宮崎県延岡市 2017年2月訪問
総数40基程、5支群に分かれ全て国史跡
天下支群、
大貫支群、
野田支群、
野地支群、
吉野・今井支群(クリックでジャンプ)
(天下支群)(あもりしぐん)
1号(天下神社古墳)
前方後円墳、TL71,R35,RH5.1,FW19
位置:32°34′08″N 131°37′59″E (日本測地系)
32.5723048 131.63065105(世界測地系)
低い丘陵上に立地する、鳥居から後円部が見えている

後円部正面、上に神社、頂部広く平ら

前方部から後円部、柄鏡型前方後円墳

前方部隅から後円部

低く細長い前方部
2号円墳、R25
1号東、社殿裏にあるがかなり削られている

横穴石室と思われる巨石露出、割りかけた矢穴が残っている
3号円墳、R14
1号後円側に低い墳丘、主体部は箱式石棺
4号3号側に同規模の墳丘、こちらも箱式石棺
10号前方後円墳、TL79,R52,RH5.2,FW28,FH3.6
位置:32°34′14″N 131°38′01″E (日本測地系)
32.57397135 131.63120643(世界測地系)
1号からの遠望、ほぼ同じ高さの丘陵上に立地

右が後円部、左に前方部が伸びているようだ
(吉野・今井支群)14号円墳、R22
舟形石棺
位置:32°33′48″N 131°37′22″E (日本測地系)
32.5667494 131.62037483(世界測地系)
道路脇に小さな案内板、奥に墳丘が見えている

大きな墳丘が良好に残る、宮崎県だから復元ではなく元のままだろうな

南側から見ると頂部が大きく抉られている

覆い屋の中に細長い舟形石棺を安置

蓋石小口部に太い縄掛突起

反対側の突起は形が随分違う、突起と言うより蓋石隅をカットしたような
15号14号西側に小さいが形のいい墳丘

民家で少し削られているかも

石棺材でしょうか、HP「大和國古墳墓取調室」のと比べると少し違うような

これもそうでしょうか、少し埋まっている
(野田支群)37号刳抜式家形石棺
位置:32°34′22″N 131°38′24″E (日本測地系)
32.57619373 131.6375946(世界測地系)
道路脇に説明板、空き地の奥に石棺

阿蘇溶結凝灰岩製刳抜式家形石棺

蓋石側辺に2対、小口部にも1対の縄掛突起、蓋石一部が割れている

身小口部にも縄掛突起、反対側は無さそうだ

反対側とは縄掛突起の形状が微妙に違うような気がする、こちらは屋根部斜面まで流れているような

蓋石中央部に対の彫り込みがあります、当時のものなんでしょうか
(野地支群)?
32号円墳、R18,H2.2
位置:32°34′00″N 131°38′47″E (日本測地系)
32.57008339 131.6439833(世界測地系)
大きな説明板が立つが墳丘はずっと上、低平なようでわざわざ行く程でもない
33号位置:32°34′10″N 131°38′46″E (日本測地系)
32.57286094 131.64370538(世界測地系)
丘陵上住宅街の中に保存

周囲が大分削られているようだ
(大貫支群)24号円墳、R21
横穴式石室、全長9.2m、玄室長4.36,幅1.58-2.13,高2.2-2.52m
位置:32°34′03″N 131°39′03″E (日本測地系)
32.57091686 131.64842731(世界測地系)
東西に長い尾根状丘陵頂部に立地

南側に開口、市内最大の石室

柵はあるが鍵はかかっていない

羨道まで良好に残る、明るいせいか苔が生えている

巨石石室、奥壁は3段積み、左側石材が明らかに土圧で突き出ている

〃縦位置、最奥の天井石が一段下がる

奥から外、柱状袖石を立てた両袖式

〃縦位置

石材表面を削った跡がよくわかる、石材それぞれで随分違いがある
25号24号西側、墓地の中
26号?
25号南側、割と背の高い墳丘
27号低平だが割と大きな墳丘
29号竹藪の中に墳丘
30号円墳、R18
位置:32°34′02″N 131°38′59″E (日本測地系)
32.57063905 131.6473163(世界測地系)
雰囲気良く残る墳丘
39号(浄土寺山古墳)
帆立貝式、TL58,R35,FW20
位置:32°34′05″N 131°39′05″E (日本測地系)
32.57147239 131.64898279(世界測地系)
後円部、前方部は確認できず

(見学記)
延岡市内にある古墳群ですがあちこち散らばっている上にほぼ市街地なので車で訪問するには厳しい場所です。今井支群(7),天下支群(11),大貫支群(11),舞野支群(6)に別れています(数は現地説明板による)。一括して国史跡。
今井支群
延岡道路西側を平行して走る市道を南下していくと小さな案内表示がありそこから墳丘が見えています。見えていたのが14号で径22mの大きな円墳、南側が削られて刳抜式舟形石棺が露出覆い屋で保護されています。かまぼこ型の蓋石は両端小口部左右がカットされて縄掛突起のように加工されています。直ぐ側にある小さな墳丘が15号、こちらは民家で少し削られています。板状の石がありますが石棺材でしょうか、民家側にも半ば埋まった石材がありこちらは元位置のままでしょうか。
天下支群
14号から北上して最初の交差点を右折、600m程行くと右手高い場所に天下神社があります。境内に4基の古墳があります。1号が前方後円墳で上に社殿が建っています。墳丘は状態がよく後円頂部が平らで広く前方部は細長く如何にも古式な前方後円墳です。本殿の裏側にあるのが2号でだいぶ削られていて巨石が露出、横穴石室だそうですが石室を思わせる状況にはありません。矢穴があって割られかけたようです。側に3,4号があり主体部は箱式石棺だそうですが見られません。道路を挟んで北側に前方後円墳の10号があります。近寄ってみましたが上部が削平されているのかな。神社東側にもあるようだが分からず。ちなみに天下の読みは”あもり”です。
野田支群
天下神社から更に東に行き野田町5303にあるのが37号(途中の野田神社に38号があるがパス)、広い道路から狭い道路に入る必要がある。説明板が立っていて空き地に刳抜式家形石棺が完全露出、阿蘇凝灰岩製、大きさ2.7m程、蓋に短い縄掛突起2対、小口部に1対がありますが削られているようでわかりにくい。身小口部に1ついていますが反対側は無いか削られたか。蓋石上部に1対の彫り込みがあります。熊本県の石棺で見られた縄掛け穴にも似ていますが貫通はしてないし当時のものかどうかは分かりません。
野地支群?
西階町に西階運動公園があります。ここの遊泳場がある東端にあるのが32号、取り残された丘の下に説明板が立っていますが墳丘は頂部にある、道もないしわざわざ登る程のものでもありません。北側300m丘陵上の住宅街の中にあるのが33号、車で行くのも面倒なので歩いていきましたがあるのは裸の墳丘だけでした。周囲が大分削られているようです。
大貫支群
32号から東500mの丘陵上にも幾つかまとまっています。丘陵上が墓地になっていて南側にあるのが24号、ちょうど所有者さんらしい夫婦が農作業をしていたので挨拶して見学。墳丘もよく残っていて南側に石室開口こちらも羨道玄室とも良好です。袖石を立てた両袖式で奥壁は3段積み、最後部の天井石が明瞭に一段下がっています。側壁には鏨で削った後がハッキリ残っています。この丘陵は最頂部が平坦になっていてその端に立地しています。石材はどうやって運んだんでしょうね、この丘陵にはなさそうですけどね。更に西側の4基の古墳、その先の竹林の中にも6基あるそうですがこれはよく分からず。墓地の東端にも39号があり前方後円墳だそうですが後円部は残っていますが前方部はよく分かりません。ここも道が狭いので32号から歩いていきましたが南側住宅街の中で道に迷ってかえって遠回りしてしまった。帰りは北側を通る広い道路を通ったけど結果的にはこれが一番短かったかも。丘陵東端にコンビニが有りそこから墓地に至る道があります。南側からの道は狭いのでこれが一番楽かもね。