石貫ナギノ横穴群

熊本県玉名市 2002年4月訪問、15年3月再訪

48基、装飾横穴15基
位置:32°58′00″N 130°33′54″E (日本測地系)
    32.96807808 130.5643377(世界測地系)

(2015年)
公開日の様子、人と比較すると横穴の大きさが分かる


横方向に点々と並ぶ


石屋形を持つ横穴も幾つかある


その1
開口部、左側にももう1基ある


奥に石屋形が掘り込まれている、屋根下部に彫り込みがある


その2
あまり額縁のない開口部


内部はドーム状、奥壁側壁上部に小さな段差


その3
左その3、右その4


その4(6号)
開口部は多重額縁、右下にも崩壊した横穴がある


上部に赤い円文や円環


左側に2重円文、円以外のもありそう


その5(8号)
多重額縁の開口部、左側の四角い穴は後世のものか


上部に赤い円文、2重円文、ナイフで切ったような彫り込み


内部に石屋形、左右に屍床


左側に太刀の浮き彫り、屋根にもT字状の彫り込みがある


左側


右側、三角状のものは何でしょう


奥から外、左右屍床に段差がある


その6(9号)
開口部、一部崩落


内部に石屋形、こちらは平屋根、左右に軒のような張り出しがある


その7
左7、右8、7は奥しか残っていない


その8(12号)
こちらも奥しか残っていないが見事な石屋形が残る


石屋形右側に太刀の浮き彫り


その9
左9、右10、共にかなり崩落


平屋根の石屋形がかろうじて残る


その10
側壁の一部残存、左が玄室なら複室構造でしょうか


その11
多重額縁、頂部が尖っているのが他と違う


その12
左12、右13、内部に石屋形があるようだ


その13
左13、右14


重厚な石屋形が残る、崖面が割れて一体構造の屋根も割れている


その14
平屋根型の石屋形


その15
左から15、16、17


その17
四角い開口部、開口部は四角系、丸系、尖り系があるようだ


その18
左から17、18、19


ここも四角系、上が寸詰まり


その19
2重程度の額縁が普通


左側に赤い顔料が残る、2重円文もあるかな


その20
左から19、20、21、20はそんな上にしなくても間に十分余裕がありそうだけどね


上部は尖り系、確認出来たのは2基だけ


その21(38号)
3重額縁、豪華そうで内部も見てみたいな


その26
左26、右27


その27
上部に赤い円環が残っている


装飾拡大


その28
右に僅かに赤い顔料が残るかな


その32
もう内部を覗くのも面倒になっている


その33
四角くシンプルな開口部


仕切り左右が持ち上がっているので屋根のない石屋形なんでしょうか、左右に屍床があるが礫は当時のものなのかな


(2002年)
左から8-12号



8号
正面、上部に赤い円文が見える


玄室奥に彫り込まれた屋形、左側に太刀の浮き彫りが見える


9号
正面


屋形の屋根の形が違っている、左右に死床がある


12号
前面が崩壊、奥の屋形がよく分かる


38号
正面


見学記
(2015年)
ここも序でなので寄ってみました。川沿いの東向きの崖南北250mにわたって45基が分布しています、6,8号で装飾が見られる(玉名市HPによる)。ほぼ横に並び上下方向にあることはないので見学しやすいがそれでも高い場所にあって内部が覗けないのも結構あります。内部に屍床があるのは普通ですが奥側に石屋形が彫られているのも幾つもあります。普通の屋根風と平屋根風と2種類あるようです。入り口手前に大きな説明板があってそれに良好な横穴が2基写真で載っていたのですが北の方にあるようで辿りつけませんでした。説明板辺りに駐車可。
横穴群は基本的にあまり好きでない。理由の一つが群中の数が多すぎる、しかもあればあるだけ全部見たくなる性格だから我ながら困る(汗)。内部の構造も群中では同じような構造も多く見ていてだんだん飽きてくる。写真を撮るにしても今はデジタルだから枚数に困ることはないがフィルム時代だとフィルムが幾らあっても足りやしない。もう一つは古墳の番号が分からないことが殆ど、事前に調べていけばいいんだろうけど現地ではまず番号が分かりません。番号がないと後で整理しづらくなってしまう。これは群集墳でも同じですけどね。

(2002年)
大坊古墳から西側の県道4号に出て川沿いの道を2,3km北上すると案内表示がある。川に面した東向きの崖面に48基の横穴が並び、内15基で入り口部分の円文や三角文、内部の太刀、弓矢、舟の浮き彫り等の装飾がある(浮き彫りで確認できたのは太刀だけだが)。面白いのは肥後型石室に見られる石屋形を掘り出して作っている横穴があること。横口式の石屋形と何ら変わらず左右にも死床があるなど共通点が多く、こうなると横穴と石室の違いは何だろうと思いますね。国史跡。

石貫穴観音横穴群

熊本県玉名市2002年4月訪問、15年3月再訪

石貫穴観音横穴群
5基
位置:32°57′58″N 130°33′55″E (日本測地系)
    32.9694668 130.56294887(世界測地系)
(2015年)
遠望、横穴によくある崖面でなく丘陵中腹に立地


拝殿背後に1-3号、右側4号、少し離れて5号


分布図と装飾(説明板より)


1号
拝殿背後の1-3号


開口部の状態は1号が一番いい、円文の痕跡が見えているようだ


奥に石屋形、左右に屍床、左右壁中段に熊本の横穴に見られる段差がある


奥から外、入り口は丸みを帯びる、左右屍床の仕切りも鋭く彫られている


2号
入口正面、他と比べて豪華です


装飾はよく確認出来ない、開口部は四角


右上に扉石用の軸受けや穴


左下にも同様の穴がある


奥に石屋形、屋根に軒丸瓦のような円形突起がある、奥壁に観音像浮き彫りがあるが撮り忘れた


左側屍床、屋根があるのが珍しい


右側屍床にも屋根がある


石屋形屋根部分


奥から外、石屋形ほど複雑ではない


3号
左3号、右4号


開口部、右側には段差があるが左にはない


開口部正面、僅かに色が残っているかな


奥に石屋形、左右に屍床と1号とよく似た構造


右側屍床


左側屍床


奥から外、入り口も丸みを帯びる、左右の仕切り部分が1号より複雑になっている


4号
開口部は四角系、3号と同様右に段差があるが左にはない


奥と左右に屍床、1-3号に比べてずっと簡略化


奥から外、開口部分も簡略化


5号
入り口正面、はっきり四角くなっている


内部は更に簡略、奥に屍床がない


奥から外、左右屍床の仕切り石はあるような


(2002年)
本尊と左右の脇侍仏のように並ぶ


1号
正面、刳り抜きが見事


内部、屋形はやや簡略化、左右に死床があるのは皆共通


2号
正面、入り口左側に閉塞扉の軸受けを、はめ込む穴が上下に穿たれている


複雑さの極致に至った内部、寺院の屋根軒先を模した屋形、奥壁には千手観音浮き彫りがある、石仏は後世のもの、左右の屍床にも短いながらも屋根が付く


千手観音浮き彫り拡大


奥左側、複雑に彫り込まれている様子が分かる


3号
正面、赤い色が残る


内部、屋形はかなり簡略され殆ど浮き彫りだけ、左右の屍床のへりはゴンドラ風


奥から外、天井は屋根状、屍床の縁と入り口の浮き彫りが一体化している


4号
3基よりやや右手に離れてある、正面は簡単な構造


内部も他と比べて簡単な構造、奥と左右に屍床がある基本的なタイプ


(見学記)

ナギノ横穴群北西300m、南面する崖に開いた横穴群で数は5基と少ないですが主墳と言うべき穴観音古墳の内部の複雑さには驚かされます。奥に屋形、左右に屍床は他と共通ですが屋形の屋根部分は丸瓦が掘り出されていてまるで寺院の屋根の軒先の様、屋形の奥壁にも千手観音が浮き彫りされていて仏教の影響が色濃く出ています。左右の屍床にも短いながらも屋根が付くなどこれらが全て刳り抜きで作られているのだからその複雑さには驚かされます。また入り口には扉石の軸受けをはめ込む窪みがあります。仏教の影響という観点から見れば左右に並ぶ横穴もまるで本尊の両脇に立つ脇侍仏といった感じですね。横穴群はあまり好みではなかったのですがここと言い、ナギノ横穴群と言い、これ程複雑だと面白いですね。国史跡。

永安寺東・永安寺西古墳

熊本県玉名市 2002年4月訪問、15年3月再訪

円墳、6C後半
装飾複室石室
位置:32°56′54″N 130°34′46″E (日本測地系)
    32.95169094 130.57711535(世界測地系)
(2015年)
永安寺東古墳
復元整備された墳丘、手前が東、奥が西古墳


西から見ると大分削られているようだ


背後から、丘陵麓斜面を利用して立地


正面から、入り口のデザインをもっと考えてくれ~


複室石室をガラス越しに見学、これは綺麗に見えている


玄門左袖に連続三角文、側壁に円文


右側も同様、上部に2重円文、白い汚れはクリーニングされたようだ


玄室の石屋形


永安寺西古墳
円墳、R12,H4
複室装飾石室
半球形に復元された墳丘、石室は公開されず


(2002年)
永安寺東古墳
手前が東、奥が西古墳、石室整備中なのかシートがかかっていた


玄門、玄室、袖石に三角文、玄室奥には石屋形がある


前室右側、鮮やかな円文や三角文


前室左側、こちらはやや薄い


石室図(説明板より)


永安寺西古墳
石室正面


(見学記)
(2015年)
玉名市玉名、装飾古墳公開にあわせて再訪、考えてみれば九州ではよくやってますが行くのは初めて。前回02年は修復作業中でしたがどちらも墳丘がすっかり修復されています。東古墳はまだしも西古墳は墳丘を半球形に復元して出入り口を付けるというあまり見たくない姿、そちらは何故か公開されていません。装飾はガラス越しに見学、玄門袖石の三角文は見やすいですが左右側壁の円文はちょっと見づらい。三角文も02年当時に比べれば色が薄くなっているような印象でした。前回訪問時に西古墳の石室写真も撮っているけどフィルム時代なのでデジタル化してないよ。国史跡。

(2002年)
装飾石室を持つ円墳が東西60m程離れて並んでいますが、02年5月現在石室調査中なのでしょうか墳丘にシートが掛かっていました、残念。せめてシートの隙間からでもと思って中を覗くと目の前に鮮やかな紅い円文や三角文が一面に!。殆ど初めてと言ってもいい生の壁画を見て感動しました。アップした写真より実物の方がもっと鮮やかな感じがします。それにしても前室や羨道が崩壊している状態で殆ど露出しているようなものですがよく残っていますね。中に器械や梯子が置かれていて何らかの調査が行われているのでしょうか。でも壁画部分にも風雨があたりそうでちょっと心配です。国史跡。

大坊古墳

熊本県玉名市 2002年4月訪問、15年3月再訪

前方後円墳
装飾複室石室
位置:32°56′44″N 130°34′21″E (日本測地系)
    32.94891335 130.57017163(世界測地系)

(2015年)
寺の背後に古墳がある、右の道から入っていく


建物裏にコンクリで固めた開口部


石室図(説明板より)


石室はガラス越しに見学、右側は羨道でしょうか


石屋形の赤い三角文、青い色もあるはずだが分かりづらい


(2002年)
後円部背後、反対側に石室が開口(閉鎖)


石室図(説明板より)


(見学記)
(2015年)
永安寺南西400m程、こちらも装飾古墳公開にあわせて再訪、こちらもすっかりコンクリートで固められている。こちらもガラス越しに見学、複室石室で奥壁沿いに石屋形がありその奥壁に彩色装飾がある。でも内側に水滴がついていて模様がよく見えません。連続三角模様だということはわかるんですけどね。なお一部の地図に載っていますが何故か古墳跡となっている、コフニスト的にはまだ十分現役なんですけどね(笑)。国史跡。

(2002年)
光徳寺西側にあるがちょっと分かりにくいかもしれない。装飾石室を持つが保護施設で閉鎖、見学できない。背後の山側から見ると前方後円墳と分かる。国史跡。

小路古墳

熊本県玉名市 2002年4月訪問、15年3月再訪

円墳、R10,H1.5、6C末
横穴式石室(移築)、全長5m、玄室長2.25m
家形石棺
位置:32°56′57″N 130°34′57″E (日本測地系)
    32.95252422 130.58017065(世界測地系)

(2015年)
民家裏に大きな看板が見えている


移築された石室基部、樹木が育った見づらくなっている


石室正面、短い羨道も残っているようだ


玄室は左右に屍床がある


奥壁に沿って家形石棺見がある、身に段差がついた印籠式


太く短い縄掛突起


反対側も同様


奥から外、両袖式だが左が樹木で隠れている、奥の方が広がっているようだ


薄い板石を使った袖石


(2002年)
下部しか残っていない石室


奥に石棺、左右に死床がある


蓋は残っていないが印籠式の合わせ口がわかる


(見学記)
(2015年)
永安寺の手前に案内があったので行ってみました。ここも上部を失った石室ということは覚えていたけど民家の裏だったのね。現在石室内にヒサカキが何本も生えて石室が見づらくなっています。大きくなる前に伐採してほしいな。前回訪問時の写真を見てみたら既にヒサカキが生え始めています。その後草刈り程度であまり手入れしてないんだろうな。ちなみに読みは”しょうじ”でした。市史跡。

(2002年)
永安寺古墳を探しに行く途中で当古墳の案内表示を見つけた。入り組んだ道で分かりにくいが要所要所に案内が出ている。ただ最後の場所で分からずキョロキョロしているとあまり犬が吠え立てるので家の人が出てきたのを幸い教えてもらった。古墳はその家の背後にあるが墳丘はなく石室も残存していた下部を移築したものです。奥壁に沿って家形石棺があり蓋は無くなっていますが縄掛け突起や印籠式の合わせ口がよく分かります。左右に死床があるのもこの地域でよく見かけるタイプです。市史跡。

妙修寺古墳

熊本県玉名市 2002年4月訪問、15年3月再訪

箱式石棺
位置:32°56′48″N 130°34′30″E (日本測地系)
    130.58739432 130.57267135(世界測地系)

(2015年)
墓地の中に説明板、説明板自体は変わりないが覆い屋がつけられているような


箱式石棺が2基、右のは分かるが左のは見落とすかも


側板は1枚でしょうか、天井石1枚残存


薄いですが小口部の石も残っているかな


もう一方は蓋石だけ、本体は埋まっているんでしょうか


(2002年)
説明板前と左側墓の前に2基


(見学記)
(2015年)
永安寺と大坊古墳の間に案内表柱が立っていたので行ってみました。墓地の中にある殆ど埋まった箱式石棺ということは覚えていたけど2基あったことはすっかり忘れていた。古い写真と比べると説明板は前のとは変わりないようですが覆い屋が架けられています、本体でなく説明板に覆い屋とは珍しい。市史跡。

(2002年)
ここも大坊古墳を探す途中で間違えて別の寺に入って偶然見つけた。寺の裏山の墓地の中に2基の箱式石棺があります。説明板が立っているがこれがなければ分からないかもしれない。市史跡。

経塚・大塚古墳群

熊本県玉名市(旧天水町)2013年3月訪問

4基

大塚古墳
前方後円墳?
位置:32°52′09″N 130°35′36″E (日本測地系)
    32.87253151 130.59100519(世界測地系)
群中最大


耕作のせいか階段状になっている


前方後円墳の可能性があるそうで右側神社辺りが前方部か


経塚古墳
円墳
刳抜式家形石棺
位置:32°52′15″N 130°35′22″E (日本測地系)
    32.87419798 130.58711655(世界測地系)
小塚古墳からの遠望


経塚西古墳からの遠望、やはり階段状になっている


麓から、頂部に家形石棺覆屋


整備な家形石棺、身と蓋に巨大な縄掛け突起、蓋石の幅に比して背が高い


反対側も縄掛け突起、合わせ目や外側にも赤い色が残る


蓋や身の側面に溝が彫られている


棺内部も真っ赤っ赤、石枕が彫られている、隙間が狭くてカメラが中に入らず


経塚西古墳
円墳
位置:32°52′13″N 130°35′13″E (日本測地系)
    32.87364243 130.58461676(世界測地系)
小塚古墳からの遠望、丘陵低い位置に立地


ここも階段状になった墳丘が残る


一部削られている


小塚古墳
円墳
位置:32°52′13″N 130°35′23″E (日本測地系)
    32.87364247 130.58739432(世界測地系)

経塚から道路を挟んだ南側


墳丘南側から


経塚からの遠望


(見学記)
天水町部田見、低い丘陵上にある4基の大型円墳からなります。普通なら古墳群名は地名などからとられますがここは古墳名がそのまま古墳群名になってますね。低い丘陵だけど南側平野が一望できる絶好の場所です。西から丘陵に上っていくと平坦になった辺りに小塚古墳があります。小塚と言っても結構大きい。道路を挟んだ北側に経塚があり更に大きな墳丘です。墳頂に舟形石棺があり簡単な覆い屋で保存されています。殆ど破壊されず良好、内部が覗けますが赤く塗られています。片側に石枕がありますが少し高くなっている程度です。東側300mに大塚古墳、群中最大、前方後円墳の可能性があるそうですが神社が建っている辺りが前方部でしょうか。経塚から西の方を見ると少し低い位置に古墳が見えていてこれが経塚西古墳です。規模は一番小さいかな。4基とも背の高い墳丘が残っていますが耕作で階段状に変形しています。大塚側に広い駐車スペースあり。県史跡。7

弁財天古墳

熊本県玉名市(旧岱明町)2013年3月訪問

35×27m(現状)、H7
横穴式石室
家形石棺
位置:32°54′19″N 130°31′17″E (日本測地系)
    32.90863803 130.51906529(世界測地系)

低い丘陵上に残る墳丘


石室は上の方にある


石室は祠として利用、内部は見学しにくい


安山岩割石小口積みの石室


竪穴ではなく持ち送りした横穴式石室


割れていますが整備な家形石棺が残る、蓋石は凝灰岩、身は砂岩製板石4枚で構成


(見学記)
岱明町高道、低い丘陵上の住宅地の中、高道郵便局の東100m程の所にあります。背の高い大きな墳丘が残っていますがこれ全体が古墳なんでしょうか。上に上ると小さな墳丘があり南側に石室の一部が祠代わりに使われて開口しています。全体像は分かりにくいですが安山岩割石を小口積みにした横穴石室、更に砂岩板石4枚で棺身を作り(確認できず)その上に凝灰岩製家形石棺蓋石があり縄掛け突起を持っています。これは半分に割れているようですが何とか見ることが出来ます。それぞれ用途に合わせて石材を違えて使ったんでしょうか。それにしても弁財天は何処にいるんだ。

大原箱式石棺群

熊本県玉名市(旧岱明町)2013年3月訪問

11基(移築)
位置:32°54′44″N 130°30′53″E (日本測地系)
     32.91558247 130.5123978(世界測地系)

全景:岱明町公民館に移築保存、標柱があるが文字が消えてどれが何号か分かりません


その1
小型石棺、子供用でしょうか


その2
標準的な大きさ、左がその1


その3
小型石棺、内部の石は石枕でしょうか


その4
草に埋もれてます


その5
手前のは蓋石でしょうか


内部に平石、敷石か石枕か


その6
これも小型、小口の板石が薄い


その7
小口の板石が随分はみ出ている


その8
薄い板石で構成


反対側から


その9
小型の割に石材が厚い


その10
左がその9、右がどうも9号らしい、線刻があるそうだが分からず


その11
草が茂って全般に保存状況も良くない


(見学記)
岱明町中土、岱明町公民館に11基が移築保存されていますが露天のため草茫々番号をかかれた札も無くなっています。石棺は大人用の長いのや子供や乳児用の小さなのもあります。2基で内部に石が敷かれています(石枕だそうだ)。9号で板石に線刻があるそうですがどれが9号か分からない。石枕があるそうなので石が敷かれている2基を見てみましたがよく分かりませんでした。広い駐車場有り。
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