祇園原古墳群

宮崎県新富町 2001年5月訪問、17年2月再訪

前方後円墳14,方墳1,円墳138以上

A支群南
A支群北
(南、北は便宜的区分)
B支群
C支群
2001年
(クリックでジャンプ)


(2017年)
(順不同)

分布図:説明板より、一部加筆


48号(弥五郎塚古墳)
前方後円墳、TL90,R52,RH8,FW46,FH8.2
位置:32°05′45″N 131°25′49″E (日本測地系)
    32.09929082 131.42790927(世界測地系)
群中最大の前方後円墳、A群一番南側に位置する


横から、前方頂部平坦


周溝を巡らしていたようです


西側がやや低くなる緩傾斜地


その4
48号西側に数基の円墳


反対側から


その5
後方に48号


50号
その4_1の右側の古墳、上に標柱があるので番号がわかった


52号
前方後円墳、TL55,R38,RH7,FW30,FH7
位置:32°05′50″N 131°25′46″E (日本測地系)

    32.10067957 131.42707594(世界測地系)
特に特徴のない前方後円墳ですが


横から見ると後円部頂きが平坦、前方部と高さがあまり変わらない、なのでスタイルが悪く感じる


前方部はやや発達しているようだ


52号北側の円墳、右奥56号


56号(水神塚古墳)
前方後円墳、TL49,R22,FH6,FW30,FH4
位置:32°05′53″N 131°25′45″E (日本測地系)
    32.10151282 131.42679815(世界測地系)
前方部が大きく発達


南東側から


周りを芝生張り中


南側円墳上から


北西から、半球状の後円部と三角形の前方部


見れば見るほど特異な墳形、遠方丘上に47号


116号
56号西側、56号後円部より大きいかも、遠方にも大きな円墳


58号(百足塚古墳)
前方後円墳、TL77,R35,RH5,FW45,FH6
位置:32°06′00″N 131°25′48″E (日本測地系)
    32.10345709 131.42763132(世界測地系)
発掘整備された、墳丘自体は元のまま


埴輪を復元、後円部正面辺りに横穴石室がある(埋戻し)


周溝が巡りくびれ部に造出がある


丘側にも周溝、造出はない


西側から


北側から


北西側からの遠望、手前に62、63号、墳丘越し遠方に47号


59号とのツーショット


62、63号
_1:58号後円部外堤側に並ぶ、右63、左62号、共に周溝が巡り埴輪が立っていた


209号
_1:58号前方部上側、発掘復元


59号
前方後円墳、TL68,R38,RH5.6,FW40,FH6.6
位置:32°05′56″N 131°25′46″E (日本測地系)
    32.10234608 131.42707587(世界測地系)
上位段丘面上に位置する


段丘面ギリギリに立地(この2枚は天気が良くなった午後に再度撮影)


緩傾斜地に立地


段丘面上からみた墳丘


前方部から後円部


後円部から前方部


段丘側に周溝、殆ど土取り跡だろうな、円墳その1がある


(59号からの眺め)
直下に58号、奥に56、52、48号、前方後円墳を見るのに最高の眺め


68号、奥に67号


48号遠望、斑に焼かれているのが残念


その1
後円部側にある


47号(機織塚古墳)
前方後円墳、TL51,R25,FW30
位置:32°05′52″N 131°25′59″E (日本測地系)
    32.10123511 131.43068671(世界測地系)
上位段丘面、傾斜地に立地、前方部は右側


前方部が大きく発達


前方部から後円部、あまり丸く見えない


後円部から前方部


下の段丘面からの遠望


(47号からの眺め)
58号


52号、手前に2基の円墳


その2
47号近く、分布図には載っていない、上位段丘面上では一番大きそう



68号
前方後円墳、TL57,R30,FW49
位置:32°06′01″N 131°25′44″E (日本測地系)
    32.10373482 131.42568704(世界測地系)
58号北側、前方部発掘中


何となく柔らかそうなフォルム


前方部隅から後円部


北西側から、前方部は全般に南向きだが47、56、58号は東向き、そして前方部が発達している


67号
前方後円墳
位置:32°06′02″N 131°25′41″E (日本測地系)
    32.10401258 131.42568703(世界測地系)
68号すぐ東側、前方部側から


後円部に比べて前方部が小さい、でも端が高くなり格好はいい


後円部側から


65号
前方後円墳
位置:32°06′00″N 131°25′40″E (日本測地系)
    32.10345707 131.4254093(世界測地系)
67号側だが前方部は逆に北向き


西側から


南西側から


前方部から後円部


後円部から前方部


114号
65号すぐ南、左遠方に56号


反対側から、後方に65号


その3
114号から


その7
114号から


64号
周りに古墳がなくポツンと存在


(A群北)
92号(大久保塚古墳)
前方後円墳、TL84,R47,RH6,FW46,FH5
位置:32°06′10″N 131°25′38″E (日本測地系)
    32.10623459 131.42485369(世界測地系)
南端にある48号と同規模


前方部隅から、緩斜面に立地


上位段丘面から


西側から、非常にスタイルがいい


(上位段丘面円墳群)
小円墳が点在、もう適当に見て廻る


75号、取り敢えず番号がわかった1基


75号から南側、_1の反対側からの眺め


(A群北端)
188号
割と大きな墳丘、その割に背は高くない


林の向こうに前方後円墳の187号がある


189号
畑の中にポツン


上に標柱があるがもう登るのが面倒で


190号
やはり大きさの割に背が低い、奥にも墳丘が見えている


191号
190号から、その奥に187号、左側に円墳群


やはり規模の割に低い墳丘


191号から見た円墳群


187号
前方後円墳
位置:32°06′09″N 131°25′30″E (日本測地系)
    32.10595682 131.42263169(世界測地系)
柄鏡式の古いタイプ、円墳も古いタイプのが多いようだ


低い墳丘、後円部の規模は188や191号より小さい


後円部側から、奥に191,190号、後方林の中に前方後円墳がもう1基あるようだ


後円部から前方部


(B群)
群のど真ん中を道路が通過、旧道なのでもう殆ど車は通りませんが


106号
この辺りでは一番大きそうな円墳


反対側から


(106号からの眺め)
南側、3基の古墳


道路反対側、墳丘が大きく削られる、右遠方に129号等


遠くに58,59号、手前にも円墳群、この場所はやや高くなっている


107号
低平な墳丘


113号(霧島塚古墳)
前方後円墳
位置:32°05′51″N 131°25′17″E (日本測地系)
    32.10095724 131.41902102(世界測地系)
B群唯一の前方後円墳、藪で近寄れず


古墳
分布図には載っていないが多分古墳


129号
106号南方、この辺りも十数基ある


僅かに高くなった地形を利用、遠方に58,59号


(129号からの眺め)
52号、丘の上に47号


119号
この辺りは低平な墳丘が多い


119号から129号方面、4基見えている、分布図程にはなかったような


(C群)
138号
方墳
位置:32°05′35″N 131°25′15″E (日本測地系)
    32.0965132 131.41846568(世界測地系)
群中唯一の方墳、あまり方形には見えない


近寄ってみると裾が直線状になっているかな


その8
もう適当に撮る


その9
C群唯一の前方後円墳か、敷地奥の方にあるので流石に突入できず


155号
群全体としても一番高い場所辺り


(155号からの眺め)
南西側


北側、奥に見えているのが140号


北東側、周囲が削られ低平な墳丘が多い


140号
円墳
位置:32°05′34″N 131°25′18″E (日本測地系)
    32.09623546 131.41929897(世界測地系)
周囲が低平な墳丘が多い中で一際異彩を放っている


群全体としても最大クラスの円墳かも


(155号からの眺め)
東側、奥は谷になっている


南側、中央やや左が155号


南西の1基




(2001年)
47号(機織塚古墳)
前方部が発達


48号(弥吾郎塚古墳)
群中最大


52号


56号(水神塚古墳)
前方部の発達した非常に美しい墳形


百足塚から


58号(百足塚古墳)
発掘中、形象埴輪が大量出土


59号から、奥に48,52,56号が見えている


59号
一段上の段丘上に立地


68号


92号(大久保塚古墳)




(見学記)
(2017年)
新富町新田、前回はまだ整備前で59号(百足塚)周辺の目に入る前方後円墳をメインに撮りましたが百足塚の整備が終わり説明板を設置、それによるとかなり広い範囲に分布しているようなのでここも足を使って探し回りました。68号で発掘が行われていてプレハブの事務所がありそこで資料を貰いました。それによるとA、B、C群に別れているようですが大半はA群、特に前方後円墳はA群に集中、B、C群は1基づつです。ここも一部を除いて野焼きが行われ黒くなっていました。まずは上位段丘面端に立地している前方後円墳の59号に行く。宮崎県の古墳は基本的に上に上がらないようにしているのですがここはさすがに上がらせてもらいました。ほんと端っこ、下から見られるのを意識しているようです。台地側には周溝も残っています。台地上にも幾つかの円墳がありますが状態は良くない。南東側のやはり上位段丘面に前方後円墳の47号(機織塚)があります。ここは段丘面上というより斜面になっていて今にも転がり落ちそう、やはり下から見られるのを意識しているようです。前方部は台地側を向いていてよく開いた後期タイプです。百足塚の南側に前方後円墳の56号(水神塚)、52号、48号(弥吾郎塚)と並びますが前方部の向きはバラバラ。水神塚は半球形の後円部に発達した前方部とこの古墳群の中では一番のお気に入り。すぐ西側に円墳がありますが後円部だけ比べたら円墳の方が大きいようだ。弥吾郎塚は群中最大の前方後円墳、僅かに傾斜面に立地しているので丘側に周溝と低い外堤が見えています。百足塚の北側に前方後円墳の68号、これも前方部がやや発達している。西側にある前方後円墳の67,65号は前回見逃しているな。更に北側にある92号(大久保塚)は弥吾郎塚とほぼ同規模ですが全体がほっそりした印象を受けます。県道を挟んだ西側に古墳が密集していますがその中の157号が柄鏡式の前方後円墳です。形式からして群中最古の前方後円墳でしょうか。でも周囲にはこの後円部より規模の大きい円墳があったりします。更に西側にも前方後円墳があるようですが藪の中で接近できず。県道を更に南下するとBグループがありますが小円墳ばかりで面白味なし、その中で西に突き出た尾根状地形に構築された前方後円墳の霧島塚がありますが藪状態で突入困難、もし前方後円墳がこれしかなかったら無理してでも突っ込んだでしょうけどね。更に南下するとCグループがあります。道路西側の民家に挟まれた大きな墳丘が138号、群中唯一の方墳のようですがあまり方形には見えません。。この敷地内に前方後円墳があるようですが入れず。道路東側にも古墳が密集、その中でも一際大きいのが140号ですが真っ黒けなのが残念。百足塚を中心に公園として整備されるようですが今はまだ駐車場が整備されているだけでした。宮崎県は全般にそうだけどここも墳丘の残りが良い。特に前方後円墳の残りがよく古墳ファン特に前方後円墳ファンなら絶対行くべし、日本中の古墳の中でも前方後円墳を見るには最高のビューポイントです。

(2001年)
遺跡としての登録名は新田原古墳群だが現在各支群は独立して考えられ祇園原地区のはこの名で呼ばれている。前方後円墳14,方墳1,円墳138基、他に周溝だけ確認された円墳が36基あり規模の大きな古墳群で更に最近横穴古墳も発見されている(円墳群がのっている斜面の下に開口していた)。更にここも4グループに分かれているが北東側のグループに大型の前方後円墳が集中している。柄鏡型はなく前方部の発達した後期型が多い。どれも形よく保存されていてため息が出そう。平成10年から58号百足塚で発掘が行われていて周溝や大量の形象埴輪が出土している。宮崎県で埴輪が確認されている古墳は僅かに32基、その中で形象埴輪が出ているのは10基のみ。横穴石室があるそうだが盗掘を受けているらしいとのこと。外見上はとてもそのようには見えないが。ちょうど草刈りを行っていて専門家の方と話をしている内に発掘報告書を貰った、ラッキー。すぐ西側に56号水神塚古墳がある。まん丸い後円部、きゅっと締まったくびれ部、末広がりで三角形とも言って前方部と非常に美しい姿をしている。まるで復元したような墳丘で(他も対外はそうだが)今回一番のお気に入り。すぐ北側には1段段丘上にある59号がある。ここからは下位段丘上にある古墳群が一望できる。見学される方はここがお勧めです。

常心塚古墳

宮崎県西都市 2001年5月訪問、17年2月再訪

方墳、L24,H3.3、外堤一辺40m
位置:32°04′09″N 131°19′44″E (日本測地系)
    32.07262554 131.32652811(世界測地系)

(2017年)
広い段丘面上にポツンと立地


数少ない方墳、更に外堤が巡るという超珍しさ


南東から


こちらが一応正面でしょうか、南南東向き


墳丘上に祠がある


北西外堤上から見た墳丘


外堤西側、周溝は幅狭い


外堤北側


上記反対側から


外堤東側


墳丘上から見た外堤北西側


墳丘から外堤西側


(2001年)
墳丘西側、手前が外堤


墳丘北側外堤から、内側の周溝は狭い


(見学記)
(2017年)
西都市上三財、台地上の広い平坦面の中にポツンと立地しています。方墳であることも珍しいのに西都原の鬼の窟古墳と同じような外堤があります。鬼の窟の外堤は復元ですがこちらはほぼ元の状態、しかも全体がよく残っていてコフニスト的にはこちらの方が価値が高い(笑)。元々終末期の古墳は少ない、更に外堤を伴うなんて更に少ないけどなんでこんな場所にあるんでしょうね、と言いたくなるような場所です。1基だけポツンと書きましたが南側に地下式横穴墓があるそうです。墳丘脇に駐車可。国史跡。

(2001年)
一辺24m、高3.3mの方墳で周りを一辺40mの外堤が巡っている。共に良好に残っている。横穴式石室を持つが今は全く見ることは出来ない。古墳の名前はこの中に入って入滅した僧の名前からきている。広い畑の中にポツンとあるが孤立した存在ではなく三財古墳群中の1基だそうだ。国史跡。

永野古墳群

宮崎県西都市 2017年2月訪問

一応前方後円墳2基

分布図:説明板より(仮3号加筆)


1号
前方後円墳、TL45、5C初
位置:32°06′23″N 131°21′49″E (日本測地系)
    32.10984455 131.36124669(世界測地系)
県道脇に低い墳丘、松本古墳群に行く途中で偶然見つけた


低く細長い前方部、左は削られているようだ


右側の輪郭は本来のかな


仮3号からの遠望


3号(仮称)
前方後円墳
位置:32°06′25″N 131°21′54″E (日本測地系)
    32.11040006 131.36263547(世界測地系)
尾根筋に見えた古墳、どう見ても前方後円墳です


右側の広域農道で尾根が削られている、その時は確認されなかったのでしょうか


墳丘側面、長さは30m未満でしょうか


前方部を重機が通っている、遠方に1号


前方部から後円部、奥の林に2号があるはず


後円部から前方部、遥か遠方に松本塚


見学記
西都市三納、車で通っている時に道路脇に墳丘のようなのが見えたので寄ってみたらやはり古墳でした、しかも前方後円墳。説明板が立っていてここも以前は三納古墳何号と呼ばれていたようですが今は永野古墳群となっています。古墳群と言っても前方後円墳2基だけ、説明板がある所のが1号で前方部が細長い柄鏡タイプ、でも前方部は一部しか残っていません。説明板に分布図が載っていますが地形を読み間違えて2号は見つけられず。でも北側小さな尾根の上に前方後円墳のようなのが見えていました。これは分布図には載っていない、位置も大きさも2号とは違い新発見の前方後円墳でしょうか、大きさは30mにも満たない最小クラスでしょうね。1号脇に駐車可。県史跡。

松本古墳群

宮崎県西都市 2001年5月訪問、17年2月再訪

前方後円墳1、帆立貝式1、他5基

(2017年)
分布図(説明板より)


松本塚古墳
前方後円墳、TL104,R61,RH7.6,FW79,FH8、5C末
位置:32°05′55″N131°22′37″E (日本測地系)
    32.10206776 131.37457945(世界測地系)
野焼きされて真っ黒け、背後の林とのコントラストが弱く美しさ台無し


東側から


空を背景にしてもやはりイマイチ、左手前が6号


前方部隅から後円


1号
唯一台地上尾根筋に立地、標柱がないと分からないレベル


2号
帆立貝式、TL40
こんがり焼かれた墳丘、帆立貝式


上記反対側


前方部が残るのは一部でしょうね


後円部


3号
西側に大分離れて立地


こちら側は大分削られている、墳頂平坦


4号
南側水田の中、よく残ったなと思うレベル


5号
表面に葺石が見えているのでこれが元の大きさか


南側からの眺め


6号
こちらも河原石を使った葺石が見えている


上記反対側、奥に2号


(2001年)
松本塚古墳
台地直下の平地に立地、前方部が発達した墳形


西側に5基の円墳がある


(見学記)
(2017年)
西都市三納、訪問時期が悪くここも野焼きされ墳丘真っ黒でした。前回は緑の墳丘が田植えされたばかりの水田に写って美しかったんですけどね。7基からなる古墳群ですが前方後円墳の松本塚が突出していて他は小さな小墳丘です。ただ2号はやや大きく小さな突出部もあって帆立貝式です。以前は旧三納村の古墳が一括県史跡に指定されまとめて三納古墳何号と呼ばれていましたが再編が進みここは平成27年に松本古墳群として独立しました。以前の説明板とともに新しい説明板も立っていて分布図が載っています。県史跡、松本塚は国史跡。

(2001年)
全長104m、後円部径61m、前方部幅79mの前方後円墳です。台地直下の平地に立地し前方部の発達した美しい姿を横たえています。この地域の古墳によくあるように木一本生えていない。西側に5基の円墳があり古墳群を形成している。

西都原古墳群

宮崎県西都市 2001年5月訪問、17年2月再訪

前方後円墳32基、方墳1基、円墳277基、他地下式横穴墓
4C~7C前半
「風土記の丘」第1号

(2017年)
第1支群
第2支群
第3支群
中央支群(仮称)
西支群(仮称)
2001年
(クリックでジャンプ)

第1支群
前方後円墳7、円墳84基

分布図:台地南東端、2群より前方後円墳は少ないが円墳密集


1号
前方後円墳、TL50,R28,RH4.7,FW22,FH2.3
位置:32°06′27″N 131°23′48″E (日本測地系)
    32.11095595 131.39430011(世界測地系)
台地南東端に立地


例外的に前方部は西側台地方向に向く


多少斜面になっているようだ


台地端でも平野からどの程度見えたでしょうか


2号


3号
周囲に周溝が巡る


4号


5,6号
13号西側、右5、左6号


7号


8,9号
右8、左9号、後方に13号前方部


13号
前方後円墳、TL80,R44,RH7.2,FW27,FH4.8
位置:32°06′30″N 131°23′49″E (日本測地系)
    32.11178921 131.39457784(世界測地系)
石室見学施設を持つ、日曜日に見学していてよかった


組み立て式木棺を粘土で覆い更に礫を被せた粘土礫槨、実物でしょうね、三角縁神獣鏡等出土こちらは当然レプリカ


手前には小さな礫が敷かれている


石室完成後作業路を礫で埋める


翌日晴天下で撮影、三段築成


墳丘は修復でしょうね、後円部頂きは当然復元


円墳群
13号から見た北側円墳群


〃北西側


16号


20号
後方に35号、その手前に22号


21号
後方に13号


22号
手前の低い墳丘、後方35号


26号
手前の低い墳丘、後方35号


27号
右側の墳丘


28号


30,31号
右30、左31号、後方46号


32,33号
右32、左33号、後方46号


34号
後方に35号


35号
前方後円墳、TL70,R37,RH6.5,FW20,FH3.1、4C後半
位置:32°06′33″N 131°23′50″E (日本測地系)
    32.11262246 131.39485557(世界測地系)
後円部の丸いフォルム


修復された13号よりこちらの方が美しく感じられる


斜め後方から


前方部が低く長い


36号


37号
後方46号


283号
奥の57号との間に小さな谷がある


44号


周溝と外堤が巡る、奥は姫塚


45号


46号
前方後円墳、TL70,R44,RH7.7,FW29,FH5.7
位置:32°06′35″N 131°23′46″E (日本測地系)
    32.11317794 131.39374451(世界測地系)
南側から、、例外的に前方部を東に向ける


太陽高度が適当で微妙な凹凸が表現


斜面に立地、前方部が高くなり始めているようだ


前方部隅から後円部


葺石実物、小さな河原石を使用


47号
46号くびれ部に立地


53号


54号
多分中央の墳丘、この辺りはもう手抜き


55号


56号
前方後円墳、TL37,R24,RH3.5,FW16,FH2.1、4C
位置:32°06′37″N 131°23′50″E (日本測地系)
    32.11373345 131.39485553(世界測地系)
南側から、小さな谷越しに見る


西側から、群中最小の前方後円墳


北西側から、前方部は西向き


斜面に立地、前方部はそれ程長くない


後方に46号、前方部の方向が逆向き


57号
美しい墳丘


58号
後方57号


59号


284号
57号東側、台地端


61号


70号
72号前方部隅に立地、左奥71号


69,71号
左71、右69号


72号
前方後円墳、TL79,R50,RH7.4,FW39,FH4.6、4C後半
位置:32°06′41″N 131°23′50″E (日本測地系)
    32.11484445 131.39485549(世界測地系)
南東側から


前方部隅から、左に71号


西側から、手前に円墳が並ぶ


後円部斜め側から


274号
72号側だが番号が飛んでいる


73号
斜面に立地


74号
上部が広く平坦


75号
遥か遠方に姫塚


76号
この辺りは背が低く頂部が広く平坦な墳丘が多い


77号


78号
周溝を残して手前は大分掘り下げられている


不明号
台地端、番号不明、79号は別にある


80号
記念碑の後で目立つ場所


墳丘に切り株が残る、他の古墳も前はこんな状態だったんだろうな


200号
酒元ノ上横穴墓見学施設側


201号
割と大きな円墳、奥に200号


_1と反対側から、奥に姫塚


202号(姫塚古墳)
前方後円墳、TL52,R28,RH6,FH30,FH5
位置:32°06′36″N 131°23′38″E (日本測地系)
    32.11345566 131.39152242(世界測地系)
後円部と前方部の高さがほぼ同じ


前方部も広がり船塚と共に群中最も新しい前方後円墳


次の日朝日に輝く墳丘を撮ってみました


やはり日が当たっていた方が美しい


当たりすぎると逆に平板になったりしますがそのあたりは微妙


204号
姫塚前方部側に立地


酒元ノ上横穴墓群は別記事にしました)



第2支群
前方後円墳10、円墳29基

分布図:台地東端に分布

81号
前方後円墳、3C中~後半
位置:32°06′48″N 131°23′46″E (日本測地系)
    32.11678868 131.39374437(世界測地系)
群中最古の前方後円墳


他の前方後円墳は殆ど前方部が南向きの中でこれは例外的に北向き


台地端の斜面ギリギリに立地、下からの眺めを意識しているようだ


82号


83号
前方後円墳、TL80,R40,RH5.7,FW25,FH2.2
位置:32°06′53″N 131°23′43″E (日本測地系)
    32.11817741 131.39291104(世界測地系)
前方部が細長く低平


斜め後方から


84号
説明板に何故か83号墳丘図が載っている


85号


86号
崖っぷちに立地


87号


88号
前方後円墳、TL40,R21,RH3.3,FW16,FH2.2
位置:32°07′00″N 131°23′41″E (日本測地系)
    32.12012165 131.39235545(世界測地系)
真横、台地側から


斜め後方から


緩斜面に立地、台地端からはやや離れる


崖側から


89号


90号(大山祇塚古墳)
前方後円墳、TL96,R51,RH4.1,FW31,FH3.8、4C後半
位置:32°07′04″N 131°23′39″E (日本測地系)
    32.12123264 131.39179989(世界測地系)
群中最大クラスの前方後円墳


大きな後円部


西側斜め後方から


東側斜め後方から


91号
前方後円墳、TL91,R43,RH6.2,FW20,FH2.3
位置:32°07′07″N131°23′39″E (日本測地系)
    32.12206589 131.39179986(世界測地系)
西側真横


西側斜め後方から


東側斜め後方から


92号
前方後円墳
位置:32°07′09″N 131°23′39″E (日本測地系)
    32.12262139 131.39179983(世界測地系)
後円部正面


例外的に前方部を東側に向けている


前方部端から後円部


斜め後方北側から


93号


94号


95号
前方後円墳、TL53,R29,FH3.4,FW20,FH2.8
位置:32°07′15″N 131°23′36″E (日本測地系)
    32.12428787 131.39096649(世界測地系)
真横から、手前に円墳


斜め後方から


96号
後方に95号


97号


98号


99号
前方後円墳、TL55,R31,RH3.5,FW15,FH2
位置:32°07′14″N 131°23′34″E (日本測地系)
    32.12401011 131.39041098(世界測地系)
東側から、台地端よりやや離れる


斜め後方から


反対側斜め後方から


西側から


100号
前方後円墳、TL59,R33,FW18,FH2
位置:32°07′16″N 131°23′34″E (日本測地系)
    32.12456561 131.39041096(世界測地系)
西側から、前回発掘後修復したのかくっきりした輪郭


周溝跡を砂利を敷いて表現


周溝も前方後円形


東側から


101号


102号


103号


104号
周溝があるのでその範囲内は歩道を舗装していない


不明号
番号を書いた標柱が見当たらず、105号が見当たらないからそれかもしれない


106号


107号
畑の中、周囲が削られているようだ


108号
遠方に100号


109号
前方後円墳、TL67,R37,FH4.2,FW26,FH3.7
位置:32°07′17″N 131°23′27″E (日本測地系)
    32.12484334 131.38846664(世界測地系)
西側から


東側斜め後方から


東側から


110号


286号
小谷に面した場所に立地、かなり破壊


葺石それとも礫槨


289号


290号




第3支群
前方後円墳1、円墳87基

分布図:多数の円墳と1基の前方後円墳、右側駐車場から左に伸びる空白域は谷状地形になっている


111号
地下式横穴墓を有する墳丘、左側はその見学施設


上段葺石を展示、墳丘は当然復元で大きくなっている


小さな河原石を使った葺石


墳丘上から、周溝が巡る


円墳群
111号から見た115号、この時は雨あがり、円墳ばかりだし個々の墳丘はパス


左の大きな墳丘が118号、右遠方に265号(船塚)


265号(船塚古墳)
前方後円墳、TL58,R34,RH5.9,FW38,FH5.9
位置:32°07′26″N 131°23′23″E (日本測地系)
    32.12734307 131.38735551(世界測地系)
後円部と前方部がほぼ同じ高さ、群中最後期の前方後円墳、発掘中でした


前方部斜め後方から、左側の台地端の方がやや高くなっている


前方部隅から、こちら側は周溝がハッキリ


二段築成の様子がよくわかる


前方部から後円部


前方部頂部トレンチに石組み、竪穴と言うより箱式石棺のように見える


265号から見た円墳群、右奥が博物館、手前植樹部分が谷状地形


266号
265号東側、台地端に3基の円墳が並ぶ


267号
右後方に268号


268号
どれもほぼ同規模




中央支群(便宜的区分)
男狭穂塚古墳
帆立貝式古墳、R130,RH18
全国最大の帆立貝式古墳
位置:32°07′06″N 131°23′12″E (日本測地系)
    32.12178803 131.38430035(世界測地系)
西側から林越しに撮影、奥に墳丘が見える、撮影地はやや高くなっていて丘陵を削って手前の平坦面を造っている


女狭穂塚古墳
前方後円墳、TL177,R97,RH15,FW109,FH13
九州最大の前方後円墳
位置:32°07′00″N 131°23′12″E (日本測地系)
    32.12012153 131.38430041(世界測地系)
前方部隅辺り


左墳丘、右外堤、その間が周溝


169号(飯盛塚古墳)
円墳、R44,H7、5C前半
位置:32°07′00″N 131°23′04″E (日本測地系)
    32.1217886131.38207826(世界測地系)
復元墳丘、望遠で撮影すれば十分、男狭穂塚の陪墳


170号(雑掌塚古墳)
円墳、R45,H1.8、5C前半
位置:32°07′02″N 131°23′03″E (日本測地系)
    32.120677 131.38180054(世界測地系)
復元というより盛り土をして保護か、後方の森が女狭穂塚でその陪墳


171号
方墳
位置:32°06′57″N 131°23′09″E (日本測地系)
    32.11928827 131.38346716(世界測地系)
群中唯一の方墳、後方の森が女狭穂塚


再整備中なんでしょうか


稜線部分に直線上の石列がある


西側高い方からの眺め


205号
手前が鬼の窟古墳周溝、陪墳でしょうか


206号(鬼の窟古墳)
円墳、R37,H7.3、6C後半~7C初
外堤、2重周溝、群中唯一の横穴式石室
横穴式石室、全長12.3m,玄室長4.8,幅1.8~2.5,高2.2m
位置:32°06′50″N 131°23′33″E (日本測地系)
    32.11734412 131.39013347(世界測地系)
巨大な外堤を持つ大型円墳


外堤から見た2段築成の墳丘、石室前は通路状になっている、前庭と言えるのかな、この日は月曜で博物館休み、嫌な予感がした


墳丘斜め前から


外堤西側


外堤東側


羨道、石室は解体復元されているようだ、羨道入り口は鍵がかかっていて入れず


玄室を望遠で撮影、柵の隙間が大きいのでなんとか分かる


207号
206号北側、広い平坦地にポツンとある


後方に206号、建物は古墳と関係なし




西支群(便宜的区分)(見学記追加)
台地西側端に分布、前方後円墳3(or4)他

172号
丘陵斜面、畑の中に残る、後方の林の中に174号


これは前日の写真、墳頂が窪む


後方から、遠くに古墳群のある台地が広がる


173号
前方後円墳、TL39.8,R22-23,FW11
位置:32°06′52″N 131°22′59″E (日本測地系)
    32.1178995 131.3806896(世界測地系)
丘陵尾根筋に立地


100号を70%縮小した形状だそうです


前方部隅から


ほぼ頂部に位置する


後円部側から、葺石があったそそうだ


174号
前方後円墳
位置:32°06′46″N 131°22′58″E (日本測地系)
    32.116233 131.3804119(世界測地系)
前方部隅から後円部、173号南側林の中にある


前方部正面、背が高い、ある資料では173号より古いそうだがどう見ても姫塚と同じ形状、新しい前方後円墳に見える


前方部隅から後円部


前方部から後円部


後円部正面、こちらの方が地形的に低い


174号陪墳
174号前方部隅にあった、分布図には載っていなかった


174号前方部上から


175号
麓近くの緩斜面に立地、左175、右176号




176号
前方後円墳
位置:32°06′43″N 131°22′59″E (日本測地系)
    32.11539976 131.3806897(世界測地系)
随分低い墳形


前方部はあまり広がらず


下方側から、奥に178号


177号


178号
176号後円部と変わらない規模


後方に176、175号


179号
小さな小さな高まり


187+190号
前方後円墳?
位置:32°06′29″N 131°23′12″E (日本測地系)
    32.11151131 131.38430073(世界測地系)
道路脇の墳丘


道路で削られている


道路反対側に187号


横から見ると細長く見える


190号から見ると方形に見える


187号から190号、やはり前方後円墳でしょうね


くびれ部が切断された前方後円墳だろうな


189号


191号
大きな墳丘


191号から東側、この範囲内に大小8基あるはず


192号
かなり破壊されている


埴輪片?


195号
小さな高まり、標柱だけが頼り


196号


197号




197号から西側、古墳群ラストショット、歩け歩けで流石に疲れた


272号




(2001年)
男狭穂塚古墳
女狭穂塚古墳
墳丘脇の模型、本体は陵墓参考地で見学不可


1号
前方後円墳、TL50,R28,RH4.7,FW22,FH2.3

初期の前方後円墳はみな崖際にあり側面を平野部に向けている


13号
前方後円墳、TL80,R44,RH7.2,FW27,FH4.8

復元された墳丘、後円部で主体部が公開されている


礫槨、この倍の長さがある


35号
前方後円墳、TL70,R37,RH6.5,FW20,FH3.1、4C後半

最古の前方後円墳の1基


46号
前方後円墳、TL70,R44,RH7.7,FW29,FH5.7

前方部が発達しかけている、前方部を平野側に向ける


56号
前方後円墳、TL37,R24,RH3.5,FW16,FH2.1、4C

群中最小の前方後円墳


72号
前方後円墳、TL79,R50,RH7.4,FW39,FH4.6、4C後半

奈良県行燈山古墳と同一設計


83号
前方後円墳、TL80,R40,RH5.7,FW25,FH2.2

典型的な柄鏡型


88号
前方後円墳、TL40,R21,RH3.3,FW16,FH2.2



90号(大山祇塚古墳)
前方後円墳、TL96,R51,RH4.1,FW31,FH3.8、4C
位置:32°07′04″N 131°23′39″E

群中3番目の規模


91号
前方後円墳、TL91,R43,RH6.2,FW20,FH2.3



95号
前方後円墳、TL53,R29,FH3.4,FW20,FH2.8



99号
前方後円墳、TL55,R31,RH3.5,FW15,FH2



100号
前方後円墳、TL59,R33,FW18,FH2

発掘中、全面に河原石が葺かれている


109号
前方後円墳、TL67,R37,FH4.2,FW26,FH3.7



111号
円墳

地下式横穴墓を有する


169号(飯盛塚古墳)
円墳、R44,H7、5C前半
位置:32°07′07″N 131°23′05″E

全国唯一子持ち家形埴輪が出土、後方の森が男狭穂塚古墳


170号(雑掌塚古墳)
円墳、R45,H1.8、5C前半

極端に平べったい墳形


171号
方墳、L23,H4.5、5C前半

群中唯一の方墳、右後方の森が女狭穂塚古墳


202号(姫塚古墳)
前方後円墳、TL52,R28,RH6,FH30,FH5
位置:32°06′36″N 131°23′38″E
群中最後の前方後円墳


206号(鬼の窟古墳)
墳丘、外堤


外堤上から見た墳丘


玄室、解体復元された


265号(船塚古墳)
前方部が発達した墳形、姫塚と同じく最後の前方後円墳


(見学記)
(2017年)
西都市童子丸、三宅、広い台地上に分布する古墳群ですがほぼ大地の縁辺に分布しています。殆どが公園化され要所要所に駐車場もあるので見学しやすい。前回の訪問も雨に祟られたけど今回も半日雨、でもおかげで博物館内をゆっくり見学、受付でもらった分布図のコピーが随分役に立ちました。前の見学記では資料館と書いているし入館料も取られたけど今回は無料、随分立派になっているし建て替えられたのかな。公園内の古墳はよく知られているのでまだあまり整備されていない西側の丸山支群を説明します。男狭穂塚女狭穂塚西側の高くなった場所にあるのが169号(飯盛塚)、170号(雑掌塚)共にかなり大きな墳丘で前回は復元前でしたが今回は復元されています、その分面白味はない。前回復元前の状態を撮っているから今となっては貴重な写真となりました。女狭穂塚南側にあるのが唯一の方墳171号、ここも前回は葺石が再現されていましたが多分レプリカ、今回は再整備なんでしょうか整備中で実物の葺石が見えていました。171号側の十字路を南に行くと墳丘が見えていました、円墳の172号で割と大きい。そこを登っていくと前方後円墳の173号があります。裸の状態で全長40m程、4C前半です。ここは西都原の大地より一段高くなっていて植生がなければ台地上が一望できたでしょうね、西側は急斜面になっています。ここから南側の林の中にあるのが前方後円墳の174号、西都原の中でも唯一林の中にある古墳でしょうか、南向きの前方部が多い中でこれは北向きです。墳丘状態もよく後円部と前方部の高さがほぼ同じで広がりも見せているので後期古墳かと思いましたが他の資料ではこの辺りでは一番最初に出現した前方後円墳となっています、とてもそのようには見えないのですが。前方部隅に古墳が1基ありますがこれは分布図に載っていません。後円部から南に降りて林から出た空き地に何基かの古墳がありその内1基が前方後円墳で176号、どう見ても柄鏡式の古墳で古そうなんですけどね。前出の資料によると174→173→176となっています。更に南下していくと古墳がまとまって集中している場所があります。道路脇にあるのが190号で道路反対側にあるのが187号、でも187号はどう見ても円に見えず長形、ひょっとして190号と合わせて前方後円墳かもしれない。ここで今回の見学終了、第3支群はかなり省きましたが他は徹底的に見ていったので1日半かかりました。
第1支群南側下位段丘に前方後円墳1を含む古墳群、東側下位段丘にも円墳からなる古墳群がありますがそちらは住宅街の中等で見学しづらくパスしました。グーグルマップの航空写真で見ると墳丘が残っているのが確認できます。

(2001年)
ここはあまりにも有名なので個々の細かな説明は省略します。国道10号から案内板が出ているのでそれに従って行く。西都市街地を通り広い台地の上に上がるといきなり鬼の窟古墳が右手にある。外堤を持つ円墳で群中唯一の横穴石室がある。さすがに大きな外堤があると豪壮に見えますね。一部をカットして断面が見えるようになっています。石室には柵に鍵がついているが常時開いているようだ。石室は解体復元している。それ程大きな感じはしない。更に行くと男狭穂塚女狭穂塚がある。深い林の中で共に前方部がかろうじて見えるのみ。左手の道を資料館の方に行くと171号がある。群中唯一の方墳で一部葺石が復元されている。更に行くと170、169号がある。前者は規模の割に背が極端に低くまるで煎餅のような墳形。後者は全国唯一の子持家形埴輪や舟形埴輪で有名、トレンチが入っていて発掘中のようだ。資料館(入館料200円)は出土品や古墳群模型の展示が主、線刻壁画を持つ土器田横穴墓の実物大レプリカが面白い。古墳関係の資料はあまりない。鬼の窟まで戻ると西側に建物が見える。これが平成6年に発見された酒元ノ上横穴墓群の保存施設で遺跡を発掘当時のまま保存している。2,6号では墓道の中まで入って見学できる。古墳群最後の造墓。南東に前方後円墳がポツンとある。柄鏡式の前方後円墳が多い中で前方部の発達した墳形で古墳群最後の前方後円墳です。この東側に古墳が密集している。前方後円墳は台地の端に側面をさらしているのが多い。35号で墳丘復元、竪穴石室と礫槨が公開されている。更に北側崖沿いに前方後円墳が並んでいる。殆ど柄鏡式でどれも保存状態が良く美しい墳形を横たえている。北側の100号が発掘中、全体にシートが懸かっているが隙間から河原石の葺石が見えている。谷を挟んだ北側に船塚がある。周りが円墳だけの中で1基だけポツンと存在、これも前方部の発達した後期型。それにしても古墳の多いこと、特に前方後円墳の状態が良く殆どが裸の状態でよく観察できる。幸か不幸か日程の一番最後だったので足早に見て回ったがじっくり見ていたら丸1日はかかりそうだ。全国にある風土記の丘第1号で全体が特別史跡となっている。

酒元ノ上横穴墓群

宮崎県西都市 2001年5月訪問、17年2月再訪

酒元ノ上横穴墓群
10基、7C初
横穴墓と地下式横穴墓の融合
平成6年発見、西都原古墳群最後の造墓
発掘当時のまま建物の中に保存されている
位置:32°06′41″N 131°23′31″E (日本測地系)
    32.11484437 131.38957805(世界測地系)

(2017年)
遺跡を丸ごと覆い屋で保存


覆い屋内部


2号墓、薄暗いのでぶれた


4号墓、主体部は未発掘か


6号墓、奥と右側に横穴がある


(2001年)
緩斜面に墓道を彫り込み奥に横穴墓を構築、右手にも横穴墓がある

茶臼原古墳群

宮崎県西都市 2001年5月訪問、17年2月再訪

春日地区9基(前方後円墳1)、轟地区9基、上野地区37基(前方後円墳2)

(2017年)
分布図:左下隅に児屋根塚(現地説明板より)


春日地区
1号(児屋根塚古墳)
前方後円墳、TL110,R64,RH7.5,FW61,FH7.15C
位置:32°07′42″N 131°26′13″E (日本測地系)
    32.1317876 131.43457381(世界測地系)
県道脇に大きく状態の良い墳丘が残る、ここも野焼きされていた


右が後円部、九州でも十指に入る大きさ


前方部隅から


2号墳辺りから


_2と反対側、それにしても端正な墳丘


2号
割と大きいがかなり低くなっているような


背景を選ばないと分かりにくい


8号
手前8号、左後方9号


これは比較的高さが残る


9号
ビニールハウスの農地の中に残る、流石に焼き方も遠慮したようだ


轟地区
位置:32°08′05″N 131°25′14″E (日本測地系)
    32.13817602 131.41818616(世界測地系)
茶畠の中に点々と墳丘が残る、流石にここは野焼きをやっていない


扇風機付きの墳丘(笑)


これは割と大きい


もう番号の特定は諦め撮影順にアップ


原型を殆どとどめているのかな






上野地区
位置:32°08′26″N 131°24′40″E (日本測地系)
    32.14400876 131.40874218(世界測地系)
県道西側、農地だか空き地に古墳が点在




以下撮影順にアップ








以下県道東側








(2001年)
児屋根塚古墳
左手が後円部


茶臼原古墳群(前方後円墳2,円53基)、の中で突出して大型


(見学記)
(2017年)
西都市茶臼原、これも台地上にある古墳群ですが広い範囲に幾つかの支群に分かれてますが円墳ばかりのようで見るべきものは東端辺りにある児屋根塚古墳くらいでしょうか。県道313号沿いに大きな墳丘が見えています。ここも野焼きされていましたが斑状態でした。大きいのは大きいんですが頭の中のイメージよりは小さく記憶の中で大きくなっていたようです。前方部側に2号円墳、割と大きいですが背が低い。西側に9,10号があります。後円部辺りの県道反対側に駐車スペースあり。県道を更に西に行くと轟地区に支群、左側茶畑の中に古墳が幾つも見えています。ここはもう遠望で撮る程度。更に西に行くと上野地区にも支群、道の両側に10基以上ありましたがもう個々を区別せずに適当に撮る。どちらも駐車スペースがあったので撮ってみたけどなかったらスルーしたかもね。

(2001年)
全長110m、後円部径64m、前方部幅61mの前方後円墳です。台地上の畑の中に均整のとれた姿を見せている。前方後円墳2を含む全55基からなる茶臼原古墳群の主墳でこの周りにも幾つかの円墳がある。主墳だけが突出して大きく他は小型。

川南古墳群

宮崎県川南町 2001年5月訪問、2017年2月再訪

前方後円墳25、円墳29、方墳1(みやざき文化財情報による)

1-21号

29-45号(今週追加)
46-56号(今週追加)
2001年

(2017年)
分布図:前方後円墳の割合が高い、1基を除き前方部が東±45°の方向を向く


1号
駐車場の中に残る


2号
公民館背後、ここに説明板と駐車スペースがある


殆の古墳が野焼きされていた、建物側だし多分バーナーで焼いたんだろうな


3号
道路で少し削られている


4号
前方後円墳
位置:32°09′59″N 131°29′43″E (日本測地系)
    32.16984072 131.49290067(世界測地系)
南側から、他の前方後円墳とやや離れた台地中央に立地、手前のは多分太陽光パネル


北側から、地形はこちら側がやや高くなる


北西から


端正な姿なので色んな方向から撮影


南東から


5号
建物の裏に残る


6号


7号


8号
奥に10号


9号


10号
前方後円墳、TL62,R34,FW18
前方部が低平


前方部斜め後方から


11号
前方後円墳、TL94,R48,FW28
位置:32°09′48″N 131°29′35″E (日本測地系)
    32.16678552 131.49067872(世界測地系)
前方部が長く低平


前方部斜め後方から


前方部端から後円部


後円部から前方部、端が広がらない


前方部左隅から後円部


13号
11号から見た13-15号


後方に11号


14号
手前14、後方15号


低い墳丘、後方11号


15号
この辺りは藪が刈り払われた直後のようだ


16号
方墳
唯一の方墳


17号
多分古墳


18号
前方後円墳
位置:32°09′47″N 131°29′30″E (日本測地系)
    32.16650777 32.16650777(世界測地系)
11号から見た様子、藪の中だと思っていたのでラッキー


台地縁辺に立地、でも下から見えたかな


南東側から


真横から、前方部が長い


後円部横から前方部


21号
前方後円墳
小型の前方後円墳、後方の林の中にも幾つか前方後円墳があるはず(19、22-28号は林の中で見学不可)



29号
前方後円墳
前方部が短い


30号
前方後円墳、TL52,R28,FW34
位置:32°09′56″N 131°29′29″E (日本測地系)
    32.16900746 131.48901212(世界測地系)
11号と比べて前方部が発達してきている


左が前方部




31号
前方後円墳、TL48,R32,FW20
位置:32°09′58″N 131°29′29″E (日本測地系)
    32.16956295 131.48901211(世界測地系)
30号北側


右が前方部


30号とほぼ同型同大


32号


33号
前方後円墳、TL52,R32,FW28
位置:32°09′55″N 131°29′25″E (日本測地系)
    32.16872971 131.48790111(世界測地系)
30号西側


この辺りの4基はどれも似ている


西側から


南東側から


34号
_1


35号
_1


37号
前方後円墳
39号西側の小型前方後円墳、右奥に前方後円墳38号、手前に円墳36号があるはず


39号
前方後円墳、TL113,R64,FW38
位置:32°09′53″N 131°29′18″E (日本測地系)
    32.16817421 131.48595684(世界測地系)
群中最大の前方後円墳、前方部が随分低平


後円部は圧倒的迫力


前方部右隅から


42号から、手前に40号


40号
前方後円墳
手前が後円部、左奥に42号


42号
前方後円墳
北側から


前方部端から後円部


南東から


43号
前方後円墳、TL46,R28,FW16
位置:32°09′58″N 131°29′26″E (日本測地系)
    32.16956294 131.48817884(世界測地系)
30号北西


北東から、左後方に33号


45号
前方後円墳、TL34,R26,FW18
位置:32°10′01″N 131°29′27″E (日本測地系)
    32.17039618 131.48845657(世界測地系)
これだけ例外的に前方部が南向き


前方部も低い


帆立貝式に近いかな



46号
左から46,47,48号、北東高台に支群のようにある




47号


48号


49号
前方後円墳
右49、左50号


前方部低平


前方部隅から後円部


反対側の前方部隅から


真横、南から


50号
前方後円墳
位置:32°10′11″N 131°29′59″E (日本測地系)
    32.17317368 131.49734462(世界測地系)
49号とほぼ同じ大きさ


前方部がやや高くなっているか


56号
4基の円墳の中では一番大きそう



(2001年)
10号
典型的な柄鏡型


11号
殆どで前方部が東を向く


30号
前方部発達


31号


左30号、右31号、30号の奥に僅かに見えているのが39号


33号


39号
群中最大、側の建物から汚水がしみ出て環境が悪くなっている


43号


45号
唯一前方部が南を向く


(見学記)
(2017年)
ここも丘陵上の広い平坦面に分布する大古墳群ですが概ね平坦面縁辺に立地しています。来てみたら殆どの墳丘が野焼きされ真っ黒け状態、かなりガッカリしました。群の東側辺りに自動車工場がありこの西側に石碑と説明板があります。最大の前方後円墳は西端辺りにある39号、巨大な後円部が圧倒的な迫力です、その割に前方部は低く細長く典型的な柄鏡型前方後円墳です。この西に2基東に3基の小型の前方後円墳がありますが同じ前方後円墳とは言えまるで別物ですね。中央南側に前方後円墳の11号があります。以前はこの南側は藪や林でしたが今回すっかり刈り取られていて前方後円墳の18号が見学できましたラッキー、やはり野焼きされていましたけどね。小古墳も4基その内東側の1基は唯一の方墳のようです。説明板の所に駐車可。
北東台地の上に支群があります、分布図右上辺り、ここは前回見逃している。近そうに見えたので歩いて行こうかと思いましたが道が描かれていないので車で行ったら結構離れていた、歩いていける距離ではなかったな(汗)。前方後円墳2、円4からなりますがここは茶畑なので焼かれてはいなかった。立地が違うので支群というより独立した古墳群でもよさそう、な気がする。傍を通る県道からブロック擁壁の間の道を入るとすぐ、墳丘脇に車を停められますが県道脇でも駐車スペースあり。一括国史跡。

(2001年)
前方後円墳24基を含む50数基からなる古墳群で特に川南地区に前方後円墳が集中している。現地に行くと畑や水田の中に前方後円墳がごろごろ、かなり集中しているうえに殆ど裸の状態で色々な形が楽しめる。概ね崖際に並んでいるのが前方部の細長い柄鏡式で崖からやや離れているのが墳丘は小型化しているが前方部が発達しているようだ。西端にある39号が最大で全長113m、後円部64m、前方部38m、後円部はかなり背が高いがその割に前方部は細長い。側の建物から汚水がしみ出てきて周りの環境がかなり悪くなっている。これだけの規模なのに固有名が付いていないのも珍しい。

亀塚古墳(持田61号)

宮崎県高鍋町 2001年5月訪問、17年2月再訪

帆立貝式、TL50,R39,RH7,FW29,FH3
位置:32°08′21″N 131°31′58″E (日本測地系)
    32.14262199 131.5303986(世界測地系)
(2017年)
持田48号からの眺め、平野部に立地、後方丘陵上にも数基の円墳がある


姿の良い帆立貝式


南西側から、小屋がなくなっている


南東側から、後方丘陵上に持田48号


東側から


前方部隅から後円部


前方部から後円部、唯一墳丘の上に上がらさせてもらいました


(2001年)


台地直下の平地に立地


(見学記)
(2017年)
平野の田圃の中に単独で存在する前方後円墳です。一応持田61号の名前がついていますが宮崎県の古墳は旧市町村+古墳何号と名がついていることも多く実際の古墳群とはかけ離れた状態になっていることも多い。ここも多分そうでさすがにこれを台地上にある持田古墳群と一緒にするには無理があるでしょうね。ここから西側に持田古墳群のある丘陵が望め48号が見えています。亀塚を先に訪問していたら気が付かなかっただろうな。東側の丘陵上にも古墳群がありこれも持田古墳群と名がついていますが別の古墳群にした方が良さそう、こちらはパスしました。墳丘脇に駐車可。国史跡。

持田古墳群

宮崎県高鍋町 2001年5月訪問、17年2月再訪

前方後円墳11,円墳76
4C~6C

(2017年)
1-12,19,76号
13-18,23-30,32-33,78号
34-37,44-49,79,81号
31,50-61,84,85号
2001年


分布図:多分以前のと同じ、大分錆びてきている、相互位置や道路との関係は実際とは微妙に異なる


1号(計塚古墳)
前方後円墳、TL100,R59,RH11.7,FW31,FH7
位置:32°08′55″N 131°31′02″E (日本測地系)
    32.1517876 131.51484396(世界測地系)
最大の前方後円墳、望遠で撮影、後円上部が平坦で何となく方形っぽく見えます


くびれ部、民家敷地内で近寄れない


前方斜め後方から


2号
取り敢えず標柱を入れて撮影、でないと後で番号がわからなくなる


角度を変えると随分雰囲気が異なる


3号
周囲が削られているようだ


反対側


4号
墳頂に標柱が倒れている、木製だから残っているのが不思議なくらい


5号
畑の中だと周囲が削られているのが多い


6号
それでもよく消滅しなかったものだ


?号
5,6号南側、標柱は12号となっているが明らかに間違い


7号


8号


9号
最大クラスの円墳でしょうか、形もよく残っている


10号


11号
後方にに10号、9号




12号


19号
時々番号が飛ぶから厄介


20号:見逃す

76号
一見前方後円墳風


多分2段築成の円墳、右側が削られている




13号
14号南、割と大きそう


14号
前方後円墳
手前14、後方15号、主軸向きが異なる、この時だけ日が当たった


姿の良い前方後円墳、左後方に13号


形からして13号より新しそう、前方部に見えているのはただの穴


後円部斜め側から


15号(石舟塚古墳)
前方後円墳、TL45,R25,RH4.5,FW22,FH4.4
位置:32°08′46″N 131°31′13″E (日本測地系)
    32.14956562 131.51789933(世界測地系)
端正な姿の前方後円墳


前方部斜め後方から


後円部斜めから、石棺は西都原考古博物館に移された


16号
畑の中に墳丘点々、正面右16,左17号




後方に15号


17号


18号
よく残したな、と言うより何故残した


23号


24号


78号
24号近く、割と大きいのに番号不連続


26号(山ノ神塚古墳)
前方後円墳、TL46,R26,RH5.5,FW27,FH5.7
位置:32°08′48″N 131°31′24″E (日本測地系)
    32.15012112 131.52095462(世界測地系)
群中央辺りに立地、周囲が削られている


前方部斜め後方から、車が停められるのはほぼここだけ


東側から


27号
軽トラと比較すると大きさが分かる


28号


29号


30号


32号


33号




34号
前方後円墳
位置:32°08′36″N 131°31′18″E (日本測地系)
    32.14678814 131.51928821(世界測地系)
姿の良い前方部、裸なのが嬉しい


後円部


前方部隅から後円部


35号
この辺りは台地縁辺林の中、状態が良いのも多い


36号


37号


79号


44号
裾がなだらかな墳丘


45号


46号
前方後円墳
位置:32°08′33″N 131°31′20″E (日本測地系)
    32.14595489 131.51984375(世界測地系)
側面、左が後円部


後円部横から前方部


81号


47号
前方後円墳
位置:32°08′30″N 131°31′21″E (日本測地系)
    32.14512165 131.52012154(世界測地系)
後円部


右奥に前方部


側面、下がれないので全体は撮れない


前方部隅から後円部


48号
前方後円墳
位置:32°08′28″N 131°31′23″E (日本測地系)
    32.14456616 131.52067706(世界測地系)
群南端、台地縁辺に位置する、前方部が長く低い


台地下の亀塚からの眺め


古墳?
48号側、分布図にはないけど古墳でしょうか


49号
石仏に囲まれた墳丘




31号
台地縁辺にあるので取り敢えず望遠で撮影


割と大きな墳丘


左側の茶畑は耕作地にする際、削られ低くなっているようだ


50号


51号
畑の中に3基並ぶ、左から51,52,58号




52号
周囲が随分削られている


58号
こちらも同様周囲が削られる


53号
右後方57,左後方84号




57号


84号


85号


55,56,59,60,61号:分からず、この辺り分布図あやふや


(2001年)
分布図


1号(計塚古墳)
前方後円墳、TL100,R59,RH11.7,FW31,FH7
位置:32°08′55″N 131°31′02″E
群中最大、前方部が細長い、手前に円墳が幾つか見えている


9号
群中では大型の円墳


15号(石舟塚古墳)
前方後円墳、TL45,R25,RH4.5,FW22,FH4.4
位置:32°08′50″N 131°31′11″E
墳丘側面


後円部頂の舟形石棺、内部に朱の跡が残っている


26号(山の神塚古墳)
前方後円墳、TL46,R26,RH5.5,FW27,FH5.7
周囲がかなり削られている


石舟塚から見た山の神塚方向、円墳も10基以上写っている


34号
前方後円墳、TL60,R32,RH5.7,FW30,FH4.8


61号(亀塚古墳)
帆立貝式、TL50,R39,RH7,FW29,FH3
位置:32°08′21″N 131°31′58″E


台地直下の平地に立地


(見学記)
(2017年)
高鍋町持田、丘陵上の平坦面に立地する大古墳群です。群のほぼ中央辺りに前方後円墳の山の神塚古墳(26号)がありその少し西側に説明板と分布図がありますが方位が書かれていません、左上が北の方向になるので注意が必要。説明板は前回と変わっていないようだが錆が進んでいるあたりに時の移ろいが。。見通しのきく茶畑の中にあり標柱も立っているので見学しやすい。ただ分布図東側のは実際のとは少し違っているような。南側の高鍋大師に行く道沿いに前方後円墳4他が集中しています。境内にあるのが48号で1号計塚に次ぐ大きさです。ここから下の平野に立地した亀塚古墳が遠望できます。15号石舟塚に舟形石棺がありましたが現在は西都原考古博物館に移されています。あることさえ忘れていたけどね(汗)。この後行った他の古墳群では墳丘が野焼きされて真っ黒になっていましたがここはされて無くてホッ、やはり茶畑や林の中にあるせいでしょうか。山の神塚の側に駐車可。一括国史跡。
(追記)「前方後円墳集成」によると前方後円墳の番号が違っていますが一応現地説明板に従います。

(2001年)
前方後円墳11,円墳76基からなる古墳群で大半は台地上にあるが一部は平地に立地している。国道10号から県道に入り鬼が久保バス停から台地上の道に入っていくと広い畑の中に古墳が点々と何十も見えてくる。右手にあるのが主墳の計塚(1号)で全長100m、後円部径59m、前方部幅31mで前方部の細長い姿をしている。民家の敷地内なので墳丘上に上がるのは遠慮したが外からでも十分姿を見ることが出来る。畑の中に説明板と分布図がある。15号石舟塚だけ案内表示があるのでなんだろうと行ってみたら墳頂に舟形石棺があった、納得。蓋石が半分程度架けているが小口部や側面の2個ずつの縄掛け突起があり内部には赤い顔料の痕も残っている。ここだけでなく他の石棺でも縄掛け突起だけ削られているのをよく見かけるが突起の石に何かお呪い的意味を持たせようとしているのだろうか。もう1基固有名が付いているのが26号の山の神塚古墳、周囲が削られて崖のようになっている。状態の良い前方後円墳が多い中でちょっと痛々しいがそれでも他県の古墳に比べたら十分状態はよい。国道に戻って台地から下の平地に下りると東側に古墳が見える。これが61号の亀塚古墳で全長50m、後円部径39m、前方部幅29mの帆立貝式。水田の中にあるが形のいい姿を見せている。
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