楠浦新田古墳(楠浦鬼塚古墳)

熊本県天草市(旧本渡市)2015年3月訪問

円墳、6C後半
横穴式石室、玄室長2.5-2.7,幅2.3,高2.4m
位置:32°25′23″N 130°12′06″E (日本測地系)
    32.42645141 130.19938864(世界測地系)

広域農道からの遠望、手前の農地は当時海だったそうだ


当時は海に臨む古墳だったんでしょうね


墳丘石室とも良好


石室正面、羨道前部は壊失


板状袖石を立てた玄門、羨道も基部は大型、上部は小型石材


基部に大型石材、上部は小口積みの肥後型石室


〃縦位置


上部は綺麗なドーム状、天井石はほぼ1枚


右側壁、右側が袖石


反対側、ストロボ無しで撮影


奥から外、袖石を立てた両袖式、左右の大きさが一回り違う


見学記
楠浦町、広域農道から見えているとのことを頼りに探してみました。県道26号からすずめらーめんの店がある交差点を西に曲がって広域農道に入る。さすがに走りながらの捜索は無理なので歩いて探すこと20分、遠くに丸い墳丘が見えている、側に説明板も立っているようで間違いない。谷筋に面した低い高台上に立地、前は今は水田になっていますが当時は入江だったそうだ。墳丘良好、羨道は奥の方しか残っていませんが玄室完存、玄門は立石を立てた両袖式、玄室は基部に大型石材を据え上部は小口積み持ち送りのドーム状で天井は狭い、熊本県でよく見る構造ですがその中でもかなり上等な出来栄えです。前に駐車可。市史跡。

立浦鬼塚古墳(鬼の鼻古墳)

熊本県天草市(旧本渡市)2015年3月訪問

横穴式石室、玄室長2.5,幅2.1,高2.2m
位置:32°23′44″N 130°12′13″E (日本測地系)
    32.39895376 130.20133405(世界測地系)

林縁に案内表柱、ここでは鬼の鼻古墳となっている


上部を失った石室露出


基部腰石は残るが上部は右側壁だけ


右が奥壁、左の側壁は2枚でなく加工で段が付いているような


側壁はやや持ち送りがあるようです


玄門、左は板石袖石、右はやや不明、抜かれたかな


巨大な天井石がずり落ちている、玄室のか羨道のか、右側は羨道側壁のようだ


見学記
楠浦町、旧本渡市中心部から県道26号を南下、清掃センター入り口の案内表示がある入り口直ぐにゲートボール場がある(下からは見えない)。その側の林際に標柱が立っているのでそこから入っていって50m程の所にある。天井を失った石室露出、羨道も基部が残っているが天井石が落下しかけている。玄室で比較的良好に残っているのは右側壁だけ、基部に大型石材を据えブロック上の石を持ち送りにしている。ゲートボール場脇に駐車可。

妻の鼻墳墓群

熊本県天草市(旧本渡市)2015年3月訪問

地下式板石積石室35基、群ごと移築
5C後半~6C前
位置:32°28′32″N 130°12′27″E (日本測地系)
    32.47894664 130.20521941(世界測地系)

全景
下方から見た眺め


上方から、初めからここにあったような雰囲気でした


分布図(説明板より)


(以下見学順)

その1
全てこのような方形タイプ


その2
これは割りと小型


その3
以前は表示板があったんでしょうが全て無くなってます


その4
上部がなくなると竪穴石室としか思えない


その5
左側に板石積が僅かに残る


その6
これが最大級でしょうか


周囲に板石が散乱


隅が一部丸くなっている


その7
これは板石がよく残っている状態


その8
小型箱式石棺のよう


その9
どれを見ても同じようなので以下説明略


その10


その11


その12


その13


その14


その15


見学記
佐伊津町、35基からなる地下式板石積み石室群です。海岸沿いを走る道路に案内表示がありそこからすぐ登っていく階段がありますが駐車場所がないのでもう少し登って行くと空き地があるのでそちらから行ったほうがよい。いかにもこの手の古墳群にふさわしい場所かと思いましたが全て移築だとか。鹿児島は円形プランが多いですがここのは全て方形プラン、サイズも大小様々、板石がないと箱式石棺としか思えません。県史跡。

志柿大松道古墳

熊本県天草市(旧本渡市)2015年3月訪問

横穴式石室(石棚)、玄室長2.2,幅2.2,高2.5m
位置:32°27′11″N 130°13′24″E (日本測地系)
    32.45644858 130.22105266(世界測地系)

道路脇に案内板、その奥に説明板


急斜面に説明板があってその上方に古墳がある


墳丘背後は多少削られているようだ


開口部、手前のは羨道天井石でしょうか


板状袖石を立てた玄門、中央通路が狭い、左側は石組みがしっかりしているが右は粗っぽい


石棚を持つドーム状玄室


石棚下部奥壁、基部に大型石材を据える


石棚上部はブロック状石材を積み上げる


真下から見た天井の様子、画面下部が石棚で天井石は1枚


奥から外、袖石を立てた両袖式


側壁石材が薄いので割れている、玄門側側壁は左側と一部重なっている


反対側は下部が1枚石


見学記
志柿町、天草諸島上島北岸を通る国道324号、松戸川河口辺りに西原商会の大きな緑色の看板があるのでそこを南に曲がるとすぐ案内表示があります。そこから林に入ると直ぐ急斜面の上に墳丘が見えています。海ではなく西側谷筋の方に開口、前面が崩れて羨道はかなり崩壊していますが玄室完存しています。幅の広い板石を使った両袖式、お馴染みドーム状の肥後型石室ですが最大の特徴は石棚があることです。中段少し高い場所にあって分厚い板石、上面より下面のほうが平面に加工されているようです。案内表示の所に駐車スペースあり。市史跡。

須森古墳

熊本県天草市(旧本渡市)2015年3月訪問

横穴式石室、玄室長2.1,幅1.4,高2.2m
位置:32°24′45″N 130°13′59″E (日本測地系)
    32.41589704 130.23077579(世界測地系)

小さな湾に面した尾根状小丘陵先端に位置する、説明板を真正面に設置して欲しくないな


下部が埋まった狭い開口部


開口部から内部、玄室は小さい


右側壁、裏込石が見えている


反対側


奥壁は1枚石、でも多分薄いんだろうな


小型ながらドーム状石室、天井は殆ど無いような


奥から外、袖石を立てた両袖式


5枚目を奥から、こちらは丁寧に処理


4枚目を奥から、側壁の形状が悪く隙間の処理が出来ていない


見学記
下浦町、海岸近くの神社境内ということなので神社を目当てに行ってみました。でもナビがちょっと離れた場所を指示したのでかなり歩かされた上に現地に行っても神社も鳥居も全く見当たらない、これはひょっとして間違えたかなと思ったけど地元の方に聞いてみると間違いなかった。神社も鳥居も林の中にあって外からは全く分かりません、これでは気がつかないはずだ。林の中に入るとまず鳥居その後方に本殿(殆ど小屋ですが)更に後方5,60mの位置に古墳があります。後で航空写真を見てみると東に突き出た小さな岬の高所を利用して造っているようです。下草も伐採されているので行くのは特に問題なし。こじんまりとした墳丘、前に説明板が立っていて西向きに開口しています。開口部は狭いですが何とか入れます、玄室も小さく基部に板状大型石材を据え上にブロック状の石を持ち送りしています。日も傾きこの日最後の古墳、ギリギリセーフでした。途中の道が大変狭く2度目の捜索なんてしたくなかったから尚更ホッ。市史跡。

湯貫古墳(湯貫新田古墳)

熊本県天草市(旧本渡市)2015年3月訪問

横穴式石室
位置:32°25′03″N 130°14′30″E (日本測地系)
    32.4208966 130.2393861(世界測地系)

谷筋に面した急斜面に立地、墳丘は殆ど流失、左下の石は羨道石材でしょうか、移動してますが


葺石かな


玄門、巨大なまぐさ石、下部が埋まるが板石の閉塞石が残っている


玄室は上部を失い右側壁と奥壁一部が残る、共にブロック上の石を積み上げている


左側側壁は墳丘流失とともに極ゆっくり倒れたようで積み重なった構造がそのまま残っている


右側の平石は天井石でしょうか


奥壁と側壁の境界は石が斜めに架けられている


玄門と側壁片側が良好に残る


まぐさ石だけがすこぶる巨石


袖石を立てた両袖式


石室側から見た閉塞石


見学記
下浦町、下浦運動広場東側の国道266号交差点を東に曲がり500m程、道路脇に標柱が倒れているというのでゆっくり走りながら探してみたらありました(新しい民家と小屋の中間辺り)。そこから丘を登っていきますが実際の所入れるのはここくらいでしょうか。深い谷に面した急斜面に立地、墳丘は何とか残っていますが羨道崩壊、玄門は良好に残っていて大きなまぐさ石を載せ薄い板石の閉塞石がそのまま残っています、袖石も板状で幅が広い。玄室は谷側が大きく開口、下部が埋まっていますが奥壁側壁とも小型ブロック上の石材を積み上げています。どうやら谷側の封土がゆっくり滑り落ちるように崩壊、その為側壁はほぼ積み上げた状態のまま倒れています。天井石もゆっくり落ち込んだようで玄室内に倒れていますがこれも薄い板石状です。人為的に破壊された石室はよく見かけますが自然に崩壊した石室の様子が見られるのは珍しいかも。

金左衛門鬼塚古墳

熊本県天草市(旧本渡市)2015年3月訪問

横穴式石室
位置:32°23′29″N 130°14′57″E (日本測地系)
    32.39478833 130.24688635(世界測地系)

県道脇に大きな墳丘が残って開口、すぐ前は水路のような狭い湾になっている


現状墳丘と石室の位置がずれている


石室正面


巨石を使った羨道、側壁が傾いていて補強材が入っている


玄室は基部しか残っていない、左側は奥壁でなく現代の塀


袖石を立てた両袖式玄門


側壁は基部に巨石上にブロック状石を積み上げる、天草によくあるタイプ


羨道側壁が傾き裏込石が見えている


見学記
下浦町、県道283号下方入り口バス停から少し南に行くと大きくカーブしている辺りに大きな石碑がありその道路向かい側にあり標柱と墳丘が見えています。羨道は残っていますが補強材が入っていて通れません。玄室は天井石を失い奥壁はブロック塀で切断されて無くなっています。柱石を立てた両袖式、側壁は基部に大型石材を据え上部は小型石材です。前の細い水路は川かと思いましたが漁船が何隻も止められていて細い入江のようです。当時もそんな風に使われていたんでしょうか。バス停向かい側に駐車スペースあり。

沖の瀬古墳群

熊本県天草市(旧栖本町)2015年3月訪問

横穴式石室墳3基、1基移築保存

1号
民家石垣内に開口、墳丘も多少残っているようだ


天井石など板状の石を使用、内部埋没


2号
位置:32°23′47″N 130°17′19″E (日本測地系)
    32.39978889 130.28632658(世界測地系)
石室移築、でも草茫々


基部しか残ってないけどサッパリ分からず、小口積み石室かと思ったが外側の単なる石囲いのようです


左側袖部分


右側袖部分


これが奥壁かな、背後の石積み邪魔


奥から外、両側から袖石が突き出ている


側壁と袖石


3号
小さな墳丘が残る


藪状態の上に石室崩壊気味でよく分からず


側壁かな袖石かな、傾いているのは天井石のよう


切石状に加工されている


見学記
栖本町古江、丘陵裾近くにある3基からなる古墳群です。1号は民家敷地内、石垣の上にあり開口部は見えていますが内部は埋没しています。2号は西側、細い道を登った所に復元されています。基部しか残っておらず冬でも枯れ草が残っていてよく観察できませんが各石材は板石で構成されているようです。周りに石材があっててっきり小口積みかと思ったらこれは石室保護の為の石組みのようでした。更に50m程行った所に3号、小さな墳丘が残っていて西側に石材散乱、切り石状の石材ですが羨道が玄門辺りでしょうか。天草の高塚古墳は単独であることが多いのですがここは数は少ないとはいえ珍しく群をなしています。2号下の県道に駐車スペースあり。

宮崎石棺墓群

熊本県天草市(旧倉岳町)2015年3月訪問

箱式石棺22基
位置:32°24′30″N 130°20′47″E (日本測地系)
    32.4117337 130.34409752(世界測地系)

登り口、海岸近くの細長い独立丘陵上


(以下見学順)

その1
この群の中では大型


以前は表示板があったようだが殆ど残ってなかった


その2
半ば埋まった箱式石棺


小口部


その3
_1:割られた蓋石露出


その4
箱式石棺蓋石、右側が割られている


家形風に加工しているのかな


その5
小型箱式石棺、ボールペンの大きさは15cm程


小口部が2重になっている


しかも内側の方が幅広い


その6
大きな蓋石露出


その7
石棺側板でしょうか


その8
割られた蓋石と側板かな、「基」とありますが「墓」の間違いだろうな


おまけ
何の説明もなく置かれているが模型でしょうか、でもこれでは箱式石棺でなく家形石棺だな


見学記
倉岳町棚底、海岸近くの細長い丘陵上にある古墳群です。当時は島だったかもしれませんね。下に案内表示がありそこから登って行くと上の平坦面に箱式石棺が密集、22基あるそうですが良好なのは皆無、何とか箱式石棺だなと思われるのが幾つかある程度です。石棺脇に番号を書いた標柱もありますが倒れていたり札が失われているのも多い(これがないと後の整理がしにくいんだよね)。市史跡。

境目古墳(鬼塚古墳)

熊本県天草市(旧倉岳町)2015年3月訪問

横穴式石室、玄室長1.7,幅2.0m
位置:32°23′40″N 130°18′23″E (日本測地系)
    32.39784524 130.30410235(世界測地系)

海岸近くの道路脇にポツンと残る


墳頂に石室露出でも草茫々、刈られている時もあるようだ


こちらが奥壁側、石積みは後世のでしょうね、分厚い板状天井石が1枚残存、割れていますが


奥壁は割れているが1枚石のようです


右が奥壁、左が側壁、ブロック状の石を積んでいる


切石状の左側袖石


羨道奥から、側壁も板石状


見学記
倉岳町宮田、倉岳郵便局西方100mガソリンスタンド側にある古墳です。墳丘の上に祠がありその側に石室露出していますが天井を失っています。羨道も一部残っていて玄室とも板状の巨石で構成されていますが草茫々で見学しづらいです。他のサイトを見てみると草刈りされることもあるようでこれも運次第。玄室は1.7×2.0mと横長、奥壁は1枚石ですがヒビが入っています。側に空き地あり。
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