稲塚古墳

佐賀県鳥栖市 2017年3月訪問

複式横穴石室
位置:33°22′50″N 130°30′12″E (日本測地系)
    33.38387053 130.50100235(世界測地系)

墳丘も残るが右側は大分削られている


石室正面、羨道先端まで残っていそう


羨道からして巨石、隙間に平石が詰められている


後室玄門、左側が2段積み


床面には礫が敷かれている


前室右側壁、巨石1枚石


反対側は奥壁鏡石風


後室、残念ながら奥壁上部と天井が抜かれている、明るいので植物繁茂、ここも大分掃除しました


左側壁下部の石は奥壁下部より巨石


右側も同様、こちらはほぼ1枚石


奥から外、両袖式、流入した土砂は新しそう


前室奥から


前室、奥から左側、巨石だけど意外と薄いかも


〃反対側、こちらはそうでもないかな


後室、抜かれた天井


後方上から、赤い鳥居はゴミ捨てるなの印、こんなとこにごみを捨てる奴がいるのか


周囲の石材に石を割った矢穴の跡がある


こちらにも、割ったはいいが大きすぎて放置したんでしょうか


見学記
鳥栖市古賀町、若葉小学校南西隅(でも校外)にあります。墳丘は割と残っていて南側に開口、頗る付きの巨石を使った複室石室です。状態もよく多分羨道先端の羨門まで残っていますが残念なことに後室天井石が割られています。墳丘上に割られた残骸が残っていますが矢穴で割られた跡があります。後室をメジャーで測ってみましたが奥行き幅とも3.5m程、奥壁側壁も1枚石です。さすがにこの大きさでは1枚石の天井石は無理そうで持ち送りされていたんでしょうが残っていればさぞかし見事だったでしょうね。中室は後室より一回り小さい程度で十分大きく側壁も巨石1枚石です。床面には礫の敷石がありますが多分後室にもあったんでしょうね。これだけ見事な石室ながら説明板はありません。墳丘側の道路脇に駐車スペースあり。

塩塚古墳

佐賀県鳥栖市 2017年3月訪問

位置:33°22′44″N 130°30′04″E (日本測地系)
    33.38220392 130.49878029(世界測地系)

小さな微高地全体が境内になっている


頂部に墳丘、大分変形を受けているようだ


北側は元の状態かな


石室石材でしょうか、転落状態


見学記
鳥栖市養父町、県道17号塩塚交差点北西にある古墳です。微高地を利用して作られた古墳で墳丘は良好に残っています。上に神社(石の祠だけど)があって平になっています。墳丘脇に長さ3m程度の巨石があってどう見ても元々自然にあったようには思えない。竪穴石室や箱式石棺材とも思えずひょっとしたら横穴石室かも。

百度塚古墳

佐賀県鳥栖市 2017年3月訪問

複式横穴石室、全長8m程
位置:33°23′06″N 130°29′41″E (日本測地系)
    33.38831436 130.49239128(世界測地系)

水田の中に石室完全露出


全体が藪に覆われている、東側は何とか側壁の様子がわかる


西側は完全に藪、冬でもこの状態


石室正面、ここは幸い藪ではなく入室可


多少埋まった羨道、蔓植物が内部に入り込んでいる


前室も巨石で構成


前室左側、側壁も巨石


前室右側、上部石材が抜かれている


玄室、奥壁はほぼ1枚石の巨石、大分掃除しました


玄室左側、これが奥壁鏡石と言われたら納得しそう、反対側は石が抜かれていたので撮っていない


奥から外、奥行きはあまりないので下がれません


前室奥から、この後は玄室側壁から外に出ました


見学記
鳥栖市牛原町、香椎宮南東150mの水田の中にある古墳です。墳丘流失石室が完全露出、水田の中なので目立ちます。巨石を使った複室石室でよく残っています。ただ外側はツル植物に覆われ内部にも侵入しているので内外とも見栄えはよくありません。それがなかったらさぞかし見事なんでしょうけどね。ここも説明板なし。

杓子ヶ峰古墳群

佐賀県鳥栖市 2017年3月訪問

14基(番号仮称)

1号
位置:33°24′07″N 130°30′01″E (日本測地系)
    33.40525795 130.49794628(世界測地系)
背後から見た墳丘


開口部側から


開口部


内部は藪状態、横長のようにも見える


2号
なだらかな墳丘


開口部側から


石材露出、天井石でしょうか


側壁かな


3-5号
東十郎古墳群から山道を登ってきて最初に目にするのがこの3-5号(右から)


左右の3,5号は墳丘がよく残る、3号に説明板が立つが意味不明


3号
横穴式石室
位置:33°24′10″N 130°30′08″E (日本測地系)
    33.40609128 130.49989069(世界測地系)
よく残った墳丘、石室前に木が生える


狭い開口部


割とよく残る羨道


前室、玄室玄門


前室右側、平石を積み重ねる、奥行きはあまりない


反対側も同様の構造


奥壁、鏡石が左に偏っている、上部は平石積み


〃縦位置、背の高いドーム状


ドーム状の割には広い天井


右側壁、これだけ見ると奥壁と間違えそう


奥から外、両袖式、左右の袖石が随分違うしまぐさ石も直接乗っていない


玄室奥から左側


〃反対側、同様の平石積みだが反対側のような巨石はない


前室奥から


4号
複室横穴式石室
両側に3,5号に比べ封土が流失したのか背が低くなり天井石が露出


正面から見ると羨道玄室の天井石露出、高さの違いがよく分かる


石室開口部、羨道は壊失か


玄室玄門


天井の一部が抜けて明るい玄室、鏡石が中央に配置、上部も乱石積みで3号と随分違う


〃縦位置、ここも背が高い


右側壁、こちらの方が石材が大きい


〃反対側、やはり不安定に見える、1段目と2段目、これでよくずれ落ちなかったな


〃正面から


左側壁、右に比べて石材小型


〃正面から


奥壁上部


天井は高いがそれ程狭くはない


奥から外、両袖式、袖は石を積み重ねる


奥から玄門左側、かなり不安定に見える


5号
複室横穴式石室
石室前面が掘り込まれている


狭い開口部


前室に見えないがここが前室


奥壁、一応腰石据えているが左に偏る、右側に小型石材を据えて意識的に左に偏らせているような


〃縦位置、背が高いドーム状


狭い天井、ここは正真正銘狭い


奥から外、両袖式、袖石は2段重ね、まぐさ石が直接乗る


奥から左


奥から右、こちらの方が石材の大きさがバラバラ


前室左奥から、反対側はもはや奥行きはない


前室羨道奥から


6号
 位置:33°24′10″N 130°30′04″E (日本測地系)
    33.40609125 130.4987796(世界測地系)
掘り込まれた墳丘


開口部


内部は殆ど埋没


背後から見るとまるで別物


7号
墳丘のようには見えます


上に祠


石室石材?


見学記
東十郎古墳群から登山道をそのまま登っていくと広い草原に出ます。正面に如何にも古墳を思わせる墳丘が並んでいて右から3-5号(全て仮称)、少し右に離れて2号、左上に神社がありそこに6,7号、右後方を振返ると休憩所がありその脇にあるのが1号です。因みにグーグルマップで見るとこの休憩所が宮地嶽神社になっているが間違いだよ。1号は低いがはっきりした墳丘が残っていて南側に小型石室開口、内部に植物が茂って分かりづらいが横長のようです。2号は墳丘が少し削られ石材露出、奥辺りかなほんと極一部のようです。3号は墳丘石室とも良好、複室石室で入り口は狭いですが特に困難ではない、前室は普通だが後室がちょっと変わっている、奥壁鏡石が中央でなく左に偏っている、右側にはミニ鏡石とでも言えそうな石もある。更に上部は平石を重ねたドーム状ですがそれ程高くはない。鏡石上部の平石の積み方に比べてミニ鏡石の方が少し突き出ていてひょっとして後から増設したかなとも思える状況です。隣の4号は3号と墳丘が接している。こちらは封土が少し流れ出したのか石室上部が露出しています。ここも複室石室ですがまぐさ石上部の石が抜かれて内部は明るい、でも入るのは普通に羨道からですけどね。後室はほぼ正方形プランでドーム状背が高い、奥壁は標準的な鏡石が中央に据えられていますが上部は平石でなく乱石積みで持ち上げています。隣の5号は若干離れていてこちらも墳丘石室良好、石室前は墓道になっているんでしょうか。複室ですが羨道は短く前室も右側だけに凹みがある状態で殆ど形式的になっています。後室はドーム状、基部に巨石を据え鏡石も四角い、上部を乱石積みにして持ち送り天井は狭く1枚石です、3基の中ではこれが一番洗練されているように思えました。上の高い所に宮地岳神社がありその側に6号、墳丘脇が削られ石室一部露出内部は殆ど埋まっています。神社本体は石の祠でそれが乗っているのも墳丘でしょうか。7号は別の場所にあるようです。古墳群全体では14基あるようです、3号脇に説明板がありますがあまり詳しくなく内容も一部不明なところがあります。歩いて登ってくるしかないので大変ですが3-5号を見るだけでも価値のある古墳群です。

東十郎古墳群

佐賀県鳥栖市 2017年3月訪問

総数74基
(番号はHP「大和國古墳墓取調室」に従う)

1号
露出した天井石


多分上記反対側から、画面左右方向が石室主軸のようだ


2号
急斜面に立地


石室後部残存、割と背が高い


よく残ったなと思うレベル


乱石積みの奥壁、基部だけやや大型石材


3号
石室正面、羨道上部壊失


羨道は多少埋まる、土砂は新しそう


玄室、右に偏った鏡石


奥から外、両袖式、右の袖石が随分変わっている


こちらの袖石はそれ程側壁に食い込んでいないような


反対側も同様


背後から見た墳丘


4号
上部を失った石室


斜め後方上から


両袖式かな、左側は袖石を立てているだけかな


5号
こちらも上部を失った石室


斜め前上から


奥壁


奥壁と側壁、側壁は小型石材


後方上から


玄門袖石は4号とよく似ている


6号
石室正面、前部破壊


石室後部残存


丸い鏡石を据えた奥壁、これは大和國古墳墓取調室とは違っているようだ


7号
複式横穴式石室、全長凡そ10m、玄室長3,幅2.2,高3m
位置:33°24′02″N 130°30′03″E (日本測地系)
    33.40386917 130.49850184(世界測地系)
山道から杉林越しに墳丘が見えている


尾根先端に築かれた墳丘


急斜面側に向いて開口、羨道上部は失っているのかな、あるいは元々墓道のようなものだったかも


開口部正面


前室玄門、まぐさ石との間に随分隙間がある、何故か前室撮っていないな


楕円形の鏡石を据えた奥壁


〃縦位置、背の高いドーム状


奥壁前には仕切り石がある


狭い玄室天井


奥から外、袖石を立てた両袖式、ここもまぐさ石は袖石の上に直接乗っていない


〃縦位置


前室奥から、側壁はまるで奥壁のような巨石


〃縦位置、ここも背が高い、横幅はあまりない


8号
複式横穴式石室
7号背後50m程、急斜面が尾根になる辺りに立地


石室正面、手前は墓道風かな


開口部正面


羨道後部、一見前室はよく分かりません


横幅の殆ど無い形式的な前室、ここも袖石とまぐさ石の間に大きな隙間


前室右側、こちらは割と引っ込んでいる


正面から、平石を積み重ねている


〃反対側、幅も狭く奥行きもあまりない


こちらも平石を積み重ねている、基部にミニ鏡石っぽいのがあるのがご愛嬌


玄室奥壁、基部は巨石を左右に並べる


〃縦位置、こちらも背の高いドーム状


奥壁前に礫が敷かれている


狭い天井


奥から外、両袖式、袖石が三角形状、間口が割と広い


〃縦位置


奥から左方向、側壁の面が整えられている


〃反対側、こちらはそれ程でもないかな


背後から見た墳丘、後ろは急斜面


見学記
鳥栖市神辺町、県道329号を河内ダム方面に上って行くと急カーブの所に鳥居があります、ここが杓子ヶ峰への登山口。山道を50m程登ると木の枝に赤いテープが撒かれています。左側藪の中に墳丘が見えています、これが3号(番号は全て仮称)、墳丘と小さな石室が残っています。そのすぐ奥にあるのが6号で奥壁辺りしか残っていません。その下方下の方道路脇のやや平坦面にあるのが1号で天井石露出内部埋没、そこから振り返ると3号方向より左手に石室開口部が見えていてこれが2号、とんでもない急斜面に立地しています。下から見ると良好そうに見えましたが奥辺りしか残っていない、ただ幅の割には背の高い石室です。3号の上方斜面にあるのが5号、天井を失ってますが両袖式石室が残っている、玄室は長さ2m幅1mもないごく小型、すぐ側にあるのが5号、こちらも上部を失っていますが規定部は羨道までよく残っていて全長6m程度あります。背後に斜面をカットした跡が残っているが肝心の墳丘は殆ど流失しています。この両者墳丘が残っていたら重なっていただろうなと思う近さです。5号から7号墳丘が見えています。登山道に戻って上って行くと木に黄色いテープが巻かれているのでそこから尾根に登っていきます。尾根先端に築かれた墳丘はよく残っている。尾根先端側に開口、複室石室も良好に残っていてそれまでの6基とは隔絶した規模です。割と背が高くて立ったままでも入れるような大きさ、前室後室玄門袖石は柱状の石が立てられています。後室は楕円形の如何にも鏡石らしい奥壁、ドーム状で背が高く天井は狭い1枚石です。奥壁前に仕切り石があり屍床を作っているようです。後方50mにあるのが8号、こちらは急斜面麓にあり背後をカットした墳丘がよく残っています。こちらの石室も良好、複室石室ですが羨道は天井壊失、ただ入口側が開き気味で元々なかったのかもしれない。前室は幅はあるが長さはあまりなく形式的なものです。後室はドーム状で背が高く狭い天井石は1枚、奥壁ははっきりした鏡石はありません。奥壁前に敷石がある、埋まっているが仕切り石もあって屍床だったようです。ちなみに古墳群全体では73基と大規模なようです。鳥居前に駐車可。
番号はHP「大和國古墳墓取調室」に従いますが6号は石室の様子から異なっているようです。

田代太田古墳

佐賀県鳥栖市 2002年4月訪問

円墳、R42,H6、6C後半
装飾複室石室
位置:33°23′29″N 130°31′04″E (日本測地系)
    33.39470346 130.51544598(世界測地系)

墳丘南側、石室は保護施設で閉鎖


装飾壁画(説明板より)


(見学記)
市役所北北東約2km、田代町の県道脇にあるが民家敷地内のせいか案内表示はない。敷地との境界にもマムシ注意の表示がある。複室装飾石室を持つが保護施設で閉鎖されていて見学はできない。国史跡。

庚申堂塚古墳

佐賀県鳥栖市 2002年4月訪問

前方後円墳、TL60,R32,RW48、6C中
横穴式石室、玄室長4,幅2.5,高3m
位置:33°23′35″N 130°30′56″E (日本測地系)
    33.39637003 130.51322387(世界測地系)

後円部東側、墳丘は良好だが樹木に覆われ見学しにくい、石室は埋め戻している


墳丘・石室図(説明板より)


(見学記)
田代太田古墳を探している内に通り過ぎてしまい、こちらの案内表示を見つけて先に見学、思わぬめっけものだった。全長60mの前方後円墳で墳丘も良好に残っていて前方部が発達した様子がよく分かるが周りが狭くて全体像は把握しにくい。石室があるそうだが埋め戻されていて何処にあるのか全く分からない。県史跡。
ここから高速道を越えたすぐ北側に弥生時代の遺跡で国の史跡の安永田遺跡があるが現在は全く未整備で説明板が立っているだけでした。
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