。全長87mの前方後円墳で神社本殿で後円部の一部が削られていますが他は良く残っています。本殿脇に墳頂から出土した舟型石棺2基を覆い屋で保護、若干大小があり大の方は長さ2.85m側面に縄掛突起3対,蓋石上部が破壊され造りはやや粗い。小の方は長さ2.25m、こちらは側面の縄掛突起2対、素人目にもこちらの方が造りが精巧です。くびれ部にも石甲2体、頭部は無くなっていますが鎧の部分が残っていて巨大な車輪石のような基部に四角い柱を射し込んで立てられています。こちらも造りに粗さの違いがありそれぞれ舟型石棺に対応していたんでしょうか。前方部上にも家形石棺蓋石と閂石のようなのがありましたがあれは何でしょう、側に倒れかけた文字が書かれた札がありましたが殆ど読めません、調べてみたら丸山古墳石棺の蓋石のようです。閂石の方はあまり風化しておらず新しいもののようです。県史跡。石甲は国重要文化財。

丸山古墳

大分県臼杵市 2016年2月訪問

石棺底石
位置:33°08′26″N 131°47′19″E (日本測地系)
    33.14447518 131.78673098(世界測地系)

公民館敷地内に保存、知らないと古墳とは分かりません


南側に臼塚古墳がある


石棺底石がある、刳抜式のようです、蓋石の方は臼塚前方部に移されている


(見学記)
臼塚北側に三重野公民館があり敷地内に丸山古墳がありますが説明などはなく知らないと古墳とは見えません。石棺底石が露出して、刳抜式のようで二つに割れていますが見ていて一番面白くないパターン。公民館に駐車可。臼塚周辺は車を停める場所がないのでここから歩いていった方がいい。
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