塚原古墳群

熊本県熊本市(旧城南町)2002年4月訪問、15年3月再訪

前方後円墳2、円墳方墳方形周溝墓など77基
墳丘復元、公園として公開

(ほぼ見学順に並べる)

三段塚古墳
円墳、R33(復元径)
位置:32°41′12″N 130°44′26″E (日本測地系)
    32.69004941 130.73822071(世界測地系)
群中最大の円墳


隣の丸山2号から、周りに周溝


整備前の墳丘(説明板より)


丸山2号
方墳、18.8×20.2m
県内最大級の家形石棺出土2.4×1.25×1.5m(高さは推定)
ガラス越しに石棺見学、ただしレプリカ


丸山2号からの古墳群遠望、手前は隣の方墳、植え込みも方形周溝墓などを表示


琵琶塚古墳
柄鏡型前方後円墳、TL61.8,R32.5,RH3.5,FW21,FH1、5C末
低平な墳丘、特に前方部が低い


幅広い周溝を持つ


花見塚古墳
前方後円墳、TL31.7(現存長)、R24.5,FW24.3、6C末~7C初
位置:32°41′09″N 130°44′15″E (日本測地系)
    32.68921611 130.73516539(世界測地系)
三段築成、周囲に周溝外堤


真横から


前方部斜めから


前方部から後円部、埋葬主体は横口式家形石棺(破壊)


後円部から前方部、周溝は琵琶塚に比べて狭い


花見塚から古墳群遠望、右奥に琵琶塚、左遥か奥に三段塚


20号
花見塚前方部側、外堤を一部切断周溝共有、右奥に17号


17号
ほぼ元のままでしょうか


箱式石棺はレプリカ、この古墳群は石棺直接埋納が多いようだ


石ノ室古墳
大型円墳だが説明なし


横穴石室でなく横口式家形石棺埋納だそうです


(2015年)
保護施設の中に石棺保存、熊本地震でかなり被害を受けたようだ


小口部が開口、前に側壁があり羨道となっている


屋根に上向きの縄掛突起


反対側も同様


奥壁に線刻壁画があるそうだ、画像処理して輪郭抽出してみましたが無理ですね


(見学記)
(2015年)
塚原古墳群(石之室古墳)
前年にも行きましたが装飾古墳公開にあわせて再訪。江田船山古墳と同様の横口式石棺式石室です。石棺奥に線刻があるので装飾古墳になっていますが間近で見ても殆どわからないそうでストロボで撮っても画像加工しても全く分かりませんね。ただ彩色ではないということもあってガラスを開けて見学させてもらえました(こういう時に限ってガラスにワイパーが付いている)。江田船山とよく似た巨大石棺、でもこちらは普通の円墳なんですね。屋根に4個の縄掛け突起が付いていますが(後ろの2個は土に埋まっている)上に突き出ていて縄掛けの役を全くなしません。もう完全に装飾化していますね。
(追記)
16年に起きた熊本地震によって石棺がかなりの被害を受けたようです。

(2013年)
南区城南町塚原、りゅうがん塚から更に進んでいくと塚原古墳群が古墳公園として保存されています。真下を高速道路が通っていますから保存のためトンネルにしたんでしょうね。総数77基からなる古墳群で前方後円墳2や方形周溝墓など多数、墳丘が復元公開されています(一部植栽で表現)。資料館の所に分布図がありますがこちらにはないのが残念。墳丘ばかりでコアな古墳ファンには物足りないですがゆっくり散策するにはいいばしょです。それが予想されたので今回の旅の一番最後の場所にしたのが正解でした。駐車場有り、国史跡。

りゅうがん塚古墳

熊本県熊本市(旧城南町)2013年3月訪問

円墳、径約20m
横穴式石室
位置:32°41′19″N 130°44′26″E (日本測地系)
    32.69199367 130.73822061(世界測地系)

低い丘陵の緩斜面に立地、見学施設を兼ねて墳丘復元


元々石室基部しか残ってなかったようだ


中央に仕切りのある肥後型石室、手前が羨道かな


各種肥後型石室(説明板より)


(見学記)
南区城南町塚原、高速道路西側に歴史民俗資料館がありその側に墳丘が復元されています。元々は径20m程度の低い墳丘しか残っていなかったようですが三角錐状の大きな墳丘が復元されています。内部に肥後型石室の基部があり格子越しですが見学することが出来ます。見学は無料ですが資料館は有料、駐車場有り。

石川山古墳群

熊本県熊本市(旧植木町)2013年3月訪問、2014年3月再訪

9基(それ以上あるかも)

案内板
更に先にもう一つの案内板がある


1号
尾根筋にある小型墳丘


2号
前方後円墳、TL34,R22,RH4,FW10,FH2
位置:32°54′02″N 130°43′22″E (日本測地系)
    32.90391913 130.72043895(世界測地系)
丘陵頂部にある小型前方後円墳、前方部端


前方部から後円部


後円部南側から


3号
複室横穴式石室、石棚
斜面上から見た墳丘


手前は前室開口部、奥は後室天井開口


前室開口部、羨道は埋没


開口部からカメラを突っ込んで撮影した前室、玄門手前に敷石がある


天井も少し高くなっている


後室天井開口部、深くて中に入れず


奥壁に石棚、石棚としてはかなり小型


後室斜め上方から


4号
複室横穴式石室
石屋形、線刻壁画
位置:32°54′00″N 130°43′24″E (日本測地系)
    32.90336362 130.72099447(世界測地系)
丘陵麓辺り、大きな墳丘が残る


南向きに開口、天井石が折れて落下


手前は広がっていて前庭なのかな


前室玄門、扉石を嵌めこむ溝が彫られている、上部にも石を嵌めこむ切り欠きがある


後室玄門、こちらも上部に切り欠きがあるが明瞭ではない


前室左側、側壁は1枚、下部の石はなんだろう


右側も1枚石、下部の石はない


後室石屋形、奥行きがあまりないので全体が撮りにくい、袖石には僅かに彫り込みがある


〃縦位置、天井石にも同様の彫込、ひょっとして刳抜式玄門の転用ではなかろうか


玄室上部、下部と上部の石材の違いがはっきり


ドーム状後室天井、極端には狭くない


後室右側


後室左側


奥から外、切石の袖石


石屋形内側から左方向


〃右方向


前室奥から、天井も1枚石


天井石線刻


線刻ははっきりしているが何の模様かわからない


5号
複室横穴式石室、後室長2.5,幅2.1m(概略)
4号南側、麓辺りに立地


石室正面


羨道は破壊、羨道と玄室が二重に開口


前室玄門


幅が狭く通路状の前室


鏡石を据えた後室、上部が抜かれている


〃縦位置


奥から外、両袖式、こちらも上部が抜かれている


奥から左方向


〃右方向、全体に粗い石材


前室奥から


(6号以下は仮番号、上下方向に直線状に並ぶ)

6号
一番下にある墳丘、右上方にも2基見えている


斜面にはっきりした墳丘が残る


7号
こちらも斜面に墳丘がはっきり


8号
分かりやすい墳丘


9号
左8号、右9号、前方後円墳風


10号
9号上、下に9号が見えている


11号
低い墳丘がかろうじて残る


(見学記)
(13年)
北区植木町石川、鬼のいわや古墳から高速道を挟んだ南東側にある石川山に分布する古墳群です。植木工業団地の北側に九州ライフという会社がありそこから山裾の道を200m程行くと案内表示が出ています。そこから山道を進むと更に1-3号の表示があるので雑木林の中を上っていきます。ここをそのまま真っ直ぐ行くと4号に至ります。雑木林には道がないですが所々に目印の青いテープが貼られています(無くても別に問題ないですが)。尾根につくとまず1号これは低平な墳丘があるだけ、すぐ南側尾根頂にあるのが2号でこれは前方後円墳、良好な姿が残っていますが墳頂が僅かに窪んでいます。更に南側下方にあるのが3号、円墳ですが規模自体は2号後円部より大きそう。西向きに石室開口複室石室のようです。入り口は狭く無理して入れないこともないですが玄室天井部が開口しています。それ程大きな石室ではないですが奥壁に小規模な石棚が見えています。ここも入って入れないことはないけど出るのに苦労しそうなので諦めました。更に東側下方にあるのが4号、丘陵麓近くに立地した大きな円墳です。ここも南側に開口、正面から見た石室の幅が広く羨道と言うより前庭でしょうか。奥にまぐさ石が真っ二つに折れていますが何とか石室に入れます。複室石室で前室後室完存、玄門は切石を使った角柱状の袖石、上部にまぐさ石を乗せる切り込みがあるのがこのタイプではよく見かけますが普通前につくのが後室玄門右側のは何故か後ろ側に切り込みがあります。これではしきみ石が巧く取り付けられないと思うが設置ミス?。玄室は石屋形を持つドーム状、左右の側壁基部が巨石で石屋形と同じ高さがありもう一体化している感じですね。石屋形前面の石はナイフで抉ったようなカーブを描いているが印象的、今回見かけた石屋形の中ではここだけでした。

(14年)
4号の線刻壁画を撮り忘れていたし南側に5号もあるというので再訪、5号は4号南側50m程、墳丘は割と残っていますが盗掘で石室上部露出羨道もかなり破壊されています。複室石室ですが前室は羨道と幅が殆ど同じで小さな袖石を立てて区別した程度、既に形式的になってきているんでしょうか。玄室は奥行き2.5m幅2.1m程袖石を立てた両袖式、奥壁基部は巨石1枚上部を持ち送りにしていますがドーム状というほど顕著ではない。天井席の一部が抜かれて内部は明るい。更に南側に小墳丘が上下方向に並んでいます。6-9号は消滅10-12号があるそうだが見た限り6基はあるような、どれも墳頂が窪んでいますが石材は見当たりません。

鬼のいわや古墳

熊本県熊本市(旧植木町)2013年3月訪問

円墳、R20,H7、6C前半
複室石室、全長9.6m、玄室長3.58,幅2.67,高3.77m
石屋形
位置:32°54′23″N 130°42′37″E (日本測地系)
    32.90975191 130.70793991(世界測地系)

独立丘陵南側斜面に立地、果樹園の中でここだけ林になっている


羨道入り口の天井石


石室正面


羨道、前室玄門


切石で作られた袖石、まぐさ石を嵌め込む切り込みがある


前室、奥は幅が狭まり通路状になる


前室左


前室右、共に側壁はほぼ1枚石


切石角柱で構成された後室玄門


石屋形のある後室


〃縦位置


後室左、基部に大型石材を据え上部は小型石材持ち送り、側壁と石屋形側壁は連続していて特に区別なし


後室右、こちらは側壁基部2枚


上部はドーム状


楕円形の狭い天井、左が石屋形天井、天井石の軸がずれているようだ


石屋形内部から側壁、袖石は見事な板状切石


〃反対側


奥から外


〃縦位置


側壁奥側から


〃反対側


前室奥から、天井は高くない


後室玄門、まぐさ石嵌めこみ部分


(見学記)
北区植木町岩野、山東小学校南側に横山という東西に長い丘陵がありその南側斜面果樹園の中にあります。全体が樹木に覆われていますが大きな墳丘が残っていて南側に開口、全長13m程の複室石室が良好に残っています。前室は幅や高さはそれ程なく奥半分はやや狭くなった通路状です。前室後室玄門は角柱状切石で構成されまぐさ石を嵌め込んだ切り込みがあリます。前室のはまぐさ石がなくなっているので切り込みの様子がよく分かります。玄室は石屋形を持つドーム状、基部に巨石を据え上に小型石材を積み上げているのが殆どお約束、楕円形の天井は1枚石ですが他と色合いが違う。楕円形の軸が石室主軸と一致しないのはご愛敬。石屋形は高さ2m程、左右に切石板石の袖石、側壁は特にないというか後室側壁がそのまま石屋形側壁になっています。。西側にある神社に駐車可、北側小学校奥にも広場がありそちらも駐車可(ナビだとこちらに案内された)、ここから丘越えでもたいした違いはありません(ちっぴり悔しさを交えての体験談)。市史跡。

滋恩寺経塚古墳

熊本県熊本市(旧植木町)2013年3月訪問

円墳、R53,H8
舟型石棺、2.3×1.6m
位置:32°57′10″N 130°43′15″E (日本測地系)
    32.95613725 130.71849399(世界測地系)

二段築成の大きな墳丘が良好に残る


墳頂に巨大な舟型石棺の身


小口部に丸い巨大な縄掛け突起が二対4本


側面には突帯がある


(見学記)
北区植木町米塚、低い丘陵上にあり背の高い大きな墳丘が裸の状態で残っています。墳頂に舟形石棺の身が露天に置かれています。一部壊れていますが縄掛け突起を4個持ち2.3×1.6mと巨大なものです。墳丘斜面に説明板が立てているけど急斜面で近づきにくいんだよね。墳丘側まで車で入れます、と言うより途中の道が狭いので行くしかない。県史跡。

二軒小屋古墳

熊本県熊本市 2013年3月訪問

複室石室、石屋形
位置:32°47′24″N 130°39′49″E (日本測地系)
    32.79337269 130.66127862(世界測地系)

斜面上から見た墳丘、丸い墳丘に竹が串刺し状態


周辺に外護列石が巡っているのかな


斜面を大規模にカットして平坦面を造成、そこに墳丘を構築


石室墳丘とも極めて良好


石室正面、立ったまま入っていけるレベル


平石を重ねた羨道、一部で腰石風の石を据える


角柱を組み合わせた前室玄門、扉石を嵌め込んだ溝が彫られている


前室、横の広がりはなく通路状


石屋形を据えたドーム状後室


〃縦位置


石屋形は天井石奥壁両側の石とシンプルな構成、それ程背は高くない


左側壁、下部に腰石上部は小口積み


右側壁


ドーム状背の高い後室


天井真下から、見事に丸くなっている


玄門奥から


〃縦位置


玄門左側


玄門右側


前室奥から、幅がなく天井が高くなっているのが分かる


羨道奥から


(見学記)
熊本市西区上高橋2丁目、山裾にある池上町の集落の中を通る道から山側に逸れると50m程で車止めで通れなくなります。そこから舗装路を歩いて5分ほど、山の中に立派な家がありそこから東側斜面を20m程降りると古墳があります。斜面をカットした墳丘というと普通山側を少し掘った程度が普通ですがここのはそんな半端じゃなく大きく整地して平坦面を作り墳丘を構築しています。南向きに開口、複室石室が良好に残っています。羨道を入るとまず組合式玄門、扉石をはめ込んだ浅い溝が彫られている。その先は前室ともちょっと違う通路状、更に玄室に入ると見事の一言、背の高いドーム状肥後型石室で天井石も1枚、石屋形も完全に残っています。ただ他の同様の石室とは違い基部の石材がそれ程大きくなく石屋形も独立していて背も低く石屋形と言うより石棺に近い感じです。これ程の石室が殆ど無名で残っているとはね。ちょっと行きづらいけど(脇道を探すのに時間が懸かった)それだけの価値のある古墳でした。集落内に駐車できる空き地あり。

釜尾古墳

熊本県熊本市 2013年3月訪問

横穴式石室、玄室長3.3,幅3.3,高3.9m
石屋形
位置:32°50′09″N 130°41′57″E (日本測地系)

    32.83920233 130.69683054(世界測地系)

神社背後に大きな墳丘が残る、復元かなオリジナルかな


石室は閉鎖、中段の石はなんだろ、葺石ではなさそうだし石室が露出しているのかな


真っ赤に塗られた石室(説明板より)、安山岩割石ドーム状、石屋形


(見学記)
熊本市北区釜尾町、丘陵上にある菅原神社側にあります。背の高い墳丘が裸の状態で残っています。肥後型石室を持ちますがしっかり閉鎖、内部は赤や白で塗られているそうです。国史跡。

千金甲古墳

熊本県熊本市 2013年3月訪問

甲号(千金甲古墳)
装飾石室(閉鎖)
位置:32°46′53″N 130°37′58″E (日本測地系)
    32.78476213 130.63044769(世界測地系)
登り口、大分登る必要がある


急斜面に築かれた墳丘、良好に残る


墳丘上方から、見えているのは葺石か列石か


西向きに開口、手前のコンクリ囲いが本来の開口部、奥のトタン板が盗掘による開口部


石室開口部、埋没


すぐ側に別の小型石室


乙号
装飾石室、石屋形
位置:32°46′46″N 130°38′04″E (日本測地系)
    32.78281787 130.63211429(世界測地系)
突き出た尾根鞍部に立地、上の建物は覆い屋でしょうか


羨道入り口


羨道、石室は良好に残っているようだ


石屋形の奥壁のようです、普通の石積み奥壁の前に板石で石屋形奥壁を設置したのかな


3重の線刻円文、右側にも一部見えている、上部にもあるはずだがよく分かりません


こちら側にも線刻があるはずだが


石屋形線刻(説明板より)


丙号
上方から見た墳丘


周りはフェンスで囲まれている、石室が開口しているようだ


(見学記)
熊本市西区小島9丁目、城西中学校北側の丘陵斜面にありますが登り口はもっと東側、案内表示があり果樹園の中を通っていくと説明板が立っています。そこから急な階段を100m程上るとたどり着きます。墳丘は柵に囲まれていますが中にはいることが出来ます。有名な装飾古墳だから石室はこれっぽっちも期待してなかったけど墳丘は結構良好に残ってましたね。葺石がされているようでその効果があったのかな。石室は西向き、本来の入り口は埋まっていますがかっては天井部が開口していたようでここに扉をつけて閉鎖しています。すぐ側にも石室入り口らしきものがありますが墳丘はないけどこれも古墳なんでしょうか。
説明板に戻ってすぐ下に見えているのが丙号、墳丘は良好のようですが周りを柵で囲まれています(後から知りましたがどうも石室開口しているようです)。その下にあるのが乙号、こちらも柵で囲まれていますが中に入れます。石室は覆い屋で保護されていますが羨道が開口、玄室奥壁(石屋形奥壁)がなんとか見えてます。肉眼では無理ですがデジカメで撮ってみると3重円紋線刻装飾画が何とか分かります。その右側にも円文線刻の一部が見えていますが割れ目で欠けています。どれも見られるとは思ってなかったからこれはラッキーでした。
説明板には周囲の古墳分布も描かれていて古墳群をなしているようです。千金甲古墳は甲号だから本来なら千金・甲古墳で古墳群名が千金古墳群になるんでしょうけど、もう「千金甲」古墳でとおっているし説明板も千金甲古墳群となっていましたね。
果樹園内を通る道はそんなに狭くないから車を停めても特に問題はないけど転回するのにちと苦労します。甲乙号が国史跡、丙号は市史跡。

楢崎山古墳群

熊本県熊本市 2013年3月訪問

5-9号が市史跡

その1(5号)
横穴式石室
位置:32°46′47″N 130°38′18″E (日本測地系)
    32.78309571 130.63600293(世界測地系)
墳丘


上部を失った石室露出


羨道?


板石小口積みの玄室


奥壁


左側壁


右側壁、上部は普通の割石か


玄門奥から


大変狭い通路上になっている、奥の板石は扉石か閉塞石か


通路部分を上から、上が玄室側、板石が非常に薄いのが分かる


その3
墳丘、石室は確認できず


(見学記)
熊本市西区小島8丁目、千金甲古墳の説明板に載っていたので帰り道でもあるので寄ってみました。丘陵から突き出た小丘陵上に分布する古墳群で5-9号が市史跡となっています。墳丘らしきものを見つけたのは3基だけ、その内の1基で基部が残る石室を見ることが出来ました。玄室は3m四方くらいで薄い平石小口積み、特徴的なのは玄門部で羨道を狭めて板石を使って狭い通路状にしていてやはり板状の閉塞石か扉石も残っています。竪穴系横口式石室の可能性もあるかな。それにしても通路の幅は25cmくらい、ここからどうやって遺体を運び入れたんだろ。1基だけでしたがそれ程期待して行かなかっただけに珍しいのが見られて満足でした。

横山古墳

熊本県熊本市(旧植木町)2002年4月訪問

前方後円墳、TL39
装飾横穴式石室
位置:32°59′39″N130°40′21″E (日本測地系)
    32.99752095 130.67016368(世界測地系)

玄室、石屋形、石屋形左側に僅かに円文が見える、墳丘は消滅、石室を装飾古墳館に移築公開


発掘時の石屋形、石室図(説明板より)天井部は消滅していた


(見学記)
全長40mの前方後円墳だが墳丘は消滅、石室が鹿央町の岩原古墳群の側に移築保存されている。石室は石屋形のある肥後型だが発掘当時既に天井部は失われていた。現在装飾古墳館の開館日に公開されていて、玄室をガラス越しに見ることができる。石屋形の前面に僅かに円文が確認できる。前方後円墳の墳丘も復元されているがコンクリート製で写真を撮る気が全くおこらなかった。
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