福岡県うきは市(旧浮羽町)2002年4月訪問
楠名古墳円墳、R30,H6、7C前半
複室石室、全長16m
位置:33°19′45″N 130°47′47″E (日本測地系)
33.33249065 130.79403393(世界測地系)
石室正面、墳丘、石室とも良好

長い羨道、途中に仕切り石

右前室から左前室、玄門、左前室はあまり奥行きがない、通路との仕切石も微妙に異なる

前室、玄室玄門、玄室より前室の方が大きい

前室右、壁の上部が突き出ている

左前室

奥から外

左前室から右前室、玄門、右側はむしろ玄室より大きい
重定古墳前方後円墳、TL50,R44,RH8、6C後半
複室装飾石室、全長17m,玄室長3.7,幅3.2,高2.5m
位置:33°19′46″N 130°47′51″E (日本測地系)
33.33276843 130.79514497(世界測地系)
墳丘、右が後円部、古墳の部分だけが高台のように残っている

石室(窓ガラス越し)羨道途中に閉塞石が残る

石室図(説明板より)
塚花塚古墳円墳、R30,H6、6C後半
複室装飾石室、玄室長3.3,幅2.9,高3.7m
位置:33°19′32″N 130°48′04″E (日本測地系)
33.32887998 130.79875592(世界測地系)
墳丘正面、説明板がなければわからないかも

玄門(窓ガラス越し)ここにも壁画があるはずだが

石室図(説明板より)
法正寺古墳前方後円墳
位置:33°19′40″N 130°47′55″E (日本測地系)
33.33110194 130.79625604(世界測地系)
右が後円部、墓地や果樹園となっている
妙覚古墳円墳
複室石室、全長7.7m,玄室長3.8,幅4,高4.2m
位置:33°19′34″N 130°48′04″E (日本測地系)
33.32943549 130.79875591(世界測地系)
墳丘正面、羨道壊失、前室の閉塞石が残っている

前室、玄室玄門

玄室、やや胴張りで背の高いドーム状

奥から外

狭い天井石、右が奥壁
(見学記)町役場西側にある資料館(無料)で国の史跡になっている3古墳の鍵を借りることができます。資料館自体はあまり見るものはないですが。
重定古墳町役場前の道路を100m程東に行くとあります。周りが住宅などで削られて古墳部分だけが高台のようになっています。墳丘は何とか前方後円墳と分かる程度、後円部南側に装飾石室がありますが保護施設が作られていて石室が窓ガラス越しに見学することになります。壁画は全く確認できない。国史跡。
楠名古墳重定古墳のすぐ南側にあり墳丘、石室とも良好に残っています。石室も幸い壁画がないので中に入れます。照明付きで見学しやすい。長い羨道を入っていくと前室があるがここが玄室より遙かに大きい。左側はあまり奥行きがなくどのような利用をされたんでしょうか。右側は奥行きがあり玄室よりも大きくて副玄室といった感じです。通路との境の仕切石も左右で異なるのも面白い。玄室は奥壁に巨石を据え左右の側壁は小口積みなのは伝統的な手法でしょうか。あまりに素晴らしい石室で暫く見とれていました。国史跡。
南側で崩壊した石室を発見、奥壁が水路の一部となっているなどかなりひどい状態ですがそれでも残っているのは側の地蔵様のおかげでしょうか。塚花塚古墳近くの水田の中にも崩壊した石室があってまだ多くの古墳があったようです。
塚花塚古墳重定古墳から道路を南に500m程行くとあります。ここも装飾石室で窓ガラス越しに見学することになりますが壁画は全く分かりません。国史跡。
法正寺古墳重定古墳南東250m、平地の中にあり南側からその姿を一望できます。果樹園や墓地となっていてかなり低くなっているようです。墓石の中には龍造寺氏の名前も、思わぬところで戦国時代にタイムスリップしました。
妙覚古墳塚花塚に行く途中に民家の庭先で偶然見つけた。いかにも石室入り口らしい石組みがあってすぐ分かった(本当は塚花塚と間違えたんだけどね)。羨道は完全に壊失しているが複室構造の前室、玄室は完存。特に玄室は墳丘外観からは想像できないほどの大きさです。