鍋田横穴群

熊本県山鹿市 2002年4月訪問、15年3月再訪

61基、10基で浮き彫り装飾がある

(2015年)
国道沿いに横穴開口


左から6、7、8号、7号は左向きで正面を向いていない


左から12、13、14号


8号左側に浮き彫りがある


左が盾で右が靭、その間が弓、右上にも人物像浮き彫りがあります


12号、右側に浮き彫りが見える、盾だそうです


14号、靭の浮き彫りがある


(2002年)




27号
位置:33°00′59″N 130°40′25″E (日本測地系)
    33.01974107 130.6712741(世界測地系)
左側に浮き彫り装飾がある、強化用のセメントが流れ出し汚れているのが残念


浮き彫り装飾、人物や靭


36号
奥と左右に死床がある


(見学記)
(2015年)
次の場所に行く途中で全く予期せず前を通りかかりました。一度訪問しているけどせっかくなので道路に面した場所だけを超高速で撮影、帰ってから前のと比較してみると全く写していない場所だった、浮き彫りの装飾も撮れていてラッキー。でもこちらの方が余程目立つのに前回はなんで見逃したのかな。

(2002年)
岩田川が菊池川に合流する辺りの右岸の段丘崖面に分布しています。国の史跡だし一応公園になっていますがあまり整備されていない感じで説明板も不十分です。この横穴群で一番有名な27号は入ってすぐの所にあります。横穴のすぐ脇に人物や靭の浮き彫りがくっきり見えてます。ただ補強のセメントが流れ出して浮き彫りの部分を白く汚しているのが非常に残念。他に浮き彫りのある横穴が10基あるそうだがよく分からなかった。国史跡。

黄金塚古墳

熊本県山鹿市(旧菊鹿町)2014年3月訪問

円墳、6C後半
横穴式石室、玄室長2.2,幅1.8m(現地測定値)
ミニ石室
位置:33°00′25″N 130°47′39″E (日本測地系)
    33.01029901 130.79181913(世界測地系)

圃場整備で移築墳丘復元


墳丘正面、右側にミニ石室


羨道は手前がハの字状に開く、先端には大型石材


羨道右側壁、石材が揃い過ぎだけどオリジナルなのかな


反対側も同様、中間に立柱石が埋め込まれている


板状袖石の玄門


基部に大型石材、上部は割石持ち送りの肥後型石室


〃縦位置、持ち送りはそれ程強くない


天井は1枚石、それ程狭くはない


奥から外、両袖式、袖幅が極端に異なる、熊本県で時々見かけるけど左端が撮れてないな


石室前にミニ古墳


左手前の石が石室先端辺りでしょうか


開口部、比較のためシャーペンを置いてみた


石室内部、奥壁側壁天井とあるようだ


見学記
山鹿市菊鹿町松尾、城北小学校南東800m丘の上が圃場整備されて広い畑地帯になっており果樹園の一角に移築保存されました。下の方から上がっていくと復元された墳丘が目立ちます。石室は羨道玄室とも良好に残っていて羨道は入り口がハの字状に開き先端にやや大型の石材を据えています。玄室は袖石を立てた両袖式、ただ左右で幅が随分異なる。まぐさ石は羨道まで突き出ている。壁面は側壁奥壁とも基部に大型石材を据え上に小型の石材を積み上げたドーム状、天井部は楕円形の1枚石です。一番の特徴は羨道前に超小型の石室があること、小さいながらもちゃんとした作りです。嬰児でも葬ったんでしょうか。墳丘裾なんて削られることも多いからこういう小型石室があっても破壊されて残ることは極めて少ないんだろうな。移築のせいでしょうか史跡でなく市文化財となっています。道が広いので駐車問題なし。
初めナビに案内させたら丘陵東側下を通る県道に案内させられた。直線距離にしたらそちらの方が近いかもしれないけど場所を間違えたかと思ったぞ。おかげでさんざん歩かされた、なんとか見つかったからいいけどね。丘陵の上にある古墳を直接指示させるとこういうことが時々有り注意が必要。

陣ノ内古墳(穴天神古墳)

熊本県山鹿市(旧菊鹿町)2014年3月訪問

横穴式石室
位置:33°01′19″N 130°46′35″E (日本測地系)
    33.02529737 130.77404299(世界測地系)

丘陵端平坦面に立地、下から見た墳丘


丘陵側から、側に祠がある、左遠方に竜口横穴がある


横から、前半分が崩壊している


開口部正面、羨道壊失、板石巨石の袖石、入り口は狭い


基部に巨石を据えた玄室


上部を持ち送りした肥後型石室


右基部の石は奥壁より大きい


奥から外、両袖式、袖石もまぐさ石も加工度が大きい


1枚石の天井、それ程狭くはない


祠の脇に石棺が立てられている、浅い彫り込みがあり蓋石のようだ


屋根型というより直方体に近い、幅はあまりないがあの狭い玄門を通せたんでしょうか


見学記
山鹿市菊鹿町下永野、六郷小学校南500m辺り、川筋に面した大地縁辺に立地した古墳です。南向きに開口した石室は羨道壊失していますが巨石を使った玄室完存しています。凝灰岩切り石を据えた玄門は幅がかなり狭い、玄室は基部に巨石特に奥壁と右側壁がすこぶる巨石です。上部は持ち送りにしたドーム状天井石は1枚石です。墳丘背後に祠が有りその脇に家形石棺蓋石を利用した石碑が立っています。かなり細身ですがあの玄門を通れたかな。道も狭く場所も分かりにくいですが南側にある竜口横穴群から見ると真北に見えてます。祠脇に駐車可。

竜口横穴群

熊本県山鹿市(旧菊鹿町)2014年3月訪問

6基
位置:33°01′04″N 130°46′34″E (日本測地系)
    33.0211311 130.77376526(世界測地系)

小規模な横穴群、6基と書かれていたがもう少しあったような


横穴の中に標柱を立てることはないと思うが


一番状態の良かった横穴、表が額縁状


奥壁に屍床、奥行きは小さい


奥から外


横にトンネル、隣の横穴と繋がっています、堀跡などから当時の物と思われるが何の為


隣の横穴入り口、表側の彫り込みは丸みを帯びる


奥から外、下の幅が狭い


見学記
山鹿市菊鹿町木野、陣ノ内古墳南400m道路脇に6基開口した横穴群です(7基あるようにも見えるけど)。状態の良いのは3基だけ、内1基は上の方にあるが残りの2基が少し変わっている。横穴自体はそれ程特徴はないが隣の横穴とトンネルで繋がっているんですよ。密集しすぎて隣の壁に穴が開いたというのは時々見かけますがここは2mくらいの長さのトンネルになっています。掘り方からして当時のものだと思うけどこんなの初めて見たな(この後人吉市大村横穴墓群でも見かけた)。どんな役割があったんでしょうね。右側の横穴には奥壁に小さな段がついてます。屍床というには高すぎるし奥行きもないし何か供え物でも置いたのでしょうか。しかしいくら状態が悪いとはいえ横穴の中に標柱を立てるのはどうかと思うぞ。

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御霊塚古墳

熊本県山鹿市(旧鹿本町)2014年3月訪問

円墳、R14
横穴式石室、玄室長2.6,幅2.42,高2.25m
位置:33°00′27″N 130°45′38″E (日本測地系)
    33.01085428 130.75821134(世界測地系)

装飾石室なので普段は閉鎖、説明板もかすれてよく読めない


墳丘もかなり手が加えられているもよう、左部分辺りが元の状態か


見学記
山鹿市鹿本町津袋、大塚から東に500m程、県道196号沿いに案内標柱が立っていて古墳は道路反対側にあります(道路反対側に案内があるとどうしても見逃しやすい、せめて矢印くらいつけて欲しい)。墳丘は残っていますが装飾古墳で石室閉鎖されています。墳丘側に駐車可。県史跡。

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津袋古墳群

熊本県山鹿市(旧鹿本町)2002年4月訪問、14年3月再訪

7基、一括県史跡

(2014年)

1号(茶臼塚古墳)
方墳、L25、4C後半~5C初
位置:33°00′35″N 130°45′06″E (日本測地系)
    33.01307624 130.7493232(世界測地系)
丘陵頂部に位置する、柵手前の砂利が周溝跡でしょうか


南側平野を一望できる、左後方に小町塚


2号(小町塚古墳)
円墳、R24、5C前半
周りの砂利が周溝、墳丘は随分小さくなっている


芯だけ残っているような状態、後方に茶臼塚


3号(大塚古墳)
円墳、R32,H5、4C末~5C前半
舟形石棺、長持形石棺(埋戻し)、箱式石棺
位置:33°00′35″N 130°45′21″E (日本測地系)
    33.01307626 130.75348949(世界測地系)
道路脇に大きな表示板と復元墳丘、手前の赤い説明板に分布図が載っている


周囲に3基の箱式石棺を覆い屋で保護


割れた蓋石、身の方は埋めている


手前に箱式石棺小口部、奥に破壊された蓋石


4号(五社宮古墳)
家形石棺
位置:33°00′42″N 130°45′26″E (日本測地系)
    33.01502051 130.75487822(世界測地系)
社殿左側に墳丘があるが大きく削られる


反対側は何とか残る


家形石棺蓋石小口部が残る、大きな縄掛け突起、蓋石は幅が狭そうだ


反対側は削られて支えで立っている状態


5号(頂塚古墳)
円墳、R28
舟形石棺(埋戻し)
位置:33°00′45″N 130°45′26″E (日本測地系)
    33.01585376 130.75487821(世界測地系)
道路脇に大きな看板


墳丘は復元


6号(平原塚古墳)
舟形石棺
位置:33°00′52″N 130°45′33″E (日本測地系)
    33.01779802 130.75682245(世界測地系)
石棺の身を覆い屋で保護、遠方に朱塚、この状況で前回何で見逃したか


石棺身露出、左側に縄掛け突起2


反対側にも縄掛け突起があるが一つ欠けている


頭部側に石枕


底を僅かに高くし丸い窪みを二つ彫り込む


7号(朱塚古墳)
竪穴石室
位置:33°01′01″N 130°45′40″E (日本測地系)
    33.02029779 130.75876668(世界測地系)
水田段差部に残る墳丘


高い方から見た墳丘


石材露出


板状に加工された天井石


小口積み竪穴石室、赤い色が残っている


(2002年)
1号(茶臼塚古墳)
丘陵頂にある墳丘、かなり小さくなっている(周りの砂利が周溝を示す)


2号(小町塚古墳)
周りの砂利が本来の大きさ、芯しか残ってないような状態


右奥が茶臼塚


3号(大塚古墳)
復元墳丘、周囲に箱式石棺が3基ある


5号(頂塚古墳)
復元墳丘


石棺(説明板より)


6号(平原塚古墳)
墳丘消滅、石棺身だけが残る


奥に石枕が掘られている、左右で頭の部分の窪みの大きさが違うようだ


(見学記)
(2014年)
前回訪問の際2基見逃しているのがあるので近くを訪問した序に再訪してみました。五社宮古墳は頂塚から入った所にあり墳丘は社殿で大半削られ家形石棺蓋石の小口部が僅かに残っています。神社まで車で入っていける。それにしても大塚の所にある分布図があるのに何で前回見つけられなかったのかな。朱塚古墳は平原塚の北側水田段差部分にあり墳丘もそこそこ残っています。小口積みの竪穴石室の一部が露出内部が見えていて赤い色も残っています。平原塚から墳丘見えているのになんで前回気が付かなかったんだろ。平原塚より余程分かりやすいのにな。

(2002年)
7基からなる古墳群で一括して県史跡。場所がよく分からなかったが鹿本町の町中を通る国道325号に案内表示があり、それに従って行くと大塚古墳に行き当たりここに分布図(道路が新しくなっていてかなり分かりにくいが)あったので他の古墳も探すことが出来た。

大塚古墳
大きな交差点の脇に大きな看板とともに丸い墳丘が復元されているのですぐ分かる。舟形石棺や長持形石棺があるそうだが埋め戻されている。墳丘の周りに箱式石棺が3基ありこちらは屋根がかけられて見学できるがすっかり雑草に埋もれて見づらい。

茶臼塚古墳・小町塚古墳
大塚古墳西側の丘陵が一本松公園となっていてその最高所に茶臼塚古墳がある。この辺りでは珍しい方墳で墳丘は現状保存、砂利で周溝の様子を示しているが墳丘自体はかなり小さくなっているようだ。東側下方に小町塚古墳がある。こちらも周溝が砂利で示されているが墳丘は更に小さくなっているようで中心部が僅かにしか残っていない状態です。

頂塚古墳
大塚古墳から道路を400m程北東に行くと右手尾根の頂にある。今でこそ墳丘が復元されすぐ分かるが発掘当時ははっきり古墳とは認識されていなかったらしい。ここにも舟形石棺(埋戻し)があるが説明板では”発掘責任者がそう呼んでいるので舟形石棺と書く”となっていて説明文を書いた人はかなり疑問に思っているようだ。実際説明板の写真を見ても家形石棺のようだが。

平原塚古墳
頂塚から更に300m程行って右手の水田のある段丘面に降りると、覆い屋に保護された石棺がある。墳丘は完全に消滅、蓋も無くなっているが丸い縄掛け突起が2個ずつ付いた身が残っている(これも舟形石棺となっている)。内側に石枕状の段が掘られ頭が当たる部分が2カ所丸く刳り抜かれている。左右で大きさが違うのは男女の区別だろうか。近くに竪穴石室を持つ朱塚古墳があるそうだが全く分からず。

肥後古代の森

熊本県山鹿市

西福寺古墳群
オブサン古墳
チブサン古墳

(見学記)

市街地の西方、岩野川右岸にあり、ここにチブサン古墳、オブサン古墳、西福寺古墳群や山鹿市立博物館(入場料210円)があります。ここは市内から出土した遺物を主に展示しています。各古墳と博物館はやや離れているので車で行ってもいいですが歩いていくと途中に各地から移築した石棺やレプリカが多数展示されているので歩いていくのがお薦めです。

馬塚古墳

熊本県山鹿市 2002年4月訪問

円墳
複室装飾石室、全長6m、玄室長3.2,幅3.4m
位置:33°02′07″N 130°48′40″E (日本測地系)
    33.0386294 130.80876173(世界測地系)

墳丘正面、復元のようだ、石室は閉鎖


石室図(説明板より)


(見学記)
付城横穴群から県道を更に5,600m北に行くと右手河岸段丘の端にあるが案内表示もなく分かりにくい。墳丘は草茫々、側に説明板が立っているだけ。複室装飾石室を持つそうだが石室は閉鎖されている。県史跡。

付城横穴群

熊本県山鹿市 2002年4月訪問

画像無し

(見学記)

チブサン古墳北東600m、県道195号脇に石碑と説明板が立っています。その上に幾つかの横穴が開口しているがあまり状態は良くない。装飾横穴が2基あるそうだが全く分からず。県史跡。

辻古墳

熊本県山鹿市 2002年4月訪問

墳丘消滅
石棺4基
位置:32°59′26″N 130°40′32″E (日本測地系)
    32.99391028 130.67321911(世界測地系)

出土した4基の石棺、鹿央町装飾古墳館に展示


1号舟形石棺レプリカ


3号家形石棺レプリカ、レプリカは肥後古代の森にある


(見学記)
市内にあった古墳で墳丘から舟形石棺1、家形石棺2、箱式石棺1があり、内部からもそれぞれ複数の人骨が出土した。現在墳丘は消滅、4基の石棺が鹿央町装飾古墳館の敷地に保存展示、肥後古代の森にレプリカが2基展示されている。装飾館の方に聞いてみたらどうやら前館長が持ち込んだようで副館長さんはあまり詳しいことは知らないとのこと。同じ場所に別の石棺も置かれているし早くどうにかしないと由来が分からなくなるかもしれません。
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