行西古墳群

熊本県八代市 2015年3月訪問

鬼の岩屋式石室4基

1号
横穴式石室、全長4.8m、玄室長3.4,幅2.1,高1.8m
位置:32°31′47″N 130°40′14″E (日本測地系)
    32.53311876 130.6682337(世界測地系)
民家の間の空き地にありやや分かりにくい


鬼の岩屋式石室完全露出


羨道、玄門袖石


巨石板石で構成された玄室


左側壁


右側壁


奥から見た袖部


外観、中高式の天井、隙間の泥は多分ドロバチの仲間の巣


奥壁背後から、高さの割に幅が広い


_8と反対側、天井石は多少動いているかも


2号
複室横穴式石室、前室長1.5,幅1.6,高1.5、後室長4.1,幅1.6,高1.6m
位置:32°31′48″N 130°40′17″E (日本測地系)
    32.53339656 130.66906697(世界測地系)
民家敷地内にあり非常に分かりにくい、天井石は1枚のみ残存


前室正面、後ろに下がれません


玄門袖石、両袖式


玄室、側壁奥壁は1枚石で構成


奥から外


前室奥から、反対側も袖石があったかも


前室側壁と袖石


玄門袖石


玄門袖石奥からと前室袖石


3号
横穴式石室、玄室長4.78,幅1.5,高2.45m
位置:32°31′47″N 130°40′18″E (日本測地系)
    32.53311882 130.66934474(世界測地系)
民家敷地内、これが一番分かりやすく最初に見つけた、この上方藪の中に4号があるが見学困難


石室正面、右袖石が残る


外観、中高式天井、隙間部分に残っている四角い石はひょっとして袖石かも


斜め後方から


同じく斜め後方から


玄室、各面が割と整えられている


左側壁


右側壁奥から、隙間の石は当時のでしょうか、鬼の岩屋式で隙間石が残っているのは初めてみました


奥から外、やはり右にも会ったと思うほうが自然かな


見学記
岡町中、如見2号から更に進むと次の住宅街がありここに3基の石室がありどれも完全露出状態です。3号が一番分かりやすいでしょうか、行西観音堂の北東側民家背後にあり道路からも見えています。やはり鬼の岩屋式石室で天井石は3枚中高式です。玄門左側に袖石がありますが外側にも長方形の板石がありこれも袖石だったのかもしれません。鬼の岩屋式石室は隙間が多いですがここでは隙間を埋める石が一部で残っています。家の方に聞くと東側に4号があるそうですが藪の中で見学不可だそうです。観音堂前の道を西に行き工務店前の空き地奥に1号があります。やはり鬼の岩屋式で天井は3枚中高式入り口に袖石が一つ残っています。隙間に土が充填されているように見えますがこれは当時のではなくドロバチの巣でしょう。2号は3号の道路を挟んだ北側にありますがこれが一番分かりにくい。道路からは奥の方にある標柱が見えるだけです。建物の陰に隠れるように石室露出、ここも鬼の岩屋式で天井石は1枚しか残っていませんが複室構造で袖石や前室後室が残っています。序だから谷川古墳群から歩いてきましたがこちらは道路も広いので車で来ても問題ないかも。市史跡。

山口古墳群

熊本県八代市 2015年3月訪問

1号
横穴式石室
位置:32°31′44″N 130°40′16″E (日本測地系)
    32.53228552 130.66878924(世界測地系)
道路脇に巨石露出、奥壁かな


左上のが天井石か、藪が酷くて石室とは見えない


2号
横穴式石室
位置:32°31′46″N 130°40′16″E (日本測地系)
    32.53284104 130.66878923(世界測地系)
民家敷地内に巨石が残る、側壁か、所有者には古墳ではないと言われましたが


見学記
行西1号南側の民家敷地内に石材が立っています、2号の側壁かな。家の方の話だと単に庭石だよと言われてしまった。如見2号から50m程のT字路に大きな石材が露出これが1号のようです。OBITOさんのサイトでは天井石も見えていますがこの時は僅かに見えた程度、とても石室だと分かるような状態ではありませんでした。

谷川古墳群

熊本県八代市 2015年3月訪問

鬼の岩屋式石室3基

1号
横穴式石室、全長4.6,玄室幅2.1,高1.5m
位置:32°31′39″N 130°40′02″E (日本測地系)
    32.53089652 130.66490064(世界測地系)
民家庭に完全露出した石室保存


右側面、側壁2枚


左側面も側壁2枚


天井石は3枚で中間の1枚が高くなる中高式


外から見た奥壁


石室内部


巨石の奥壁、でも構成している石材の中では最小


奥から見た側壁、大きな隙間はどうやって埋めていたんでしょうね、右側の側壁はよく倒れず残ったもんだ


反対側側壁、表面が剥落気味


2号
横穴式石室、玄室長5.75,幅2.2,高1.7m
位置:32°31′38″N 130°40′03″E (日本測地系)
    32.53061878 130.66517841(世界測地系)
こちらも民家敷地内にある


同じく完全露出した石室


開口部正面じゃなくてこちらが奥壁側、石室内部に奥壁が倒れている


真横から、こちらも中高式天井


奥から見た石室内部、中高式の様子がよく分かる


奥から見た側壁、すこぶる巨石


反対側、こちらも負けず劣らず巨石


こちらが本来の開口部、日当たりが良いせいか植物繁茂


石室内部、トンネル状


見学記
岡町谷川、国道3号と九州高速道の間、龍峯小学校西側にある古い住宅街の中にある古墳群で3基からなりどれも石室が完全露出しています。とにかく道が狭い、岡町谷川公民館前に駐車できますがここに至る道路が狭いので日曜日ということもあり小学校側の郵便局に止めて歩いて行きました。ここにも案内があるし距離的にも大した違いはありません。郵便局脇に2号の案内があるので細い道を北に行き100m程でT字路になるのでそこを西に行くと民家庭先に1号、鬼の岩屋式石室で鬼の岩屋1号よりずっと大きい。天井石は3枚ですが中間の2枚目が1,3枚目の上にあり中高式になっています。この後も鬼の岩屋式を幾つも見てきましたが大抵は同様の中高式でしたね。前の場所に戻り東に行くと2号の標柱が立っていて敷地奥にあります。ここも鬼の岩屋式石室完全露出、玄室長5.75mでやはり中高式、残念ながら奥壁が玄室内に倒れています。近くに3号があるはずですが近所の方に聞いてみたらもうないとのこと。でも標柱には3号を過去形では書いてなかったし地元の方が必ずしも性格な情報を持っているとは限らないからな(そもそも古墳と認識していないことも多いし)。

如見2号

熊本県八代市 2015年3月訪問

複室石室、高室長4.2,幅2,高1.5m
位置:32°31′41″N 130°40′15″E (日本測地系)
    32.53145224 130.66851151(世界測地系)

門前公民館東側に案内板、右の清水古墳はかなり探すも分からず、距離を書いてくれ~


こちらは1本道ですぐ分かる、左手前に石材がずり落ちている


石室前部崩壊、上に大木が生えて不安定


手前が前室でしょうか、天井石が切石状


横下から見上げると更に悪い状況


これは天井石でしょうか、玄門を塞いでいる


奥壁、手前の側壁は壊失


右側壁、奥壁、傾いた天井石も切石状


見学記
谷川公民館から小川沿いを登って行くと如見2号の案内表示があります(清水古墳の案内もあるが探すも分からず)。ここを曲がって高速沿いに細道を200m程行くと(途中に名水湧き水)標柱が立っていて斜面に石室が露出しています。巨石で構成されていますが側壁が落下、天井石も玄室内に落ち込むなど状態はよくありません。石室の上に大木が生えていて大丈夫かいな。石室入り口には祠が祀られています。市史跡。

門前古墳群

熊本県八代市 2015年3月訪問

1号
前方後円墳
位置:32°31′38″N 130°40′08″E (日本測地系)
    32.53061886 130.66656721(世界測地系)
公民館北側で偶々見つけた標柱、高まりが残っているが現代の盛り土か


側面は無理矢理前方後円墳に見えるかも


2号
円墳
位置:32°31′37″N 130°40′08″E (日本測地系)
    32.5303411 130.66656722(世界測地系)
(装飾石材位置)
古墳消滅、標柱が立っているのみ


公民館前に出土石材保存、溝が彫られ円文が3つある


線刻というより浮き彫りと言った感じ、間が直線で結ばれあまり見ないデザイン


上2つが左側、下が右側の円文


(追記)この年夏の台風で石材が倒れ真っ二つに割れました。現在倉庫入りして見学は出来ません

見学記
公民館前に2号から出土した石材が展示されています。明治時代に出土し川の護岸石材として利用されていたとか。二重円文が3つ浮彫りされていますが石材自体も線刻もよく残ったものだ。板石を嵌めこむ溝があるから石棺材底石なんでしょうか。でも底石に線刻なんてあまり聞いたことないな。現在戸外展示一応屋根がありますが砂岩製だし雨はかかるし大丈夫かいな。公民館背後に1,2号がありますが標柱が立っている程度で墳丘はもうよく分かりません。公民館前に駐車可。

鬼の岩屋古墳群

熊本県八代市 2015年3月訪問

5基、1,5号現存、2,3号消滅、4号は状態悪い

1号
横穴式石室
位置:32°30′02″N 130°38′46″E (日本測地系)
    32.50395292 130.64379075(世界測地系)
鬼の岩屋式石室が完全露出、画面を切り取っているので特に違和感はないですが


場所は国道3号脇、車ディーラー側、よく保存してくれましたといったような場所


側壁2枚、天井石も2枚、手前の石も石室石材でしょうね


石室正面から


右側壁も2枚


奥壁背後から、左に大分隙間がある


石室内部、蔓の根が入り込んでいるのを見ると整備前は蔓植物に覆われていたんでしょうね


5号
横穴式石室
位置:32°30′07″N 130°38′49″E (日本測地系)
    32.50534174 130.64462408(世界測地系)
鬼の岩屋式石室を持つにしては珍しく墳丘が残る


板状の巨石が露出


側壁なのか天井石なのか


岩質が他と比べて大分違うように思える


見学記
上片町、1号が国道3号脇、自動車販売店側に保存されています。封土は完全流失石室完全露出、壁や天井が板石で構成された典型的な鬼の岩屋式石室です。しかしこんな場所でよく保存されたものだ。石室脇に駐車可。市史跡。
5号は1号北東150mオートバックス西側にありこの古墳群としては墳丘がよく残っています。道路側からは見えませんが反対側に行くと巨石板石が立ったような状態で露出、多分天井石と思われますがどうやったらこうなるんでしょうね。ここも鬼の岩屋式だと思われますが1号とは石材が随分違います。この時は接近できましたが墳丘周りが草茫々で近づけないこともあるようです。他に4号(状態悪い)があり2,3号は消滅。

鬼の岩屋虚空蔵古墳

熊本県八代市 2015年3月訪問

横穴式石室
位置:32°30′31″N 130°37′56″E (日本測地系)
    32.50395292 130.64379075(世界測地系)

住宅街の中に鬼の岩屋式石室保存


よくある石室を利用した祠のようですが違います


背後の側壁が本来の石室で南向き


石室石材を使って祠が作られている


側壁は原位置を保つ、祠を西向きにする必要があったのかな


見学記
長田町、鬼の岩屋1号から西に1km程離れていますが住宅街の中にあります。来福寺の向かい側ですが道路は狭い。ここも鬼の岩屋式石室が露出していますが石室石材を使って御堂を造りその上に更に現代の御堂を造って石仏を祀っています。御堂を構成する石材はどうも動かされているようでその背後の石材と少し離れた位置の石材が元の側壁のようでこれは原位置を保っているようです。御堂前に駐車可。市史跡。

五反田古墳

熊本県八代市 2015年3月訪問

石室
線刻円文4
位置:32°23′57″N 130°35′51″E (日本測地系)
    32.45256676 130.59518493(世界測地系)

民家庭に保存、挨拶をして見学


石室は下部しか残っていない


画面正面と左奥石材に円文がある


奥の円文、左側円文は一部欠けているのでその左側の石材は後世の物かも


側壁にも円文2


上が側壁、下が奥壁の円文、どちらも真円ではなくやや歪みがある


同じ庭にあった石材、側面に溝があるし古墳に関連したものなのかな


見学記
敷川内町、国道3号脇にある金剛小敷川内分校北側から細い道を入っていき線路を渡ると公民館があります。神社前の細い道を通って行くと民家敷地に五反田古墳の標柱が立っています。家の方に断って見学、基部しか残っていない石室とも思えないような石室、でも側壁には板状に加工された石が使われていて線刻の円文が幾つかあります。石材の表面が剥落しかけていますが線刻なので何とか残っていますが状態はあまりよくありません。奥の円文の内左側のは一部欠けているのでその左側石材は後世の物でしょうね。同じ庭に建てられた板状石材があり横に溝が彫られているけど古墳関連の石材なんででしょうか。公民館に駐車可。市史跡

大塚古墳群

熊本県八代市 2015年3月訪問

現存前方後円墳3基か

高取上の山古墳
前方後円墳
位置:32°30′07″N 130°38′42″E (日本測地系)
    32.50534162 130.64267968(世界測地系)
西側から、前方部残存


南側から、上に神社が鎮座、結構高い


茶臼山古墳
前方後円墳、R48,RH5.6
位置:32°30′21″N 130°37′56″E (日本測地系)
    32.50922942 130.62990222(世界測地系)
北側から、後円部残存、周囲の畑が周溝跡のように見える


近くの民家庭にあった巨石、石室石材かも


八代大塚古墳
前方後円墳、TL55.7,R28,RH8.9,FW43.1(現状)
位置:32°30′17″N 130°38′48″E (日本測地系)
    32.50811928 130.64434635(世界測地系)
1965年当時の航空写真(説明板より)


北側県道脇だけ整備


後円部に築成が見える、手前歩道色が濃くなっている部分が周溝を示す


東側から、くびれ部を水路が突き抜ける


南西側から、この辺りが前方部端のようだ


見学記
八代大塚古墳で検索してみると古墳群をなしているとは出てくるけど肝心の古墳群名が全く出てこない。前方後円墳集成では大塚古墳群となっていました。
八代大塚古墳
上片町、八代IC西側県道336号沿いにある前方後円墳です。県道側に見学や案内施設が出来ていますが古墳本体はまだ未整備の状態、くびれ部の下に水路が通るなど状態はあまり良くありません。案内施設を作るのならせめて2,3台分くらいでも駐車スペースが欲しかったな。県史跡。
茶臼山古墳
すぐ南側に茶臼山古墳、前方後円墳のようですが大きな背の高い後円部が残っているだけ。北側の畑が弧状になっていて周溝跡かもしれません。南側民家庭に板状巨石があったけどいかにも鬼の岩屋式石室に使えそうな石材でした。何処かの古墳で出土したのかもね。
高取上の山古墳
更に南側くおん幼稚園西側に高取上の山古墳があり上に熊野座神社が鎮座しています。前方後円墳で背の高い墳丘が残っているのでてっきりここが後円部かと思ったら前方部で後円部は消滅しているようです。石室の一部が露出しているそうですが確認し忘れた。

田川内古墳(田川内1号)

熊本県八代市 2015年3月訪問

円墳
肥後型石室、玄室長2.4,幅2.3,高1.96m
線刻円文、2重円文多数
位置:32°23′20″N 130°35′22″E (日本測地系)
    32.39229505 130.58713307(世界測地系)

丘陵麓近くに立地、細長い墳丘は殆ど保存の為の盛り土


入り口閉鎖、下の家で鍵を借りられる、留守のこともあるので運次第


中に入ると羨道ではなく単なる通路、画面右下に見えているのが3号(所在不明)から出土した石材、線刻円文(画面左下)があるが円がやや歪、その奥の石材は全く不明


奥の扉を開けると短い羨道、左右上とも板石で構成され通路状になっている


玄室前に2重Uの字状繰り込みが入った石障、2重円文があり赤い顔料も残っている


石屋形を備えた玄室、こちらも赤い顔料が残る


平石を持ち送りにし最上部は更に繰り出してドーム状にしている


石屋形、左右に板石で区画した屍床、円文があるのだがストロボで撮ると殆ど分からない


右側屍床


左側屍床、石材が傾いている


奥から外、石障は巨大な1枚石


石障右側


懐中電灯の光で撮った2重円文


石障左側、こちらも2重円文があるのだが


右側壁、原画だと2重円文が何とか分かるのですが


石屋形下方、手前の石材も浅い繰り込みがある


石屋形右側、複雑に組み合わせた石材


〃左側、左側壁は剥落が著しい


2重円文の数々、どれも真円ではありません


見学記
日奈久新田町、国道3号から踏切を渡ってすぐに公民館がありそこに案内表示があります。向かい側の民家で鍵が借りられます。天満宮の前に細長い墳丘があり長い石室があるんだなと思いましたが扉を開けて見るとそこはほとんど通路でした。でも石室前は普通に石室の開口部みたいな石材だしこれはなんだろ。通路の奥にもう一つの扉があリその奥に本物の石室があります。板石で通路状に造られた玄門、そこに凹状の平石石があり二重円文が浮き彫り、その先の玄室が肥後型石室です。奥に石屋形、左右には板石で区画された石障、石室上部は小口積み持ち送りですがそれ程背は高くありません。壁面や石屋形には赤い顔料が残っていて今でも十分赤く見えます。石屋形や石障などいたる所に二重円文がありますがそれ以外はないというのも不思議です。通路には板石がありますが2号や3号の石材だそうで一つで円文線刻が見えています。石室自体は小型ですが見応えあり、もう2度と来ないだろうと思うと撮り忘れがないかとつい後ろ髪を引かれてしまいます。初め来た時は家の方が留守、他の古墳を廻ってもう一度来たら帰っていました、粘り勝ちだな。読みは”たのかわち”です。公民館に駐車可。県史跡。
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