安富古墳

福岡県うきは市(旧吉井町)2002年4月訪問

円墳、R15、6C末~7C初
複室石室、全長11m,玄室幅4,高4m
位置:33°19′37″N 130°44′59″E (日本測地系)
   33.33026745 130.74737044(世界測地系)

神社石段脇にある墳丘


前室


胴張りドーム状の玄室


奥から外


狭い天井石


(見学記)
珍敷塚東方800m、吉井百年公園入り口から入ってすぐ左に案内表示があり急な石段を登っていくと石室がぽっかり開口しています。内部照明があるので見学は容易、羨道はかなり失われていますが複室構造の前室、玄室はよく残っています。玄室は背が高く胴張りで本当にドーム状という言葉がぴったりですね。あまり上ばかり見とれていたのでうっかり水たまりにはまってしまった。町史跡。

屋形古墳群(珍敷塚古墳他)

福岡県うきは市(旧吉井町)2002年4月訪問

鳥舟塚古墳
円墳、6C後半
装飾石室、全長7m
小屋の中に奥壁2個しか残っていない、鳥、舟、靭、円文


原古墳
円墳、R12.4,H3.5
装飾石室、全長8.9m
墳丘東側、小屋の中に抜き取られた奥壁が保存、舟、靭、円文


上記反対側


古畑古墳
円墳、R20,H3、6C後半
複室装飾石室
位置:33°19′29″N 130°44′24″E (日本測地系)
   33.32804526 130.73764915(世界測地系)
4基の中で1番上にある、内部は背の高い肥後型石室、他の3基と違い舟の壁画がない


下から


珍敷塚古墳
装飾石室
位置:33°19′40″N 130°44′30″E (日本測地系)
   33.33110054 130.73931557(世界測地系)
石室保護施設、見学可だが撮影不可、玄室の一部しか残っていない


(見学記)
4基の装飾古墳が一括して国史跡になったのに伴い名称も変更
されたようです。

珍敷塚古墳
何が驚いたと言って今回の旅行で一番驚いたのがここ。装飾古墳のスーパースターで本では何度もお目にかかっているがまさか建物の中に収まっていたとはね。しかも石室は一部しか残っていない。こういうことを書いている本はお目にかかったことがないしね。建物の脇に表示板があったから最初はその周囲を探し回ってしまった。隣の家に管理人さんがいるので予約無しで見学できます(第1・3月曜休み)。2重の扉を通って中にはいるとガラスケース内に保存された石室があります。色はかなり薄くなっていますが模様は結構よく分かります。写真撮影不可。
県道151号沿いにあり、場所はわかりやすい。珍敷塚から案内表示が出ているので他の古墳も見学は容易です。

原古墳
墳丘東側に小屋のようなものがありここが石室かなと思って隙間から覗いてみるといきなり目の前に石の壁が。説明板によると抜かれた奥壁がこの中に置かれているみたい、しかも壁画部分が外向きに。これでは外気にさらしているのと同じで壁画の保存状態が心配です。石室自体は西向きに開口している(埋め戻されているが)

鳥舟塚古墳
奥壁の石が2個残っているだけ。しかも建物の中にあって全く見ることはできない。

古畑古墳
4基の内一番上、果樹園の中にあって状態も一番良さそう。ただしここも石室は見ることはできません。北側に土嚢が積んでいる部分があるのが石室開口部だろうか。石室が背の高い肥後型で壁画にも舟が描かれていないなど他の3基とは異なっている。

若宮古墳群

福岡県うきは市(旧吉井町)2002年4月訪問

塚堂古墳
前方後円墳、TL91、5C後半
横穴式石室2
位置:33°20′32″N 130°46′34″E (日本測地系)
   33.34554432 130.7737569(世界測地系)
前方部北側、後円部(左側)は土砂採取で消滅、前方部の石室も見ることはできない


月岡古墳
前方後円墳、TL80、5C中
竪穴石室、長持形石棺
位置:33°20′30″N 130°46′05″E (日本測地系)
   33.34498859 130.76570177(世界測地系)
左が後円部、3基の内最初の前方後円墳、状態も一番よい、石棺は後円部のお堂の中に保存している


日岡古墳
前方後円墳、TL78、6C前半~中
装飾石室
位置:33°20′28″N 130°46′12″E (日本測地系)
   33.34443315 130.76764614(世界測地系)
墳丘側面、社殿やお堂があり上部がかなり削平、群中最後の前方後円墳、石室は見学可


(見学記)
月岡古墳
町役場東方1km、若宮八幡神社境内にあります。3基の中では一番状態がよいが江戸時代に発掘され長持形石棺が出土しています。現在は上部が少し削平されてお堂が建っており内部に石棺が安置されています。蓋石の丸い縄掛け突起や側板の四角い縄掛け突起もよく残っています。国史跡。

日岡古墳
月岡古墳から道路を隔てた東側にありここに駐車場があります。墳丘は上に社殿は祠がありすっかり低くなっているようだ。後円部の保護施設の中に横穴式石室があります。天井石が床面に落ちていますが小口積み胴張りの玄室、巨大な鏡石などがよく分かります。壁画も割とよく残っているが赤い円文が目立ち青い色はすっかり退色して殆ど分かりませんでした。国史跡。
この両者は吉井町教育委員会生涯学習課09437-5-3343に電話して予約すればボランティアの方が案内してくれます。また町立歴史民族資料館(無料)に出土物や墳丘模型が展示しています。

塚堂古墳
日岡古墳東方600m、バイパスの脇に異様な姿をさらしている。周りに遮るものがなく一望できるのでその姿がよけい痛々しい。なんでも洪水の際の土砂採取で後円部が土取りされたらしい。前方部が古い墓地なのでこちらは避けたのでしょうか。横穴石室が2基ありますが後円部の方は消滅、前方部端にある石室も埋め戻されて全く分かりません。

朝田古墳群

福岡県うきは市(旧浮羽町)2002年4月訪問

楠名古墳
円墳、R30,H6、7C前半
複室石室、全長16m
位置:33°19′45″N 130°47′47″E (日本測地系)
   33.33249065 130.79403393(世界測地系)
石室正面、墳丘、石室とも良好


長い羨道、途中に仕切り石


右前室から左前室、玄門、左前室はあまり奥行きがない、通路との仕切石も微妙に異なる


前室、玄室玄門、玄室より前室の方が大きい


前室右、壁の上部が突き出ている


左前室


奥から外


左前室から右前室、玄門、右側はむしろ玄室より大きい


重定古墳
前方後円墳、TL50,R44,RH8、6C後半
複室装飾石室、全長17m,玄室長3.7,幅3.2,高2.5m
位置:33°19′46″N 130°47′51″E (日本測地系)
   33.33276843 130.79514497(世界測地系)
墳丘、右が後円部、古墳の部分だけが高台のように残っている


石室(窓ガラス越し)羨道途中に閉塞石が残る


石室図(説明板より)


塚花塚古墳
円墳、R30,H6、6C後半
複室装飾石室、玄室長3.3,幅2.9,高3.7m
位置:33°19′32″N 130°48′04″E (日本測地系)
   33.32887998 130.79875592(世界測地系)
墳丘正面、説明板がなければわからないかも


玄門(窓ガラス越し)ここにも壁画があるはずだが


石室図(説明板より)


法正寺古墳
前方後円墳
位置:33°19′40″N 130°47′55″E (日本測地系)
   33.33110194 130.79625604(世界測地系)
右が後円部、墓地や果樹園となっている


妙覚古墳
円墳
複室石室、全長7.7m,玄室長3.8,幅4,高4.2m
位置:33°19′34″N 130°48′04″E (日本測地系)
   33.32943549 130.79875591(世界測地系)
墳丘正面、羨道壊失、前室の閉塞石が残っている


前室、玄室玄門


玄室、やや胴張りで背の高いドーム状


奥から外


狭い天井石、右が奥壁


(見学記)
町役場西側にある資料館(無料)で国の史跡になっている3古墳の鍵を借りることができます。資料館自体はあまり見るものはないですが。

重定古墳
町役場前の道路を100m程東に行くとあります。周りが住宅などで削られて古墳部分だけが高台のようになっています。墳丘は何とか前方後円墳と分かる程度、後円部南側に装飾石室がありますが保護施設が作られていて石室が窓ガラス越しに見学することになります。壁画は全く確認できない。国史跡。

楠名古墳
重定古墳のすぐ南側にあり墳丘、石室とも良好に残っています。石室も幸い壁画がないので中に入れます。照明付きで見学しやすい。長い羨道を入っていくと前室があるがここが玄室より遙かに大きい。左側はあまり奥行きがなくどのような利用をされたんでしょうか。右側は奥行きがあり玄室よりも大きくて副玄室といった感じです。通路との境の仕切石も左右で異なるのも面白い。玄室は奥壁に巨石を据え左右の側壁は小口積みなのは伝統的な手法でしょうか。あまりに素晴らしい石室で暫く見とれていました。国史跡。
南側で崩壊した石室を発見、奥壁が水路の一部となっているなどかなりひどい状態ですがそれでも残っているのは側の地蔵様のおかげでしょうか。塚花塚古墳近くの水田の中にも崩壊した石室があってまだ多くの古墳があったようです。

塚花塚古墳
重定古墳から道路を南に500m程行くとあります。ここも装飾石室で窓ガラス越しに見学することになりますが壁画は全く分かりません。国史跡。

法正寺古墳
重定古墳南東250m、平地の中にあり南側からその姿を一望できます。果樹園や墓地となっていてかなり低くなっているようです。墓石の中には龍造寺氏の名前も、思わぬところで戦国時代にタイムスリップしました。

妙覚古墳
塚花塚に行く途中に民家の庭先で偶然見つけた。いかにも石室入り口らしい石組みがあってすぐ分かった(本当は塚花塚と間違えたんだけどね)。羨道は完全に壊失しているが複室構造の前室、玄室は完存。特に玄室は墳丘外観からは想像できないほどの大きさです。
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