市用横穴墓群

大分県竹田市 2016年2月訪問

11基(番号は全て仮)
位置:32°58′03″N 131°20′53″E (日本測地系)

    32.97086865 131.34566204(世界測地系)

全景
神社横の崖面に開口、左端が1号


右から2-7号、右に向かって少しずつ位置が高くなっている


1号
一見平凡な開口部ですが周りが広く家形になっている


2号
二重額縁の開口部


上部に赤い顔料が残っているようだ


3号
2重の家形が浮彫りされている、これだけが特異な姿


開口部は直線的な四角形


腕を伸ばして内部撮影、コの字型の屍床、左右と奥との間の区切りはなさそう、中央通路部も掘り込まれていない


4号
二重額縁、このタイプが多い


上部にハッキリ赤い顔料が残る


内部右側に通路があるように見える


5号
こちらも二重額縁、開口部がスッキリ四角い、やはり赤色顔料が残る


右5、左4号、4号開口部下側に足場となる出っ張りがある


内部に4号への通路、当時のでしょうね


6号
中央6、左5、右7、屋根で隠れる


拡大、赤い色はないかな


7号
こちらはハッキリ色が残る、赤い円文のようにも見えます


反対側から


8号
二重額縁、どんどん高くなってきます


隣に整形した跡がある、作ろうとして止めたんでしょうか


9-11号
更に高くなり入り口も藪状態です


(見学記)
竹田市市用、市用集会所側に天満神社がありその崖面に11基の横穴があります。一部社殿の屋根で隠れていますが全部見られます。ただ開口している場所が高くて中には入れません。左の方は2mくらいの所ですが右に行くほど高くなって右端の方は5,6mも上ですね。2基を除いて開口部は四角い額縁状、一部で赤い顔料も残っています。左から3番目(仮3号)のが入り口が特異で大きな切妻屋根状、説明板ではこれは後世のものだそうですが外のは左右との間隔がそれ程開いていないのにここだけ大きく開いていて初めからこのようにするために開けておいたとしか思えないんだけどな。一番左端のも入り口は四角でなく切妻風になっています。仮3号だけ何とか内部が覗けてコの字型の屍床が彫り込まれています。ただ区画がある程度で中央通路部は掘り込まれておらず奥と左右の屍床の間も境がありません。因みに読みは”いちもち”です。集会所前や神社境内に駐車可。

七ッ森古墳群

大分県竹田市 2016年2月訪問

現存前方後円墳2、円墳2

南西側からの遠景、左B右C号


A号
円墳、R20,H4
位置:32°56′55″N 131°18′45″E (日本測地系)
    32.95199589 131.81006793(世界測地系)
一番西側にある円墳、周囲の細長い草はヒガンバナ、こちらの方が有名


小さな舟形石棺出土、石枕の大きさ6cm、幼児用と推定


B号
前方後円墳、TL51,R29,RH6,FW8,FH3
柄鏡型の古式前方後円墳


前方部は細長く低平


後円部正面


前方部右隅から後円部


C号
前方後円墳、TL53,R31,FW12
前方部右隅から後円部、B号とよく似ている


反対側から見てもよく似ている


やはり低平な前方部


後円部頂きは平坦になっているようだ


地形南側がやや高くなっているのでこちらから見ると前方部が目立たない


D号
円墳
一番東側にある


規模はB、C号後円部と変わりなし


(見学記)
竹田市戸上、国道57号沿いにある標高480mの高原にある古墳群です。かっては7基あったそうですが現在は前方後円墳2,円墳2が残存しています。2基の前方後円墳は共に50m程度の柄鏡式、後円部だけでなく極端に低い前方部もよく残っています。円墳のA号からは小さな舟型石棺出土、石枕の大きさが6cm程で生まれたばかりの幼児が埋葬されたのではないかと推測されています。墳丘規模から言えば前方後円墳の後円部とそれ程変わりないんですけどね。ここは国の史跡で公園になっていますが大きな説明板が一つあるだけです。古墳よりも秋のヒガンバナが有名なようで冬のこの時期、葉が足の踏み場もないほど出ていました。駐車場あり。
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