箕具崎古墳群

佐賀県武雄市(旧北方町)2014年3月訪問

前方後円墳2基を含む7基程、狭い範囲に密集

1号
僅かな高まりが残る


頂部に石室構造を伺わせる石材露出


2号
前方後円墳
横穴式石室
位置:33°11′46″N 130°05′27″E (日本測地系)
    33.19943481 130.0885385(世界測地系)
尾根頂部に位置する、手前が前方部端、右後方後円部


後円部横から、右が前方部


後円部頂に石室露出


天井石は1枚のみ残存、内部も殆ど埋没


石室内部、奥の石はなんでしょう


側壁が落下かと思ったがそれにしてはうまく鎮座している、石棚ということもないだろうしな


右2号前方部端、左3号前方部端、前方部どうしが向き合っている


3号
前方後円墳
横穴式石室
斜面下方から見た後円部、整った形が残っている


墳丘側面、右が後円部、やや左下がりの尾根筋に立地


前方部から後円部


後円部から前方部、ハッキリしない、右奥に2号前方部が見えている


前方部右隅から後円部


後円部石室開口部、細長い石室


石室内部、ここが奥壁かな、だとするとかなり奇妙な積み方、線刻壁画があるそうだ


4号
横穴式石室
墳丘は残るが形ははっきりしない


天井部を失った石室開口


床面に仕切り石がある


石室内部、天井石は動かされているのかな


天井石がずれ落ちかけている


奥から外、仕切り石はしっかり根付いているようだ


格子紋線刻


5号
横穴式石室
2号から見た5号


横から見ると墳丘良好に残る


頂部に石室露出、手前の天井石はずれ落ちているのかな


石室内部もかなり埋まる


奥壁側壁とも小型石材


6号
5号下方、盗掘で大きく抉られている


盗掘跡には石材は殆ど見られない


7号
これだけ北側に少し離れていますが7号でしょうか


頂部に石材露出、天井石でしょうか


見学記
永池溜池東側に南北に伸びる丘陵がありその北側三角点のあるピーク周辺に分布する古墳群で前方後円墳2,円墳4があります。どれも墳形は良好に残っていますが石室状況は悪いです。1番北側の円墳が1号、大きな墳丘頂部に石材露出、そのすぐ南にあるのが前方後円墳の3号、あまり幅のない石室で奥の方が露出線刻があるそうだが確認できず。この東側に4号、もう白石町との境界になります。墳頂に天井石を失った石室露出一箇所で線刻が見られます。ピークにあるのが前方後円墳の2号、頂部に石室露出するも内部埋没。すぐ南にあるのが5,6号、5号は頂部で石室露出内部埋没、6号は大きく盗掘されるも石材は全く見られません。完全に破壊されたか。こういう場所はまず登り口を探すのが大変、初めは永池古墳のある溜池北側の堰堤から登ろうとしましたが山道もなくちょっと無理そう、丘陵麓の道を走っている内に北側に墓地が有りました、そこから登って行けます。墓地最上部からは道がありませんが緩傾斜だし距離もそれ程ないのでコフニストなら問題ないでしょう。墓地入口辺りに駐車可。
なお「前方後円墳集成」では古墳群名が蓑具崎古墳群とあり前方後円墳も4,5号となっています。ここでは大和國古墳墓取調室掲示板に掲載されている分布図に従っています。

勇猛寺古墳

佐賀県武雄市(旧北方町)2014年3月訪問

横穴式石室3基、全てに線刻壁画
1号石室:玄室長3,幅1.6,高3m
2号石室:玄室長2,幅1.5,高2.1m
3号石室:玄室長2,幅1.2m
位置:33°11′39″N 130°04′53″E (日本測地系)
    33.19749045 130.07909502(世界測地系)

竹林の中に痩せ細った細長い墳丘がある、太い竹に阻まれて写しにくい


(1号石室)
墳丘東端にある石室、羨道や玄室片側が崩壊、半分でもよく残っているもんだ


幅の割に背の高い玄室


基部に大型石材を据える、上部の小型石材も面を整えている


袖石が両方共残っている、両袖式


袖石の線刻、格子紋


(2号石室)
墳丘中央にある石室、これが一番状態が良い


玄門開口部、羨道上部は壊失、まぐさ石にヒビ、玄室天井石が突き出ている


奥壁側壁とも基部に大型石材を据える、玄室自体は小型


〃(縦位置)大小の石を組み合わせている


奥から外、袖石を立てた両袖式、羨道部が一段高く竪穴系横口式石室


まぐさ石上部、天井は狭い


奥壁上部も開口、そこから内部、まぐさ石上部がポッカリ開いている


線刻、ゴンドラかな


家屋?


格子紋と斜格子紋


斜格子紋


(3号石室)
墳丘西端にある石室


石室殆ど露出、天井石は最後部を除いて壊失


小型石室、奥壁はどうなっているんでしょうね


奥から外、左の袖石はあるが右はよく見えず、ここも玄室床面が下がる竪穴系横口式石室


線刻、人物


格子紋


見学記
永池脇の道路に勇猛寺の案内表示があるのでそこを曲がって曲がりくねった道路を登って行くと勇猛寺が有ります。お寺の北西側道路斜め向かいの竹林の中にあります。細長い墳丘が残っていて3つも石室がある贅沢さです。東から1,2、3号石室、1号石室は背の高い玄室ですが右側壁が崩壊天井石も落下して危険な状態です。基部に大型石材を据えていますが全体に石材は小さめ、柱状の袖石が残っていてこの一つに線刻が有ります。中央の2号石室が一番良好で玄室床面が羨道より一段下がる竪穴系横口式、玄門まぐさ石の上がぽっかり開いていますがこれは初めから無かったのでしょうか。滋賀県の石室でこういうのをみたことあるな。天井石は2枚ですが前のは羨道側に突き出ています。斜格子紋家屋紋ゴンドラなどいろんな線刻が有ります。西側の3号石室も竪穴系横口式石室だそうですが全体に細長く2号とは大分様相が違います。天井石が落下していたりして状態はよくありません。ここも線刻が見られます。1墳3石室というのも珍しいですが石室形体がそれぞれ違うのも興味深いです。それにしても周りは石がゴロゴロ、石室の材料にはことかかないだろうけど作業用通路を作るのも面倒そうだしなんでこんな場所に造ったんでしょうね。お寺の敷地内だそうなので一応お寺に挨拶をしてほしいそうです(ご住職談)。ちなみに寺の読みは”ゆうもうじ”でなく”いもうじ”のようです。寺前に駐車スペース有り。

勇猛山4号

佐賀県武雄市(旧北方町)2014年3月訪問

6C後半
複室横穴式石室、前室長0.8,幅1.2,高1.8m、後室長3,幅2.3,高3m
位置:33°11′51″N 130°04′32″E (日本測地系)
    33.20082336 130.07326225(世界測地系)

すっかり藪に覆われた墳丘、誰かの訪問後だったのでしょうか、ぽっかり開口


羨道からして背の高い石室、前面がハの字状に開く


前室玄門、まぐさ石はないようだ


前室左側壁


前室右側壁、どちらもあまり引っ込んでいない


大きなドーム状後室、奥壁上部が開口で内部は明るい


〃(縦位置)、背が高いとより大きな石室に見える


左側壁、巨石を据え上に平石を重ねる


右側壁、こちらも同様


奥から外、袖石を立てた両袖式


まぐさ石上部


奥から玄門片側


〃反対側


前室奥から、ご覧のとおりすぐ側まで車で行ける


天井は巨大な1枚石、左奥壁側から持ち送っている


線刻、ゴンドラでしょうか


上記ゴンドラの左側


魚?


鳥?


見学記
道路を更に400m程登って行き左の脇道に逸れて更に上り180°急カーブの道路下にあります。墳丘全体が藪に包まれていますが石室が開口しているのが見えてます。前の訪問者が掃除してくれたのかな。複室石室で良好に残っています。羨道入り口はややハの字上に開く、前室は横幅もあまりなくもう形式的な感じです。後室完存、基部に大きな石材を据え小型石材を持ち送りに積み上げたドーム状、天井石は巨石1枚石です。奥壁上部に隙間があるので内部は明るい。後室に何箇所か線刻が有りますがどういう模様なのかはっきりとは分かりませんでした。
ちなみに4号があるのなら1-3号もあるんでしょうか、それとも勇猛寺古墳に石室が3基あるのでそれを1-3号にあててこちらが4号なのでしょうか。寺と山と微妙に名前が違ってますが。
(追記)勇猛山古墳群は8基あって4号以外は消滅しているそうです。

矢ノ浦古墳

佐賀県武雄市 2014年3月訪問

前方後円墳、TL37,R17,RH2.7,FW5、5C前半
位置:33°11′16″N 130°02′01″E (日本測地系)
    33.19110126 130.03132153(世界測地系)

丘陵上に構築されたこの地方最初の前方後円墳、公園内に現状保存、ほぼ裸の状態


前方部から後円部、粘土槨は埋戻し


後円部から前方部


見学記
武雄市武雄町大字永島、白岩運動公園内にある全長37mの前方後円墳で現状保存されていてほぼ裸の状態、墳形も良好に保たれています。園内の一番高所にあり(と言っても標高40m程度)この地域最初の前方後円墳だそうです。粘土槨を持っていますが埋戻し。西側に駐車場が有りますがそこからは大分歩くことになります。県史跡。

永池古墳群

佐賀県武雄市(旧北方町)2014年3月訪問

(永池古墳以外は仮称)

永池古墳
複室石室
位置:33°11′18″N 130°05′03″E (日本測地系)
    33.19165771 130.08187252(世界測地系)
13年訪問時、溜池の水が溜まって見つけられず、後から写真を見て写っているのを確認、左下が拡大写真、半分以上水没している


14年訪問時、既に水が溜まり始めている


望遠写真、既に側まで水が迫っている、この状態では池沿いに行くのは相当困難


山側から接近、ギリギリセーフ


羨道はかなり崩壊、天井石が落下している


前室玄門


前室、後室玄門、板状の袖石としきみ石がある


前室左側壁、大型石材は一つだけで他は小型


前室右側壁、左に比べて石材が大きい


反対側から見ると入口側の基部石材は薄っぺら、これが倒れると石室の崩壊が一気に進みそう


玄室、奥壁はおむすび型のほぼ1枚石、水が侵入した跡が縞模様となって残る


玄室(縦位置)


天井はドーム状、中央部が高くなる


天井石を1枚ずつ高くしている様子が分かる


左側壁、三角形の腰石に平石を重ねる


右側壁、こちらの方が石材大型で平石も少ない


奥から外、袖石を立てた両袖式


〃(縦位置)


後室左袖部


〃右袖部、山側谷側で石材の大きさを変えたのでしょうか


前室奥から、天井部は抜けている


2号
横穴式石室、玄室長2.5m程
すぐ上の竹林の中にある


玄室前部天井が開口


小型石材の小さな玄室、竹の根が侵入しているので掃除してから撮影


〃(縦位置)


奥から外、入口側が狭まっている、羨道埋没、幅がすごく狭い


3号
位置:33°11′16″N 130°05′05″E (日本測地系)
    33.19110221 130.08242801(世界測地系)
小さいが状態の良い墳丘


墳頂に石材露出、横穴石室かな


見学記
武雄市北方町大字大渡、永池溜池(2つある南側)東岸にありますが普段は水没、水の減る冬期しか見学できません。13年に訪問したのですがこの時は南北どちらの溜池側か分かっておらず溜池も水が溜まっていました。取り敢えず記念写真を撮って帰ってから見てみるとドンピシャリ真正面に写っていました。どちらにしろこの時は既に半ば水没状態で気がついていても接近不可能でしたけどね。翌年再訪今度は上の山林から降りて行きました。3月上旬で既に水面が石室側まで上昇してきていてギリギリセーフでした。南西谷の上方側に開口する複室石室です。羨道はかなり崩壊前室も天井がなくなっていますが後室完存背がやや高くドーム状の玄室、奥壁も巨石1枚石です。上部に水没した跡がくっきり残っています。線刻があるそうですが壁面が薄っすら泥を被っていたりしてよく分からず。すぐ上の林に大きな墳丘が有り南側に石室が開口しています。墳丘の大きさの割に小さな石室で長2.5m程、入口側がロート状に狭まる変わった構造、羨道も激狭で人が横になっても通れないような状態です。当時のままなのか土圧で狭くなったのか、盗掘者も入れなかったようで天井石を外して入っています。更に上の方道路から林に入る辺りに小さな墳丘が有り頂部に石材露出しています。永池古墳群と呼ばれているようです。道路は広いので駐車に問題はないかな。

潮見古墳

佐賀県武雄市 2013年3月訪問

円墳、R25,H5
横穴式石室、全長7.6m、玄室長3.4,幅2.5,高2.7m
位置:33°10′17″N 130°02′53″E (日本測地系)
    33.17471438 130.04576506(世界測地系)

神社から案内あり、石室前には柵


柵越しに撮った羨道


補強の入った羨道


玄室、基部は大型石材上部は小型


背の高い玄室、天井が傾いている、左側壁上部の石材が落下


奥壁、大型鏡石に小型石材


奥壁前に屍床、右側は隙間がある、手前は落下した側壁石材


屍床角に短い石柱が立つ


石柱の間に厚めの板石で区画


奥から外、両袖式、かなり歪んできている


左袖部には太い石柱が立つ


反対側には石柱はない


幅の狭い天井、右側壁には石材が抜け落ちた跡がある


天井を自然光で


羨道奥から、閉塞石が残っているのかな


(見学記)
武雄市橘町大字永島、県道330号と高速道路が交わる南側に潮見神社がありその背後の丘陵斜面にあります。社殿脇に説明板がありその後も案内板が出ているので迷うことなくたどり着けます。南向きに開口する石室ですが内部の状態が悪く入り口に柵があって中には入れません、一応(汗)。玄室長3.4幅2.5高2.7mのドーム状石室奥壁沿いに死床があり両側には角柱が立てられています。短いけど折れているのかもしれない。玄門脇にも角柱が立てられていますがこちらは長く1m以上、こちらの役割は何でしょうね。ドーム状の石室だと天井が狭く板状の石が使われていることが多いのですがここでは細長い石が幾つか使われています。左側壁上部がややせり出し一部石材が落下天井石も傾いていてかなり危険な状態です。入り口に柵があるのも当然だな(汗)。神社境内に駐車可。県史跡。

多蛇古古墳

佐賀県武雄市 2013年3月訪問

前方後円墳、TL85
位置:33°10′42″N 130°04′21″E (日本測地系)
    33.18165828 130.07020711(世界測地系)

復元され公園として公開


真横から


前方部から後円部、滑り台ではないですよ


後円部から前方部、町並みの中に保存


(見学記)
武雄市朝日町大字甘久、甘久簡易郵便局すぐ東側にあります。現存長30mの前方後円墳で墳丘が復元され公園となっています。公園といってもこれしかありませんが。東側に2号があるそうですが消滅かな。ここに至る道は大変狭いですが駐車場があるのが助かる。

玉島古墳

佐賀県武雄市 2007年1月訪問

円墳、R42-48,H9、6C初
横穴式石室、玄室長3.3,幅1.43-2.1m
位置:33°09′50″N 130°03′26″E (日本測地系)
    33.16721534 130.05493083(世界測地系)

県下最大級の円墳(07年)三段築成で下は地山、上2段が盛り土


墳頂部にある石室(13年)説明板では竪穴系横口式石室


奥壁の手前に仕切り石がある、左側の石は天井石か


玄室、奥が広がる羽子板状


大型の石を下部に据え平石を積み重ねている


奥から外、袖石を立てた両袖式


(見学記)
武雄市橘町大字大日、嬉野町方面から国道498号を北上し武雄市に入ってすぐに国道と県道が分かれる先に大きな墳丘が見えています。径42-48m、高さ9m県下でも最大級の円墳で墳丘も良好、古墳公園として保存されています。駐車場有り。谷中平野の一番奥辺り、北側はすっかり水田となっていて遠くからでもよく墳丘が見えています。三段築成の墳丘は下段が地山、上が盛り土です。墳頂部に石室がありますが盗掘で下部しか残っていません。説明板では竪穴系横口式石室と書かれていますがどう見ても普通の横穴式石室ですね。ただ墳頂にあるというのが少し変わっています。玄室は奥が広がる羽子板状、奥壁前には仕切り石があります(説明板では死床)。県史跡。
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