黒田古墳

京都府南丹市(旧園部町)2000年3月訪問

前方後円墳、L52,R22-32,FW14
位置:35°06′26″N 135°26′57″E (日本測地系)
    35.11043388 135.4463552(世界測地系)

楕円形の後円部、ばち形に広がる前方部等、最古級の前方後円墳の特徴を示す、墳丘を復元して保存


前方部隅から


出土した礫槨と木棺の写真


(見学記)
全長52m、後円部径22-32m、前方部幅14mの前方後円墳です。前方部がばち型に開く、後円部が楕円形、主体部が礫槨に木棺、庄内式土器出土と最古級の前方後円墳、もしくは前方後円形の墳丘墓の特徴を示しています。また鏡(双頭龍文鏡)が意図的に割られた状態で出土しています。ホケノ山古墳に似ているなー。側の工場建設に際して発掘が行われたようで本来なら削平されていたかも知れないが、その重要性に鑑み現在墳丘が復元され公園化されて保存されています。後円部頂には礫槨と木棺残存部の写真が実物大の写真で展示されています。下の道路に案内板が出ています。

坊田古墳群

京都府南丹市(旧八木町)2000年3月訪問

坊田1号墳
方墳、L18
位置:35°03′51″N 135°31′05″E (日本測地系)
    35.06738356 135.51523905(世界測地系)
口丹波最大の石室を持つが羨道埋没、巨石が僅かに見えるのみ


墳丘は良好


2号(仮称)
横穴式石室
墓地脇に石室が開口、この背後にも数基の古墳が連なる


玄室


右片袖式


(見学記)
一辺18mの方墳、杉林の中にすぐ方墳とわかる程度の良好な墳丘が残っている。口丹波最大の石室があるが現在羨道が埋まっていて内部を見ることは出来ない。石材が僅かに露出している程度。50m程離れた北側山裾に4,5基の古墳が並んでいる。墓地脇の古墳で石室が開口している。右片袖式で奥壁は1枚石の巨石。他の古墳も石室があったようだ。谷奥にある古墳群で余り目立たない場所に立地している。柴山集落内にある養護学校北側。

今里大塚古墳

京都府長岡京市 2000年4月訪問

円墳、R45,H5.5
横穴式石室、全長16m,玄室長6.2m
位置:34°55′36″N 135°41′22″E (日本測地系)
    34.92989814 135.68661334(世界測地系)

住宅街の中に巨大な墳丘が残っている


石室天井石、天井面にあたる部分だけ割っている、石室内部は土嚢で埋戻し


(見学記)
径45m、高5.5mの大型円墳です。南東側に石室があるが、現説が終わった後なので内部は埋戻し、天井石が3個露出しているだけ。かなりの巨石で一部割られた痕があるが殆ど自然石のまま。これが山の中の古墳だと自然石の集積と間違えるだろうな。住宅街の中にあって輻輳した道を通っていかなければならないので意外とわかりにくい。

恵解山古墳

京都府長岡京市 2000年4月訪問

前方後円墳、TL120、5C
位置:34°54′40″N 135°42′02″E (日本測地系)
    34.91434438 135.69772325(世界測地系)

画像無し

(見学記)
市役所南方1.4km、長岡第3中学校南側ですぐ西側を東海道本線が走っています。全長120m、5Cの前方後円墳ですが、前方部は竹林、後円部は墓地になっていてあまり保存状況はよくない。前方部上から総数700点を超す鉄製武器が出土したが現在その跡が地面に表示されているのみ。読みは”いげのやま”。国史跡。

長法寺七ツ塚古墳群

京都府長岡京市 2000年4月訪問

住宅街の中に7基
位置:34°55′57″N 135°40′58″E (日本測地系)
    34.93573083 135.67994733(世界測地系)

画像無し

(見学記)
東西に7基の古墳が並んでいた。西から1-7号、現在住宅地となり幾つかの古墳が保存されている。
1号:現状保存
2号:墳丘は殆ど無く区画保存
3号:一辺15mの方墳、発掘後消滅
4号:全長20mの帆立貝式、発掘後消滅
5号:一辺18mの方墳、発掘後墳丘復元、公園として保存
6号:現状保存
7号:墳丘はなく区画だけ保存
保存することに意義はないが2,7号のような状態では余り保存の意味もないと思うが。ついでに発掘というわけには行かなかったんだろうか。

寺戸大塚古墳

京都府向日市 1999年4月訪問

前方後円墳、TL98,R57,RH9.8,FW45、4C
位置:34°57′09″N 135°41′28″E (日本測地系)
    34.95572915 135.68828027(世界測地系)

竹藪の中の後円部、前方部は消滅


(見学記)
市役所北西1.2km第6向陽小から竹林公園に行く途中の竹林の中にある全長98m、後円部径57m、高9.8mの前方後円墳です。前方部は消滅していますが背の高い後円部が残っています。竹が密生していてちょっと見にくい。ここから椿井大塚山古墳と同笵鏡の三角縁神獣鏡が出土しています。写真を撮っていたら地元の方から竹林を撮っているのですかと声をかけられた。古墳を撮っているんですと言ったらなんだか珍奇なものでも見るような目つきをされた。まあ、私自身も”珍”とは思うが”奇”とまでは思われたくないけどね。

物集女車塚古墳

京都府向日市 1999年4月訪問

前方後円墳、TL45
横穴式石室、全長11.1m、玄室長5.1,幅2.9,高3m
位置:34°57′17″N 135°42′07″E (日本測地系)
    34.95795114 135.69911273(世界測地系)

墳丘復元、公園になっている、手前説明板が石棺蓋石を模している、石室は閉鎖(公開日あり)


墳丘側面


前方部から後円部


(見学記)
市役所北方1km、県道67号脇にある前方後円墳です。全長45m前方部の発達した背の高い墳丘で典型的な後期の前方後円墳です。下3分の2が地山を削りその上に盛り土をしたそうでだから今日までこの姿が保たれたのでしょうか。後円部南側に横穴石室があり中には石棺もありますがドアでしっかり閉ざされ中は全く見ることはできません。この5月に公開されたそうですが見たかったなー。石室下の擁壁に当時の石組みの配水施設が顔を見せています。今でも機能しているそうで実際水が流れ出た跡が残っていますがいい仕事をしてますねーモノマネジャー。説明板の台石が石棺の蓋石の形をしているのは良いアイデアですね。現在公園となって保存されています。府史跡。

元稲荷古墳

京都府向日市 1999年4月訪問

前方後方墳、TL94,R52,RH7,FW46,FH3、4C初頭
位置:34°56′31″N 135°42′01″E (日本測地系)
    34.94517454 135.69744589(世界測地系)

前方部隅から後方部


(見学記)
市役所南方400m勝山公園の中にあります。全長94m、後方部長52m、高7m前方部幅46m、の前方後方墳です。墳形は割とよく残っていますが前方部は遊び場と化し、後方部頂にも配水施設があって環境はあまりよくないですね。この向日丘陵には現在3基の前方後円(方)墳が残っていますが皆前期の古墳で規模がほとんど同じなのが特徴です。それにしてもすぐ近くに長岡京ができて以来この辺りも人口が集中してきたと思われるがよく残ったものです。

五塚原古墳

京都府向日市 1999年4月訪問

前方後円墳、TL94,R54,RH8.5,FW36,FH4、4C
位置:34°56′48″N 135°41′53″E (日本測地系)
    34.94989633 135.69522398(世界測地系)

前方部から後円部、状態は割とよい


(見学記)
市役所西方300m芝山公園背後の丘の上にあり公園から後円部まで道が通じています。全長94m、後円部径54m、高8.5m前方部幅36m、の前方後円墳で墳丘も良好に残っています。後円部頂中央が少し窪んでいるのは石室の陥没だろうか。

天皇ノ杜古墳

京都府京都市 1999年4月訪問

前方後円墳、TL83、4C
位置:34°58′27″N 135°41′33″E (日本測地系)
    34.97739388 135.68966956(世界測地系)

画像無し

(見学記)
西京区御陵、R9号沿いにある全長83mの前方後円墳です。後円部は背が低く前方部も細長い前期の古墳で墳丘も良好に残っています。名前からして某庁管理の古墳のようだが幸いそういうこともなく現在公園として整備保存されています。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示