曲崎古墳群

長崎県長崎市2014年3月訪問

細長い岬上に分布する積石塚群、確認99基、多分それ以上

分布図(説明板より)
細長い岬全体に分布


岬先端辺り、木道が架けられている


全景
南側からの遠景


岬付け根辺り、石がゴロゴロ、殆ど古墳と分からない


岬先端辺り、こちらも同様


21号
窪みがあって何とか石室と分かる


22号
23号脇


はっきりした石室が確認できる、手前の平石は奥壁か側壁か


23号
位置:32°44′57″N 129°59′25″E (日本測地系)
    32.75253219 129.98800606(世界測地系)

大きな積石塚、これが一番分かりやすい


墳頂に石室、手前が羨道のようだ


石室横から、右が奥壁側


〃反対側から、天井石らしきもの辺りが玄門か


その他
石室があるような無いような


こちらは何とか石室と分かるかな


見学記
長崎市牧島町、島東部の細長い砂州のように伸びた岬全体に分布する6C末から7C初にかけての古墳群です。99基確認されていますが更に沢山あるようです。所謂積石塚ですが海岸の丸みを帯びた大きな石を使っているので普通の積石塚とは大分イメージが違います。そもそも墳丘がわかりにくいし頂部に窪みがあるから古墳だなと分かる程度です。そんな中で23号は墳丘も大きいし頂部に横穴石室が分かる程度に石室が残っています。羨道やまぐさ石が残っているのもわかりますが玄室天井はどうやってかけていたんでしょうね。他の石材は海岸に幾らでもあるけど天井石だけはそんな石材を使うわけにはいかないしな。木道がかけれられていて見学できます。国史跡。岬先端に駐車スペース有り。

鬼の岩屋古墳(高下古墳)

長崎県雲仙市(旧国見町)2007年1月訪問

6C中
横穴式石室、全長6.3m、玄室長3.3,幅2.8m
位置:32°51′07″N 130°18′25″E (日本測地系)
    32.85530362 130.30464245(世界測地系)

墳丘流失、石室が露出


石室正面


巨石を使った玄室、赤い顔料が僅かに残っている


奥壁前の区画、内側に敷石が敷かれているようだ


奥から外、両袖式、天井石が危うく乗っている、左側にも区画がある


(見学記)
国見町多比良高下名、国道389号と広域農道の交差点から300m程東に行くと国見古墳群の白い標柱が立っている。そこから道を東に約1kmほど下っていくと高下公民館に小さな案内表示がある(ここでは高下古墳)。古墳は公民館隣の民家の裏、家の人にことわって見学する。墳丘はすっかり流失し巨石を使った石室が露出しているが石材も幾つか抜かれているようで2枚の天井石の内玄門上のはかなり危うい状態の乗っている。羨道と玄室はほぼ同じ幅のようで板石を使った袖石で区別している。玄室には赤い顔料が僅かに残っている。床面にも奥と右側に石で区画された場所があり敷石が敷かれていたようだ。県史跡。
近くに切石石室の八反田古墳があると言うことだが分からなかった。

守山大塚古墳

長崎県雲仙市(旧吾妻町)2007年1月訪問

前方後円墳、TL70,R45,RH7,FW20,FH2.7
位置:32°50′31″N 130°12′14″E (日本測地系)
    32.84530402 130.20159384(世界測地系)

全体が墓地になった墳丘、案内板が明後日の方向を向いている


右側が前方部


前方部隅から後円部


側にあるもう一つの墓地(右手前)これも古墳?


(見学記)
吾妻町平江名、国道251号に案内表示がありそれに従って行くと広い谷の中央部に古墳があります。全長70m程の前方後円墳ですが全体がすっかり墓地になっている。ただそのわりには前方後円墳の形はよくわかります。すぐ南側に接するようにもう一つ墓地があるがこれも古墳だろうか。大きな案内表示がある割には説明板はなし。しかも後円部側の表示板は矢印が関係ない方向を向いている。さすがに間違える人はいないと思うが正しい向きにした方が近寄ってきた時文字面も見やすいのにな。多分史跡。

平山古墳

長崎県島原市(旧有明町)2007年1月訪問

円墳、6C後半
横穴式石室、玄室長2,幅2,高2m(凡そ)
位置:32°50′42″N 130°19′25″E (日本測地系)
    32.8483601 130.32130777(世界測地系)

石室正面


玄門、袖石やまぐさ石に閉塞石を填め込んだ溝がある


正方形プランの玄室、羨道と玄室の幅がほぼ同じ


奥から外、両袖式、床面が一段下がっている


(見学記)
有明町平山、鬼の岩屋古墳から広域農道に戻って更に南下すると平山古墳の案内標識があった。予期せぬ発見に急遽見学。農道から細い道を下っていくこと800m、そろそろ不安になりかけた頃柵に囲まれた小さな墳丘がありました。ちょっとがっかりしたが反対側に廻ってみると立派な石室が開口していました。鬼の岩屋を小型にしたような石室で玄室は正方形プラン、羨道と幅は同じで板石とまぐさ石で玄門を構成しています。下にもしきみ石がありその手前には踏み石のような石が置かれていて玄室床面は一段低くなっています。また袖石とまぐさ石には閉塞石を填め込んだ溝が残っています。それにしても予期せぬ出会いがこういう立派な石室だと嬉しくなりますね。ただ案内表示には大まかでいいから距離を表示してほしいものだ。1kmも行くと道を間違えたんじゃないかと不安になります。市史跡。

小路口鬼の穴古墳

長崎県大村市 2007年1月訪問

円墳
複式横穴式石室、全長8.0m、前室長約2m、玄室長約2m
位置:32°56′16″N 129°57′25″E (日本測地系)
    32.94112507 129.95466787(世界測地系)

住宅街の中に残された墳丘


墳丘南側


石室入り口辺り


前室から見た玄門、板状の袖石を立てている


ほぼ一枚石の奥壁


奥壁上部、三角持ち送りが見られる


奥から外、土砂がかなり流入している


前室(奥から)


(見学記)
JR竹松駅東150m、住宅街の中にあって場所はかなり分かりにくい。背の低い墳丘が残っていて南側に石室が開口、ただし石で塞がれています。石室自体は良好に残っているようで複室構造全長8mで前室玄室ともほぼ正方形プラン、玄室は板石を立てた両袖式で奥壁はほぼ一枚石、上の方に三角持ち送りが見られます。土砂が流入していて中はかなり狭い。市史跡。

玖島崎古墳群

長崎県大村市 2007年1月訪問

小さな岬の上に11基、6C後半~7C

分布図


0号
横穴式石室、玄室長2.3,幅1.5-2m(凡そ)
位置:32°53′28″N 129°57′12″E (日本測地系)
    32.89446207 129.95105844(世界測地系)

崖際に立地した墳丘


石室正面、上部を失っている、北側、海に向かって開口


玄室、奥が少し広くなっている


玄室奥から


床面が薄い板石で区画されている


6号
側壁の一部が残る程度


7号
玄門袖石か


薄い板石が使われている


10号
画面奥が奥壁のようだ、ここも薄い板石が使われている


(見学記)
大村市役所南側に大村公園がありその西側一番奥から競艇場脇を通って行くと玖島崎と言う小さな岬がありその上に11基からなる古墳群です。大半が石室石材が僅かに露出する程度ですが0号墳(0号なんて初めて見た)で僅かに墳丘が残り上部を失った石室が露出しています。奥の広がった羽子板型玄室で内部が薄い板石で区画されています。他の幾つかの石室でもこの薄い板石が見られます。今は陸続きですが当時は島だったんでしょうね。現在も岩が露出している場所もあるけど巨石などは得られそうもなく天井石などはどう調達したんだろう。材木で代用することもあったんだろうかと想像してしまう。市史跡。

黄金山古墳

長崎県大村市 2007年1月訪問

石棺系横口式石室(破壊)
位置:32°57′11″N 129°57′27″E (日本測地系)
    32.95640146 129.95522318(世界測地系)

墳丘は戦時中の砲台建設で大きく損なわれている


(見学記)
大村市今富、地名と丘陵末端に立地ということしか分からなかったが何とかみつけることが出来た(でもこの場所で丘陵末端か)住宅地の外れにありお堂が建っています。石棺系横口式石室があったが戦時中の砲台建設で墳丘ごと大きく損なわれています。わざわざ来るほどのものでもなかったけどこればっかしは行ってみないとわからないしな。市史跡。

原山支石墓群

長崎県南島原市(旧北有馬町)2007年1月訪問

40基以上
位置:32°40′34″N 130°12′34″E (日本測地系)
    32.67948405 130.20715653(世界測地系)

全景、公園となっている


2号(土壙墓)


10号(石棺墓)上の石が山形になっている


13号(土壙墓?)


24号(石棺墓)


30号(石棺墓)


37号(石棺墓)


39号(石棺墓蓋石)


106号(石棺墓)石棺が支石の中央からずれている


(見学記)
雲仙市と南島原市との境界辺り、国道389号と県道30号の交差点辺りに案内表示があり道路を約1km上っていくと公園となっています(名前は原山農村公園)。支石墓が40基以上あり密集状態、でも幾つかのグループに分かれているみたい。土壙墓、甕棺暮、石棺墓とありますが一番多いのは石棺墓、でも全般に小さくて遺体をかなり曲げるか骨にしてから入れないと入らないのじゃないだろうか。ここの支石墓は小型ですがこれ程まとまってあるのも珍しく国の史跡となっています。

天ヶ瀬古墳

長崎県南島原市(旧布津町)2007年1月訪問

複室石室、玄室長3,幅2.3,高2m
位置:32°42′32″N 130°19′25″E (日本測地系)
    32.71226228 130.32131199(世界測地系)

林の中に保存


墳丘流失、天井石が露出


石室正面


玄門


半ば埋まった玄室


奥から外、両袖式


(見学記)
布津町丙天ヶ瀬、地名しか分からなかったので取りあえず天ヶ瀬集落に行って人に聞こうと思ったがなかなか住民の方に出会えなかった。でも最初に出会った人が幸い場所を知っていた。集落東側の道路を上っていくと養鶏場があり大きなカーブを2度曲がって少し行った辺りに小さな家がありその脇に案内表示がある(文字面は反対側を向いている)。でも矢印の方向は農道で立入禁止の表示がある。家の裏側90度ずれた方向には簡易舗装の道があるが落ち葉が積もっていて人が通った様子がない。ちょっと迷ったが素直に矢印の方向に行ったら×、簡易舗装の方が正解でしかも古墳へ行く専用の道だった。20mも行くと右手に古墳があって舗装なんてする必要があるのかと言った感じです。古墳は墳丘が流失し天井石が露出、複室石室ですが羨道は壊失しているようです。内部もかなり埋まっていますがなんとか中に入れます。玄門が以外と立派だった。側に説明板が立っていますが玄室の大きさの表示が尺単位、多分原文からの引用かと思いますがメートルになおしておいてもいいんじゃないかい。市史跡。

善神さん古墳

長崎県諫早市(旧高木町)2007年1月訪問

横穴式石室、線刻壁画
位置:32°54′24″N 130°08′35″E (日本測地系)
    32.91001872 130.14076426(世界測地系)

お堂となった石室


石室正面、複室かな


羨道側壁は一部しか残っていない


石仏が祀られた玄室


玄室上部


玄室側壁、斜格子文線刻があるが写真ではよく分からない


(見学記)
高来町役場(現諫早市高来支所)の北側に湯江小学校があり、その県道を挟んだ西側にある古墳です。前部が大きく破壊されて一部しか残っていませんが玄室完存、ただ内部に石仏が多数祀られています。左側の側壁に斜格子文の線刻が見えています。複室石室のようにも見えるけど違うのかな。市史跡。
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