臼木古墳群

大分県中津市(旧三光村)2012年2月訪問

4基残存

1号
横穴式石室
位置:33°31′55″N 131°11′24″E

正面に開口しているようだが、そこは奥壁側壁辺り


石室内部


玄門、羨道は埋没


1枚目の反対側辺り、入り口はこちら側だが全く見られず


2号
横穴式石室

県道脇の残る墳丘、上に小さな神社


反対側から見ると大きな墳丘、石室開口


開口部正面、左側壁は板石を使用


開口部左側から、これでよく持ったなと思うレベル


やや埋まって狭い羨道


玄室、奥壁はほぼ1枚石のようだ、左右の側壁がせり出してきている


奥から外、両袖式、かなり持ち送りがある、右側の石はいかにも持ち送りに適しているよう


3号
横穴式石室、玄室長3.0,幅1.65-1.8,高1.45m
位置:33°31′51″N 131°11′14″E

県道から見た様子、墳丘完全流失


石室完全露出だが、ツタなどに覆われて見づらい


天井石は最奥1枚だけ残存、よく水平に残っているなと思えるレベル


斜め前から、ツタがなければもう少し見栄えがするんだが


石室正面、左右のは玄門袖石でしょうか


玄室最奥部


それぞれ巨石1枚石で構成


4号
横穴式石室

一見良好のようだが石室を覆う程度


巨石が露出、こちらが奥壁側のよう、構成は3号と似ているようだ


右手が入り口側、天井石が傾くなど状態は悪い


(見学記)

中津市三光臼木、県道675号沿いにある古墳群で5,60m間隔で4基の古墳が並んでいます。一番東側のが1号、背の高い墳丘が残っていますが玄室奥側が大きく破壊され中を覗くと玄門部が見えてます、羨道は埋没。2号も墳丘が残っていて上に祠が建っています。南側が大きく削られて石室開口、羨道部が露出していますが板石が使われています。中にはいるのはちょっと狭いですが玄室はやや埋まるも完存しています。3号の所に説明板があり目の前に墳丘がすっかり露出した石室が見えてます。4基の中では最大でしょうか、天井石は1枚しか残っていませんが玄室奥辺りは側壁奥壁天井石とも板状の巨石を使った見事なものです。他は比較的墳丘が残っているのにここだけ何故流失したんでしょうね。石室が大きかったので封土が少なかったとか。4号も多少墳丘が残っていますが石室奥辺りが僅かに露出内部は埋没しています。ここも板状の石材が使われています。3号の所に説明板がありに各古墳間の距離が1m単位で書かれていますが、距離が書かれているのは助かるがここまで細かな数値は必要ないんだよね。そもそも墳丘の大きさだけで1m以上あるし意味ないよ。更に古墳群なのに”臼木古墳”と書かれている。なお読みは”うすき”でなく”うすぎ”です。県史跡。3号道路向かい辺りに駐車スペースあり。

城山古墳群

大分県中津市 2012年2月訪問

基底部が残る石室2基他(番号仮称)
位置:33°33′03″N 131°14′34″E

1号
僅かな高まりが残る


基底部が残る石室、すっかり苔むしています


基部だけど羨道も長く残っているもよう


鏡石らしい奥壁が残っている


2号
高まりが残るだけ、他にも似たようなのが数基


3号
はっきりとした高まりが残る


ここも残存は基部だけ


側壁も石室内に落下


奥壁や側壁も抜かれているようです


横上から、規模は1号より大きいが状態は悪い


(見学記)

中津市伊藤田、オンライン地図(1社のみ)に載っていたので正体不明ながら行ってみました。国道10号と212号交差点西200m北に突き出た丘陵上で登り口に三保戦没者慰霊碑の標識があり頂には石碑などがあるが古墳らしきものはない。北側雑木林の中に入っていくと4,5基の墳丘があってその内2基で石室が開口、と言っても基底部しか残っておらず状態も悪いです。史跡でも何でもないし何でこれが地図に載っていたんだというのが正直な感想でした。それでも基底部だけとはいえ石室が2基あったから無駄足にならずにすんだ。

相原山首遺跡

大分県中津市 2012年2月訪問

5C~9C前半にかけての墳墓群
方墳7,円墳1,方形周溝墓1,土壙墓7,火葬墓17
遺跡公園として保存展示

全景
西側から


1号から


発掘写真(説明板より)
赤点が火葬墓、青点が土壙墓


1号
造出付き円墳、R18、5C
位置:33°33′45″N 131°11′45″E

中津市最大の円墳、すっかり削平されていたようです、手前に土壙墓や火葬墓


幅の狭い周溝、右側に造出


造出側から、階段があるが上には何も無し


2号
復元墳丘と周溝、手前のは排水溝でしょうか


石室は全て埋戻しレプリカ展示


奥上から、右側だけの片胴張り


3号
9C前半、墳丘を持つものの中で一番新しい、火葬墓を持つ

墳丘を持つが石室は無し


中央に火葬墓を持つ、これ以降墳丘は造られなくなる


4号
方墳、L10

方墳の中では最大、手前に長い排水溝がある


石室


奥上から、胴張りはなさそう


5号
復元墳丘、これでも方墳だそうですが、遠方に1号


復元石室、どれも羨道はなかったのでしょうか


奥上から、石室全体が丸みを帯びている


斜め背後から


6号
幅の狭い周溝長い排水溝とどれも同じ


これも似たりよったりの石室


奥上から、入り口がロート状、奥壁側壁は直線状


7号
排水溝はなかったのかな


右側袖石の石が随分大きい


規模は忠実に復元だろうけど石材自体はどこまで忠実に復元なんだろ


8号
墳丘石室ともややこじんまり


石室


奥壁側が丸くなっている


9号
群中最古4C~5C
土壙墓

3号に隣接、方形周溝墓でしょうか隣接だが両者には400年くらいの時代差がある


墳丘の一部が3号築造で削られている、石室はなく対角線上に土壙墓


(見学記)

中津市相原、4Cから9Cにかけての墳墓群で古墳8、方形周溝墓1、火葬墓17、土壙墓7からなり現在公園となって公開されています。1号は径18m市内最大の円墳で造出があり周溝が巡っています。2-8号は古墳時代の方墳で石室や周溝を持ちほぼ直線状に並んでいます。現在石室は埋め戻されその上にレプリカが表示されています。9号は方形周溝墓で対角線上に土壙墓があり群中最古の4Cから5Cの築造です。興味深いのはすぐ隣に3号がありこちらは墳丘を持つ古墳としては一番新しく9C前半(もう古墳時代じゃないな)石室は持たず中央に火葬墓があります。3号の墳丘で9号が少し削られていますが両者は時代的に400年くらいの差がありますが3号築造当時9号は認識されていたんでしょうかね。9号以降はもう墳丘は造られず火葬墓や土壙墓だけとなりこれらは穴が表示されているだけです。県史跡。公園に駐車場がありますが北側市道からの入り口が分かりにくいので風の丘葬祭場の駐車場から歩いていってもそれ程変わりません。
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