熊本県八代市 2014年3月訪問
3基、2号は不明
遠望:かっては島だった丘陵上に立地、登るのは非常に困難
1号竪穴式石室
位置:32°28′45″N 130°34′31″E (日本測地系)
32.48256249 130.57296253(世界測地系)
竪穴石室の天井部露出開口

開口部から見た内部(掃除後)、薄い板石を使った箱式石棺、左に破壊された蓋石、石室下部は板石で囲む

良好に残る竪穴石室

入室して撮影、赤い顔料が残る

〃(縦位置)

持ち送りされた石室上部、天井石

4枚目と反対側、石棺蓋石の一部が残る

南側側壁

北側側壁、上部の方が石材がやや大きいような
3号箱式石棺
板石を使った箱式石棺が露出

蓋石が割られ半分残っている

石棺上から

北側側壁材に円文線刻3、右下のは撮影時には気がつかなかった

上側二つの円文、真円ではないな、南側側壁にも円文があるそうだ

蓋石には側壁材に嵌め込む溝がある
見学記八代市鼠蔵町、球磨川河口に当時は島だった小丘が2つあり北側のを小鼠蔵(こそぞう)南側のを大鼠蔵(おおそぞう)と言います。この頂部にある古墳群です。県内だけではない全国的にみても行くのが困難な古墳群の一つです。場所が分かりにくいなら初めからパスする手もあるけど場所はすぐ分かるしな、しかも特異な石室が開口しているから行かないわけにはいかないしな。何処でもそうですが行くときは自己責任でお願いします。頂部のほぼ中央にあるのが1号、竪穴石室で天井側が開口しています。小口積みなのは竪穴らしいですが長さはそれ程なくむしろ横穴石室に近い感じです。内部に板石で構成された箱式石棺がど真ん中に鎮座、蓋石が割られて一部残っている(これが中に入る時の足場になる)。壁面周囲も板石で囲われている、これは明らかに基部の石でなく囲いの為の石ですね。西端に3号があって箱式石棺が露出、やはり板石で構成されていますが1号に比べて板石が厚い。蓋石は割れて内部に落ちてますが下面に浅い溝が彫られ身の部分に嵌め込むようになっています。身の内側に円文線刻があります、鏡の代用でしょうか。3個あるそうだが2個しか確認できず。反対側にもあるそうですが蓋石の陰になっています。東端にも僅かな高まりがあってこれが2号なのかな。低い丘だけど登るのが大変、痕跡道さえありません。それ以前に登り口を探すすのも大変、南側に廃屋があり隣の家との境辺りから登り始めます。初めこそ痕跡道がありましたがすぐ消えて後は覚悟を決めてジャノヒゲが生えている急斜面を直登、ジャノヒゲの葉を鷲掴みにして何とか登れました。軍手必至です。ただ国土地理院の地図を見ると上は果樹園になっていて実際それらしき樹木も植えられていて長い梯子も残っていました。さすがに上で作業するには山道が必要だろう、もうやってはないようだけど何処かに道が残っているかもしれないな。登りも大変だけど下りも大変、降りる最中にデジカメがケースごと転がり落ちて大慌て、止まれと念じて何とか見える範囲で止まってくれたけどあんなとこで行方不明になったら大事だった(大汗)。苦労はするけどその甲斐のある古墳群でした。廃屋敷地内に駐車可。市史跡。
地形図で測定してみると麓と頂上との比高は約25m水平距離は約50m、平均斜度は26,7度なんですね、45度にも達してないんだ。人間の目には殆ど垂直の崖に見えるけどね。